2016年12月31日土曜日

(動画) 【貴船神社の冬】 テーマ曲「 時雫(ときしずく)」

いよいよ2016年もあと少し 一年の最後くらいは美しきものを (ツイッター写真) 10 Colorized Photos of Audrey Hepburn — Old Pics Archive




【美術館で初笑い】太田記念美術館で2017年1月開催「お笑い江戸名所~歌川広景の全貌」展(1月5日~29日) / 蕎麦を運ぶ時には気をつけて / こんなに伸びるお餅ですと、のどに詰まらせてしまいそうです




12月31日 自宅近くの梅の花 一段とたくさんの花をつけて 2016-12-31

12月31日
自宅近くの梅の花が一段とたくさんの花をつけていた。




まさに腐敗政治「橋下・大阪維新の会」不祥事リスト - NAVER まとめ ; あまりにも多すぎるためリストをまとめてみました。臨時追加中。 更新日: 2016年12月25日

アベノミクス指南役とされる浜田宏一(内閣官房参与)の談話記事。失敗の要因を金融政策とはチグハグな消費税率アップ、と断している。 「日銀は市場を相手にリンゴとミカンの交換をしているつもりだったが、(増税で)ひたすらリンゴとリンゴを交換しているだけになっている」(文藝春秋)  / 『週刊エコノミスト』編集部が日銀の岩田規久男副総裁の責任を問うていますが、当然こういう話になってくるわけです。 





正視に耐えない残酷な現実 「男性の年収と未婚率」 (舞田敏彦 プレジデント) ; アラフォーの3人に1人が未婚 年収200万未満ワーキング・プア層の未婚率は6割 希望と現実はかなり隔たっている 女が男に「高い年収」を期待せざるを得ない理由

社説:5年目の安倍政権 アベノミクス 的は外れツケが増えた - 毎日新聞 ; 「アベノミクス最大の罪は、重要な課題を先送りし、将来世代に回すツケを一段と膨らませたことだ。異次元緩和に出口は見えない。」


 (略)

 第一の矢、つまり日銀による異次元緩和が的を外したのは明白だ。物価上昇率は9カ月連続でマイナスで、「2年程度で物価上昇率2%」はかすりもしなかった。第二の矢、財政政策はどうか。毎年のように何兆円という経済対策が打ち出されたが、効果は持続していない。法律に盛り込まれた消費増税を、経済状況を理由に2度も延期しなければならなかった事実は、好循環が起きていない証しに他ならない。

 安倍首相は、有効求人倍率の上昇や雇用の増加を成果として強調する。景気対策による面も一部はあるだろうが、数字の改善=雇用の改善とは限らない。高齢化に伴う介護要員の需要増や建設・運輸業界の人手不足が有効求人倍率を押し上げている。高齢者が非正規社員として再雇用され雇用の総数を膨らませている面もある。経済構造の変化が高賃金の雇用を生み、人々が希望の職を得るという望ましい姿はまだ遠い

 アベノミクス最大の罪は、重要な課題を先送りし、将来世代に回すツケを一段と膨らませたことだ。異次元緩和に出口は見えない。2017年度末の国と地方を合わせた長期債務は1094兆円となる見込みで、12年度末から約160兆円増える

 アベノミクスの理論的支柱とされた経済学者の浜田宏一・内閣官房参与は文芸春秋1月号で、かつて日銀の金融緩和だけで経済が立ち直ると考えたがそうならなかったと誤算を認めた。そのうえで、原因を財政政策の踏み込み不足とし、もっと強力な財政のテコ入れと金融緩和を組み合わせる必要があると説いている。

 (略)


2016年12月30日金曜日

Beyoncé's Year of Peace and Misunderstanding (The Atlantic) ; From “Formation” onwards, the singer tried to build bridges while celebrating her identity—and revealed just how divided the country is. / 《NY教育委員会、人種差別発言委員に辞職勧告》ロイター ; 〈パラディーノ氏は週刊紙アンケートに「オバマ氏は牛と関係を持ったことで狂牛病にかかるよう望む」、ミシェル夫人は「男に戻って、ジンバブエの奥地でゴリラとのんびり暮らしてほしい」〉   



プロ野球選手を辞め、第二の人生を踏み出す。元オリックスの原拓也氏「保育園、もしくは保育所をつくれないかと思ってます。待機児童は深刻ですから」【ニッカン】 / 〈ネットの匿名ブログに「保育園落ちた日本死ね」と掲載されてから、大きな社会問題となった。原氏も「自分で何かできないか」と考えていたという〉 オリックス原拓也、待機児童解消へ保育園作りに挑戦(日刊スポーツ)



(ネコ動画) 🍒🍒Cherry???🍒🍒 🐈Is this a good thing ???🍒🍒😺

石田純一は志を捨てていなかった!『バイキング』特番で東国原相手に言論規制と集団的自衛権を真っ向批判(リテラ) / (動画) 「今後一切、政治に関する発言はできなくなりました」後 ちょっと復活「例えば集団的自権権とか、原発の再稼働とか反対している人のほうが多いじゃないですか そういう意見を汲み上げたい。そう思っていた」


 (略)

この日、「夫から何の相談もなかった」と証言する妻の東尾理子と一緒に登場した石田。いつものように妻から責められ、ひたすら苦笑い。司会の坂上も石田に「いい年こいてなにやってるの?」と責めたてるなど、番組全体が“政治家になるとか血迷った石田をイジってやろう”というムードに包まれていた。ところが、坂上が呆れたように「なんで政治家になろうと思ったんですか〜?」と質問すると、石田は一瞬躊躇した後、しかし毅然とした表情でこう切り出した。

「政治の話になってしまうんですけど。例えば集団的自権権とか、原発の再稼働とか、反対している人のほうが多いじゃないですか。そういう意見を汲み上げたい。自分がそう思っていたんです」

 なぜ出馬したのか、自らの主張を語る石田。そんな石田にさらに火をつけたのが、出演者の東国原英夫だった。それまで石田の様子をバカにしたように聞いていた東国原は、石田のその言葉を聞いて「政治行政を愚弄し、ナメている」「選挙は最低でも3年の準備が必要で、それもしていない」と批判。だが、石田はその言葉を遮って、自らの思いをこう語り出した。

「(政治を)愚弄などしていません。腹が立つのは大いに結構で、私も騒がせただけで、恥じ入るところは多い。けれども、たとえば自分たちはメディアの側から、何かを言っていくのが本業だと思っています。日本が非常に怖いのは、戦前に近いような、自主規制や自粛も含めて自由に物が言えなくなってくる時代だとすごく感じるんです。きな臭さを感じるんです

 自主規制が進み、言論が抑圧されていることへの危機感を感じないのか、とまさに本質をつくような切り返しをしたのだ。さらに、石田は、東国原に対してこんな質問を投げかけた。

「ひとつだけうかがっていいですか。集団的自衛権についてどうお考えですか」

 この質問は石田がいまも、安倍政権に強い危機感を抱いていることの証明だろう。

 (略)

2016年の年間CD売上ランキングがさすがヤバいだろと話題に (temita) ; 1位~20位までプロデューサで区分した驚きの結果 (驚きよりもシラケ) / AKB「総選挙」バケの皮はがれる 紅白投票で分かった「本当の人気」 / SMAP解散で岐路に立つジャニーズ、その姿は戦後日本そのものだ!



