2020年1月25日土曜日

横浜 春節を迎えた中華街 港の見える丘公園のバラ 2020-01-25

1月25日、曇り
今日は春節第一日目ということでもあり中華街に出かけた。
大きなパレードは明日以降なので、今日は人出は多いものの、おとなしい中華街であった。
南洋の国で経験した春節は、爆竹やら「恭喜発財」の飾りやらで非常に賑やかだった印象がある。もっとも爆竹は火災の危険が大いにあり、最近は禁止されているらしいが。

中華街のあと、元町を経由して港の見える丘公園に行き、その後、山下公園に出た(ルート的には戻ることになる)

今日の総歩数は1万4千歩。





▼岩崎ミュージアム、港の見える丘公園のバラ



▼外人墓地の垣根にあるツバキ
乙女椿はまだ開花していなかった

東京新聞:<東京2020>有償スタッフ募集 ボランティア複雑 時給1600円、ほぼ同じ仕事なのに… ; 「ボランティア応募前に求人があれば、有償スタッフを選んでいた。わなにはまった感じ」

「桜」招待、功労より「コネ」 政治家枠、増加の9割 内閣府新資料 ; 「政治家枠」は約3・24倍に増え.....全体では.....増加分の約92%を「政治家枠」 / 総裁選前の招待者増、首相「経緯把握せず」 桜を見る会 ; "内閣府が国会などに出した15~19年の資料によると、首相推薦など「政治家枠」を含むとみられる「各界功績者(総理大臣等)」の招待人数は、18年は9494人と、この5年間で最多。この年は9月に総裁選があり、首相が石破茂元幹事長を制した" / 「総裁選に利用」と指摘 桜を見る会招待、18年に急増      











新宿御苑「首相の到着時間」と「後援会関係者の入場時間」連動か 桜を見る会 / 桜を見る会、開門前に入れた?安倍政権下で入場者が急増 ; "参加者は宿泊先の都内のホテルから観光バスで午前7時に出発し本来の「開門及び受付開始」の1時間前にあたる同7時半から「桜を見る会」に参加する行程が組まれていた。スケジュール自体が開門予定時間より早く会場入りする設定となっており、「地元後援会写真撮影」の予定も" / 「桜を見る会」内閣府が新資料、受付開始前に8千人入場      










独大統領「歴史から学んだと言えたらよかったが…」 エルサレムで式典 アウシュビッツ解放75年 ;「シュタインマイヤー氏は...「ドイツ人は歴史から学んだと言えたらよかったが、憎悪が広がる中、そう語ることはできない」と悔やんだ」 / 「歴史的な罪の重荷を背負っている」独大統領の演説全文 / アウシュビッツ解放75年、生存者が語る「消えない恐怖」 / アウシュビッツ強制収容所 遺品復元プロジェクト “虐殺の証拠を未来に”|けさのクローズアップ|NHK おはよう日本 





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【増補改訂Ⅲ】大正12年(1923)9月4日(その3)「今の江東区大島8丁目、富士急行バス営業所のあるあたりである。その広場へ3日の午後になってから、どこからともなく沢山の死体が運びこまれてきた。いずれも惨殺された男女の遺体である。私は4日の朝、その場所へ行って見ておどろいた。屍山血河という形容詞がそのまま当てはまるような鬼気迫る情景であった。ある人は300体くらいあるだろうといい、またある人は300体ではきかないといっていた。.....兎に角無数という表現を用いても、敢えて過言ではないほど多くの死体が横たわり、その酸鼻きわまること、まことに目を覆うものがあった。」

【増補改訂Ⅲ】大正12年(1923)9月4日(その2)「歩いている人に「これ読め」って朝日とかバットとか敷島とかのタバコを出して。それで日本人でもずいぶんやられたと思うんですけど、バットってことを朝鮮人は言えないんですね。ハットとかなっちゃう。そうすると「コノヤロウ」と言ってダーッと切るんですよ、日本刀ですよ。切り付けてそのまま行っちゃうんです。みんな自警団ですね。」
より続く

★残虐な描写がありますが、敢えてそのまま掲載しています。

大正12年(1923)9月4日
〈1100の証言;江東区/大島〉
高梨輝憲〔深川区猿江裏町30番地(現・猿江2丁目2番地)で被災〕
〔3日、猿江町の自宅の焼跡へ行き、立退先へ帰ろうと〕小名木川の方向へ歩き出すと、反対方向から来た年輩の巡査が私を呼びとめ「君は青年団員だろう、今日不逞鮮人が京浜方面から押し寄せて来るという情報がはいっているから、団員に連絡をとって警備にあたるよう手配してくれまいか」というのである。それは私が1日以来ずうっと青年団の制服を着ていたから、巡査は私を青年団員と知り、そう依頼したのだろう。しかし災後やっと3日目のその日に、団員に連絡をとれといわれても、団員は現在どこにいるやら皆目その所在も判らないので、連絡をつけようにもつける手段がない。そこで私は無責任のようだがその巡査の言葉をただ聞くだけで適当に返事をした。この時の巡査の言葉では、不逞鮮人来襲の情報は警察の上部から伝えられたものであるといっていたから、あの時点では朝鮮人暴動説は治安当局も事実として信じていたものであろう

