2016年6月30日木曜日

(写真) スナック菓子の類は一切食べないけど、これは心が動いた(^_^;) — ひとみ♀24歳

(Youtube) RC SUCCESSION - 明日なき世界 ; 奴らは俺がおかしいと言う でも本当のことはまげられやしねえ 政治家はいつもゴマカシばかり 法律で真実は隠せやしねえ そりゃ デモをするだけで平和がくるなんて 甘い夢など見ちゃいねえさ ・・・



▼政治家は今日もお昼寝中

【外信コラム】韓国日本人学校の歴史 ソウルではお世話になっている(黒田勝弘) - ZAKZAK ; 産経新聞ソウル駐在特別記者(ソウル支局長特別記者)兼論説委員 「最近、東京の韓国人学校の移転先に都立高校跡地を提供する計画に反対、批判の声が出ているとの記事が本紙に出ていたが、こうした反対はまずい。ソウル日本人学校もお世話になっているのだから、ちゃんと実現してほしい。」


 最近、東京の韓国人学校の移転先に都立高校跡地を提供する計画に反対、批判の声が出ているとの記事が本紙に出ていたが、こうした反対はまずい。ソウル日本人学校もお世話になっているのだから、ちゃんと実現してほしい。(黒田勝弘)

【新刊】『井手英策 18歳からの格差論―分断された社会とボクたちに本当に必要なもの』(東洋経済新報社)日本の格差の有り様と原因に独自の角度から光を当てる。若い人たちのためにデータを駆使した全く新しい啓蒙書

首相官邸を激怒させた画像。ゴゴ通信が「小学5年生あべしんぞうくんが『せんそうに行く』」ポスター画像を紹介し炎上。作者不明。Facebookでの拡散ぶりに動揺したファーストレディー安倍昭恵が北村情報官や世耕副長官に相談したと囁かれる



【本日6/30発売】『「日本スゴイ」のディストピア: 戦時下自画自賛の系譜』早川 タダノリ(青弓社)「我が軍」「八紘一宇」ルーツである80年前の「日本スゴイ!」キャンペーンを発掘、思わず噴き出す陳腐な内容を白日の下にさらす。

譚璐美さんの『帝都東京を中国革命で歩く』校了しました。明治維新と中国革命が交錯した早稲田、本郷、そして神田。街歩きをしながら革命の揺籃になったもうひとつの東京へ。HP連載最終回としてのちほど第十四章を公開します。 — 白水社

2016年6月29日水曜日

(Youtube) Peter Paul And Mary Alive Live Cruel War (悲惨な戦争)


Peter Paul And Mary Alive Live Cruel War


昨年末の「クリスマスの約束2015」で歌われた。

記事は ↓

動画はコチラ ↓ (6分経過くらいのところ)


6月30日 もう今年も半分 夏越の大祓 水無月食べて厄落とし 



そうか、去年はこの(↑)鳴海さんの水無月、戴いたな。

京都で水無月を戴く 夏越祓(なごしのはらい)にはチョット早いけどネ 2015-06-20

今年はお盆の帰郷の折に戴きますかね。



堀田善衛『ゴヤ』(101)「続・戦争の惨禍」(1) 1808年12月~第二次サラゴーサ包囲戦 「ゴヤもまた被包囲者心理の中にあって、この「民衆」の行為を是認する心境にあったことをあかし立てていはしないだろうか。」

堀田善衛『ゴヤ』(101)「続・戦争の惨禍」(1)

(前回までの経緯)
第二次サラゴーサ包囲戦が始まった。
1808年12月29日、フランス包囲軍は軍使を域内のパラフォックスに送り、降伏開城を勧告した。
降伏勧告は、言うまでもなく一蹴された。
かくて3ヶ月にわたる、怖るべき攻防戦が厳寒のサラゴーサに襲いかかる。

 アラゴンの勇敢なる兵ならびに市民諸君、諸君は先きに北方(フランス)の有名な戦士たちを一寸刻みに切り刻んだ。余は諸君の勇気に満足である。あの犬どもは、奴らの血で血塗られた余の剣を拭う暇をさえも、余に与えなかった。されど、われらの難攻不落の城壁は、奴らのすべてが自壊をするための棺桶となるであろう。奴らの血に浸された諸君の剣の鉄は、われらの深き敬愛の的たるフェルナンド七世の王位をより強固なものとし、不滅のものとするであろう。

 これが、フランス軍の開城勧告に対するパラフォックス将軍の返答であり、市民への布告である。兵も市民も、あげて白兵戦をやろうという決意の表明である。・・・

 ・・・(しかし)”犬ども”はじわじわと〝難攻不落の城壁〞の下に穴を掘って浸み入って来て、市の中心部にまで到り、そこで地下室にもぐり込んで爆薬を仕掛けるであろう。・・・
 フランス軍のツルハシ部隊は、井戸や溝渠、墓穴にもぐり込んで地下道を掘鑿した。すでに市内で日夜、零距離射撃の白兵戦が展開され、銃剣と自刃の肉弾戦が展開されているとき、パラフォックス将軍は兵を率いて市外に出、サラゴーサの北方二四キロも離れたベルディゲーラなる村で会戦を求め、散々に蹴散らかされている。

 市内では、数多い修道院の争奪戦が戦いの決定要素となる。修道院それ自体が小要塞のようなものだからである。ある修道士は四〇〇人の手下を引きつれて剣をもち、その手にも僧衣にも血をしたたらせて咆哮する、一月二七日に、「一日で一七人の奴らを、この手で喉笛を掻き切ってやったぞ!」と。

 ・・・人々は・・・、籠城戦にはつきものの飢餓と悪疫でばたばたと仆れて行った。市の街路には多くの屍が放置されていた。
 二月一八日、フランス車は今日ではスペイン広場と呼ばれている市の中心に到達した。
 これで終りである。

 パラフォックス将軍は、この日から病気になり、地方裁判所になっている旧ルナ家(全世界を破門したベネディクトウス一三世の故家である)の地下倉に隠れて寝ていた。
 降伏の条件は次のようなものである。

サラゴーサ市に対して全的宥恕が与えられる。
守備隊は戦時栄誉を持して出城し、門外二〇〇歩のところに武器を置く。士官は帯剣可にして、兵は背嚢を持つこと可。フランスに赴き、戦時捕虜となるものとす。
市民は武装を解除せよ、資産は保証される。宗教はこれを維持、敬せられるものとす。
百姓は自由に帰家せよ。官職にあるものはホセ一世に忠誠を誓うものとする。等々。

 布告はそのままに実施された。パイレーンの場合のような裏切りや残虐行為はなかった。二月二一日、六五〇〇のフランス車の面前で一万三〇〇〇のスペイン軍が降伏をした。かくも少数の敵軍を前にして、かくも多数の祖国軍隊が降伏することに、「怒りと悲しみに彼らの獣のような眼がぎらついていた」、とフランスのある将軍が書いている。そうして総司令官ランヌはナポレオンに対して、「陛下、身の毛のさか立つ戦争でした」と報告する。

 二月二四日に入城式があり、エル・ピラール大聖堂でのミサの後に、包囲戦中の行政機関の全員がホセ一世に対して忠誠を誓った。・・・異端審問所の地下牢に鉄鎖でつながれていた領主のピニャテルリ・フエンテス公は、フランス軍によって救い出されたが、日の目を見るなり喜びのあまりばったり倒れ、二度と立つことがなかった。

 この二度の戦いで双方にどのくらいの損害が出たものか、フランス側は約六〇〇〇と数字が出ているが、スペイン側ははっきりしない、二万から五万といわれている。
サラゴーサは莫大な額の賠償金を申しつけられ、フランスの将軍たちは多くの宝石類を”受け取った”。

 ところで”勇敢な”パラフォックス将軍はどうしたか。
 二月二四日に、地方裁判所の地下倉からフランス車総司令部に対してフランスへの移送を五、六日のばしてもらいたい、その頃になれば(病気)はよくなるでしょうから、と要請し、手紙を「閣下の奴隷である拙者」と結んでいる。この願いは聞き届けられ、三月はじめに祖国を出てパリに連行され、郊外のヴァンサンヌの城館に監禁される。・・・

 彼は一八一三年の一二月までそこにいさせられて、一四年になってからフェルナンド七世とともに再び租国に戻ることになる。しかしフェルナンドもこの男を決して信用していなかった。・・・

