2024年7月24日水曜日

大杉栄とその時代年表(201) 1896(明治29)年7月19日~20日 子規のコラム「ベースボール」 7月20日の一葉日記(1) 三木竹二・幸田露伴来訪 本音は「めざまし草」同人勧誘 

 

観潮楼の庭にて(左から鴎外、幸田露伴、斎藤緑雨、明治30年(1897)撮影

大杉栄とその時代年表(200) 1896(明治29)年7月15日~18日 7月15日付け一葉日記(2) 緑雨は、「『(通俗)書簡文』全体にわたりて、例の冷笑の有さまみちみちたり」といふ。」 一葉は、「か計に御手を下して細かに評し給はるなん、わが『書簡文』の面目にはあれ。いとかたじけなき事」と応じる 一葉、樋口勘次郎から恋文を受け取る より続く


1896(明治29)年

7月19日

子規のコラム「ベースボール」(『日本』7月19,23、27日と3回)。ベースボールの日本渡来と定着の歴史、用語とルールの概説、ベースボールの妙味を記す。


「・・・子規は記事中、ベースを「塁」ではなく「基」と訳している。・・・・・ショートストップは短遮と直訳する。外野はライトフィールダーを場右と訳し、センターは場中、レフトは場左である。ピッチャーは投者、キャッチャーは獲者、打者と走者の二語のみが現在も使われる用語である。

子規が図解した内野手の守備位置がおもしろい。現代野球で二塁手は一、二塁間に位置して守り、ショートは二、三塁間の比較的深い場所で守るが、子規の図解では二塁手は二塁ベースの真うしろにいる。ショートは短遮の訳語のごとく、投手と三塁手の間にいて、二、三塁間を結ぶラインのずっと内側に入っている。しかし、もともとはこの位置で守ったからショートストップと呼ばれたはずで、その意味では子規の図解はベースボールの原型を示す。

子規は、ベースボールというゲームの原理をつぎのように書いている。


ベースボールには只一個の球あるのみ。而して球は常に防者の手にあり。此球こそ此遊戯の中心となる者にして、球の行く処、即ち遊戯の中心なり。球は常に動く、故に遊戯の中心も常に動く。されば防者九人の目は、瞬も球を離るるを許さず。打者走者も球を見ざるべからず。傍観者も亦、球に注目せざれぼ終に其要領を得ざるべし。(原文の圏点・傍点を省き、読点を補った)


子規の文章は、もう明治二十九年にはかくも明瞭なものになっている。現代の新聞コラムは、みな子規の文章から出発していると丸谷才一氏は看破したが、なるほどと思う。さらに、ここに書かれたベースボール観は、俳句や短歌の「座」の要諦とも受けとれる。

子規は俳句を、句会すなわち「座」がつくり出す花の妙と見た。宗匠はいない。そこが旧派と違うところだ。みなが平等であって、ただ相互に刺激しあう。そのとき意外な境地が生まれる。それは演劇的である。あるいはゲームのようである。ベースボ-ルのおもしろさに通じる。」(関川夏央『子規、最後の八年』 (講談社文庫) )

7月19日

一葉日記より

「十九日 ゆふべは夜のねぶりがたかりしに、けふはつむりいといたかり。樋口がもとに文いださんとせしかど、事のさわりあればやめつ。」

7月20日

雨風ひどい。午後2時頃、三木竹二が幸田露伴を伴って来訪、『めさまし草』に小説でなくてもいいので原稿をとの依頼。更に樋口勘次郎のように教科書の編集に協力を要請する者も現れたが全て着手されなかった。


「七月二十日、雨風おびただし。午後二時頃、計らず三木君、幸田君を伴ひ来る。はじめて逢ひ参らす。「我れは幸田露伴」と名のらるるに、有さまつくづくうち守れば、色白く胸のあたり赤く、丈はひくくしてよくこえたり。物いふ声に重みあり。ひくくしづみて、いと静かにかたる。「『めさまし草』に小説ならずともよし、何か書きもの寄せられたし。こをば頼みに来つるなり」といふ。

ものがたることさまざま多く成りて、著作のこと、身の上のこと、世評のうるさきこと、とるにたらぬ事などかたらる。「早く御としとり給はゞよけれど、いとわかくおはしますこそ心ぐるしけれ。さりとも、老ひ給はんは侘しうおぼすや」など笑ひ笑ひいふ。「合作小説早くよりかゝばやの計画ありしかど、えまとまらで年月過ぬ。いかで君、一連に入り給ひて、役者たる事をゆるし給はらずや。御同意ならば、其うけもちの性格だけけふ取さだめ、さてあらあらの大筋たてばや。細かき処は各自のおもふ処にまかせて、いさゝか筆の自由を妨げじ。おのおのの文体、心々の書きざま、いとをかしからん、とおもふ。地の文といふものを別々の筆にて書きいださば、はぎはぎに成りていとみぐるしかるべきに、すべて事を書簡文の体(てい)にしつ、文にかゝれぬ心中などは、やがて日記文などにしたらばをかしかるべし。いかなる役者をかまづゑらぽん。すみ筆しばしかし給へ」と指させば、三木君立ちて、我が机の上より取おろしく。」

(七月二十日。雨風が烈しい。午後二時ごろ、思いがけず三木竹二氏が幸田露伴氏を連れて訪ねて見える。初めてお逢いする。

「私が幸田露伴です」

と名乗られるご様子を見ると、色白く、胸のあたり赤く、背は低く、よく太っておられる。声には重みがあり、低く沈んで大変静かに話される。

「『めざまし草』に、小説でなくてもよいから何か作品を寄せて下さい。それをお願いに来たのです」

と言う。

話はあれこれと多くなり、著作のこと、身の上のこと、世評のうるさいこと、またそれらが取るに足らぬことなど話される。

「早くお年をお召しになればよいのに、まだ大変お若いのがお気の毒です。といってお年を召されるのはお嫌いでしょう」

などと笑いながら話される。

「合作小説を書こうという計画が早くからあったのですが、まとまらないままで年月が過ぎてしまったのです。何とかあなたも仲間に入って、一役買っていただけませんか。賛成いただけるなら、その受け持ちの分の性格だけでも今日のうちに決めて、大体の大筋を立てたいものです。細かなところは各自の思いにまかせて、執筆の自由をさまたげることはしません。各自各自の文体や表現法があって面白いだろうと思うのです。ただ地の文というものを別々に書いたのでは、つぎはぎになって見苦しいだろうから、全体を書簡文の形にして、また書簡文として書けない心理描写などは日記文の形で書いたら面白いだろうと思う。さて、どんな役者をまず選んだらよかろうか。墨と筆を一寸貸して下さい」

と言う。私が指さすと、三木氏は立ち上がって、私の机の上から持って来る。)

「『にごり江』のお力といふ役をは樋口君には願はまほしゝ」といふものは三木君なり。

「いな、長文かくべきしかくなき人にてはかなふまじ」と、露伴子しりぞく。

「さらは、『紙治」の小春といふ役は」と、例の芝居気にて三木君のぞむ。

「まづ待給へ。こゝにいかなるといかなる人物をか取出るべき。其人から定めて役者をふりつ、さて大筋には取かゝるべし。樋口君には、いづれとも女の役を願ふべきなれど、身分に好(このみ)はあらせられずや。中等か、上等か、商家か、士族か、官員か」と露伴子とふ。

「何れにても同じくむづかしきなれば、ゑり好みのあるべきにもあらねど、二頭馬車の境界は、みもしらねばかひなくや。唯中あたりの士族などこそ」といふ。

「さらば、士族の娘がたぞ。まづはこれ一つ定まりぬ。さて其次に」と筆をねぶれば、三木君あわたゞしく、「我が望みをいはせ給へ」と呼ぶ。「女の内気なるは世におもしろみなき物なり。狂(きやう)かんの女子の山犬の如きはいかならん。一たび取つきたる男の身を、終生はなれじといふやうなるあくどきは」といふ。「それを樋口君にか」と、露伴かほをしはむ。      

「いな、そほ菊五郎と見立てゝ、正太夫にふるべし。我れこゝにおもしろきあら筋をおもひよりぬ。学者にして世間みずの官員ありと仮(かり)さだめ、そを我兄鴎外にうけ持たせんはいかに。さて樋口ぬしは其妹よ。ものいとよく知りて、長官のにくしみをうけ、うき世に出世の道なくして苦悶の未に、てつ学に身を投入れたるといふ、その兄をかみにいたゞきて、一人ものおもふ妹のやく、いと栄(は)えあるべし。さてその相手の恋人は、露伴子、貴兄ならざるべからず。さる処、君は大酒家の、乱暴人の、放蕩家にて、正太夫が役の悪ずれ女と事(こと)出来つ、さてゆすりこまるゝやうなる筋はいかならん。こはいとをもしろかるべし」と、調子高に扇うちならしつゝいふ。

(「『にごりえ』のお力の役を樋口さんには願いたいものです」

と言うのは三木氏。

「いや、長文に不得手な人では無理でしょう」

と露伴氏が反対する。

「では、『心中天網島』の小春の役では」

と、例によって芝居気取りで三木氏が言う。

「まあ待ちなさい。ここにどんな人物とどんな人物とを登場させるか、それを決めてから役者を振り当て、次に大筋に取りかかるのがよい。樋口さんには、いずれにしても女の役をお願いすることになるが、人物の身分に好みがおありですか。中流階級ですか、上流階級ですか、商家ですか、士族ですか、役人ですか」

と露伴氏は問う。

「どれにしても皆むずかしいのですから、選り好みなど出来ないのですが、二頭馬車を乗り廻すような上流階級のことは全く知らないので出来ません。まあ中流階級の士族などならば」

と答える。

「それでは士族の娘ということにしょう。まずこれで一つ決まった。では次は」

と筆を舐めると、三木氏は慌てて、大きな声で、

「私の考えを言わせて下さい。女の内気なのは面白くないものです。山犬のような強気の女はどうだろう。一度噛みついたらその男を生涯はなさない、あくどい女はどうだろう」

と言う。

「それを樋口さんに書かせようというのか」

と露伴氏は顔をしかめる。

「いや、それは菊五郎の役と見立てて、緑雨に振り当てよう。私は今、面白い荒筋を思いついた㍉学者で世間知らずの役人がいたと、仮にしよう。それを私の兄の鴎外に受け持たせるのはどうだろう。そして樋口さんはその妹の役です。学者であるために上司から憎まれ、役人としての出世の道を失い、悩んだ揚げ句に哲学に打ち込んで行くというその兄のもとで、ひとり物思いに沈む妹という役は、大変やり甲斐があるでしょう。そしてその妹の恋人の役は、露伴君、あなた以外にはいない。そして君は大酒呑みで乱暴者の放蕩息子で、緑雨が演ずる悪ずれ女と出来ていて、その女からゆすられている、という筋はどうだろう。これはきっと面白いに違いない」

と、声の調子を高くして、扇をぱちぱちと鳴らしながら言う。)


「我れが恋人か」と、露伴つむりをたゝきて打笑ひつ、「そのやうな役は此方(このほう)に不似合なり。我れには気みぢかの、癇もちの、騒動の源おこしくるやうなる、乱暴のやくこそよけれ。さて一役にては舞台をなさず。二役老女にて、子の異見いふといふ、これをば樋口君今一つうけがひ給へ。それは正太夫がやくせきの母親ぞ」といふに、三木君又口をいれて、「外のやくはいかにもあれ、君と樋口君東西の関にすゑずは、此狂言納まりがたし。君はいかにしても樋口ぬしが恋人ぞ。二役子役は君にかぎれば、樋口君の弟になり給へ。これも又をもしろかるべし」といふ。露伴いはく、「猶舞台の淋しきに、友達といふやうな第三者なかるべからず。これはたれにか」といへば、「へんくつ官員の友ならば、鴎外にうけとらし給へ。兄貴が友のうちには粉本(ふんぽん)おはし」と三木君いふ。「事件に花を添ふべき横れんばの人なかるべからず。其やくは」と言へば、「それこそは拙者つかまつらん」と三木君いふ。

「かりに我が心中をいはしめ給へ。かつて『たけくらべ』をよみたるとき、密かに我れのおもへらく、龍華寺の信知は露伴兄にして、田中の正太は我が兄鴎外、横町の長吉はとりも直さず斎藤のはまり役なるべく、をどけの三五郎はかく申す拙者、大黒やの美登利は樋口君と定めき。此わりにてやらまほしきなり。さしづめ我が兄は団十郎、樋口君は『新こま』とこゑのかゝる処なるべく、斎藤は菊五郎の向ふをはり、露伴子のやくは故人宗十郎と参るなるべし。かくて、これをば小説にせずして、芝居になさばと我れほおもふ。さてはいよいよおもしろかるべし」と、おのが好きの道にいざなふ、いとをかし。

(「私が樋口さんの恋人役になるのか」

と露伴氏は頭を叩いて笑いながら、

「そのような役は私には不似合いだ。私には短気で癇癪もちで騒動のもとをつくるような乱暴者の役がよい」

「ところで一役だけでは舞台がもてない。二役目は老女で子を意見するという場面を、樋口さん、もう一つ引き受けて下さい」

と三木氏が言う。露伴氏がすぐ、

「それは緑雨が適役の母親だ」

というと、三木氏がまたロをさしはさんで、

「他の役はともかくも、君と樋口さんを東西の主役に置かなくては、この芝居は成り立たない。君は何と言っても樋口さんの恋人だ。二役目の子役は君に限るから、今度は樋口さんの弟になりなさい。これもまた面白いだろう」

と言う。露伴氏が、

「これでもまだ舞台が寂しい。友達というような第三者が絶対に必要だ。これは誰に振り当てるのか」

と言うと、

「偏屈役人の友人という役なら、鴎外に持たせなさい。兄の友人のなかには、ふさわしい人物が沢山います」

と三木氏が言う。

「事件に花を添えるために三角関係の恋人役が必要だが、その役は」

と言うと、

「それこそは私が致しましょう」

と三木氏が言う。さらに語を続けて、

「仮に私の考えを言わせて下さい。前に『たけくらべ』を読んだとき、ひそかに心の中で思ったのは、能筆寺の信如は露伴兄、田中屋の正太は私の兄の鴎外、横町の長吉は言うまでもなく斎藤緑雨が適役で、おどけ者の三五郎はこの私、大黒屋の美登利は樋口さんと決めたのでした。この割り振りでやりたいものです。さし当たって今の俳優にたとえると、私の兄は市川団十郎、樋口さんは中村福助で新的屋と声がかかるところ、斎藤緑雨は菊五郎と張り合い、露伴君の役は故人の沢村宗十郎というところだろう。こういう訳で小説にしないで芝居にしたいと思い、そうすればますます面白くなることだろう」

と言って、自分の好きな道に関係づけようとするのも面白い。)


つづく

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