〔4日〕この日の朝方、私の立退先の近所に思わぬ惨劇がおこなわれた。それは義兄の家の直ぐ近くに一人の朝鮮人が住んでいた。細君は日本人である。夫の朝鮮人は附近の工場に勤めていて、近所の評判では真面目な人であったという。この朝もいつもの通り工場へ出勤しようとして、朝食の膳に向っていた。その時である。数名の日本人が急にその朝鮮人の家を襲い、一人の日本人が物も言あずに食事中の朝鮮人を殴りつけた。するともう一人の日本人は鳶口をもって脳天深く打ちこんだ。朝鮮人は悲鳴とともに血しぶきを吹いて倒れた。これは「あっ」という間もない一瞬の出来ごとである。細君は何が何やら判らない表情で、目の前で行われた凄惨な出来ごとに恐怖を感じてか、ただおろおろしているばかりであった。鳶口を持った男は倒れた朝鮮人の顎に鳶口をひっかけ、ずるずると戸外へ引きずり出した。これを見ていた人びとの中には可愛想なことをするものだと、つぶやいていた人もあったが、また中には当り前のことだという表情でそれをながめている者もあった。私は偶然にそこを通りかかって、この惨劇を一部始終目撃したのである。 
この事件は朝方起ったのであるが、その日から軍隊によって自警団や一般人の凶器携帯者に対する取締りが厳重に行われた。それはそのころ一般人でも護身用と称して日本刀などを持ち歩く者がおり、反って治安維持の妨げとなっていたから、戒厳司令部ではこの処置を執ることになったのである。また同時に朝鮮人暴動説がこの時点になって、はじめて事実無根であったということが判明したからでもあろう。しかし朝鮮人に関する流言はなかなか止まなかった。
義兄の家からややはなれた所に大きな広場があった。今の江東区大島8丁目、富士急行バス営業所のあるあたりである。その広場へ3日の午後になってから、どこからともなく沢山の死体が運びこまれてきた。いずれも惨殺された男女の遺体である。私は4日の朝、その場所へ行って見ておどろいた。屍山血河という形容詞がそのまま当てはまるような鬼気迫る情景であった。ある人は300体くらいあるだろうといい、またある人は300体ではきかないといっていた。もとより数えて正確な数字をいっているのではないから、その実数はどれだけあるのか判らないが、兎に角無数という表現を用いても、敢えて過言ではないほど多くの死体が横たわり、その酸鼻きわまること、まことに目を覆うものがあった。この日の朝方私の目撃した朝鮮人の死体もこの広場へ運ばれたのである。
中国の史書を読むと、殷の紂王は生きた妊婦の腹を割いて、中の胎児を見たという記事がある。またわが国でも戦国時代の文献には、罪人や敵の虜を殺すにかなり残虐な方法を用いたことがしるされている。この時広場にころがっていた死体はまさにその残虐を方法で殺されたものばかりであった。紂王が腹を割いたというが、この広場にも腹を割かれた妊婦の死体があった。そのほかにも女性の死体の陰部へ竹の棒を突き差したままのものもあった。首がなかば落ちかかっている死体、撲殺で全身紫色に腫れあがっている死体等々、平時なら到底正視出来ないほどの惨忍さであったが、あの当時は私自身も異状に神経が昂ぶっていたものか、それらの死体一つ一つを見てまわっても、左程嫌悪感や恐怖感を覚えることはなかった。〔その後渋谷西原の友人を見舞う〕

〔5日〕朝、西原を立って大島8丁目にかえり着いたのは夕方ちかくであった。ところがこの日暗くなってから、義兄の家の横道に巡査が立番して、人びとの通行を制止していた。この横道はさきに述べた惨殺死体のある広場に通ずる道路である。私は不審に思いその理由を巡査に聞いたら、今夜、広場にある死体に石油をかけて焼くのだと教えてくれた。その時、巡査は私に向って「あの死体の中には支那人も沢山交っているが、あんなに多くの支那人を殺して、これが後になってから国際問題にでもならなければよいが」と、さも憂い気に語った。果せるかなそれから数ヵ月後、中国政府からわが国に対し、同胞虐殺に関して抗議があった。併し、その頃の中国は軍閥割拠の時代で統一国家としての機能がなく、わずかに北京政府がその代表政権と見られるような弱体国家であったから、日本政府はその抗議に強圧を感ずることはなかったので、抗議に対しては適当な外交措置を執ったことを新聞で知った。
(高梨輝憲『関東大震災体験記』私家版、1974年。都立公文書館所蔵)

