2018年6月19日火曜日

官僚は安倍官邸の下僕と化した」片山善博×前川喜平 改ざん、隠蔽が蔓延する霞が関の奈落(文藝春秋);「思わず笑ってしまったのが、メモの中で柳瀬氏が「自治体がやらされモードではなく、死ぬほど実現したいという意識を持つことが最低条件」と発言した部分。」




2018年6月18日月曜日

後藤謙次;地震発生にも関わらず全閣僚出席の参議院決算委員会の開催を強行した安倍政権・与党を厳しく批判。3.11東日本大震災直後の菅政権と同様に、官邸に集まり対策本部を立ち上げるべきだったと。 / 安倍首相が震災対応せず参院決算委員会を強行し全閣僚出席! 森友加計追及を鈍らせるため震災を利用する卑劣 / で、夜は、安倍晋三と岸田文雄がおいしい晩ゴハンを共に・・・・ / 震度6で赤坂に飯食いに行けるなら、緊急事態条項なんて要らんよね? / 国難宰相!










▼一年前の記事だけど・・・・・


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【決算委詳報】新文書?「最高裁まで争う覚悟で非公表」(朝日新聞) / 辰巳孝太郎 近畿財務局と理財局とのやり取りの重大なメモ 「近畿財務局と理財局とのやりとりについては最高裁まで争う覚悟で非公表とする」と / 「近畿財務局と大阪航空局のやり取りを公表するかどうかは中身にもよるだろう。国交省として出すのが得策かどうか検討してほしい」と口裏あわせ / 「報告書をいつだすかは、刑事処分がいつなるかに依存している。官邸も早くということで法務省に何度もまきをいれているが、刑事処分が5月25日夜という話はなくなりそうで、翌週と思われる」





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2018年6月17日日曜日

横浜美術館コレクション展 下村観山(1873-1930)《ミレイ「ナイト・エラント」の模写》 明治37年

横浜美術館コレクション展
下村観山(1873-1930)《ミレイ「ナイト・エラント」の模写》 明治37年

企画展「ヌード展」の入場券でコレクション展にも入場できる。


▼実物は「ヌード展」で展示中


しかし、ミレイの最も有名な作品はオフィーリアだろう。
漱石も『草枕』で絶賛してる。

横浜美術館の館内の様子
床がピッカピカで、手入れの行き届いた寺社の庭園をおもわせる。


英・労働党コービン党首「富裕層と貧困層の格差が恥ずべきレベルの社会に生きたいと思わない。私たちはもっと良い社会に変える事ができる」(動画)


『帝都東京を中国革命で歩く』(潭璐美 白水社)編年体ノート08 (明治39年)

長谷寺
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明治39年
宋教仁の入院
明治39(1906)年7月、宋教仁は神経衰弱になり、早稲田の清国留学生部予科の課程を終えた直後、ひと月ほど田端の東京脳病院に入院する。
退院後、宋教仁は下宿を引き払い、『民報』編集部のある牛込区東五軒町19番地(現、新宿区東五軒町3番22号)に引っ越した。
宋教仁の孫文に対する反感は、国旗問題と金銭の紛争で頂点に達した。日記には、孫文のやり方を批判して「専制跋扈に近し」と記している。常にマイペースで物事を決めてしまう孫文のやり方が我慢ならなかった。理論家で律儀な宋教仁とはまるで馬が合わなかった。

明治39年
魯迅、仙台から東京に戻る
明治39年、魯迅は仙台から東京へ戻り、官費奨学金をもらい続けるために、飯田橋にある獨逸学協会付属の獨逸語専修科(現、獨協大学)に入学登録した。しかしめったに学校へは行かず、独学でドイツ語を勉強して、大半の時間を読書と翻訳に費やした。
読んだのは日本の作家のもの以外に、東欧諸国の民族主義的な文学作品も多かった。日本で入手できない作品は、神田の中西屋や日本橋の丸善で海外から取り寄せ、本郷の南江堂や古書店を巡って、古書のドイツ語叢書の中から探し出した。英文学史、ギリシア神話も集めた。何種類もの雑誌を定期購読し、大切なページは切り抜いてスクラップした。ドイツ語の図書は、各国の文学作品から自然科学まで127冊も集めたという。食費を削って高価なドイツ語の『世界文学史』も買った。
こうした努力の積み重ねは、後に古代中国から明代までの小説を分析・研究した『中国小説史略』として実を結んだ。それまで中国には存在しなかった小説史を書くことこそ、魯迅がほんとうにやりたかったことであった。

