沖縄の貧困率は全国平均の2倍、その深刻な理由|生活保護のリアル~私たちの明日は? みわよしこ|ダイヤモンド・オンライン https://t.co/QECw7BVywH @dol_editorsさんから; 「沖縄の貧困の子どもは、ネガティブスパイラルを回り続けています」
— 黙翁 (@TsukadaSatoshi) 2015, 12月 20
(略)
子どもの貧困率は全国で一番
貧困が止まらない3つの背景
初日の2015年11月27日、プログラム全体の冒頭に、山内優子氏(沖縄大学非常勤講師)が記念講演を行った。・・・
山内氏は最初に、概況から語りはじめた。県別の貧困率に関する最新データは2007年のものだが、全国の相対的貧困率が14.4%であったのに対し、沖縄県は2倍以上の29.3%だった。母子世帯率・児童扶養手当の受給率も、沖縄は全国の概ね2倍にあたる。生活保護率は全国で5位。10代女性が母親になる若年出産率は11.7%。いずれも、貧困の深刻な状況を伺わせる数字である。
ついで山内氏は、
「ひとり親世帯の貧困率は全国で54.6%ですけれど、沖縄県は全国で一番、貧困の子どもが多いんです」
と、沖縄の子どもたちの貧困の状況を語りはじめた。・・・
山内氏は、そのうち大きな背景は3点であると考えているという。
1点目は、第二次対戦末期の沖縄戦が地上戦で、子どもも巻き込まれたこと。沖縄戦では県民12万人が犠牲になり、人口比では4人に1人である。犠牲者を年代別に見ていくと、10歳未満が2万4000人、10代が2万人、20代が2万8000人。合計で7万2000人。死者の60%は20代以下だったということになる。
この事実を山内氏は「これからを担う世代と子どもが数多く死んでいるんです」と伝えながら、写真を何点か紹介した。・・・
2点目は、米軍の統治が1972年まで続いたことである。まず、沖縄戦で孤児となった子どもたちを米軍は一時的に孤児院に収容したが、養育し続けるつもりはなかったらしく、その後は県内で引き取り手を探した。簡単な手続きで子どもたちは引き取られていき、「新たな悲劇」(山内氏)につながったという。
子どもの育ちを守るための法制度整備の動きも、占領下の沖縄では遅れざるを得なかった。・・・
しかし沖縄県では、すべてが1953年に琉球政府が成立して以後のこととなった。基地は作られたが、学校は毎年の台風で飛ばされる劣悪なもの。児童相談所の設置は1954年のことであった。この後、捨て子・家出児童・浮浪児・人身売買の問題が表面化する。子どもが米軍基地内の食糧を盗もうとし、射殺されたり軍法会議にかけられたりすることもあったという。人身売買や家出児童の問題1955年以後に増加した。山内氏は「引き取った孤児を育てられなくなったのでは」と見る。
この他、本土では1956年に制定された売春禁止法が沖縄にはなかったことから、「性的問題児」も発生した。・・・
山内氏は最後に、1972年の本土復帰後についても述べた。戦後27年間の格差是正のための経済復興計画に、実に8兆円が投入されたが、対象は主に「道路・ダム・箱もの」。沖縄の地元に還元されなかったため「ザル経済」と呼ばれ、その間にも子どもの貧困は深刻化し、格差は拡大していった。
山内氏は、
「沖縄の貧困の子どもは、ネガティブスパイラルを回り続けています」
と述べ、
「大人が訴えなくては。子どもに『自己責任』は通用しません」
と講演を結んだ。
(略)
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