〈1100の証言;江東区〉 *日付は不記載、場所は大島8丁目
陳崇帆
地震のとき、8丁目にいたが南千住へ逃げて数日たって帰ってみたら8丁目の人はみな殺されていた。垟抗の人も3人殺された。町はいたるところ殺人で歩けない。私は南千住の警察に保護されたが、大島の警察はよくないね、まったく中国人を保護しなかったよ。南千住は中国人宿舎が多くてたいてい1軒に20~30人ずつ住んでいた。
(仁木ふみ子『関東大震災中国人大虐殺』(岩波ブックレットNo217)岩波書店、1991年からの証言抜粋)

戸沢仁三郎〔社会運動家、生協運動家〕
〔八島祐浩より1963年春に聞いた話。大島8丁目に見張りがあって通行止されていた。そこでは〕たくさんの死体が2ヵ所に山と積み重ねられ、それに薪をのせ、石油をぶっかけて焼いたらしく、なにしろ警察で与太もんを集めた、にわかづくりの火葬人夫で、焼き方を知らない。上積みの方は黒こげ、中ほどは生焼け、下の方は表面黒こげでほかはてんで焼けていない。
いやはや酸鼻のきわみ、むごたらしくて目があてられない。さすがの与太もんどもも気味が悪くて、とうとう逃げだしてしまったのです。
(「純労働組合と大震災」『労働運動史研究』1963年7月「震災40周年号」、労働旬報社)

*大島6丁目の状況
田辺貞之助〔フランス文学者。当時中学生〕
〔略〕番小屋につめていたとき、隣の大島6丁目にたくさん殺されているから見に行こうとさそわれた。そこで夜が明け、役目がおわるとすぐに出掛けた。
石炭殻で埋立てた400~500坪の空地だった。東側はふかい水たまりになっていた。その空地に東から西へ、ほとんど裸体にひとしい死骸が頭を北にしてならべてあった。数は250ときいた。
ひとつひとつ見てあるくと、喉を切られて、気管と食道と二つの頸動脈がしらじらと見えているのがあった。うしろから首筋を切られて、真白な肉がいくすじも、ざくろのようにいみわれているのがあった。首のおちているのは1体だけだったが、無理にねじ切ったとみえて、肉と皮と筋がほつれていた。目をあいているのが多かったが、円っこい愚鈍そうな顔には、苦悶のあとは少しも見えなかった。みんな陰毛がうすく、「こいつらは朝鮮じゃなくて、支那だよ」と、誰かがいっていた。
ただひとつあわれだったのは、まだ若いらしい女が - 女の死体はそれだけだったが - 腹をさかれ、6、7ヵ月になろうかと思われる胎児が、はらわたの中にころがっていた。が、その女の陰部に、ぐさりと竹槍がさしてあるのに気づいたとき、ぼくは愕然として、わきへとびのいた。われわれの同胞が、こんな残酷なことまでしたのだろうか。いかに恐怖心に逆上したとはいえ、こんなことまでしなくてもよかろうにと、ぼくはいいようのない怒りにかられた。日本人であることをあのときほど恥辱に感じたことはない。
(田辺貞之助『女木川界隈』実業之日本社、1962年)

陳協豊
9月2日の夜、日本軍人らしき者が、当地の日本人を呼び集め、各自兇器をもって鮮人やわが労働者を惨殺した。その時、協豊らの生命もまた危険であったが、幸にも免れた。
この後毎日惨殺が行なわれ、中国語の助けを求める声がたえずひびきわたった。しかし助けに行く事はできなかった。私たちも1日中びくびくしていたのだから。
〔大島〕6丁目一帯は、軍警がびっしり配置されていて、中国人労働者が殺される場所はすぐ近くでありながら、見て見ぬふりをしたのだから、これは日本の軍警と人民が共謀して中国人労働者を惨殺した証ではないか。
5日になってわれわれ生き残った者たちは、習志野の兵営に押送された。
(「温処災僑駁日外務省文温州同郷会」『時報』1923年10月24日→仁木ふみ子『関東大震災中国人大虐殺』(岩波ブックレットNo217)岩波書店、1991年)
 
八島京一
4日の朝3、4人の巡査が荷車に石油と薪を積み引き行くに逢い、その中の一人の顔馴染の某清一という巡査にその薪及石油は何にするかとききたる所、外国人が亀戸管内に視察に来るので、その死骸320人を焼くので昨夜は徹夜した、鮮人ばかりでなく主義者も8人殺されたといっておりました。
〔略〕自分が4日に清一巡査に会った時は巡査3、4人の外、人夫が2人ばかりおったように記憶します。清一巡査はその時「巡査は実に厭になった」などの話もし、又死骸は何処で焼いたかと聞いたら、小松川へ行く方だと指しながら話しましたから、その方面へ行きました。すると大島町8丁目の大島鋳物工場の横で蓮田を埋立てた地所に200~300人位の死骸がありました。中には白かすりを着た誰れが見ても日本人としか思えぬものもありました。また平澤さん〔平沢計七〕の靴のあった所はそこから約50間位離れた所でありました。右200~300の死骸を4日に見たのは私一人ばかりではなく近所の者は皆見ています。
(亀戸事件建碑記念会編『亀戸事件の記録』日本国民救援会、1972年)