 ・・・ゴヤの描いている戦争の惨禍というものもまたその(*戦争の)細部にわたっている・・・
ゴヤ『戦争の惨禍』32

ゴヤ『戦争の惨禍』34

ゴヤ『戦争の惨禍』35

・・・第三二番の聖職者とおぼしい男に対するフランス軍兵士の残虐な絞首刑の場面、あるいは三四番、三五番の、前者においては一人の、後者においては八人の聖職者が逮捕され、いままさに銃殺刑に処せられんとしているの図などは、いったいこの戦争において、地方の下級聖職者や修道者などがどういう役割を果したものであったかがあらかじめ納得されていないと、とんだ一方的な理解になってしまいかねぬ・・・

ゴヤ『戦争の惨禍』13「「見ていられない」

ゴヤ『戦争の惨禍』14「「辛い段」

ゴヤ『戦争の惨禍』15「かくて救いはない」

ゴヤ『戦争の惨禍』30「戦争による被害」

・・・一三、一四、一五、三〇番などはもっとも早い時期、おそらくは一八〇九年か一〇年に銅版に刻まれたものであった。というのは、この四枚は、・・・この傑作(「巨人」)の銅版を敢て四つに切って、その裏に刻み込んだものであった。ということは、事態のあまりの非道さに衝撃をうけて、銅版の用意のないままに「巨石」の方を犠牲にしたということであろう。一三番は、柱に縛りつけられた、夫とおぼしい男の面前で二人の兵士によってまさに強姦されようとしている女の図であり、背景にねじ伏せられている女性は娘であるかもしれない。詞書は「見ていられない」である。そうして一四番は、「辛い段」と詞書されていて、おそらくはフランス派、裏切り者として民衆と聖職者にリンチにかけられている同国人の図である。聖職者は悔い改めよと説教をし、暴民は梯子の段々を引きずり上げ押し上げようとしている。そうして背景には、すでに吊り下げられた一人がまるでブランコのように前後に揺られている。ここに兵士の影はない。一五番「かくて救いはない」というものは、銃殺刑の図である。それは怖ろしい、真に人をして戦慄せしめる迫力をもつものであり、後年の『五月の三日』図の先駆をなすものである。そうして四つ目の三〇番は、「戦争による被害」であり、これはおそらく砲弾の直撃をうけた一家の図であろう。

ゴヤ『戦争の惨禍』28「民衆」

ゴヤ『戦争の惨禍』29「報いを受けるに値した」

 ゴヤが包囲戦の危機に瀕したサラゴーサをあとにしてマドリードへ帰りついたとき、マドリードもまた危機に瀕していた。ナポレオン自ら軍を指揮してすでに首都の北方一六三キロのアランダの町に到着していたからである。

 マドリードの町々にはバリケードが張られていた。エル・レティロの広大な庭園には大砲が置かれ、志願兵として申し出て来た市民に八〇〇〇丁の銃と銃弾がわたされた。・・・勇気凛々たる人々も無論いたであろう。しかし多くの市民は「やがてくるに違いないことに対する悲しい予感」におびえていたであろう。町々を支配しているものは、すでに無政府状態である。

 こういうときには、ほんのちょっとした動機で何が起るか、どういうことが仕出かされるかわからない。

 不幸は市会議員の一人であるベラレス侯爵と彼の零に襲いかかった。かつてこの侯爵の妾であった屠殺業者の娘が、捨てられたことを恨みに思って、侯爵は”裏切り者だ”と言い触らした。侯爵はかつてミュラ将軍を訪問したことがあったからである。それは珍しいことではなかった。けれども被包囲者の心理は平時のそれでははかれないことは、サラゴーサでも多くの”裏切り者”が処刑されたことで、証明ずみであろう。「民衆」は侯爵家へ押しかけ、侯爵と抵抗をした家令を引き出し、さんざんにいたぶった末になぶり殺しに殺してしまった。

 それが第二八番と第二九番である。両者ともに足首を長い縄でしばられ、街路を引きずられている。二八番では男が槍らしい長柄のもので突き、女が棒で撲りつけている。そうして左端にいる半月型の大きな帽子をかぶった傍観者は警察官である。無政府状態がここにまざまざと描き出されている。この二八番は「民衆」と詞書されている。意味深い詞書と言うべきであろう。
 そうして二九番では、屍(?)を引きずっている二人の「民衆」の蔭で黒いシルエットになっている男が剣で、おそらくはとどめを刺そうとしている。このシルエットはおそらく兵士であろう。しかも意味深いのは、この二九番が「報いを受けるに値した」と題されていることである。それは、ゴヤもまた被包囲者心理の中にあって、この「民衆」の行為を是認する心境にあったことをあかし立てていはしないだろうか。

 (ここで私はあることを思い出す。それは、かつての戦争が終って、私自身滞在していた上海から引揚げるときに、その引揚げ船で、戦争中に中国軍に捕虜とされ、重慶にいた旧日本軍の兵士たちと同船をしたことがある。船が上海を離れると、船内の空気が急速におかしくなり、この重慶にいた旧捕虜が、とうとう船底に引きすえられてリンチを加えられた。撲る、蹴る。暴民である。私は、やめろ、やめろと怒鳴った。しかし、私に出来たことは、この船、米軍のLSTの船長に通告することだけでしかなかった。そのことをこの二枚の銅版画を見るごとに、私は痛恨をもって思い出す。)
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【New】 Windows10 でマイクロソフト社に1万ドル支払い命令 自動アップグレードに相次ぐ苦情、通知画面も変更へ — ハフィントンポスト日本版 ; マイクロソフト社の広報担当は一審敗訴を不服として上訴したが、その後取り下げた。


「PCが勝手にWindows 10に自動アップグレードされ、仕事に支障をきたした」として、アメリカの女性がマイクロソフト社を訴えていた裁判で、マイクロソフト社に1万ドル(約100万円)の支払いを命じた一審判決が確定した。6月28日、地元紙のシアトルタイムズなどが報じた。

旅行代理店を経営するテリー・ゴールドスタインさんは「PCが勝手にWindows10に自動アップグレードしてしまい、しかも失敗に終わった。その結果、処理速度が遅くなり、仕事に支障をきたした」としてマイクロソフト社を提訴。「Windows 10なんて聞いたこともなかった。アップデートするかどうかも聞かれなかった」と話している。

マイクロソフト社の広報担当は一審敗訴を不服として上訴したが、その後取り下げた。同社は不正を否定した上で、訴訟費用が増えることを避けるため支払いを決めたという。

(略)

東電検証に異論相次ぐ 新潟県技術委「国民愚弄している」 - 産経ニュース ; 県技術委で新潟大名誉教授の立石雅昭氏は「(事故当初に)なぜ炉心溶融という言葉が通知されなかったのかが一番の問題なのに、検証していない。国民を愚弄している」と、調査内容は踏み込み不足だと厳しく批判した。

橋下徹の番組、やっぱり変。 「独裁って本当に悪いのか?SP」・・・


えっ、こんな大福があるの⁉ 全国にあった「変り種大福」の中身にびっくり!もちもち~な幸せタイムを♡ — Find Travel|ワクワク旅を発見

7月4日発売の「週刊スピリッツ」 付録に日本国憲法(livedoorNEWS) ; 44ページに及ぶスピリッツ特製の「日本国憲法全文」ブックが付録として付けられます。しかもスピリッツ連載陣13人がオール書き下ろしで参加という超豪華な永久保存版


6月27日に発売された「週刊ビッグコミックスピリッツ No.31」の巻末の予告によると、7月4日発売のNo.32に44ページに及ぶスピリッツ特製の「日本国憲法全文」ブックが付録として付けられます。しかもスピリッツ連載陣13人がオール書き下ろしで参加という超豪華な永久保存版となっています。予告で挿絵を描いている吉田戦車氏も以下のようにツイート。

(略)

「国民主権、基本的人権、平和主義(中略)この三つを無くさなければ本当の自主憲法にならないんですよ」 - Togetterまとめ ; 平成24年、長勢甚遠(第一次安倍内閣法務大臣)創生「日本」東京研修会 城内実衆議院議員(静岡7区)「我々の敵は日本にいる反日日本人なんです!」

1900年の今日はフランスの小説家、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリが生まれた日です。軍隊と民間で飛行士として働きながら小説を発表しました。夜間飛行、人間の土地はベストセラーとなりました。星の王子さまも長く読まれています / とりわけ日本で『星の王子さま』人気が高いのは,最初に邦題をつけた内藤濯の功績が大きいとも / On ne voit bien qu’avec le coeur.「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ」。内藤濯の名訳です



(写真) 宮城においでよ 名物のホヤの赤ちゃんがかわいいよ なお成体はグロい — 膝の皿のなめ氏

2016年6月28日火曜日

(Youtube) 『雨の物語』 イルカ with 伊勢正三 (1977)