▼関連


大雪で足止めされた新千歳空港で中国人が騒ぎを起こした(その背景) ; 中国人の怒りの原因はほかに?新千歳空港の騒動の当事者が真相を激白 ; 3日空港で足止め、ホテルも用意されず食料をコンビニで凌ぎ、所持金も少なくなったところに、天候回復したら、当日便優先で足止め客は後回し、目の前で目的地行の便がスタートした。 というのが、例の新千歳空港の中国人の騒ぎの背景だという / なぜ中国人が騒いだか。(いすみ鉄道 社長ブログ) ; そういう状況を目の当たりにしたら、そりゃあ私だって暴れますよ  



 (略)

国際線の待合室というのは日本を出国後ということですから、お客様は自由に出入りできない状態です。

そういう所に前の晩から閉じ込められたまま、十分なケアもされていない中で、騒いだのが夜8時過ぎということのようですが、2晩目を同じ場所で迎えようとしているわけで、その人たちの目の前を、24日の同じ便が、23日のお客ではなくて、24日のお客を乗せて出発していく。そういう状況を目の当たりにしたら、そりゃあ私だって暴れますよ。

少なくとも、入管や税関はどういう取り扱いをしたのか。航空会社はどういう取り扱いをしたのか。元業界人としてはとても気になるのですが、最初のTBSのニュースを見る限りは何も記されていません。

 (略)



日本の為政者に「独立国」としての誇りはあるのか? プーチンが突きつけた問い(白井聡 現代ビジネス) ; 惨めで哀れな民主主義 なに一つ日本のためになってない プーチンは何を言ったのか これではただの「ガキの使い」


 (略)

このことは、プーチン大統領の訪日直前の「読売新聞」と日本テレビによるインタビューでの発言が裏書きしている。

プーチン氏の次のような言葉は、国家元首の発言として相当に踏み込んだものであることには、注目されねばならない。

「日本が(米国との)同盟で負う義務の枠内で、露日の合意がどれぐらい実現できるのか見極めなければならない。日本はどの程度、独自に物事を決められるのか。我々は何を期待できるのか。最終的にどのような結果にたどり着けるのか」

「日本には同盟関係上の何らかの義務がある。我々はそのことを尊重するのはやぶさかではないが、我々は日本がどのくらい自由で、日本がどこまで踏み出す用意があるのか理解しなければならない。

日本がどこまで踏み出すかを明らかにすることが必要だ。これは二義的な問題ではない。平和条約署名という最終合意のために、何を両国間の基礎とするかによって、結果は違ってくる。これが、現在の露日関係と露中関係の違いだ」

あからさまに言えば、これは「一体あなた方に独自の意思というものはあるのか? 現に独立国でなく独立国たろうという意思すらも持たない国とは、真面目な交渉はできない」というメッセージであり、さらには「中国は独立国だが、日本はそうではない」とも示唆しているわけである。

 (略)

2016年12月29日木曜日

2016年 美術館巡りのまとめ

年末恒例、各分野の2016年回顧が発表されている。
美術(展)の分野での美術評論家3氏による「私の3点」が『朝日新聞』では12月20日付け夕刊に掲載されていた。
3氏3点計9点のうち、私の行ったのは5点だった。

この際にと、今年の美術館巡りの纏めをやってみた。
日数にして25日をこれに充てていたんだ。

鈴木其一、大原美術館展、などグズグズしている間に、行く機会を失したものもあった。

常設展示は更新がかかるたびに出かけるようにしたいものだ。
(国立博物館、近代美術館、西洋美術館、横浜美術館など)

右欄→
■MY BLOG LISTにある「弐代目・青い日記帳」さんの 
2016.12.29 Thursday
かみさんが選ぶ「2016年 展覧会ベスト10」
は参考になる。



『朝日新聞』2016-12-20

『日曜美術館40周年特集「ゆく美 くる美」』2017-01-01
「2016年の美術展・観客動員数ランキング」

5位 カラヴァッジョ展(国立西洋美術館)
4位 若冲展(東京都美術館)
3位 始皇帝と大兵馬俑展(東京国立博物館)
2位 恐竜博(東京・北九州・大阪(大阪は2017年1月9日まで)
1位 ルノワール展(国立新美術館)

【2016年美術館巡りのまとめ】

1月19日
東京国立近代美術館 MOMATコレクション(2015年12月22日~2016年2月28日) 藤田嗣治「五人の裸婦」 安井曽太郎「金蓉」 中村彝(つね)「エロシェンコ氏の像」 岸田劉生「麗子肖像(麗子五歳之像)」 萬鉄五郎「裸体美人」 岸田劉生「道路と土手と塀(切通之写生)」 朝倉文夫「墓守」 望月晴朗「同士山忠の思い出」など ほか

2月2日
東京 森美術館 村上隆の五百羅漢図展に行ってきた 面白い デカイ 飽きない 惹きつける 写真・SNS自由というのも嬉しい 2016-02-02

2月19日
横浜美術館の「村上隆スーパーフラット・コレクション」展に行ってきた 面白さと楽しさと 2016-02-19 / 「想定外のビジョンに脱帽」(山下裕二 「朝日新聞」)

横浜美術館 コレクション展(常設展)2015年度第3期(11月3日~2016年4月3日) 「神話とヌード」 (補遺) モロー《岩の上の女神》 ピカソ《夜、少女に導かれる盲目のミノタウロス》 守屋多々志《愛縛清浄》 小倉遊亀《良夜》 など など

3月3日
東京 上野、東京都美術館で開催中のボッティチェリ展に行った 「書物の聖母」は評判どおりよかったですよ 2016-03-03 / 美人が横顔なのは (『朝日新聞』美の履歴書 「美しきシモネッタの肖像」サンドロ・ボッティチェリ)

4月15日
上野 国立西洋美術館 カラヴァッジョ展に行ってきた 2016-04-15

ギュスターヴ・モロー(1826-98) 『牢獄のサロメ』(1873-76頃) 『ピエタ』(1876頃) 国立西洋美術館常設展 2016-04-15 ほか

4月26日
上野、東京国立博物館の『生誕150年 黒田清輝-日本近代絵画の巨匠』に行った 圧巻の『智・感・情』(重文) 2016-04-26

東京 東京国立博物館 新緑が鮮やか 黒田清輝展のあとは本館へ 今年国宝に指定された洛中洛外図屏風(舟木本)展示中 長谷川久蔵『大原御幸図屏風』 上村松園『焔』(大正7年) 2016-04-26 ほか

5月1日
横浜美術館 『複製技術と美術家たち - ピカソからウォーホルまで』に行った 2016-05-01 ピカソ『貧しい食卓』

松井冬子(1974年生まれ) 『世界中の子と友だちになれる』(2002) 横浜美術館2016年第1期コレクション展 2016-05-01 ほか

5月12日
小倉遊亀(1895-2000) 『浴女 その一』(1938昭和13年) 『浴女 その二』(1939昭和14年) (国立近代美術館常設展示MOMATコレクション) 2016-05-12 ほか

