2016年11月13日日曜日

明治39年(1906)5月 島村抱月他「『破戒』を評す」 田山花袋「不如帰物語」 ロシア(ヴィッテ首相罷免、国家基本法発布、第1回ドゥーマ開会) 韓国(老儒学者・崔益鉉の抗日蜂起、前参判閔宗植の洪州城占領) 蘆花、エルサレム着 

明治39年(1906)5月

・北原白秋、新詩社に加わる。
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・島村抱月他「「破戒」を評す」(「早稲田文学」) 
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・田山花袋(36歳)「不如帰物語」(「文章世界」)。蘆花論。花袋は「文章世界」の編集長。

「凡そ明治の著作物中矢野文雄の『経国美談』、柴史朗の『佳人之奇遇』は古い事。近事は最も洛陽の紙価を商かちしめたのは徳富蘆花子の小説『不如帰』を措て他には無いだらう。此書一度現れて、蘆花子の名は九鼎大呂よりも重きを加へられた。仏蘭西の大抵の家庭には、ユーゴーの傑作ル・ミゼラブルが飾られてあると云ふが、日本でも多少文学趣味のある家庭で、彼の仮綴の粗末な、黄味かかつた表紙の『不如帰』を見ない所はあるまい。耳(のみ)ならず、寄宿舎の女学生の机辺にも置かれゝば、避暑の青年の伴侶ともなり、而して読まれる度に、川島武男と浪子との薄命は、感情的な男女の断腸の涙を留途も無く誘出すので…果は劇に仕組まれ、新体詩に歌はれ、俗謡に囃され、数ケ国の外国語に迄訳された有様で、其勢力たるや素晴らしいものだ。」

続いて、そのモデルである大山大将の家庭や、三島通庸の息子の弥太郎などのことを述べ、この作品の発行部数が何十万にものぼり、その英訳は学生用として日本だけでも1万部売れたこと、詩人溝口白羊が「家庭新体詩不如帰の歌」というものを出版したこと等を述べた。

またこの作品を主題にしたラッパ節まであるとして、
「病ひにやつれし浪子嬢。夫武男に生き別れ、ふたたび逢はれぬ汽車の窓、一声血に啼くほととぎす、トコトットツト
片手に花持ち腰に剣、ポツケットに浪子の書置を、川島武男の墓詣り、墓前に開いて眼に涙、トコトットツト。」
というのを紹介した。

またその劇化としては明治36年5月本郷座で川上音二郎が上演したもの、昨38年に高田実、河合武雄等が上演したもの等を挙げた。また逗子の浪子不動堂と伊香保温泉がそのために有名になったことを論じ、最後に蘆花の外遊をゴシップめいた筆致で報じた。

蘆花の嫉妬深い性質、その熱狂癖等はしばしば文壇人の噂にのぼっていた。また時々突拍子もないことを始める男で、兄と喧嘩したり、山に籠ったかと思うと、トルストイに逢うために外遊するなどというのも噂のまとになった。
しかし文壇人は、彼のことを笑い話にしながらも、彼が一種の天才的な存在であり、その生活が真剣なものであることには敬意と畏れとを抱いていた。
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・大石誠之助「大言小説」(「はまゆふ」掲載);
箇人の人格を高めて、汚れたる現世を清めんとするは、恰も大風の日に市中の塵を静めんとて、戸毎に水を撒けよと言ふが如し。これ余がトルストイズムに全然一致し能はざる理由なり。
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・米議会、シャーマン法可決。ロックフェラー石油トラストの拡大禁止。
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・独、戦艦のトン数増大及び大型戦艦通過のためのキール運河拡張を趣旨とする海軍法案可決。英独の海軍増強競争に拍車。
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5月1日
・日本、安東に領事館設置。
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5月1日
・韓国統監府の保安規則(4月17日制定)、施行。
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5月1日
・阪神電鉄の乗務員ら120人、賞与金支給の公平・労働時間の短縮を要求し、ストライキ。
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5月1日
・仏、メーデー・ゼネスト。戒厳令下、労働者大デモ行進。3,000人逮捕。
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5月1日
・イギリスの南ナイジェリア植民地保護領設立。
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5月2日
・医師法・歯科医師法公布。10月1日、施行。
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5月2日
・幸徳秋水等の本拠たる桑港の平民社支部は、一応難を免れたものの、全市が焼けたのち、知人たちは他の地へ去り、生活の不自由は終らないので、彼は桑港湾の対岸にあるオークランド市の同志に誘われるまま、5月2日そこへ移った。
しかし、オークランドには難民が溢れ、物価は騰貴し、住宅は払底し、生活が難かしくなった。
同志の竹内鉄五郎が自分の室を幸徳に与え、竹内自身は屋根裏に寝ているような生活であったので、幸徳も居心地がよくなかった。幸徳はそこで雑誌「革命」を出しはじめ、在米の同志に働きかけた。彼はそこから更にバークレイ市に移った。

