2012年8月31日金曜日

東京 北の丸公園 ドングリころころ 


東京 北の丸公園 ドングリころころ 2012-08-31

原発訴訟を巡る裁判官の研究会、安全性をより本格的に審査しようという改革論が相次ぐ

東京新聞
原発安全性「本格審査を」 最高裁研究会 裁判官に改革論   
2012年8月31日 朝刊

 最高裁が開いた原発訴訟をめぐる裁判官の研究会で、国の手続きの適否を中心としてきた従来の審理にとどまらず、安全性をより本格的に審査しようという改革論が相次いでいたことが三十日、共同通信が情報公開請求で入手した最高裁の内部資料などで分かった。 
 裁判所はこれまで原発訴訟のほとんどで「手続き上適法」などとして訴えを退けてきた。改革論が浮上した背景には、東京電力福島第一原発事故を踏まえ、このままでは司法の信頼が揺らぎかねないとの危機感があるとみられる。原発訴訟の審理の在り方に変化が起きる可能性がある。
 最高裁は今年一月二十六、二十七の両日、全国各地の裁判官三十五人を集めて特別研究会を開催。裁判官は自分で問題を設定して対応策を記した報告書を提出、議論のたたき台にした。
 原発訴訟について報告書を出した七人のうち五人が、これまでの訴訟の在り方について問題を提起したり、安全審査を進める具体的手法について意見を述べた。研究会の関係者は、裁判所が安全性の審査により踏み込む必要性については、ほかの参加者にも異論はなかったとしている。
 内部資料によると、ある裁判官は「放射能汚染の広がりや安全審査の想定事項など、福島事故を踏まえ、従来の判断枠組みを再検討する必要がある」と提案。安全性の審査・判断を大きく改めるべきだとの考えを示した。国、電力側の提出した証拠の妥当性をこれまで以上に厳しく検討する狙いとみられる。
 別の裁判官は「原子炉の安全性を審理判断するに当たり、専門的・科学的知見をどのような方法で取り入れていくべきか」と問題設定した上で、証人調べは「一方に有利になることは避けられない」と指摘し、「複数の鑑定人による共同鑑定が望ましい」と述べた。専門家が裁判官を補佐する専門委員制度の活用の提案もあった。
 裁判官の独立は憲法で保障されている。最高裁は「研究会は裁判官の研さんが目的で、個々の判断を縛るわけではない」としている。

原子力規制委員会人事、野田首相が任命する「苦肉の策」が浮上


時事ドットコム
規制委人事、採決先送りへ=例外規定で首相任命も
 原子力行政の安全規制を担う原子力規制委員会の委員長と委員計5人の国会同意人事案について、民主党は30日、今国会での採決を見送る方向で調整に入った。委員長候補の田中俊一氏に対し、党内に「原子力ムラの出身者だ」などとして撤回を求める声が強いためだ。委員会の発足期限が9月26日に迫っているため、委員会設置法に定められた例外規定を適用し、野田佳彦首相が任命するとの「苦肉の策」が浮上している。(2012/08/30-18:03)


三宅雪子 ‏@miyake_yukiko35
原子力規制委員会人事案。閉会中に総理が指名できてしまうのが法律の不備だ、という声もあるが、まさかそんなことをする人が総理になると思わないのが普通だろう。票を投じていないとはいえ、申し訳ない気持ちでいたたまれない。正直、怒るから怖いという気持ちになっているが怯んではいけない。


ジャーナリスト 田中稔 ‏@minorucchu
【同意人事】民主党・輿石幹事長が暴論。原子力規制委員会の人事ついて、国会の同意が得られなければ、法律に基づいて、総理が任命すべきと発言。断固、抗議すべき。菅さん、辻元さん、なぜ黙っているんだ!

そんな手もでも使いそうな野田の松下政経塾政治手法


細野環境相、被曝による遺伝子への影響を調べるため、「全ゲノム解析調査」への着手表明

MSN産経
福島で「全ゲノム解析」 被曝調査で環境相表明
2012.8.31 00:35
 細野豪志環境相は30日、東京電力福島第1原発事故の被曝による遺伝子への影響を調べるため、来年度から福島県民を対象に「全ゲノム(遺伝情報)解析調査」に着手する考えを明らかにした。
 福島県立医大(福島市)で開いた私的懇談会の終了後、記者団に述べた。
 細野環境相は「政府としてしっかりと(福島に)向き合っていく。遺伝子の調査はすぐに不安の解消にはつながらないかもしれないが、人間の根源的な遺伝子を調べることで将来への予防になる」と語った。環境省は子どもを中心に調べる方針。
 細野環境相は県民健康管理調査や放射線の研究に加え、周産期・小児医療の拠点として福島県立医大が設立を構想している新しいセンターについて来年度予算の概算要求に61億円を盛り込む考えも明らかにした。
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そんなことよりもまず先に(今すぐに)、
子どもたちのの甲状腺異常への不安とまっすぐ向き合え。
関連記事(↓)
「日本という国が崩壊しないよう導きたい。 チェルノブイリ事故後、・・・訴訟が多発し、補償費用が国家予算を圧迫した。」 (山下俊一)

関西電力、「原発がなくても供給力は維持できた」と認める。再稼動の根拠は崩れた。

東京新聞
節電8週間 関電「原発なしでも余力」 
2012年8月29日 朝刊

 政府の節電要請から今月二十六日まで八週間の関西電力管内の電力需給実績がまとまった。最大需要は大阪市の日中最高気温が三六・七度に達した三日午後二時台の二千六百八十一万キロワット。記録的猛暑だった二〇一〇年夏並みの暑さを想定した八月の需要予測(二千九百八十七万キロワット)を10%下回った。 
 関電は七月、夏場の電力不足を理由に大飯原発3、4号機(福井県おおい町、いずれも出力百十八万キロワット)を再稼働させたが、広報室の担当者は本紙の取材に「節電効果があり、現時点では原発がなくても供給力は維持できた」と話している。
 本紙は節電要請が始まった七月二日以降、二週間ごとに関電管内の電力需給を調べ、大飯原発再稼働の妥当性を検証してきた。今回は八月十三日以降の二週間を新たに加えた。
 それによると、お盆から八月中下旬にかけての十三~二十六日、最大需要の更新はなかった。二十七、二十八の両日も二千五百万キロワット台で推移している。
 関電は原発を除く発電能力を公表していないが本紙の独自調査で少なくとも二千八万キロワットあることが分かっている。これに、中部電力の融通電力など七百四十二万キロワットを加えると、供給力は計二千七百五十万キロワットで、大飯原発3、4号機の再稼働がなくても今月三日のピーク需要時でもぎりぎりカバーできた計算になる。
 関電によると三日の供給態勢は大飯二基をフル稼働する一方、需給調整を理由に相生火力1号機(兵庫県相生市、出力三十八万キロワット)を休止していたという。
 大飯原発3、4号機のフル稼働とそれに伴う揚水発電の増加を加えた潜在的供給力は少なくとも三千百八十二万キロワット。ピーク需要時ですら原発四基分に相当する五百万キロワットの余力があったことになる。
◆再稼働根拠崩れる 関電供給力維持
 世論の反対を押し切り、政府や関西電力が進めた大飯原発3、4号機の再稼働の根拠が揺らいできた。関電は、今夏のこれまでの電力需給実績を基に「原発がなくても供給力は維持できた」と認めた。専門家は昨年三月の福島第一原発事故で広がった「節電の社会的な動きを見誤った」と指摘、過大な需要見通しを批判している。
 関電は五月、原発ゼロで今夏を迎えた場合、15%の電力不足に陥ると試算、「計画停電は避けられない」とした。これを受け、野田佳彦首相は「国民生活を守るため」として、大飯3、4号機の再稼働を容認した。
 ところが電力需要のピークは、猛暑だった二〇一〇年夏のピークに比べ10%も低下。計算上、原発なしでも供給力の方が上回った。
 関電は九月以降について「残暑で電力需要が高まり、大飯を足しても供給力不足になる可能性が残っている」と説明。しかし、大阪管区気象台の予報によると、関西地方の九月の気温は平年よりやや高くなる見込みだが「その年の最高気温を更新することはめったにない」と話す。関電管内で過去十年間、九月に最大需要を記録したのは〇三年の一度だけしかない。
 関電の試算では、今月十七日時点で管内の節電効果は一〇年夏比で11%に達し、目標の10%を上回る。
 大阪府と大阪市でつくるエネルギー戦略会議座長の植田和弘京都大大学院教授(環境経済学)は「大飯の再稼働がなければ、市民の危機意識が高まり、節電効果はもっと上がったはず。他社からの電力融通を含めれば、原発なしでこの夏を乗り切れた可能性はかなり高い」と指摘。「政府は夏場の電力不足を理由に再稼働させたのなら、夏が終わったらすぐに原発を停止させるべきだ」と話す。


ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(32) 「第2章 もう一人のショック博士 - ミルトン・フリードマンと自由放任実験室の探究 -」(その2)

東京 北の丸公園 2012-08-24
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ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(32)
 「第2章 もう一人のショック博士
- ミルトン・フリードマンと自由放任実験室の探究 -」(その2)


 シカゴ学派の創設者の一人であるフランク・ナイトは、個々の経済理論は議論の余地のある仮説ではなく「システムの神聖な特性」であるという考え方を学生に「吹き込む」ことが教授の使命であると考えていた。
 このシカゴ学派の神聖なる教えの中核には、需要、供給、インフレーション、失業といった経済に影響を与えるさまざまな力は、自然の力と同様、固定した不変のものだという考えがあった。

 シカゴ学派の講義や教科書で想定されている真の自由市場においては、これらの力は完全な均衡状態にあり、供給と需要はちょうど月の引力と潮の干満のような関係にあるとされた。
 フリードマンの提唱した厳格なマネタリズムによれば、経済が激しいインフレーションに陥るのはおしなべて、市場の自由に任せればおのずから均衡が生まれるところを、政策立案者が誤ってシステムに過剰なマネーを流入させたことに起因するという。
 生態系がそれ自身の力でバランスを保っているように、市場もまたそのままにしておけば、生産される商品の数も、その価格も、それを生産する労働者の貸金も適正になり、十分な雇用と限りない創造性、そしてゼロインフレというまさに地上の楽園が出現するというのである。

 ハーバード大学の社会学者ダニエル・ベルによれば、急進的な自由市場経済学を特徴づけるのは、この理想化されたシステムへの愛である。
 彼らの考える資本主義は「精巧な時計のように寸分の狂いのない」「この世のものとは思われないほどの絶妙なしかけ」であり、「その素晴らしさは、小鳥が飛んできてついばもうとするほど本物そっくりのブドウを措いたアペレス(古代ギリシアの画家)の有名な絵画を思い起こすほどだ」という。

 フリードマンとその同僚たちにとっての課題は、現実世界の市場が彼らが熱狂的に思い描いた理想どおりになるということを、どうやって証明するかにあった。
 フリードマンは常に、経済学を物理学や化学のような厳密な科学として扱っていることを自負していた。だが自然科学の場合、要素の振る舞いを指摘して理論を証明することができるのに対し、あらゆる「歪み」が取り除かれればその社会は完全に健全で豊かなものになるというフリードマンの主張は、証明不能である。なぜなら、この世界には宗全な自由放任という基準に当てはまる国など、どこにも存在しないからだ。
 自分たちの理論を中央銀行や商務省で検証することはかなわないため、フリードマンらは社会科学研究棟の地下にある作業室で複雑で巧妙な方程式やコンピューターモデルを作成することで、良しとしなければならなかった。

 フリードマンは数字やシステムが好きだったことから、経済学の道に進んだ。自伝によれば、高校時代、幾何学の教師が黒板にピタゴラスの定理を書いたときに啓示のようなひらめきを感じた。その教師はこの定理の美しきを説明するのに、ジョン・キーツの 「ギリシアの壷に寄せて」から「「美は真実であり、真実は美だ」と - この世で知ることのできるのはそれだけであり、知るべきこともこれしかない」という一節を引用したという。
 フリードマンは、これと同じすべてを包み込む美しいシステムに対する熱狂的な愛を、簡潔さとエレガンス、そして厳密さの探究とともに、数世代にわたる経済学者たちに伝えたのだ。

 すべての原理主義の教義がそうであるように、シカゴ学派はその信奉者たちにとって、白己完結した世界だった。
 まず出発点は、自由市場は完璧な科学的システムであり、個々人が自己利益に基づく願望に従って行動することによって、万人にとって最大限の利益が生み出されるという前提にある。
 すると必然的に、自由市場経済内部で何かまずいこと(インフレ率や失業率の上昇など)が起きるのは市場が真に自由ではなく、なんらかの介入やシステムを歪める要因があるからだ、ということになる。したがって結論は常に同じだった - 基礎的条件をより厳格かつ完全に適用することである。

(つづく)

2012年8月30日木曜日

東京 北の丸公園 残暑厳しくともススキが秋を告げる

東京 北の丸公園 ススキ 2012-08-30

2012年夏の終りの茶番劇 問責決議の評価アレコレ 金子勝 有田芳生 山口二郎 田中稔 丸山和也


金子勝 ‏@masaru_kaneko
3党合意による消費税増税強行に反対する問責決議に賛成する自民党の無節操ぶり。消費税法案が通ってしまえば、こっちのもの?現行社会保障制度でよく一体改革など必要なし。これで200兆円の国土強靱化法を進められる。原子力ムラによる原子力規制委員会も国会空転で議論ナシで通せる。みな元通り?


有田芳生 ‏@aritayoshifu
問責決議に自民党が賛成したのを自己矛盾とするのはまったくそのとおりだが、議論の出発点をどこに置くのか。私は3党合意をしたところから間違いだと判断してきた。つまりは民主党執行部も誤った判断をしたから問責決議の茶番が生じたのだ。「抵抗の精神」(福沢諭吉)はかくて自民、民主を襲う。


山口二郎 ‏@260yamaguchi
首相問責決議案、参院に提出 野党7会派 http://t.asahi.com/7twf  消費増税を理由とする問責に、三党合意を進めた自公両党が賛成するのは、矛盾の極致。政局優先のご都合主義である。どのみちこの秋には総選挙という流れなのだから、ジダバタしなくてもいいのにと思う。


ジャーナリスト 田中稔 ‏@minorucchu
【政局動向】今回の政局の意義は、国民の生活が第一と社民党などの問責決議が可決したこと。中小野党が連携し、団結すれば、政局の主導権を取れることが証明された。民自公増税勢力の分断するという、オチもついた。衆議院選挙に向けた、国民大連合も成功させよう。



丸山 和也 ‏@maruyamakun
参議院問責決議 消費税法案、三党合意を先頭に立って推進しておきながら、それがけしからんと言う理由の問責決議に自民党が乗るとは!道義も地に堕ちた茶番劇。魂を捨て結果に走る集団に喝采はない。

東電、旧屋内退避区域の就労不能損害の賠償期間を一方的に打ち切り宣言

niftyニュース
国の指針を完全無視! 東電が汚染被害者への賠償を勝手に打ち切り宣言
 2012年8月29日(水)10時0分配信 週プレNEWS

経済産業省が7月20日に公表したリリース「避難指示区域の見直しに伴う賠償基準の考え方」では、旧屋内退避区域における家屋、営業損害などは「旧緊急時避難準備区域」(福島第一原発から20~30km圏)の扱いに準ずると明言している。それによれば、旧屋内退避区域の就労不能損害の賠償期間は今年12月31日までとなる。

ところが、そうした国の指針を無視するかのように、その4日後の24日、東京電力はホームページの片隅にこう掲載した。

「※(就労不能損害については)従前のお勤め先が上記区域(緊急時避難準備区域)以外の方のご請求受付は、原則として4回目のご請求(平成24年3月1日~平成24年5月31日)までとさせていただきます」

なんと、公表時点から2ヵ月もさかのぼって、賠償金の打ち切りを宣言したのである。

場内の放射能汚染により営業停止を余儀なくされている福島県いわき市のゴルフ場「いわきプレステージカントリー倶楽部」の社員は、東電から3ヵ月に一度振り込まれる、この就労不能損害賠償金で生計を立ててきた。そこに、この突然の打ち切り通告。社員の冨士田進氏(65歳)はこう怒りをあらわにする。

「本当にひどい。就労不能者にとって、こんな大切なことをホームページに載せるだけですませてしまう東電の神経が理解できません。事前通告? そんなもの、ありません。私のようにインターネットを利用しない年配者は知りようがない。ゴルフ場の同僚が教えてくれなかったら、今も気づいていなかったはずです。しかも、7月下旬になって5月末の支給で打ち切ると言い出すなんて、こんな卑怯な“後出しジャンケン”はない!」

8月末に5回目の賠償金が振り込まれないと、社会保険事務所に約束していた6、7月分の保険料も未払いになってしまうと冨士田氏は言う。

8月3日、同倶楽部の社員6人は原子力損害賠償支援機構の無料個別相談会に駆け込んだ。このあまりにもえげつない“後出しジャンケン”への対応策を練るためだ。すべての相談を終えた後で、担当の弁護士が6人に、「東電に何か言いたいことはありますか? あれば書面にして、私が東電に提出します」と尋ねた。その言葉を聞き、6人のうちのひとり、氏家慎一氏(37歳)がこう口を開いた。

「あまりに腹が立ちすぎて、何を言っていいかわからない。言葉にならないくらい僕らは東電に対して怒っている。先生、しっかりとそう書いてください!」

幸いなことに、8月に入って突然、同倶楽部に対し環境省が「直轄事業として除染に取りかかる」と連絡してきた。同倶楽部の総支配人、合津純一郎氏(43歳)が、声を弾ませる。

「7月下旬、環境省が初めてゴルフ場内の汚染調査にやってきたんです。ゴルフ場の出口に小学校があります。しかも、その近くの空き地に復興住宅の建設も決まった。このままゴルフ場の汚染を放置しておくのはまずいと判断したのでしょう。行政がきっちりと除染をしてくれれば、いつかゴルフ場を再開できるかもしれません」

一方、 “後出しジャンケン”に憤る同倶楽部社員に対し、東電からの連絡は8月16日を過ぎてもなしのつぶてのまま。相変わらずの傲慢ぶり、と言うしかないようだ。

(取材・文/姜 誠)

中部電力、社員やつきあいのある「オピニオンリーダー」にパブコメ提出を求める

現代ビジネス
全国民注目!原発ポチたちの「やらせマニュアル」をスクープ入手
中国電力の内部文書に書かれた呆れた中身
まだこんなことやってんのかよ
2012年08月28日(火) 週刊現代

 懲りない面々である。意見聴取会への出席の次は、パブリックコメントへの意見の提出を社員に促していた電力会社。国民の不信感を高め、自らの首をしめることになると、なぜ気づかないのか。

■文書には「社内限り」の印
 (略)
 管内に島根原発と建設中の上関原発を抱える中国電力は、原発の必要性を分かりやすく解説した資料と、社員に対してパブリックコメントに意見を提出するよう、暗に求める文書を作成していたのだ。

 「社内限り」の印が押され、各部署の長のみにしか配られなかったというこの内部文書が流出することなど、中国電力側は考えもしなかったのだろう。本誌は中国電力の関係者の協力を得てこの文書を入手したが、ここには合計50ページにもわたって、電力会社のホンネと、社員への要請が記されているのだ。

■驚くべき「上から目線」
 (略)
〈政府は国民全体での議論を呼びかけており、社員が自分の意思で意見聴取会への応募やパブリックコメントへの意見提出等を行うことは自由です。各人の選択肢に対する考えについて、意見提出等をしていただければと考えています〉

 (略)
 中国電力広報部門は本誌の取材に対して「あくまでも社員個人の考えを出すことは自由で、応募を働きかけたということではない」と回答するが、ジャーナリストの大谷昭宏氏はこう呆れる。

 「この文面を見ると、『みなさん、パブリックコメントを出してくださいね』と、会社が社員に要請していると受け取られても仕方がない。いくら社内文書とはいえ、この繊細な時期に臆面もなくこうした文書を配るのは、『俺たちが、なにも分かっていない連中に原発の必要性について教えてやらなければならないんだ』という、電力会社特有の〝上から目線〟体質が、原発事故以降もまったく変わっていないことの現れといえるでしょう

 この文書が中国電力幹部に配られたのは7月12日のこと。7月16日には中部電力社員が意見聴取会に出席して世間の批判を浴びたが、その直後にはこんなドタバタがあった、と中国電力の社員が明かす。

 「さすがに『あの内部文書には問題がある』と思ったのでしょうか。7月19日には新しい文書が配られました。そこには『意見聴取会やパブリックコメントの募集において、会社として社員に対し応募や提出を促すことは、これまで同様一切行いません』との一文が記されていた。万が一内部告発などが起こった場合を想定して、急遽作成したのでしょうが、『あれで〝提出を促さなかった〟はないよな』との声が社内でも上がりました」

 それだけではない。中国電力は幹部社員に対して、次のようにも要請している。

各所において日頃からお付き合のある社外のオピニオンリーダーのうち、電力に理解のある方々を対象に、(中略)選択肢の内容および当社の考えを説明してください

 オピニオンリーダーとは、大学教授や地元政治家らを指しているようだが、彼らにも「原発は必要」という意見と主張を広めることに一役買ってもらおうとしているのだ。

「文書を作成した経営企画部門と広報部門は、実際にオピニオンリーダーに説明したかを報告するように幹部らに求めました。社員が説明した相手には、パブリックコメントに親原発の意見を送ることを期待していたようです」(同・中国電力社員)

 電力会社が第三者に対してパブリックコメントを送るように要請したり、原発は必要というメッセージを発するように要請したのなら、これはれっきとした「やらせ」ではないか。