IBA771 雨の物語① イルカ with 伊勢正三 (1977)150207 vL HD

「デトロイト美術館展」愛知・大阪・東京で開催 - モネやゴッホ、ピカソなど世界屈指の名画が大集結 — Fashion Press ; 上野の森美術館 2016年10月7日(金)~1月21日(土)

詩人茨木のり子の年譜(9) 1982(昭和57)56歳 第六詩集『寸志』 1983年 『現代の詩人7 茨木のり子』 ~ 1986(昭61)60歳 『ハングルへの旅』(朝日新聞社) ~ 1989(平1)63歳

鎌倉 明月院 2016-06-28
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(その8)より

1980(昭55)54歳
11月、吉岡しげ美音楽詩集「女の詩(うた)・そして現在(いま)」(キングレコード)に「わたしが一番きれいだったとき」「女の子マーサ」「怒るときと許すとき」「生きているもの・死んでいるもの」「小さな娘が思ったこと」が収録される。

1982(昭57)56歳
12月、第六詩集『寸志』花神社刊。
(収録作品)
問い
この失敗にもかかわらず
隣国語の森

1983(昭58)56歳
7月、『現代の詩人7 茨木のり子』中央公論社から刊行"

1985(昭60)59歳
6月、花神ブックスⅠ『茨木のり子』花神社から刊行"

1986(昭61)60歳
6月、エッセイ集『ハングルへの旅』朝日新聞社から刊行。
6月、韓国人作家・金善慶(キムソンキョン)の童話集の翻訳『うかれがらす』筑摩書房より刊行

■韓国語を学ぶ
 金裕鴻(キムユホン)が留学生として来日したのはソウルの国民大学生であったころ、一九五五(昭和三十)年であるから、在日の月日は半世紀を優に超える。長い在日歴をもつ韓国人は少なくないが、金に特記すべきは、韓国語を教えることを通して、千人を超える”日本人門下生”を得たことであろう。その一人に茨木のり子がいる。

 金が明治大学大学院に在籍していた一九六〇(昭和三十五)年から六一年にかけて、韓国では学生革命が引き金となって李承晩政権が崩壊する。・・・

 一九六一(昭和三十六)年、NHKの国際放送(ラジオ)の朝鮮語番組がはじまっている。二年後、新たなアナウンサー募集のオーディションがあり、金が採用された。・・・

 NHKの仕事は以降三十六年間続いていくが、もうひとつ、金が情熱を傾けたものに韓国・朝鮮語(ハングル)の講座がある。
 日韓親和会の主催する韓国語講座の初級クラスを担当したのか皮切りであったが、アナウンサー体験も加味していたのだろう、言葉を教えることが金は好きだった。その後、早稲田大学語学教育研究所、朝日カルチャーセンター、NHK「ハングル講座」などで韓国語を教えていく。

 朝日カルチャーセンターで講座がはじまったのは一九七四(昭和四十九)年のこと。・・・

 朝日カルチャーセンターの講座は三ヵ年で修了したが、茨木など熱心な生徒はさらに金のもとで勉強することを欲した。金が教えている他の講座に顔を出し、さらに間借りした会場や喫茶店で”自主講座”の勉強会は続いた。帰り道、メンバーは居酒屋や韓国料理店などに立ち寄る夜もあった。
 そんな席でも、茨木は「生徒の一人」というスタンスを変えることはなかった。目立つことなく、静かに談笑の輪に加わっている。概してシャイであり、有名人面することは一度もなかった。・・・

 自主講座が終わってからもさらに二人の付き合いは続いた。韓国語の不明な点を茨木が手紙で問い合わせ、それに金が答える  - 。

■尹東柱のこと
 茨木が出会った詩人に尹東柱(ユンドンジユ)がいる。韓国でもっとも人気のある、若くして獄中死した詩人である。
 旧満洲の生まれ。戦時中、来日して立教大学へ、さら同志社大学文学部英文科に在学中、朝鮮の独立運動に関与したという容疑で逮捕され、京都地方裁判所で懲役二年の判決を言い渡される。日本の敗戦の半年前、福岡刑務所で収監中に亡くなる。二十七歳。顔写真を見ると、知的な眼差しをもつ、美青年である。
 詩は、当時使うことを禁じられていたハングルで記されていた。詩編は友人のもとに送った手紙に同封されていて、友人が隠し持っていたことにより後世に伝わることとなった。
遺された尹の詩は、伊吹郷の訳によって読むことができる。『空と風と星と詩 - 尹東柱全詩集』(記録社、一九八四年)であるが、この過酷な時代の、この世代の若者にのみ詠むことができたであろう清音高き調べに満ちている。

 後年、建築家となり大学教授となった弟・尹芳柱(ユンイルジュ)と茨木は会っている。来日する前、兄の尹東柱(ユンドンジュ)は延世大学の学生であったが、構内に建てられた尹東柱詩碑を設計したのは十歳下の尹一柱であった。茨木は人・尹一柱を「篤実で陰翳深いお人柄、そこはかとない茶目っ気もあり」と記している。『ハングルへの旅』の最終章で尹兄弟の足跡をたどりつつ、ラスト、茨木はこう締め括っている。

 《弟の一柱さんと話していると、そのお人柄にどんどん惹きつけられていった。私の脳裡に「人間の質」という言葉がゆらめき出て、ぴたりと止まった。あまり意識してこなかったけれど、思えば若い頃からずっと「人間の質とは何か?どのように決定されるのか?」ということを折々にずいぶん長く考えつづげてきた、見つづげてきた、という覚醒が不意にきた。
 ふしぎな体験だった。
 それも尹一柱さんというすばらしい「人間の質」に触れ得て、照らしだされてきたことで、いきおい兄である尹東柱もまた、こういう人ではなかったか? と想像された。
 もの静かで、あたたかく、底知れぬ深さを感じさせる人格。
 だが三年間近くの日本留学生時代、伊吹郷氏の丹念な調査にもかかわらず、誰一人、彼を記憶していないということは…‥なんとも言えない情けなさである。
 ともあれ尹東柱・一柱兄弟に出会えたことは、最近の私の大きな喜びである。
 これもハングルを学ぶ道すがら、その途次でのことであった》

死ぬ日まで空を仰ぎ
一点の恥辱(はじ)なきことを、
葉あいにそよぐ風にも
わたしは心痛んだ。
星をうたう心で
生きとし生けるものをいとおしまねば
そしてわたしに与えられた道を
歩みゆかねば。

今宵も星が風に吹き晒らされる。(伊吹郷訳)

 尹東柱の代表作ともいわれる「序詩」であるが、茨木は『ハングルへの旅』でこの詩を引用しつつ、尹東柱を論じている。このくだりが日本の高校の教科書「新編現代文」(筑摩書房、一九九〇年)に載せられた。
 すでに「序詩」は韓国の高校の教科書にも使われている。日韓両国の教科書に、戦時中に死んだ若き在日朝鮮人の詩人の詩が掲載されること。小さなことではあるが、ゆるやかに流れる時代の変化を告げているのかもしれない。

■浅川巧のこと
 浅川巧。大正期から昭和のはじめ、朝鮮総督府農商工部山林課、さらに林業試験場に勤務した農林技師である。養苗、植樹の仕事にたずさわり、朝鮮の緑化事業につくした。
 農林技師として半島を歩くなか、ハングルを修得し、朝鮮服を愛用した。日用雑器に親しむうちに古き陶磁器への造詣を深めて『朝鮮陶磁名考』という著も残している。下級官吏ではあったが、生活困窮者の援助や子弟の学費援助にも奔走した。肺炎により四十歳の若さで急死するが、地元の人々の手によって手厚く葬られ、この地の土となった -。
 一九八四(昭和五十九)年、茨木はソウルの東、忘憂里という地にある浅川の墓に詣でている。憂いを忘れる里 - 忘憂里。『ハングルへの旅』において、一度耳にしたら忘れられない地名と記し、この地への紀行を綴っている。
 浅川の碑にはハングルでこう記されていた。

韓国が好きで 韓国人を愛し
韓国の山と民芸に
捧げた日本人
ここに 韓国の
土と なる

 浅川の短い生涯を紹介しつつ、茨木はこう書いている。
《浅川巧は、朝鮮における皇民化の激しくなる前、一九三一(昭和六)年に逝ったが、健在であればその後どう生きたか。またさかのぼって一九一九年の三・一独立運動をどう見たか。結局のところは山林一つをとってみても猛烈な収奪をやってのけた朝鮮総督府に属した一官吏にすぎないという観かたもあるだろう。
 だが、明晰な論文や弾劾文を発表すること、政治運動をすることだけがすべてではない。その時々の現象的な運動にかかわるだけがすべてではないだろう。言葉少なに、自分のできる範囲内でまわりに尽くし、黙って死んでいったその生きかたには、なぜか私は強く惹かれる》
 自身もかくありたい -。そう語っているようでもある。浅川と茨木が成したことは違うが、その精神において同列に連なるものを感じるのである。

