2015年10月31日土曜日

堀田善衛『ゴヤ』(78)「『パンと闘牛』・知識人たち」(7終) : 「フランス共和国大使フェルディナン・ギイュマルデの肖像・・・。この大使は一七九八年五月二〇日にマドリードに到着した。そうして到着してすぐにゴヤに肖像画を依頼したようである。大使は画家ダヴィドの親友であり、・・・。」

ゴヤ『ギイュマルデ像』(部分)1798

フランス共和国大使フェルディナン・ギイュマルデの肖像・・・。この大使は一七九八年五月二〇日にマドリードに到着した。そうして到着してすぐにゴヤに肖像画を依頼したようである。大使は画家ダヴィドの親友であり、・・・。

・・・このギイュマルデ氏は医者の出身で、ダヴィドとともに、ルイ一六世及びマリー・アントアネットの処刑に賛成投票をした人であった。スペインのブルボン王家にとっては、いわば弑逆者である。そういうものの肖像画を麗々しく描いたりしたならば、以前であったら、異端審問所はただちにゴヤを逮捕したであろう。

それにこの大使は国民公会議貝として、「聖堂、教会、礼拝堂等の名のもとに知られている国有建築物は、公共の用に供される(非宗教的)目的以外に使用禁止とする」、という猛烈な裁決を行った人物であった。

彼が着任したときの内閣は前記ウルキーホが総理大臣で、着任後の最初の仕事は、大使のそれではなくて、医者としてのものであった。閣僚中のサーベドラとホベリァーノスが二人そろって急病で倒れたからである。毒薬説がもっぱらであった。この大使にとってはじめからゴドイは反動、反革命の頭目であり敵であった。

この大使像は、彼が帰任に際してフランスへもち帰ったので現在はルーヴル芙術館にある。この肖像画を見ていると、私には二つのことが見えて来るように思う。
その一つは、人物そのものよりも、この人の腰を緊めている、赤、白、青の、眼にまばゆいばかりのサッシュであり、また卓上においてある帽子の羽毛の飾りである。これもまた赤、白、青の三色である。
赤、白、青 = 自由、平等、博愛。
たとえそれが文句だけのものであったとしても、スペインにはないものばかりである。

革命はブルボン家のごたごたした紋章などを追放してしまって、もっとも単純、簡潔、しかも最高のデザインと言える三色旗を掲げた。

その眼に滲みるような三色をゴヤは如何なる気特で描いたものであったか。

それからもう一つ、これも肖像画そのものとは別のことであるが、大使がゴヤとともに最盛期を迎えていた画家ダヴィドと深い関係があったことを忘れてはなるまい。おそらくこの大使は、ゴヤに向ってダヴィドの画風のことを、たとえば手話の通訳を通してでも話して聞かせたであろう。
・・・

この大使の、カツラなどを投げ捨てて短く刈り込んだ髪と実用的な服装を見ていると、われわれはここに一八世紀というもののドアが彼の背後でぴしゃりと閉められてしまっていること、一九世紀という未来からの光が三色旗を輝かせていることを、厭応なしに感じさせられるのである。
・・・

大使ギイュマルデ氏は、モデルとしてゴヤの前に立った最初の外国人であり、かつ自分の肖像画であるゴヤの油絵作品と『気まぐれ』一巻とを最初にフランスにもたらした人であった。結果としてこの大使は、ゴヤがフランスに派遣した大使のようなことになる。フランスでゴヤが知られはじめるのは、まず銅版画家としてである。またこの医師は、画家ドラクロアの名付親となる幸運をももった人であった。
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