■国民の声を無視する技術
 ご丁寧にも同文書には、そうした批判を予想して、

〈当社から社外の方に何らかの依頼や働きかけを行うことは、公平な議論を妨害する「やらせ」と受け止められる恐れがあります。

 このため、「当社の考えのご説明」というスタンスを徹底し、当社意見の代弁を依頼していると受け止められかねない言動は絶対に行わないでください

 という注意が書かれている。しかし、「説明しただけで、要請はしてない」という理論が通用すると思っているのなら、呆れるよりほかない。これが原発から離れられない「原発ポチ」のマインドなのである。 

 福島第一原発事故の影響について研究する、福島大学の後藤忍准教授は、この内部文書を一読した上でこう指摘する。

「中国電力は現在山口県に上関原発を建設中ですが、ゼロシナリオや15シナリオが選択されれば、新しい原発を建設する必要がなくなるため、上関原発は無用の長物となる。それでは経営上大きな損害を被るということで、なんとしてでもゼロもしくは15シナリオを阻止したいのでしょう。経済的利益を優先して、事故のリスクなどについてはフタをしてしまうその姿勢は、3・11以前となにも変わっていませんね」

 中国電力の呼びかけによって、社員やオピニオンリーダーがパブリックコメントに意見を寄せても、国民の多数が「ゼロシナリオ」を支持しているなら、さほど影響はないのでは---。普通はそう考えるが、後藤准教授は「政府は国民の声とは関係なく、原発を残すシナリオを選択するのではないか」と危惧を示す。

「政府が国民に提示した資料を読むと、原発依存度が低くなった場合の経済的ダメージばかりが強調され、〝原発を維持するにはどれくらいのコストがかかるのか〟〝再び原発事故が起きた場合、日本全土でどれぐらいの被害が想定されるのか〟についての説明がまったくないのです。『原発ゼロだと、国民経済が台無しですよ』と言って、『だから15シナリオにしましょうよ』ともっていきたい思惑が透けて見えるのです。公正な議論をする気など、ハナからなかったのかもしれません」

 たしかに政府は「多数決で決める」とは言っていない。それどころか、

〈寄せられた意見をもとに、有識者会議を開いて分析する〉

統計学に詳しい専門家を呼んで、寄せられた意見を分析する〉

〈8月中には決められないので、9月まで検討する〉

 などといくつもの要件を「後出し」し、さらには枝野経産大臣が「2030年ではなく、2050年を目標にしてもいいのではないか」とまで言い出す始末である。

 さまざまな意見を分析した結果、「原発が必要という意見が少なからず存在し」、「有識者にもそう考える人がいるので」、やっぱり原発は必要です、という結論を導きだす可能性は十分にある。原発ポチたちが必死に叫び続けているのは、そうなるのを望んでのことなのだ。

 ゼロシナリオか、15シナリオか、20あるいはそれ以上か。はたして政府はどんな結論を出すのだろうか。その選択次第では、政府に対する国民の信頼が「ゼロ」となることを、覚悟しておかねばなるまい。

「週刊現代」2012年9月1日号より


そして、そのパブコメであるが、
田中龍作ジャーナルによれば、
政府 パブコメ分析を三菱総研に丸投げ、「原発ゼロ」を過小評価
という。

福井県内の活断層、従来の評価より30キロ近く長く沖合に延びている。「想定していない規模の地震の可能性がある」と指摘

NHKニュース
活断層 沖合まで延びているか
8月30日 8時22分
福井県内を通る活断層が従来の国の評価より30キロ近く長く沖合の海底に延びているとみられることが分かり、専門家は、「想定していない規模の地震の可能性があり評価を見直すべきだ」と指摘しています。
これは、29日の地震予知連絡会の定例の会合で、独立行政法人産業技術総合研究所の研究グループが報告しました。
研究グループは、福井県内をほぼ南北に延びる「柳ヶ瀬・関ヶ原断層帯」という活断層の北側の海底を音波を使った調査などから分析しました。
その結果、福井市沖から石川県加賀市の沖合にかけて、およそ29キロにわたって断層とみられる地形が延びていることが分かり、研究グループは、活断層が沖合まで延びているとみています。
8年前、政府の地震調査委員会は、福井市などを通る活断層の北側の区間で地震が起きると、マグニチュード7.6程度になる可能性があるという評価をまとめています。
地震予知連絡会の島崎邦彦会長は、「断層が長ければ、これまで想定していない規模の地震の可能性もあり、評価は当然、見直されることになる」と話しています。
「柳ヶ瀬・関ヶ原断層帯」を巡っては、同じ断層帯の一部で、日本原子力発電敦賀原子力発電所の近くを通る「浦底断層」も、従来の評価より長いという専門家などからの指摘があり、日本原電が再評価を進めています。

放射能汚染 新潟市 給食用食材からセシウム 県内初の検出

新潟日報
給食用食材からセシウム検出
新潟市、県内初の検出
 新潟市は29日、市内の保育園、小中学校の給食食材のサンプル検査で、群馬県のホウレン草から1キログラム当たり13ベクレルの放射性セシウムを検出したと発表した。新基準値(同100ベクレル)は下回ったが、給食には使用していない。市は今後も、放射性物質が検出された場合には食材として使わないとしている。
 県教育委員会保健体育課によると、県内では現在27市町村が給食食材の放射性物質の検査をしているが、検出は初めて。新潟市がほかに検査した、長岡市のニラからは検出されなかった。
新潟日報2012年8月29日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(31) 「第2章 もう一人のショック博士 - ミルトン・フリードマンと自由放任実験室の探究 -」(その1)

東京 北の丸公園 2012-08-24
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ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(31)
 「第2章 もう一人のショック博士
- ミルトン・フリードマンと自由放任実験室の探究 -」(その1)


 経済専門家(テクノクラート)たちは、こちらには税制改革、あちらには新しい社会保障法、そして別のところには為替相場制度の改正、といった具合にさまざまな政策を打ち立てることはできても、まったくの白紙状態の上に自分たちの望むとおりの経済政策の枠組みを丸ごと、完全な形で実現するという贅沢を手にすることはありえない。  
- アーノルド・ハーバーガー(シカゴ大学経済学教授、一九九八年)

シカゴ学派:「国家統制主義」に対抗する革命的な砦
 学問の世界のどこを見渡しても、一九五〇年代のシカゴ大学経済学部ほど神話化された環境はまずほかにない。この学部自身、自らを単なる「学校(school)」ではなく、ひとつの 「学派(School of Thought)」とみなし、ただ単に学生を教育するだけでなく、「シカゴ学派」という経済学派の構築と強化を行なっていたのだ。
 シカゴ学派とは、ある保守派の経済学者グループの発案物で、彼らの考え方は当時主流だった「国家統制主義」的な立場に対抗する革命的な砦としての意味を持っていた。・・・一九九二年にノーベル経済学賞を受賞したゲーリー・ベッカーは、「われわれ学生は他のほとんどの教授たちと戦闘状態にある戦士だった」と述べている。

野心的でカリスマ的な男、ミルトン・フリードマン
 これと同じ時期にユーイン・キャメロンが率いていたマギル大学医学部精神科と同じように、シカゴ大学経済学部もまた、自分の専門分野を根底から改革する志に燃える、野心的でカリスマ的な男によって支配されていた。その男の名はミルトン・フリードマン
彼に負けず劣らず極端な自由放任を猛烈に支持する師や学者仲間は少なくなかったが、この学派に革命的な熱気を与えたのはフリードマンのエネルギーにほかならなかった。

 「よく人に「なぜそんなにウキウキしているのか? きれいな女性とデートでもするのか?」と聞かれたものだ」とベッカーはふり返る。
「そのたびに「違うよ、今から経済学の講義があるんだ!」と答えていた。ミルトンには、本当に魔法のような魅力があった」

激しいショックを与え、人間の介入を排除し、純粋な資本主義に戻すこと
 フリードマンはキャメロンと同様、「生まれながらの」健康状態に戻すことを夢のように思い描き、それを使命としていた。人間の介入が歪曲的なパターンを作り出す以前の、あらゆるものが調和した状態への回帰である。
キャメロンは人間の精神をそうした原始的状態に戻すことを理想としたのに対し、フリードマンは社会を「デパターニング」し、政府規制や貿易障壁、既得権などのあらゆる介入を取り払って、純粋な資本主義の状態に戻すことを理想とした

 またフリードマンはキャメロンと同様、経済が著しく歪んだ状態にある場合、それを「堕落以前」の状態に戻すことのできる唯一の道は、意図的に激しいショックを与えることだと考えていた。そうした歪みや悪しきパターンは「荒療治」によってのみ除去できるというのだ。

 キャメロンがショックを与えるのに電気を使ったのに対し、フリードマンが用いた手段は政策だった。彼は苦境にある国の政治家に、政策という名のショック療法を行なうよう駆り立てた。

 だがキャメロンとは違って、フリードマンが抹消と創造という彼の夢を規実世界で実行に移す機会を得るまでには、二〇年の歳月といくつかの歴史の変転を要した。

(つづく)


川本三郎『荷風と東京 「断腸亭日乗」私註』を読む(35) 「二十三 「つゆのあとさき」のころ」(その2)

東京 北の丸公園 2012-08-24
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川本三郎『荷風と東京 「断腸亭日乗」私註』を読む(35)
 「二十三 「つゆのあとさき」のころ」(その2)

荷風は、この新しい女たちを芸者に比べて質が悪いと云う。
昭和2年年9月17日
「カツフヱーの女給仕入と藝者とを比較するに藝者の方まだしも其心掛まじめなるものあり、如何なる理由にや同じ泥水家業なれど、両者の差別は之を譬ふれば新派の壮士役者と歌舞伎役者との如きものなるべし」
しかし、新しい風俗現象に敏感な荷風は、女給への好奇心を捨てきれない。
大正15年秋ころから足繁く、銀座のカフェーに通うようになり、昭和2年にはタイガーの女給お久と喜劇じみたトラブルを起こし、警察沙汰にもなっている。

「江戸趣味の荷風が、同時に、カフェーという新しい遊び場に興味を示しているのは、何度も指摘しているように、古さと新しさの両方に興味を持った荷風の都市生活者としての二重性のあらわれである。「つゆのあとさき」が、この銀座通いから生まれたことはいうまでもない。」(川本)

「つゆのあとさき」脱稿は「日乗」昭和6年5月22日。
「雨、小説の稿を脱す、仮に夏の草と題す」。
その年の「中央公論」10月号に発表されたとき「つゆのあとさき」と正式に題される。

この小説を書くために荷風は銀座のカフェーに通い、女給たちの生活を観察。
昭和2年1月1日
「風なく寒気烈しからざるを幸銀座に往き太牙楼に登り見るに酔客雑沓空席殆無し、盖新春三ケ日の間銀座表適の酒肆にして客を迎る處の太牙のみなればなるべし」

昭和2年1月8日
「夜銀座太牙楼に赴き日高生田成彌に会ふ、婢阿春阿智慧の二女を伴ひ汁粉屋梅月に憩ひ二女に祝儀を與へ別れて獨り家に帰る」

昭和2年5月24日
「銀座一丁目東側に黒猫といふカツフヱー本日開店す、巴里のChat-noirと云ふ酒肆の名を取りたるものなるべし、太牙の婢操信の二女を伴ひて赴き見たり、以前太牙に働きゐたる女二人雇はれゐたり、建築の様式は新橋演舞場に似たるものなり、料理は言ふに足らず」

千住小塚原あたりの貧家の娘が、浅草公園の牛肉屋の女中から始まり、一、二カ所カフェーを稼ぎ回ったあとタイガーの女給となり、さらにそのあと洋行帰りの日本人の妾になるなどして資本を作り、ついに銀座にカフェーを開いたという話も書きとめている。

昭和4年4月14日
「以前なれば浅草邊に生れたる貧家の女は、藝娼妓になりても迷信にとらはれ神信心などするが例なり、然るに今は日本人よりも西洋人を好み活動写真にて見たる西洋私娼の生活をそのまゝ實行せむとするに至れり、時勢の變化唯驚くの外はなし」

女給という、旧来の芸娼妓とは異るモダンな町の女の登場に驚いている。
そして批判しながらも彼女たちの生態に惹かれていく。

昭和4年5月12日
「晴れて穏なる日なり、晡下葵山子来る、お歌亦来る、相携へて銀座に往き、銀座食堂に飯して後その邊のカツフヱーを巡視すること両三軒なり、邪奔(シヤボン)と呼ぶ家にて偶然お百合といふ女給に逢ふ、震災前台湾喫茶店に雇はれゐたるものにて年は早や三十に近かるべし、赤縞大柄の衣服着て白粉厚く塗たる姿以前よりも却て若く見ゆる程なり」

昭和4年6月25日
「夜お歌を伴ひ銀座を歩む、三丁目の角に蓄音機を売る店あり、散歩の人群をなして蓄音機の奏する流行唄を聞く、沓掛時次郎とやらいふ流行唄の曲なり、この頃都下到處のカツフヱーを始め山の手邊の色町いづこと云はずこの唄大に流行す、其他はぶの港君恋し東京行進曲などいふ俗謡此の春頃より流行して今に至るも猶すたらず、歌詞の拙劣なるは言ふに及ばず、廣い東京恋故せまいといふが如きものゝみなり」

昭和4年12月25日
銀座のカフェーに行ったとき「附近のカツフヱーを歴訪し年末の景況を視察して締る」と書いていて、このころから荷風はカフェーを小説の舞台にしようと思い始める。

広津和郎が、銀座のカフェーの女給をモデルに「女給」を「婦人公論」に連載したのは昭和五年。
この「女給」のモデルになった女を見に行く。

昭和6年3月6日
「晴れて暖なり、午前執筆、午後中洲に往く、銀座大訝に一茶し、銀座食堂に飯す、街上にて偶然葵山子に逢ひ再び太訝に飲む、電話にて小星を招ぐ、杵屋宇太郎同孝蔵に逢ふ、一同黒猫亭に赴き女給小夜子なるものを見る、廣津和郎作小説女給の主人公なる由にて目下銀座邊にて専噂高きものゝ由、黒猫店口に當店に女給小夜子在りとかきたる看板を出し、楽隊にて囃し立てるさま、宛然縁日の見世物小屋なり、當世人の悪趣味實に窮極する所を知らず」
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2012年8月29日水曜日

東京 竹橋脇のムクゲ 

東京 竹橋脇のムクゲ 20012-08-29
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竹橋脇のムクゲは開花が遅い。
今年も、夏の終盤になってようやく咲き始めた。
韓国の国花、ムクゲ。

原発事故と「受忍論」 免罪と被害の矮小化と

毎日JP
現代をみる:ノンフィクション時評 8月 原発事故と「受忍論」
毎日新聞 2012年08月28日 東京夕刊

 福島第1原発の事故後、「責任者捜し」が進んでいる。責任者番付東西の横綱は、東京電力と政府だ。東電を取り上げたもののなかで、ジャーナリスト・斎藤貴男(54)による『「東京電力」研究 排除の系譜』(講談社)が読ませる。

 批判者への容赦ない攻撃。自己催眠術のような「原発安全」論。インタビューと資料を駆使して、その企業体質を浮き彫りにする。

 責任追及とともに急がれるべきは、被害者への補償だ。これからの訴訟は膨大な数に上るだろう。斎藤は、司法でまかり通る「受忍論」から警鐘を鳴らしている

 たとえば東京大空襲のように、戦争で被害にあった国民や遺族が国に補償を求めて訴訟する。すると司法は「戦争でみんな被害にあった。だから、みんなでがまんしなければならない」という判断をしばしば下す。これが「受忍論」だ。

 斎藤はこの受忍論が東電への損賠訴訟に転用されるとみる。「戦後補償に限らず、重要な国策にかかわる訴訟ではことごとくこの受忍論でしりぞけられてきたから」。実際、地裁レベルではその萌芽(ほうが)がみられるという。

 「膨大な数の被害者たちにまっとうな補償をしていったら、相当な予算が必要となる。財源は税金と、確実に値上がりする電気料金だ。いずれも国民一人一人に負担が及ぶ。それでいいのか」。そういう反論はあり得るだろう。それに対し斎藤はいう。「まず責任者に応分の負担をしてもらう。もちろん限界はあるだろうが、それでも何ができるか考えるべきだ」。まず被害者に耐え忍ぶことを求める受忍論とは、立ち位置が違う。

 福島第1原発の事故後、ドイツは2022年12月31日、つまりおよそ10年後までに原発を全廃することを決めた。

 22年間ドイツ・ミュンヘンで暮らすジャーナリスト、熊谷徹(52)による『脱原発を決めたドイツの挑戦 再生可能エネルギー大国への道』(角川SSC新書)は、かの国で進む「エネルギー革命」のリポートだ。

 たとえば電源構成(発電量)に占める原子力の割合をみると、2000年の29・5%が漸減し、11年には17・7%となった。一方で風力などの再生可能エネルギーは6・6%から徐々に増え19・9%となった。背景には環境保護に「宗教的なまでに執念を燃やす」国民性があるという。

 一方で、原発大国フランスから電力を輸入していることなど課題も指摘する。礼賛するだけでないだけに、信頼感がおける。【栗原俊雄】=文中敬称略


東京新聞
また受忍論ですか 東京大空襲も原発事故も 
2012年8月16日 朝刊

 終戦の日の八月十五日も、「戦争の後始末は終わっていない」と訴える人たちが、東京都の台東区民会館に集まっていた。国に空襲被害者への援護を義務づける法の制定を求めている全国空襲被害者連絡協議会の二周年の集会。受け付けをしていた河合節子さん(73)=千葉市中央区=は、東京大空襲で母親と弟二人を亡くした。昨年その体験を紙芝居にして、小学校などを回っている。
 一九四五年三月十日の東京大空襲の夜、河合さんは疎開先の茨城県にいた。東京の空は、「あかあかと美しく輝いて」見えた。当時五歳。後日、大人たちが泣いているのを見たが、幼い河合さんは理由が分からなかった。
 七月ごろ、包帯をグルグル巻きにした「ミイラのような姿」の父親が迎えにきた。母や二歳と三歳の弟はもういないと悟った。
 紙芝居では、赤くただれた顔の父親と自分が街を歩く場面が出てくる。
 <手をつないで街を歩けば、顔中ケロイドの父とすれ違う人はみんな振り返ります。耳たぶは溶けてなくなり、まぶたや唇はひきつれて外側に反り返っています。(略)私は振り向いて、にらみ返しながら歩いていました。>
 七十七歳で亡くなるまで、父は戦争の話をほとんどしなかった。
 紙芝居はこう続く。 <父の傷は外見だけではありませんでした。妻や子を守ってやれなかったことを生涯くやみ続けました。毎晩のように、何百回も火の海の夢にうなされていました。>
 「あのね、お父さん…」と話しかけようとしただけで、お互い涙がどっと出たときのことを河合さんは忘れられずにいる。
 三十年ほど医療系の仕事をした後、退職。介護のボランティアで、元軍人の家庭に派遣された。軍人やその遺族には恩給制度がある。自分には国からの何の補償もない。生活のゆとりの差がそのせいなのかと思えてくる。二〇〇七年に東京大空襲訴訟の原告になった。
 政府や裁判所は「戦争被害は国民が等しく受忍しなければならない」という論理で、補償を認めていない。国策で被害を生みながら、誰も責任をとらない東京電力福島第一原発事故にも同じ構造を感じ、昨年は脱原発集会にも参加した。
 「なぜ戦争を止められなかったのか。昔大人たちに言っていたことを今問われている気がします」 (橋本誠)


福島医大の山下俊一副学長の発言はもう殆ど「受忍論」(コチラ)
「日本という国が崩壊しないよう導きたい。
チェルノブイリ事故後、ウクライナでは健康影響を巡る訴訟が多発し、補償費用が国家予算を圧迫した。
そうなった時の最終的な被害者は国民だ。」



ご参考に、「るいネット」というサイトの
「福島より、SOS!-福島の実状」


<転載>
加害者である東電の非人間的対応、それを助長する国、そしてそれを見ぬふりする(報道しない)マスコミ。
筆者が「いじめ」と表現している通り、確かに昨今のいじめ問題の加害者(東電)、教育委員会(国)、教師(マスコミ)と構造が重なってみえる。

以下転載
福島より、SOS!(リンク )
---------------------------------
福島の実状がなかなか伝わってこない中、以下のメールをいただきました。
読んでいただければわかりますが、やはり、福島では大変なことが起きています。
皆さん、国もメディアもいっさい報道しないこのようなことを許せますか?
私は怒りで震えています。
福島の人を、見殺しにしようとしている国も東電も許せません。
ぜひ、拡散をお願いします。

以下、転載
*********************************
福島の被災者をこのまま放っておいてはいけない。
皆様は福島の被災者の現実をご存じですか?

