2017年8月22日火曜日

(YouTube)悲しみの果て ≡ エレファントカシマシ


悲しみの果て ≡ エレファントカシマシ
視聴回数 8,111,591 回




女子マラソン元日本代表の万引き事件からみる、女子アスリートと摂食障害の問題(江川紹子) ; .....私(江川)は22日、勾留先の警察署で、原さんと面会。その際、原さんは京セラに在籍していた時に、摂食障害を発症していたことを明かした。.....










自宅周辺散歩 ムクゲ、フヨウ、千日紅が元気。 ヤマハギが咲き始めて秋の兆しを教えてくれる 2017-08-22

8月22日、はれ。
久しぶりの晴れ。
東京では昨日までで22日連続雨の最多タイ記録だったとか。

愛用カメラが故障のためドック入りしていて、テンション下がり気味だが、お昼頃、自宅周辺を散歩。カフェ休憩あり。
今のカメラの前に使っていたコンデジを1台だけ残しておいたので、それを「大事に」使っている。
ムクゲ、フヨウ、千日紅・・・と夏の花が元気。
ヤマハギが徐々に咲き始めて、まだまだ暑いけれど、秋の兆しを教えてくれる。







大正15年/昭和元年(1926)4月 中野重治(24)ら「驢馬」創刊 新人会・社研の活動(石堂清倫「わが異端の昭和史」より)

ムクゲ 2017-08-22
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大正15年/昭和元年(1926)
4月
・「驢馬」創刊。
中野重治(24)、窪川鶴次郎、宮木喜久雄、西沢隆二、堀辰雄(22)。翌年3月迄に10冊。その後1年ほど休刊し、2冊出し、1928(昭和3)年5月、第12号で終刊。堀は昭和3年5月の終刊までに詩作、エッセイのほかアポリネール、コクトー、ジャコブ等の訳詞を発表。

「『駿馬』の印刷費が東京では高くつくので、金沢の何とか印刷所に態々原稿を送り、宮木は校正その他の用件で度たび金沢に行った。・・・同人費は五円くらゐに覚えてゐるが、印刷製本代に不足分の三四十円は私が毎月手伝ふことになってゐたが、宮木の汽車賃も同様私が支払った」(犀星「『駿馬』の人達」)という。
同人のほか、室生犀星、萩原朔太郎、芥川龍之介、佐藤惣之助、高村光太郎、千家元麿、福士幸次郎、田島(窪川)いね子らが寄稿。
全12冊。
「北見の海岸」「夜明け前のさよなら」「歌」などの詩、「『郷土望景詩』に現われた憤怒」「啄木に関する断片」などの評論その他を発表。

この年始めか前年末の創刊打合せ。
「僕が中野と始めて会ったのは、今度僕等で同人雑誌をやらうといふので、その頃田端の或る二階に間借してゐた宮木喜久雄のところへ、みんなで落ち合った時だった。なんでもみんなで五十銭づつ出し合ひ、鳥の臓物を買ってきてそれを煮てたべながら、雑誌のことを話し合った。酒は室生さんの家からとどけられた。-みんなといふのは、主人役の宮木喜久雄を始め、窪川鶴次郎、西沢隆二、平木二六(かれは途中でみんなから離れたが)それに僕だった。-その時、中野はすこし遅れてやってきた。どこで飲んできたのか、もうすこしいい気持さうだった。中野と僕とは初対面だつたが、中野は僕を見て『やア、堀君かね』といってその詩人らしい髪毛のモジャモジャした頭をちょっと下げたきりだった。そしてそれからといふもの、彼はほとんど一人でのべつ幕なしに喋舌り立てた。酒もよく飲んだ。そして七輪の上の鍋のなかから、器用な手つきで、何かしきりに探し出してそれを口に入れては『うまい、うまい』と云ってゐた。それは慈姑(*クワイ)だった。さて、話が雑誌の題名のことになった。すると中野は『「シャリン」といふのはどうかね』と云った。『シャリン?』何のことかみんなには解らなかった。そしたら彼は『車の輪の車輪だ』と説明した。そして一人でそれがひどく気に入ってゐるらしかつた。誰かが、それは字面はいいが、言葉では何のことやら解らないから駄目だと反対した。『それでは「赤蝿」といふのはどうだい』と彼は再び云った。それはまた誰かにそれはあんまり君だけの好みであり過ぎる、といって反対された。その時分、もうすでに、僕等の仲間で中野一人だけが『目ざめた男』になってゐたのであった。雑誌の題は、たうとう『駿馬』といふのに決った。これは僕がつけた名だった。僕がそれを云ひ出した時は『「駿馬」か。はツはッは』と中野が真先になって笑ったが、みんなはいつかこの名前に愛着を持つやうになった。そして最後にこれにしようかと云ふことに決まりかけた時、中野は最もそれに賛成した一人だった。それは、その頃(もちろん今でも変りはないが)みんなはひどく貧乏してゐたし、それにみんな揃ってフランシス・ジャムの詩が好きだったりしそゐたからであったらう」(堀辰雄「中野重治と僕」(1930年7月号『詩神』))。

「いったいに、『驢馬』の連中には新しい知識、世界知識がとぼしくて、田舎者風のところがあった。ただ堀がいて、ヨーロッパのごく新しいところへ向けて、窓をひらいてくれるという恰好であった。堀のやり方がやり方だったから、講義風のものは取り入れなかったが、断片的ではあっても、生きたほんものが堀の手でわれわれに分けられたようだったと思う」(中野重治「ふたしかな記憶」)。

