2015年12月14日月曜日

昭和18年(1943)11月22日~30日 第1回カイロ会談 マキン島攻略 セント・ジョージ岬海戦 当面マーシャル方面来攻なしと誤判断 テヘラン会議(ソ連の対日参戦示唆) 

昭和18年(1943)
11月22日
・マキン環礁ブタリタリ島の日本軍後退
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・~26日、第1回カイロ会談。ルーズベルト・チャーチル・蒋介石。27日「カイロ宣言」。
日本の無条件降伏、日本が第1次大戦以降奪取した諸島の剥奪、朝鮮独立、満州・台湾・澎湖諸島の中華民国への返還。米英中共同でのビルマ作戦(12月5日ルーズベルトは延期通告)。

23日、ルーズベルト大統領、蒋介石国民政府主席に対し、戦後に中国が琉球諸島を保有する意思があるかを質問。蒋介石、米中両国で琉球を占領のうえ、国際機関の信託統治の下で米中共同管理にしたいと言明。
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11月22日
・アメリカ、テニス選手キング、誕生。
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11月22日
・レバノン、8日にフランスにより逮捕されていた政府首脳が人民の圧力で釈放。
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11月23日
・「十一月二十三日(火)
婦人の労働者、男子に代る。日本婦人への革命だ。今までのように奴隷的ではおれなくなる。必然にその位置も向上し、その知識もよくなろう。
総て、日本に革命を齎す。犠牲は多いが、日本人そのものが賢明であれば、必ずこれを実現しよう。どうせ行き詰っていたから、こうした外的治療を必要とする。強気であった連中が、あまりに悲観的になったに対し、我らは、かえって楽観的だ。
山荘の前面に畠を造るため人足きたる。安田〔利兵衛〕君帰る。」(清沢『暗黒日記』)
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11月23日
・レバノン、クーリー大統領の復職でフランスからの独立声明。
26日、レバノン議会、フランスからの独立宣言を決議。
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11月24日
・この日の朝、米護衛空母「リスコムベイ」、日本潜水艦により沈没。マキン西20マイル、戦死644。
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11月24日
・米第27歩兵師団、マキン島攻略。日本戦死693、米死傷218。
マキン島日本守備隊は、市河大尉指揮の798人(陸戦隊284、952航空隊60、802航空隊50の基地要員、残りは設営隊員)。
対する第27歩兵師団は第165連隊6400を主力に、第105連隊、第193戦車大隊、第102、第152工兵連隊まで加え、4日間かけてようやく攻略。
日本軍損害693、米第27師団死傷218。
また、24日朝、マキン島南西約20マイルで、イ175潜の魚雷3本により護衛空母「リスコムベイ」沈没、戦死644を加えると、マキン戦の米軍損失は日本側を上まわる。
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11月24日
・セント・ジョージ岬海戦(第2回ブカ島支援輸送)。
ニューイングランド島南端セント・ジョージ岬沖、駆逐艦「大波(吉川潔中佐)」、米駆逐艦攻撃により沈没。
24日午後1時30分、第2回目として兵員810名・軍需物資32トンを載せラバウル発。
米軍はこれに気づき阻止すべくアーレイ・バーグ大佐率いる駆逐艦5隻をブカ島方面へ派遣。
午後11時41分、バーク隊は、揚陸を終えラバウルへ後送する兵員600を乗せ帰還途上の日本艦隊をレーダーで探知、11時56分、魚雷15本を発射し、遅れている駆逐艦3隻を発見、追撃態勢に入る。
25日午前0時、香川清澄大佐率いる第31駆逐艦隊は突然の雷撃で、「大波」「巻波」が被弾炎上、「夕霧」もバーク隊の砲火で午前1時30分沈没。ベラ湾夜戦と同様SGレーダーの猛威に沈められる。
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11月25日
・中国遂川発信の米軍機(第14空軍)、台湾・新竹飛行場来襲
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11月25日
・「十一月二十五日 (木)
青木大東亜相官邸で、戦後機構の問題が出る。青木氏はあまり乗気でなく、戦争遂行だけで手一杯だというようなことをいう。僕は「明日講和談判があれば、日本の世界政策が問題になるではないか」といった。
こういう最高知識の会合でも、誰もかれも嘘をいっている。これでは他をコンビンスすることはできぬ。」(清沢『暗黒日記』)
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11月26日
・オーストラリア軍、東部ニューギニア、フィンシハーフェン北方のサテルベルグ奪取。
第20師団防戦するも失敗、その北方ワレオ、ノンガカコに後退。既に兵力1万2500は7千に減少、2/3が負傷し、全員が餓える。
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11月26日
・軍令部、連合艦隊司令長官古賀峯一大将に当面マーシャル来攻なしとの新作戦指導方針伝える。古賀長官、タラワ戦に備え北東方面艦隊・南西方面艦隊から呼寄せた第24航空戦隊・第753航空隊(第23航空戦隊)をそのままマーシャルに配置。

 「昭和十八年十一月二十六日 発 大海一部長 宛 連合艦隊司令長官 ギルバート方面に集中せる敵機動部隊は、少なくとも同方面敵の拠点概成する迄は之に釘付けさるる算大にして、之を捕捉撃滅し得れば、爾後敵の企図は相当長期に亘り大なる掣肘を受くべく、此の間我は航空母艦並びに基地航空兵カを整備し得て、必勝の態勢を確立し得る次第を以て・・・」