東京は中国革命の熱気があふれていた。前年の明治38年、中国革命同盟会(後に中国同盟会と改称)が組織され、多くの革命家が東京を闊歩し、それを取り巻く清国留学生たちの間にも革命の高揚感が広がっていた。
著名な国学者の章炳麟が亡命して中国同盟会の機関紙『民報』の編集長となり、編集部を置いた貸家で毎週末「国学講習会」を主宰した。魯迅も国学を学ぶために通ったが、一方で、章炳麟の主宰する革命組織「光復会」が決死隊を中国へ送り込むことになり、そのメンバーに指名された。
しかし魯迅は気が進まず、「もし自分が死んだら、あとに残された母親をどうしてくれるのか、はっきり聞いておきたい」と告げると、一同のけぞって呆れかえり、決死隊メンバーから外されたという逸話が残っている。

魯迅は、東京の下宿屋を二度ほど移り、三度目に本郷に移った。
現在の東京都文京区西片1丁目12番で、東京(帝国)大学に近く、明治から昭和初期にかけて大学教授や高級官僚が住む「学者町」として知られ、夏目漱石、樋口一葉、二葉亭四迷、上田敏など文学者も住んでいた。
親友で同郷出身の許寿裳が見つけてきた貸家だが、家賃40円は留学生にとっては法外な値段だった。しかし魯迅は飛びついた。というのも、その家は直前まで、ロンドンから帰国した売れっ子作家の夏目漱石が住んでいたからだった。夏目漱石はこの家が気に入らず、住んだのは僅か9ヵ月で、小説『三四郎』を書き上げてから早稲田に引っ越した。

魯迅は、許寿裳と相談して強引に2人の留学生仲間と、数ヵ月前に中国から連れてきた弟周作人を入れて5人で住むことにした。5人で住むから「伍舎」と名をつけた。
魯迅は、家賃を頭数で割って、弟の分も負担したから毎月16円の住居費を支払った。僅かな奨学金の大半は本や雑誌に使ってしまい、生活費はひっ過した。好きな洋風の食べ物や飲み物 - ミルクセーキ、ジュース、チョコレートミルク、トースト、コンビーフなど - を我慢し、東大近くの有名な洋風食品店青木堂も横目で見ながら通り過ぎるしかなかった。

家は二階建てで、一階の玄関を入ったところが洋間になり、その先に8畳間の客間と6畳間があった。左手には風呂と台所、その奥に11畳の居間とトイレ。二階には8畳間と4畳半がある。一階にはガラス戸のはまった廊下があり、樹木の生い茂る庭が眺められた。その庭先に、魯迅と許寿裳は様々な花の種をまいたが、心を奪われたのは朝顔だった。

朝顔は、種を撒くとほどなく小さな芽を吹いた。見る間に弦が伸びて大きな葉を茂らせ、赤や青の大輪の花をつけた。朝露の残る早朝、開いたばかりの朝顔は瑞々しく、夕方になるとあっけなく萎んだ。萎んだ花をいくら摘みとっても、明日はまた新たな花芽が咲きほこる。可憐ではかない日本の風情だ。ふたりは陶然として朝顔に見入り、幸福なときをかみしめた。中国では見たことのない花だった。

魯迅は一階の6畳間を使った。日本の学生を真似て着物を着て、家にいるときは一日中浴衣姿で通した。毎朝目覚めると、布団から起き上がり、そのまま煙草をくゆらせて、朝日新聞を広げるのが習慣になった。新聞には、夏目漱石の『虞美人草』が連載されていた。

(つづく)













東京五輪 今になって大会関連経費8100億円が掛かると発表した 総額1兆4100億円 都民一人当たり10万2200円負担 当初から分かっていたこと ほとぼりが冷めた頃に出してくる姑息さ




2018年6月16日土曜日

安倍晋三と致被害者家族と面会 オフレコ発言を「産経」がリーク 安倍の発言「北朝鮮にはだまされない」「こちらから会談を申し入れたら足もとをみられる」「すべての被害者を返さなければ会談はしない」 / 北朝鮮の返事がコレか → 「拉致問題解決済み」  「国際社会が一致して歓迎している朝鮮半島の平和の気流を必死に阻もうとしている」







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山本太郎議員『いわゆる「道徳」に関する質問主意書』; 安倍政権は「道徳科」で「うそをついたりごまかしをしたりしないで」「過ちは素直に改め」「誠実に」と小学生に求めているが、安倍内閣の虚偽答弁や公文書改竄は、この「うそやごまかし」に当てはまらないのか? さぁ"誠実に"答弁されたい。 / 答弁書 ; 「趣旨が明らかでなくお答えは困難」と。日本語が解らないフリ?して逃げる     







2018年6月15日金曜日

水道等の公共事業を民間委託するPFI。 山本太郎議員「企業のために世界で既に失敗と認められる施策を採用することなど国民への背信。これ以上、国を壊す施策はやめて頂きたい。聞こえてますか、竹中平蔵さん」





図書館司書の非正規率が半分を超える県(図)(1999年2県→2015年39県) / 図書館司書の非正規率の変化(1999年→2015年) 恐ろしい! 