「革命」の発行を続けていたものの、資金が枯渇して休刊のやむなきに至った。
彼はバークレイ市の日本人下宿の地下室に住んでいたが、そこには苦学生を主とする若い同志が集まって、革命党の本拠のような形になった。赤ペンキで塗られたその下宿は「レッド・ハウス」と呼ばれて、一般市民から目の敵にされた。それに日本領事館の圧迫が加わった。日本からの通信で、国内運動も強い弾圧を受け、堺利彦、西川光二郎等がこの6月に投獄されたことが分った。幸徳は急いで帰国した。
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5月3日
・英、1517年以来シナイ半島を支配してきたトルコに対し撤退を求める最終勧告。
トルコは要求を受入れシナイ半島はエジプト領に。
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5月5日
・漱石のこの日付け森田草平宛書簡、
「猫の御批評難有頂戴。もう一回でやめる積で居ますが。忙がしくて書けないから閉口だ。所謂写実の極致といふ奴をのべつに御覧に入れてアツと驚ろかせる積丈は成算が出来て居る。然し実際驚ろかすのはいつの事か分〔ら〕ない。」                       (『漱石全集』22巻)
『猫』が写実小説であることに自信をもっている。
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5月5日
・露、ヴィッテ首相、罷免(1905.11.1~)。後任にゴレムイキン。
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5月5日
・ブラジルとオランダ領ギアナの国境成立。
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5月6日
・日本の関東総督府、遼陽から旅順に移転。
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5月6日
・(露暦4/23)露、モスクワ総督デュパーソフ提督、暗殺未遂。
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5月6日
・露、国家基本法(帝国基本法)発布。ツァーリの至上権を規定。
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5月7日
・薄田泣董、「白羊宮」発表。
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5月8日
・韓国の老儒学者・崔益鉉、全羅北道で抗日の蜂起。
6月に淳昌で捕らわれる。
以後、抗日の義兵相次ぐ。
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5月8日
・保定軍校開設
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5月8日
・イタリアのトリノでゼネスト(~9月)。
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5月9日
・北一輝、私家版「国体論及び純正社会主義」刊行(新潟)。6月に発禁処分。
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5月9日
・英・ベルギー国王レオポルド2世、協定締結(ロンドン)。英はコンゴにおけるレオポルド2世の主権を認め、レオポルド2世はナイル上流の請求権放棄。
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5月10日
・(露暦4月27日~7月8日)普通選挙による第1回ドゥーマ開会。
カデット(立憲民主党)が最大多数153人。皇帝は専制権力を保持。
国会(ドゥーマ)は、急進派の諸政党にボイコットされ7月8日解散。
7月18日、代議員は多数の逃亡者がフィンランドに向かう前に、市民的不服従を呼びかける宣言を出す。
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5月15日
・堺利彦「社会主義研究」第3号は、サン・シモン、フーリエ、ルイ・プラン、ブルードン、ロバート・オーエン、ラサール、マルクスを、カーカップの『社会主義史』によりつつ訳出している。
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5月16日
・麹町六丁目猟奇事件犯人野口男三郎、小西薬店主殺害により死刑判決。臀肉事件・義兄殺害については証拠不十分で無罪。
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5月17日
・日米追加犯罪人引渡条約調印。9月26日 公布。
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5月17日
・徳富蘆花、紅海を北上してこの日、船は45日の航海を終えてポートサイドに到着。備後丸は西ヨーロッパに行くので、パレスチナからロシアに入ろうとする蘆花はそこで下船。そしてナイル川沿いに汽車でカイロに行き、ピラミッドや博物館を見た。
蘆花は日本から英文の手紙をトルストイに出しておいたが、ここからもう一度手紙を出した。
5月22日、ポートサイドから、オーストリアの汽船でパレスチナに向かい、翌朝パレスチナ西海岸のジャツファに到着。そこから汽車で4時間かかってエルサレムに着いた。
そして、エルサレムの城壁の下を過ぎ、その城の西北郊外のロシア人居留地に近いホテル・ローレルに泊った。
そこから、他の客と同行して馬車でエリコに行き、死海を訪れ、ヨルダン川へ行って見た。
また別な日には、ペツレヘム、ゲッセマネの園、橄欖山、ゴルゴタの丘などを見に行った。
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5月17日
・ポルトガル国王カルルシュ1世、ジュアン・フランコを首相に任命。議会解散。
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5月19日
・前参判閔宗植、公州鎮衛隊を破り、洪州城占領。
31日、陥落。
11月、逮捕。
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5月19日
・林董、外務大臣就任。
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5月19日
・独帝国議会、艦隊法修正案可決。
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5月19日
・スイス~伊間のシンプロン鉄道トンネル開通。長さ20キロメートル。世界最長。
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5月20日
・鉄道5,000マイル祝賀会開催(名古屋市)。
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5月20日
・仏総選挙。
クレマンソーの急進社会党が第1党に。
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5月21日
・~27日、日本憲兵・警察隊、公州鎮衛の攻撃。洪州城おちず。
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5月21日
・ウラジオストクに貿易事務館開館。
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5月22日
・韓国総監伊藤博文主唱(山縣、西園寺などの元老閣僚会議)「満州問題に関する協議会」、開催。首相官邸。
児玉参謀総長ら武断派抑え、軍政廃止決定。同日、閣議決定(関東総督機関を平時組織に改める、軍政署を順次廃止)。
9月1日、関東総督府廃止。関東都督制となる(都督は大島総督が引続き任命)。