 中部太平洋反攻未だしの判断根拠は、南東方面への来襲米機数がマーシャル方面の約1.8倍となっている事によるが、この推理は粗雑。
南東方面は米軍基地航空部隊の行動半径下にあるが、マーシャル方面は違って、仮にタラワを利用しても、マ-シャル南端ミレ島まで270マイル、中心部クェゼリンは500マイルあり、南東方面に来襲機数が多いのは当然である。

11月19月~12月6日、日本側はマーシャル方面に151機を増勢するが、タラワ戦を含め4日迄に87機を失い、5日には米機動部隊がルオット、クェゼリン、マロエラップを襲い、65機を破壊、損害計152機となり、増強分がそのまま打破される。基地設営ができるまでマーシャル反攻は企図しないとは予断できない筈。
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11月26日
・「十一月二十六日 (金)
各新聞とも、今日は米国の対日最後通牒の記念日だとてデカデカに来栖〔三郎・大使〕の話しを書いている。
日華同盟 - 大東亜宣言は、思想的にいえば彼らの主張の勝利であり、外交的にいえば日本の完敗だ。
この点は後の歴史に解剖を必要とする。
青木大東亜相の談話に「大東亜宣言」の草案に対し、ビルマ代表から、第五項に対し「相互的に資源を開発し」と改正したらどうかといっただけだった。これに対し「意味はその通りだ」というとそのままになったそうだ。
『オリエンタル・エコノミスト』の僕の原稿に「セオドアー・ローゼヴェルトが「日本の対米抗議にわずかの示嚇ありと感じ」軍艦を派遣した」云々という個処を、日本の不利なりとて削除をせよとある。(翻訳者の発意だそうだ)これでは宣伝などできっこなし。
小林一三氏の談 - 政治なんてものは実につまらんものだ。正面から下らないことばかりいって、少しも纏まらない。実業家は自己の賢任において、どんなことでもやれる。」(清沢『暗黒日記』)*
11月26日
・ポーランド、国内軍ブル・コモロフスキ将軍、亡命政府最高司令官ソンコフスキ将軍に亡命政府決定が受け容れ難い場合に独自の行動する旨通信、表面的には防衛と見せかけソ連軍と戦う姿勢
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11月26日
・ベルリン空襲。
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11月27日
・アメリカ、ゼネスト防止のため、合衆国軍隊、鉄道接収。
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11月27日
・「十一月二十七日 (土)
今日は防空演習の日だ。一日家におって年表を再検討。防空演習が全くの形式だ。我らもその必要を痛感するが、さてそれを実際見ると馬鹿馬鹿しくなる。誰も「仕方がない」という観念からで、「イザという時にはためにはなりませんよ」といっている。」(清沢『暗黒日記』)
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11月27日
・ユーゴスラビアの共産主義青年同盟の指導者リバル、解放戦争で戦死。
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11月28日
・「十一月二十八日 (日)
革命はすでに目前にある。若い巡査や民衆の金持ちに対する深刻なる反感だ。
(一)嶋中君の話しに、新橋の料理屋街に置いた自動車が二十台以上も、タイヤーをスッカリ切られたそうだ。
(二)家内が上田に行く汽車の中で、制服の巡査が隣りの人と、「人足が別荘の草とりに行くなんて怪しからん」といっていたそうだ。
芦田君の話しに、「日独伊三国同盟」の太鼓を叩いた連中は、今警視庁に検挙されているそうだ。その頃、ドイツ側の奔走も多く、金がバラまかれたかも知れぬ。後世の物語りには、なお問題があろう。」(清沢『暗黒日記』)
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11月28日
・テヘラン会議。ルーズベルト米大統領、チャーチル英首相、スターリンソ連首相、会談。~12月3日。
「テヘラン三国宣言」・イランに関する宣言発表。軍事協定で1944.5北仏上陸作戦を確認。ドイツの戦後処理、ポーランド国境問題を検討。

29日、スターリン・ソ連首相、独降伏3ヶ月後に対日参戦と示唆。米英連合参謀会議の「日本打倒総合計画」は、ビルマ全般作戦は「ターザン」(北ビルマ)作戦終了後とし、中部太平洋第一主義と決定。
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11月29日
・「十一月二十九日(月)
「『読売』の夕刊に『フォーチュン誌』の大東亜戦争開戦当時の記事というものがある。それにはまず野村、来栖両大使がハルを往訪し、最後通牒を発し、それから戦争になったように書いてある。こうした嘘をどうして書かなくてはならないのだろう。嘘を暫くところにその道徳的弱味がある。そのまま発表したらいいではないか。」(清沢『暗黒日記』)"
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11月29日
・ユーゴスラヴィア、第2回人民解放反ファシスト会議。ヤイツェ。142名。執行機関・ユーゴスラヴィア解放全国委員会は事実上の臨時政府。ユーゴの連邦制での再編。国王・亡命政府は帰国すべきでないと警告。
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11月29日
・ソル・レバノン首相、レバノンの仏からの独立に言及。
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11月30日
・赤木健介「歴史入門」、戦争の階級制を示唆しているとして発禁。
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