〈1100の証言;江東区/亀戸〉 
杉浦文太郎
〔4日〕友人の義理の姉が亀戸小で被服厳でのやけどの治療を受ける。陸軍の衛戌病院へ運んでくれた宇都宮歩兵連隊の下士軍曹ぐらいの人が「社会主義者と朝鮮人がいっしょになって東京で暴動を起こしている。これを鎮圧しなければいけないから出動しろといって実弾を与えられてきているのだ」と言っていた。亀戸にははじめは騎兵が飛び込んできた。その後交替したのが宇都宮の軍隊だった。
(「純労・南葛労働会および亀戸事件旧友会聞き取り(4)」『労働運動史研究』1963年5月号、労働旬報社)

〈1100の証言;江東区/旧羅漢寺〉 
藤沼栄四郎〔社会運動家、南葛労働会創設者〕
この頃〔4日〕朝鮮人虐殺事件が盛んであったので、大島町のラカン寺の蓮池に行ってみたら池の中に20~50名位の朝鮮の人が竹槍で突かれたのか臓腑が飛出している者もあり、橋の下に殺されている者もあり、目も当てられない有様だった。
また同志遠山君が見たことだが、大島町には朝鮮・中国の人がたくさんいたので、これを警官が皆連れて行き十間川のほとりに立たせ、それを川の中に突き落として軍隊が銃殺したのだった。
(「亀戸事件の犠牲者」『労働運動史研究』1963年7月号、労働旬報社)

〈1100の証言;江東区/丸八橋・新開橋〉 
田辺貞之助〔フランス文学者。当時中学生〕
4日目ぐらいになると、朝鮮人狩りが本格的になった。
〔略。大島の自分の家が軍の屯所になり〕裏の庭で、兵隊さんが牛蒡(ごぼう)剣をみがいていた。縄をひろってきて、それへ砂をつけてこするのだが刃金にしみこんだ血のしみがなかなかおちない。
ぼくがぼんやりそばに立ってみていたら、「アンチャン、磨き砂はねえかな」ときいたので、台所から磨き砂をもっていってやった。それでもしみはおちなかった。磨き砂の入物をもとのところへもどしに行くと、母が「兵隊さん、磨き砂をなんにつかったんだい?」ときくから、これこれだと話すと、母は「まあ、いやだ!」といって、その箱を外へ放りなげだ。日ごろお鉢や食器をあらうときにつかう磨き砂だったのである。
〔略〕物情騒然とは、あの時分のことをいうのだろう。
どこそこでは何人殺された、誰それは朝鮮人と間違えられて半殺しの目にあった、山といわれたら、そくざに川といわないとやられる、そんな話ばかりだった。
小名木川には、血だらけの死骸が、断末魔のもがきそのままの形で、腕を水のうえへ突きだして流れていた。この死骸は引き潮で海まで行くと、また上げ潮でのぼってくると見えてぼくは3度も見た。
(田辺貞之助『女木川界隈』実業之日本社、1962年)

つづく






東京 品川 荏原神社の寒緋桜開花中 2020-01-24

1月24日(昨日)、曇り時々晴れ
長男夫妻ともに都合がうまくつかず、マゴちゃんの保育園お迎えなどのため品川へ。
長男宅から保育園までの間にある荏原神社、
ここの寒緋桜は早咲きで、もうかなり咲いている。

この日、夜9時までマゴちゃんのお相手。
疲れたような癒されたような、、、、、





▼アイル橋


2020年1月24日金曜日

【アベポチがこんなに忠勤に励んでるのに(大泣)】 「ホワイト国」日本外れる 米外資新規制の免除リスト公表 技術投資、企業に自衛迫る(日経新聞);「米財務省は安全保障の観点から対米投資を規制する対米外国投資委員会(CFIUS)の届け出を免除する『ホワイト国』のリスト」から日本は外される.....

トランプ政権が在日米軍駐留経費の日本側負担の大幅な増額を迫っている。その額は現行の4倍超とも報じられ 要求をのめば、負担額は約8700億円に。1978年から43年間で駐留経費が10兆円に上り全ての同盟国の総額を超える.....

日本企業”屈辱の日”が来るのか(報道1930); アメリカのトップ5社の時価総額が、日本の東証一部上場企業2200社の時価総額を上回るかも(野口悠紀雄)






「謝らなければ問題にならない」与党からも異論が出る安倍首相の開き直り こんな説明でだれが納得するのか(プレジデント); 「安倍首相は私たち国民を愚弄している」 真摯な反省や再発防止への決意すら語ろうとしない 安倍首相は「桜を見る会」の問題を突かれたくない 「五輪の政治利用だと言わざるを得ない」 産経社説も「おかしい」と批判する施政方針演説 









2020年1月23日木曜日

【セキュリティシステムの信頼性を毀損してでも、廃棄ログ開示を拒否】 「桜」名簿データ廃棄ログ、なぜ開示できない 「セキュリティー上の問題」とは何なのか ← 開示したくないための方便。虚偽答弁! / 首相、「桜」廃棄ログは開示せず「内容明らかにすれば不正侵入を助長」 / 「桜を見る会」の招待客名簿の再調査を拒否。電子データを消した証拠となる履歴(ログ)の開示も拒否 / 総理答弁の根拠を聞きましたが答弁を書いた担当課は、説明拒否。酒田課長は、持ち帰るとのこと / 道新金子「今の質問は…お答えになってないのでもう一度」 西村「持ち帰って検討させてもらう」