「君は生涯にわたって清潔であった。しかしそれは、はたを露骨に刺戟する類の病的潔癖とは無縁のものであった。君は生涯にわたって温雅であった。しかしそれは、他の前に自己を曲げる類の妥協とは無縁のものであった。特にこの温雅ということについて、『駿馬』の全同人が君の影響を受けたのであったろう」(中野重治の堀辰雄への弔辞「告別式に」)。

「堀のまわりには、先輩として芥川、室生、萩原、佐藤というような人がいた。この人びとはそれぞれに認めていた。堀の才能、堀の学問好き、堀の誠実な生きる態度・・・そして堀のほうでもこの人びとに愛と尊敬とを持っていた」(中野重治「堀辰雄のこと」)。
・石堂清倫「わが異端の昭和史」にあるこの頃の状況
「新人会森川町合宿 このころの新人会本部は、谷中桜木町から下谷清水町に移っていた。それでも藍染橋までの坂道は、私にとって楽ではなかった。会では会員もふえたので、大学付近にもう一つ会の合宿を設けることになった。それが西田と私の仕事になったので、三月中千駄木から西片町、森川町の界隈の家を探した。結局本郷通りの赤門よりの教会と岡埜栄泉堂のあいだを降りて、カフェ・エトアールの近所の三河屋の離れ屋敷を借りることにした。・・・このときはじめて私は実名で標札を出した。小松へ帰って唯一の財産である鍋、釜、食器を東京へ送り出し、弟は東京の学校へ、末の妹は義兄に預けることにして、上の妹の千代を連れて上京した。・・・十六歳の千代は炊事係で、階下の六帖は食堂、会議室、兼私の寝室で、階上には西田、内垣安造、森静夫(のち岩波書店編集部に入り、『日本資本主義発達史講座』を担当した)、川口浩、医学生の金沢達が常連で、このほか瀬口責(鹿地亘)、亀井勝一郎その他も短期間同宿した。大学に近いので多勢の仲間が訪ねてきた。会員外では中野好夫や西田の友人大槻文平、永野俊雄などの名も記憶にある。しかし最初の訪問者は本富士署の太田刑事で、この男はほとんど毎日やってきた。しかし何といっても、労働組合や農民組合、地方学聯の上京者が無料宿泊にやってきた。その費用は合宿者の負担になるので、財政はいつもピンチで、妹に渡す五円の手当はいつも赤字埋めに召しあげたのである。当時は何かの左翼の行事やカンパニアの前に、目ぼしい幹部を予備検束する悪習があった。そんなときに杉浦啓一だの中尾勝男など、評議会の幹部がよく泊りにきた。彼らは奇妙な別室の客になったわけである。一九二六年の四月の新学期から、合宿の雑務のほか、猛烈に仕事がふえた。一つは東大学友会社会科学研究部の部会の拡充である。

社研とRS 新人会は随時公開講演会を開いたが、常設の公開研究会はなかった。学友会の研究会は、その欠陥をおぎない、いわば学際の研究会なのであった。一九二六年はおそらくその最盛期を形成した。法制、社会文芸、哲学、経済学、社会医学、工学、農村問題の各研究会のほか、合同研究会もあった。たとえば法制部門は、平野義太郎助教授を講師として、その著『法律における階級闘争』の研究のあと、ハインリヒ・クーノーの『マルクスの歴史・社会・国家学説』の講読をやっていた。私が責任者になった経済学研究会の、山田盛太郎助教授によるカウツキーの『マルクスの経済学説』(邦訳『資本論解説』)の講義は人気があった。・・・やはり私が担当した哲学研究会は、平田こと河野正通助手がデボーリンの『戦闘的唯物論者レーニン』(志賀義雄訳『レーニン主義の哲学』)をテクストに使って講義をした。大森義太郎助教授のブハーリン『史的唯物論の理論』の講義は、前年から継続のものであった。この三人の助教授は東大の三太郎といわれ、新進の学者であったから、社研に集る人が多かったのは当然である。三人ともまだ若く、学生にとっては先生というよりも兄貴分であった。・・・社研会員は総数四百名近く、テーマはすべてマルクス主義的であった。東大の学生はみなで六千名といわれたから、社研は学内でも大きな勢力であった(・・・)。

このほかにも、社会科学=マルクス主義にたいする関心をもっていながら、社研に近づきにくい学生もあるはずであったから、私たちは出身高校別の読書会をつくってみた。最初に四高出身者中心の北辰読書会(「北辰会」は四高の生徒会の名称)をつくり、最初の二回は法学部の上杉慎吉教授の出講を頼んでみた。上杉は新人会と正面から対立する右翼七生社の指導者であるから危ぶまれたが、すすんで出席してくれた。上杉がくるならという興味もあって、これまで新人会はもとより、社研にも近づかなかった学生がたくさん集った。私たちは上杉と論争する準備をしていたが、彼もさるもので、若いうちにこそ徹底的に学ばなければならない、自分も以前はマルクスの労働機関説を勉強したものだという調子で、われわれの考えたような論争に発展しなかった。この読書会にすぐれた学生が何人か加わったのは、大きな成果であった。われわれ学生の魂胆は察していただろうに、快く出席してくれた上杉には頭のあがらない思いがした。私はえげつない計画をたてたことを反省した。後藤のことを口汚く罵った美濃部と、はめられるのを承知で出てくれた上杉とどっちが人間としてりっばか深く考えさせられた。この北辰読書会の成功に力をえて、新人会は各高校別の読書会をつくる方針をたてた。これは学聯全体にひろがり、RSの名で拡大していったが、しまいには共産青年同盟の別名のようになってしまった。

