桜田濠 2013-09-27
*長久2年(1041)
この年
・大江匡房(まさふさ)、誕生。
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・アンジュー伯ジョフロワ2世マルテル、1040年フランス王アンリ1世の家族の謀反に際して王を支持した代償として、トゥーレーヌ司教区とル・マン司教区の支配権を取得。
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・東ローマ皇帝ミカエル4世、没(位1034~1041)。
皇帝ミカエル5世、即位(位1041~1042)。
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・フランス、ランフランク、ベック修道院(1034年創設)で設立者エルアンに協力。
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・ハンガリー王ペーター(位1038~1041、イシュトヴァーン1世甥)、アルパーデ家アーバ・シェームエル(1041~1044、イシュトヴァーン1世妹シャロルタ夫)に王位を簒奪され神聖ローマ帝国ハインリヒ3世の許に逃亡。
アーバ、ケルンテン・オストマルクに侵入。
ドイツ側、反撃。数回の遠征と停戦(1041~1044)。
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・イングランド、エドワード(35?)、ハーディカヌートの招きに応じノルマンディより帰国
エドワード;
エゼルレッド2世とエマの子、1016年以来25年間余りエマの実家ノルマンディに亡命、1006?~1066、位1042~1066)。
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・この年か翌1042年、
カープア候パンドゥルフス4世、帰国。
東ローマ皇帝ミカエル5世が釈放(コンスタンティノープル投獄期間:1038~1041/1042)。
すぐにカンパーニアに戻り反グアイマリウス5世同盟結成。
パンドゥルフス4世、かつての同盟者アクイーノ伯・セスト伯の支持獲得。
「サレルノ候・アヴェルサ伯・鉄腕ウィレルムス」同盟軍対「カープア候・東ローマ」同盟軍の争い。
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3月
・アルドゥイヌス、鉄腕ウィレルムスら首領12人が率いるノルマン人傭兵部隊300を従え、メルフィに到着。メルフィは、以後ノルマン人傭兵の「第2の拠点」となる。
ノルマン人首領達は、アルドゥイヌスに征服した土地の半分を自分達に与える約束をさせ、征服予定地を予め分割。
東ローマ領アプーリア征服を開始。
ヴェノーサとラヴェッロを征服、アスコリに侵攻。
まもなく、オファント川とマテーラの間の広大な地域を占領。
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3月17日
・ノルマン人、ビザンチン帝国領のカテパノー率いる軍とヴェノーサ近くで対戦し、大勝。
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5月14日
・園城寺の戒壇設立を諸宗に問い、延暦寺だけが反対。
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7月20日
・地震あり。洛東岡崎法勝寺八角九重塔、倒壊。
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8月
・ベーメン大公ブレティスラフ1世、皇帝ハインリヒ3世の封主権承認。
ハインリヒ3世、1040年(前年)に引き続きベーメンへ遠征軍派遣。
ベーメン大公ブレティスラフ1世降服。
レーゲンスブルクの帝国議会(シュレージエンを除く全占領地をポーランド王カシミール1世に返還、ドイツ国王の封主権を承認)。
ベーメンが長期にわたり帝国内に統合される節目。
ハインリヒ3世、ベーメンに対する帝国の前線拠点として3つの辺境区を設置、その辺境区の背後に国王直轄領を組織。
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12月
・天皇、新造内裏に還御。内裏造営費を一国平均役で徴収
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