 『ハングルへの旅』において、茨木はこうも書いている。
《今までの人生をぶりかえってみて、この十年間ほど一心不乱に勉強した歳月はなかった》

(以上、引用は『清冽』より)

1989(平1)63歳
3月、文庫『ハングルへの旅』朝日文庫から刊行

(その10)につづく




週刊文春。安倍自ら口説いた参議院トンデモ候補。青山繁晴。共同通信を退社した本当の理由は、450万円の私的流用だった。「舛添ブーメラン」自民を直撃 / 「文春砲」に疑惑を追及された参院選候補・青山繁晴の珍発言集! 外交の専門家なのに「タックスヘイブン」の意味を知らず… / 自民参院候補・青山繁晴氏が公私混同で退社の過去 | スクープ速報 - 週刊文春WEB ; 「・・・青山氏は共同通信を退職し、その退職金で約450万円を相殺・・・」 / 青山繁晴氏「憲法9条があるために安全守れない」 都内で街頭演説 - ZAKZAK ; 比例代表に自民党から出馬した民間シンクタンク「独立総合研究所」社長で、ジャーナリストの青山繁晴氏(63) / 民主党政権のとき(2011年11月)にTPPについてどう評論してたか ; 当然TPP反対 ケシカラン!と立腹 




自民党が参院選比例区で最後に公認した青山繁晴氏(63)が、経費の私的流用を指摘され、共同通信を退社していたことが、週刊文春の取材でわかった。

 共同通信の記者だった青山氏は、1996年に発生したペルーの日本大使公邸人質事件を現地で約130日にわたり取材。当時を知る元同僚は小誌の取材に対し、次のように明かした。

「青山氏は、約1500万円の経費を使ったが、そのうちおよそ450万円に私的流用が指摘された。中にはペルーの乗馬クラブの利用代金が含まれていたり、ホテルのメモパッドに金額を書いた紙が領収書として提出されていたそうです」

 経理担当者が、私的利用分を支払うよう求め、半年ほど交渉を重ねた。

「その結果、青山氏は共同通信を退職し、その退職金で約450万円を相殺することになりました」(同前)

(略)



▼危機管理の専門家?とかいうらしい ↓





陸上自衛隊第7師団は26日夜、東千歳駐屯地から苫小牧港までの公道約30キロを戦車が自走する訓練を実施しました。道内の公道で戦車が長距離を走ったのは2011年11月以来約5年ぶりです。 — 毎日新聞写真部 / マンション敷地に陸自の演習用砲弾 住民ら一時避難 — テレ朝news ← これらはやっぱり「人を殺す予算」で装備されたものだね



【「時給910円」で働く39歳男性の孤独な戦い】 正社員から派遣を経てアルバイト生活 — 東洋経済オンライン ; 現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困の罠に陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。

高度P制(残業代ゼロ)法案は参院選の重要争点です(渡辺輝人)  ; 法案は継続審議で参院選後に動き出す ・・・労働時間と賃金を切り離した「高度プロフェッショナル制度」などの導入をする法案であり、野党の説明によると「残業代ゼロ法案」「過労死促進法案」とされます。労働弁護士の界隈では「定額¥使い放題」法案とも言われています。


 (略)

法案は継続審議で参院選後に動き出す

現在、国会に係属中の法案で、今後の労働者の働き方に大きな影響を及ぼす可能性があるのが、政府が国会に提出した「労働基準法等の一部を改正する法律案」です。政府・与党(自民党・公明党)の説明によると労働時間と賃金を切り離した「高度プロフェッショナル制度」などの導入をする法案であり、野党の説明によると「残業代ゼロ法案」「過労死促進法案」とされます。労働弁護士の界隈では「定額¥使い放題」法案とも言われています。

この法案、今年の通常国会では審議されませんでしたが、廃案になったわけではなく、現在、衆議院で「閉会中審査」の対象となっています。

 (略)



『週刊朝日』 森山 農水相 、 西川 元農水相ら 自民党議員TPP交渉の裏で現金授受 ハワイで「手渡し」計80万円 日本養鶏協会会長、筆頭副会長らは「引責辞任」 / 森山農水相、養鶏関係者から現金 党TPP委員長当時:朝日新聞デジタル ; 朝日新聞の取材に対し、森山氏のほか、TPP対策委員長代理だった宮腰光寛衆院議員と西川公也元農水相も現金の受領を認めた。 / 返したからもういいでしょ、って? / 森山農水相ら自民党議員がTPP対策の見返りに現金授受! 安倍内閣の悪質賄賂疑惑をテレビはなぜ報道しない (リテラ) / 西川元農水大臣は、自民党TPP委員長時代、重要5項目に含まれる砂糖業界からの不透明な献金で辞任に至った。補助金を受けた団体からの寄付を法律で禁止している。西川元大臣同様、森山大臣も即刻辞任すべきではないか。— 蓮舫@民進党 / 日本養鶏協会から現金20万円を受け取ったことを認めた森山農相。菅官房長官は「適切に処理し問題はない」と言い切りましたが、“バレたら返す”という発想は万引犯と一緒です。 — 日刊ゲンダイ













【危機の本丸】ドイツ銀行が持つ金融デリバティブの残高が55兆6000万ユーロ(約6805兆円)に上り、ドイツのGDPの約20倍に相当する。2008年に破綻したリーマンが保有したデリバティブ残高35兆米ドル(約3762兆円)の倍近い。 / シティバンクやモルガン・スタンレー、ゴールドマンなど世界大手6金融機関のレバレッジ比率は平均24倍に対し、ドイツ銀は47倍になる。 / 英国のEU離脱がもたらす危機の最も奥底にあるのは、欧州金融機関の経営内容の悪さに対する懸念です。EU離脱ドミノが起きれば発現する。— 金子勝




2016年6月27日月曜日

(Youtube) 新谷のり子_フランシーヌの場合 _


新谷のり子_フランシーヌの場合 _

参考情報
フランシーヌ・ルコントがパリで焼身自殺した日。反戦歌「フランシーヌの場合」が出来た。
2006-03-30 | 歴史

今日(3月30日)はフランシーヌ・ルコントがパリで焼身自殺した日。
1969(昭和44)年3月30日、日曜日の朝。パリの路上で30歳の女性が、シンナーを被って焼身自殺した。
AFP電として日本の新聞でも報道されたところによると、フランシーヌ・ルコントさんというこの女性はベトナム戦争、ナイジェリアに心をいため、自殺した時もビアフラの飢餓の切抜きを持っていたという。また、ウ・タント国連事務総長などに訴えの手紙も書いたこともあるといわれるが、家族の話では精神科にかかっていたこともあるという。(1969年3月31日付 朝日新聞夕刊)
1人の女性の焼身自殺で何が変わるわけでもない。家族の話のように、精神を病んでのことかもしれないが、いずれにしても、かなり思い詰めての行動であろう。
この事件に、心を動かされた日本人によって、一つのフォークソング(反戦歌)が作られた。いまいずみあきら作詞、郷伍郎作曲「フランシーヌの場合」である。

フランシーヌの場合は あまりにもおばかさん
フランシーヌの場合は あまりにもさびしい
三月三十日の日曜日
パリの朝に燃えた いのちひとつ
フランシーヌ

この歌は3ヵ月後の6月に発売された。新谷のり子さんのデビュー曲であるこの歌は80万枚を超える大ヒット作となった。以後、新谷のり子さんは反戦、反核、反差別をテーマにコンサートを続けておられるという。思えば、この曲が大ヒットした1969(昭和44)年は、学生運動がもっとも盛り上がったときであった。ベトナム戦争、沖縄闘争のうねりと共に時代の心を代表し、多くの人々の支持を得た。恐らく、今の50代以上の人には、忘れられない曲ではないだろうか。

(略)

應永30(1423)年1月~12月 「印刷術」の始まり(ハーレム) ボヘミアのジュシュカ、タボル派を率い穏和派を破る 鎌倉公方足利持氏が京都扶持衆の小栗満重を攻撃(永享の乱の一因) 曲舞の流行  