6月3日
東京 東京国立近代美術館 『奈良美智がえらぶMOMATコレクション 近代風景~人と景色、そのままに~』展 期待に違わずワクワク空間だった 2016-06-03 ほか


6月24日
東京 六本木 新国立美術館で開催中のルノワール展に行ってきた 2016-06-24 / 幸せの色彩 ルノワールの意志 戦争や病 苦しみながらも (『朝日新聞』)

6月30日
東京 上野 東京国立博物館  『ほほえみの御仏(みほとけ) -二つの半跏思惟像-』展 に行ってきた。 2016-06-30 / 日韓の国宝が対面 半跏思惟像 東京国立博物館で (『朝日新聞』)

東京 上野 東京国立博物館 特別公開「新発見!天正遣欧少年使節 伊東マンショの肖像」展に行った 2016-06-30

7月6日
横浜美術館で開催中のメアリー・カサット展に行った 2016-07-06

7月28日
東京 国立公文書館企画展『ようこそ地獄 たのしい地獄』 河鍋暁斎『暁斎画談』(「春日権現験記」 閻魔王と遊女 閻魔王と浄玻璃鏡) 『春日権現験記』(パネル) 『道成寺絵詞(賢学草紙)』 2016-07-28

7月28日 皇居三の丸尚蔵館で公開されている『蒙古来襲絵詞』を見に行った(企画展『駒競べ』) ; 竹崎季長奮戦す(黙翁年表:文永11(1274)年10月)

8月4日
東京 根津美術館 「はじめての古美術鑑賞」 2016-08-04

8月25日
神奈川県立美術館(鎌倉別館)の『片岡球子展 面構シリーズを中心として』に行ってきた 2016-08-25

8月27日
京都 相国寺承天閣美術館 「伊藤若冲展」に行った 2016-08-17 『動植綵絵』30幅はコロタイプという複製 釈迦三尊像3幅 鹿苑寺(金閣寺のある)大書院の障壁画

9月28日
東京 上野の東京国立博物館で開催中の 特別展「平安の秘仏―滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」 に行ってきた 2016-09-28 重要文化財の平安彫刻20体が集結 十一面観音菩薩坐像は重文では日本最大(総高5m超) 「巨木で「一木造」のわけ」(『朝日新聞』2016-09-27)

仁清《色絵牡丹図水指》17世紀 東京国立博物館常設展示2016-09-28 ほか

9月21日
東京 表参道 太田記念美術館の『国芳ヒーローズ [水滸伝豪傑勢揃]』展に行った 通俗水滸伝をベースにした何でもありの国芳のエンターテイメント 面白い 2016-09-21

10月12日
鎌倉 神奈川県立美術館鎌倉別館で開催中の『松本峻介 創造の原点』に行った 2016-10-12 《立てる像》 《画家の像》 《建物》 《Y市の橋》 《橋(東京駅裏)》 《聖橋風景》 『国防国家と美術』と『生きてゐる画家』について(宇佐美承『池袋モンパルナス』より)

10月20日
東京 上野 国立西洋美術館で開催中の 「クラーナハ 五〇〇年後の誘惑」展に行ってきた。 2016-10-20 《ホロフェルネスの首を持つユディト》 《正義の寓意》 《不釣合いなカップル》 《子どもたちを祝福するキリスト》 《マルティン・ルターの肖像》 《泉のニンフ》 《アダムとイブ》 《ロトと娘たち》 レイラ・パズーキによる《正義の寓意》模写90点 / クラーナハ展 危険な香りに誘われて 冷たい視線、独特の裸体・・・新たな美作り出す (『朝日新聞』2016-10-13) / 《泉のニンフ》 透けたベールの意味は (『朝日新聞』2016-11-01美の履歴書)

東京 上野 世界遺産登録なった国立西洋美術館の内部を見てみる 2016-10-20

10月24日
東京 上野 上野の森美術館で開催中の『デトロイト美術館展』に行ってきた 2016-10-24 月・火曜は写真OKの日 ルノワール《白い服の道化師》 ルノワール《肘掛け椅子の女性》 ドガ《楽屋の踊り子たち》 ゴッホ《オワーズ川の岸辺、オーヴェルにて》

東京 日本橋高島屋で開催中(24日が会期期限)の『高島屋資料館所蔵 日本美術と高島屋』に行った 2016-10-24 北野恒富《婦人図》 奥田元宋《霧晴るる湖》 川端龍子《潮騒》 平山郁夫《ペルセポリス炎上》 東山魁夷《深山湧雲》 横山大観《蓬莱山》 竹内栖鳳《アレ夕立に》

11月17日
東京 根津美術館で開催中の『円山応挙 「写生」を超えて』に行った 国宝《雪松図屏風》 重文《藤花図屏風》 《牡丹孔雀図》 2016-11-17

12月8日
12月20日は岸田劉生の命日。 岸田劉生(1891-1929) 《児童肖像》 《村嬢於松立像》 《村嬢於松之坐像》 《ほろよい》 《自画像》1908 《自画像》1913 《自画像》1914 《古屋芳雄像》 《古屋君の肖像(草持てる男の肖像)》 《麗子尚蔵(麗子五歳之像)》 《麗子六歳之像》 (国立近代美術館MOMATコレクション2016-12-08) ほか

12月11日
東京 『北斎の帰還 幻の絵巻と名品コレクション』展を開催中のすみだ北斎美術館に行った 2016-12-09 《隅田川両岸景色図鑑》 《須佐之男命厄神退治之図》(復元) 《あづま与五郎 残雪 伊達与作せきの小万 夕照》 《賀奈川沖本楚之図》 《新板浮絵三芝居顔見世大入之図》 《百人一首乳母かゑとき 猿丸太夫》



稲田防衛相が靖国神社参拝、就任後初「未来志向に立ち」/「忘恩の徒にはなりたくない」/防衛大臣である稲田が一国民として/「防衛大臣 稲田朋美」と記帳/ゴルフを終えた安倍は「ノーコメント」と(←いつも無責任)/米、靖国参拝に強い不快感か 「稲田氏の参拝は米国側には、両首脳の真珠湾訪問に冷や水を浴びせる行為と映りかねない」/稲田防衛相が過去に「靖国は不戦を誓うところじゃない」「後に続くと靖国に誓え」と発言/真珠湾攻撃の犠牲者を慰霊した翌日、真珠湾攻撃を指示した東条英機を神と祀る神社に参拝する支離滅裂。オバマさんのメンツも丸つぶれだ/ 靖国参拝で崩れた、真珠湾追悼の「和解」バランス   



























▼参考(稲田朋美の過去の暴言のまとめ)





アメリカの美術館を特集 - ニューヨーク、ボストン、ロサンゼルスへ世界有数の所蔵品を観に行こう — Fashion Press

(ツイッター写真) 12月29日 今日はきれいな朝焼け・夕焼けだったらしい。 / 今朝の日の出前の朝焼け / 今日は夕焼けがきれいでしたね。tw写真は千葉県市川市の江戸川土手から撮影した東京スカイツリーと富士山をシルエットにした夕焼けです。川面も空の色に染まっていました。