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【増補改訂Ⅲ】大正12年(1923)9月4日(その2)「歩いている人に「これ読め」って朝日とかバットとか敷島とかのタバコを出して。それで日本人でもずいぶんやられたと思うんですけど、バットってことを朝鮮人は言えないんですね。ハットとかなっちゃう。そうすると「コノヤロウ」と言ってダーッと切るんですよ、日本刀ですよ。切り付けてそのまま行っちゃうんです。みんな自警団ですね。」  

【増補改訂Ⅲ】大正12年(1923)9月4日(その1)「〔4日から5日頃〕朝鮮人が上野の方から押しかけてくるっていうんです。それで、15歳以上の者は全部出ろっていう村のおふれがあったんですよ。.....それで千住の柳原というところに朝鮮人がいて、もうそのときは死体になってましたがね。殺されちゃったんです。記憶では3体か4体ありましたね。めった打ちにされてましたですよ、鉄棒かなんかで。」
より続く

大正12年(1923)9月4日
〈1100の証言;板橋区〉
崔承萬(チェスンマン)〔独立運動家、教育家、済州島知事(1951~53)。当時東京朝鮮基督教青年会館総務〕
〔長崎村に震災前日引っ越したばかり。1日〕目白大学を過ぎると、そこから異様な気がした。竹棒・金棒・色々並べて不思議と自分たちの一行を見る。長崎の家へ着くともう真っ暗で、提灯だけが往来するのが見える。何十人という自警団がいて「止まれ!」と言い、並べておいて番号を言わせた。家に入ることもできなかった。妻と娘もいっしょに自警団に連れられて板橋警察署に行った。
4日夜頃、府立一中にあった臨時警察(警視庁)に、自分と学生団体の代表と相愛会総務金を呼びつけて、シャツ1枚の赤池が「すまない」とだけ言った。「流言蜚語でいろんな事件が起こった」と。「すまない」の意味は、自分が流言を流したのだが、自分の思わぬほどの事実が現れたということではないか。つまり「嘘」をついたのであるが、自分がやったとは言えない。だから「すまない」とだけ言った。夜9~10時頃「泊まるなら泊めるが、どうするか」と聞かれ、警視庁の車で警察ひとりつけて送ってくれ、と言ったら「よろしい」というので乗って行った。
途中何回も調べられた。100メートル間隔で提灯を持った自警団が、車のヘッドライトを見て「止まれ」という。軍人は正直だ。半蔵門あたりで捕まったが、警察ということですぐ通した。しかし自警団はいろんな事を聞く。大塚仲町までは行ったが、そこで数万人の自警団が竹棒・金棒を持ち「引っ張り出せ、殺せ」とドアを開けて引きずり出そうとした。刑事が押えながら「警視庁です」と言う。20分位もみあった。運転手が気を利かせてサイレンを鳴らして逃げた。
板橋警察所前100メートルにも2、3千人いて、同じように「朝鮮人を出せ」と引っ張り出そうとした。演武場に入った。竹棒を持った青年3人が門を開けて入り「この人達は拘留ですか」と聞いた。警官が「仮拘留です」と言うと、3人は変な表情をして「あっ、そうですか」と帰った。「保護」と言ったら殺されていたにちがいない。板橋警察署には55人ほど朝鮮人がいた。約1カ月そこにいた。運がよかった。
(関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会『韓国での聞き書き』1983年)

〈1100の証言;江戸川区〉
小櫃政男
〔浅草から被服廠へ行き、火傷で亀戸第一小学校に運ばれる。手当てもされず、「行け」と言われ小松川のおじさんの家を目指して電車道を行き、おじさん宅に着く〕夜になりますとみんな普通の住まいのところは寝ないんです。朝鮮人が暴れて来るというんでね。それでお前は火傷をして大変なんだからって、小松川の土手へ行って蚊帳を張って。その中へ寝かせてくれたんです。
そうすると表でドヤドヤと歩く音がするんですよ。何だと思ったら、朝鮮人を検査しているんですね。歩いている人に「これ読め」って朝日とかバットとか敷島とかのタバコを出して。それで日本人でもずいぶんやられたと思うんですけど、バットってことを朝鮮人は言えないんですね。ハットとかなっちゃう。そうすると「コノヤロウ」と言ってダーッと切るんですよ、日本刀ですよ。切り付けてそのまま行っちゃうんです。みんな自警団ですね。私なんか土手にいてその現場を見ていたんですから。恐いしね。寝ているどころじゃあないですよ。
〔略〕朝鮮人の話は、おじさんの家に行ったときですね。9月4日頃じゃあないのでしょうか。私は包帯巻きですから「お前は何だ」「朝鮮人だろう」なんて言われました。伯父さんやなんかがよくかばってくれたんです。ちょうど小松川の土手へ行く手前のところですけど。
(『江戸東京博物館調査報告書第10巻・関東大震災と安政江戸地震』江戸東京博物館、2000年)