鎌倉 海蔵寺 2016-06-14
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應永30(1423)年
この年
・皇帝ジギスムント、ヴェッティン家マイセン辺境伯フリードリヒをザクセン選帝侯(封土ザクセン、ヴィッテンベルク)となる。
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・ナポリ女王ジョヴァンナ2世(ジャンヌ)、アラゴン・シチリア王アルフォンソ5世との養子縁組、一方的に解消。王位継承者にアンジュー家ルイ3世を指名。
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・スコットランド、ロンドン条約締結。
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・「印刷術」の始まり。
ハーレム市ラウレンス・ヤンスゾーン・コステルが、木製次いで鉛と錫の「活字」を作る。
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・マントヴァ候ジャン・フランチェスコ・ゴンザーガ、人文主義者・教育者ヴィットリーノ・ダ・フェルトレ(45)をマントヴァに招聘。
宮廷の子供達に、学校「ラ・ジョコーサ(愉快荘)」を設立。
嗣子ルドヴィーコを、「当代随一の君主、第一級の学芸保護者」に育て、男子生徒70人の知育・徳育・体育の全ての面を管理。
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1月
・仏、ブールゲン・ブレス 会談(アルザス地方)。
王太子シャルルとフィリップ善良候の最初の和解交渉、不調。
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3月1日
・ヴェネツィア、ドージェ(元首)トンマーゾ・モチェニーゴの遺言。有名な国情分析)。
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3月18日
・足利義量(17)、室町第5代将軍になる。義持の子。
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3月26日
・ヴェネツィア、他人の目に秘密文書がふれぬように、書記局の書記たちの俸給加俸
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4月4日
・ヴェネツィア、ドージェ、モチェニーゴ没。
15日フランチェスコ・フォスカリ、ドージェ就任(任~1457)。
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4月7日
・ヴェネツィア、アレンゴ(人民集会)廃止。すべて大議会に取って代わる
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4月7日
・仏、アミアン協定。
摂政ベッドフォード、ブルゴーニュ公フィリップ、ブルターニュ公ジャンの3者協定。のち、フォア伯ジャン1世が加わり4者協定。
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4月23日
・パヴィアの大公会議が開催。教皇マルティヌス5世が召集。ペスト発生し7月21日シエナに移動、更にペストの脅威が迫り、議事半ばで散会。
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4月25日
・足利義持、落飾。法名道詮。
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4月27日
・ボヘミアのジュシュカ、タボル派を率い穏和派を破る。
この春、ジシュカはターボルを去りフラデツに移る。
そこでは既に説教師アンプロシュの指導で、オレープ派と呼ばれる急進派拠点が作られており、ジシュカはその軍司令官となり、プラハや貴族の軍と戦い、急進派の勢力拡大に努める。
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5月13日
・摂政ベッドフォードとフィリップ善良公の妹、結婚。
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6月1日
・ヴェネツィア、ドージェ顧問官、四十人委員会の長、十人委員会の長、司法長官、官職に従って色分けのトーガをまとわねばならぬ
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8月2日
・鎌倉公方足利持氏(26)、常陸小栗城を攻略、小栗満重は三州へ逃亡。
8日、小栗と同心した宇都宮持綱・桃井宣義を討つ。
16日、結城から武蔵府中に帰陣、高安寺に入る。勝手に大名を誅伐したとして京都と鎌倉の緊張が高まる。
小栗満重の子・小栗判官(助重)は、その後結城合戦に参陣し、その戦功によって旧領を回復したという。

小栗満重は常陸真壁郡小栗御厨を支配する領主。所領は室町幕府の御料所である中郡荘と近接しており、小栗氏は、早くから幕府中央と関係を結んでいた。
応永23年(1416年)の上杉禅秀の乱で、満重は禅秀に味方したため、戦後、鎌倉公方足利持氏から所領の一部を没収された。
前年の応永29年(1422年)、満重は、宇都宮持綱・桃井宣義・真壁秀幹らと共謀して反乱を起こし、一時は下総結城城を奪うなどした。しかし、反乱の長期化・強大化を懸念した持氏自らが大軍を率いて出陣し、反乱軍は崩壊して満重も居城の小栗城で自刃した。

常陸小栗氏は常陸国の武士でありながら室町幕府と直接主従関係を結ぶ京都扶持衆となり、たびたび反鎌倉公方活動を行っていた。
満重の鎌倉公方(足利持氏)への対抗姿勢も扶持衆の直接の主君である4代将軍・足利義持自身が持氏の勢力弱体化のために秘かに認めていたものとされ、持氏による親征(小栗満重の討伐)は、これを知った持氏が京都扶持衆に対する見せしめとして行ったものとされる。
また、この時に小栗御厨・真壁荘の大部分だけでなく、幕府の御料所である中郡荘も没収して自らの所領に加えたとみられている。
義持はこれを、関東から親幕府勢力の一掃を図った「私戦」として激しく非難して三管領や山名時熙・赤松満祐に持氏討伐の是非を諮問する騒ぎとなっている。
結局、持氏の謝罪で一旦は納まったものの、以後も京都扶持衆を介在させて持氏の勢力拡大を阻もうとする幕府と彼らの討伐の機会を狙う持氏の対立は続き、永享の乱の原因の1つとなった。

やがて永享の乱で持氏が自害して滅んだ後、その遺児(足利春王丸・足利安王丸の兄弟)を擁して結城氏朝が挙兵し(結城合戦)、この戦いで武功を立てた満重の子(一説に弟とも)とされる小栗助重が旧領への復帰を許されたが、康正元年(1455年)、享徳の乱の最中で持氏の遺児(春王丸・安王丸の弟)である足利成氏の攻撃を受けて本貫地である小栗御厨を失った(ただし、小栗御厨は小栗満重の乱で関東管領山内上杉氏の所領となったため、成氏の攻撃を受けたとする説もある)。その後の助重は出家して宗湛と号し、8代将軍・足利義政の絵師として活躍した。
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8月11日
・若狭守護一色義範、将軍からは鎌倉公方足利持氏討伐の旗を授かる(「看聞日記」同日条)。
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8月12日
・ヴェネツィア、スクタリ占領
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9月
・ラ・グラーヴの戦い。サフォーク伯ウィリアム・ポールのアンジュー公領攻撃、失敗。
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9月26日
・ヴェネツィア、ユダヤ人は、不動産を獲得できない
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10月1日
・近江・河内・義乃(美濃か)・八幡などの唱門師(声聞師)達、京都の六角堂・亭子院・梅小路・珍皇寺・矢田寺・大堂(犬堂か)で連日舞を舞い、人々は棧敷を構えて見物(「康富記」同日条)。
この頃から唱門師達は勧進曲舞という形で京都・奈良の寺社で活動。記録では児舞・女舞と書かれたものが多く、あでやかなものであったと推測できる。

14世紀~17世紀初頭、曲舞(久世舞・口宣舞・舞々・舞)と呼ばれる芸能が流行。
曲舞の中では、越前丹生郡田中(近世には西田中)を根拠地にした幸若舞は、最も大きな勢力をもった一派。
曲舞は、平安末期~鎌倉期に流行した白拍子舞から出たものと云われる。白拍子舞は拍子を主にした歌舞で、曲舞もまた拍子に合わせて長い物語を舞いながら語っていくもの。
後に能と云われる猿楽の改革者観阿弥は、当時人気の田楽の歌舞と曲舞の拍子・語りを猿楽に取り込み、ものまねを主体としていた猿楽が、ストーリーをもった歌舞劇として再生する。
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10月10日
・ブルターニュ公弟アルテュール・ド・リッシュモンとフィリップ善良公のもう1人の妹(ジャン無怖公)マルグリッド 、結婚。
(1424年シャンベリー協定後、ブルゴーニュ候フィリップ善良公、リシュモンをシャルル7世の宮廷に派遣)
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11月28日
・鎌倉公方足利持氏が派遣した謝罪の使者、入京。
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11月29日
・教皇ベネディクトゥス13世(99)、ペニスコラ(バルセロナ南)で没。コンスタンツ宗教会議で1417年7月廃位。
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12月15日
・ビザンツ皇帝パレオロガス、ヴェネツィアに到着、キリスト教側の援助を求む
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参院選を前に女性たちが安倍政権に危機感…ファッション誌「LEE」も「自民党に改憲を許す」危険性を警告 (リテラ) ; 「LEE」(集英社)の7月最新号では、「『憲法』『育児・待機児童』問題 もしあなたが投票に行かなかったら……再び」という、参院選を見据えて11ページもの大ボリュームで政治特集を組んでいる。

