辻井喬氏は2000年の朔太郎忌特別講演「朔太郎の郷愁について」で、朔太郎の写真には「道」「川」「線路」が多いと語っている。 >彼は常に、死ぬまで「自分が今いる場所」「ここという場所」、それは「自分にとって納得のいく了解のできる場所」であるという意識を持たなかった詩人だと思います
— 朔太郎通信 (@Sakutaro1886) 2013, 11月 28
「尖閣問題の平和的解決を」呼びかけるアピールの発起人の一人である、作家の辻井喬氏(堤清二氏)が25日亡くなった。企業人としての顔が有名であったが、日中関係にも理解を示した。合掌。
— 飯塚頼夫 (@fanzhonglaifu) 2013, 11月 28
辻井喬(堤清二)さんが、亡くなった。私は雑誌のインタビューや新書の編集などで何回かお会いしたし、食事も数回ご一緒させていただいた。ほんとうに、リベラルな考え方の方だった。財界人と呼ばれることを嫌い、「私は経済人ですが、財界人ではありません」とおっしゃっていた…。
— 鈴木 耕 (@kou_1970) 2013, 11月 28
わたしこの方にたくさんお世話になってるわ!無印もファミマも西武もなにかと使いがち(●´◡`●) 無印、ファミマの生みの親。堤清二さんの激動の人生 - NAVER まとめ http://t.co/v1JycVxBYs
— ニクヅキ (@singetunoyoruni) 2013, 11月 28
辻井喬(堤清二)さんが亡くなったのですね。3年前の憲法記念日に石川県でご一緒させて頂きました。憲法の改悪は許さない!戦争反対!という、正に文化人でした。あの時は一緒に呑ませて戴きました。お元気でしたのに・・・。 pic.twitter.com/DwD2fOziAS
— 松元ヒロ (@matsumotohiro) 2013, 11月 28
【2階文学】詩人・辻井喬氏(堤清二氏)が25日、逝去されたとのニュースがありました。詩集『群青、わが黙示』で高見順賞、『鷲がいて』で読売文学賞を受賞されるなど、多くの詩を遺されました。最終詩集は『死について』。um pic.twitter.com/Sp4Y4D3fR7
— 紀伊國屋書店新宿本店 (@KinoShinjuku) 2013, 11月 28
堤清二、合掌。PARCO、ビックリハウス、WAVE、シネヴィヴァン、無印良品。この人が作ったものには大変お世話になりました。ある意味自分の文化面における父とすら言えるかも。そしてそんな彼の<子ども>がこの国には沢山いる。http://t.co/ydqs0rRJRf”
— 長谷川町蔵 (@machizo3000) 2013, 11月 28
47NEWS★元セゾングループ代表の堤清二さんが死去http://t.co/W3wDXfdO0l ご冥福をお祈りいたします(作家名:辻井喬さん) 「世界平和アピール七人委員会」の一人として、特定秘密保護法案に反対のアピールを出していたリベラルで魅力的な作家であり、経営者だった。
— 裕次郎 (@Yuh_artisan) 2013, 11月 28
近年叙勲辞退したのは、政治家では市川房枝さん、細川護煕さん、土井たか子さん、宮沢喜一さん。財界では石田礼助さん、中山素平さん。大江健三郎さん、杉山春子さんは文化勲章を、城山三郎さんは紫綬褒章を辞退。堤清二さんも褒賞を断ったそうだけど、辻井喬名義だったのかろうか
— 館野公一 (@mandolinbum) 2013, 11月 3
「思索せよ/旅に出よ/ただ一人」ーー辻井喬さんの回顧録『抒情と闘争』の最後に記された詩の一部を「天声人語」が引用している。安東仁兵衛『戦後 日本共産党私記』の帯には「堤清二が、不破哲三が、渡辺恒雄がいた」とある。この文庫版解説が辻井喬さんだった。青年の情熱を捉えた時代があった。
— 有田芳生 (@aritayoshifu) 2013, 11月 29
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