須賀福太郎〔当時18歳し尿運搬船の仕事〕
今井橋には習志野の騎兵連隊が戒厳令で来ていた。当時、富士製紙には今の平田組と同じようにパルプを運んだりまきとりをしたりする木下組という運送の下請があって、その飯場に朝鮮人も働いていた。9月4日頃だったか、3人ばかりがひっぱられ軍隊に引渡され、夕方暗くなってから鉄砲で殺されるのを見た。後ろ手にゆわえられたまま川の中に飛びこむのを見た。このときはじめて、鉄砲の威力の恐ろしさをまのあたり知った。
(関東大震災五十周年朝鮮人犠牲者追悼実行委員会編『関東大震災と朝鮮人虐殺 - 歴史の真実』現代史出版会、1975年)

〈1100の証言;大田区〉
津田光造〔作家、評論家。鎌田で被災〕
一頃○○の暴動が来るという流説が伝えられて、蒲田の辺でも大した騒ぎだった。〔略〕青年団や自警団は抜き身の日本刀や軍刀やら竹槍を携えて警戒するという殺伐たる無警察の社会状態が出現した。ただ頼むものは自分の持っている暴力腕力(全くこの時ほど腕力の必要が身に泌みた事はない)。皆が生を賭して死と面接するような実に愉快な(全く愉快だった - 僕は近頃こんなに愉快な経験をした事がなかった!)実に活発な生活現象だった。僕は人間の道徳がこれ位に厳粛になる社会が来る事を夢想して、退屈な日を過した事はあったが、いまだかつてそれを現実に見た事がなかった! 僕も日本刀があれば持って出る所だったが、生憎持ち合わせなかったので、近所で鉄の棍棒を借りてきて自警団の一人に加わった。暴動、もしそういうものが押し寄せて来るにしても、こんな貧民窟の裏長屋へ来るとは思えなかったが、全く考えてみれば滑稽で仕方がなかったが、そんな知識階級面をした自分が何となく恥られて、何でもかんでも盲ら減法に祖先伝来の隣保団結の精神で結束して起ったものだ。そこには〇〇〇対日本人という変な国民的対立があって、それだけはどこも面白くなかったが、それも歴史的因果関係の存在する事実について考えると、この場合四の五のと理屈を並べ立てている暇がなかった。そんな事をいっている暇に、そこへ手負になった〇〇〇の暴徒がアバレ込んで来そうな気合いだった。近所近辺到る所の警鐘が、けたたましく乱打された。
4、5日というもの、自警団はほとんど寝ずの番だった。しかし、暴動らしい何ものも来なかったので、いささか張合抜けがした。と同時に疲れが出てきた。睡眠不足で頭が変になった。体の組織までも変わってきたかと思われた。戒厳令が布かれて、軍隊の手が回る頃には、もう全く出る勇気がなくなっていた。しかし、何でもない〇〇〇で殺された者には、全く気の毒でならなかった。うっかり〇〇〇の肩を持って目茶目茶に撲られた日本人もあった。僕も実は弱い○○のために弁護しなくてはならなかったが、自然に皆の中からそういう隣愍の情が沸き立つまで、息をころして待たなければならなかった。
(「大震と芸術 - 震災の感銘と印象」『我観』1923年同月15日号、我観社)

〈1100の証言;北区〉
鶴巻三郎〔当時芝浦製作所勤務〕
「不運鮮人射殺さる 荒川堤で200名」
鮮人との争闘は烈しく行われ、荒川堤では200人からの鮮人が射殺されました。ただ私は4日に東京を出ましたが、その頃は大部分の鮮人は郡部の方に逃げていました。
(『北海タイムス』1923年9月7日)

村田富二郎〔工学者。当時7歳〕
〔4日、赤羽で鉄舟の仮橋を渡る時〕 ここで初めて屍体を見た。土左衛門が荒川を流れてきた。〔略〕だれから聞いたのか忘れたが、荒川の死体は朝鮮人として殺された人だと言われた。「として」に注目していただきたい。実際に、朝鮮人だったか否かは不明で、混乱の中で、朝鮮人と誤られて、多くの日本人が殺された。もちろん、「朝鮮人なら殺されてよい」という意味ではない。〔略〕朝鮮人暴動のデマは、早くも2日に流布され、関東一円で10日程度も続く根強いものであった。暴動の警戒に、日暮里の寺では、中学4年の兄までがかり出されたし、「朝鮮人の女は、妊娠をよそおって、腹に爆弾をかくしているから気をつけろ」などの、微に入った指令までが伝達された。〔略〕日本人と朝鮮人の識別に、10まで数えさせ、つかえると朝鮮人にされてしまった。これで殺してしまうのだからむちゃな話であるが、そのむちやが通る混乱期だったのである。
(『技術と人間』1977年3月号、技術と人間)