【米国産牛肉、「成長ホルモン」の衝撃的な実態】 日本人は「安い牛肉の現実」を知らなすぎる — 東洋経済オンライン

生活の党の小沢一郎代表、党首討論で、安倍首相が野党連合を批判し、「共産党は自衛隊を憲法違反だと言っている」と述べたことについて、「自民党にそんなことを言う資格なんてない。かつて自民党は、政権欲しさに、社会党の村山(富市)さんを担いで総理大臣にした。村山さんは自衛隊を憲法違反と言ってましたよ。私たちは選挙協力するけど、共産党の志位委員長を総理大臣にしようとは言ってませんよ(笑い)。安倍さんよりいい政治をするために、野党で協力しているだけじゃないですか」


 演説の終盤では、先日の党首討論で、安倍首相が野党連合を批判し、「共産党は自衛隊を憲法違反だと言っている」と述べたことについて言及した。

 「自民党にそんなことを言う資格なんてない。かつて自民党は、政権欲しさに、社会党の村山(富市)さんを担いで総理大臣にした。村山さんは自衛隊を憲法違反と言ってましたよ。私たちは選挙協力するけど、共産党の志位委員長を総理大臣にしようとは言ってませんよ(笑い)。安倍さんよりいい政治をするために、野党で協力しているだけじゃないですか」

 持論を展開して大きな拍手を浴びた。

週刊現代。 大橋巨泉さんの渾身の訴え。 安倍晋三に野望は恐ろしいものです。選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせてください。7月の参議院選挙、野党に投票して下さい。最後のお願いです。 / 「がん闘病」大橋巨泉 週刊誌コラム無念の最終回(東スポWeb) ; 「このままでは死んでも死にきれない」と書いた巨泉は、最後の遺言として「安倍晋三の野望は恐ろしいものです」。参院選で野党に投票するよう読者に呼びかけた。






地べたから見た英EU離脱:昨日とは違うワーキングクラスの街の風景(ブレイディみかこ) ; そもそも、反グローバル主義、反新自由主義、反緊縮は、欧州の市民運動の三大スローガンと言ってもよく、そのグローバル資本主義と新自由主義と緊縮財政押しつけの権化ともいえるのがEUで、その最大の被害者が末端の労働者たちだ。


 (略)

労働党左派もこのムードを感じ始めたから、潔癖左翼のジェレミー・コービンでさえ「移民について心配するのはレイシストではない」と言い始めたのだろう。オーウェン・ジョーンズらの左派論客や、労働党議員たちもある時期から同様のことを言い出した。戦略を切り替えたのだ。怒れる労働者たちを「レイシスト」と切り捨ててはいけない。むしろ、彼らをこそ説得しなければ離脱派が勝つと判断したからだ。

そもそも、反グローバル主義、反新自由主義、反緊縮は、欧州の市民運動の三大スローガンと言ってもよく、そのグローバル資本主義と新自由主義と緊縮財政押しつけの権化ともいえるのがEUで、その最大の被害者が末端の労働者たちだ。

だから、「大企業や富裕層だけが富と力を独占するようになるグローバリゼーションやネオリベや緊縮は本当に悪いと思うけど、それを推進しているEUには残りましょう」と言っても説得力がなく、そのジレンマで苦しみ、説得力のある残留の呼びかけができなかったとしていよいよ退任を迫られそうなのがジェレミー・コービンだ。

「貧困をなくし、弱者を助ける政治を目指す」と高らかに言って労働党党首に選ばれた人が、グローバリゼーションと緊縮財政のWパンチで「移民の数を制限してもらわないと、賃金は上がらないし、家賃は高騰するし、もう生活が成り立ちません」と訴えている当の貧民たちに、「そんなことを言ってはいけません。自由な人の移動は素晴らしいコンセプトです」と言っても、いまリアルに末端で苦しんでいる者たちには「はあ?」になる。

(略)



稲田朋美さん(2011年)「TPPで、40%の食料自給率が12%に低下する」 (動画) / 「国民の生活が大事なんて政治はですね、私は間違っていると・・・」 / 「自分の国を護るためには、血を流す覚悟をしなければならないのです」 / 「自民党改憲草案では、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重はまったく変えておりません」 / 「自民党は年金で40兆円の含み益、風速的に5兆円の含み損が出ただけ」 / 「安倍政権はトリクルダウンの考えは採ってません!」 / 稲田朋美・自民党政調会長がNHKの日曜討論で自爆 - Togetterまとめ












関連記事
稲田朋美氏の請求棄却 「在特会と蜜月」の週刊誌報道 (朝日新聞) ; 「在特会との近い距離が際立つ」などと書いた。判決は、この内容は真実で公益性もあると認定した / 稲田朋美と在特会との関係を報じたサンデー毎日に対して、稲田が名誉棄損で損害賠償の請求をしていたけど、大阪地裁は稲田の請求を棄却した。つまり、記事の内容は事実であると裁判所が認めたということになる / 稲田朋美政調会長とヘイト団体・在特会の“親密な関係”を裁判所が事実認定! スラップ訴訟による報道圧力を許すな (リテラ)

自民党の稲田朋美(行政改革担当相)、「戦時中、慰安婦制度は、合法であったということは事実だ」と述べる。 → 稲田氏発言は「冒涜」 韓国政府が非難

今週の女性自身、「女性初の総理候補に本誌がホンネ直撃!」稲田朋美議員にインタビュー。 「男子も女子もみんな自衛隊に体験入隊するべきです」 ← アホか! / ポスト安倍・稲田朋美が「男子も女子も自衛隊に体験入学すべき」! 過去には「国に命をかける者だけに選挙権」発言も — litera

稲田朋美 : 稲田氏を含む国会議員44人は慰安婦強制連行の証拠はないという意見広告「THE FACTS」を2007年6月14日付の米紙ワシントンポストに掲載した。 2011年には竹島への上陸を計画したことを理由に、韓国への入国を拒否された。 — ウォール・ストリート・ジャーナル日本版





圧倒的に力を持っている側からのネガティヴ・キャンペーンは見苦しい。それが別働隊のものだったとしても。 そこまで手段を選ばずなりふり構わずというのは、やはり3分の2を是が非でも獲得して、隠された「何か」をしでかそうという意図が見える。 — 松尾貴史「マイ・フェア・レディ」 / 野党共闘攻撃ビラ、新潟県内で26万部。配布依頼は、日本会議新潟県本部理事長・佐藤日出夫。それをそのまま折り込む新潟日報。宮城・山形・福島でも。



大義は野党共闘に 識者ら談話 「限定的な政策の一致を足場に一時的な共闘関係を持ちうることは民主主義の最もすぐれた点」 民主主義の本道を実践  思想家、名誉教授 内田樹さん 『しんぶん赤旗』27日付




(動画) こんな仕事ならタダでもやりたい。

2016年6月26日日曜日

(Youtube) 吉田拓郎 『ある雨の日の情景』  『いつか夜の雨が』 『冷たい雨が降っている』 (映像はイメージ映像)   


ある雨の日の情景


いつか夜の雨が 吉田拓郎


冷たい雨が降っている Takuro Yoshida



『思ふこと みなつきねとて 麻の葉を 切りに切りても祓へつるかな』 (後拾遺集 和泉式部) 夏越の大祓式 6月30日 — 貴船神社(きふねじんじゃ)

“立派なおじいちゃん”は沖縄戦で自決した司令官だった〈AERA〉(dot.)  ;  「沖縄で米軍の事件事故が起きると、本土マスコミの多くは『沖縄の人たちが怒っている』と書く。基地被害や戦争と隣り合わせの現実を、自分たちの問題と感じる意識が決定的に欠落しています」


運命に手繰り寄せられるように沖縄戦と向き合ってきた人がいる。東京都在住の小学校教諭、牛島貞満さん(62)だ。日本陸軍第32軍(沖縄守備軍)の牛島満司令官の孫として、沖縄戦の実相を探り、後世に語り継ぐ責務を自身に課している。

(略)


 全国メディアの「沖縄」の伝え方は今も、「他人事」だと牛島さんは指摘する。

 「沖縄で米軍の事件事故が起きると、本土マスコミの多くは『沖縄の人たちが怒っている』と書く。基地被害や戦争と隣り合わせの現実を、自分たちの問題と感じる意識が決定的に欠落しています」




関連記事
6月14日午前9時50分、沖縄戦の海軍司令官、大田実氏の娘2人がキャンプ・シュワブゲート前を訪れました。四女の昭子さん、八女の八千代さんで、「平和のために頑張っている皆さんを見て父も喜んでいると思う」と話しました。— 沖縄タイムス辺野古取材班