 (中略)

 まず、支援品についてです。福島は未だ寝具、衣類、下着、食器、生活消耗品、水、お米、調味料、食品などが不足しており、皆さまの温かいご支援をお願い申し上げます。

 災害当初から支援は宮城、岩手に集中しておりました。福島は、原発への恐れからでしょうか、福島へ支援は入ることなく、宮城、岩手に流れておりました。支援品があふれて困っているとお聞きした宮城に、福島にお願い出来ないかと問い合わせましたが、他県に入ったものを福島に流すのは無理とのこと、ここでも決まりがあることを知りました。

 私たちの義援金についてお話しさせていただきます。これは日赤の方からうかがった話です。私たちの義援金はそのまま県に渡し、県から市町村、そして被災者にと委ねたそうです。海外からの義援金は被災者への家電6点セット、教育支援、体育館、病院修繕費、ソフト事業費に。日赤としては国から資金をもらうことはなく、以前からの日赤の資金で毛布配りをしたとのことでした。被災者に義援金のことをたずねると、一家族につき5万円、7万円、30万円と町によって異なっておりました。それにしても余りにも少ない義援金。私たちの義援金はどこに使われてしまったのでしょう? 被災者にとって悲しかったことは、国からのお見舞金が何もなかったことです、とおっしゃっていました。

 東電の補償金についてお話しいたします。東電は賠償金の一部として昨年秋頃、単身者75万円、一家族(2人でも7人でも一様に)100万円支払いました。しかも申請のためには何ページもの書類を書かせられて。
 しかし、この賠償金は仮払金なので、全額返すように言われ、12月頃から被災者は返金させられています。また、昨年6月から3カ月毎に、精神的損害金が一人10万円ずつ支払われるようになりました。しかし、このお金も仮払い金なので、6月からの3カ月分を返済するように言われ、被災者は自動的に引かれています。つまり、単身者は105万円、3人家族なら190万円を返金しなければならないのです。人によっては、毎月の10万円で返金することにした、という人もいます。何ということでしょう。お金のない被災者は、どうやって生きて行ったらよいのでしょう?

(中略)

 双葉町の町役場の責任者からうかがった話ですが、3月11日に職員は出張で仙台に行っていたそうです。それで当日双葉町にいなかったからと言って、東電はその人に賠償金を出さなかった、とのことです。かわいそうに、その職員は、家を新築して3月13日に入る予定だったとのこと。一日も住むことなく、ローンだけが残り、東電からは賠償金ももらえないのです。

 福島の被災者に対する国や東電の対応については、いっさい報道されないために、地元の人でさえ本当のことが分からず、「あなた達は東電のお金で楽な生活をしているんでしょう」と言われ、子どもまでもがいじめにあっています。周りから白い目で見られている被災者たちは、お世話になっているからと小さくなって生活し、家の中にこもりがちになり、孤独とストレスで、鬱病、パニック症候群になっていく人が多く、自殺者が絶えなくなりました。死んだ方がまし、死にたい人の気持ちがよくわかる、とよく耳にします。

(中略)

 除染について、被災者の声をお伝えします。
「わたしたちの町は、もう住めないことが分かっている。30年40年帰れないことも分かっている。だのに、住めない所をどうして除染するのか。お金を捨てているようなものです。それよりも被災者の生活安定に目を向けて欲しい。別なところに新しい町を作って欲しい。新しい住まいも作って欲しい。除染ばかりに目を向けず、被災者の生活をまず第一にして欲しい。汚染された所は仕方がない。そこを廃棄物置き場にしたら良い。ふる里を失うことは辛いです。しかし、前を向かなければならない。私たちはもう住めないと思っているのですから。しかし、東電と国は除染したがる。そして解除したがる。解除して自宅に帰れると、補償金を出さなくて済むからです。国と東電は一つです」と、ある被災者は言いました。

 最近、驚いていることがあります。南相馬市小高区は来年の5~7月ごろ除染することになりました。その前に復興庁は2000万円の予算を出し、被災者に日当で草刈り、ガレキ処理をさせることになりました。「雇用の確保に、ということですが、それは放射能を浴びさせることです」と役場の人も言いました。実際、現場で働く被災者が30分草刈りしたら1.25マイクロシーベルトあった、と言います。彼は担当者に言ったけど無視された、とのこと。現場には役場の人は来ていません。被災者はマスク無しで、普段着姿で働いています。弁当も出ません。そして、5月から働きだして、3カ月過ぎましたが、今でもお金は出ていません。8月10日過ぎに出ると言われた言葉を信じて、被災者たちは黙々と働いています。「お金のない我々は農協からお金を借りて生活しています。8月10日過ぎにお金が入ったら、農協に返金するつもりです。1日8時間、月~土曜日まで働いています。休みは雨の日と日曜だけです。」

 皆さま、福島の方々は悲しすぎませんか? 全てが人道的に許されることでしょうか?これは、国をあげての「いじめ」になりませんでしょうか? いじめは犯罪行為でもあります。私は国の無関心、対策の先延ばしに、ナチスのユダヤ人虐殺が重なって感じられます。どうぞ皆様、被災者を救ってください。皆様のグループに現地の方をお呼びしてお話を聞いて下さい。そして物品や義援金のご寄付をお願い申し上げます。ご協力頂けます方は、よろしくお願い申し上げます。
*********************************

以上。(文字数の関係で若干内容を割愛しました)
<転載終り>

福島の現状をよく知っておかないと、受忍論の陥穽に落ちることもありうる。

宮城県 原発集団賠償請求 請求額2億円に支払い3万円

河北新報
原発事故・宮城集団賠償請求 「2億円被害」に支払い3万円
 宮城県の15の個人・法人が6月下旬、東京電力に行った福島第1原発事故による営業損害などの集団賠償請求で、東電は計2億1635万円の請求に対し、現時点で3万円しか支払わない方針を示していることが28日分かった。事故と損害などの因果関係を十分に調べていないケースもあり、請求者代理人の県原発被害弁護団は「あまりに誠意に欠ける」と批判している。
 弁護団によると、請求のうち現段階で、東電が支払う意思を伝えたのは1法人が行った放射線量調査の費用3万円だけ。6個人・法人の請求計約1億2700万円については支払いを拒否した。残る個人・法人には営業実績などを示す資料の追加提出を求めているが、営業損害や逸失利益を補償するとの回答はまだない。
 東電側は、国の賠償中間指針に宮城県内の損害の大半が対象外とされていることを理由に拒否するケースが多い。弁護団は「事故と損害の因果関係が明確なら地域にかかわらず、補償される。東電は中間指針を都合良く解釈している」と主張している。
 賠償を拒否された宮城県富谷町の淡水魚養殖業者は震災後、東京の築地市場から「原発事故で宮城の淡水魚の注文がなく、出荷しなくていい」と言われた。主力のニジマスの出荷額は震災前、年間約250万円だったが震災後は1万円に落ち込んだ。
 こうした経緯を記した文書も請求時に提出したが、東電側は「事故と損害の因果関係は確認できない」と回答。養殖施設が蔵王町にあることも記載したが、東電側は「(富谷町に近い)鳴瀬川では淡水魚が出荷制限されていない」と拒否理由を挙げ、蔵王町の河川には触れなかった。
 放射線の影響を心配して野菜の栽培をやめた角田市の農家には「自主廃業は自身の自主的な判断で、事故とは無関係」として補償を拒んだ。
 請求に含まれる弁護士費用について「東電は窓口を開放しており、弁護士に依頼する必要がない」とする回答もあった。
 弁護団長の菊地修弁護士は「実態を調べもせず、適当に処理したような回答が多い。しっかり対応してくれると予想していただけに驚いている」と話す。
 東電東北補償相談センター(仙台市)は「請求者への回答は当社が依頼した代理人の弁護士が行った。弁護士に回答内容を確認し、事故と損害との因果関係をしっかり調べるよう、関係部署に伝えた」と話している。
2012年08月29日水曜日


読売新聞
養豚業者ら2億円請求、東電が認めたのは4万円
 東京電力福島第一原発事故により風評、精神的被害を受けたとして、宮城県内の養豚業者らが6月に総額約2億1600万円を求めた15件の損害賠償について、東電がこれまでに認めたのは、富谷町の水産会社が求めた放射性セシウムなどの検査費用約4万円のみであることが28日、わかった。
 5件の要求は、東電が示す中間指針に該当しないなどとして、支払いを拒否しているという。
 県原発被害弁護団の菊地修団長は「『中間指針にない』という紋切り型の回答で許せない。調べもせずに、原発事故と因果関係がないとして支払いを拒否するのは納得できない」と話し、提訴の可能性も示した。
 東電の東北補償相談センター(仙台市青葉区)の宮下康近副所長は「支払い拒否に対し、不満の声があることを担当部署に伝え、適切に対応したい」と話した。

 ◆新たに2億請求◆
 また、県内の養豚業者ら14人は28日、新たに総額約2億1800万円の損害賠償を求め、請求書を同センターに提出した。仙台市泉区の農機具販売業者や丸森町の養豚業者らが、1人あたり約150万~6070万円を求めている。
(2012年8月29日09時06分  読売新聞)

沖縄県 働く人の4.2%,2万人余が最低賃金以下で働いている

NHKニュース
最低賃金全国最下位脱出へ
今年度の県の最低賃金は、前の年より8円引き上げられ、時給653円となる見込みになり、全国的には依然として低い水準ながらも最下位を脱出することになりました。
最低賃金は、企業が従業員に支払わなければならない最低限の賃金で、都道府県ごとに決まっています。
今年度の最低賃金が、企業経営者や労働組合の代表などでつくる審議会で検討された結果、前の年より8円引き上げられ時給653円となる見込みになりました。
沖縄労働局によりますと、去年、東日本大震災の影響で落ち込んだ観光業が活性化してきたことなど好調な業種が多く県内経済は上向きだということです。
県の最低賃金は平成14年度以降昨年度まで全国最下位でしたが、このまま引き上げられれば、島根県を1円上回り最下位を脱出することになりました。
しかし全国的には、依然として低い水準で、沖縄労働局によりますと県内で働く人のうちおよそ4点2パーセントの2万人あまりが最低賃金以下で働いているということです。
沖縄労働局では、引き上げが正式に決定することし10月下旬以降、企業経営者などに知らせた上で、賃金の改善を指導することにしています。
08月29日 09時20分

野田首相、「安全保障の問題が絡むので、簡単に原発ゼロとは言えない」と述べる

時事ドットコム
原発ゼロ、簡単に言えぬ=野田首相「安保絡む」
 野田佳彦首相は28日夜、都内の焼き鳥店で衆院当選1回議員15人と会食した。原発依存度を将来ゼロにすべきだとの意見が出たのに対し、首相は「安全保障の問題が絡むので、簡単に原発ゼロとは言えない」と否定的な見解を示した
 また、先に自民党の谷垣禎一総裁と会談した際、衆院解散時期をめぐって密約を交わしたのではないかとの見方があることについては「密約はしていない」と重ねて強調。その上で「やるべきことを淡々とやっていく」と述べ、9月の党代表選での再選に意欲をにじませた。(2012/08/28-23:37)
**
核兵器開発技術の温存のことを言っている。
こんな人、首相にしておいてはダメだ。*

正暦5年(994) 道隆一家(中関白家)の絶頂期 道長と伊周の対立の始まり

東京 北の丸公園 2012-08-24
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正暦5年(994)
2月
「関白殿、二月廿一日に」(『枕草子』二五九段)で、この月、道隆が建てた法興院の積善寺で行なった一切供養において(一門の繁栄を示す至福の時であった)、道隆がやってきて定子の前に坐り、居並ぶ女房たちを相手に冗談を言って笑わせている印象的な場面を伝える。

定子に仕えた女房清少納言の記した「枕草子」はこの時期のエピソードが多く伝えられている。
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3月
・藤原妍子(道長二女)、誕生。
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3月
盗賊を捕縛するために、「武勇の人」として、源満正、平維時(維将)、源頼親・頼信が山々に派遣される(『日本紀略』『本朝世紀』)
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6月
・前年秋、疱瘡が多少の流行を見せ、一条天皇も罹病。
この年春から九州に新たに流行し始め、たちまち全国に拡がって猛威をふるった。
特に夏には京都に病者・死者が溢れ、五位以上だけで70人が死亡したといわれる。

検非違使は宣旨を受けて病人を路頭に設けた仮小屋に収容し、あるいは薬王寺に運び、さらに川に投げこまれた死体をかき流して水の流れをよくするなどの作業に従事した。
朝廷では例によって諸社に奉幣し、仁王会を修し、大赦を令し、海若祭・名山祭などの陰陽道の祭もおこなったが、それ以上はなんとも手の打ちようがない。

左京三条油小路の西に小さな井戸があり、その水は泥深く濁っていて使用にたえるようなものでなかったのが、だれいうとなく、この水を飲めば疫病をまぬがれるといううわさが立って、京中の男女貴賤こぞって、桶やたらいをかついで押しよせた。

疫病は、疫神によってもたらされると、当時の人々は信じていた。
6月16日、今日は疫病神が通るぞというデマが飛び、疫神は、人間と同じように平安京の道々を往来するため、「公卿以下庶民に至るまで門戸を閉ざして往還せず」(『日本紀略』正暦5年6月条)というように、忌み寵もる生活を送っていた。

6月27日には北野の船岡山で疫病神のお祭がおこなわれた。
木工寮と修理職が神輿2基を作って安置し、僧が仁王経を講じ、音楽が奏せられ、数千の男女が集まって幣帛をささげた。こうして疫病神を神輿に乗せ、難波の海にかついでいって流そうというのである。
これが紫野の今宮神社の起こりであるが、この祭礼は朝延の計画したものではなく、まったく民間から自然に唱えだされたお祭りで、木工寮や修理職はそれに加勢した。
この年の疫病も秋になってからは少し静まった。
しかし、翌年春から、また流行し始めた。
*
8月28日
藤原道兼(道隆弟)が右大臣、伊周(道隆次男、21歳)が内大臣となる。

道隆一家(中関白家)の絶頂期
道隆の次男伊周は、正暦2年に正四位下参議、ついで従三位権中納言に進み、翌年には正三位権大納言に昇り、正暦5年(94)には内大臣となり、前代未聞のわずか21歳の大臣が生まれた。
この時、先任の権大納言道長を抜くことになり、以後の道長と伊周の対立の始まりとなった。
伊周の兄道頼は、兼家の六男とされ、正暦元年に20歳で正四位下参議に任ぜられ、正暦5年には伊周のあとに権大納言となり、弟隆家は同年に三位中将、翌年の父道隆の死去直前にわずか17歳で権中納言となった。
また道隆の義父、中宮定子の外祖父高階成忠は従二位に昇り、真人(まひと)の姓も朝臣(あそん)に改められた。
*
*

2012年8月28日火曜日

東京 北の丸公園 厳しい残暑の中 ヤブツバキの実 カラタチの実

今日(8月28日)の北の丸公園。
相変わらず残暑厳しい。
秋のサインか?

▼ヤブツバキの実

▼カラタチの実

私大生の8人に1人が中退 大卒3万3千人がニート 非正規4%



■以下は、前編。
ダイヤモンドオンライン
私大生の8人に1人が中退者になっていた!?
大学から生まれる“格差社会ニッポン”の恐るべき実態
NPO法人NEWVERY山本繁理事長×ネットイヤーグループ石黒不二代社長【前編】


■大学卒業した若者のケースでも
YAHOOニュース
大卒3万3000人がニート=就職率改善も4%非正規―文科省
時事通信 8月27日(月)17時5分配信
 今春、4年制大学を卒業した学生約56万人のうち、6%に当たる約3万3000人が進学も就職の準備もしていない「ニート」だったことが27日、文部科学省の学校基本調査の速報で分かった。就職率は63.9%で前年比2.3ポイント改善したが、3.9%の約2万2000人が非正規雇用だった。
 文科省は「リーマン・ショックで大きく落ち込んだ就職率は持ち直しつつあるが、本人が望まない雇用形態で就職せざるを得ない状況は改善すべき課題だ」としている。
 大卒者約55万9000人を対象に、5月1日現在の状況を尋ねた。就職も大学院などへの進学もしていない人は15.5%の8万6638人。今回、初めて「進学も就職の準備もしていない」人数を調べたところ、このうち約4割の3万3584人いた。「就職準備中」が4万9441人、「進学準備中」は3613人だった。 

宮城県美里町、「平和を考えるつどい」で核兵器廃絶や脱原発のを盛り込んだアピール文採択へ

河北新報
宮城・美里町が「脱原発」採択へ 来月30日に集会

 宮城県美里町は、非核と脱原発を訴える集会「平和を考えるつどい」を9月30日に町文化会館で開くことを決めた。東京電力福島第1原発事故の被害に遭った福島県浪江町の馬場有町長らを講師に招き、核兵器廃絶や脱原発の実現を盛り込んだアピール文を採択する
 美里町の一部地域は東北電力女川原発(宮城県女川町、石巻市)の半径30キロ圏に位置する。国は原発の重点防災地域について、これまでの半径8~10キロを30キロ圏に拡大すると決めており、町の脱原発方針は女川原発の再稼働にも影響する可能性もある。
 集会の副題は「人類は核と共存できない。核廃絶と脱原発へ」。町は原発事故の被害が出た福島県富岡町にも住民代表の講演を依頼。長崎県の原爆被爆者による講話も予定する。美里町が脱原発を訴える集会を開くのは初めて。佐々木功悦町長は原発事故後、原発に批判的な発言を繰り返してきた。町議会も3月、女川原発再稼働に反対する意見書を可決している
 美里町まちづくり推進課は「議会の方針などを受け、原子力に頼らない社会を町民らに考えてもらう機会を設けるため、講演会開催を決めた」と説明している。
2012年08月28日火曜日

イラク派遣の空自隊員、「事故隠し」と国を提訴。派遣中の事故で帰国させず、不十分な治療で障害残る。

東京新聞
イラク派遣の空自隊員 「事故隠し」と国提訴へ
2012年8月27日 07時05分
 米国主導のイラク戦争で空輸を担うため、二〇〇六年に中東のクウェートへ派遣された航空自衛隊の三等空曹の男性が現地で米軍のバスにはねられ、後遺症の残る大けがをしていたことが分かった。男性は来月、空自が「事故隠し」に走り、まともな治療を受けられなかったとして国に損害賠償を求める訴訟を名古屋地裁に起こす。イラク特措法で派遣された自衛官が国を訴えるのは初めて。
 男性は一一年に依願退職した新潟市中央区関屋、無職池田頼将さん(40)。顔や腕に障害が残り、身体障害者四級に認定された。
 池田さんは〇六年四月、通信士として愛知県の小牧基地からクウェートのアリ・アルサレム空軍基地に派遣された。事故は七月四日に米軍主催の長距離走大会で発生。先頭を走っていた池田さんは軍事関連企業の米国人女性が運転する米軍の大型バスに後ろからはねられ、左半身を強打して意識を失った。
 池田さんによると、空自衛生隊には治療設備がなく、首にコルセットをはめただけ。事故四日後から三回連れて行かれたクウェート市内の民間診療所では意思疎通ができず、まともな診察を受けられなかった。上官は防衛庁長官(当時)の現地視察の際などはコルセットを外すよう命令。事故から帰国までの二カ月弱、早期帰国の措置も取られなかった。公務災害補償の手続きも池田さんが指摘するまで行わないなど、事故を隠すような態度に終始したという。
 帰国後、小牧市の病院で外傷性顎(がく)関節症と診断され、医師から「なぜ放置したのか」と聞かれたという。事故は陸上自衛隊のイラク撤収に伴い、空輸の対象が陸自から米軍に切り替わる直前に起きた。池田さんは「米軍とのトラブルを避けるため、事故はないことにされた」と話している。
(東京新聞)


東京新聞
イラク派遣 被害隊員 帰国させず   
2012年8月28日 朝刊
 イラク特措法でクウェートに派遣された航空自衛隊の三等空曹(当時)、池田頼将さん(40)=新潟市中央区関屋=が米軍バスにひかれ、後遺症の残る大けがをした問題で、事故から二週間後に帰国する隊員のための専用航空機があったにもかかわらず、池田さんを乗せなかったことが分かった。
 防衛省によると、二〇〇四年から〇八年までクウェートに派遣された空自隊員のうち、二十七人がけがや病気で米軍やクウェートの病院で診察を受けた。このうち、現地で治療できなかった十人を任期の四カ月より早く帰国させた。
 池田さんは〇六年七月四日、クウェートの基地で米軍の大型バスにはねられ、顔や肩に大けがをした。
 同月十七日、任期満了の隊員を帰国させるための専用便があり、六月二十七日にテコンドーの練習中にアキレスけんを切った隊員は帰国した。しかし、顎のけがで口が開かず、食事も満足にできない池田さんの帰国は認められなかった。
 アキレスけんを切った隊員は自傷事故だったが、池田さんは米軍の関連企業の運転手が起こした交通事故の被害者。帰国によって事故が明るみに出れば、米軍に治療や補償を求めなかった対応が問題になり、日米間で摩擦が起き、空自がひそかに進めていた武装米兵の空輸に影響が出た可能性もあった。
 当時、部隊運用を担当した防衛省幹部は「テコンドーの事故は報告があったが、米軍バスによる交通事故は記憶にない。初耳だ」という。
 自衛隊の海外派遣は隊員が病気や事故に遭った場合に備え、国内に交代要員を待機させている。事故後の池田さんは痛みから執務室で横になることが多く仕事にならないため、事実上の欠員状態だったが、交代要員が送られることはなかった。

保安院、原発の直下に活断層があっても、建屋に影響がないと「評価」されれば継続可能という新基準を検討中

47ニュース
原発、断層ずれても運転可能に 保安院が新基準導入へ 
 原発直下に地盤をずらす「断層」があっても原発の運転を一律に禁止せず、継続の可能性を残す新たな安全評価基準の導入を、経済産業省原子力安全・保安院が検討していることが28日、分かった。
 保安院は従来「活断層の真上に原子炉を建ててはならない」との見解を示していた。新基準では、これまでは活断層と判断される可能性があった一部の断層について原発の直下にあっても、ずれの量が小さく原子炉建屋などに影響が生じないと評価されれば原発の運転継続も可能になるとみられる。
 だが「ずれの量の正確な評価手法はまだ完全ではない」(保安院)など課題も多い。
2012/08/28 19:18   【共同通信】
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推進しか念頭になく、
推進の道筋を作るためには何でもやるということだ。
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ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(30) 「第1章 ショック博士の拷問実験室」(その10終)

