2016年5月11日水曜日

應永26(1419)年1月~9月 上杉憲実、関東管領就任 【フス戦争前夜】 フス派信者がボヘミヤ山間部に集結始める プラハ市内ではフス派・カトリック派の衝突頻発 フス派のターボル山集会 第1次プラハの窓事件(フス派暴動、市庁舎襲撃) プジィー・ホラでフス派会議 仏モントローの武装橋の乱闘    

ハルユキノシタ 黒部峡谷 2016-05-08
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應永26(1419)年
この年
・堺南荘、屋地子730貫文を以て土貢としたといわれる。
この頃、宿地子、関地子、市加地子、門前地子などの例が、各地に数多く見出され、都市の基本的賦課が地子の形態をとったことが明らかになる。
しかし、地口の長さを基準とした賦課が行われるのは、都市としての制度が一段と明確になっている場合だったと思われる。
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・ドイツ、ロストック大学創設
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・ポルトガルの遠征隊、カスティリャからマディラ諸島を奪取。
1418年ポルトガルのジョアン・ゴンサルベス・ザルコとトリスタン・ティシェイラが探検。
1433年エンリケ航海王子に譲渡、領主制(カピタニア)で本格的に植民、シチリアからサトウキビが移植、15世紀末迄にマデイラ島の主産業となり、ヨーロッパ砂糖市場を支配。マデイラ植民成功はその後の探検航海の原動力となる。
1869年スエズ運河開通まではケープタウンへ航路の重要な寄港地。
ハプスブルグ家最後オーストリア・ハンガリー帝国皇帝カール1世夫妻が第1次世界大戦に敗れ、マデイラ島へ流され、皇帝は当地で没。
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・ポルトガルのエンリケ王子、アルガルヴェ州総督就任。
南部のサグレスのサン・ヴィセンテ岬に住み、航海学校建設、航海のための研究所設立、イスラム人・ユダヤ人を含む学者を集め地図製作(ヴェネチア人マエストロ・ハイメという観測器具・地図製作者など)、船乗りを養成、造船についての研究を続ける。アフリカ西海岸を南下する航海事業を進め、船乗り達を探検航海に派遣。

1418年ポルト・サント島とマデイラ島、1427年ディオゴ・デ・シルベスによるアゾレス諸島の発見。
1434年ポジャドール岬(スペイン領西サハラ)突破。
1441年リオ・デ・オウロ到着。
1443年アルギン湾(ギニア)到達、同年アルグィン島占領。
1444年ブランコ岬(モーリタニア)到達、同年セネガル河河口発見。
1445年ヴェルデ岬(セネガルのダカール付近)到達。
1446年ガンビア河河口発見、同年(1462年説有)シェラ・レ・オーネ到達。
1456年(1462年説有)ヴェルデ岬諸島発見。
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1月19日
・仏、イングランド軍、ルーアン陥落。
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2月
・モラヴィアのスカリツェで、チェコ国王ヴァーツラフ4世、皇帝ジグムント・教皇マルティヌス5世使者と会談。プラハの聖杯派に対する圧迫がしだいに強まる。

ヴァーツラフ4世はフス派に対する態度を変更。
プラハの教会に関してカトリック側への返還を条件に「聖務執行禁止」を解除する約束。「カトリックの聖職者」の地位復活を「勅命」として厳命。カトリック聖職者がフス派教会に乗り込む。カトリック施設が建直される。
フス派が激しく抵抗したため、国王は3つの修道院の管理する教会に限りフス派の説教を許す。
プラハに残っているジェリフのヤンは国王の政策に絶望、王を見限り、次第に過激な意見を有するようになる。とくに都市市民の「貧困」と貴族・聖職者層の虚栄や富を批判。
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3月6日
・上杉憲基、病臥し関東管領(関東執事)を辞任、子の四郎憲実が後継。長尾家の当主長尾景仲は宰相。
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3月6日
・ヴェネツィア、サン・マルコの丸屋根出火、損害2万2千ドゥカーティ
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3月25日
・パリ、前年9月~この日迄、腺ペストで10万人以上が死亡。
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4月
・「山への巡礼」。
復活祭の頃、プラハから追放された聖杯派の聖職者・説教師たちがボヘミア南部・東部の農村・山上で人々を集めて説教を行い、しだいに支持者が増えているとの報告がプラハに届く。
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6月
・~7月、プラハ市内ではフス派とカトリック派の衝突事件が頻発、市当局もこれを抑えきれず。
プラハから離れた場所で「山への巡礼」熟が高まる一方、プラハで急進フス派の先頭に立つのは、プレモントレ派修道士ヤン・ジェリフスキーで、彼が説教師を務める新市街の聖母マリア教会は、ベトレーム礼拝堂に代わってフス派市民の拠点になっている。
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7月
・満済、李氏朝鮮が倭寇の根拠地として対馬を急襲した応永の外寇について、事件1ヶ月後、この外寇は蒙古の侵攻で、侵攻軍は高麗船500、唐船2万余で、高麗軍は大半討死、唐船は大風で引返したが過半は沈没したと、元寇そっくりの結末を記す(「満済准后日記」応永26年7月23日、8月7日条)。
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月初
・ボヘミア、急進フス派宮廷人ミクラーシュ、群衆を率い二種聖餐の自由を直接国王に請願。
フス派が優勢な新市街参事会解任を命じ、殆どカトリック派からなる参事会を作らせ、ミクラーシュを追放。国王の保護は期待できない事が明確になる。
その後、22日に南ボヘミアのブルコヴァークでボヘミアとモラヴィアのフス派全体集会が開催される噂が流れ、密偵は、集会では国王・大司教を退位させミクラーシュを首長にしようとしているとの不確かな報せをもたらす。
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7月11日
・仏、ブイイーにて王太子シャルルとブルゴーニュ公ジャンの和解のため会合。
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7月22日
・ボヘミア、フス派の急進グループ結成。ベヒン付近のターボルと呼ばれた山で大集会。
後、ターボル山は礼拝堂が建てられ、フス派の集結拠点となるが、カトリック側の政治的圧迫が強くなりアウスティ近郊フラディステに共同体の拠点を移す。
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7月30日
・第1次プラハの窓事件。ボヘミア、フス派の暴動。市庁舎襲撃。
「ドイツ人・プラハ新市長と市参事会員」を、市役所の窓外に放擲。執政官4人を選び参事会員と同じ権限が委ねられる。