NHK日曜討論 玉城デニーさん「議論の最中に、無用なレッテル張りはしないで下さい、では議論にならない。議論があれば対論をする形が良いと思う。レッテル張りという言葉は政治家は使わないで頂きたい」

名称が「支持政党なし」という政党 ; 騙されないで。これは政党名です。「支持政党なし」と書くとこの政党の議員の得票になります。誰が立候補しているのかも分からない悪質な党です。 / 【注意】参議院選挙「支持政党なし」が出馬しています。比例で「支持政党なし」「支持なし」などと書いた場合この政党に投票されたとみなされます。2014年の衆院選では比例北海道ブロックで議席獲得には至らぬも10万票獲得してるので注意





氷河期世代 最後の就活 環境改善、正社員に道 (NIKKEI STYLE かれんとスコープ) ; 氷河期世代が30代後半から40代前半になりつつある。総務省の調査によると35~44歳で非正規で働く人は約390万人。うち約2割は不本意ながら非正規を続けている。まだ可能性が広がる若い世代の陰で、行政の支援からも「忘れられた世代」になってきた。


 (略)

■非正規、約390万人

 塾に参加する42歳の男性は就職氷河期に大学を卒業した後、IT企業の契約社員として働いてきた。仕事にやりがいを感じていたが正社員になれる機会はなかった。「転職して失敗するのが怖くて契約社員を続けてきた。でもやっぱり不安定だし、年齢的にも最後だと思った」と話す。

 非正規の場合、突然仕事を失うこともある。14年間契約社員として働いた40代の男性は今春、業務がなくなり退社させられた。「次は正社員の職を探す。安心できる居場所がほしい」と切実だ。東京しごと財団の林さやか正規雇用対策担当課長は「いつも定員の2倍は応募がある。結婚や子育ての最後のチャンスとして正社員になりたい人が増えている」と話す。

 「バブル世代がどんどん乗り込んでいった会社というバスのドアが目の前で閉まった世代」。転職サイト「リクナビNEXT」の藤井薫編集長は氷河期世代をこう表現する。バブル崩壊後、企業は急速に新卒者の採用を絞り、若者は行き先を失った。その氷河期世代が30代後半から40代前半になりつつある。総務省の調査によると35~44歳で非正規で働く人は約390万人。うち約2割は不本意ながら非正規を続けている。まだ可能性が広がる若い世代の陰で、行政の支援からも「忘れられた世代」になってきた。

 だが、ここに来て採用の環境が改善し、氷河期世代の意欲をかき立てている。2015年の有効求人倍率は平均で1.20倍と24年ぶりの高水準となった。リクナビNEXTの藤井編集長は「人手不足に加え、いびつな年齢構成を修正しようとする企業が増えている」と話す。だからといって、大手企業に簡単に入れるわけではないが「現場のリーダーなどでまじめにやってきた人には、20年ぶりにドアが開いた」と見る。特に中小企業に聞くと「大切なのは人柄。年齢や正社員の経験は関係ない」という声は多い。

 (略)

【動画】銃規制めぐり怒りのサボタージュ、米議会下院の法案否決で民主党議員座り込み (ニューズウィーク日本版) *民主党議員数十人が本会議場の床に座り込み「議事妨害」に出る異例の事態に


 アメリカ史上最悪の犠牲者を出したフロリダ州の銃乱射事件を受けて、米議会で銃規制強化に向けた機運が高まっているが、今週下院では、民主党提出の規制強化法案が否決されたことに反発した民主党議員数十人が本会議場の床に座り込み「議事妨害」に出る、異例の事態となった。

 民主党議員は、共和党のポール・ライアン下院議長が議事を進行しようとすると、「No bill, no break! (法案を審議しなければ、座り込みは終わらない!)」と声を上げ、銃乱射事件で犠牲となった人たちの名前が書かれた紙をライアンに見せて抗議した。また公民権運動でよく歌われた「We Shall Overcome(勝利を我らに)」を歌う一幕もあった。

(略)



(動画) 日本国憲法 前文 full text version

古市憲寿氏「謝罪文すら読めない」自虐発言にスタジオ爆笑 小沢一郎氏は怒り収まらず— ハフィントンポスト日本版 / 松本人志、小沢氏激怒の古市氏に「ナイスファイト」 (日刊スポーツ) ← 古市憲寿、松本人志、フジテレビ、どんどんアカン輪が広がってゆく(←絶対見ない) / 私たちはもう前を向いています。 古市憲寿氏におかれましても、将来ある有能な方ですので、是非前を向いて頑張っていただきたいと思います。 応援しています。小沢一郎





英国極右の党首Farageは、英国は週に4億3400万€をEU に支払ってきた、離脱によりこの金額を健康保険に使うことを公約、多数の人々を離脱に誘導してきた。しかし離脱派勝利の本日のTVで、公約は実行不可能、我々のミスだ、と発言。 / 英独立党党首「EU離脱したら分担金をNHS(英国医療サービス)にまわすつった公約な、あれな、新しい判断でやめることにしたわ」


【メディア分析】NHKで安倍さんの露出時間が長いのは公職選挙法違反では?(水島宏明) : NHKでは選挙期間中も民放と比べて安倍さんの露出時間が突出して長いという事実が判明しました。

2016年6月25日土曜日

(Dailymotion) みずいろの雨 八神純子1978

いまトーハク(国立博物館)狙い目かな → 「ほほえみの御仏-二つの半跏思惟像-」展と「伊東マンショの肖像」






マービン・ゲイ『what's goin' on』。この訳からは「デモの列を作ろう」が抜けてるし、「長髪だというだけで」という歌詞が「縮れ毛」になっちゃってると思うんだけど、政治をセクシーにする可能性は十二分にわかるだろう。(YouTube) — いとうせいこう

志位さん「消費税を上げられなかった本当の理由は何ですか?国内の景気が悪すぎるからです。」 安倍「ちょ、ちょっと!」 志位「今私が話してるんです。」 安倍「後で、後で私に言わせて下さいよ」 志位「総理。経済政策の失政をきちんとお認めなさい。」

NEWS23党首討論 ; 山本太郎氏「舛添問題ありましたが、セコさで言えば、安倍総理も。ガリガリ君が報告書に」・・・ / 党首討論で山本太郎が安倍首相に「ガリガリ君を政治資金で買った」事実を追及! 安倍は異常に狼狽して逆ギレ (リテラ) / (動画)もあり / 安倍首相 “神の水”に続き「ガリガリ君」まで事務所費に計上 (日刊ゲンダイ) 










「きょう一日で2兆2750億円目減り」 年金を脅かす”EU離脱” / 安倍内閣炎上か!? 消えていく年金基金135兆円 (「ジャーナリスト同盟」通信) / 昨日一日だけで、GPIFは約3.6兆円規模の巨額運用損を出した計算になる。 /






憲法を考える 9条の根源 柄谷行人 (『朝日新聞』2016-06-14)

『朝日新聞』2016-06-14
*
憲法を考える 9条の根源 哲学者・柄谷行人
(『朝日新聞』2016-06-14)
1941年兵庫県生まれ。69年、文芸批評家としてデビュー。著書に新刊「憲法の無意識」のほか、「世界共和国へ」「世界史の構造」など。

無意識に根ざした
日本人の「文化」
簡単には変わらない

憲法改正論の本丸が「戦争放棄」をうたった憲法9条にあることは明らかだ。自衛隊が米軍と合同演習をするような今日、この条文は非現実的という指摘もある。だが、日本人はこの理念を手放すだろうか。9条には別の可能性があるのではないか。9条の存在意義を探り、その実行を提言する柄谷行人さんに話を聞いた。

- 安倍晋三首相は歴代首相と違い、憲法改正の発議に必要な議席数の獲得をめざす意向を公にしています。改憲に慎重な国民は参院選の行方を懸念していますが、柄谷さんは講演などで「心配には及ばない」といっています。

「昔から保守派は改憲を唱えていましたが、いざ選挙となるとそれについて沈黙しました。改憲を争点にして選挙をやれば、負けるに決まっているからです。保守派はこれを60年以上くりかえしているのです。しかし、なぜ9条を争点にすると負けてしまうのかを考えず、この状態はそのうち変わると考えてきたのです。それでも、変わらない。事実、改憲を唱えていた安倍首相が、選挙が近づくと黙ってしまう」

「実は、そのようなごまかしで選挙に勝っても、そして万一、3分の2の議席をとったとしても、改憲はできません。なぜなら、その後に国民投票があるからです。その争点は明確で、投票率が高くなる。だから負けてしまう。改憲はどだい無理なのです」

