米軍基地の辺野古移設が注目されている。これについて私見を述べたい。
まず軍事的には、海兵隊基地の所在地は沖縄でなくてもいい。このことは、3月29日のNHK「日曜討論」で元防衛大臣の森本敏も認めている。そもそも、有事に沖縄の海兵隊を運ぶ船
は佐世保からやって来るのだ。
また沖縄の海兵隊主力戦闘部隊はアジア全域で活動しており、1年の約半分は沖縄にいない。つまり沖縄のみならず、日本に基地がある必然性もない。ならば、なぜ辺野古移設なのか。
そもそも米軍は、なぜ日本にいるのか。
寺島実郎は、沖縄県知事の翁長雄志との対談で、こう指摘している(寺島・翁長「沖縄はアジアと日本の架け橋となる」世界5月号)。なぜ北海道には米軍基地がないのか。冷戦期の仮想敵国はソ連だったはずだ。寺島はここから「日米安保の目的はほんとうに日本の防衛なのだろうか」と問うている。
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誤解されていることも多いが、「日米安保条約」は「防衛条約」ではない。それは、日本が米軍に基地を提供するための条約である。ここで、安保条約の歴史を振り返ってみよう。
日米間で防衛条約が結べなかったのは、日本の憲法が戦力保持を禁じたことが一因である。米国が攻撃された際に日本が軍事力を発動できない以上、相互防衛条約の締結は不可能だ。だからといって、米国が一方的に日本を防衛する義務を負うなどという、虫のよい条約はありえない。
そこで結ばれたのは、1952年に米軍の日本占領が終結した後も、米軍の駐留継続を保障した「安保条約」だった。当時は朝鮮戦争の最中で、米軍にとって後方基地としての日本は不可欠だった。米国が日本を守るという条約ではないが、米軍が駐留していれば繕果的に日本への侵攻抑止になるだろ、という性格のものだった。
ここで留意すべきなのは、米軍にとって日本は最前線ではなく、アジア全域に展開する後方基地だったことである。在日米軍の中心は海軍と空軍であり、最重要なのは空母の母港となっている横須賀だ。冷戦終結後は、その活動範囲は中東まで広がった。安保条約は、米軍の世界展開に後方基地を提供する条約であるのが実態だ。
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そもそも米軍は、日本との「防衛条約」を望んでいなかった。米統合参謀本部は51年に、在日米軍を「極東の安全」のために活用できるという条項を「安保条約」に入れるよう要求した。そのうえで、「防衛条約」には反対したのである(マイケル・シャラー『「日米関係」とは何だったのか』草思社)。つまり、日本防衛の義務がある「防衛条約」よりも、基地提供条約である「安保条約」の方が、後方基地としての活用には好都合だったのだ。
問題を複雑にしたのは、日本政府の姿勢である。この条約に署名した吉田茂首相は、これが日本を防衛する条約ではなく、米軍に基地の自由使用を認めた条約であることを理解していた。そして同行した池田勇人に「書の経歴に傷が付くといけないので、私だけが署名する」と述べていた。しかしその後の歴代政権は、これを日本防衛のための条約だと説明した。このため、国内むけの「建前」と、米軍の活動の実態が、乖離することになった。
この「建前」の維持は、冷戦後はますます困難になっている。在日米軍の活動が、「極東」をこえてグローバル化したからだ。こうしたなか、辺野古移設が日本防衛に必要だと強弁しても、それが「建前」にすぎないことは、しだいに明白になってきている。
辺野古移設は「沖縄問題」ではない。それは日米関係の実態を、国内向けの「建前」で覆い隠してきたツケが集約的に露呈した問題だ。敗戦から70年を経た日米関係を、建設的な方向に転換することなくして、この問題の解決はありえない。 (歴史社会学者)
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