皇居 東御苑 2015-12-27
*明治38年(1905)
8月21日
・ルーズベルト大統領、ロシア皇帝ニ親電。
皇帝は樺太割譲に反対、決裂止む無しの意見。外相ラムスドルフから皇帝意見を伝えられたウィッテは、樺太は日本により占領中でロシアに奪回の力はない。これを楯にした決裂は国際世論が受入れないと返電。
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8月21日
・ポーランド、ゼネスト開始。ロシアのドゥーマ設置宣言書でポーランド人の権利無視に反発。
翌日、非常事態宣言。
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8月22日
・清国に戸部造幣総廠設置。
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8月22日
・夜、ルーズベルト大統領、金子堅太郎に対し賠償金要求放棄の勧告。
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8月23日
・ポーツマス、日露会談。小村全権、改めて樺太南部割譲・12億賠償金要求。
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8月24日
・軍用船金城丸、大分県姫島沖で英汽船バラロング号と衝突して沈没。帰還兵155人死亡。
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8月25日
・桜井静(47)、大連開発をめぐり軍部と対立、ピストル自殺。
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8月25日
・山路愛山・斯波貞吉・中村太八郎ら、国家社会党結成。
翌年、東京市街鉄道電車賃値上げ反対運動で市民大会を主催。その後、立ち消える。
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8月25日
・戸水事件。東京帝国大学教授戸水寛人(対露強硬論7博士の1人、「バイカル博士」)、対露強硬論を主張して「文官分限令」により休職処分。
9月下旬~、東京・京都帝国大学教授ら、大学の自治を掲げ、抗議運動。
法科大学機関誌「国家学会雑誌」(編集主任美濃部達吉)10月号は全巻で各教授の政府攻撃文(美濃部は「権力ノ濫用ヨリ生ズベキ弊害」掲載)。
河上肇は発表中の「社会主義評論」でこの事件に言及、「学者言論の自由」を主張し教授会を支持。
翌年1月29日戸水は復職。文相久保田護は辞職。
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8月25日
・廟議、ルーズベルト米大統領の勧告により賠償金減額を決定。6億円と俘虜収容費1億5千万。
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8月26日
・ポーツマス、第9回日露会談。
午後3時、秘密会議。ロシア皇帝が賠償金支払いを承諾せず決裂寸前。28日午後に再度会議を開く。
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8月27日
・週刊『直言』第30号発行。
山路愛山・斯波貞吉らの国家社会党批判。
愛山は幸徳、堺等の友人、斯波は一時は平民社の運動に参加した人。
「此の国家社会党に好意なきを得ず」とするが、公表された綱領に対しては遠慮のない批判を加える。
綱領を要約すれば、
(一)日本国体の君民一家、
(二)普通選挙、
(三)国民教育費の国家負担、
(四)労働者の保護、
(五)失業者および貧民の扶助、
(六)学芸の進歩発達普及、
(七)累進税の適用、
(八)産業の保護発達、国家は平和的に国民の活動すべき地域を拡張する、
(九)共通の利益を享受すべき世界各国連盟、
(十)自治制の発達のために社会政策の採用等、十項に及ぶ。"
これに対して『直言』は、
「綱領の第一は創立者苦心の存する所であろうから敢て批判は避ける、その他はおおむね吾人の賛成する所であるが、ひとり第八項の『産業の保護発達』は、産業の直接経営者は資本家であるから、これは国民の名によって資本家を保護することに帰着するのではないか。特に『国民の活動すべき地域を拡張』するというのは、畢竟帝国主義的な植民政策の謂(いい)なのではないか。或は朝鮮の併合、もしくは樺太の割譲、それとも満洲開放の謂なのか。すこぶる曖昧であるばかりでなく、『平和的に』の一語があるために更にその意義を不明にしている」と指摘。
最後に
「国家社会党は其の根本主義に於て社会主義を取らず、現在の資本主義制度の上に立ちて(或は其の下に在りて)社会主義的政治を行わんと欲するものなり。故に其の主張の項目には甚だ美なる者ありと雖も、之を実行せんと欲するは殆んど不可能なり。・…・世界に共通せる大運動の外に立ちて、深き生命なき小策を弄すとも其の遂に無効に帰すべきを信ずるなり。吾人は国家社会党の創立者に対し……其の識見の足らざるを惜み、気の毒の感なきを得ず」と結論した。
幸徳秋水「同志諸君に諮る」:
自分の不在中の堺の精励努力、苦心経営の労を推称感謝して、堺がいう「信任の欠乏」のごときは、中傷離間の所為に過ぎないと断言。