山口好恵〔記者〕
前夜〔4日夜、赤羽〕停車場構内で捕えられた2人はあれから工兵隊に引渡され、同夜12時頃に又々暴人が出没するというので駅内客車の床下を隈なく捜索してみると、果して1名の暴人がボギー車の床下に逃げ込み、そこの機械等にしがみついて危険を冒しながらも列車と共に身を逃れんとしている所を突きとめられ、自警団の為に惨々殴られ、遂には荒縄を首にくくりつけて引摺回し寺の前でとうとう撲殺したというのである。
今朝まだ死体がそのままになっているというから記者も現場までいって見ると、そこは交番のすぐわきで成る程寺の門前で死体には菰がかけられてあるのでよくも判らぬが、見物の誰やらが菰をつまみ上げているのを一寸盗み見ると5尺豊の痩男で、だぶだぶのズボンに半袖の夏シャツを纏い頬骨の高い如何にも暴人若しくは不逞人に相違い、右頬は泥にまみれその他は蝋細工の様に色が変り、幾分青味を持ちつめたくなり、投げ出されている左手は虚空をつかみ、右手には赤い護謨靴を手拭に結びつけて放さずにいる。水落しから下腹部がぺっこり凹んで、両足は2本共伸びている。付近にはどす黒い血が土ににじんでいるし太い荒縄が首に結びつけたままになっている・・・。(注:暴人・不逞人は朝鮮人をさす - 編者)
(山口好恵編『地震と内閣』共友社、1924年→朝鮮大学校編『関東大震災における朝鮮人虐殺の真相と実態』朝鮮大学校、1963年)

つづく





龍角散“大復活の立役者”の女性役員が「左遷・降格」の仰天事情 ; ワンマンで営業をリードする藤井社長と、開発部門を任されヒット作を量産する福居さんは龍角散を、社長就任時の40億円から200億円へと5倍以上に伸ばした。.....2人のコンビは、メディアで取り上げられることが多く、「龍角散復活の物語」として経済ジャーナリズムの“お手本”になっているのだが、.....






今日の文春 林真理子のエッセイに驚いた 河合氏ウグイス嬢の件「そんなに悪いことなのか」.....「『よくやってくれてありがとう』  若い女性に多めに渡した」 「その行為を極悪人のように言われる政治家って、本当に大変そう」 「人妻を好きになり、あちらもこちらが好き。二人で密会した。そのことを書きたてられる政治家ってかわいそう。相手の女性たちは何ひとつ彼を批判していないのに」.....— buu (@buu34)     



電気自動車世界最大手のテスラの時価総額が11兆円を超え、フォルクスワーゲンを抜いてトヨタに次ぐ世界第2位の自動車メーカーとなった。— Kenji Shiraishi

2020年1月22日水曜日

衆院各党代表質問 首相答弁、法政大・上西教授が斬る 「桜」説明、ごまかしだらけ / 「ホテル」「など」連発 首相は開き直った 「ご飯論法」上西教授と聞いた代表質問(毎日);「「功績・功労のあった方々<など>」「後援会の関係者を<含め>」「地域で活躍されている<など>」「桜を見る会への参加にふさわしいと思われる方を<はじめ>」などの「ごまかしワード」をちりばめることで、功績・功労と関係ない自身の「票集め」のための人々をまぎれこませることができる」←「買収」のための桜の会の実態をゴマカシワードで隠す / 「ホテル側に渡すという形でホテル側への支払いが…」と「ホテル側」が続き、.....「何回言うんだろう。よっぽどホテルのせいにしたいんですね」 

















消えたパクチー農家について首相「お答え差し控える」 施政方針演説で紹介(毎日)←(大笑) / 【安倍演説;成功事例として実名で紹介→すでに転居していた 追及されると個人情報だといって逃げる 実名出してるのに!】 安倍首相の施政方針演説の起業支援で紹介の男性、既に島根県江津市から転居していた / 施政方針演説 “成功例”のはずがすでに・・・ / 安倍首相の施政方針演説 “成功例”アピールするも…「すでに転居」 "失敗例"じゃないのか? 小川彩佳:実名まで出しておきながら、転居したと言われると「個人情報ですから」と言うのは都合が良すぎるのでは?  



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「桜」新資料2カ月隠す 推薦内訳、11月把握 内閣府 - 毎日新聞 / 「桜を見る会」廃棄されたはずの内閣府資料あった 2014~19年の招待者数も公表 / 議員あぜん「なぜこの資料あるのに示さなかったのか」 「桜」野党ヒアリング2回目詳報 / 総理大臣等、官邸・与党の推薦は、8894人。小泉内閣の2744人と比べ、3倍以上 ← これ「買収」だよね / 桜招待者、菅氏答弁とズレ1千人 「政治枠」再調査せず / 「桜」新資料で新たな矛盾 答弁やり直しは「それはありません」菅長官会見         



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これが一国の総理大臣の国会答弁か! → 安倍晋三「私が任命した秋元副大臣が収賄容疑で逮捕され、その事への任命責任についてお尋ねがありました。これについては個別の捜査について影響を与える可能性があるためコメントは差し控えます」