東京 北の丸公園 2012-08-24
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ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(30)
 「第1章 ショック博士の拷問実験室」(その10終)

不可能な再建
 初回のインタビューの最後のほうで、私はゲイル・カストナーに「電気の夢」についてもう少し話してくれないか頼んだ。
彼女の話では、何列にも並んだベッドに寝かせられた患者たちが薬物による昏睡に入ったり目覚めたりする様子をしばしば夢に見るという。
「みんな叫んだり、うめいたり、ノー、ノーと声を上げたりしている。あの部屋で目が覚めたときの感覚を今でも覚えています。汗びっしょりになって、吐き気がして、実際にもどして - そして頭がとても変な感じだった。頭じゃなくて塊をのっけているみたいな気がしました」。・・・

・・・「フラッシュバックが起きたの・・・何か気をそらすようなことを言ってみて。イラクの状況がどんなにひどかったかとか」・・・

キャメロンの失敗
 患者にショックを与えて混乱した退行状態にすることで、健全な模範的市民へと「生まれ変わる」ための前提条件を作り出せるというのが、キャメロンの論理だった。
背骨に損傷を負い、記憶を破壊されたカストナーにとってはなんの慰めにもならないが、キャメロンはその著作のなかで、破壊は創造のための行為であると述べている。彼のもとで過酷なデパターニングをくり返され、生まれ変わろうとしている幸運な患者にとって、創造はまさに贈り物なのだ、と。

 だがこの点で、キャメロンはみごとに失敗した。
患者はたとえ完全に退行した状態になっても、エンドレステープに録音されたメッセージを受け入れたり、吸収したりすることはけっしてなかった。
キャメロンには人間を破壊する才能はあったとしても、人間を作り変えることはできなかった。
キャメロンがアラン記念研究所を辞めたあとに行なわれた追跡調査によれば、かつての彼の患者のうち七五%は治療を受ける前より後のほうが症状が悪化していた。
入院前にフルタイムの仕事に就いていた患者のうち半数以上は、もはや仕事を続けることができず、カストナーのように治療前にはなかったさまざまな身体的・精神的不調に悩まされている者も少なくなかった。
「精神誘導」にはまったく効果はなく、アラン記念研究所はその後この治療法を禁止した

 問題は - 今から見れば明らかだが - キャメロンの仮説そのものが依拠していた前提、つまり治療の効果を上げるには、治療前に存在していたものをすべて取り除かなければならないという考え方にあった。
患者の習慣や行動パターン、そして記憶をすべて除去すれば、最終的には汚れのない白紙状態に到達できるとキャメロンは信じ込んでいた。
しかし、どんなに執拗にショックを与え、薬物を投与し、混乱させても、そのような状態は得られなかった。
それどころか結果は正反対だった。強く叩けば叩くほど、患者の状態は無残にも打ち砕かれていった。彼らの心は「きれい」になるどころかめちゃめちゃになり、記憶はズタズタになり、信頼は失われた。

破壊と創造、傷つけることと癒すことの区別
 惨事便乗型資本主義の考えに立つ人々もまた、破壊と創造、傷つけることと癒すことの区別ができないという点で共通している
イラクに滞在中、戦争で傷つけられた風景を、次にいつまた爆弾が落とされるかと不安な気持ちで眺めながら、私はしばしばその思いにかられた。

 米英軍によるイラク侵攻の立案者は、ショックの持つ力を熱烈なまでに信じており、武力行使によってイラクの人々を圧倒し、一種の仮死状態に陥らせることができると考えた。
これは「クバーク・マニュアル」に説明されていたことと共通する部分が大きい。
 イラクに侵攻した勢力は、このチャンスに乗じてもうひとつ別のショック、すなわち経済的ショックを与えることで、侵攻後白紙状態になったイラクに自由市場民主主義のモデルを創造しようと考えたのである。

 だが実際に侵攻によって作られたのは白紙状態などではなく、瓦礫の山と、生活を破壊されて怒りに燃える人々だった。
そして抵抗した人々には、さらなるショックが与えられた。その一部はかつてゲイル・カストナーに行なわれた実験に基づくものだった。

 「われわれは破壊するのはじつにうまい。けれどもいつか戦闘ではなく建設のためにここで働く時間が増えれば、それほど喜ばしいことはない」と、イラク戦争の戦闘終結宣言が出されてから一年半後、米陸軍第一機甲師団の司令官ピーター・W・キアレッリ中将は語った。

だがそんな日は二度と来なかった。
キヤメロンと同様、イラクにショックを与える”博士”たちには破壊することはできても、再建することは不可能なのだ。

(第1章 おわり)

正暦2年(991)~正暦4年(993) 道長、兄道隆-伊周父子(中関白家)の後塵を拝す

東京 北の丸公園 2012-08-24
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正暦2年(991)
この年
・道隆は内大臣を辞し、父兼家の時と同じように摂政だけとなり、摂政という官職の制度化が進んでいく。
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2月
・円融法皇、没
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5月
・藤原佐理「離洛帖」を記す
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9月7日
・道兼が内大臣、道長が権大納言、伊周(18)が権中納言となる。
(伊周は、その後、21歳で内大臣となった。)
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9月16日
・円融皇太后詮子、出家して東三条院となる(女院の初例)。

出家後も皇太后官職をとどめ、東三条院として、太上(だいじよう)天皇の例にならって院分受領という受領の推挙権を与えられ、女院の制が開かれた。
出家の理由は病気だが、政治的には円融院の家父長としての権威を継承して制度化したものといえる。
詮子が東三条院という院号になったのは、東三条殿を父兼家から譲られ、自分の里第としていたから。
東三条殿は兼家死後、長男道隆が伝領したが、出家した東三条院は11月に内裏の職曹司(しきぞうし)から退出すると東三条殿でなく弟大納言道長の土御門第へ移り住んだ
この微妙な人間関係がこのあとの政治史の伏線となる。
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正暦3年(992)
この年
花山法皇、出家後、播磨の書写山に参詣、比叡山・熊野など各地で修行を重ねて、この頃に帰京。
仏道修行だけでなく、和歌の名手としても知られ、『後拾遺和歌集』の序に「花山法王は先の二つの集に入らざる歌を採り拾ひて拾遺集となづけ給へり」とあるように、古来『拾遺和歌集』撰進に深く関わったとされる。
また、『大鏡』(12世紀初めに成立した歴史物語)によると「風流者」として、和歌だけでなく、絵画・建築・工芸・造園などにも非凡な才能を示した。
『拾遺和歌集』の中には、勅撰和歌集としては初めて連歌が収録されているが、それは花山法皇の意向が強かった可能性があるという。
過酷な仏道修行から帰京後、東院(花山院)の「九の御方」という女性のもとに住み、乳母の中務とその娘をともに寵愛するなど、色好みの名をほしいままにした。
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正暦4年(993)
この年
清少納言は中宮定子(17歳)に仕えるようになったとされる。
以後、長保2年(1000)、定子が25歳で没するまで10年近くの宮仕えに、彼女は存分に自分の才能を誇示し、生活を楽しんだ。
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1月1日
・この年の朝賀が最後の朝賀の儀となる。
摂関期には、朝賀が小朝拝へと変化するように、儀式の上からも、天皇との私的関係で成立している摂関・殿上人・蔵人の方が律令官僚制より重要な意味をもつようになっていく。
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1月22日
・内裏仁寿殿(じじゆうでん)で内宴が行なわれた時、大納言伊周が大臣の座の傍らに坐り、さすがに道隆が注意して、長押の下の座に退かせたと『小右記』は伝える。
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4月
・一条天皇が14歳になったため、摂政道隆が摂政を辞し関白となる
(長徳元年43歳で病没するまで5年間権力を掌握)
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5月
・菅原道真は、都で天変地異や疫病が流行するたびに御霊として恐れられ、官位・官職を追贈された。
この月、正一位左大臣になり、同年閏10月には正一位太政大臣が贈られる。
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7月29日
・源雅信(源倫子父、74歳)、歿。
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8月
・慈覚大師(円仁)門徒と智証大師(円珍)門徒が争い、智証門徒は延暦寺を下り、園城寺に入る。
天台宗が山門派(延暦寺)と寺門派(園城寺)に分裂する。
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9月
・この年の秋、疱瘡が多少の流行を見せ、一条天皇も罹病。
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2012年8月27日月曜日

東京 北の丸公園 コムラサキが色づき始めたけれど・・・

今日(8月27日)の北の丸公園

▼コムラサキが少し色づき始めた。
僅かな秋のサイン・・・
▼しかし、まだまだ、あっちを向いてもこっちを向いても入道雲と蝉時雨


「「故郷(ふるさと)」の唄を歌いて人々は明り灯して国会包囲す」(東京都 白倉眞弓) 「朝日歌壇」8月27日より

東京 2012-07-29 【正しい報道ヘリの会】
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「朝日俳壇」8月27日より

空泣けりフクシマ黒き原爆忌   (福島県浅川町)塩田 全宏

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「朝日歌壇」8月27日より

身分明かす物持たず行くデモでなく気軽でもないパレードを歩く (日野市)植松 恵樹

「故郷(ふるさと)」の唄を歌いて人々は明り灯して国会包囲す  (東京都)白倉 眞弓

国会を包囲し気付けばお月さま明るく静かに見守っている    (町田市)北村佳珠代

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川本三郎『荷風と東京 「断腸亭日乗」私註』を読む(34) 「二十三 「つゆのあとさき」のころ」(その1)

東京 北の丸公園 2012-08-24
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川本三郎『荷風と東京 「断腸亭日乗」私註』を読む(34)
 「二十三 「つゆのあとさき」のころ」(その1)

安藤更生『銀座細見』(昭和6年、春陽堂)。
「震災後、銀座は急に賑やかになった。古い江戸は打倒された。江戸っ子は潰滅した。デパートは一斉に銀座へ進出する。銀座は完全に東京を征服してしまったのだ」

「関東大震災は、多数の死者を出した大きな悲劇だったが、同時に、新しい東京に生まれ変るための、自然に起きた再生の儀式でもあった。」(川本)

銀座の復興は案外早い。
広津和郎の随筆「銀座と浅草」(「中央公論」昭和2年4月号)で、震災の年の大晦日、銀座ではバラックとはいえカフェーや食堂が次々に建ち、にぎわいを見せていたと書いている。
「大晦日になって、兎に角、バラック街の、裏側には真暗な闇が巣喰っているとはいえ、外側だけでも、今日見るあの銀座が、殆んど完全に出来上ったのに、歓喜の声を揚げたものだ」
「その当時の東京市民で、大晦日に銀座に出た人は、地震後四月目であの銀座が華々しく復活した事に、みんな狂喜したものだ」

荷風も、この年の暮れに銀座漫歩をしている。

12月14日
「夜お榮を伴ひ銀座を歩み田屋支店にて帽子を購ふ。金弐拾七圓。但し五分引の由。お榮は手巾六枚を買ふ。金八圓なり。帰途木挽町の焼跡を歩み本願寺前の電車に乗る」
木挽町あたりにはまだ焼け跡が残っているが、銀座通りは通常に戻りつつある。

「夜お柴と銀座を歩む」(12月23日)、
「夜銀座を歩む」(12月26日)、
「午後三菱銀行に往き銀座を歩みて帰る」(12月31日)。
震災後、わずか四カ月にして、銀座は漫歩が楽しめる町に回復している。

震災後7年の昭和5年3月24日「帝都復興祭」。
「春風駘蕩、この日復興祭、陛下終日市中を巡幸したまふと云ふ、之がため市中通行留の処多き由、中洲に往くべき日なれど家に留る」と荷風日記。

「つゆのあとさき」(昭和6年、「中央公論」に連載)、『銀座細見』と同じ年。
この関東大震災後のモダン都市東京-デパート、地下鉄、カフェー。トーキー映画、自動車、モガとモボ、流行歌(レコード)……、そうした「モダン相」(大宅壮一)を都市風俗として巧みに取り入れた小説。
銀座のカフェーの女給君江を主人公に、彼女を取り巻く男たちを描いた風俗小説だが、この小説は、同時に、君江という都市の単身生活者を通して変りつつあるモダン都市東京を描いた都市小説にもなっている。

ヒロインの君江は、埼玉県の小さな町の菓子屋の娘、「田舎者の女房」になる気はなく、小学校の友人で東京に出て芸者になり、さらに人の妾となった女を頼って上京、はじめは、保険会社の事務員などしていたが、やがて「淫恣な生活」に入り、上野・池之端のカフェーの女給から、いまでは「ドンフワン」(DONJUAN)という「銀座では屈指のカツフエーに数へられてゐる」店の人気女給になっている。

「銀座でカフェと銘を打った店は、松山省三氏のカフェプランタンにはじまる」(『銀座細見』)
明治44年、フランス帰りの洋画家松山省三が日吉町(銀座8丁目)に開いたカフェー・プランタン。
そのあと次々に新しいカフェーが開店、震災後、花柳界にかわる新しい遊び場所として急成長。

大正15年11月20日、「現今市中に流行する酒肆(カツフエー)」について書きとめる。

「抑現今市中に流行する酒肆(カツフエー)なるものゝ状況を見るに、巴里のカツフヱーに似て其の實は決して然らざる處、恰吾社会百般の事西洋文明を模倣せんとして到底よくすること能はざるものと相似たり。酒肆の婢は日々通勤すれども、給料を受けず、客の纏頭(*チップ)にて衣食の道を立つ。されば窃に売色を以て業となすは言ふを俟たぎる所なれども、世の風評新聞記者の脅迫を恐れて、容易に酔客の誘ひに應ぜざるが如き態度をなす。帰途手を携へて自働車に乗ることを諾するが如きは、盖し無二の好遇にして、酔客の竊(ヒソカ)に喜びとなす所なりと云ふ。目下太訝(タイガー)には婢およそ三十人あり。十人ツゝを一組とす。赤組紫組青組あり。各白き前垂に七寶焼の徴(ママ徽)章を掲げて之を弁別す。楼上に在って客を迎るもの二組。階下に陣して應接する者一隊なり。各隊日に従って循環し、互に上下す。されば顧客にしてもし某組の阿嬌(アキヨウ)某に思を寄するや、豫め其の組の楼上に在るや、階下に在るやを探知して後、其の席につくと云ふ。酒肆太訝は東洋汽船会社々長浅野総一郎の資金を投じて経営する所。浅草廣小路旧松田料理店の跡にも同氏投資の酒肆あり。世の富豪の金主となりて其の狎妓(コウキ)に藝者家或は待合を営ましむるは既に珍しからぬことなり。酒肆を開き女給を養ふに至りしは亦是時勢変移のなす所と謂可きけつ歟。太訝は震災の翌年春頃より開店し、尾張町の獅子閣(ライオン)と相対して今や其繁榮遙に之に優ると云ふ。銀座適には此他に松月、銀武羅などよべる酒肆あり。皆婢をして客の酔を侑けしむ。然れども其容姿粉飾、前の二楼に比すれば及ばざること遠しと云ふ」

「タイガー」「ライオン」ともに尾張町(銀座4丁目)の交差点にあった。
開店はライオンが明治44年、築地精養軒の経営。タイガーは大正13年、東洋汽船社長浅野総一郎の経営。

宮川曼魚「銀座カフェー繁昌記」(木村荘八編著『銀座界隈』東峰書房、昭和29九年)によると、ライオンは常連中心の店で、女給もタイガーに比べると地味で知性を感じさせた。

後発のタイガーは、一時は女給が二百人もいたほどの大型店。
菊池寛が多勢の友人や文藝春秋の社員を連れてきては、さかんにビールを飲んだ。
正岡容作詞の流行歌「銀座行進曲」(昭和3年)には、「タイガー女給さん文士が好きでライオンウェイトレスレディ気取り」とある。

「カフェーと女給は、芸者と待合に変るモダン都市の新しい風俗である。」(川本)

「今和次郎『新版 大東京案内』(中央公論社、昭和4年)によれば、当時、東京にはカフェーは六千百八十七軒、女給の数は一万三千八百四十九人もいたという。銀座だけでも女給の数は千六百八十人。震災前が芸者の時代だったとすれば、震災後は女給の時代に変ったといっていい。」(川本)
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永祚2年/正暦元年(990) 藤原兼家歿し、道隆が摂政関白となる。 娘定子は女御から中宮となる。

東京 北の丸公園 2012-08-24
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永祚2年/正暦元年(990)
1月5日
・一条天皇(11)、元服。
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1月25日
・内大臣道隆の娘の定子(15)が入内し、2月11日、女御となる
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5月8日
・兼家が病のため摂政太政大臣を辞任し関白となり、すぐに内大臣藤原道隆に関白を譲る。
関白道隆を摂政とする

道隆は、大和守高階成忠の娘で、女官で典侍(ないしのすけ)を勤めていた貴子(きし)を妻にして伊周(これちか)・隆家などの男子、定子(ていし)という女子を得て、父兼家と同じく自分の子や妻の一族をどんどん昇進させた。
伊周は19歳で権大納言、21歳では内大臣に昇って道長の上に立つという新記録を作った。
一方、娘の定子は一条天皇より4歳年長であったが、後宮に入り、15歳のとき、中宮(皇后と同じ)に立った。そのときはまだ皇子は生まれなかったが、内外ともに道隆の地位は固まっていった。

『大鏡』によると、道兼(花山天皇退位の立役者)はこれを不満として、父兼家の喪にも服さなかったという。

こうした空気を反映した、『古事談』(鎌倉時代の説話集)の頼信にまつわる逸話。
町尻殿こと藤原道兼の家人であった弟頼信が、「我が君のおんために中関白(なかのかんぱく、道隆)を殺すべし。我、剣戟(けんげき)を取りて走り人らは、誰人か之を防禦せんや」と語ったところ、兄頼光は驚いてこれを制止し、制止の理由を三つ挙げた。
すなわち、
「一つには、殺し得る事極めて不定なり。二つには、たとひ殺し得るといヘども、その悪事によりて主君、関白となる事不定なり。三つには、たとひ関白となるといヘども、一生の間隙なく主君を守る事また不定なり」
血気にはやる頼信と、冷静な兄頼光の姿を対照的に描いた説話
頼信は23歳、兄頼光はその20歳年長。頼光の母は弁官などをつとめた能吏、源俊の娘であるのに対し、頼信の母は藤原致忠(むねただ)の娘。致忠自身、殺人事件を起こしたし、その息子には武芸に優れた保昌や、大盗賊袴垂(はかまだれ)として知られる保輔がいた。
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7月2日
・藤原兼家(62)歿。
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10月15日
・円融中宮遵子を皇后とし、道隆の娘で一条女御定子を中宮とする。
道長が中宮大夫よなる。

皇后と中宮が並立する初例
元来、中宮は皇后の別称であったのが、皇后と中宮が別の地位となったのはこの時が初めてである。
中宮は、律令法では太皇太后・皇太后・皇后の三后の総称であるが、平安中期には皇后に対して中宮職(ちゆうぐうしき)をおき、皇后を中宮と呼んでいた。
この場合、定子を皇后に立てたことになるが、現に皇后には頼忠の娘遵子(円融上皇の后)がおり、これを皇太后にくり上げようにも、皇太后には詮子(円融女御、一条生母)、太皇太后には昌子内親王(冷泉后)がいてできなかった。
そこで遵子の皇后号はそのままで、仕える役所である中宮職を皇后官職とあらため、定子中宮に仕える役所として中宮職(長官である中宮大夫は道長)をおくことにした。三后でなく四后が並び立つというかなりの無理を行なった。
のちに道長が定子がいるのに娘彰子を中宮にしたのはこのさらに延長である。
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11月
・正暦に改元。
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2012年8月26日日曜日

東京 北の丸公園 夏のもみじ

東京 北の丸公園 2012-08-24

「日本という国が崩壊しないよう導きたい。 チェルノブイリ事故後、・・・訴訟が多発し、補償費用が国家予算を圧迫した。」 (山下俊一)

福島の子どもたちが気懸り。
いたずらに不安を煽らないというポリシーは、
結局、影響・被害を小さく見せる方策ではないのか?
山下俊一の下(↓)の言葉がそれを証明しているように見える。

福島医大の山下俊一副学長
「日本という国が崩壊しないよう導きたい。
チェルノブイリ事故後、ウクライナでは健康影響を巡る訴訟が多発し、補償費用が国家予算を圧迫した。
そうなった時の最終的な被害者は国民だ。」

この人、完全に患者に寄り添っていない。
何をおいても、第一に、補償費用の極小化に勤める、と言っている。
誰のために?
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毎日JP
クローズアップ2012:福島・子供の甲状腺検査 説明不足、不安招く
毎日新聞 2012年08月26日 東京朝刊

 「子供の健康を見守り、安心してもらうため」として福島県が無料で実施している18歳以下の甲状腺検査に、保護者の不安が募っている。セカンドオピニオンを求めて県外の病院を受診する人も続出。背景には結果に関する県の説明不足がある。【須田桃子、鈴木泰広、坂井友子】

 ◇独自受診、県内病院が拒否も
 福島県川俣町に住む60歳の女性は6月、4歳の孫を秋田市の中通(なかどおり)総合病院に連れて行った。車と新幹線で片道3時間、前日から宿泊し、甲状腺の触診と超音波、血液の検査を受けさせた。健康診断のため保険は適用されず、費用は約1万4000円。交通費なども約4万円かかった。

