2016年1月17日日曜日

いちど視たもの - 一九五五年八月十五日のために -  (茨木のり子)

六義園 2015-12-09
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いちど視たもの                 茨木のり子
  - 一九五五年八月十五日のために -


いちど視たものを忘れないでいよう

パリの女はくされていて
凱旋門をくぐつたドイツの兵士に
ミモザの花 すみれの花を
雨とふらせたのです・・・・・
小学校の校庭で
わたしたちは習つたけれど
快晴の日に視たものは
強かつたパリの魂!

いちど視たものを忘れないでいよう

支那はおおよそつまらない
教師は大胆に東洋史をまたいで過ぎた
霞む大地 霞む大河
ばかな民族がうごめいていると
海の異様にうねる日に
わたしたちの視たものは
廻り舞台の鮮かさで
あらわれてきた中国の姿!

いちど視たものを忘れないでいよう

日本の女は梅のりりしさ
恥のためには舌をも噛むと
蓋をあければ失せていた古墳の冠
ああ かつてそんなものもあったろうか
戦おわつてある時
東北の農夫が英国の捕虜たちに
やさしかつたことが ふつと
明るみに出たりした

すべては動くものであり
すべては深い翳をもち
なにひとつ信じてしまつてはならないのであり
がらくたの中におそるべきカラツトの宝石が埋れ
歴史は視るに価するなにものかであった

夏草しげる焼跡にしやがみ
若かつたわたくしは
ひとつの眼球をひろつた
遠近法の測定たしかな
つめたく さわやかな!

たったひとつの獲得品
日とともに悟る
この武器はすばらしく高価についた武器

舌なめずりして私は生きよう!


(第一)詩集『対話』(不知火社 1955年11月)


1955年(昭和30年)、敗戦の10年後の作品。
歴史は動いている。
学校で教わったことより、自分の眼で視たものを、よりどころに生きていこう、という思い。


「倚(よ)りかからず」 (茨木のり子 詩集『倚りかからず』より) : もはや できあいの思想には倚りかかりたくない ・・・ じぶんの耳目 じぶんの二本足のみで立っていて なに不都合のことやある

「自分の感受性くらい」 (茨木のり子 詩集『自分の感受性くらい』) ; 自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ

麦藁帽子に (茨木のり子)

波の音   (茨木のり子)







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