カジノ法案の採決を強行 与党など、衆院内閣委で:朝日新聞 衆院内閣委で50時間の審議を求めていたが、与党が応じず、18時間10分にとどまった / (動画)委員長が部屋に入るなり、いきなり採決を強行。野党が出している審議継続の動議をまるきり無視 / 7割の世論が「今国会で成立させる必要はない」と答えている法案を、力ずくで強行採決      





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世耕経産相「万博に出展する100ヶ国に240億円を支援する」






2018年6月14日木曜日

皇居東御苑の紫陽花が見頃 2018-06-13

6月13日
皇居東御苑の北桔橋門を入ってすぐ、天守台の裏の紫陽花がいまピークを迎えている。
富士見多聞周辺にも紫陽花が集中しているが、この場所も多分いい感じになってるんじゃないだろうか(未確認)。

ただ、残念ながらこの時期の花のツートップである、二の丸庭園の花菖蒲はもう殆ど終りにさしかかっている。














(YouTube) 「雨が空から降れば」 及川恒平 詞:別役実 曲:小室等 / 「雨が空から降れば」~アメリカから輸入されたフォークソングに日本の演劇や現代詩の世界を結びつけた小室等 — TAP the POP











『帝都東京を中国革命で歩く』(潭璐美 白水社)編年体ノート07 (明治38年)

長谷寺より
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明治38年
日本留学ブーム
弘文学院が開校した1902(明治35)年、清国から500人の留学生が来日し、日本にいる清国人留学生は600人となった。翌年、倍の千人が来日し、1904(明治37)年には1,300人が来日した。
1905(明治38)年、日本が日露戦争に勝利して日本への関心が一気に高まり、同年、清国で300年続いてきた「科挙」制度が廃止され、日本留学ブームに一気に火が付いた。立身出世に不可欠な資格であった「科挙」試験がなくなり、海外留学を立身出世の資格とみなし、「洋科挙」と呼ぶ者もいたほど。
この年(明治38年)の日本にいる清国人留学生は約8千名、翌1906(明治39)年には約1万2千名に急増した。

留学生は、まず東京にできた日本語学校に入学して半年から1年間ほど日本語を学び、その後、早稲田、法政、慶應などの東京を中心とした私学を目指すのが一般的だった。東京や九州、京都、東北、北海道などの帝国大学へ入学するには、まず難関の高等学校に入学しなければならず、合格者はごく限られていた。その点、私学には短期育成の「清国留学生部」や「専門部」が特設され、1、2年だけ学んで帰ろうという学生の受け皿になった。私学の「本科」へ正式入学するには勉強に専念しなければならず、進学したのは全留学生総数の半分にも満たない。その他、軍事教育を専門に行う振武学校や成城学校もあり、軍事教練と基礎教育を受けた後、試験を受けて陸軍士官学校へ進学するのだが、難関の試験に合格する者はほんのひと握りだ。そうした中で、早稲田大学は人気の的であった。もっとも、大学に入っても、無事卒業まで至る留学生はそれほど多くはなかったようだ。

明治38年8月
中国同盟会の結成
明治37年、黄興が2度目に来日した時、日本では湖南省の武装蜂起の様子が清国留学生たちの間で知れ渡り、黄興は「英雄」として大歓迎を受けた。
そして翌38年8月、世界を回って来日した孫文と初対面で意気投合し、革命連合組織の中国同盟会を組織した。

中国同盟会結成後、黄興は早稲田大学に在籍しながら、機関誌『民報』の発行準備にとりかかった。彼は宮崎滔天を介して知り合った福岡出身の志士末永節に、「雑誌の編集部を置くための家を借りたい」と告げ家探しを始めた。末永節は大アジア主義者の頭山満を総帥とする玄洋社社員で、武道家、後に全日本少林寺拳法(現、「全日本少林寺拳武徳会」)の初代宗家となる。