 福島県立医大から検査結果の通知が来たのは2月。「小さな結節(しこり)やのう胞(液体がたまった袋のようなもの)がありますが、2次検査の必要はありません」とあるだけで、約2年後の次回検査まで放置して大丈夫か不安が募った。秋田の病院で複数ののう胞を確認、気が動転した。医師は半年後の再受診を勧め「今度は病名がつき保険も使える」と言ったという。

 この病院には今年3月14日から約5カ月間で福島県の子供ら65人が訪れた。新潟や北海道、首都圏でも同様の受診が相次ぐ。福島医大が実施する県の検査は担当医を日本甲状腺学会など7学会に所属する専門医に限っているものの、検査は設備と経験のある医療機関ならどこでも可能だ。

 だが、遠くまで足を運ぶ人の中には、福島県内で検査を拒否された例が少なくない。会津若松市に避難する2児の母親(38)は市内の5病院に電話をかけ、断られた。「診てもらいたい時に診てもらえないなんておかしい」と憤る。

 医師らに理由を聞くと、「福島医大と異なる判断が出たら混乱を招く」(福島市の小児科医)▽「保護者の不安を解消するのは民間病院の役目ではない」(会津地方の病院)。県の検査に携わる医師の一人は「今回の福島医大の検査は放射線の健康影響を追跡する世界でも例のない疫学調査。他の病院で受けて県の検査を受けない人が出ると、邪魔することになる」と話した。

 福島医大の山下俊一副学長らが1月に日本甲状腺学会など7学会に出した文書の影響を指摘する声もある。県の検査結果に関する相談があった際、「次回の検査までに自覚症状等が出ない限り追加検査は必要ないことを、十分にご説明いただきたい」との内容だ。同学会に所属する医師の一人は「この文書に従うと、医師は診療を拒否してはいけないという医師法に反してしまう」という。

 この文書について山下氏は「県は精度の高い検査を行っているので保護者が混乱しないようにきちんと説明してほしいという意味で、セカンドオピニオンを与えることを否定するものではない」と説明する。

 保護者の不安が広がる中、浪江町は7月、県の検査がない年は町の診療所で検査する事業を独自に始めた。紺野則夫健康保険課長は「県は保護者や子供の気持ちが分かっていない。もっときめ細かく対応しデータを提供すべきだ」と話す。

 ◇詳細結果、開示請求が必要
 福島県の甲状腺検査は、しこりやのう胞の有無、大きさを基に「A1」「A2」「B」「C」の4段階で判定している。BとCは2次検査を受ける。

 保護者の不安が最も大きいのは「A2」だ。しこりなどが見つかったが基準より小さいため2次検査の対象外のうえ、通知にはしこりの数や部位、大きさが具体的に記されていないからだ。福島医大には電話の問い合わせが250件を超え、同大は改善を始めた。今後は結果に関する住民説明会も開くという。

 だが、他にも課題はある。検査前に保護者が署名する同意書には、結果について「(保護者や本人の)希望により、いつでも知ることができる」と明記されているが、医師の所見やエコー画像を見るには、県の条例に基づき情報公開請求しなければならない

 開示請求はこれまでに6件あった。うち3件が約3週間後に開示されたが、静止画像は通常のコピー用紙に印刷されたもので、より鮮明な画像のデジタルデータは「改ざんされる恐れがある」(福島医大)と提供されなかった。同大広報担当の松井史郎特命教授は「身体に関する情報の取り扱いは特に慎重を期さなければならない。本人と確認するには開示請求してもらうのが確実だ」と説明する。

 これに対し、日弁連情報問題対策委員会委員長の清水勉弁護士は「子供を守るための検査なのに本末転倒だ。検査結果のように本人や保護者にとって切実な情報は、本人と確認できれば速やかに希望する形で開示すべきだ」と指摘。仮に提供した画像が改ざんされても「元データを管理していればよい話で、非開示の理由にはならない」という。


毎日JP
クローズアップ2012:福島・子供の甲状腺検査 山下俊一・福島医大副学長(甲状腺検査責任者)の話
毎日新聞 2012年08月26日 東京朝刊

 ◇「親の声、謙虚に聞く」
 福島医大で甲状腺検査の責任者を務める山下俊一副学長に、課題を聞いた。

 −−検査の目的は。
 ◆県民の健康増進のための医療サービスで、決して調査研究ではない。WHO(世界保健機関)の推計で、福島住民の被ばく線量はどんなに高くても100ミリシーベルト。100ミリシーベルト以下の健康リスクは明らかには証明されていない、または非常に小さいというのが科学者の国際的合意だ。

 −−県外でセカンドオピニオンを求める保護者が増えているが。
 ◆改善策を考えなければならない。医師の考え方とお母さんの立場にギャップがある。謙虚に声を聞き、信頼関係を築きたい。

 −−放射線の影響をどう判断するのか。
 ◆小さながんも見つかるだろうが、甲状腺がんは通常でも一定の頻度で発症する。結論の方向性が出るのは10年以上後になる。県民と我々が対立関係になってはいけない。日本という国が崩壊しないよう導きたい。チェルノブイリ事故後、ウクライナでは健康影響を巡る訴訟が多発し、補償費用が国家予算を圧迫した。そうなった時の最終的な被害者は国民だ。


毎日JP
甲状腺検査:福島県外の子供と比較 内閣府方針
毎日新聞 2012年08月26日 09時48分(最終更新 08月26日 13時24分)

 福島第1原発事故を受けて福島県が始めた子供の甲状腺検査に関連し、国は放射線の影響の有無を調べるために県外でも同様の検査を実施し、今年度中に比較データを得ることを決めた。福島では受診者の約35%にしこりなどが見つかり、県は「良性の小さなのう胞やしこりは通常でもよくある」と説明しているが、通常の保有率の精密なデータがなく保護者の不安が募っている。国の担当者は「比較可能なデータを得て、福島の人々の安心につなげたい」という。

 チェルノブイリ原発事故で子供の甲状腺がんが増えたことから、福島県は昨年10月、震災時に0〜18歳だった県民約36万人を対象に超音波検査を始めた。今年3月末までに受診した3万8114人のうち35.8%にあたる1万3646人で結節(しこり)やのう胞(液体がたまった袋状のもの)が見つかり、186人が2次検査の対象となった。がんが判明したケースはない。

 検査を実施している福島県立医科大の鈴木真一教授は、チェルノブイリ事故後に子供の甲状腺がんが増え始めたのが4〜5年後だったことなどから「現時点で放射線の影響が出ることはない」と説明する。一方、放射線の専門家からは「子供の一般的なしこりの保有率を調べて比べなければ、被ばくの影響の有無は判断できない」との指摘が出ていた。

 内閣府原子力被災者生活支援チームによると、事業は一般競争入札で公募した団体に委託し、全国3カ所以上の18歳以下計4500人以上に無料で検査を実施する。検査には福島県と同様、日本甲状腺学会などに所属する専門医らがあたり、超音波機器の水準や結果の判定基準も統一する。津田敏秀・岡山大教授(環境疫学)は「現状では県の説明に納得できない人がいても仕方なく、意味のある調査だ」と話す。

 検査データは来年3月末までに集約し、報告書にまとめる。検査開始前に疫学などの専門家による調査委員会を設置して具体的な計画を立てるが、地域の選定には教育委員会や学校、保護者の同意が必要になりそうだ。

 結果は対象者に通知する。国は必要に応じて相談や助言をするほか、結果がまとまった段階で説明会を開くという。【須田桃子】

30歳代・40歳代前半の男性 極端に年収減少 非正規社員増加が要因 貯蓄は259万円の赤字

しんぶん赤旗 2012年8月25日(土)
賃金下落 非正規増が要因
生命保険会社報告書で指摘     
 労働者の賃金は1997年をピークに下落傾向を続けていますが、その要因が非正規社員の増加にあると、フコク生命が発表した月例の経済報告書(8月号)が指摘しています。

 同リポートは年齢階級別の年収を比較し、2001年に比べて11年では30歳代と40歳代前半の男性が極端に年収が減少していることに着目。これらの世代では非正規社員が増加しており、「平均賃金の押し下げ要因」だと述べます。加えてリポートでは正社員の年功賃金カーブがフラット(平坦)化しており、各年齢層で「前の世代と比較すると賃金水準が大きく低下している」としています。

 賃金水準の低下が国民生活に与える影響として、所得税収の減少と家計における貯蓄額の減少を取り上げています。とりわけ貯蓄については「30代は、貯蓄から負債を引いた純貯蓄額ベースでは、8万円の赤字から259万円の赤字へと実質的な借金が増えて」いると述べます。

 リポートはこれらの対策として「若年層を中心とした非正規社員の正社員化が重要な政策課題」と指摘。そのために政府が目標を持ち、具体的施策を掲げるとともに「受け皿となる民間企業の意識変化も鍵となろう」と強調しています。

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(29) 「第1章 ショック博士の拷問実験室」(その9)

東京 北の丸公園 2012-08-24
*
ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(29)
 「第1章 ショック博士の拷問実験室」(その9)

グアンタナモ・ベイは実験施設だ
 キューバのグアンタナモ米海軍基地に長期間拘留される者は少なくない。
同基地に収監されていたエジプト系オーストラリア人マムドゥー・ハビブは、「グアンタナモ・ベイは実験施設だ。(中略)彼らは洗脳の実験をしている」と述べている。
実際、グアンタナモに関する証言や報告、写真などを見ていると、一九五〇年代のアラン記念研究所があたかもキューバに移転したような感がある。
まず最初に拘束者は頭巾をかぶせられ、黒いゴーグルとすべての音を遮断する重いヘッドホンを着けさせられて、極度の感覚遮断の状態に置かれる。
何ヵ月間も独房に隔離されたあげく、外に連れ出されれば今度は吠える犬やストロボライト、赤ん坊の泣き声や大音響の音楽、猫の鳴き声などを録音したエンドレステープなどで感覚を攻撃される。

 拘束者のなかには、こうした扱いを受けた結果、五〇年代にアラン記念研究所に拘束されていた者とほぼ同じ状態 - すなわち完全な退行に陥った者も少なくない。
グアンタナモ収容所から釈放されたあるイギリス国籍の拘束者が弁護士に語ったところでは、収容所の「デルタ・ブロック」と呼ばれる一角全体が、永続的な妄想状態にある「少なくとも五〇人の」拘束者のために確保されているという。
機密解除になった米連邦捜査局(FBI)の国防総省宛て書簡には、重要人物と目されるある拘束者が「三ヵ月間、徹底した隔離状態に置かれ」、「極度の精神的トラウマに合致する行動(そこにいない人に話ししかける、誰かの声が聞こえると言う、独房の中でシーツをかぶり、何時間もしゃがんだ状態でいる)が見られた」とある。

 元米陸軍のイスラム教教誨師でグアンタナモ収容所に勤務していたジェームズ・イーは、デルタ・ブロックの拘束者が典型的な極度の退行症状を示していたと話す。
「立ち止まって話しかけても、向こうはまるで子どものような声で訳のわからないことを言ってくるだけだった。子どもっほい歌を人声で歌い、同じ歌を何度も何度もくり返している人も何人もいた。鉄のベッドのフレームの上に立ち上がって、子どもみたいに騒いでいる者もいて、子どもの頃兄弟と一緒に「お山の大将」ゲームをして遊んだことを思い出した」とイーは言う。
二〇〇七年一月、一六五人の拘束者が「キャンプ・シックス」と呼ばれる新しく建設された部分に移されるに及んで、状況はさらに著しく悪化した。
ここに設けられた鋼鉄製の独房では、他人との接触は一切行なわれない。グアンタナモの拘束者数人の弁護士を務めるサビン・ウィレットは、もしこの状況が継続すれば「ここは精神病院と変わらなくなる」と憂慮した。

グアンタナモ収容所・・・いちばんまともなものだ
 しかし人権団体は、グアンタナモ収容所がいかにおぞましい施設であれ、米政府が運営する海外の同様の施設のなかではいちばんまともなものだと指摘する。
というのも、ここでは国際赤十字と弁護士による監視が、限定的ではあるが行なわれているからだ。これまで不特定多数の人々が世界中に設置された「ブラックサイト」と呼ばれる秘密拘留施設のネットワークに拘禁されたり、特別引き渡しの制度によって海外の刑務所に移送されたりしている。
こうした悪夢のような体験から生還した拘束者たちは、キャメロン流のショック戦術による全面攻撃を受けたと証言している。

ミラノの路上でCIAに拉致されたハッサン・ムスタファ・オサマ・ナスルの場合
 エジプト出身でイタリアに亡命したイスラム教指導者ハッサン・ムスタファ・オサマ・ナスルはミラノの路上で、CIA工作員とイタリアの秘密警察によって拉致された。
「いったい付が起きたのか、まったく訳がわからなかった」と、彼はのちに書いている。
「いきなり腹を殴られ、体中を殴られた。それから頭と顔を幅広のテープでグルグル巻きにされて、息ができるように鼻のところにだけ穴を開けられた」。
その直後にエジプトに移送されたナスルは、明かりのない独房に入れられ、「ゴキブリやネズミが体の上を這い回る」状態で一四ヵ月間過ごした。
ナスルは二〇〇七年二月までエジプトの刑務所に拘留されたが、自らの受けた虐待の詳細を手書きで一四ページにわたる文書にまとめ、外部に持ち出すことに成功した。

電気ショック
 それによれば、彼はくり返し電気ショックによる拷問を受けた。『ワシントン・ポスト』紙の記事によると、ナスルは「「花嫁」と呼ばれる鉄製のラックに縛りつけられ、スタンガンで電気ショックを受けた」り、「床に敷かれた濡れたマットレスに縛りつけられた」りした。
「一人の尋問官がナスルの肩に固定された木製の椅子に座り、もう一人の尋問官がスイッチを入れると、マットレスのコイルに高圧電流が流れた」。

 米政府によって拘束され、電気ショックによる拷問を受けたのはナスルだけではないと考えられる理由は十分ある。
とはいえ、米政府が行なったのは拷問なのか、それとも「巧妙に工夫された尋問」にすぎないのかをめぐる議論でも、ほとんどこの事実は見逃されている。
グアンタナモ収容所に拘留され、一〇回以上自殺を試みたジュマ・アルドサリが弁護士に提出した書面による証言によると、アルドサリがカンダハルで駐留米軍に拘束された際、「尋問官が携帯電話のような小さな器具を持ってきたが、それは電気ショックを与える器具だった。彼はその器具を使って私の顔、背中、手足、そして性器にショックを与えた」という。
またドイツ生まれのムラト・クルナズもカンダハルの米準基地に拘留され、同様の仕打ちを受けた。
「まだ最初の時期で、規則など何もなかった。やつらはどんなことでもやりたい放題だった。毎回俺たちを殴り、電気ショックも使ったし、水の中に頭を押し込んだりもした」

(つづく)

東京 北の丸公園 猛暑の中の栗

連日の猛暑
二十四節気の「処暑」の翌日であった8月24日(金)もまたモーレツに暑かった。

そんな中で、北の丸公園の栗を見てきた。



阪神淡路大震災のガレキ撤去でがんに。2ヶ月の作業だった。

NHKニュース
阪神・淡路大震災 がれき撤去でがんに
8月24日 5時13分
阪神・淡路大震災の際、がれきの撤去作業をした兵庫県の男性がアスベスト特有のがんで死亡し、国から労災の認定を受けていたことが分かりました。
男性が作業をしたのは2か月間だけで、専門家は、東日本大震災でがれきの撤去に関わっている短期のボランティアなども十分注意してほしいと話しています。
労災を認定されたのは、兵庫県宝塚市の男性でアスベスト特有のがん「中皮腫」を発症し、去年、65歳で死亡しました。
男性は、17年前の阪神・淡路大震災の直後、2か月間だけアルバイトでがれきの撤去作業をしていて、その際吸い込んだアスベストが原因で中皮腫になったと労災を申請していました。
男性は、震災での作業のほかにはアスベストにさらされる仕事をしたり、アスベストを扱う工場の近くに住んだりしたことがなく、ことし6月、厚生労働省の検討会で労災の認定が決まりました。
専門家は、中皮腫の潜伏期間が通常40年前後であることを考えると、今後、同様の被害が増えると指摘しています。
また、男性が2か月間という短期間の作業で中皮腫になっていることから、東日本大震災の被災地でも対策の強化が必要だとしています。
アスベスト問題に詳しい、ひょうご労働安全衛生センターの西山和宏事務局長は「東日本大震災では、津波の被害でアスベストを含む建材があちこちに散在している。アスベストは少しでも吸ったら危険なんだという認識で、専用のマスクをするなどして活動してほしい」と話しています。

原子力委員会の秘密会議、議事録一部公開。 原発維持方針を委員長が主導

原子力委員会秘密会議の議事録の一部が公開された。
この議事録、内閣府の検証委員会の調査では「ない」とされていたもの。

後出し、小出し、である。

前の記事(↓)をご参照下さい。
経産省、「ない」と言っていた秘密会議(勉強会)の議事録、実は「あった」。 組織的隠蔽ではない、という。ハァ~。

さてさて、今回公開された議事録では、
当初は出席していないと言っていた近藤委員長が、
実は、この秘密会議の主導権を握っていたという、
考えてみれば、想像通りの事実が確認されたようだ。
「推進派」のやりたい放題、という実態。

毎日JP
核燃サイクル:秘密会議問題 原子力委員長が主導 原発依存度「コントロールできる」
毎日新聞 2012年08月25日 東京朝刊

 内閣府原子力委員会が原発推進側だけを集め「勉強会」と称する秘密会議を開いていた問題で、近藤駿介原子力委員長が有識者会議「新大綱策定会議」を巡り昨年12月8日、原発依存度について「最後はコントロールできる」と自ら原発維持の方向で取りまとめる方針を明らかにしていたことが分かった。毎日新聞の情報公開請求に対し、経済産業省資源エネルギー庁が24日開示した職員作成の議事メモに記載されていた。近藤委員長の発言内容が明らかになったのは初めて。(3面に解説と議事メモ要旨)

 秘密会議は昨年11月〜今年4月、計23回開かれ、近藤委員長は1回目から連続4回出席したことが判明している。近藤委員長はこれまで秘密会議への出席を認める一方「あいさつしただけ」とし監督責任にとどまるとの見解を示していた。議事メモによると、策定会議や核燃サイクル政策を議論する有識者会議(小委員会)の議題も指示しており、秘密会議を主導していた実態が判明した。

 エネ庁が公開したのは7回分計58ページの議事メモ。このうち昨年12月8日分に近藤委員長の発言があり、将来の原発依存度を話し合った策定会議について「円滑に議論は進まないかもしれないが、いざとなれば(原子力)委員会が引き取る。(議論がまとまらず、依存度ゼロかどうか)両論併記としても最後の打ち出し方はコントロールできる」としていた。当時、原子力委は策定会議の議論をベースに原子力政策全般を定めた「新大綱」を作成する方針で、「最後の打ち出し」は新大綱を指し、原発維持で結論づける姿勢を示した。

 同日分のメモによると、近藤委員長は「論点ペーパーをまとめてみたので、これをベースに大綱(策定)会議で議論してもらったらどうか」「(高速増殖原型炉)もんじゅについて(次の)小委員会で検討したらどうか」などと指示していた。

 エネ庁、文部科学省、電力事業者らで開いていた秘密会議は5月24日、毎日新聞の報道で発覚。策定会議メンバーから批判が噴出し、同会議は5月29日を最後に開かれていない。原子力委はメンバー入れ替え後の再開を予定しているが人選が進んでおらず、新大綱作りはストップしたまま。近藤委員長は24日、取材に対し「(議事メモの発言は)自分にとってはあいさつの世界。委員長としての決意を語っただけ。(新大綱は)最後は私の責任でやる」と話した。【核燃サイクル取材班】

2012年8月25日土曜日

マツコ・デラックスの名言と映画「追憶(THE WAY WE WERE)」

昨日(8月24日)の「朝日新聞」夕刊「私のグッとムービー」は、
マツコ・デラックスが「追憶」を取り上げていた。

映画の話の前にちょっと寄り道。

先日、番組名は忘れたが、あるTV番組でマツコ・デラックスの名言というのが紹介されていて、
それが秀逸。
この人を見直した。

それは、
「私では地球を救えませんので協力できません。
  どなたか今まで、地球を救った人はいましたか?」
というもの。


乙武さんもこんな意見を(↓)
乙武 洋匡 ‏@h_ototake
24時間テレビを放送するのと、パラリンピックを24時間放送するのと、どっちが障害者理解が進むのかな・・・


正確に覚えていなかったので、この方のブログ(コチラ)で教えて貰った。

「愛」を食いものにして視聴率を稼ごうとする姿勢を皮肉ったものだろうが、
TVで食っている人なら最もタブーとするものじゃないだろうか。

原子力ムラ知識人にその根性を注入して戴きたいものだ。

「朝日」記事(↓)
「人それぞれの幸せがある」
というのもこの人の信念・覚悟を知る思いがする。
この映画、見たぞ、ということで、
確かパンフレットも買ったはずだ、と探したら、
あったあった(↓)

スカラ座だって!