「予は枯川兄の位置に立ち枯川兄の責任を負い、彼の如くに言論をなし彼の如くに活動をなせば、何人でも多少の非難攻撃の的となるは免がれないであろうと思う。毎日算盤も持てば出入帳もつける、出版の事務も扱えば広告文も作るというあの繁忙と、月末毎のやりくり算段に頭を悩ますあの貧乏との中で、これだけの立派な編集をなし得る人が当時枯川兄を除いて、果して何処にあるでしょうか。・・・・『毎日新聞』とかけ持ちの木下兄を併せても、僅かに三人で天手古舞をしている編集になお不整頓を攻撃するものあらは、そは攻撃する者の無理ではないでしょうか。論より証拠、一方に於ては日本全国津々浦々の警察が全力を揮(ふる)って或はおどかし、或はすかして其の購読を妨害すること虚日なく、普通の新聞雑誌ならばとっくに倒れているべき等のものが、たとえ増加はしないまでもまた著しい減少もしないで、とにかく命脈をつないで来たのは、一は同志の精神的結合の強固なのと一は枯川兄、木下兄、石川兄の編集の手腕技能によるものではありますまいか。」
「枯川兄も石川兄も神でも聖人でもありませんから、過誤もありましょう、失策もありましょう、ある人々の気に入らぬことをしもし言いもしましょう。併しこれは全国数千の同志、みなお互にあり勝ちのことではありませんか。・・・殊にわれら同志の間に於ては常に一身同体で、隔意なく腹蔵なく相争い相正し相救うて以て人道のために尽すのが当然です。否、わが同志はかくするであろうと思います。もし公然堂々と争い得ないで、陰に悪声を放ち不平をもらすことがあっても、それは真正の社会主義者ではないのです。」
幸徳は情理をつくして堺の苦衷を弁護したが、平民社が一改革を要する事情に迫られていたことは争えない。
財政はいよいよ欠乏を告げ、8月15日までの収入は新聞書籍の代金、寄附金を併せても787円37銭、支出は436円68銭5度。差引残高350円68銭5厘をかぞえるものの、一方に印刷所の国光社に対する未払いの印刷代350円、没収印刷器械賠償の残り200円、「共産党宣言」事件の罰金240円、合計750円があって、この差引残高全部を投じてもなお約300円の不足を生ずる。
「社会主義と愛国心」(「世界之新聞」欄);
パリ発行の『社会党評論』が堺に宛てた一書を寄せ、四つの問題に対する日本社会主義者の回答を求めて来たことを報じる。
その四つの問題とは、
一、後に掲げる「共産党宣言」の一節に対し、諸君は如何に之を解釈せんと欲するか、愛国心(パトリオチズム)と世界主義(インターナショナリズム)とは調和し得べきものか。
二 世界主義は、社会主義者をして帝国主義、植民主義、及びその原因と経済的影響とに対して、如何なる実際の態度と如何なる伝道の形式とを取らしむるか。
三 海関税、労働者保護法等の如き世界的関係について、社会主義者は如何なる行動を取るべきか。
四 戦時における社会主義者の義務如何。
△「共産党は国家及び国粋の廃止を要求すといふを以て非難せらる、然れども労働者は国家を有せざるなり、吾人は彼等が有せざる物を取去る能はざるなり。夫れ平民は其第一着の事業として、政権を掴取せざる可らず、自ら一個国民を組織せざる可らず、此点よりすれば平民は即ち走れ国民的なり、但紳士が所謂国民なる語と少しく意義を異にするのみ。」(共産党宣言の一節)
記者は「この問題に関する『社会党評論』の諸論文を成るべく多く本紙上に紹介し、而して後改めて吾人の所見を開陳すべし」と附記しているが、『直言』が第32号(9月10日)で発行を停止され、平民社解散となったために、日本社会主義者の回答は遂に与えられなかった。
「国際的連合と愛国心とは果して両立すべきか否か、また社会主義者は現在の防衛戦争に参加すべきか否か」
ドイツ社会党の首領べーベルの論旨は次のごとし。(『直言』第30号所載)
「社会党は現在なお、国民の中にも国会の中にも少数党であって、国家の外交政策に対しては常に傍観者の位置にある。故にその明確な義務は、更に高尚な意義において外交政略にその影響を及ぼすにある。もし社会党の意志に反して戦争の勃発した時は、社会党は厳重なる抗拒によってこれが原因を考究しなければならぬ。
もし自国政府が侵略者ならば、戦争をなすべき一切の方法を拒絶し、その全力を以て戦争と戦わなければならぬ。又もし自国政府が他の侵入をうけ、その意志に反して戦うのやむを得ざるに至りたるものならは、社会党といえども政府との協力を拒むことはできぬ。なぜなら、戦争のために最大の苦痛を感ずるものは国民だからである。
一八七〇年の普仏戦争に際し、リープクネヒトと予は公債募集の討議に投票しなかった。この戦争は当時吾人の攻撃していたビスマルクの政略の、必然的結果だったからである。セダンの役後、アルザス・ローレーヌの割譲要求のため吾人の希望した平和条約が結ばれず、更に戦争が継続せられたので、吾人はこれに反対して国会で戦争の継続に要する新公債を拒絶するに至った。
もし戦争が、一国民よりその領土の一部分を割譲せしめ、あるいは全国民をして被征服者たらしむるがごときに至らば、社会主義者は戦争に対する反感を抛棄して永久の奴隷状態より脱するために、その国家の土地を防衛する上に全力を尽さなければならぬ。一例をあぐれは、ドイツが新領土を得るためにフランスと戦争を開始したと仮定せよ、吾人はかかる戦争のための公債を拒絶し、また極力かかる戦争と戦うであろう。しかし吾人はその時、フランスの同志が、征服者たるドイツ軍を国境外に駆逐するために戦うのを、正当と認めざるを得ない。社会党運動の正常なる発達は、その国の独立に負うところ大である。そして一国民が他国から圧迫を加えられている間は、階級の反目、階級の闘争は遅々として進まないからである。」
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8月27日
・東京で発行されていた「二十一世紀之支那」発禁。
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