1950年発刊「新聞記者の告白」から。「社の首脳部は戦時中、ほとんど軍のお先棒を担いだ連中である。新聞記者ほどその節操を紙屑のごとく捨て去った者はあるまい。デスクの地位にある者も実際にペンをとって戦争に踊った連中である」(続く) pic.twitter.com/GhxPmDvA4R— 高田昌幸 masayuki takada (@masayukitakada) 2016年5月13日
承前)「取材の重要な部門は政治では首相官邸、政党、社会部では警視庁、経済部では日銀、工業倶楽部‥これらのキャップはほとんど上役のおぼしめしが良い連中である。仕事ができるできないより、まずは出先機関と政治的なヤミ取引の出来る人物というのが、その価値判断の第一である」(続く)— 高田昌幸 masayuki takada (@masayukitakada) 2016年5月13日
さらに承前)キャップは記事を実際に書くよりも、政治家と警察と資本家らと、いかに付き合いができ、秘密の会合が出来るかに重点が置かれている‥官房長官や自由党幹事長らを引っ張ってきて、社の幹部連と合わせておけば、その地位は保たれていく‥軍部の言をごもっともと言う習慣は消えていない」— 高田昌幸 masayuki takada (@masayukitakada) 2016年5月13日
というわけで、敗戦5年後から(=戦前から)日本の新聞を貫く思考は何も変わっていないのでは、と。著者は4人で共同通信や毎日、読売等の当時の現役記者。敗戦すら自己総括できず、そうした人々につながる人が常に栄達‥。「歴史」を感じるぜ。 pic.twitter.com/2gUKwvkj0H— 高田昌幸 masayuki takada (@masayukitakada) 2016年5月13日
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