■     ■

- 安倍政権は今のところ憲法を変えられないので、解釈改憲して安全保障関連法を整え「海外派兵」できる体制を作った。そうなると9条は形だけになりますね。

「しかし、この『形』はあくまで残ります。それを残したままでは、軍事活動はできない。訴訟だらけになるでしょう。だから、どうしても改憲する必要がある。だけど、それはできないのです」

- なぜ9条は変えられないといえるのですか。

「9条は日本人の意識の問題ではなく、無意識の問題だからです。無意識というと通常は潜在意識のようなものと混同されます。潜在意識はたんに意識されないものであり、宣伝その他の操作によって変えることができます」

「それに対して、私がいう無意識はフロイトが『超自我』と呼ぶものですが、それは状況の変化によって変わることはないし、宣伝や教育その他の意識的な操作によって変えることもできません。フロイトは超自我について、外に向けられた攻撃性が内に向けられたときに生じるといっています」

「超自我は、内にある死の欲動が、外に向けられて攻撃欲動に転じたあと、さらに内に向けられたときに生じる。つまり、外から来たように見えるけれども、内から来るのです。その意味で、日本人の超自我は、戦争の後、憲法9条として形成されたといえます」

- 9条は占領軍が敗戦国日本にもたらしましたが、日本人が戦争体験の反省から作ったと考える人もいます。そうではないと。

「9条は確かに、占領軍によって押しつけられたものです。しかし、その後すぐ米国が再軍備を迫ったとき、日本人はそれを退けた。そのときすでに、9条は自発的なものとなっていたのです」

「おそらく占領軍の強制がなければ、9条のようなものはできなかったでしょう。しかし、この9条がその後も保持されたのは、日本人の反省からではなく、それが内部に根ざすものであったからです。この過程は精神分析をもってこないと理解できません」

「たとえば、戦後の日本のことは、ドイツと比較するとわかります。ドイツは第2次大戦に対する反省が深いということで称賛されます。が、ドイツには9条のようなものはなく徴兵制もあった。意識的な反省にもとづくと、たぶんそのような形をとるのでしょう」

「一方、日本人には倫理性や反省が欠けているといわれますが、そうではない。それは9条という形をとって存在するのです。いいかえれば、無意識において存在する。フロイトは、超自我は個人の心理よりも『文化』において顕著に示される、といっています。この場合、文化は茶の湯や生け花のようなものを意味するのではない。むしろ、9条こそが日本の『文化』であるといえます」

■     ■

- 近著では、戦後憲法の先行形態は明治憲法ではなく「徳川の国制」と指摘していますね。

「徳川時代には、成文法ではないけれども、憲法(国制)がありました。その一つは、軍事力の放棄です。それによって、後醍醐天皇が『王政復古』をとなえた14世紀以後つづいた戦乱の時代を終わらせた。それが『徳川の平和(パクストクガワーナ)』と呼ばれるものです。それは、ある意味で9条の先行形態です」

「もう一つ、徳川は天皇を丁重にまつりあげて、政治から分離してしまった。これは憲法1条、象徴天皇制の先行形態です。徳川体制を否定した明治維新以後、70年あまり、日本人は経済的・軍事的に猛進してきたのですが、戦後、徳川の『国制』が回帰した。9条が日本に根深く定着した理由もそこにあります。その意味では、日本の伝統的な『文化』ですね」

- 9条と1条の関係にも考えさせられます。現在の天皇、皇后は率先して9条を支持しているように見えます。

「憲法の制定過程を見ると、次のことがわかります。マッカーサーは次期大統領に立候補する気でいたので、何をおいても日本統治を成功させたかった。そのために天皇制を存続させることが必要だったのです。彼がとったのは、歴代の日本の統治者がとってきたやり方です。ただ当時、ソ連や連合軍諸国だけでなく米国の世論でも、天皇の戦争責任を問う意見が強かった。その中であえて天皇制を存続させようとすれば、戦争放棄の条項が国際世論を説得する切り札として必要だったのです」

「だから、最初に重要なのは憲法1条で、9条は副次的なものにすぎなかった。今はその地位が逆転しています。9条のほうが重要になった。しかし、1条と9条のつながりは消えていません。たとえば、1条で規定されている天皇と皇后が9条を支援している。それは、9条を守ることが1条を守ることになるからです」

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押し付けられた
日本ができる
平和の世界革命

- 憲法9条はカントの「永遠平和のために」、またアウグスティヌスの「神の国」にさかのぼる理念にもとづくとされます。それが他ならぬ戦後日本の憲法で実現されたのは興味深いですね。

「私は、9条が日本に深く定着した謎を解明できたと思っています。それでも、なぜそれが日本に、という謎が残ります。日本人が9条を作ったのではなく、9条のほうが日本に来たのですから。それは、困難と感謝の二重の意味で『有(あ)り難(がた)い』と思います」

- 日本は国連安全保障理事会の常任理事国入りに熱心ですが、それは9条とどう関係しますか。

「今の国連で常任理事国になる意味はありません。しかし、国連で日本が憲法9条を実行すると宣言すれば、すぐ常任理事国になれます。9条はたんに武力の放棄ではなく、日本から世界に向けられた贈与なのです。贈与には強い力があります。日本に賛同する国が続出し、それがこれまで第2次大戦の戦勝国が牛耳ってきた国連を変えることになるでしょう。それによって国連はカントの理念に近づくことになる。それはある意味で、9条をもった日本だけにできる平和の世界同時革命です」

- 現状では、非現実的という指摘が出そうです。

「カントもヘーゲルから現実的ではないと批判されました。諸国家連邦は、規約に違反した国を処罰する実力をもった国家がなければ成り立たない。カントの考えは甘い、というのです」

「しかし、カントの考える諸国家連邦は、人間の善意や反省によってできるのではない。それは、人間の本性にある攻撃欲動が発露され、戦争となった後にできるというのです。実際に国際連盟、国際連合、そして日本の憲法9条も、そのようにして生まれました。どうして、それが非現実的な考えでしょうか」

「非武装など現実的ではないという人が多い。しかし、集団的自衛権もそうですが、軍事同盟がある限り、ささいな地域紛争から世界規模の戦争に広がる可能性がある。第1次大戦がそうでした」

- 無意識が日本人を動かすとすれば、国民はどう政治にかかわっていくのでしょう。

「日本では、ここ数年の間に、デモについての考え方が変わったと思います。これまでは、デモと議会は別々のものだと思われてきた。しかし、どちらも本来、アセンブリー(集会)なのです。デモがないような民主主義はありえない。デモは議会政治に従属すべきではないが、議会政治を退ける必要もない。デモの続きとして、議会選挙をやればいいのです」

「現在はだいたい、そういう感じになっています。野党統一候補などは、デモによって実現されたようなものです。このような変化はやはり、憲法、とりわけ9条の問題が焦点になってきたことと関連していると思います」

 (聞き手・依田彰)


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憲法の無意識 (岩波新書)
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2016年6月24日金曜日

(Youtube) 忌野清志郎 『雨あがりの夜空に』


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今日のお昼 豚骨野郎 @野郎ラーメン恵比寿 2016-06-24

6月24日
六本木に行く前にお昼の腹ごしらえ。
フツーならスタバとかドトールとかに入るんだけど、
恵比寿でお昼なんて初めてだし、いつもと違うもの何か・・・と目で探して、
駅前のちょっと面白そうなラーメン屋さんに入った。

帰宅してから調べたら、たくさん支店のある有名なお店のようだった。

一番安いラーメンでこのボリューム、
おまけに太麺ときて、
更に、このでかい肉。

おかげで3時頃までお腹が重かった。



東京 六本木 新国立美術館で開催中のルノワール展に行ってきた 2016-06-24 / 幸せの色彩 ルノワールの意志 戦争や病 苦しみながらも (『朝日新聞』)


6月24日(金)くもり
六本木、新国立美術館で開催中のルノワール展に行ってきた。

どう表現したらいいのか、
勝手に、シロウトの主観で言わせてもらうと、
ググッとくるものがない分、ちょっと物足りない。

かと言って、つまらないかと言えば、そうではない。

ただひたすらに、心が和むのである。

色調が優しい。
ラインが柔らかい。
・・・

絵全体がふわっとした空気に包まれている、そんな感じ、かな。

平日ということもあってか、
「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」の前は混んでいるものの、
少し(5分超くらいかな)待てば、じっくり見れるポジションを確保できる程度。

あと、
「田舎のダンス」「都会のダンス」「ピアノを弾く少女たち」は
ゆっくりと鑑賞させて戴いた。













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