2016年12月28日水曜日

(Youtube) 槇原敬之 『どんなときも』


槇原敬之 - どんなときも。
視聴回数 10,133,165 回

自宅近くの梅がもう開花 2016-12-28

12月28日
今日、気が付いたんだけど、自宅の近く、ご近所さんの庭の梅がもう花をつけていた。
やっぱり今年の冬は暖かいのかな。

京都の北野神社の梅、どうなんだろう。
京都は今日、雪がちらついたらしいし・・・。
今年のお正月は京都じゃないんで、ちょっと気になる。



今日のお昼は江の島で塩ラーメン 2016-12-28


12月28日快晴 稲村ケ崎からの富士山 江の島大橋からの富士山 片瀬西浜からの富士山とサーファーさん 2016-12-28

12月28日、はれ。
今月、三度目の稲村ケ崎でようやく富士山が愛想よくしてくれた。
今日は富士山の見放題。

稲村ケ崎のあと江の島にも移動して心置きなく富士山を堪能した。

初め、茅ヶ崎サザンビーチまで歩く積りで歩いたが、風が強く、寒く、鼻ぐしゅぐしゅで・・・、鵠沼辺りで、熱いコーヒーが飲みたくなって、Uターンしてしまった。
年末年始に風邪ひくのもイヤなんで、ま、妥当な判断だったかな。

▼稲村ケ崎からの富士山(いろいろ場所を変えて)





▼江の島大橋からの富士山

▼片瀬西浜からの富士山


沖縄の民意は辺野古基地反対 → 【辺野古 菅義偉「できる限り早く工事を進める」】 読売「最短で2020~22年度のスケジュールは?」 菅「地元の皆さんの強いご要望の中で決まった 法治国家」 朝日「話題変わります!」とお助け 皆さんの強いご要望で?できる限り早く工事を進める

2016年12月27日火曜日

去年度の「サービス残業代」約100億円、1348社に指導(TBS系(JNN)) ; 指導を受けて、100万円以上の未払いの残業代を支払った企業は、前の年度より19社多い1348社でした。支払われた残業代の合計額は99億9423万円で、1社で1億3739万円を支払った企業もありました


厚生労働省によりますと、今年3月までの1年間に、従業員に残業代などを支払わない「サービス残業」で労働基準監督署から指導を受けて、100万円以上の未払いの残業代を支払った企業は、前の年度より19社多い1348社でした。支払われた残業代の合計額は99億9423万円で、1社で1億3739万円を支払った企業もありました。

長承2(1133)年 平忠盛の日宋貿易への関与(肥前国神崎荘、大宰府を排除) 藤原頼長(14)、従二位、春日祭上卿を勤む、徳大寺実能の女幸子(22)と婚姻 源義業の子昌義、佐竹冠者と称す(佐竹氏の由来) 法然誕生 藤原泰子(39)、鳥羽上皇(31)に入内 

北の丸公園
*
長承2(1133)年
この年
・平忠盛の日宋貿易への関与
この年、忠盛は、王家の直轄領である肥前国神崎荘(現佐賀県神埼市)を預かる立場を利用して日宋貿易に関与。

忠盛は肥前国の神崎荘を知行したことから、ここに下ってゆき、入港する唐船との間で交易を行っていたものらしい。
この神崎荘は後院領(ごいんりよう)という、院の直接の管轄下にある荘園であり、忠盛はその特権を利用して日宋貿易を進めたものと見られる。

忠盛は神崎荘の位置に目を付けて、その知行を望んだものと考えられるが、それはこれ以前に忠盛が越前守に任じられたことが契機となって、さらに博多への進出となったものと見られる。
宋の商人は通常は博多にやってきて貿易を行ったが、時に日本海を回って、越前の敦賀にきて交易をすることもあった。越前守はその敦賀での交易の管轄者であり、忠盛はそこでの貿易の利に目をつけたことから、さらに本格的に取引を行うべく、博多に足がかりを求めたのであろう。

ただ、博多での貿易を管轄する大宰府を知行したのは公卿クラスの貴族であったから、それは望むべくもなく、そこで後院領の神崎荘の年貢を保管し、積み出す倉敷が、博多に置かれていることに目を付け、ここを根拠地に貿易を行ったものと考えられる。

なお神崎荘は忠盛が亡くなった跡には藤原信西が知行するが、信西は『通憲(つうけん)入道蔵書目録』にうかがえるように膨大な中国の書籍を収集しており、遣唐使として中国に派遣されることを夢見て、中国語を話せるように勉強したという逸話も残されている。日宋貿易と神崎荘の知行は深く関わっていた。
*
・金の入手
宋の商人と貿易を有利に行うためには、商人らの求めに応じた輸出品が必要とされるが、その最たるものが金であった。
信西と並ぶ「大学生(だいがくしよう)」藤原頼長は父忠実から奥州の荘園を講られると、年貢の金の増額を要求するとともに、他方で宋の商人に必要な書物の目録を渡して、宋から書物の購入を図っている(『台記』)。