学内の社研は、正式にいえば学友会社会科学研究部で、運動部と並立する組織であった。学友会の民主化は学内運動にとっても大きな役割をもつものであるから、学生委員の選挙には大きな努力をそそいだ。新人会の対策委員の㌻人になった私は、文学部の候補者中野の選挙運動を受持った。・・・中野は高点で学生委員に当選した。・・・新学期の新人会紹介講演会で、正木千冬がイギリス炭坑争議をめぐる三角同盟の運命を決した四月十五日のストライキ中止の裏切を批判した「ブラック・フライデー」と題する講演は多大の感銘を与えた。三年間に聞いたうちでは、森戸辰男と正木の講演が双壁であった
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「あんたには在る。おれたちには無い。在るひとに、無いひとの気持ちは解らないよ」 ある高齢のホームレスの男性 (鷲田清一『朝日新聞』折々のことば2017-08-15)

あんたには在る。おれたちには無い。在るひとに、無いひとの気持ちは解らないよ
ある高齢のホームレスの男性

 震災と原発事故で避難生活を強いられている人の痛苦と、出稼ぎで郷里を離れたまま帰る家を失くした人の痛苦を繋ぐ「蝶番(ちょうつがい)」のような小説『JR上野駅公園口』。
そのあとがきで柳美里は、取材中に返された言葉を引く。
思えば彼女自身も20年前の芥川賞受賞時、「私は日本人でも韓国人でもない。家族もない。そのないということを、書き続ける上で大切にしたい」と語っていた。

(鷲田清一『朝日新聞』折々のことば2017-08-15)

「週刊ダイヤモンド」に河野克俊統合幕僚長のインタビュー。今回の日報問題について「情報公開請求があって『ない』と回答していたものが、調査範囲を拡大したら見つかった」という「ちぐはぐな対応」が問題だった、と。そして「自衛隊に隠蔽体質はない」と断言。 ← 開示請求に対して本来一部黒塗りした上で開示すべき日報を、意図的に開示対象から外したことが違法行為だったというのが特別防衛監察の結論。河野統幕長はそれを理解しているのだろうか? / 統幕の辰巳総括官(同時)や参事官付の職員が深く関与していたにもかかわらず、河野統幕長がまったく関与せず報告も受けなかったというのは不自然。   



加計学園の獣医学部新設“白紙撤回”の公算〈週刊朝日9/1号〉;「地元では、話はもはや単なる忖度、口利きレベルではなく、裏で相当な銭カネが動いたのではないかという話に発展している。安倍首相という『表紙』だけでなく、自民党そのものを変えないと、日本が潰れる」

(YouTube)告白~満蒙開拓団の女たち~(NHK ETV特集 8月5日) / 満蒙・・・隠された事実(『朝日新聞』2017-08-19); ...しかし引き揚げ後、その事実は黙殺され、接待を務めた女性たちは差別を受け、村を追われ、慰霊碑に事実は記されなかった。...


告白~満蒙開拓団の女たち~8月5日
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『朝日新聞』2017-08-19

満蒙・・・隠された事実

追悼の8月。1年にひと月、せめて8月ぐらいは戦争に関する番組を見て、生の声から学びたい。今年はそうした中で5日放送のETV特集「告白〜満蒙開拓団の女たち〜」が最も考えさせられた。

番組は当事者とその家族の証言で淡々と伝える。1945年8月、中国東北部・旧満州にソ連軍が侵攻し日本の関東軍の主力はいち早く撤退。残された日本の開拓団は略奪や強姦にさらされ、48もの開拓団が集団自決した。そんな中で岐阜の黒川開拓団は、若い女性にソ連軍の性の相手をさせて生き延びる道を採る。接待、と呼ばれたそれは10〜20代の未婚女性が務めた。17歳だった女性は鉄砲を背負った兵隊に押し倒され「お母さんお母さん」と泣くだけだったという。しかし引き揚げ後、その事実は黙殺され、接待を務めた女性たちは差別を受け、村を追われ、慰霊碑に事実は記されなかった。

生きるために仕方なかった、村人全員が当事者で、被害者だという。しかし、女性たちの悔しさを思うと怒りが沸く。特に自国民を捨てた関東軍、国策として移入させながら何
ら保障しなかった国へは、憤りしかない。戦争とは愚かさの限り。番組は長年隠されてきた、その実態を知らせた。そこから私たちは真実を見極め、後世に伝えるのが役目だと痛
感する。  
(ライター・和田静香)




















2017年8月21日月曜日

週刊報道LIFE(8/20)。課題山積 五輪開催は大丈夫? 2020年東京大会の理想的な日程 この時期の天候は晴れる日が多く且つ温暖である... 開催費用1兆3850億円 / 有森裕子さん「アスリートファーストという言葉には違和感。私はこんな言葉は無い方が良い。社会ファーストであるべき」 / 池内了さん「オリンピックが口実として様々なものに利用されている。政治利用であり経済利用、思想利用だと思う。アンダーコントロール発言はまさにフェイク。オリンピックは愛国的な、自分の国ばかりを見つめていくもの」 / 久米宏氏 日本人は“1億総オリンピック病”に蝕まれている(日刊ゲンダイ)     









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(YouTube)本土空襲・全記録(by 2017.8.12 NHKスペシャル) 50:11 2017.8.12作成 / なぜ日本は焼き尽くされたのか ~米空軍幹部が語った“真相”~(前後編) NHKドキュメンタリーBSスペシャル20170813


