『忘れられた天才 明治の洋画家・五姓田義松』(NHK『日曜美術館』)
の自分用のメモ
現在、神奈川県立歴史博物館(馬車道)で作品が展示されている。↓
横浜 神奈川県立歴史博物館(馬車道、旧横浜正金銀行本店、明治37年築)で開催されている 『没後100年 五姓田義松 -最後の天才-』展に行く 2015-10-09
NHK『日曜美術館』の概要は下記
日本の洋画のパイオニア、高橋由一よりも早く油絵の技を極め、日本人で初めてパリのサロンに入選。明治皇室から仕事を依頼されるほどのすご腕を持った画家がいた。五姓田義松(ごせだ・よしまつ 1855-1915)。とにかく絵がうまい!明治の初め、義松の名は若き天才画家として知れ渡っていた。しかし、なぜかその名声はやがて忘れさられてしまう。一体何があったのか?!
迫真的な描写が光る「自画像」。義松は、10代の半ばで、すでに西洋絵画の写実表現を身につけていた。義松は10歳のとき、英国人画家・ワーグマンに入門。洋画の技を学び始める。そこへ1年遅れてやってきたのが30歳年上の高橋由一だった。義松は恐るべきスピードで上達。日本を代表する画家へと成長していく。人知れず鉛筆で描きまくったヘン顔の自画像から、若き日の探求が明らかにされていく。
現代のリアリズム絵画のトップランナー、諏訪敦さんは、死のふちにある母を描いた「老母図」に衝撃を受ける。生々しくリアルに描かれた母の姿。画家・義松が絵に込めた思いを探る。
さらに、25歳でパリへ渡ると、日本人初のサロン入選を果たす。その栄光は輝かしいはずだった。それがなぜ、後に忘れ去られていったのか。知られざる天才の足跡を追いながら、その魅力をひもといていく。
略年譜(鑑賞の手引きより)
▼10歳でチャールズ・ワーグマンに入門
13歳の自画像(洋画の技術を自分のものにしている)
▼ほぼ同時期の高橋由一の作品
高橋の方はまだ浮世絵的(洋画的ではない)
▼レンブラント「自画像」を軸にして両者を比較すればわかる
▼同時期に書かれた風景画
浮世絵からは完全に脱却している
▼習作の数々
自分のヘンガオ(変顔)も題材にした
▼母親の肖像画
▼死の前日の母親
死の床にあっても、母は彼をじっと見つめている。
彼も母を見つめている。
▼明治10年の第一回内国勧業博覧会で高橋由一を押えて最高位を獲得
まだ22歳
▼現在ではこちらの方が有名
▼明治13年、渡仏
▼日本人で初めてサロンに入選
▼ここが分れ道か
時代は印象派の時代
彼は依然、写実派なのだ
▼帰国後の作品
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