東京新聞【社説】
安倍内閣の外交・安保 軍事への危うい傾倒
2013年10月4日
日米両政府が防衛協力のための指針見直しで合意した。安倍内閣が進める外交・安全保障政策の抜本的転換の一環だ。軍事に過度に傾倒してはいないか。
きのう、岸田文雄外相、小野寺五典防衛相と米国のケリー国務長官、ヘーゲル国防長官が東京・外務省飯倉公館に一堂に会した。外務・防衛担当閣僚による日米安全保障協議委員会、2プラス2だ。
通常、米国内での開催が多く、日本では十七年ぶり。両政府は指針見直しや、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設推進などを盛り込んだ共同文書を発表した。
◆米軍への協力拡大
防衛協力のための指針は「ガイドライン」と呼ばれ、日本自身が武力攻撃を受けたり、日本周辺で有事が起きた際の、自衛隊と米軍との役割分担を記したものだ。
一九七八年に策定され、冷戦終結後の九七年、朝鮮半島有事など「周辺事態」を想定した現在の内容に改められ、自衛隊の役割が拡大された。
今回の見直しの背景には、中国の台頭や北朝鮮の核・ミサイル開発などアジア・太平洋地域の不安定化を機に、自衛隊の能力と役割を拡大し、米軍により協力しようという安倍内閣の意向がある。
ガイドライン見直しは、安倍晋三首相が目指す憲法改正、自衛隊の国防軍化の動きと一体なのだ。
首相は先月、国連総会などニューヨークでの演説で、世界の平和と安定に積極的に貢献する「積極的平和主義」を表明した。
貿易立国であるわが国は国際情勢の安定なくして存立しえない。平和創造に積極的に貢献するのは当然だろう。
それは「いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」ことを宣言した日本国憲法の理念でもある。
◆「専守」逸脱の懸念
同時に、積極的平和主義の名の下、首相の意向に沿って、政府の憲法解釈では禁じている「集団的自衛権の行使」の容認に道を開こうとしていることを、見過ごすわけにはいかない。
首相の指示を受け、政府内に外交・安保に関する二つの懇談会が置かれ、同時並行で議論が進む。
一つは、外交・安保の中長期的な基本方針となる「国家安全保障戦略」を策定するとともに、安全保障と防衛力の在り方を示した防衛大綱を、情勢の変化に応じて見直すための「安全保障と防衛力に関する懇談会」(安防懇)。
もう一つは、集団的自衛権の行使を容認するための「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)だ。
双方で委員を務める北岡伸一国際大学学長は、共同通信のインタビューに「集団的自衛権を部分的に容認するのは法律の理屈としてあり得ない」と答えている。
首相が以前検討を指示した、公海での米艦艇防護や弾道ミサイル迎撃など「四類型」以外にも、集団的自衛権が行使できる範囲を広げようというものだ。
防衛大綱見直しでは「殴り込み部隊」とされる海兵隊機能の導入や、敵基地を攻撃する能力の保有も検討される見通しだ。いずれも憲法の定める「専守防衛」を逸脱しかねない内容である。
国民に堂々と訴え、衆参両院で三分の二以上の議席を確保して憲法を改正するのならまだしも、首相の私的な懇談会の提言を「錦の御旗」に、長年定着している政府の憲法解釈を一内閣が変え、憲法の趣旨を変質させてしまうのは、姑息(こそく)との批判は免れまい。
安倍内閣は、外交・安保の司令塔として日本版国家安全保障会議(NSC)の設置法案や、防衛・外交など特段の秘匿が必要な「特定秘密」を漏らした公務員らを厳罰に処す特定秘密保護法案の成立も目指している。
国民の生命と財産、暮らしを守るのが国家の役割だが、安倍内閣の外交・安保政策は、軍事面に軸足を置きすぎてはいまいか。
専守防衛を逸脱するとの誤解を周辺国に与えると、軍拡競争を促す「安全保障のジレンマ」に陥りかねない。首相は「私を右翼の軍国主義者と呼びたいのなら、どうぞ呼んでほしい」と捨てぜりふを吐くのでなく、粘り強い外交努力こそが、地域に安定をもたらす。
◆平和主義こそ力に
戦争放棄と「戦力」不保持を九条に定めた現憲法の平和主義は、かつての戦争の反省に立った、日本の新しい「国のかたち」だ。
この姿勢こそが世界の人々から尊敬を集め、日本外交に大きな力を与えているのではないか。
憲法の趣旨を逸脱するのではなく、それを生かすことこそ日本の国際貢献であり、国際的な責任を果たすことになる。ガイドライン見直しを機に、あらためて肝に銘じたい。
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