末永節の証言。

『民報』をやったのは牛込の○○というところだった。その家を探す時も黄興と二人であちこち歩き回った。
麹町の大きな門構えのケヤキの巨木のある家をみつけて、この家にしようではないかと言ったが、黄興はこれにするとは言わなかった。それがずっと回って、牛込を歩いておったところが、貸家と書いてあったので、そこに入った。うちに泉水がある家だったが、間取りを見た上で、黄興が、
「此処にしましょう」と言う。
「どうして・・・・・」と問うと、
「あの麹町の家は暗いと思います。目が悪くなります。この家がいいです。ここに水があるでしょう。ここに鯉を入れればよいでしょう。あなたは鯉が好きでしょうが・・・・・。二人で食べましょう」
と言うから、ここを借りることに決めて、その保証人がいるので、古賀廉造さんのところへ頼みに行きました。・・・・・古賀廉造は大審院の検事で、なかなか立派な人だった。家主も快く承諾してくれた。
(浅野英夫編、『無頼放談』社団法人・玄洋社記念館発行、2016年)

こうして『民報』編集部の所在地が決まった。住所は、牛込区東五軒町19番地(現、新宿区東五軒町3番22号)で、末永節が発行人を引き受けた。

明治38年
陳天華(22歳)の抗議自殺
明治38年、日本の文部省は清国留学生の政治活動を封じるために清国留学生取締規則を発布した。宋教仁の親友陳天華(22歳)は、激情のあまり大森海岸で抗議の入水自殺をした。衝撃を受けた留学生たちは一斉に授業をボイコットし、退学届を出し、2千名近い留学生が帰国していった。宋教仁は陳天華の遺体を大森海岸まで引き取りに行き、遺書である「絶命書」に情感のこもった跋文を添えて彼の伝記を書き、その後は革命陣営から距離を置くようになった。

明治38年
総帰国を主張する秋瑾
「清国留学生取締規則」に留学生たちは激しく反発し、清国留学生会館で緊急集会を開いた。
学生たちが問題視したのは、「清国留学生取締規則」第10条、「清国人ヲ入学セシムル公私立学校二関スル規定」の「性行不良」という文言だった。「性行不良」には明らかに革命運動も含まれるとして、授業の一斉ボイコットを呼びかけた。

女子学生の秋瑾は反対運動の急先鋒のひとりだった。秋瑾は、清国留学生会館で開かれた浙江同郷会の席上、留学生の「総帰国」を強く主張。煮え切らない態度の留学生がいるのを見ると、激昂して「死刑!」と叫んだ。
魯迅の弟の周作人は、そのときの様子を『魯迅の故家』にこう記す。

留学生は挙って反対運動を起こし、秋瑾が先頭になって全員帰国を主張した。年輩の留学生は、取締りという言葉は決してそう悪い意味ではないことを知っていたから、賛成しない人が多かつたが、それでこの人たちは留学生会館で秋瑾に死刑を宣告された。魯迅や許寿裳(魯迅の親友)もその中に入っていた。魯迅は彼女が一口の短刀をテーブルの上になげつけて、威嚇したことも目撃している

実際のところ、孫文も留学生の「総帰国」には反対だった。帰国して戦いに参加すれば、無駄に若い命を失うことになり、革命勢力にとっては大きな損失になると考えていた。それゆえ中国同盟会の同志による留学生への説得工作もあったようだ。

しかしながら、授業ボイコット運動は過熱し、全留学生の約半数が帰国を決めると、その年12月、秋瑾率いる「総帰国」賛成派が一斉に帰国した。
秋瑾は故郷の浙江省に戻ると、大通学堂を開校して軍事訓練を行いつつ、安徽省の徐錫麟と呼応して武装蜂起を画策したが、情報が洩れて逮捕され、1907年7月15日早朝、斬首された。31歳の若さであった。
魯迅にとって、秋瑾の印象は強烈で、彼女の死はいかにも無念であった。評論文「「フェアプレイ」はまだ早い」(1925年)では、中国の旧勢力の悪辣さに警鐘を鳴らす一方、秋瑾の死について書いている。

