1903(明治36)年
11月15日
週刊「平民新聞」創刊②(つづき)
1部3銭5厘。創刊号は5千部売切れ3千部増刷(計8千部)。
通常の部数は、3,700~4,500部(この頃の新聞業界の部数から見てもそれほど少ないわけではない)。内3,000が売捌店に出され、1,500が直接購読分。
「共産党宣言」の翻訳を載せた53号は初号と同じ8千部。
しかし罰金、発禁、発行人・印刷人・執筆者の投獄という続き、明治38年(1905)1月の第64号を赤刷りにして廃刊。
明治36年11月以降1年間で合計約20万部。「平民文庫」は8種1万5,270冊を販売。
「社会主義入門」(10銭)2,301冊、「百年後の新社会』(5銭)2,598冊、小説「火の柱」(35銭)3,469冊、『消費組合の話」(12銭)1,410冊、「瑞西(スイス)」(15銭)1,932冊、「ラサール」(15銭)1,613冊、「土地国有論」(10銭)1,116冊、「経済進化論』(15銭)831冊。また「平民絵葉書」(10銭)650組。
リーフレット「社会主義の檄」(3万2千枚)、「普通選挙の檄」(7千)、「普通選挙請願用紙」(3千)等を配布。
1年間に120回の集会。内訳は、演説会が東京市内44回、地方17回。茶話会その他が市内16回、地方4回。社会主義研究会30回、婦人講演会13回。
地方遊説は平民社の堺、幸徳、石川、西川、社会主義協会の木下、野上啓之助・松崎源吉、山口孤剣等が静岡、茨城、群馬、埼玉、千葉、栃木、神奈川、東京府下、東海道沿線各地で40余回。
山口孤剣、小田頼造が東京・下関間を徒歩跋渉し、小野丑郎、西村伊作、権田保之助、野村某、阿南某、西島某等は千葉、長野、新潟ならびに近畿、関東、東海道、山陽道等にわたって社会主義書類の伝道行商旅行を行う。
「平民新聞」を中心とする読書会、研究会、社会主義宜伝を目的とする団体が全国各地にできる。
永井柳太郎、山田金市郎、松岡荒村、白柳秀湖、大亦墨水、菊池茂、小野有香、安成貞雄など早大学生を主とした早稲田社会学会。森近運平らの岡山いろはクラブ。荒畑寒村らの横浜平民結社(後の曙会)等。
他には、下関、神戸、大阪、京都、高知、丸亀、福岡、宮崎、佐賀、小倉、長崎、鹿児島、柳川、千葉、上州名和村、栃木県佐野、宇都宮、信州神川村、諏訪、長野、上田、陸前の遠田、秋田の象潟、茨城県の柿岡、川越、・横須賀、名古屋、静岡県吉原、紀州の新宮、串本、田辺、飛騨の高山、丹後の峰山、福井、高岡、出雲の安来、札幌、函館、夕張炭山、足尾銅山等。"
堺は「予の半生」で、「予の家の生活は固より苦しくなったが、予の心の愉快と満足とは喩(たと)へるに物が無い程であった」と当時をふり返っている。
白柳秀湖の回想(1936年刊行『歴史と人間』)
当時、秀湖は早稲田の学生だったが、平民社に出入して堺を知り、大きな影響を受け、のちに売文社の社員になっている。戦争気分が高まるなかで、高らかに「非戦」を宣言した平民社は、社会に不満を抱く青年やインテリ層を惹きつけた。その惹きつける力は堺利彦によるものが多かった、と秀湖は分析している。
「堺さんの平民社こそは、武者小路氏の『新しい村』が九州の一角に試みられるより十幾年も以前に、帝都の中心、日比谷公園の近くに建設された一種の『新しい村』であったのだ。(中略)
後年秋田雨雀君が或る席上で、著者(*秀湖)に『あの頃の社会主義運動は可なり空想的な、ユートピア的なものであったね』といひかけたことがある。その時著者は答へた。
『馬鹿をいつては困る。君は大正六年以後、社会運動の方に乗出して来た人だから平民社のことをさう観て居るのだ。平民社の社会主義といふものは全くユートピア時代の殻をぬいで、その基礎をしつかりとした科学的理論の上に置いて居た。「共産党宣言」はもちろんのこと、マルクス、エンゲルス、ベーベル、シヤイデマン、カウツキー、クロボトキンなどの基礎的文献は、すべて研究されてゐたし、アプトン・シンクレアーの「ジャングル」でも、ヴイルゼーの「小兵営」でも、今のプロ文学の種本となってゐるほどのものはすべて手がついてゐた。』秋田君には答がなかった。
しかし、平民社の本格的の仕事は仕事として、平民社に多量の理想郷的空気が漂つてゐたといふことは否めぬ事実だ。これは全く別問題である。」
北輝次郎(21)、佐渡に『平民新聞』創刊号数十部取り寄せて知人に配布。10月には「佐渡新聞』に連載した論文で「吾人は社会主義者なり」と述べている。
11月16日
(漱石)
「十一月十六日(月)、東京帝国大学文科大学で、午前十時から十二時まで「英文学概説」を講義する。午後一時から三時まで Macbeth を講義する。
十一月十七日(火)、東京帝国大学文科大学で、午前十時から十二時まで Macbeth を講義する。午後一時から三時まで「英文学概説」を講義する。
十一月十九日(木)、東京帝国大学文科大学で、午前十時から十二時まで Macbeth を講義する。」(荒正人、前掲書)
11月17日
ブラジル、ボリビアとペトロポリス条約を結びアクレ地方を併合。国境画定
11月18日
米、パナマ新政府とヘイ・ビューノー・バリラ(ヘイ・ブナウ・バリジャ)条約調印。パナマから運河地帯の永久租借権を獲得。
11月19日
専門学校令によって関西法律学校設立。1905(明治38)年1月1日関西大学と改称。
11月21日
慶應義塾大学・早稲田大学、初めての野球試合。三田綱町グランド。第1回早慶戦。11対9で先輩格の慶應義塾大学勝利。
11月21日
米、ホワイト・スター社の世界最大の蒸気船バルチック号進水。
つづく
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