〈自民党の収入の三分の二が政党交付金=税金だ。河井議員への巨額支援は、単に党内のえこひいきの話ではない。税金の使途こそが問われている〉朝日夕刊「素粒子」 / 下村氏「驚いている」河井氏側に1.5億円 ; 「(誰の判断なのかについて)党本部ということであれば(二階俊博)幹事長、あるいは(安倍晋三)総裁の判断ということ」 / 河井氏に相場10倍の「えこひいき」? 自民党内からも疑問の声相次ぐ / 案里氏陣営に1億5千円、与野党驚き「マックスの額」 / 河井案里議員 週刊誌で報じられた1億5000万円「違法性ない」;「いただきました」「短い期間に資金が集中した」 / 河井夫妻「買収」原資は安倍マネー1億5千万円だった 秘書4人派遣「安倍丸抱え」で公選法違反 / 買収の原資か 河井前法相夫妻「選挙資金」1億5千万円の「入出金記録」を入手した ;「河井克行前法相(56)と妻の案里参院議員(46)の政党支部に、参院選の前に合計1億5000万円が、自民党本部から振り込まれていたことが「週刊文春」の取材でわかった」 / 同じ選挙区の自民党溝手議員にはその1/10    






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世界の最富裕層2153人、最貧困層46億人よりも多くの財産を保有 ; 世界のビリオネア(10億ドル以上の資産を持つ人)の数が過去10年間で倍増し、最富裕層2153人は最貧困層46億人よりも多くの財産を保有していると発表した。46億人は世界人口の60%超に相当する。



Nスタ。「結婚しなくていい」ヤジを誰が言ったかについて、ある自民党幹部は「『調査したが、誰の発言か分からなかった』ということにしている」、「杉田氏にも『一切答えるな』と指示が出ていると聞いた」と話していると / 記者の問いかけに画面が真暗なスマホで電話中 / 「結婚しなくていい」やじ 夫婦別姓訴える野党質問に(共同通信); 自民党の女性議員..... / やっぱり!→「近くにいた議員らは、ヤジを飛ばしたのは自民党の杉田水脈議員だったと証言しているが、杉田氏の事務所は事実関係を確認中」









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2020年1月21日火曜日

皇居東御苑 早咲き梅の紅冬至が満開、蝋梅が満開 北の丸公園 梅はまだ、ヤブツバキとマンサク咲き始め 靖国神社 紅梅、白梅ともに咲き始め 千鳥ヶ淵戦没者墓苑 紅梅は満開。白梅はまだ 2020-01-21

1月21日、はれ
今日は昔馴染みの皇居周辺を歩いた。
ルートは、
JR東京駅~皇居東御苑~北の丸公園~靖国神社~千鳥ヶ淵戦没者墓苑~地下鉄竹橋駅、
総歩数は1万8千歩でマズマズ。

▼皇居東御苑
早咲き梅の紅冬至が満開、蝋梅が満開。
寒桜もそろそろ咲き始めのハズだが、大嘗会の片づけが終っていないので、確認できない。

▼紅冬至



▼新冬至


▼「都道府県の木」エリアにある梅
ほぼ満開

▼蝋梅




▼北の丸公園
梅はまだ、ヤブツバキが咲き始め、マンサク咲き始め


▼靖国神社
紅梅、白梅ともに咲き始め



▼千鳥ヶ淵戦没者墓苑
紅梅は満開。白梅はまだ。




2020年1月20日月曜日

評判の韓国映画『パラサイト 半地下の家族』を観てきた 映画の後は、ベイホテル東急にある「大志満」でランチ 2020-01-20

1月20日、はれ
評判の韓国映画『パラサイト 半地下の家族』を観てきた。
評判通りのいい映画だった。
思いっきりシリアスで、少しコミカルで、少しバイオレンス。















で、映画の後、みなとみらいのベイホテル東急にある「大志満(おおしま)」という加賀料理のお店でランチ。
ごはんお代わりしてしまった。





社説:首相の施政方針演説 五輪頼みでごまかすのか - 毎日新聞 / 「桜を見る会の『さ』の字もカジノ汚職の『か』の字もない」首相演説に沸き立つ疑問(毎日);「「桜を見る会」の「さ」の字もなければ、カジノ汚職の「か」の字もない。.....オリンピック・パラリンピック、五輪という言葉が19回も出てくる。最後は、五輪を開催する今こそ、「国のかたちに関わる大改革」の「実行の時」として、改憲を呼びかけている。五輪と憲法と何の関係があるか。五輪の最悪の政治利用であり、五輪精神を汚すものだ。」
























政治資金で飲食 麻生氏突出 閣僚3人 1000万円超(東京); 麻生氏、飲食を伴う会合の費用が 1年間で2462万円(おととし) 虎ノ門の高級ホテル36件、675万円 六本木のサロン12件、650万円 ほか、ミシュラン3つ星の銀座のすし屋 1つ星の和食店、フランス料理店・・・