平氏の場合は、その勢力基盤である伊勢で水銀を産出し、近くの志摩で真珠を産出するなど、輸出品には事欠かなかったが、さらに金を入手すべく動いたことであろう。
経盛(つねもり)を産んだのは源信雅の娘であるが、信雅は天承元年(1131)から保延元年(1135)まで陸奥守になっており、金が公領の年貢や産物の形で入手できたことを考えると、その金も平氏の手を通じて日宋貿易に役立てられたと見られる。
*
・源為義は実父の義親が平正盛によって追討されたために、祖父義家の養子として成長し、検非違使に任じられ、この頃には畿内周辺に勢力を広げていた。
この年、為義の郎等が丹波国で多くの人を殺したという噂が流れている(『長秋記』)。
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・この年前後、藤原俊成、「丹後守為忠朝臣家百首」に出詠、歌人としての活動を本格的に始める。
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・教皇イノセント2世とベルナールの仲介で、ピサとジェノヴァの和解成立。
イノセント2世とベルナール、フランスよりイタリアに到着、ドイツ王ロタール3世と合流。
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・ムワッヒド朝アブド・アル・ムーミン、「カリフ」宣言。
*
・グラナーダ、ムラービト朝ターシュフィーン・イブン・アリー、イダニャ・ア・ペリャ攻撃、後、放棄。
*
・ムラービト朝コルドバ総督イブン・ガヌーナ、キリスト教徒掠奪部隊に敗れコルドバ総督を更迭。
*
・カスティーリャ・レオン王アルフォンソ7世、グアダルキビール川を下りアンダルシーアに掠奪遠征。へレース・デ・ラ・フロンテーラを掠奪・破壊、セビーリャに進軍。カディスまで前進。セビーリャでムラービト朝を追放、スペイン・イスラム国を樹立、国王に最後のサラゴーサ王アブド・アル・マリク(サイーフ・アッ・ダウラ)擁立に合意。
最後のサラゴーサ王アブド・アル・マリク(1131年アルフォンソ7世に臣従) とトレード軍事総督ロドリーゴ・フェルナンデスを伴う。
*
・アラゴン・ナバーラ王アルフォンソ1世、サラゴーサで建造した艦隊によりメキネンサ攻略(エブロ河畔)。後、フラーガ包囲開始。
フラーガ包囲従軍;
ベアルンのサンテュール5世、ナルボンヌのエムリ2世、ロベール・ビュルデー、ベルトラン・ド・ラン、ローダ司教、ハーカ司教、レスカール司教。ロベール・ビュルデー、ムラービト朝援軍を撃退。
*
・イングランド、ヘンリ1世、カーライルに新しい司教座を設置。
*
1月
・ダマスカス、スルタン・マスウード(マフムードの弟)、即位。
前のスルタン・マフムード(26)没後。カリフ、アル・ムスタルシドが権力誇示。
マフムード没後、ダマスカスは王位継承の争い。
アレッポのザンギー、ダマスカスに進軍。
バグダードのカリフ、アル・ムスタルシドとティグリス川の町タクリート郊外で戦う。
ザンギーは危機をタクリート要塞司令官アイユーブに救われる(アイユーブ息子がサラアーフッディーン、後のサラディン)。
*
1月2日
・藤原頼長(14)、従二位。
*
1月13日
・東大寺領黒田荘と興福寺領長瀬荘が争う。
*
1月27日
・越前国司高階盛章に宛てて、参議藤原成通の越前大野郡泉郷の私領を醍醐寺円光院領として牛原荘に毎年300石を弁済する旨の官宣旨が出る。
*
1月29日
・鳥羽上皇の封戸から若狭65戸・越前48戸を割いて金剛峯寺に施入するとの太政官符出る。
8月22日、この太政官符により、民部省が若狭国司藤原信輔・越前国司高階盛章に宛てて、金剛峯寺に封戸を施入する旨の符を出す。
*
2月
・この月、安房守が(『中右記』)、押領使の兼任と随兵の設置を諸国条事で申請し、「恒例」として許可された。坂東の国司が押領便の兼帯と随兵の設置を諸国条事で申請し、先例に基づいて許可されることが恒例化していた。
*
2月9日
・春日祭使出発。若狭守藤原信輔ら院殿上人12人が同行(「中右記」)。
頼長(14)、春日祭上卿を勤む
*
2月16日
・待賢門院御願の塔を石清水に建立供養。
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2月27日
・源義業(57)、没。義光嫡男。常陸大掾氏の娘と結婚、常陸での勢力を強める。
この年、義業の子昌義、「佐竹冠者」と称し、常陸久慈郡佐竹郷の馬坂城を奪い本拠とする。
この地名が「佐竹氏」の名の由来となる。昌義は常陸七郡を平定、常陸に佐竹氏の基盤を定着させる。
*
3月5日
・ヘンリー2世、フランスのル・マンで誕生(1133~1189、位1154(21)~1189、妻アリエノール)。母ヘンリー1世娘マティルダ、父アンジュー伯ジョアフリー。
ヘンリ1世、1127年の娘マティルダの時と同様、貴族達にヘンリ2世への臣従の誓いをさせる。
「プランタジネット」は、父ジョアフリーがトレードマークにするエニシダの枝の語が縮まったもの。
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3月18日
・平等院多宝搭、建立。
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3月30日
・ドイツ王ロタール3世と教皇イノセント2世、ローマに入城(ベルナール、教皇に同行してローマ入り)。
ロタール3世はアヴェンティン、教皇イノセント2世はラテラノ宮を占拠。
対立教皇アレクレート2世、サン・ピエトロ寺院、クレッシュンティウス城、ローマ市内の大部分を占領。
*
4月7日
・浄土宗開祖となる法然上人、誕生。
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5月28日
・金剛峯寺、若狭・越前の封戸施入の1月29日付太政官符の請文を出す。
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6月
・バグダードのカリフ、アル・ムスタルシド、ザンギーのモースルを包囲。3ヶ月後退却。カリフの権威は落ちる。
*
6月4日
・ロタール3世、コンスタンティヌス教会で教皇イノセント2世より皇帝戴冠。
ロタール3世とイノセント2世、「辺境伯夫人マティルダ自由所有地条約」締結。
教皇は100マルクの年税取得。
皇帝は土地を自由に使用。教皇とロタールの死後は土地をローマ教会私有財産。
イノセント2世、ロタールに「ドイツ王国での帝国教会領支配と帝国教会からの奉仕」を確認。
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6月9日
・六宮道恵(1、鳥羽上皇・美濃局の子)、待賢門院御所参入(「長秋記」)。
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6月11日
・石清水別当光清、娘の待賢門院美濃局のために観音堂建立を発願。
*
6月19日
・藤原頼長(14)、閑院流藤原氏の徳大寺内大臣実能(徳大寺実能)の第一女幸子(22)と婚姻
(長子誕生はその5年後、側室源信雅娘の所生)。

この日、実能は藤原顕頼(あきより)の二条烏丸邸を借り、ここに頼長を迎えて聟取の儀を行い、上皇・女院・皇后はそれぞれ贈物をしてこれを祝福した。
ついで27日、露顕(ところあらわし、披露)の儀を行い、7月13日、頼長は「別家」ののち初めて賓客を招いて饗応し、さらに翌年2月には自邸において作文和歌始を行った。
これより頼長は引続いて二条烏丸邸に実能らと同宿していたが、長承4年正月、火災に遭ったため、実能の大炊御門(おおいみかど)高倉邸に移り、実能はその東方の舎屋に居住し、頼長は西方の舎屋を居所とした。
実能は白河院政期の権臣公実の男であるが・この閑院流藤原氏は公成以来白河・鳥羽・崇徳3帝の外戚として急速に繁栄を来たした家柄で、実能もまた待賢門院の同母兄にあたるのである。

この結婚については、『長秋記』の記述から推すと、実能の方がこの聟取に積極的であったようである。
年少の頼長は恐らく父忠実の指示に従っただけであろうが、忠実も院政開始以来繁栄を誇っている閑院流の女子を要ることに反対ではなかったと考えられる。

しかしこの後、例えば忠実・頼長の推挙によって実行・実能兄弟が相並んで太政大臣・内大臣に昇進した経緯や、頼長失脚後の実能らの冷淡な態度をみると、両家の結合はほとんど一方的に実能らの勢力伸長に利用される結果に終ったと言える。

頼長は幸子を嫡室として終生これを敬重したが、一子をも挙げることができず、側室との間に教子を得るに止まった。
保延4年源師俊の女および源信雅の女にそれぞれ男子(兼長および師長)を得、同6年には民部大夫為宗の女に女子の、永治元年(1141)および久安元年(1145)にも師俊の女にそれぞれ男子(隆長、範長はんちよう)の誕生をみた。

嫡室藤原幸子
久安4年、養女多子の入内に先だって名を幸子と定め、従三位に叙せられた。
仁平元年(1151)、頼長の内覧宣下にともない政所を設け、こののちは北政所の称を用いた。
久寿2年(1155)4月ごろから病を得、漸次病状が悪化したので、陰陽師の占いに従って居所を変えるため、5月13日、それまで頼長と同居していた高陽院御所土御門殿から実弟公親の一条富小路宅に移ったが、6月1日、そこで没した(「台記」)。行年44。
葬礼は公親宅から出して北山の菩提樹院に葬ったが、頼長は「内覧の人此の如きの事歩行の例未だ曾つて聞ず」との批難がましい評言をうけながらも、歩行してこの葬列に従い、「諸事式法に任せて更に省略なし」といわれる程丁重にこれを葬った。また頼長は翌保元元年5月21日、法成寺阿弥陀堂において盛大な一周忌法会を営み、さらに6月1目にも同阿弥陀堂で正忌法要を修した。1日の法会は、表向きは皇后多子の催すものとされているが、実質的には頼長の沙汰とみてよいであろう(「兵範記」)。
幸子には所生がなく、妾腹の兼長・隆長2子を養子としている。
*
6月29日
・藤原泰子(39)、鳥羽上皇(31)に入内。
前の年、忠実が政界に復帰すると、この年、忠実失脚の直接の原因となった娘勲子(泰子と改める)の入内問題が決着する。彼女は39歳で鳥羽上皇よりも8歳年上。
この勲子改め泰子が、上皇の配偶者として皇后の地位を得たことは異例であったが、それだけに、上皇と忠実との協調関係を示す象徴的な婚姻とみることができる。