ジギスムント王はその対応に忙殺、ハンガリー国内マグナート(大貴族)の勢力伸張。ドイツ人追放、全土の教会・修道院の掠奪へと発展。

「聖体奉持行進」。
この日、国王は「新市街」のフス派優勢の市参事会を解散、カトリック派だけを再度任命。教区の学校はローマ・カトリックの聖職者に返され、「二種正餐」の説教を信じる者は逮捕される。このため、行列はカトリック教徒による「襲撃」も予想され、武装した参加者が多く、物騒な、緊張を孕んだ行進。
彼らは市参事会のある市庁舎に押し寄せ、包囲。行列参加者は市庁舎に侵入、市長・参事会員・都市裁判官代理ら13人を窓から外に投し、彼らは群衆に串刺しにされる。
ジェリフのヤン(説教師ヤン・ジェリヴィンスキー)はすぐに市庁舎に突入、市民会議を行い「新市街の自治」を決定。更に肉屋ピーター・クスを新市長に(「肉屋」は中世において非常に重要な由緒ある身分)選び、指揮官4人からなる防衛隊結成を決議。

フス主義運動の分裂(民衆陣営と市民・貴族陣営)。
この時期のフス主義運動の中には、上級貴族・富裕化したチェコ市民(新しい市民階級)がいる。彼らは、一定の満足を得ると民衆運動に反対の立場に立ち、教会権力との妥協点を探ろうとする。
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8月16日
・ボヘミア王(前皇帝)ヴァーツラフ(ヴェンツェル)4世(58)、急没。
異母弟で神聖ローマ皇帝・ハンガリー王ジギスムントが王位につく。
チェコ民衆にとっては、彼の背信行為(フスの死にたいする罪)は忘れることのできないもの。教会権力はチェコ内での権力回復の希望を託す。

国王没の翌日から、プラハ市内で修道院・教会襲撃が起る。
ドイツ人を中心に聖職者・市民が市を去り、財産が奪われる。
フス派市民達は、権力の空白状態を利用してカトリック聖職者を追放し、再び教会・学校を取り戻そうとする。
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8月24日
・京都で地震。
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下旬
・ボヘミア、ヴァーツラフ没後、当面の権力を引継ぐ王妃ジョフィエを後見する上級貴族ヴァルテンベルクのチェニェク(聖杯派の保護者)らとプラハ市、9月上旬にかけて63年ぶりに議会を開催、新王ジクムントに対する要望書が作成される。
文書は、議会決議形式の前半13項目と「共同体からの事項」の後半8項目に分かれ、前半は二種聖餐の承認、フスとイェロニームを異端視しないこと、外国人に官職を与えないこと、国外の裁判所への控訴の禁止などで、一般に見られる貴族側の要求と同程度、しかし後半には、チェコ語での説教、教義を巡る問題の慎重な取り扱い、近年プラハで生じている事態に関して処罰を行わないなどジクムントが承認する筈のない内容。
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9月10日
・仏、モントローの武装橋(セーヌ川支流ヨンヌ川)上で王太子シャルル手勢とブルゴーニュ公ジャン無畏公(48)の会見。
和平会談が突然争いになり乱闘、タンギー・デュ・シャテルがジャン無畏公の頭蓋骨を割る致命傷を与える。のち没。
息子フィリップ善良公(23)がブルゴーニュ公国承継、イングランドとの同盟に踏み切る(決定的事件)。ブルターニュ候もフィリップ善良候に誘われてイングランド派になる。
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9月17日
・プジィー・ホラでフス派会議。
30日、クーシュキでフス派会議。後、その一部がプラハに向かう。

主張は、聖書に基づく徹底した改革から、しだいに終末論的性格が加わり、既存の社会的秩序否定の傾向が現われてくる。

17日の決議:
この「山と草原に集まった人びと」の主張は、神の法において定められている信頼すべき救済者の教えを自由に聞くこと、および主イエス・キリストの肉と血という尊き聖体を拝領すること以外には何もない。昨今の教会は、「神聖な場所にきわめて嫌悪すべきものが座し」ており、「聖性と善の名において神のあらゆる正義への嘲弄、中傷、圧迫、非難がおこなわれ、反キリストの悪が最高の称賛を浴びている」。「主なる神と、国王、大貴族、騎士、小貴族、あらゆるキリスト教徒の共同体の力によって、あらゆる違反、悪行、逸脱が除かれ罰せられる」ことを要求する。この世は終末のすぐ手前まで来ており、身分の隔てなく最後の時に備えるべきである。そして、終末の後には、キリスト自身が支配する至福の王国が訪れる。この期待は中世人の心を捉えてきたが、今やボヘミアの急進フス派は、自分達が中心となってこの終末を迎えようとする熱気に沸き立つ。
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9月23日
・ヴェネツィア、ブレシア市に一万金ドゥカーティ貸し付け
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9月28日
・ヴェネツィア、 十人委員会の裁判に記録保管係
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