本土空襲・全記録(by 2017.8.12 NHKスペシャル) 50:11 2017.8.12作成

2017/08/12 に公開
本土空襲・全記録“66都市2000回の空襲を発掘映像と機密資料で徹底分析▽乱射の瞬間”(by NHKスペシャル 2017.8.12)
50:11 2017.8.12作成



なぜ日本は焼き尽くされたのか ~米空軍幹部が語った“真相”~(前後編)
NHKドキュメンタリーBSスペシャル20170813





読売1面〈首相「3選望まず」6割今の総裁任期まで〉の衝撃(週刊ポスト2017年9月1日号); 安倍首相にいつまで総理大臣を続けてほしいかという質問に対し、〈すぐに退陣してほしい〉〈自民党総裁任期が切れる2018年9月まで〉とする回答が64%を占めた.....

戦争を語る【3】 韓国人元戦犯の闘い 韓国人元BC級戦犯 李鶴来さん (『朝日新聞』2017-08-18)

『朝日新聞』2017-08-18

戦争を語る【3】
韓国人元戦犯の闘い
韓国人元BC級戦犯 李鶴来さん

日本人として動員
捕虜監視の軍属に
苦しんだ死刑判決

 この夏も、国会を、市民集会を、90歳を超えた男性が歩いている。
第2次大戦中の日本軍軍属で戦後、連合軍の裁判により捕虜虐待の罪で死刑判決を受けた元BC級戦犯、李鶴来(イハンネ)さん(92)だ。
いまも日本政府に謝罪と補償を求めてあきらめない。

 ー 映画「戦場にかける橋」で知られ、戦争中、タイ・ミャンマーを結ぶ泰緬鉄道の工事で、ヒントク捕虜収容所の監視員をしていましたね。過酷な労働で、捕虜5万5千人のうち1万人以上が死亡しました。

 「私は日本軍の軍属でした。下士官が足りず、朝鮮人6人で捕虜約500人を管理した時期もあります。私が世話役で、現場の鉄道隊からの要求を受け、出動を指示していました。人数が足りないと、『病人も出せ』と。密林での労働はきつく、食糧や医薬品も足りず、多くの捕虜が亡くなりました。日本軍の体制の問題ですが、身近な私たちが憎まれました。戦争が終わって、故郷に帰れると思っていた私は、B級戦犯としてタイで逮捕されたのです」

 《戦後、捕虜虐待などの「通例の戦争犯罪(B級)」、一般市民の虐殺など戦争行為以外の「人道に対する罪(C級)」に問われ、日本軍の軍人軍属5700人が横浜、シンガポール、マニラなどで裁かれた。900人以上が処刑されている。刑死者の数は、侵略戦争を開始した「平和に対する罪」で元首相らA級戦犯が裁かれた東京裁判の7人をはるかに上回る。また戦犯裁判には、戦勝国による「報復」という批判も根強い。》

 ー 取り調べも厳しかったそうですね。

 「私を管理将校とするなど起訴状に間違いも多く、釈放されましたが、香港で再び逮捕されました。食事は1日2食でトウモロコシの粉などを水に溶かしたものや、ビスケットだけ。暴行もありました。公判は2日間。判事も検事もオーストラリア人でした。私を告訴した9人の捕虜は帰国し、反対尋問もできませんでした。わずかな審理で、判決は『デス・バイ・ハンギング(絞首刑)』。頭の中が真っ白になりました」

 「死刑囚の監房に移され、いろんな人を見ました。『君たちまで道連れにして申し訳ない』と元中将は部下にわびていました。朝鮮人の友人は『そんなに悪い人間じゃなかったと伝えて』と言い残しました。最後に『皆さん、元気で』と言って連れ出されていく。我々は『元気でいけよ』と。そして、『がたん』という音。その後は、深い静寂でした」

 ー その生活が8ヵ月続いたのですね。

 「いつ自分の順番が来るのか、花壇の赤い花が咲くまで生きているだろうか。日本人なら無理にでも『日本のために死ぬ』と考えたでしょう。でも私は何のために、誰のために死ななければいけないのか。苦しかった。捕虜虐待などで戦犯にされた朝鮮人148人のうち23人が処刑されました」

 「その後、懲役20年に減刑されました。理由は、はっきりしません。釈放後の再逮捕という経過から、裁判所に『死刑は重すぎる』という判断があり、弁護士も減刑を働きかけてくれたようです」

     ■       ■

外国籍を理由に
援護なき不条理
謝罪求め続ける

 ー なぜ、捕虜監視員に応募したのですか。

 「戦争のはじめ、日本はマレー半島やフィリピンなどで大勝し、30万人もの捕虜を得たため、監視員が足りず、急きょ朝鮮で3千人、台湾でも募集しました。農家に生まれた私は面事務所(村役場)から『受験しろ』と言われました。2年の約束で給料も出すと言われ、徴兵や徴用よりまし、と考えたのです。17歳でした」

 「2ヵ月の教育は軍事訓練ばかり。銃の使い方、行進、毎日のビンタ……。命令は絶対服従です。靴までなめさせられた。『生キテ虜囚ノ辱メヲ受ケズ』という戦陣訓を暗唱させられましたが、捕虜の人道的扱いを定めたジュネーブ条約は教えられませんでした」