また、鳥羽上皇には、この時期、もう一人の女性との新たな関係が進行していた。それが、待賢門院から上皇の心を離してしまうことになる院近臣藤原長実の娘得子(のちの美福門院)。
6月19日、東三条邸において泰子の院参定が行われ、29日、泰子は忠実に伴われて東三条邸から修造したばかりの土御門殿に入り、夕刻上皇の御幸を迎えた。
この院参は政治的な色彩の濃いもので、宮廷各方面に微妙な影響を与えた。
白河法皇の猶子として入内した待賢門院もこれに対して強い不満と動揺をかくし得なかった。女院が腹心の源師時(もろとき)にその心境を洩したところによると、女院自身はこの院参を予想してはいたが、実は故法皇は閉眼のみぎり、将来とも泰子の入内(院参)があってはならぬと遺言したのであって、いまたちまちその遺命に背くことになったのは嘆かわしいことであると語っている(「長秋記」長承2年6月2日)。
*

夏の始め
・トゥール大司教ヒルデベルトゥス(78)、没(1055~1133)。
フランスの高位聖職者、後継大司教に関してルイ6世(肥満王)と争い教皇の介入を招く。
ベルナール、ブロワで教皇特使としてトゥール司教選挙の紛争を決着。
1055年ラヴァルダンで誕生。1096年(41)~1025年ル・マン司教。1025年(70)~1133年トゥール大司教(トゥールはアンジュー伯領)。
最も高名なラテン語詩人(11世紀の詩はシャルトルのフルベルトゥスから始まりル・マンのヒルデベルトゥスで終る。第2のホメロスと呼ばれる。古いローマの栄光を讃えるエレギア:「12世紀の古典主義」の高い水準を示すもの)。
1031年頃、巡礼の誓いを立てたアンジュー伯ジョフロワに巡礼より統治を薦める。
*
7月19日
・藤原長実(59)、没。溺愛する未婚の娘得子(16)を案じつつ。
家柄は、末茂流という藤原北家でも傍流に属し、摂関期には受領にはなるが、とても公卿にはのぼれず、だいたい四位か五位がいいところという程度であった。
ところが得子の祖父顕季が、白河院の乳母子(顕季の母親子が白河院の乳母)であった関係から、院近臣として急速に台頭した。
顕季は、白河院の外戚であった閑院流藤原氏の実季の養子として、朝廷に出仕し、30年にわたって讃岐・丹波・尾張・伊予・播磨・美作の国守を歴任する。白河院政開始と同時に、院別当となり、院に経済的奉仕を行い、ついに長治元年(1104)、従三位にのぼって公卿に列した。

得子の父長実も、父の築いた基盤をもとに、院近臣として活躍する。
保安3年(1122)従三位にのぼって公卿となり、大治4年(1129)4月、白河法皇没の直前に参議になる。それまでに30年にわたって受領を歴任し、参議として1年、権中納言として4年で没した。

宗忠『中右記』には、「才知に非ず、英華に非ず、年労に非ず、戚里に非ず。世間頗る傾く気有るか。但し本より大幸人也。天これを与ふるか。若くは是れ故白河院御骨を懸け奉る賞か」とその権中納言昇進を酷評されている。

この翌年、長実一族が処分される出来事が起こる。
得子の兄長輔(ながすけ)が昇殿を停止され、備後守と伯耆守であった兄2人も国務を止められ、更に姉も屋地・荘園・資材・雑具を収公され、そのほか一家眷属がそれぞれ財産を没収された。
この事件は、待賢門院が鳥羽上皇に働きかけた結果であると思われる。
崇徳天皇はまだ16歳なので、父の意志に反したこのような厳しい処分を行いえたとは考えにくい。鳥羽上皇は反発を感じても、自分の皇子は全てこの女院が生んでいるので、従わざるを得なかったのだろう。
待賢門院と得子では、格が違いすぎた。また、この時点では、鳥羽上皇と得子の関係が、すぐさま上皇の心を待賢門院から離反させることにはならなかった。
*
7月21日
・延暦寺西塔の学徒と中堂の僧が闘う。
*
8月13日
・鳥羽上皇領肥前神崎荘伊倉の港に宋の商船(周新という者の船)来航。
太宰府臨検の下に貿易。
荘園預所の平忠盛、院宣を請い(自作?)、本荘が管理すべきと太宰府関与排除。批判される。

平忠盛、自分が作った下文を院宣と偽り、宋の交易船と太宰府の官人の交易を中止させる(「長秋記」)。

『長秋記』この条
この日、院近臣の大宰権帥藤原長実からの相談を受けた中納言源師時は、その訴えを聞いた。
鎮西に唐船が来航したので例によって大宰府の官人(府官)が交易をしようとしたところ、備前守平忠盛が下文(くだしぶみ)を成して院宣であると号し、宋人の周新の船が来着したのは神崎荘領であるから、府官がこれに関与してはならない、と遮ったという。

宋の商人が来航すると、府官が博多に赴いて持参した物資を買い取るのが例であったが、忠盛が、これを阻止した。
肥前の神崎荘は院が直営する後院領であり、有明海に臨む大荘園であったから、唐船はここに入港したとも考えられるが、博多には神崎荘の年貢を保管し積み出す倉が置かれていて、忠盛はここに到来した宋商と取引を行っていたものと見られる。

忠盛が日宋貿易を推進したのは、貿易の利を求める動機とともに、院の宝物収集に応じ、大陸から入ってくる宝物を院に進呈して歓心をかうことを考えてのものであった。

宋船は院領の神崎荘領に来着したので太宰府は関与してはならないとする(有明海の神崎荘か博多の神崎荘所領かは不明)。
忠盛は鳥羽院院司で、後院領(院が直接管轄する荘園)神崎荘を知行。
私貿易を展開するため大宰府の干渉を排除。
保安4年(1123年)忠盛は越前守になり、敦賀での貿易の経験から貿易の利に着目し、神崎荘の知行を望む。

寛平6年(894)遣唐使廃止以降、太宰府が大陸・朝鮮半島との貿易の管理を行う。商船が博多に入港すると朝廷から唐物使が派遣され、朝廷による舶来品買い付けが行われ、その後、民間人が交易を行うシステム。
京の貴族には、自ら太宰府に使いを派遣し、唐物使の取引が終わる前に舶来品を買いあさる者もいるほど唐物は人気があり、貿易の利益は大きい。11世紀頃は唐物使による官営貿易は形骸化し、太宰府の役人が私貿易を行う。更に、院政期には、九州沿岸の荘園領主が宋船を自領に招き入れ、直接交易を行うようになる。
*
8月28日
・地震あり。この年、地震多発。
*
9月
・鳥羽院の優柔不断な性格を物語るエピソード。
『長秋記』長承2年(1133)9月15五日条に見える源雅定(まささだ)の検非違使別当の辞任の理由。

