江戸城(皇居)東御苑 2013-12-25
*明治37年(1904)
5月
・朝露修好通商条約廃棄
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・『蘇報』事件判決。
章太炎禁固3年(1906/6釈放、日本に渡る)。鄒容禁固2年(1905/4/3獄死)。
『蘇報』永久発行停止。
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・閣議、対韓施設綱領決定。
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・廃娼収容施設慈愛館、東京大久保百人町に落成。
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・佐賀市で出征兵士家族援護のため、佐賀女子義勇団組織。
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・東京府、戦争がもたらす社会的影響調査。
「時局ノ東京市内細民ノ生活上ニ及ホセル影響取調」として報告。
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・鉄幹・晶子、中渋谷382番地から丘の下の中渋谷341へ転居。29日、共著「毒草」(本郷書院)刊行。
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・夏目漱石の新体詩「従軍行」(『帝国文学』)
一
吾に讐(あだ、敵)あり、艨艟(もうどう、軍船)吼ゆる、
讐はゆるすな、男児の意気。
吾に讐あり、貔貅(ひきう、猛獣)群がる、
讐は逃すな、勇士の胆。
色は濃き血か扶桑(日本)の旗は、
讐を照さず、殺気こめて。
二
天子の命ぞ、吾讐撃つは、
臣子の分ぞ、遠く赴く。
百里を行けど、敢て帰らず、
千里二千里、勝つことを期す。
粲(さん)たる七斗は、御空のあなた、
倣(おご)る吾讐、北方にあり。
三
天に誓へば、岩をも透す、
聞くや三尺、鞘(さや)走る音。
寒光熱して、吹くは碧血(へきけつ)、
骨を掠(かす)めて、戛(かつ)として鳴る。
折れぬ此太刀、讐を斬る太刀、
のり飲む太刀か、血に渇く(かわ)太刀。
四
空を拍(う)つ浪、浪消す烟(けむり)、
腥(なまぐ)さき世に、あるは幻影(まぼろし)。
さと閃めくは、罪の稲妻、
暗く揺(なび)くは、呪ひの信旗。
探し死の影、我を包みて、
寒し血の雨、我に濺(そそ)ぐ。
五
殷たる砲声、神代に響きて、
万古の雪を、今捲き落す。
鬼とも見えて、焔(ほのほ)吐くべく、
剣に倚りて、眥(まなじり)裂けば、
胡山(こざん)のふゞき、黒き方より、
鉄騎十万、莽(もう)として来る。
六
見よ兵(つはもの)等、われの心は、
猛き心ぞ、蹄(ひづめ)を薙(な)ぎて。
聞けや殿原(とのばら)、これの命は、
棄てぬ命ぞ、弾丸(たま)を潜りて。
天上天下、敵あらばあれ、
敵ある方に、向ふ武士(ものゝふ)。
七
戦(たたかひ)やまん、吾武(わがぶ)揚らん、
倣る吾讐、茲に亡びん。
東海日出で、高く昇らん、
天下明か、春風吹かん。
瑞穂の国に、瑞穂の国を、
守る神あり、八百万神。
(『漱石全集』17巻)
日露開戦とともに、多くの戦争詩が作られ、帝国文学会(漱石は評議員)でも、評議員会あるいは編集委員会で戦争詩の特集が決定され、漱石にも執筆依頼があったものと思われる。
帝国文学会の機関誌『帝国文学』4月号は、4編の戦争詩を掲載している。
征露進軍歌 坪井九馬三
我兵見よやロシア国 上田万年
祝捷行軍歌 芳賀矢一
征夷歌三章 土井晩翠
漱石は、5月号には書かねばならない義務を負っていたと思われる。
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(次回は漱石の戦争詩の評価や解釈について)
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