北の丸公園 2014-12-01
*寛治3年(1089)
この年
・ハンガリー王ラースロー1世、クロアティアに軍を派遣。クロアチア王に戴冠。
アドリア海に関心を持つビザンティン帝国を刺激、ビザンティン帝国は遊牧民クマン人をハンガリー東部に進入さる。この為、ハンガリー軍はクロアティアから撤退。
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・マイセン辺境伯領、ザクセンの有力貴族ヴェッティン家に帰属。
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・シュヴァーベン大公ホーエンシュタウフェン家フリードリヒ(39)とハインリヒ4世娘アグネス(15)が結婚。
1079年、婚約。1079年シュヴァーベン大公の任命はアグネスの持参金。
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・イングランド、ウィリアム2世、ノルマンディ公領の反乱を煽り、反乱者支援の遠征軍を派遣。
ノルマンディ公ロベールはフランス王フィリップ1世に支援を求め、フィリップ1世は大軍を率いノルマンディ公領に来援するが、ウィリアム2世の買収の約束に乗りフランスに帰還。
ノルマンディ公ロベールはウィリアム2世に和を請う。
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・フランス、シャルトルのイヴォー(49)、シャルトル司教就任(1040?~1117、任1089~1115)。
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・トスカナ女伯マティルダ(43)、ヴェルフェン家ヴェルフ5世(22)と結婚。教皇ウルバヌス2世の取り持ち。ハインリヒ4世がイタリア遠征した場合の退路を絶つ。1095年離婚。
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・ロゲリウス1世(58)、甥アプーリア公ロゲリウス・ボルサ(ロベール・ギスカール息子)より、カタンザーロ近郊土地を取得。異母兄ボヘムンドゥスの反乱の際の軍事援助の代償。
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・ロゲリウス1世、シチリア島南海岸(中央部サルソ川東)ブテーラ(ブテラ)征服。
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・ロゲリウス1世、3番目の妻ランゴバルド人アデレード(アデラシア)と結婚。
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・ムラービト朝ユースフ、再びスペイン遠征、アレード攻撃。攻略失敗するが大損害を与える。カスティーリャ王アルフォンソ6世、アレードを放棄。スペイン南東部はキリスト教徒から解放。
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・エル・シッド、アルフォンソ6世により2度目の追放。アルフォンソ6世がムラービト朝アレード包囲を解く際、エル・シッドが助け、アルフォンソ6世激怒。
追放後、エル・シッド、バレンシアに進撃。1094年6月15日バレンシア攻略。
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・アラゴン王サンチョ・ラミーレス、モリソン占領。
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1月5日
・堀河天皇、元服。副臥:篤子内親王。
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1月24日
・地震あり。
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2月5日
・興福寺東金堂が焼失。
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4月
・エル・シド、バルセロナ伯を攻めバレンシア包囲を解かせる。カーディル王はエル・シドに貢納。続いて、アルブエンテとアルバラシンのモーロ人弱小王を貢納させる。
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4月1日
・若狭守藤原正家、郎従惟近から傷害をうける(「百練抄」)。
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4月23日
・法興院および積善院、焼失。
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5月
・カンタベリ大司教ランフランク(84)、没(1005?~1089、位1070~1089)。
ウイリアム2世、自分が大司教だと主張、大司教座を空位のまま放置(教会に対する恐怖政治)。
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6月28日
・教皇ウルバヌス2世、ローマ攻撃。7月3日ローマ入城。
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8月22日
・東大寺、若狭封戸からの米150石の代物の仮納返抄を出す。
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10月4日
・東大寺、若狭封戸からの米70石の代物の仮納返抄を出す。
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10月10日
・朝廷、前陸奥守源義家のことについて協議。
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10月18日
・陣定で若狭の宋国の商人が害されたことについて審議。
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11月11日
・五節に若狭守藤原正家、参入(「中右記」)。
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12月22日
・上皇、近江彦根の山西寺に行く。
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寛治4年(1090)
この年
・この年醍醐寺円光院領越前大野郡牛原荘の東限は大野河となる(「醍醐雑事記」)。
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・ウィリアム2世、ノルマンディーの反乱鎮圧。翌年スコットランドに侵入、これを臣従させる。