40年前のパンフレットなんで、活字部分はかなり薄くなっている。
映画の概観はコチラのサイトが詳しい

パンフレットには、監督シドニー・ポラックの姿勢とマッカーシズム(赤狩り)について田山力哉さんが書いた文もある。
これも時代かな。

さて、
映画ではバーブラ・ストライサンドが毅然たる反戦活動家を演じているが、彼女は主題歌も歌っている。
少し鼻にかかったような甘い声で聞き手をうっとりさせる。

何個か比較したけど、「対訳付き」のこれ(↓)が良かった。




放射能汚染 小諸市 浅間山湯ノ平登山道で採取されたキノコから放射性セシウムが検出

浅間山湯ノ平登山道で採取されたキノコから放射性セシウムが検出されました。

  浅間山湯ノ平登山道で採取されたキノコから放射性セシウムが検出されましたので、測定結果をお知らせします。
・ 試 料 名 : 雑きのこ
・ 採 取 日 : 平成24年8月22日 12:00
・ 採取場所 : 浅間山湯ノ平登山道
・ 測 定 日 : 平成24年8月24日 10:34~11:34
・ 測 定 者 : (株)東信公害研究所
・ 測定結果 
 測定核種  検出下限値(Bq/kg)  測定結果(Bq/kg)
 放射性セシウム134      3.0   118
 放射性セシウム137      3.0   232
 放射性セシウム(合計)    3.0   350
・ 注意事項
 今回キノコが採取された場所は、自然公園法に基づく国立公園の特別保護地区内です。
 同地区内では、全ての動植物の採取が禁止されていますので、採取することがないようご注意ください。
-お問い合わせ-
経済部 農林課


毎日JP
東日本大震災:野生キノコからセシウム検出−−佐久 /長野
毎日新聞 2012年08月25日 地方版
 佐久市は24日、浅間山の湯ノ平周辺(御代田町)で市民が採取して市に持ち込んだ野生の雑キノコから、放射性セシウムが1キロ当たり350ベクレル検出されたと発表した。
 市によると、男性は22日に3、4種類のキノコを採取。23日に佐久市の簡易型測定器で測ったところ放射性セシウムが検出され、東信公害研究所(上田市)で再測定して数値が明らかになった。男性は食用でなく、汚染状態を確かめるために採取したという。【藤澤正和】

放射能汚染 青森県の太平洋沖で漁獲されたマダラ、基準値超、青森で初

MSNニュース
太平洋沖マダラ出荷制限へ 青森の農水産物で初
2012.8.25 13:36
 青森県の太平洋沖で漁獲されたマダラから国の新基準値を超える放射性セシウムが2度検出されたため、国が週明けにも出荷制限を指示することが25日、県関係者への取材で分かった。
 東京電力福島第1原発事故の影響で、青森県の農林水産物が出荷制限の対象になるのは初めて。
 青森県では6月、同県八戸市沖で取れたマダラから、国の新基準値を超える1キログラム当たり116ベクレルの放射性セシウムを検出したとして、地元漁協に出荷自粛を要請した。
 その後の検査では基準値を下回っていたため7月末に自粛を解除。直後の今月9日、八戸市沖で取れたマダラから基準値を超える1キログラム当たり132・7ベクレルの放射性セシウムが検出されたため、再び出荷自粛を要請した。

「消費増税では国民に信を問わずに、今になって、民主・自民両党が対立しているのは無責任で理解に苦しむという批判がある」


田中稔さんのツイター
ジャーナリスト 田中稔 ‏@minorucchu
昨夜のNHK時論公論で、安達宜正解説委員。国会情勢について、「消費増税では国民に信を問わずに、今になって、民主・自民両党が対立しているのは無責任で理解に苦しむという批判がある」と指摘。特例国債法など成立させて、衆議院を解散すべきと強調。

7世紀の白鳳地震は、宝永地震のように東海・東南海・南海の3連動地震だった

MSNニュース
静岡で津波堆積物確認 7世紀にも「3連動」か 同時期に東海地震、初の立証
2012.8.21 07:12
 文献に記された最古の南海地震「白鳳地震」(684年)と同じころ、記録にはない東海地震が発生したことを示す津波堆積物を産業技術総合研究所(茨城県つくば市)の藤原治(おさむ)主任研究員らが静岡県で確認したことが20日、分かった。同時期の津波堆積物は東南海地震のエリアでも見つかっており、3地震がほぼ同時に起きたことが確実になった。3つの地震が時間差なく発生した3連動地震の可能性もある。

 西日本全域に甚大な被害を与える南海トラフでの3連動地震は、これまで宝永地震(1707年)が確認されているだけだった。巨大な連動型地震の繰り返し間隔や規模を考える手掛かりになるとともに、国の被害想定や防災対策の見直しに影響を与えそうだ。

 「白鳳東海地震」を初めて立証する貴重な発見で、藤原主任研究員は「同時か時間差かは断定できないが、震源域は南海トラフ全域に及んだはず。今後は当時の地形を復元し、津波の遡上(そじょう)高を調べたい」としている。

 調査したのは、静岡県磐田市の太田川河口から約2・5キロの元島(もとじま)遺跡と、さらに500メートル上流の河川改修工事現場。

 藤原主任研究員らは、両地点で深さ約5メートルの地層に4つの砂層があるのを確認。海から運ばれた貝の化石や鉱物を含み、堆積構造が海から陸へ流れ込んだ状況を示していることから、洪水ではなく津波と判断した。

 4つの砂層の年代は、炭素同位体による年代測定で7世紀後半、9世紀後半、11世紀後半、15世紀後半と判明。南海トラフを震源域とする白鳳南海地震、仁和(にんな)南海地震(887年)、永長東海・東南海地震(1096年)、明応南海地震(1498年)と一致した。仁和南海地震も、同時期の東海地震を示す文献は見つかっていなかった。

 白鳳時代の津波堆積物は三重、高知、大分の各県で確認されており、四国と九州では宝永地震に匹敵する規模だったことが判明。東南海・南海の2地震が連動した可能性が指摘されていた。仁和地震の痕跡は白鳳地震より小さく、3連動の可能性は低いとみられる。
                   ◇
 ■連動で津波巨大化?
 古村孝志東大教授(地震学)の話「静岡県での津波堆積物発見で、白鳳地震は宝永地震のように東海・東南海・南海の3地震が同時発生した3連動地震の可能性が高くなったといえる。これまでに四国や九州で確認された白鳳地震の津波堆積物は、宝永地震に匹敵するか、それをしのぐ規模だった。3地震が連動したため震源域が広がり、断層面の滑り量も増大して、四国や九州で津波が高くなったと考えられるからだ。こうした連動型の巨大地震に備え、人口が過度に集まる都市と高齢化が進む現代社会に即した避難、減災計画を整えることが急務だ」

放射能汚染 群馬県、赤城大沼のワカサギ 基準値超セシウム検出

東京新聞
【群馬】赤城大沼のワカサギ 基準値超セシウム検出   
2012年8月25日
 基準値を超える放射性物質の検出で、ワカサギ釣りが全面禁止となっている赤城大沼(前橋市)について、県は二十四日までにサンプリング調査を行い、基準値(一キロ当たり一〇〇ベクレル)を超える二一〇ベクレルの放射性セシウムを検出した。これを受けて、県は地元漁協にワカサギの出荷自粛を要請する。ただし釣りについては、回収(釣った魚の放流)を条件に予定通り九月一日に解禁する方針だ。 (池田一成)
 県は赤城大沼と榛名湖(高崎市)でサンプリング採取をし、赤城大沼ではセシウム134が八三、同137が一三〇の計二一〇ベクレルを検出した。
 榛名湖については二十四日現在、判定に必要な三百~五百グラムのワカサギが採取されておらず、赤城大沼と同時解禁できるかは微妙だという。
 赤城大沼では例年九月から翌年三月にかけてワカサギのボート釣りや氷上釣りを解禁する。しかし福島第一原発事故後の昨年八月以降、当時の暫定規制値(一キロ当たり五百ベクレル)を超える放射性物質の検出が続き、昨年九月の解禁は自粛した。
 その後、暫定規制値を下回ったため、今年三月の一カ月間のみ氷上釣りを解禁。四月から安全性を厳格化した新基準値が適用されたため、県は再び全面禁止していた。
 県によると、今後、サンプル採取して三回連続で基準値を下回れば、出荷も可能となるという。

双葉町、国の線量基準はチェルノブイリの4倍も高い、町民の安全が守れないと指摘

福島民報
国の線量基準に不満 双葉町が再編協議拒否の理由示す
 東京電力福島第一原発事故に伴う避難区域の再編で、福島県双葉町は23日、新潟県柏崎市で開いた住民説明会で区域の再編に現段階で応じていない理由を明らかにした。

 チェルノブイリ原発事故で立ち入り禁止とされた区域の放射線量と国の「居住制限区域」の線量を比較し、日本側が4倍も高いと指摘。国の基準で区域を再編した場合、町民の安全は守れないなどとしている。

 町によると、チェルノブイリ原発事故では、年間積算線量が5ミリシーベルト超の地域の住民に他地域への移住を義務付け、現地は原則立ち入り禁止とされた。

 これに対し、国は
(1)50ミリシーベルト超を「帰還困難区域」とする一方、
(2)20ミリシーベルト超50ミリシーベルト以下は住民の帰宅や通過交通を認める「居住制限区域」、
(3)20ミリシーベルト以下は除染やインフラの整備を進め住民の早期帰還を目指す「避難指示解除準備区域」
に再編する方針。

 町内については、この線量基準などに基づき3区域に再編する案を示しているが、町側は住民の安全確保などの観点から町内全てを帰還困難区域にするよう求めている。
( 2012/08/24 08:26 カテゴリー:主要  )
*
段落、改行、番号付けなどを施した。

経産省調査 南海トラフ・首都直下地震で製油所8割が機能不全

MSNニュース
南海トラフ・首都直下地震 製油所8割が機能不全に 経産省調査
2012.8.24 07:15
 東海、東南海、南海などの地震が連動して起きる「南海トラフ巨大地震」や「首都直下地震」によるエネルギー供給への影響を調査してきた経済産業省が、両地震が発生した場合、国内の約8割の製油所施設が「機能不全に陥る」とする分析結果をまとめたことが23日、分かった。これを受け、同省は7月末、各製油会社に貯蔵タンクなどが両地震に耐えうるか調査を指示したが、市場や消費者のパニックを懸念して秘密裏に実施した。

 同省は、政府中央防災会議の作業部会が7月19日にまとめた両地震の中間報告を独自に分析。専門家の意見を参考に全国27カ所の製油所について調べたところ、太平洋側の海岸近くに集中する22施設で「影響を受ける」との結果が出た。耐震強度に現行法上の問題はないものの、「巨大地震による液状化現象などが加われば、相当程度、機能不全に陥る」と結論づけた。
 同省関係者は「石油貯蔵タンクは数十年に一度の地震に耐えられるが、百年に一度の巨大地震は想定していない」と断言した
 経産省は製油会社の調査も踏まえ、貯蔵タンクなどの耐震化スケジュールを来年3月までに決める方針。耐震化に必要な設備費の補助も平成26年度に予算化する方向で調整している。

 中央防災会議作業部会の中間報告は、高さ10メートル以上の津波が11都県を襲うと想定される南海トラフ巨大地震を「東日本大震災を超え、国難とも言える巨大災害」と位置付けた。また、発生確率が「30年以内に70%」とされるマグニチュード7クラスの首都直下地震については「わが国の存亡に関わる」としている。
 昨年3月11日の東日本大震災時には、仙台市など、全国3カ所の製油施設が津波や火災で半年から1年間も操業を停止。生産能力が地震発生前と比べて3割もダウンした時期があった。
 ただ、ガソリンを災害時に有効活用するための石油備蓄法や石油需給適正化法の改正案などの関連法案は今国会成立が危ぶまれており、危機管理の行き届かない状態が続きそうだ。

【用語解説】南海トラフ巨大地震と首都直下地震
 南海トラフ巨大地震は駿河湾から九州沖に延びる海底の溝を震源域とする。東海・東南海・南海の三連動も予想されており、巨大津波や強い揺れで東日本大震災を上回る人的・物的被害が生じるとみられる。首都直下地震はマグニチュード7クラスの揺れを南関東にもたらす。政府は南海トラフ巨大地震の予想死傷者数を8月下旬に公表する

東電TV会議映像での発言訂正 福島県知事ではなくて県庁職員です

毎日JP
東電テレビ会議:水素爆発直後の映像発言を訂正
毎日新聞 2012年08月24日 21時47分(最終更新 08月24日 22時03分)
 東京電力福島第1原発3号機が昨年3月に水素爆発を起こした直後の社内テレビ会議映像に記録されていた、「健康被害の心配はない」との文言を報道発表文に盛り込むよう福島県の佐藤雄平知事から要請されたとする社員の発言について東電は24日、「要請は佐藤知事ではなく、県庁職員からだった」と県に伝えたことを明らかにした。
 東電が報道関係者に限定して映像を公開後、県が「知事が要請した事実はない」と否定。東電に事実確認するよう求めていた。
 映像では、水素爆発から約2時間後の昨年3月14日午後1時半ごろ、東電本店社員が「県庁、具体的には知事から『今、北西の風で、観測された放射線量から健康に被害が出る心配はない』との文言を入れたい、入れてほしいとの話があった」と発言した。しかし、東電社内で検討した結果、発表文への記載は見送られた。
 東電の松本純一原子力・立地本部長代理は取材に対し、「社内で調査した結果、知事ではなく県職員から聞いたということだった。その職員が誰かは特定できていない」と話している。【神保圭作】
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映像証拠の訂正は一片の発表だけでは済まない。
「誤解」だとしたら、「誤解」の経緯説明くらいは最低限必要。

仮に、知事さんじゃなかったとしても、県政指導部に意志と言う点では同じ

「県庁職員
仮に知事さんでないとしても、どうして「職員」という表現?
局長とか部長じゃないの、最低でも。
何とか、小さい事件にしたい、小者(「職員」)が勝手にやったことにしたい、そんな底意が見える。
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河北新報
原発事故「健康被害なし」問題 「県職員から要請」東電調査

 福島第1原発の水素爆発直後、東京電力の社内テレビ会議の映像で、佐藤雄平福島県知事が「健康被害の心配はない」という文言を報道発表資料に記載するよう東電に要請したとするやりとりが録画されていた問題で、東電は24日、「県職員から記載要請を受けた可能性が高い」とする内部調査の結果を公表した。

 東電は当時、福島に駐在していた社員らを聞き取り調査。映像には県の要請内容が記されたメモが映っていて、社員らは「県職員の誰かからメモの趣旨の話をされた記憶はある」と証言した。
 調査では、知事からの直接要請はなかったとしたが、県職員から「知事の要請」と言われたかどうかは判然としないとしている。
 県は調査結果の報告を受けて記者会見し、「職員への再調査でも要請の事実は確認できない」と反論した。荒竹宏之生活環境部長は「報道発表への要請を裏付ける具体的な情報が東電から示されず、これ以上の調査継続は困難」と県側の調査を打ち切る考えを示した
 東電の映像によると、昨年3月14日に起きた3号機の水素爆発の約2時間後、東電広報班が「福島県知事から『放射線が健康に被害が出る心配はない』という文言を報道発表文に入れてほしいと話があった」と東電本店非常災害対策室に連絡。本店は「そう言い切るのはリスキー(危険)だ」と難色を示し、報道発表資料に記載されなかった。
 県は「知事が要請した事実はない」との見解を示し、東電に社内会議でのやりとりの背景や経緯を調査し、報告するよう求めていた。
2012年08月25日土曜日

「人間の品質」を問う材料BOX

「人間の品質」を問う材料にするためのとりあえずの収拾BOX。

■石原慎太郎
琉球新報
都知事「従軍慰安婦は強制でない」
2012年8月24日            
 東京都の石原慎太郎知事は24日の記者会見で、旧日本軍の従軍慰安婦問題について「はっきり言っておくが強制ではない。日本にいる朝鮮人を強制した証拠がどこにありますか」と述べた。 知事は「ああいう貧しい時代には日本人だろうと韓国人だろうと、売春は非常に利益のある商売だったから、貧しい人たちはある意味で仕方なしに、しかし、決して嫌々でなしにあの商売を選んだ」と話した。
 その上で、旧日本軍の強制性を認めた1993年の河野洋平官房長官談話に関し「訳が分からず認めた河野洋平っていうばかが、日本と韓国の関係を駄目にした」と述べた。
(共同通信)

毎日JP
竹島・尖閣問題:石原知事、中国と韓国の批判展開
毎日新聞 2012年08月24日 19時28分(最終更新 08月24日 21時05分)
 東京都の石原慎太郎知事は24日の定例記者会見で、尖閣諸島や竹島の問題に関連し「中国ではこれから騒擾(そうじょう)事件が起こる」「(韓国の李明博氏は)大統領の器じゃない」などと中国、韓国への批判を展開した。
 尖閣諸島を巡る中国の反日デモに石原知事は「北京の政府は、そういう(国内問題への)エネルギーをそらすために、彼らを扇動しているかもしれない」と言及。「中国の政府は分裂していく。四つくらいの国になった方が幸せ」とも語った。
 韓国の李大統領に対しては「兄貴が収賄でつかまって、自分もこれから危ないんじゃない? ずいぶん韓国の大統領ってのは終わった後に逮捕されてる」と述べ、竹島上陸を「外交感覚が欠落している」と批判。従軍慰安婦問題に関しても「強制ってわけじゃない。日本人でも韓国人でも、貧しい人たちはある意味で仕方なしに、しかし嫌々じゃなく、あんな商売(売春)を選んだ」と持論を述べた。
 また、都が購入を計画している尖閣諸島の調査を今月末に続き、10月も実施する意向を示し「10月の再調査には私も行きます。逮捕されるなら、それで結構ですけど」と上陸に意欲を見せた。【清水健二】


■橋下徹
毎日JP
慰安婦問題:橋下市長が93年の河野談話を批判
毎日新聞 2012年08月24日 12時13分(最終更新 08月24日 15時29分)
 従軍慰安婦問題について、大阪維新の会代表の橋下徹・大阪市長は24日、慰安婦の募集や移送などに強制性があったことを認めた93年の河野洋平官房長官(当時)の談話を「日韓関係をこじらせている元凶」と痛烈に批判した。一方で、07年に安倍晋三内閣が「強制連行を直接示す資料は見当たらない」と閣議決定をしたことを評価し、「河野談話は見直すべきだ」と述べた。
 河野談話は慰安婦について旧日本軍の関与を認めた上で、「募集、移送、管理なども、甘言、強圧によるなど総じて本人たちの意思に反して行われた」として、「おわびと反省」を表明した。
 橋下市長は「証拠がないのに、強制性があったと受けとられるような談話を出したのは大失態」と批判。また、慰安所の存在については「現代社会でも性を商売とする風俗業がある」として、一定程度は許容されるとの見解を示した。
 橋下市長は21日にも「(強制連行の証拠があるなら)韓国の皆さんに出してもらいたい」などと述べている。【茶谷亮】

朝鮮日報
慰安婦:橋下大阪市長「河野談話は最悪」
韓国政府に証拠を示すよう要求
 「日本が強制した証拠はない」
 日本の次世代の指導者と注目される橋下徹・大阪市長(43)=写真=が、韓国の独島(日本名:竹島)に対する領有権の主張や、旧日本軍の従軍慰安婦について否定的な発言を繰り返している。
 日本メディアは、橋下市長が率いる地域政党「大阪維新の会」が、次の衆議院議員総選挙で「第3極」となることが確実視され、連立政権に加わる可能性が高いとの見方を示している。橋下市長が今後、国政で中心的な役割を担う可能性が高いというわけだ。
 橋下市長は24日、記者会見で「韓国の大統領が竹島に不法上陸した」と発言した。また、従軍慰安婦問題をめぐり、日本の憲兵による慰安婦募集の強制性を認めた「河野談話」について「証拠に基づかない内容で最悪。談話はあくまで談話にすぎない」と批判した。その上で「慰安婦問題を解決しなければ日韓関係は成熟しない」と主張した。
 「河野談話」とは、1993年8月、当時の河野洋平・官房長官が「慰安所は軍当局の要請により設置され、軍が慰安所の設置・管理や慰安婦の移送に直接・間接的に関与した」として、日本政府の関与を認めた内容の談話だ。
 橋下市長は最近、従軍慰安婦の強制連行について「証拠がない」とし、韓国政府に対し証拠を示すよう求めた。橋下市長のこのような動きについては、ある週刊誌が最近、橋下市長が政界入りする前に高級クラブの従業員と不倫したという事実を暴露したことで、支持率が伸び悩んだため、人気を挽回(ばんかい)する目的で、領土問題や従軍慰安婦問題に関する発言を繰り返しているのではないかとの見方も出ている。
東京= 車学峰(チャ・ハクポン)特派員
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

J-CASTニュース
橋下大阪市長ウォッチ 
従軍慰安婦問題 「河野談話は見直すしかない」
2012/8/24 15:22
   大阪市の橋下徹市長は2012年8月24日未明、いわゆる従軍慰安婦に関する発言で韓国メディアから「妄言」などと批判されていることについて、ツイッターで反論を展開した。
   韓国メディアは、橋下市長の、
「慰安婦という人達が、軍に暴行、脅迫を受けて連れてこられたという確たる証拠はない。もしそういうものがあったというなら、韓国の皆さんにも出してもらいたい」
という発言を、「河野談話を否定した」などと批判している。

「不本意と強制はまったく異なる」
   1993年の河野談話では、日本政府が軍の関与や強制を認めたとされる。
   橋下市長のツイートでは、
「色んな事情で不本意ながら慰安婦になり、心身ともに苦痛を被ったということに関してはその苦痛を察してあげなければならない。これは日本人で同じような境遇の人の話を聞いても同じ」
と、慰安婦が苦痛を受けたことについては理解を示した上で、
「ただ不本意と強制はまったく異なる」
と釘を刺した。