 「監視した捕虜は体の大きな西洋人です。ビンタ教育を受けた私は、たしかにビンタもしました。でもビンタが死刑に値しますか」

 ー 1951年8月、東京の巣鴨プリズンに移されました。

 「横浜港には、日本人戦犯の家族が出迎えに来ていた。私にとっては初めての日本。翌年、サンフランシスコ講和条約発効で日本が独立すると、外出も出来るようになった。中で数学や英語を勉強し、車の運転免許も取りました」

 「日本社会は戦犯に同情的でした。歌手の美空ひばり、プロ野球の川上哲治らが慰問に来ました。朝鮮人の所には誰も来ませんでしたが、ある耳鼻咽喉科医が私たちの存在を知り、交流が始まりました。釈放後の生活のため、タクシー会社を起こした時は、資本金200万円を出してくれました。そんな日本人もいたのです」

 ー 講和条約と同時に朝鮮、台湾人は日本国籍を失いました。

 「条約には『日本は、日本で拘禁されている日本国民に刑を執行する』とあります。それなら、なぜ私たちは拘禁され続けるのか。台湾人と一緒に提訴しました。けれども、いきなり最高裁が『刑確定時は日本人だった』などとして棄却。私の出所は56年でした」

 「日本政府は旧軍人軍属や遺族に対し、援護や恩給支給を始めました。戦犯にも適用した。でも外国籍の私たちは対象外でした。日本に身よりもなくどうやって生活するのか。ある友人は出所を拒否し、2人が出所直後に自殺しました。55年4月、約70人で『韓国出身元戦犯者同進会』を結成し、補償を求める運動を始めました」

 ー 日本政府は65年の日韓協定で対日請求権は消滅し、この問題も解決済み、という立場です。

 「私たちは日本人として動員され、罪に問われ、死刑や長期刑を科されました。精神病を発症して、亡くなった友人もいる。一方で刑死者は靖国神社に合祀され、取り下げはだめだという。ある時は日本人、ある時は違う。あまりに不条理です」

 「ただ、当初は政府も高圧的ではなかった。首相官邸前に座り込んでも排除しませんでした。さすがに『ひどい目に遭わせた』という負い目があったのか。鳩山一郎首相は直接、話を聞いてくれ、政府の窓口も決め、『善処する』と約束しました。生活支援の財団が作られ、旧朝鮮総督府の元幹部が会長になりました。保守系を含め理解者がいました」

     ■      ■

 ー 近年、韓国での運動が活発です。

 「韓国では『親日派』扱いで、声を上げにくかった。私たちも祖国の復興に貢献できず、負い目がありました。でも2005年、日韓協定交渉の外交文書が公開され、『戦犯問題は別途協議する』とされていたことが分かった。『解決済み』ではなかったんです。韓国政府も06年、『強制動員の被害者』に認定し、名誉回復してくれました。感謝していますが、さらなる日本政府への働きかけを求め、14年に韓国の憲法裁判所に訴えています。遺族も韓国で『同進会』を結成しました」

 ー 日本でもようやく議論が本格化しつつあります。

 「日本政府を相手に91年、補償と謝罪を求め、提訴しました。敗訴でしたが、最高裁も判決で『深刻な被害』を認め、立法府に問題解決を促してくれたんです。民主党(当時)が動き、08年に関連法案を国会提案。いま再び、超党派国会議員連盟が法案を作り、次の国会での成立をめざしています」

 《朝鮮半島や台湾出身の元BC級戦犯計321人に対して「人道的精神に基づき」、1人260万円を支給する法案。必要額は2億5千万円。あの戦争の処理はいまも尾を引き、日本のあり方を問うている。先の国会でも、提案に至らなかったが、民間の空襲被害者の救済立法も検討された。》

     ■      ■

 ー ご自身も加害者、として発言されています。

 「91年、オーストラリアで開かれた泰緬鉄道をめぐる元捕虜、研究者らのセミナーに参加しました。そこで『加害者側の一員として、心からおわびしたい』と言いました。直前まで参加を迷っていた。元捕虜の告訴で友人たちは処刑され、私も死刑判決を受けたのです。ただ、ひどい目にあった元捕虜からみれば、私も加害者の側だろう、そう考えたのです」

 「にらみつける元捕虜もいましたが、握手もできました。その一人が外科医で作家のエドワード・ダンロップさんです。彼は収容所時代の日記を戦後、発表し、私を『トカゲ』と呼び、『本当に心の小さいやつだ』と書いています。でも私が死刑判決を受け、戦後帰国できなかったことは知らなかった。『自分にできることはないか』と伝えてくれ、感動しました。再会の時、私が『ノー・モア・ヒントク、ノー・モア・ウォー』と刻んだ時計を贈ったら、彼から、許す、と手書きした著書をもらいました。勇気をもってオーストラリアに行き、謝罪してよかった。2年後、彼が亡くなるまでやり取りした手紙に、あの時計のことがいつも書いてありました」
                     (聞き手 編集委員・伊藤智章)





2017年8月20日日曜日

(YouTube)NHKスペシャル 170815 2017年8月15日 「全記録 インパール作戦」


NHKスペシャル 170815 2017年8月15日 「全記録 インパール作戦」
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(YouTube)Nスペ「樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇」(8/14)。降伏後に5千人も死んだ樺太戦。終戦翌日、降伏を受け入れたはずの日本側が先制攻撃。武装解除を進めていた樺太師団には「樺太を死守せよ」と命令が下っていた。...しかし師団には戦力も援軍も無い。その命令によって住民たちは戦火へと追い込まれていった。....

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「海軍反省会」の証言 特攻作戦の真相 (日テレ 深層NEWS) 動画40分 ; 殆ど拒否できない命令、選択肢のない選択(命令)。遺書は「公的」遺書なので.....。組織としても「命令」はできない、「志願」しかありえない。他に、大西滝次郎の発案ではなかった?などの内容。

(YouTube)NHKスペシャル「戦後ゼロ年 東京ブラックホール 1945-1946」2017年8月20日

(Dailymotion)狂気の戦場、ペリリュー





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「海軍反省会」の証言 特攻作戦の真相 (日テレ 深層NEWS) 動画40分 (YouTube) ; 殆ど拒否できない命令、選択肢のない選択(命令)。遺書は「公的」遺書なので.....。組織としても「命令」はできない、「志願」しかありえない。他に、大西滝次郎の発案ではなかった?などの内容。 / 部分文字起こし - さつきのブログ「科学と認識」     


「海軍反省会」の証言 特攻作戦の真相|ニュース 動画 News24h
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 戦後35年たって始まった「海軍反省会」の証言。元将校が赤裸々に告白した11年間131回に上る「反省会」の音声テープから、特攻作戦に関する議論の部分を公開。

 「人の命は消耗品だという考えがあった」…特攻を認めた異様な空気。特攻は本当に志願だったのか。貴重な音声証言から検証します。

 ※BS日テレ「深層NEWS」8月18日放送分より。詳しくは動画でご覧ください。









「かなふはよし、かないたがるはあしゝ」 千利休 (鷲田清一『朝日新聞』折々のことば2017-08-13)

かなふはよし、かないたがるはあしゝ
千利休

 客と亭主は茶会にどのような心持ちで臨めばよいかと問われ、利休はこう答えたという。
茶の湯の心に通じた者同士ならよいが、未熟な人たちが向きあう場合、互いに心をうかがい迎合しようとするので、ともに道を間違うと。
相手の心に叶おうとするのは諂(へつら)いにほかならず、この「無理」が趣向をつくりものにする。
茶道研究家・筒井鉱一の『利休聞き書き「南方録 覚書」』から。

(鷲田清一『朝日新聞』折々のことば2017-08-13)

JR四国 路線維持「近く困難に」 自治体に支援要請へ(毎日新聞); 発足当初から年間100億円前後の赤字が続き、2016年度は120億円に達した。全9路線のうち瀬戸大橋線以外は赤字で、国が設けた経営安定基金の運用益で赤字を穴埋めしているのが実情.....




米白人至上主義者たちの間で、自分の「白人性」を証明する為のDNA検査が流行っているが、彼らが自分の検査結果を投稿し議論している白人至上主義フォーラムを解析した所、「完全に真っ白」と証明され喜んでるのは3割、残りは自らの結果に困惑。 / 有名な白人至上主義者の一人は、TV企画のDNA検査で14%アフリカ系黒人と判明。





特別秘書給与の情報公開求め提訴(NHK) ; 小池知事が任命した2人の特別秘書の給与について 都が情報を開示しないのは不当だとして フリージャーナリストが情報公開を求める訴えを起こした 野田数氏と宮地美陽子氏の2人 大阪市や横浜市などでは市長の「特別秘書」の給与額は公開されている


「加計隠し」浅知恵が続々と発覚。今、問われてるのは総理の人間性 (新恭(あらたきょう)MAG2NEWS)







「20代目の節目なのに」高校生平和大使の演説見送り、長崎から驚きと落胆の声(西日本新聞) ; スイスのジュネーブ軍縮会議で高校生平和大使による演説... / 高校生平和大使演説見送り 核禁止条約への言及懸念か(沖縄タイムス) / 《平和大使たちは核兵器禁止条約への共感を示しており、関係者は「日本政府が署名しないと明言する条約について演説で言及されることを懸念したのではないか」と指摘した》 / 高校生平和大使の核廃絶演説中止の背後に安倍腹心の軍縮大使…集団的自衛権にも暗躍した防衛官僚が軍縮会議の代表者に(リテラ)        





▼安倍腹心の防衛官僚が軍縮大使!








2017年8月19日土曜日

(YouTube)諏訪内晶子 メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲


諏訪内晶子 メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲



お昼は小石川のうなぎの「わたべ(和田邊)」 3時は白山の「フランス菓子エリティエ」 2017-08-18

8月18日
東京で一人暮らしを始める次男の引っ越し準備の応援。
でもその前に腹ごしらえ。
小石川のうなぎの「わたべ(和田邊)」。
うまい!
ビールを飲んだので、量的には十分だし「上(150g)」にしたけど、近くにいた常連さんらしきお爺ちゃんは「特上」、後から来た若いサラリーマンも「特上」をオーダーしてた。
今度はゼッタイ「特上」だね。
良く調べずに入ったけど、食べログ3.5以上なので評判いいお店みたい。

Satoshi Tsukadaさん(@satoshi5089)がシェアした投稿 -

▼で、午後3時前、外出したついでにカフェに入ろうとして、
イメージとはズレるけれど近くのケーキ屋さんへ。
ところが、このお店がまたまた評判のいいお店だったみたい。
白山のフランス菓子エリティエさん。
後で調べたら食べログ3.5以上。

引っ越し準備の応援をしたかどうかは大いに疑問だけど、
個人的には大満足であった。
また行こう。
Satoshi Tsukadaさん(@satoshi5089)がシェアした投稿 -




非正規教員、給料に上限…38都県で内規設け(読売新聞);「正規と変わらない責任を負いながら、今後も給料は上がらない。低収入のため自分の子どもは就学援助を受けている」(教員歴10年の40歳代の臨時的教員)





2017年8月18日金曜日

(動画)米4大トーク番組の人気司会者たちがシャーロッツビルの事件に触れ、それぞれユーモアを交えながら、しかし真剣に差別に対する考えを述べました。日本のワイドショーでは見られない光景。


「建築費水増し疑惑も浮上 加計学園獣医学部はやっぱりおかしい」(サンデー毎日9/3号) / 安倍政権さらに窮地 加計学園の獣医学部新設「設計関連文書」全文を入手(AERA.dot);「隔離性が低く、危害性の高い病原微生物等を取り扱う教育、研究、病性鑑定には不向き。これでは高病原性鳥インフルエンザの検査、診断、実験、研究は難しいと思う」 「坪単価で80万円から、高くとも100万円でしょうね。とても150万円するとは思えない」 / なんと最上階に宴会場!? 「ワインセラー」「ビールディスペンサー」を設置 膨らんだ建設費の一部が宴会場のためだとすると、.....(日刊ゲンダイ)   


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(略)

 開校予定地、愛媛県今治市議会は、加計学園に対し、最大96億円(愛媛県負担分も含む)の補助金拠出をたった1日の審議で可決(3月31日)。その巨額補助金の積算根拠の一つが、この文書だったわけだが、これまでその存在は一切、表に出てこなかった。今治市で加計学園問題を追及している「今治加計獣医学部問題を考える会」の黒川敦彦共同代表はこう話す。

「これまで補助金積算の根拠となるものを今治市は情報公開でも明かさず、拒んできた。それがはっきりすれば、市議会のデタラメな議決、水面下でくすぶっていた加計学園の不透明な補助金請求が白日の下にさらされます」 

(略)

 本誌が入手した文書の11ページにバイオセーフティーレベル3の研究施設が記されている。だが、それを見た研究者はこう指摘する。

「隔離性が低く、危害性の高い病原微生物等を取り扱う教育、研究、病性鑑定には不向き。これでは高病原性鳥インフルエンザの検査、診断、実験、研究は難しいと思う。施設全体でみても、動物実験を理解していない人が設計しているんじゃないか」

 前出の文科省関係者はこう指摘する。

「目玉であるはずの、バイオセーフティーレベル3の施設の内容がはっきりしないのです。それもあって認可が保留となっている」

 さらにバイオセーフティーレベル3の施設の内容いかんによっては、建築費用が大きく変動するという。加計学園は、建築坪数9857坪、その建築費192億円と見積もっている。逆算すると建築費の坪単価は150万円だ。

 建築費のうち半額の96億円の補助金を今治市と愛媛県から得ることになっている。だが、設計図を見た建築エコノミスト、森山高至さんはこう指摘する。

「獣医学部なので特殊な建物かと思っていたら、ごく普通の商業施設と同じレベル。なんらかの獣医学部の施設がプラスされるのでしょうが、

 こうした専門家の指摘を鑑みると、加計学園が、見積もり価格を大幅にアップさせ、補助金を請求したのではないかという疑惑が浮上する。

(略)








(画像)高見沢俊彦 63歳 京本政樹 58歳 小室哲哉 58歳 磯野波平 54歳 波平が一番年下!!! → 続きもあるのか アナゴさん編



2017年8月17日木曜日

(YouTube)Abba - Dancing Queen


Abba - Dancing Queen




ドイツの終戦記念日近辺のドキュメンタリー番組で印象的だったのは、数年前に見た「ナチス武装親衛隊内でのイジメ自殺問題」追及特集です。いわゆる戦争犯罪的な「対外的な悪」を抜きにしても精神的に救いのない組織構造性が浮き彫りにされていた点が、むしろインパクト大でした。まさにダークサイド。

「過去を忘れるのが早すぎないでしょうか」「とにかく戦争しないで七十数年やってきました。一体これの何が不都合なのでしょうか」「日本の理想はまだ実現されていません」。15日朝刊、なかにし礼さんのインタビューです。— 東京新聞編集局

安倍首相らの資産公開報告書は「破棄した」 官僚の隠蔽体質変わらず(週刊金曜日) → で、探したら出てきた → 開示された資産報告によれば、安倍晋三首相は森永製菓の株...12年の首相就任時と比べて6倍に値上がりしており、約5000万円の含み益が生じた計算... ← この政権のやること、アヤシゲでイヤらしい     





トランプ大統領「一方に悪い人間がいたが、もう片方には非常に暴力的な集団もいた」と、差別主義者擁護ともとれる発言 / それを言った瞬間に記者会見場が騒然と / トランプ大統領から遠ざかる経済界 / スポーツ界も非難 / 陸海空海兵隊の制服組トップがそろって人種差別や過激主義に対する批判の声を上げた / 米コメディアンは一斉に番組を変更して批判 / 米国のテレビに「怒りのコメディ」というジャンルをもたらしている / 南軍象徴、米で撤去の動き加速 / 第41代大統領のH.W.ブッシュと43代のW.ブッシュの連名の声明 / オバマ氏に「いいね」最多の380万件超    






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お盆の家族集合第二弾は”ソト呑み” 山下公園前の和食の隋縁亭 ベイクォーターのキリンシティで二次会 2017-08-16

8月16日、雨。
お盆の家族集合第二弾は”ソト呑み”。
例年、お盆は京都で過ごしているが、今年(から)は、横浜でのお盆。
まだ過ごし方は定着してないけれど、
ま、取り敢えず、京都でのお盆の様に呑み会やろうや、みたいな感じかな。