雅定は別当辞任を申し出た理由として、「往々所々の殺害の事」が絶えないことをあげて、これは身の不肖によるものであると述べつつも、近日になって重犯が頻発しているのにもかかわらず、上皇から指示が全くないことを問題にしている。
白河とは異なって、鳥羽は周囲の状況を考えながら裁断を容易に下そうとはしなかった。そのために政治は成り行きに任されてゆき、諸国所々での殺害事件も絶えないまま放置されることになった。
*
9月21日
・越前大野郡牛原荘の役夫工作料米を免除の越前国司庁宣、越前国府留守所に宛てて出る。
*

・皇帝ロタール3世、ドイツに帰国。
*
12月末
・ノルマン・シチリア王ロゲリウス2世(38)、アプーリアの反乱鎮圧。
アンドリア伯ゴフレドゥス、コンヴェルサーノ伯ゴフレドゥス息子タンクレドゥス、投獄。タンクレドゥス弟アレクサンデル、逃亡。アレクサンデル息子2人(ロベルトゥスとゴフレドゥス)投獄。タンクレドゥス家臣ロゲリウス、絞首刑。敵側についた町(ビシェッリエ、トラーニ、トロイア、メルフィ、アスコリ)の城壁破壊し、トロイア、メルフィ、アスコリの裁判官、絞首刑。
ロゲリウス2世、アプーリア地方を王家の直接の支配下に置く(長男ロゲリウスをアプーリア公、次男タンクレドゥスをバーリ候(後、ターラント候)に任命。1134年4月姉妹ユディクタ夫ロベルトゥス・デ・バスンヴィラにコンヴェルサーノ伯領を与える)。
*
・アラゴン王アルフォンソ1世武人王、メキネンサ奪取。
*
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詩人・谷川俊太郎さんの自作朗読「さようなら」の映像を無料で公開中! 「〈現代作家アーカイヴ〉文学インタヴュー第4回 谷川俊太郎」 — 飯田橋文学会 / 〈現代作家アーカイヴ〉文学インタヴュー 第1回 高橋源一郎 (収録日:2015年2月18日)|飯田橋文学会



東京新聞【私説・論説室から】 「ただ乗り」はどっちだ ; 「日本が負担する在日米軍経費は米兵の光熱水料まで含まれ、本年度五千五百六十六億円。基地を抱える各国中、ダントツの負担額、負担割合である。加えて高速道路の「ただ乗り」だ。米兵の天国ではないか。」

中間層没落 民主主義の危機 理念の後退 感情に流される社会 (「読売新聞」論壇誌) : 民主主義に中流層の厚みが不可欠なのは、「心の余裕があればこそ、異なる意見にも耳を傾け、時に受け入れることができる」「彼らが没落すれば、理念や建前は後退し、社会全体が本音や感情に流されてしまう」。再分配政策に「必要なのが、増税などで痛みを伴う富裕層の説得だ」。

ザ・ミュージアムにて2/23開幕「これぞ暁斎! 世界が認めたその画力」特集HP公開中! — Bunkamura公式ツイッター

楽しそうなのは結構だかなんか勘違い丸出し?海外旅行に行く親父とお袋みたいだ⤵︎ / 日米不戦の誓い? 主人とポチが不戦の誓いなんてありへん!

12月26日 (動画) SMAP「世界に一つだけの花」 前半 / ソフトバンクCM / SUNTORY BOSS レインボーマウンテンブレンドCM 

TL上に「SMAP最後の歌」みたいなツイートが流れてきたので、最後だから見てみるかとテレビをつけた。
11時頃だったかな。

つけたとたんにCMが始まり、もういいやとテレビ消そうかなと思ったら、次男が帰宅。
さすが年末、早い帰宅だな、なんて話してたら、CMが終わった。

SMAP6人時代の古い写真がドンドン現れて・・・、
1990年代初め、ああ海外駐在時代などとちょっと懐古。

「世界に一つだけの花」
これホント名曲だね。
槇原敬之の才能すごい。

一つの時代が終わって、
これでSMAPは自由になれるのかな。





2016年12月26日月曜日

(動画) なんだ建設作業員がレンガでゆるーくドミノ倒ししてるだけかと思いきや......最後なにが起きた!?!?

河上肇「貧乏物語」100年 : 読売新聞 ; 「なぜ、100年前の著作が“熱い”ままなのか」 「生存はできても、社会的生活を送れない貧困層を科学的分析に基づいて明らかにした河上の指摘は残念ながら今も“新しい”というわけだ。」 / 安倍晋三「デフレでない状況 景気回復できてる」 「世界の真ん中で輝く日本を」 ← どこに目が付いてんのか? / 消費不振の長期化(15ケ月連続減少);「その大きな要因の一つには賃金の伸び悩みがある」



▼取り上げられた本(一つだけ独断で追加)









▼ギャグではありません。
圧倒的支持率を誇る「安定」政権が跋扈する某国の現実です。
実質賃金下がりっぱなしで、国民の大半は疲弊しきってるんですが・・・。



▼ま、言ってることいい加減ですがね。

▼ナニ言ってんの?

▼12月27日の報道;消費不振の長期化(15ケ月連続減少);「その大きな要因の一つには賃金の伸び悩みがある」







米軍・政府がグルで国民・県民を騙したのか? 米軍が日本政府を騙したのか? → 「何かの間違いでは」 オスプレイ給油訓練 防衛省、再開把握せず - 琉球新報 → 空中空輸以外だから理解できるとした政府はどう言い訳するのだろうか? / (12月29日の報道) 「アメリカ軍は「機体自体に問題はない」として19日から飛行を再開していました。さらに、アメリカ軍は空中での給油訓練についても来月上旬にも再開する意向を日本政府に伝えていて、難色を示す日本側と調整が続いています。」  






・・・この事故の後、オスプレイの飛行は日本政府の申し入れなどによって一時的に中断していましたが、アメリカ軍は「機体自体に問題はない」として19日から飛行を再開していました。さらに、アメリカ軍は空中での給油訓練についても来月上旬にも再開する意向を日本政府に伝えていて、難色を示す日本側と調整が続いています。

「ハンナ・アーレント」でも知られるナチス戦犯、A・アイヒマン拘束の功労者はこの男だった! 極秘作戦の真実を描く実録サスペンス「アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男」(2017年1月7日公開)特集をUP!⇒ — 映画.com

【廃線にしたくない!今乗るべき地方路線10選】 利用者減少で厳しい路線は沢山ある — 東洋経済オンライン ; 秋田内陸縦貫鉄道秋田内陸線(秋田県:角館-鷹巣) JR花輪線(岩手県・秋田県:好摩-大館) JR米坂線(山形県・新潟県:米沢-坂町) ・・・