「日韓関係をこじらせている最大の元凶」
   河野談話については、
「『本人の意思に反して』とうい(原文ママ)言葉で誤魔化した。政治の最大の責任だ。これは不本意と言う意味なのか、日本国が強制したという意味なのか。ここをはっきりさせる必要がある。後者であれば謝罪は当然。しかし今のところその証拠がない。だから韓国側に出して欲しい」
として、内容のあいまいさを批判。その上で、
「2007年に強制連行の証拠はないという閣議決定をやったなら河野談話は見直しするしかないでしょう。韓国側に河野談話以外の強制連行の証拠を求める」
と、河野談話と07年の、
「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」
とする閣議決定との不整合を指摘した。
   橋下市長は同日朝の囲み取材でも、河野談話の表現のあいまいさを指摘しており、
「日韓関係をこじらせている最大の元凶」
とまで断じている。

金子勝さん怒る 「もはや、この党(民主党)は壊した方がいい。」


「また最後は前原誠司に一任?もはや、この党は壊した方がいい。」
金子勝さん怒る。

もうこの政治集団の最終段階にきた。

金子さんツイート
金子勝 ‏@masaru_kaneko
【原子力ムラ委員会3】この人、福島原発事故後も「謝罪」をしたが、何が悪かったかは具体的に言わない。反省したふりをして、東電救済のために福島を見殺しにしても平気。具体性のない「反省」を口にするだけの彼は、「政治家」であって科学者ではない。一番、委員長にしてはいけないタイプです。

23時間 金子勝 ‏@masaru_kaneko
【原子力ムラ委員会2】田中俊一が「国民の安全を第一」にやるとの弁明書を提出。賠償費用削減のために、100mSv以下は健康に被害ない、20mSv未満は自主避難賠償せず、除染基準や食品安全基準の引き下げに反対した。どこが国民の安全が第一? http://goo.gl/HQgnh 

23時間 金子勝 ‏@masaru_kaneko
【原子力ムラ委員会1】電力不足の嘘で安全無視の大飯原発再稼働に続いて、民主党内部の反対を押し切り、細野大臣は約束を破って原子力ムラによる原子力規制委員会人事を強行するつもり。また最後は前原誠司に一任?もはや、この党は壊した方がいい。 http://goo.gl/iSkPz 


金子勝 ‏@masaru_kaneko
早期解散反対で民主党内で野田降ろしの動きがあるとの記事。候補は前原誠司、岡田克也、細野豪志らだそうだ。みな原子力規制委員会人事そのままで、東電救済のために福島見殺しを進める?こんな首のすげ替えで国民が騙されると思っていたら、度し難い。 http://goo.gl/uQKym 




有田芳生さん
有田芳生 ‏@aritayoshifu
また反対します。“@minorucchu: 【同意人事】民主党は原子力規制委員会の人事を協議。近く、行なわれる採決に向けて、結局、前原政調会長らに一任。川内博史氏ら一部は反発しているが、田中俊一委員長らを承認の方向。あぁ〜〜情けない。何人が良心に従って行動してくれるだろうか。


有田芳生 ‏@aritayoshifu
「脱原発」代表と野田首相の対話は22日。原子力規制委員会の人事案撤回が提案されたが2日後に閣議決定。衆院では28日、参院では29日の本会議で採決の動き。私がツイッターで反対と書くと、副大臣と政務官が説明にいらした。判断は理論と感情の一致。ここでも大切なことは「筋を通す」こと。

*
*

大地を守る会 藤田和芳 ‏@DWMK_fujita
「冷静沈着に不退転の覚悟で」「命をかけて」「国民生活を守るため」。
野田首相には、何度こうした大上段に構えた言葉を聞かされたことだろう。
だが、いつも聞く者の心に響かない。宮台真司(首都大学東京教授)は、こうした発言を繰り返す野田首相のことを「巨大な空洞」と評している。


2012年8月23日木曜日

京都 真夏の下鴨神社(世界遺産賀茂道祖神社)

下鴨神社
正式には賀茂道祖神社
糺の森(コチラ)などを含め一帯は世界遺産

▼楼門(重要文化財)




尖閣に上陸した香港活動家というヒゲのおじさんの正体

オリンピックと重なるように竹島だー、尖閣だー、が始まって
オリンピック終ってからも、ホント、うるさい。

竹島なんて、
両国の政治指導者ともにもう命脈尽きかけてるんだから、
親書送ったとか、返したとか、・・・。

もうすぐ、
「前任者のやったこと」で終ってしまうのに。

アチラさんの外務省の報道官も、言葉は抗議っぽいけど、
顔が全然怒ってない、
むしろ、こんなしょーもないことさせられて、と
お腹の中の良識が見えるようだ。

ところで、
アチラさんは、騒いだお蔭で支持率が上がったとか。

ほんなら、
コチラさんも、その手、使おうか、
どうせなら、合図しあって、呼吸計りながら・・・
・・・てなこと・・・、
ナイか?

さてさて、
尖閣の方のはなしだけど、
上陸したヒゲのオジさんの正体つーのがあった。

真実かどうかのご判断は、呼んだ皆様にお任せします。

尖閣諸島に上陸した香港活動家の正体 (コチラ)

ご近所とは仲良くしましょ。
兄貴分の余裕と貫禄をもって。

以下
平野啓一郎さんのツイート
正しい。

11時間 平野啓一郎 ‏@hiranok
強硬な態度をとり続ければ、いつかは相手が屈服すると信じている人は、人間について一から勉強し直した方がいい。

11時間 平野啓一郎 ‏@hiranok
自分の世代とは無関係な対立の火種が、過去から押しつけられている時、更にそれに油を注いで、次の世代に押しつけるというのは、愚かとしか言いようがない。

11時間 平野啓一郎 ‏@hiranok
サルコジが嫌いだからフランスという国とフランス人全員が嫌い、ブッシュが嫌いだから、アメリカとアメリカ人が嫌い、李明博が嫌いだから韓国と韓国人が嫌いという人は、野田が嫌いな外国人に、日本と、自分も含めた日本人全員が嫌いと思われることを、当然と考えるんだろうか?

野田首相と首都圏反原発連合との面会 田中龍作ジャーナルが一番分かりやすい

野田と反原発活動の呼びかけ人との面会、
田中龍作ジャーナル
反原連、首相に面会 「子供にでもわかるよう“原発止める”と言わない限り抗議を続ける」
が、一番分かりやすい。

野田氏は、再稼動は特定の経済団体に影響されての判断ではないとか言ったそうだが、
この日の朝の朝食のお相手がいずれバレる照れ隠しか?
岡村さん、二度登場。
首相動静(MY BLOG LISTにある)


永延2年(988)~永延3年/永祚元年(989) 「尾張国郡司百姓等解」

京都 下鴨神社糺の森 2012-08-15
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永延2年(988)
11月8日
・尾張国の郡司・百姓ら、国守藤原元命(もとなが)の非法を愁訴する(「尾張国郡司百姓等解」(おわりのくにぐんじひやくせいらげ))。
訴えは、翌年2月にとりあげられて公卿の会議が開かれ、4月5日、藤原文信が守となった。

冒頭の事書(ことがき)
「裁断を被らんと請ふ、当固守藤原朝臣元命、三簡年の内に責め取る非法官物(かんもつ)並びに濫行横法三十一箇条」とあり、
「非法官物」とは解文(げぶみ)本文の各条であげる正税利稲(しようぜいりとう)・地子(じし)・租穀(そこく)・率徴稲(りつちようとう)・調絹(ちようぎぬ)・交易雑物(こうえきぞうもつ)を指す。
尾張国ではこの時は各税目毎に徴収されていて、それぞれについて藤原元命がいかに非法に増徴したかが訴えられている。

元命の非法
①元命が、従来の国司に比べて極端に増税したこと
②国衙行政上、当然支出すべき経費を支出しなかったこと
③元命が京都から連れてきた子弟・即等が国内で種々の横暴を働いたこと
④元命が百姓の訴えをきかなかったり、太政官符など自分に都合の悪い法令を国内に知らせなかったこと

この頃は、官長(かんちよう、受領)に国務の責任は集中し、介以下の任用国司は国務から疎外され地位は低下し、受領の属僚化していく。しかし元命は任用国司の俸給や同行の書生(しよしよう)・雑色人(ぞうしきにん)の食料も支給せず自分のものとしたと訴えられている。元命は、③で訴えられた子弟・郎等を働かせ、国務を遂行していた。

「尾張国郡司百姓等解」(『平安遺文』339)第8条に見える税の納税責任者=「負名」の役割
(意訳)
「代々の国司が引き継いできた、新古の絹布ならびに米頴(べいえい)等を、国守元命が今の郡司・百姓たちから責め取ることについて、適正な判断をお願いします。
右の新古物は、税帳には載せてありますが、有名無実のものです。そこで当尾張国の代々の国司は、決してこれを取り立てようとはしませんでした。なぜならば、「負名」が死去して四、五十年も経っている場合もあるし、「負名」の逃散が既に千余人にのぼるからでもあります。ところが今の守元命朝臣は、去年の三月中旬のころ、有能な使、暴悪の人を我々の許に派遣してきて、切り焼くように取り立てました。往古旧代の国司は、そのようなことはしなかったのに、郡司の手から、郡内の累積負債だと言って、みな悉く捜し取り、人々の戸から、応分の責任を果たせとばかりに、ひどく取り立てます(下略)。」
*納税責任が負名にかかっていたこと、死亡・逃亡した負名の納税責任は、郡司百姓たちには転嫁されなかったことがわかる。
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永延3年/永祚元年(989)
3月4日
・藤原道長、右衛門督を兼任。
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3月22日
・兼家が円融院に奏上し、一条天皇が春日社に行幸する(春日行幸の初例)
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4月
・尾張国守藤原元命を解任し、藤原文信を任じる。
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6月
・太政大臣頼忠、没。
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8月
・永祚に改元
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9月
・余慶を天台座主に補任するが、延暦寺僧徒は承知せず、12月、辞任。
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12月5日
・藤原実資は、円融天皇の信任が厚く頼りにされた。譲位後も円融上皇の院別当になり、頻繁に院(堀河院)に参入している。
円融院は実資に対して、
「汝、殊(こと)に公家の奉為(おんため)に至忠を致す有り。寒熱を凌(しの)ぎ御祈願の為に参入す。公卿無数有れども公を思し奉たる無きを、向後(きようこう)必ず御後見(うしろみ)仕(つかまつ)れ、又行幸有らむ次(ついで)に其の由を申すべし」(『小右記』永祚元年12月5日条)
と述べ、子の一条天皇の後見もしてほしいと言い、一条にも言っておくと述べる。
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12月20日
・兼家、太政大臣。
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12月26日
・道隆、内大臣。道兼、大納言。道長、中納言。
*
*

2012年8月22日水曜日

東京 江戸城(皇居)東御苑 人影はまばら

今日(8月22日)も暑かった。

・・・・が、
暑い中、昼休みに江戸城(皇居)東御苑に出かけた。
人影は疎らであった。
当たり前か?

▼天主台背後から本丸広場方面
人はいない
▼二の丸池
中央、池の周囲は赤色のサルスベリが満開なのだが、この色のサルスベリは映えない。
▼二の丸雑木林
少し人影が見える
▼天主台前
ここにも人はいない

福島第1原発事故 東電テレビ会議公開映像検証(「毎日新聞」)

毎日JP
東日本大震災:福島第1原発事故 東電テレビ会議公開映像検証 現場、募るいらだち 首脳、危機感乏しく(その1)
毎日新聞 2012年08月22日 東京朝刊

 東京電力は、東日本大震災直後(昨年3月11日)から録画していた約150時間に及ぶ社内テレビ会議の映像を報道関係者に限って公開している。福島第1原発事故はどのように事態が深刻化し、政府・東電はどう臨んだのか−−。約150時間のうち、音声記録がある約50時間を中心に検証した。(肩書はすべて当時。<>部分は映像での発言を示す。ただし、名前のない部分は特定できないよう「ピー音」で処理されている)

 ■事故の進展と対応
 ◇昨年3月11〜12日 「首相、とにかく怒る」
 11日午後6時27分からテレビ会議の映像が残るが、音声はない。
12日午後3時36分、1号機が水素爆発し、免震重要棟にある緊急時対策本部を映した画面が2、3秒揺れた。音声付き映像は同10時59分、官邸から本店に引き揚げた武黒一郎フェローの報告から始まる。

 <武黒氏「(菅直人首相が)とにかくよく怒るんだよね。避難区域を決めた時も、私と班目(まだらめ)(春樹・内閣府原子力安全委員長)さんが説明すると、『どういう根拠なんだ! 何かあっても大丈夫と言えるのか』とぎゃあぎゃあ言うわけですよ。で、まあ結局、何もやらないよりいいかってことで、3キロになったと。(中略)爆発があったこと、(午後)5時半に菅さんの執務室のテレビ見て、ぎゃあってびっくりしたんだけど、もう少しうまい連携をしないとちょっと格好悪いなというのがあります」>

 <高橋明男フェロー「官邸との連絡は反省するところもあったし、情報のあり方は明日少し改善しましょうか」>

 <吉田昌郎所長「避難住民には、事故の説明に来ない東電に対してものすごい不満があるが、応え切れていない。今後、多分我々はものすごい鼻つまみものになる。このタイミングで手を打たないといけないが、説明に人を割けず、非常に困っている」>

 ◇13日午前 「何でもぶち込む」
 未明、3号機の原子炉水位が低下。核燃料が露出し、炉心溶融する恐れがある。注水には炉内の圧力を下げ、格納容器から気体を外部に排出するベント(排気)が必要だ。午前5時すぎに緊迫した会話が交わされる。

 <第1原発「3号機、(炉内水位の)TAF(燃料頂部)到達まで1時間弱。TAF到達から炉心溶融まで4時間と評価してます」>

 <第1原発「何もしなければ炉心損傷9時半、PCV(原子炉格納容器)圧力が設計圧になるのが19時半くらい」>

 <本店「4時間で(ベントできなければ、燃料の)損傷になっちゃうんだね」>

 <高橋氏「(ベントのための)バルブ(弁)を開けに行かないとだめだよね。線量上がっちゃうから」>

 <吉田氏「もう、やろう」「ちょっと皆さん、浮足立たないでね。自分がやることをしっかりやろうね」。
     ◆
 3号機のベント準備に取りかかったが、午前8時前、1号機で新たな問題が持ち上がった。


 <吉田氏「1号機の(使用済み核)燃料プールから湯気が出ているとの話が出ていて、かつ1、2号機の線量が非常に高いということで、手を打ちたいんだけど水源もないんで知恵が出てこない」>

 <小森明生常務「ヘリで水を上から噴霧か、落とすか」>

 <吉田氏「水源をキープしないとまずいと思うんですけど」>

 <小森氏「実現可能性の話はなかなか思いつかないんで」>

 <吉田氏「線量高いですしね、上も」>

 <オフサイトセンター(以下OFC)「入っていけるのであれば、手で水をぶち込むことを考えて」>

 <本店「氷とかドライアイスとか何でもぶち込む」>

 <吉田氏「1号はオープン(建屋が爆発して開放された状態)だけど、3号は線量が高くて氷を持ち込む余裕がない」>
     ◆
 プールには、ヘリ放水を検討することになった。3号機は午前9時すぎに原子炉の減圧に成功。消火用の配管から消防車での注水が始まった。だが、淡水が底をつき始めた。

 <吉田氏「水源80トンしかないから、人海戦術でも何でもいい、水をいろんなところから持ってきてタンクに入れる作業に移ってほしいんだ。これが最優先課題、OK?」>

 <武藤栄副社長(OFC)「海水も考えなくちゃならないんじゃないの? これ官邸とご相談ですか?」>

 <吉田氏「今、(再臨界を防ぐ)ホウ酸を入れたんですが、海水はなしでいきたいと考えてます。極力真水を集めてきて」>

 <高橋氏「今現在、何トンの水が入っているのか」>

 <吉田氏「量はここでは測れない。そういう細かい質問を今されると、こちらでは困るんですけど。あと水素ができている可能性ありますよね、燃料がこれだけ暴れていると。1号機のような爆発を起こさないようにするのが重要です。本店を含めて知恵を出し合ってほしい」「消防車の燃料は」>

 <第1原発「軽油があるはずです」>

 <吉田氏「『はず』はやめよう。今日は『はず』で全部失敗してきたから、(本当にあるかどうか)確認しましょう」>

 ◇13日午後
 2時半ごろ以降、3号機原子炉建屋にたまった水素をどう外へ排気するか議論されたが、アイデアが浮かばない。一方で爆発の予兆が現場に報告される。

 <第1原発「上空からヘリで、(何か落下させて原子炉建屋を)突き破らせる」>

 <吉田氏「注水している連中が、その真下で作業しているので非常に危ない」>

 <横村忠幸・柏崎刈羽原発所長「ぼくは賛成。風向きみて。爆発するかもしれないけど」>

 <本店「でもヘリコプター落ちたら、元も子もないですから」>

 <本店「自衛隊に頼んでさ、火器でブローアウトパネル(原子炉建屋上部に設置されている小窓)を吹っ飛ばしてもらえば」>

 <高橋氏「下に大事なものがいっぱいあるんだよ」>

 <本店「だって、どのみち吹き飛ぶぜ」>
     ◆
 <第1原発「1時間前に作業員に見てもらったんですが、1号と同様に(3号機の)スタック(排気筒)から白い煙が出ていると」>

 <吉田氏「昨日、(1号機で)もやが出てるよって言われて、実際に爆発したのは1時間後くらい」>

 <小森氏「すごいやばい状況。あと30分くらいのオーダーか。対策の方はどんな状況?」>

 <本店「強制的に空気を送り込んで水素をパージする(追い出す)とか、窒素を充満させるとか。なかなか決め手という案はない」>
     ◆
 水素爆発を防ぐ妙案がないまま時間が過ぎていたが、トップの危機感は乏しかった

 <勝俣恒久会長(武黒氏との電話で)「(3号機は)ベントをね、開けられそうなのよ。水素の問題? それはまあ確率的には非常に少ないと思うよ。国民を騒がせるのがいいのかどうかって判断だけど。社長の記者会見で(水素爆発の可能性を)聞かれたら否定するよ。ベントを開いちゃうから消えてくれると思うよ」>

 言葉通り、清水正孝社長は同夜の会見で、3号機の爆発リスクを否定した。

 ◇14日午前 「パネル開いた」「ラッキー」
 早朝、3号機の格納容器圧力が再び急上昇した。

 <吉田氏「(午前)6時から6時20分の間に50キロ(パスカル)も上がってる。これは7時前に設計圧力、超えちゃうよ。水位がダウンスケール(計測域外)しちゃってるじゃん。うえっ! 小森さん、もう危機的状況ですよ」>

 <小森氏「(本店の社員に)おい、保安院に、官邸に、水位が……。早く連絡して!」>

 <吉田氏「完全に(燃料が)露出してる状態になってますよ」>

 <第1原発「今、風向きは南南東ですので、陸地に向かって吹いています。(ベントした場合、水を通さない)ドライウェル(格納容器)からの放出になりますんで、ヨウ素の放出量が桁違いに上がります」>

 <武藤氏(OFC)「できるだけ頑張って、一番最後まで行って(ベント弁を)開けるってのが(非常時マニュアル上の)手順じゃないの?」>

 <吉田氏「そうですけども、上昇が急激なものですからね。すごい気になるんですよ」>

 <小森氏「非常に危険な状況。放出量の評価とか、すぐに出せるか? 避難距離を拡大するかというような判断に関わるので、急いで計算してもらえるか」>

 <本店「あと5分ください」>

 <吉田氏「退避命令出します」>
     ◆
 午前11時1分。3号機で水素爆発が起こる。

 <吉田氏「本店、本店、大変です。3号機、たぶん水蒸気(爆発)=実際は水素爆発=だと思う。今、爆発が起こりました」>

 <高橋氏「1号機と同じような感じね」>

 <吉田氏「はい、地震とは明らかに違う縦揺れが来ましてですね、後揺れがなかったということで」「なるべく固まって安否確認してください。津波警報も出てますので、早く引き揚げていただくようお願いします。医療班! 負傷者が必ず出てくるので受け入れを確認してください」>

 <本店「北東から南東へ風が流れてる、その方向に煙が行っていることを官邸並びに福島県、関係市町村に直ちに連絡した方がいい」>

 <吉田氏「二つの爆発で職員がみんな落ち込んでます。被ばく線量がパンパンになっているので、その辺の配慮をお願いします」>

 <清水氏「可能な範囲で対処しますので、今しばらく頑張ってください」>
     ◆
 爆発から30分程度経過しても、本店は一体何の爆発なのか把握できない。負傷者の発生が懸念される中、本店では記者発表文に爆発をどう書き込むか議論が続いた。

 <高橋氏「水素爆発かどうか分かんないけど、保安院が水素爆発と言っているから、もういいんじゃないの? 水素爆発で」「保安院がさっきテレビで水素爆発と言っていたけど、歩調を合わせた方が良いと思うよ」>

 <清水氏「はい。いいです。スピード勝負!」>
     ◆
 爆発の余波が落ち着いた後、現場では2号機の爆発をどう防ぐか議論されるが、幸運な偶然が訪れる。

 <吉田氏「緊急度の高いのは、(水素を外に排気するため)2号機のパネルを開けることだと思います」>

 <高橋氏「官邸から線量500ミリシーベルトまでいいからやれって」>

 <吉田氏「ちょっと今、現場から入ってきた(情報だと)、2号機のパネルは1号の爆発の時に開いちゃったみたいだって」>

 <本店「おお、ラッキー」>

 <吉田氏「未確認だから喜ばないでね」>
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 ◇TV会議映像とは
 東京電力の社内テレビ会議システムでは、本店(東京都千代田区)、福島第1原発(福島県大熊、双葉町)、福島第2原発(福島県楢葉、富岡町)、柏崎刈羽原発(新潟県柏崎市、刈羽村)、現地対策拠点のオフサイトセンター(福島県大熊町)の5カ所が結ばれている。
 今回、公開された範囲は事故当日の昨年3月11日夕から16日未明までの延べ約150時間分で、東電は「(社会的関心の高い)事故の初期対応部分」に絞っている。このうち、本店で録画した約50時間に音声は記録されているが、福島第2原発で録画した約100時間に音声は残されていない。さらに、ウェブサイト(http://photo.tepco.co.jp/date/2012/201208-j/120806-02j.html)を通してだれでも閲覧できるのは約1時間半(経過表「福島第1原発事故の経緯と、テレビ会議の公開部分」での(1)〜(9))。この画像では、水素爆発や菅直人首相の本店来訪などの場面を抜粋し、さらに画像や音声を加工している。

