京都新聞 社説
今を生きる考える 息苦しい時代再来さすな
「歴史は繰り返す」というが、マルクスはこう付け加えた。「1度目は悲劇として。2度目は茶番として」。特定秘密保護法案の国会審議をみると、この言葉がそのまま当てはまるように思える。
歴史を振り返ってみたい。
戦前の日本には、機密保護を目的とした二つの法律があった。軍機保護法と国防保安法で、違反すると最高で死刑が科せられた。
前者は日中戦争が始まった直後の1937年に制定された。2年前の防衛研究所紀要に掲載された論文に、当時の帝国議会での審議ぶりが紹介されている。
焦点は、何を軍事機密とみなすかだった。元陸軍士官で、京都帝大を経て政界入りした升田憲元衆院議員は「軍機の範囲を勝手に陸海軍大臣の命令で左右し得る」と危険性を鋭く指摘している。
しかし、政府は法案修正に応じず、代わりに機密と知りつつ「不法手段」によって探知収集した者にだけ法を適用するという付帯決議を採択して、可決された。
日米関係が険悪化していた41年2月には国防保安法が成立した。外交や財政、経済にかかわるスパイ行為の防止が狙いだった。
この法も機密の範囲が曖昧だった。客観的基準はなく、機密指定は各大臣の主観的判断に委ねられた。しかも、検察当局は、国家機密は「自然秘」なので指定がなくても取り締まれると言い切った。
国民を萎縮させる
国会では、人権蹂躙(じゅうりん)への懸念の声が相次いだが、近衛文麿首相は「運用には極めて慎重な考慮」をすると答弁し、可決された。
76年前というのに、まるで今の国会審議を見るようだ。その後の歴史は付帯決議や首相の口約束があてにならないことを実証する。
37年からの5年間で2500人以上が検挙された。多くは軍港や飛行場など禁止区域での写真撮影や軍事に関するうわさ話などたわいもない理由だが、国民を萎縮させる効果は絶大で、憲兵隊が「不必要に民業を圧迫し、行き過ぎ」と通達を出すほどだった。
特定秘密保護法案は、こうした息苦しい時代を再現しかねない。
外交や安全保障に関し、政府がすぐに公開できない情報があるのは事実だろう。一方で、国民が重要な情報にアクセスできなければ民主主義は機能しない。このバランスをどうとるのか。
欧米各国の秘密保護制度には、国情を反映してさまざまな特徴がある。例えば米国では、機密は指定から25年で自動解除されるのが原則だ。ただし、暗号や兵器、外交、生命保護などに関する機密は半永久的に延長できる。大統領の裁量が大きいのが特徴だ。
フランスの制度は力点が違う。公文書は即時公開を原則とし、国防や外交に関する情報は例外として50年後に公開するとしている。
ツワネ原則から学べ
日本の特定秘密保護法案は、首相の判断で秘密指定を60年まで延長できるなど米国に近い性格といえる。しかも、肝心の秘密の範囲は、与野党協議で文言が修正された後も曖昧なままだ。
参考にしたいのは「国家安全保障と情報への権利に関する国際原則」(ツワネ原則)だ。南アフリカの首都ツワネに今年6月、世界70カ国500人の専門家が集まってまとめた。誰もが公的機関の情報にアクセスする権利があり、政府は防衛や兵器など限られた範囲でのみ情報を制限できるとする。
裁判手続きの公開、独立監視機関の設置、内部告発者の保護など注目すべき内容が並ぶ。人権や人道に反する情報、公務員の不祥事など「秘密にすべきでない情報」を列挙している点も見逃せない。
ツワネ原則は国会審議でも紹介されたが、真剣に考慮されなかった。自民・公明両党は26日にも衆院で採決する方針だが、問題だらけの法案を拙速に通せば将来に大きな禍根を残す。
野党のみんなの党、日本維新の会は与党との形ばかりの修正協議をまとめ、賛成に転じる構えだ。
笑えない「茶番」の先には、再び悲劇が待つ気がしてならない。法案を廃案にし、秘密保護のあり方を一から練り直すべきだ。一人一人の国会議員の良心に訴える。
[京都新聞 2013年11月25日掲載]
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