ゴヤは、彼の生涯にとっての重要な時期、とゴヤ以外の人々に思われる時に、きまって自画像をのこして行ってくれている。そうしてゴヤの真の伝記とは、約一〇枚のこっているこれらの自画像にほかならぬ。
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一七七三年、妻のホセーファと結婚をしようとしていた頃の、二七歳の彼を。
その顔には、まだまだフエンデトードス村の餓鬼大将の面影が残っていた。
ゴヤ 自画像 27歳 1773
そうして次にはタピスリーのカルトンの仕事をしていた頃の、たとえば『仔牛による闘牛』中の、若さと肉体の力にあふれ、マホの美衣をまとって牛の角をつかんで相撲をとっていた頃のもの。それは青春そのものであった。
また同じ時期のドン・ファンめいた未完成の自画像。
ついで一七七五年から八〇年頃に描かれた『自画像』。マホ姿で、金銀の縁どりのついたポレロを着てカンバスに向っているゴヤ自身。得意満面である。仕事がたて込んで徹夜をしなければならない。
ゴヤ 自画像 1775~80
その次は、一七八三年のサン・フランシスコ・エル・グランデ寺院用の絵に、アラゴン王アルフォンソ五世の堂々たる家臣として描き込んだ彼自身。
その次には、同じく一七八三年、総理大臣フロリダプランカ伯爵の前に這いつくばっているゴヤ自身。
それは何とでもして宮廷の扉をこじあけようとしている、世間師としてのゴヤの姿であった。
フロリダプランカ伯爵 1783年
れから『気まぐれ』冒頭のトップハットをかぶった横顔が来る。
その次に来るのが、大患の最中か、その恢復期のものと思われる、例のベートーヴェンに酷似した二枚の自画像である。その眼は、見ていて怖ろしくなるほどの凝視力をもっていて私などには二、三分くらいしか見ていられない。当方からどうしても眼をそらしてしまう。それほどの力をもっている。
この眼については、私はゴヤが病中、あるいは病後にもまだ眼球震顫という症状がつづいていて、鏡のなかの自分の顔を見るについても、余程の集中力をもって凝視しないとちらついてよく見えなかったせいではなかったか、と考えている。
ゴヤ『自画像』1800
そうして一八〇〇年、ゴヤ、五四歳、『カルロス四世家族図』制作中の自画像が立ちあらわれる。
半身になって構えた胸から上のそれで、そろそろ髪には白いものがまじって来た。彼は、おかしなことに眼鏡をかけている。・・・この当時マドリードで伊達眼鏡をかけることが矢鱈と流行したのである。・・・
ゴヤは『気まぐれ』中の七五番のフクロウのお化けにまで眼鏡をかけさせている。
ところでゴヤは緑色のルダンゴート(フロックコート類似のもの)を着ていて、地はどうやらビロードのようである。その緑がところどころで赤い反映をもたらしているからである。胸飾りは繃帯のように咽喉を巻いている。この辺のところの色彩の扱いは、最初期のピカソを思わせる。
そうして、白いもののまじった髪のなかに埋まっている耳は、これはもう描かれていないも同然である。
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そうして顔とその表情 - それはもはや老人のものである。鼻眼鏡の上から、瞳を右に寄せて、横目でわれわれは彼に眺められているわけであるが、堂々たるゴヤ家の家長として世間に対しては家を守り、その上で挑戦をするかのようなかつての眼つきでは、それは全くない。
この自画像が完成しての後は、彼の眼によって眺められるのはわれわれ自身となる。けれども制作中は、鏡によって彼が彼自身を眺めて描いているわけである。・・・彼が彼自身を眺めるとは、すなわち彼が彼の内部を眺めているということである。
「画家が制作にあたって投入したつかの間に過ぎゆく一瞬のファンタジーと全体的調和を永く記憶にとどめることは容易なことではない」と彼自身が言うように、一瞬のファンタジーのなかに、彼は自身の魂の状態をとどめているのである。その眼は、いささか戸惑い、何かの疑念をもって、口はいまにも何かを問いかけようとしている。
”汝自身を知れ”とはいうものの、それこそが人間にとっての至難事なのである。いま自身のなかで何が起っているのか、何が起ろうとしているのか・・・。
ゴヤはそれを彼自身に問いかけようとしている。・・・
私にはこの自画像が物語っているものは、そうだ、おれは画家だ、そうして画家にならなければならぬ、という呟きであると思われてならぬ。
音のない世界での、ある静かな・・・一の変容に彼自身が立ち会っている。
ゴヤはゴヤであらねばならぬ。・・・
ゴヤだけであらねばならぬ。・・・
個人であらぬばならぬ。・・・
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