 ウェブサイトの1時間半分を除いた大半の映像の公開は報道関係者に限定。映像や音声がネットなどに流出しないよう、本店での閲覧にとどめ、録画や録音、配信を禁じるとの同意書の提出を求めた。また、幹部以外の社員が特定されないよう、顔や名札など個人が特定できないよう映像29カ所をマスキング処理し、名前を呼ぶ音声部分1665カ所に「ピー」という雑音をかぶせた。東電は「社員が特定されれば、個人の責任追及や誹謗(ひぼう)中傷が懸念されるため」と説明している。
 こうした措置について、日本新聞協会は今月3日、自由な取材を求める申し入れ書を東電に提出した。毎日新聞社も取材・報道の制限を撤回するよう要求している。



東日本大震災:福島第1原発事故 東電テレビ会議公開映像検証 現場、募るいらだち 首脳、危機感乏しく(その2止)
毎日新聞 2012年08月22日 東京朝刊

 ◇14日午後 「邪魔しないでください」
 午後1時半ごろ、今度は2号機の原子炉水位が下がり始めた。だが、海水をためていたプールには、爆発によるがれきが散乱、注水に支障をきたしていた。

 <吉田氏「いろんなものを引き上げて、とりあえず水を出すことにとりかかる必要がある。かなりの人数で現場に行くことをお願いします。線量(の余裕が)残ってる人、現場に行く人を募って」「皆さん、ちょっと落ち着きましょう。じゃあ、みんなで深呼吸しましょう。息を吸って−−。吐いて−−。はい、これで整理して、現場に行く者、検討する者、手分けして段取りよくやりましょう」>
     ◆
 2号機への注水が手間取る中、午後4時すぎ、官邸の班目氏から吉田氏に電話が入る(電話音声はなし)

 <吉田氏「ベントを待たないで一刻も早く水を入れるべきだってサジェスチョン(提案)が安全委員長から来たんですが」

 <本店「その場合の心配点は、ウェットウェルベント(圧力抑制室経由のベントのこと。外部へ出る放射性物質量を低減できる)が(水で)埋まる懸念があります」>

 <吉田氏「今はもう時間がなくて。安全委員長並びに保安院長、官邸がすぐやりなさいとおっしゃってんだけど、それでいいですか」>

 <清水氏「吉田さん、班目先生の方式で行ってください」>

 <吉田氏「わかりました」>

 <清水氏「(2号機についての)最悪のシナリオ。これを描いて対応策を報告してください。早く」>

 <本店「最悪な状態になるのは、えっとそうですね。あと2時間かかりますかね? だと思います」>

 <清水氏「よし至急その対応策を。すぐに手を打たないといけない」>
     ◆
 午後6時すぎ、逃がし安全弁(SR弁)を開き、圧力容器の減圧に成功した。しかし、原子炉内の水位は下降し、午後6時22分、燃料が完全に露出した。線量が上昇する中、本店中心に同7時半以降、作業員の退避問題が話し合われる。官邸から「全面撤退」と疑われたやりとりだが、官邸との関係に神経をとがらせていた清水氏がけん制する。

 <小森氏(OFC)「退避基準を考えないといけない。どっかで判断しないといけない」>

 <武藤氏「分かった」>

 <本店「一応、(炉心溶融の)1時間ほど前に退避すると。その30分前から退避準備を考えてます」「退避場所の第1候補は浜通り電力所、第2候補はエネルギー館(ともに福島県富岡町)」>

 <高橋氏「武藤さん。全員のサイトからの退避ってのは何時ごろになるんですかね?」「今ね、1F(第1原発)からですね、いる人たちはみんな2F(第2原発)のビジターホールに退避するんですよね?」>

 <増田尚宏・福島第2原発所長「1Fからの退避者のけが人は、正面わきのホールで全部受け入れます。それ以外の方は全部、体育館に案内します」>


 <清水氏「現時点では、まだ最終避難を決定しているわけではないということをまず確認させてください。それで、今しかるべきところと確認作業を進めております」>
     ◆
 午後9時すぎ、突然、免震重要棟で拍手と歓声が上がる。水位計が突然復旧したためだ。直後、新潟県中越沖地震で事故を経験した柏崎刈羽原発の現場が忠告する。

 <本店「(おどけて)だれかの誕生日ですか?」>

 <第1原発「今ようやく水位出ました」>

 <本店「やったあ」「おめでとう」>

 <横村氏「水位計をね、信じちゃだめだよ。(水位計は)完全に乾ききっていると高めに表示するから」>
     ◆
 真っ暗で線量も高く、現場に近づくのは簡単ではない。SR弁を開く作業を進めるも、なかなか開かない。ベントも急ぐ必要があるが、遅々として進まず、本店と現場で緊迫したやりとりが続く。

 <本店「高圧の状態で炉心損傷しますと、ほんの数時間で格納容器破損までいきます」>

 <第1原発「かなりシビアな話だと思います」>

 <早瀬佑一顧問「一番開きやすいSR弁を探して早くバッテリーをつないで!」>

 <吉田氏「はい。はい」>

 <第1原発「ベントが一番先だ」「早急にドライウェルの小弁を開けなきゃいけない。許可をいただけますか」>

 <高橋氏「やってくれ。やらないと壊れちゃう」>

 <小森氏(OFC)「ドライウェルの小弁というのは、それは格納容器の中のもの(放射性物質)は出ちゃうんですよ」>

 <武藤氏「開けるしかないんだよ」>

 <吉田氏「そう。これは(格納容器が)ブレークする(破れる)のを(回避するためには)、後のことを考えないで今やるべきだと思うよ」>

 <小森氏(OFC)「風向きだけ見といてください」>

 <早瀬氏「おい吉田、できるんなら、すぐやれ。余計なことは考えるな。こっちで全部責任取るから」>

 <第1原発「ベント、ベントって、どこの何をベントしたらいいの?」>

 <早瀬氏「とにかく小弁でもいいから早く開け!」>

 <吉田氏「はい、はい、指示してます」>

 <高橋氏「もう1弁あるからさあ、そっちは開いてるのかい?」>

 <吉田氏「今操作してますんで、ディスターブ(邪魔)しないでください」>
     ◆
 音声付きの映像は15日午前0時6分まで。同午前5時半過ぎには菅首相が本店に乗り込む。音声なしの映像も16日午前0時2分で終わる。
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 ◇海水注入問題 「材料腐り、もったいない」

 電源喪失やテロなどに備える電力会社の対処指針「アクシデントマネジメント」では、原子炉への真水注水が停止した場合、代替手段ですぐに海水を入れるよう定めている。海水が入れば炉内金属の腐食やひび割れなど劣化が進み、廃炉は避けられない。東電は社内の事故調査報告書で、海水注入を「ためらったことはない」としていたが、炉心溶融という緊急事態にも、経営を最優先に考える社員の姿が映っていた。

 <本店「こちら側の勝手な考えだと、(2号機に)いきなり海水(注入)っていうのは(原子炉の)材料が腐っちゃったりしてもったいないので、なるべく粘って真水を待つという選択肢もあると理解してよいでしょうか」>

 <吉田昌郎所長「(そう)理解してはいけない。今から真水というのはないんです。時間が遅れます。今みたいに供給量が圧倒的に必要な時に、真水にこだわってるとえらい大変なんですよ。だから、もうこれは海水でいかざるを得ない」>

 <本店「現段階のことは理解しました」>

 <本店「いかにも、もったいないな、という感じもするんですけどもね」(13日午後8時20分ごろ)>
     ◆
 1号機の海水注入をめぐっては、再臨界を懸念する官邸をおもんぱかって、武黒一郎フェローが吉田氏に電話で注入中断を指示。吉田氏は両手でバツマークを現場に示しながら、実際は継続するという一芝居を打った。菅直人首相が注入を了解したのは12日午後8時10分。その後、官邸から「いつ満水になるのか」との問い合わせが相次ぐ。

 <吉田氏「官邸がさ、(原子炉が海水で)満杯になる目安の議論してるから、その計算だけ先にしといてよ」>

 <第1原発「格納容器の容量は3000トンで、それを毎時60トンで割ると、大体……」(13日午前1時ごろ)>

 格納容器内にある水や外部に通じる配管もあるため、計算の議論は約15分が費やされた。水位計も不確かで、「2時間」と回答した。吉田氏はその後、本店経由で、官邸に海水注入の状況を直接報告するよう求められ、官邸に電話をかけ始める。

 <吉田氏「官邸に電話かかんないよ」>

 <本店「何度かやるとかかるから、何度かトライしてください」>

 <吉田氏「昨日から、ずっとこれなんだよな。官邸は……」(13日午前4時半ごろ)>

 これ以降、本店をスルーして、吉田氏と官邸の「ホットライン」が結ばれる。

 「所長は官邸と連絡中」。

テレビ会議の進行をよそに、官邸との電話連絡に時間を取られる吉田氏の姿が多く見られるようになる。

 ◇上昇する放射線量 「毎時3.2ミリシーベルト」「それ大変だよ」

 3月14日午前11時1分、3号機が水素爆発した。2号機では、燃料が入った原子炉格納容器内の水位が下がり続けた。

 <第1原発「本店がNISA(保安院)と調整し、緊急復旧時の個人被ばく限度を100ミリシーベルトから250ミリシーベルトまで認めることで調整されたそうです」>

 <武藤栄副社長「250ってのは、(健康影響を考えると)相当に限界的な数字なので、しっかり守ることが大事だと思います」(14日午後2時ごろ)>
     ◆
 同午後6時22分、2号機の燃料が空だき状態になる。

 <第1原発「ちょっと、至急に報告します。(正門付近で)測定した結果ですが、毎時3・2ミリシーベルトのガンマ線です」>

 <吉田昌郎所長「ちょっと待ってくれ。ちょっと待って。3ミリシーベルトなの。ミリってことはマイクロに直すと3000ってことだろ。15条!」>

 <武藤氏「それ、大変だよ。今までになく高いよね」>

 <高橋明男フェロー「この半分ぐらいは、ありましたね」>

 <吉田氏「もう、全然気にしなくなっちゃった」(14日午後9時40分ごろ)>

 3・2ミリシーベルトは、一般人の年間被ばく限度量(1ミリシーベルト)をわずか20分で超える。吉田氏は直ちに、原子力災害対策特別措置法に基づく「15条通報」に相当する緊急事態として、関係機関に報告するよう所員に命じた。
     ◆
 現場への立ち入りを求める本店、上昇し続ける放射線量に追い詰められる現場との乖離(かいり)が生まれ始めた。

 <本店「役所からの強いリコメンド(勧め)ということで伝わってきた内容です。海水の注入量(の増加速度)が初期は速かったけど最近は遅いので、(取水口に)藻や何かが絡まっていることがないか、現地を見るようにしてくださいとの指示です」>

 <吉田氏「簡単に皆さんは言われるんですけど、どのエリアも、ものすごい高いあれ(線量)なんで、避難場所もない所で監視するのはものすごく大変なんです」「なんで見てなかったかってよく言われるけど、見てられないんですよ。この人間で、その線量の所で」(14日午後10時半ごろ)>

 ◇「報道管制」の実態 「営業ルートで抗議」
 映像には、首相官邸と経済産業省原子力安全・保安院が原発事故の情報を統制し、報道規制をしたようにも取れる場面がある。

 <本店「(保安院は)今、プレス(記者発表)を止めてるそうです。(3号機への冷却水)補給開始をじっくり見守るそうです。その状況を時々刻々、官邸と保安院に流せとの指示です」>

 <武藤栄副社長「了解」(14日午前7時50分ごろ)>

 3号機では14日午前6時半ごろから、原子炉の圧力が上昇。冷却水注入が進まず、社内では1号機に続いて3号機も水素爆発するとの懸念が膨らんだ。報道規制の報告に、だれも異論を挟まなかったが、午前8時40分ごろに東電福島事務所経由で、福島県が同9時に開く幹部会議で3号機の詳細な状況を発表したいとの要請が届く。東電は、官邸・保安院と、県との間で板挟みになる。

 <小森明生常務「中央側と(県の)どっちが大事なの?」>

 <本店「じゃあ、まず官邸に告げ口。『福島県からこう言われて困っている』と」(同8時40分ごろ)>

 結局、県は3号機の詳細な状況を公表できず、東電は胸をなで下ろす。

 <本店「県としては相当(印象が)悪いと思いますね。知事は、県民の安全を守るとの観点で情報を出さないのはけしからんというスタンスですから。後々ちょっとつらい立場になることは間違いないですね」(同9時半すぎ)>

 保安院の森山善範・原子力災害対策監は今月16日の記者会見で「東電から公表の相談を受けた保安院職員が上司と相談する間、発表を待ってもらっただけ。保安院は午前9時に3号機の状況を公表しており、報道発表を抑制した事実はない」としている。しかし、保安院職員が相談を受けたのは午前7時ごろ。3号機の危機的状況についての報道発表は、保安院・東電間で2時間たなざらしになった
     ◆
 一方、報道規制をめぐっては、福島県から東電にこんな依頼もあった。

 <本店「県庁、具体的には知事から、『今、北西の風で、観測された放射線量から健康に被害が出る心配はない』との文言を入れたい、入れてほしいとの話があった。こう言いたいのは山々だが、これでいいか諮りたい」(14日午後1時半ごろ)>

 3号機は14日午前11時1分に水素爆発した。地元では、放射性物質拡散への懸念が最も高まっていたころだが、東電も県の要請には難色を示す。

 <本店「ここまで電力会社から言っていいのか気になる。拡散作用で(濃度は)薄くなるとは思うが、(健康に被害が出る心配はないと)言い切るのはリスキーだ。こういう話は国に言ってもらいたい」(同)>

 最終的には発表文に記載することは見送られた。県は東電への「依頼」を全面否定している。

 県の「依頼」はテレビ会議画面に、手書きのメモとしてアップで映されているが、誰が、どこから聞いて書き取ったかは不明だ。
     ◆
 映像では、ワイドショー報道にもクレームをつける東電幹部の様子が残る。

 <本店「日曜日(3月13日)のテレビ報道ぶりが非常によくない。特にTBSの関口宏氏のサンデーモーニングでは、東電は何もやっていないという言いっぷりが出された。営業ルートで今すぐ抗議している。他にも目に余る部分があればきちんと厳正に対処する」(13日午前11時ごろ)>

 ◇物資・人手不足 「軽油が切れました」
 現地では交通網が遮断され、燃料やバッテリーなどが枯渇し始める。SR弁(逃がし安全弁)を動かすバッテリーもなく、東電は社員を福島県いわき市へ派遣し、カー用品量販店でバッテリーを調達しようと試みるも、その前に手持ちの現金が底をついてきた。

 <第1原発「バッテリーの買い出しに行きますが、現金が不足しております。現金をお持ちの方、ぜひお貸しいただきたいと思います」(13日午前7時ごろ)>

 現地は通行止めも多く、第1原発から約50キロ離れたいわき市へは片道6時間かかった。到着しても閉店が多く、調達はままならない。本店が動き出す。

 <本店「本店から相当多額のお金を持ってOFCに1人向かわせています。OFCに現金がある状態が今晩から生まれるんでご活用ください」>

 <吉田昌郎所長「はい。それは借用書を書けば貸してくれるということですね」>

 <本店「信用貸しとしましょう」(13日午後6時ごろ)>
     ◆
 ガソリンの調達も難航した。

 <第1原発「手持ちの軽油が切れました。余っているところがあれば申し出てください」>

 <武藤栄副社長「たぶん余っているのは、人がいなくなっちゃった所のガソリンスタンドだよ。農協のスタンドなんか、たぶん軽油いっぱいあると思うよ。農協の人がどこに行っちゃっているか分からないけどさ」(14日午後7時ごろ)>


 <増田尚宏・福島第2原発所長「(第2原発でも)電源装置への給油を断られています。『こんな危険な状態で給油なんかできない』と。我々が給油しますと言っても『そんな仕事は任せられない』と言われて……」(14日午後8時15分ごろ)>

 <OFC「ガソリンはこちらにキープしてあって、これから(第1原発に)持って行きます。200リットルのドラム缶4缶あります。ただ、軽油は申し訳ない。20リットルだけ手配できそうです」>

 <高橋明男フェロー「ポリバケツに入れて持って行ってやって」(14日午後9時半過ぎ)>
     ◆
 物資をさばく人員の余力もなかった。

 <第1原発「正直言ってもう、電気、計装制御(の各担当者は)……。疲弊しきっております。人海戦術でバッテリーを中操(中央制御室)に運んで結線しなきゃいけなくて、ものすごい負荷になっています。他サイトの方々にお手伝いいただけると非常にありがたいんですが」>

 所員から燃料の追加準備を求められ、吉田氏はいら立ちを隠せなくなる。

 <吉田氏「そりゃね、用意してと言うだけの人はうらやましいよ。なあ、誰だってそう思うよ。このドタバタの中に物資が来ない、運ぶ手段もない。みんなギリギリやってんだから、そんなきれいごと言ったって、できないものはできないんだよ」(14日午後10時ごろ)>
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 ◇一般公開求める声も

 公開されたテレビ会議の映像は昨年3月16日午前0時2分で終わっている。東電はそれ以降の録画分について「関心の高い場面について公表を考えたい」としている。
 16日以降も、2号機の高濃度の放射性汚染水漏れ(4月2日)や、5、6号機などから出た汚染水の海洋放出(同4日)など、重大なトラブルが相次いで発生している。事故の収束作業を検証していく上でも、さらなる公開が不可欠だ。
 東電の株主でもある東京都は、現状の限定公開ではなく一般公開するよう要請している。
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 西川拓、中西拓司、奥山智己、阿部周一、岡田英が担当しました。





東日本大震災:福島第1原発事故 東電テレビ会議公開映像検証 二見常夫・東工大特任教授の話
毎日新聞 2012年08月22日 東京朝刊

 ◇指揮系統あいまい
 識者は、テレビ会議映像(一般公開部分)をどう評価するのか。東京電力福島第1原発所長を務めた二見常夫・東京工業大特任教授(69)は、「だれが指揮命令するのか、という危機管理の根幹を明確にしないまま事故対応に突入したのではないか」と指摘する。

 東電に36年間勤務したが、うち12年間が福島だ。福島の皆さんには公私ともに大変良くしていただいた。福島は第二の故郷で、避難生活を強いられている皆さんに心からおわびする。

 テレビ会議では終始一貫、清水正孝社長、原子力トップの武藤栄副社長らが会議室真ん中に陣取り、陣頭指揮を執っていると想像していた。だが武藤氏らが不在の場面が多く、本来の指揮命令系統ではないフェローらが入れ代わり立ち代わり、吉田昌郎所長に指示していた。

 その典型は3月14日午後4時15分以降の映像だ。2号機について現場が圧力抑制室経由のベント(排気)操作に全力を挙げている最中に、班目春樹・原子力安全委員長からSR弁(逃がし安全弁)を開けて、炉内圧力を下げて注水することを優先するよう電話で求められた際、吉田氏は何度か本店に「技術的に大丈夫か」と確認した。

 しかし、武藤氏は移動中のため不在で、結局、ベントにてこずる様子を見ていた非技術系の社長の指示で委員長指示に従った。本来は現場対応に追われる吉田氏に代わり、原子力担当の武藤氏が技術的妥当性を判断すべきだった。

 武黒一郎フェローから1号機の海水注入中断の指示を受けた吉田氏が、現場に中断を指示したようにみせながら、実際は継続した場面(12日午後7時25分ごろ)も、危機管理対応に疑問を投げかけた。原子炉は水位が下がると、ECCS(緊急炉心冷却装置)が作動し、自動的に注水する。それがどうしても作動しない極めて深刻な事態だからこそ、真水がなくなった現場では海水注入を始めた。

 武黒氏は海水による再臨界を懸念する官邸の意向をそんたくし、吉田氏に中断を指示した。しかし海水注入は、燃料溶融を阻止するための極めて技術的な手段であり、政治介入の余地はない。東電は体を張って海水注入の妥当性を官邸に説明し、現場を守るべきだった。

 もし中断していたら注入が再開できた保証はない。東電解析によると、溶融燃料は1号機の格納容器外側までわずか約37センチにまで迫っていた。中断したら溶融燃料が格納容器を突き抜けた可能性もあり、事態はもっと悪化していた。

 関係者にとってはつらく、苦しい面もあるだろうが、事故を徹底的に分析し、教訓を後世に引き継がなければならない。東電の資料やデータは今や国有財産と言ってもよく、すべてを公表すべきだ。
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 ■人物略歴
 ◇ふたみ・つねお
 1943年神奈川県生まれ。東京工業大大学院修了。専門は原子核工学(工学博士)。67年東京電力に入社。福島第1原発所長、常務取締役立地環境本部長などを経て03年退職。昨年4月から現職。著書に「原子力発電所の事故・トラブル−分析と教訓」(丸善出版)。