生前退位は特別法で、という声が自民党からあがっている。民進党は特別法ではなく皇室典範改正で、という意見だ。これを聞いて自民党は「政争の具にするな」と非難し、議論そのものを封じようとしている。そもそも議論が拡散したのは、専門家でもない桜井よしこ氏や渡部昇一氏らを呼んだからでは。 — 上丸洋一 / 結局、天皇譲位(退位)の有識者会議は、安倍晋三氏とその支持勢力が独断的に決めるという現実を隠す、使い捨ての人形劇のような存在でしかない。国民に選ばれたわけでもなく、ヒアリング対象の半分が日本会議系の人士である事実も国民には知らされない。痛ましい結論に到達しつつあるとしか言えない。 — 山崎 雅弘






天皇退位への提言(『朝日新聞』2016-12-21~23)  〔1〕特例法 違憲の疑い残る 木村草太 / 〔2〕特例法 陛下に答えてない 河西秀哉 / 〔3〕なすべき仕事の整理を  横田耕一


天皇が明日の誕生日会見で「生前退位」に殆ど触れられず、の情報! 安倍官邸の封じ込めで記者の質問もなく… (リテラ) ; 天皇は外堀を埋められ身動きがとれなくなりつつあるようだ。















テイラーさん、マニラ公演中止…麻薬対策を批判 : 読売新聞 ; 米グラミー賞受賞のシンガー・ソングライター、ジェイムス・テイラー 「『法の支配』を愛する誰にとっても受け入れがたい」と批判。「僕の音楽は特に政治的だったわけではないが、時には政治的態度を示すことが必要」

(動画) 新宿のクリスマスイブはやばい

鈴木大裕『崩壊するアメリカの公教育-日本への警告』岩波書店。アメリカの教育の荒廃を生々しく伝えている。印象に残った個所は数多いが、中でもチョムスキーの「いかなる抵抗をも抑圧し得る賢い方法は、議論の範囲を制限し、その中で活気ある議論を奨励することだ」という言葉(72頁)。 — 本田由紀


崩壊するアメリカの公教育――日本への警告
崩壊するアメリカの公教育――日本への警告

2016年12月25日日曜日

尾竹国観(1880-1945) 《油断》1909明治42 (東京国立近代美術館MOMATコレクション2016-12-08)

尾竹国観(1880-1945)
《油断》1909明治42
合戦は群像表現には恰好の題材です。
この作品が描くのは、敵方の奇襲の知らせを受けて陣中が騒然とする場面。
女たちをはべらせ酒宴に興じていた武士たちは、あわてて甲冑を身に付けたり、弓矢をとったりと大騒ぎです。
よく見ると、描かれた人物のうち3人が右方を指し、およそ3分の1の人々が視線を右に向けています。
それが構図の軸となって、バラバラになりそうな人々の動きを緊密につなぎとめているのです。
ちなみに、作者は史実にとらわれないよう、歴史上の人物を想定せずに描いたと述べています。






浜矩子氏 「世界分断と排他主義が進むのか分岐点の年に」(日刊ゲンダイ) ; 「警戒しなければならないのは、「まさか」という言葉です。「まさか、そんなことはないだろう」と思っても、「まさか」は必ず起こる。歴史が我々に示してくれています」


日本株購入、日銀が最大 16年4兆円超 (日経新聞) ; つまり外国の機関投資家集団の金儲けの為に日銀がせっせと日本株を買い、知らぬ間に日本企業は準国有化されると。もちろんその原資は税金です『日銀の上場投資信託(ETF)購入額が4兆3千億円超と他部門を上回り最大になることが確実になった。昨年に比べ4割増え、外国人投資家の売りを吸収した』 — ガイチ


高江に住み2007年からヘリパッド建設反対の先頭に立って来た安次嶺現達さん。一家は高江を離れ県外移住へ。自宅はヘリパッドから400メートル、オスプレイの騒音で子供達が体調を崩すなどし、本格運用が始まれば住めなくなると判断したため。


関東大震災の記述 「虐殺」と表現せず (横浜)市教委の中学生向け副読本 (『朝日新聞』2016-12-22) / 〈時代の正体〉朝鮮人「虐殺」と記述せず 横浜市教委副読本 (神奈川新聞) ; 「維新・ヨコハマ会の小幡正雄市議の「分厚い副読本は必要か」という粗雑な問題提起を真に受けてリニューアルされた結果、新副読本の紙面は大幅に減り、虐殺の背景に民族差別があったことを説明する記述も消えた」 



『それでもあなたはリニアに乗りますか?』 ; 「新幹線のぞみ」は、名古屋ー東京の所要時間は約100分。「リニア」は、名古屋ー品川間ノンストップで約40分。品川乗り換えに約20分東京駅まで約11分。地下までの昇降時間は約20分。あれ?

自衛隊「オスプレイ導入」を中止できない、日本政府の呆れた事情 貧乏くじを引かされ続けていいのか?(半田滋 現代ビジネス) ; 「イスラエルがキャンセルしたため、米国以外で本格的に導入するのは日本だけとなった。明らかな貧乏クジと分かりながら、大金をつぎ込み、導入するのだ。」

2016年12月24日土曜日

NEED A COAT? TAKE ONE. WANT TO HELP? LEAVE ONE. / "上着が必要ですか?" "お1つどうぞ" "助けたい?" "お1つおかけください"

12月24日 クリスマス・イブ 長男宅でウチごはん(ランチ) 青物横丁から品川まで旧品川宿を歩く 2016-12-24 

12月24日、はれ
クリスマス・イブだからという訳でもなかったんだけれど、
長男の家族に一人メンバが増えて二か月余り、
今はまだ、インフルとかの心配もあるので、こちらから出かけて行こうという事で、
今日は長男宅でのウチごはん(ランチ)と、
彼女!との二度目のご対面となった。

食べ物はほぼ持参、
朝から私もポテサラつくり。

イブということでケーキと飲み物は長男が準備してくれた。

主役は比較的ゴキゲンであったと思うが、
見慣れぬ者たちの廻し抱っこでお疲れだったかも知れない。



▼長男宅への行き帰り、この辺りは初めてなので、
京急「青物横丁」から品川駅まで、旧東海道の品川宿を歩いた。
ざっと見ただけだけれど、旧東海道品川宿というのを売りにするのなら、
もう少しガンバって欲しいところだなと感じた。





浅田真央ガンバレ! ; 真央8位にも、すがすがしく「この試合で跳ぼうと」 - スポーツ — 日刊スポーツ






天皇退位への提言(『朝日新聞』2016-12-21~23)  〔1〕特例法 違憲の疑い残る 木村草太 / 〔2〕特例法 陛下に答えてない 河西秀哉 / 〔3〕なすべき仕事の整理を  横田耕一

天皇退位への提言

〔1〕特例法 違憲の疑い残る 木村草太
『朝日新聞』2016-12-21

〔2〕特例法 陛下に答えてない 河西秀哉
『朝日新聞』2016-12-22

〔3〕なすべき仕事の整理を  横田耕一
『朝日新聞』2016-12-23


江田憲司氏 「プーチン大統領と安倍首相が95分間差しで話したというが、そのほとんどが大統領の『恫喝』に終始」 「そのあまりの勢いに、首相から領土返還の話が切り出せなかった」・・・