場所は、以前に一度行ったことがある、山下公園前のホテルモントレにある和食の隋縁亭。
静かなお店でちびちびと冷酒を戴いたら、昼間なのにエンジンがかかってきて、
シーバスで山下公園~横浜に移動した後、
ベイクォーターのキリンシティで二次会挙行。
楽しい楽しい雨のお盆休みだった。

尚、下の写真は、愛用カメラが故障して修理屋さんに入院中なので、そのカメラの前に使っていたコンデジを復活使用したもの。

▼氷川丸とカモメ

▼隋縁亭
なお、お店を出たところで中日ドラゴンズの選手の集団と遭遇。
どうやらホテルのボールルームで昼食を摂っていた模様。宿泊もしているのかも。
次男は岩瀬選手を識別したようだ(残念、この日のナイターで敗戦投手になっていた)。
ホテル前には少しの出待ちファンもいた。







▼シーバス
雨なので景色は全くダメ。
大桟橋に係留中の飛鳥Ⅱ

▼キリンシティ横浜ベイクォータで二次会
ビール3杯戴いたらもうお腹ぱんぱん。
当然、晩ご飯は抜き。
お風呂入って、夜9時には寝てしまった。






「在日外国人の問題は対岸の火事」平然と差別発言を垂れ流した芥川賞選考委員の文学性(武田砂鉄/論男時評); ...今回会見した高樹のぶ子委員が「大変な対立、ほとんどケンカ状態で。かなり長く選考委員をやっていますが、本当に疲れ切って……」(FNNニュース)と発言していたこともあり、どのような議論が巻き起こったのか、...



 ・・・今回会見した高樹のぶ子委員が「大変な対立、ほとんどケンカ状態で。かなり長く選考委員をやっていますが、本当に疲れ切って……」(FNNニュース)と発言していたこともあり、どのような議論が巻き起こったのか、「文藝春秋」誌に掲載される芥川賞選評を待ち構えていた。

 結果、一人の選考委員の、議論以前の選評を読んでうなだれることになった。宮本輝選考委員による、候補作の一つ、温又柔「真ん中の子どもたち」に対する選評である。台湾・台北に生まれ、3歳の頃から日本で過ごし、台湾語混じりの中国語を話す親のもとで育った著者が記した、言語の越境を問う小説。宮本は選評にこのように書いた。

 (略)



2017年8月16日水曜日

(Dailymotion)狂気の戦場、ペリリュー

【昭恵隠し、日報隠しのため 職員の海外出向発令(栄転とか)】昭恵夫人付の職員、イタリア大使館に異例の異動になっていた / 《谷氏以外に、海外に出向したキーパーソンとして挙げられるのが、防衛省の前統合幕僚監部参事官付国外運用班長の小川修子氏だ。小川氏は、南スーダンPKOの日報隠蔽問題で実務レベルの責任者だったが、現在、在中国大使館の1等書記官を務めている》


















2017年8月15日火曜日

(YouTube)フジ子・ヘミング~ラ・カンパネラ(2015)


フジ子・ヘミング~ラ・カンパネラ(2015)




「侵略忘れられない」マレーシアで太平洋戦争の追悼式典(朝日新聞); 「戦争を知る世代がどんどん減っているのが心配だ」。歴史を伝え続けるため、来年クアラルンプールに新しい記念碑を建設する予定だという。

日本軍の記述がすごい ~ シンガポール建国の父 リー・クアンユー元首相の回顧録 - NAVER まとめ / 「シンガポールの父」リー・クワン・ユー氏の自伝読んだら、当時の日本軍の彼の地での極悪非道ぶりがしっかり書かれていた。氏は、日本統治下にあったシンガポールでの実体験で、「残虐さは日本軍の持ち味」だと感じ、日本兵のビヘイビアを観察し続け、後々、氏の政治哲学に役立てた、と書いた。




戦没者追悼式で天皇陛下が「お言葉」 退出前、記者が見た異変(JCAST) ; 「天皇陛下は立ち上がった直後に客席に目をやった後、式壇を向いて両手を前に組んだ状態で、そのまま20秒以上動かない状態が続いた。...」


(略)

3年連続で「深い反省」に言及

天皇陛下は「お言葉」の中で

「ここに過去を顧み、深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」

と述べ、3年連続で「深い反省」に言及した。一方、天皇陛下に先立って式辞を述べた安倍晋三首相は、「戦争の惨禍を2度と繰り返してはならない」などと不戦の誓いを強調したものの、周辺諸国への加害責任には5年連続で言及しなかった。

例年の式典では、遺族代表による「追悼の辞」が終わり次第、厚労相が両陛下の席の前に進み一礼。それを合図に両陛下が立ち上がって式壇(ステージ)を向いて一礼し、退出する。

17年の式典では、天皇陛下は立ち上がった直後に客席に目をやった後、式壇を向いて両手を前に組んだ状態で、そのまま20秒以上動かない状態が続いた。式壇から見て天皇陛下の後方にいた皇后さまは、天皇陛下の横に進み出て何かを話しかけた。この直後、天皇陛下は式壇に一礼し、式場を退出した。退出後、記者席では、この異変に関してなのか、小声でささやき合う様子も見られた。

(略)












トランプ氏、白人至上主義団体を名指しで非難 / 記者に配られる事前の予定にはなく、...予告もないまま、突然ディプロマティックルームに連れて行かれた...。...正面のテレプロンプターを凝視し、用意された原稿を一字一句読むもので、トランプ氏の演説としてはかなり異例...