2016年5月14日土曜日

元亀4年(天正元年)2月、将軍義昭が信長に反旗を翻した際、旧二条城に構築したと言われていた新たな堀が発掘された(各紙報道)。5月14日~16日の発掘調査場所での説明会情報(ツイート)など。





「黙翁日録」
元亀4/天正元年(1573)1月~2月 信長、義昭へ「異見十七ヶ条」発す 将軍義昭、浅井長政・朝倉義景・武田信玄らと信長打倒を画策 信玄、三河野田城陥落させるも長篠に後退 信長、義昭と和睦を画策する傍ら西近江を平定  [信長40歳]
の2月13日の

『兼見卿記』2月17日条にも、義昭より「御城中堀二間を申しつく」と、御所の堀を補強するため人足を出すよう命じられたとある。

に該当すると思われる。

場所は、
「黙翁日録」
京都 三つの二条城,① 旧二条城 聖アグネス教会聖堂
にある
「旧二条城跡」「武衛陣跡」のもう少し南寄り(丸太町通り寄り)にあたる


▼現地見学会の様子をツイートより










0 件のコメント: