2025年4月2日水曜日

大杉栄とその時代年表(453) 1903(明治36)年8月1日~12日 この夏から、横須賀海軍造船廠では異常な労働強化 日清戦争当時のことを知っている老職工たちは、すぐにその意味をさとった。 政府は、民間の主戦論者に攻撃されても容易にロシアに対する態度を明らかにせず、桂内閣の軟弱外交と言って罵られていたが、この年の夏、軍部と内閣とが、いよいよ開戦の決定をした。 労働は強化されたが、職工の収入はそれだけ殖えた。労働者たちの多くは、大多数の新聞の主戦論に煽られて好戦的にもなっていたので、一種の熱狂的な空気が造船廠を満たしていた。

 

神鞭 知常

大杉栄とその時代年表(452) 1903(明治36)年7月30日 「第2回党大会での分裂の際、『イスクラ』派は『硬派』と『軟派』に分かれた。・・・それは、両派を分かつ明確な路線上の分岐線はまだなかったが、問題へのアプローチの仕方、断固たる姿勢、最後までやり通す覚悟といった点で両者に違いがあることを示していた。」 「大会が進むにつれて、『イスクラ』の主要幹部の間の対立がしだいに露わになってきた。『硬派』と『軟派』への分化が表面化してきた。・・・両派とも、思いがけない事の成りゆきに深刻な打撃を受けた。レーニンは大会から数週間、神経性の病に苦しんだ。」(トロツキー『わが生涯』) より続く

1903(明治36)年

8月

「国民日日報」創刊。主編章士釗。編集者陳独秀・蘇曼殊。「蘇報」擁護の論陣。

8月

この夏から、横須賀海軍造船廠では異常な労働強化が始まる。

職工たちは家に帰ることを許されず、それぞれ家庭や下宿から14回の弁当を運ばせ、昼夜兼行の労働をさせられ、深夜に2時間の仮睡をとるだけであった。そういう労働が数日間続いて、職工が倒れると、はじめて家に帰ることを許された。日清戦争当時のことを知っている老職工たちは、すぐにその意味をさとった。

政府は、民間の主戦論者に攻撃されても容易にロシアに対する態度を明らかにせず、桂内閣の軟弱外交と言って罵られていたが、この年の夏、軍部と内閣とが、いよいよ開戦の決定をした

労働は強化されたが、職工の収入はそれだけ殖えた。労働者たちの多くは、大多数の新聞の主戦論に煽られて好戦的にもなっていたので、一種の熱狂的な空気が造船廠を満たしていた

8月

児玉花外『社会主義詩集』 すぐに発禁、押収される。

8月

龍岩里租借事件を契機に、「時事新報」、連日朝鮮問題を取上げ、日本の民族的危機・朝鮮水域への軍艦派遣主張。

8月

川上眉山(34)、里見鷲子と結婚。前年の徴兵問題や村八分を題材にした作品「一軒百姓」が好評で、この年春頃には、眉山は文壇に復活したとの声が上がるほどであった。

8月

漱石の二つの英詩


「だが妻子のいない家で、彼はせいぜいと仕事に励んだわけでもない。鏡子がいなかったのはほぼ夏休み中と思われるが、その間に彼は英詩を二つも作っている。年末には恋愛詩としか思われないものを作るが、それがはたして彼自身の経験だったかどうかはわからない。『全集』注解を踏まえて読むと、”Silence""(静寂(しじま))の大意は、過去にあった「静寂」の生活を思い、それを失った「わが生」を嘆く詩である。ーー「わたし」は太陽も月もなく、男も女も、神さえもない「静寂のさなかに生き」で呼びかける。「わたしには母が」あり、「喜びと希望と輝くものすべてをくれた」が、もはやその母は亡い。若いころ、わたしは太陽が大地のすべてを琥珀色の光で染めるのを見た。だが今は、静寂を内に求めれば声が聞こえ、外に求めると喧噪ばかりである。静寂は「神聖と呼ばれる愛より甘美」で、「名声、権力、富」よりも魅力的だ。わたしはもはやないもののために涙を流す。来し方、行く末を見つめると、わたしは永久に宙吊りになって震えるこの星(地球)の上で爪先立っている。失われた静寂に吐息し、来るべき静寂(死)に涙す。ああ、わが生ーー母の中にいた胎児の幸福が、今や消え失せた哀しみである。

江藤淳が言うように、彼が「その存在を不安定に露出されていると感じていた」ことは確実であろう。胎内から外に出たとき、苦しみは始まった。雷鳴が二人を目ざめざせ、以来絶えて二人は相見えることはない。悲しいかな天と相見えるには地はかくも罪深き身の上。-ーここに表われているのは、天地混沌から分離した天と地の引き裂かれた想いである。江藤説では、これは嫂・登世との悲恋を詠ったことになるが、この天と地は前詩との関連で文字どおり天の神と地の人と考えるべきではないか。江藤は英詩で「「天」が女性で「大地」が男性だといぅのは、考えられるかぎりでもっとも不可解な詩的倒錯」とするが、日本神話ではアマテラスは女性で太陽神である。天上で乱暴をした神、スサノオは天上から追放され出雲に住んだ。アメワカヒコ(天稚彦)は「中つ国」を平定する命を受けて地上を治めたが、復命せず、それを咎めに来た使者の雉を、天探女(あまのさぐめ)の勧めで射殺し、逆に彼は天上に届いたその矢で射殺された。これらの例では男女の愛はないが、天上と地上の別と「罪」はある。国家から派遣された漱石は、復命すべき何物をも持たない自分を嵩めていた。

その意味ではここでの「愛」は神話的な一種の夢に近いものであり、『夢十夜』の第五夜で、「自分」が「神代に近い昔」に戦い破れて囚えられ、死の前に一目会おうと馬で駆けつける女が、「天探女(あまのじやく)」の悪意で崖下に転落する話に発展するものだろう。」(十川信介『夏目漱石』(岩波新書))

8月

トロツキー(24)、「シベリア代議員団の報告」を執筆、レーニンとプレハーノフを厳しく批判。出版直前、プレハーノフがメンシェヴィキ側についたためプレハーノフ批判の部分を削除して出版。

8月2日

中野好夫、誕生。

8月2日

マケドニアでイリンデン蜂起。

8月3

小村外相、駐ロシア公使栗野慎一郎にロシア外相ラムズドルフ宛協商案文を訓令。「韓国に於ける改革及善政の為め助言及援助(但し必要なる軍事上の援助を包含すること)を与うるは日本の専権に属することを露国に於て承認すること」(第五条)をふくむ6ヵ条。

8月5

オスマン帝国モナスチル、ロシア領事、オスマン帝国憲兵に射殺。

8月5

露、陸相クロパトキン、極東視察の報告と意見書をニコライ2世に提出。「東亜木材会社」の売却を進言。但し、この頃、宮廷顧問官ベゾブラゾフ派の巻き返し工作が宮廷・軍に浸透(日露関係悪化は、日本が英国と同盟し満州からロシアを駆逐しようとするところにある)。

10日、ベゾブラゾフは満州経営促進のため、関東長官を極東総督に昇格させ権限を付与すべきと進言。ニコライ2世は、陸相・外相・蔵相など穏健派に知らせずにこの進言を勅令公布。陸相クロパトキンは辞意表明。ニコライは辞意を認めず、「長期休暇」を与える。

8月7

中部ドイツ、クリミチャウ、纖維労働者ストライキ(~1904年1月)。

8月9

近衞篤麿・頭山満・佐々友房・神鞭知常ら国家主義者100余の対外硬同志会、対露同志会と改称。神田・錦旗館で大会。ロシアの満州撤兵、清国の満州解放要求を決議。桂首相に警告書を送る。

8月10

パリで地下鉄火災。死者84人、負傷者多数。

8月11

ジャマイカでハリケーン。被害総額100万ポンド。

8月12

ロシア、旅順口に極東総督府設置。軍隊指揮・外交も所管。関東長官アレクセーエフ大将が総督就任。

17日、この情報を得た日本は、ロシアの満州永久占領の表意、対日戦の決意表明と見る。

8月12

駐露公使栗野慎一郎、外相ラムズドルフに日本側6項目の日露協商基礎条項(日露商議条件・日露協約案)提示。露の満州権益を鉄道に限定、韓国からの引揚げ。満州・朝鮮に関する交渉開始。

10日3日ロシア、拒絶。

8月12

コロンビア上院、パナマ運河建設に関する米との条約批准、否決。


つづく

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