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・聖ベルナルドゥス、誕生(ベルナール、1090~1153)。
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・ホーエンシュタウフェン家シュヴァーベン大公フリードリヒとハインリヒ4世娘アグネスの間、長男フリードリヒ誕生。
フリードリヒ:1090~1147、シュヴァーベン大公在位1105~1147。1120年?ヴェルフェン家バイエルン大公ハインリヒ黒大公娘ユーディットと結婚(長男がフリードリヒ・バルバロッサ(1122~1190))。アグネス・フォン・ザールブリュッケンと再婚。
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・シュヴァーベン対立大公ベルトルト・フォン・ラインフェルデン、没。
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・ハインリヒ4世、シュパイエルのユダヤ人に対する特許状。
1084年シュパイエル司教リュディガの特許状に対する決定的な追加事項(ユダヤ人がキリスト教徒に改宗したらその財産は全て没収)。
ユダヤ人が上級領主の私的所有物であるとの観念が12世紀末迄に確立。
もしユダヤ人が改宗 したらユダヤ人はその所有者から高額の資産を奪うので改宗以前の財産はその 所有者に返すべき。ユダヤ人は、上級領主の保護があったからこそ財産ができた。
トマス・アクィナスは「神学大全」でこの原則に神学的根拠を与える。ユダヤ人は教会の奴隷であるが故、彼らの財産を処理できる。ユダヤ人はキリスト教君主の隷属民である。
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・アプーリア公国ロゲリウス・ボルサ異母兄ボヘムンドゥス(ロベール・ギスカールの子)の2度目の反乱。
バーリとカラーブリア北部占領、ヴァル・シンニ地域の伯達を支配下に入れる。2回の反乱によりロゲリウス・ボルサはメルフィ以南の広大な土地を喪失。
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・アプーリア公国ロゲリウス・ボルサ母シケルガイタ、没。
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・エル・シド、レリダとデニアを領する王とテバールで戦い、バルセロナ伯とダローカ条約締結。レリダとトルトサをカタルーニャ人に任せ、自分はバレンシアをとる。
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・ムラービト朝ユースフ、スペインに再来、トレード包囲。トレードはカスティーリャ王アルフォンソ6世とアラゴン王兼ナバーラ王サンチョ・ラミーレスが守備。ユースフ、ターイファ諸王がアルフォンソ6世と交渉しているのを知り激怒、撤退。
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1月22日
・白河上皇、熊野参詣に出発。園城寺権大僧都増誉(ごんのだいそうずぞうよ)を初めて三山(本宮・新宮・熊野)検校に任命。
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4月
・ハインリヒ4世(40)、第2回イタリア遠征(1090~1097)。
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6月
・教皇ウルバヌス2世、ローマより南イタリアに避難。対立教皇クレメンス3世、再度ローマに復帰。
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7月13日
・賀茂御祖社に不輸租田745町が奉じられる。その中に越前丹生郡志津荘田地40町あり。
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9月
・ムラービト朝ユースフ、グラナーダ攻略、グラナーダ王国を併合。
グラナダ王アブド・アッラーフを退位させて投獄。コーランにない税金廃止。ムラービト朝ユースフ、モロッコに帰国。ターイファ諸国併合は部下の将軍達に委ねる。
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・セビーリャ王ムータミド、カスティーリャ王アルフォンソ6世に同盟を求め、アルフォンソ6世側室としてサイーダ(ムータミド息子の寡婦)を贈る。
また、サイーダ婚資としてトレードに通じる主要道を守る城をつける(南のアラルコス、カラクエル、コンスエグラ。東のクエンカ、ウエーテ、モーラ、オレーハ、ウクレス。これらの城はトレード外側の環状防御線としてムラービト朝より18年間トレードを守る)。サイーダはアルフォンソ6世の1人息子サンチョを生む。
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9月4日
・イスマール派布教者ハサン・サッバーフ、アラムート城(「鷲の巣」と呼ばれる、カスピ海近く、エルブルズ山脈中)に無血入城、アサッシン暗殺教団を結成。
アル・ハサン:
バーティン派(カルマト派)布教師、イスラム教暗殺者教団(シーア派イスマーイール派の分派)設立者。1048年頃、後のテヘラン近くのレイに誕生。誕生の頃はシーア派が支配的。青年時代に正統スンナ派セルジューク朝が優勢となり、シーア派を迫害。ハサンは、シーア派最後の砦・エジプトに移住。エジプトのファーティマ朝カリフはアッバース朝の傀儡。彼は国士を募ってシーア派カリフ帝国改革を志す。1092年セルジュク・トルコ宰相ニザーム・アル・ムルク暗殺を皮切りに暗殺活動開始。11世紀末年(1099年)シリアに地歩を築く。団員たちの自殺的行為はハッシーシ常習者を思わせ、これがアサシン(暗殺者)の語源(仮説)。
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11月
・カープア候ヨルダヌス(ジョルダーノ)1世、没(位1078~1090)。息子リカルドゥス(リシャール)2世、即位(位1090~1106)。カープア候国も君主の未成年期を迎え封建諸侯領に分解。幼王母子兄弟、カープアから追放。
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11月2日
・東大寺、若狭国封戸からの米50石の代物の仮納返抄を出す。
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12月10日
・摂政藤原師実、源頼治を喚問。
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