出席者
伊藤、西園寺、元老山県有朋・松方正義・井上馨、大山巌元帥、閣僚の寺内正毅陸相・斎藤実海相・阪谷芳郎蔵相・林董外相、前首相桂太郎大将、児玉源太郎参謀総長、海軍長老山本権兵衛(前海相)ら13名。
桂は、伊藤と共に、西園寺内閣後見人を自負しているからでもある。山本前海相は西園寺首相の意向で決まる(斎藤実宛西園寺公望書状、5月20日)。原敬内務大臣は招かれていない。
3月、満州の軍政存続に反対して外相加藤高明が辞任(西園寺が兼任、満州を視察)。
伊藤博文はマクドナルド駐日英大使・袁世凱らの苦情もあり、軍政撤廃を勧告するため凱旋大観兵式参列を口実に上京。
協議会席上で伊藤は、満州政策に対する英米側の不信、清国側の不満、排日運動激化を警告。
「満州は決してわが国の属地ではない。純然たる清国領土の一部なのである。

その後、関東総督を廃してできた関東都督と、満州経営の中心として新たに作られた半官半民の南満州鉄道株式会社と、新たに開設された奉天の日本総領事館(外務省)との間で、常に三者の権限争いが続く。
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5月22日
・大阪市、電燈事業の市営を決定。7月1日、大阪電燈(株)との報奨金契約成立。
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5月23日
・ノルウェー、劇作家イプセン(78)、没。
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5月23日
・徳富蘆花(健次郎)、エルサレム着。
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5月26日
・万国郵便条約調印。1907.9.19 公布。1907.10.1 実施。
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5月27日
・張之洞、香港政府と粤漢鉄道回収借款締結。
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5月27日
・マーラー「交響曲第6番」、作曲者自身の指揮で初演。
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5月28日
・北海道夕張炭坑爆発。
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5月29日
・菅野須賀子姉妹、田辺を去り京都に向かう。
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5月29日
・イタリアで第3次ジョリッティ内閣成立。
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5月30日
・洪州城攻防戦。
漢城より急派の田中新助少佐指揮日本軍により洪州城陥落。
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5月30日
・独・スウェーデン通商条約締結。
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5月下旬
・「光」、社会党ラッパ節募り掲載。
のち、添田唖蝉坊が堺利彦より許可を貰い、歌って世間に広める。
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