革命は・・・・・すこぶる「文明」になった。・・・・・われわれは水に落ちた犬は打たぬ、勝手に上ってこい、というわけである。そこで、かれら(旧勢力の紳士や官僚)は上ってきた。民国二年の後半期までひそんでいて、第二革命の際、突如あらわれて袁世凱を助け、多くの革命家を咬み殺した・・・・・これすなわち、革命の烈士たちの人のよさ、鬼畜にたいする慈悲が、かれらを繁殖させたのであって、そのため目ざめた青年は、暗黒に反抗するためには、ますます多くの気力と生命とを犠牲に供さねばならなくなったのである。
秋瑾女史は、密告によって殺されたのだ。革命後しばらくは「女侠」とたたえられたが、今ではもうその名を口にするものも少なくなった。革命が起こったとき、かの女の郷里には都督 - いまいう督軍とおなじもの - が乗り込んできた。それはかの女の同志でもあった。王金発だ。かれは、かの女を殺害した首謀者をとらえ、密告事件の証拠書類を集めて、その仇を報じようとした。だが結局は、その首謀者を釈放してしまった。・・・・・ところが、第二革命の失敗後になって、王金発は袁世凱の走狗のために銃殺された。その有力な関係者に、かれが釈放してやった秋瑾殺害の首謀者があった(『魯迅評論集』竹内好編訳、岩波文庫、1981年)。

清国留学生会館は、留学生たちの政治運動の場と化した。四方の壁には日本政府に対する反対運動のスローガンや中国革命を擁護する張り紙、集会の開催予定を記したメモなどがびっしりと張られ、人の出入りが激しくなった。
やがて手入れを忘れた家屋は荒れ果て、留学生の憩いの場でなくなったことで、清国公使館は運営を停止した。
日本に居残った留学生たちは、1907(明治40)年、北神保町(現、神田神保町2丁目)に新設された中華留日基督教青年会館へと移動していった。そこには宿泊施設も食堂も完備されていたため、新たに来日した留学生たちの臨時の宿泊所として機能し、憩いの場となった。

(つづく)

太田〈国務省関係者に「トランプ氏は日本人拉致問題をどこまで真剣に取り上げてくれるのか」と聞いたところ、「彼が日本との間で関心があるのはトレード(貿易)だけだ」と明言し、トランプ氏本人が拉致問題について本気で交渉すると安倍政権が考えているなら、「それは妄想だ」と警告していました〉 / 田中「普通の国ならば、自国民の生命の問題の解決を他の国に頼むというのは恥ですよ。こんな恥ずかしいことを何度も何度も言っている国などありえない。しかも、それで本当に拉致問題が解決するのかといえば、自ら交渉せずに解決がどこかからもたらされるようなことは考えられないでしょう」





働き方改革関連法案:高プロ「望む企業ほぼ無い」 コンサル社長陳述 参院委 - 毎日新聞 / 高プロでまたインチキ! 加藤勝信厚労相は架空の聞き取り調査をでっち上げ「私が企業に訪問しいろいろニーズを聞いた」と大嘘答弁(リテラ) / 高プロで“ヤラセ調査”発覚 厚労省の姑息なアリバイ作り(日刊ゲンダイ) / 「高度プロフェッショナル制度」のごまかしとカラクリ(毎日新聞)    








































2018年6月13日水曜日

小野寺防衛相:「米韓演習中断」に懸念 - 毎日新聞 / 「北朝鮮への警戒監視体制変えず」防衛相 | NHK / 昨年から今年にかけての東アジア危機で、対話や交渉を全否定し、対立と緊張を煽り続けた政治指導者は、関係各国の中で、日本の首相と外相だけだった。事態が対立と緊張から対話と交渉の段階に移行した時、その流れにどう乗ればいいのか、首相も外相もわからない。首相と外相の能力不足が露呈している





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森友問題で新疑惑 国交省が学園側の借金の一部を“保証”(日刊ゲンダイ) / (動画) 宮本岳志「資料2…これは国土交通省から提出を受けた資料であります。質権設定承認通知書と質権設定契約証書であります…内容は、さるメガバンクに対して10億円の質権の設定を承認するものであります」










獣医学部の「照会資料」、文科省に存在 愛媛文書と合致(朝日新聞); 安倍の国会虚偽答弁 「17年1月20日に初めて知った」が嘘である証拠 / やっぱり安倍と加計の「会ってない」は嘘だった! 面談時に加計学園が提供した資料が文科省で発見(リテラ)






やはり安倍官邸と”隠ぺい”謀議していた財務省「官房長官への対応が基本」破棄された“昭恵語録” (AERA dot.);「交渉記録の廃棄と決裁文書の改ざんの流れを決定づけたのが、2月22日に官邸で行われた“謀議”だ。安倍首相から「徹底調査」を指示された菅官房長官が、官邸に佐川氏と太田氏、蝦名氏らを呼び、国有地売却の経緯について説明を受けたという。」





2018年6月12日火曜日

鎌倉 長谷寺の紫陽花 2018-06-12

6月12日(火)はれ
鎌倉の長谷寺に行った。
料金所前に紫陽花路への30分待ちの表示があって、入口で整理券が配布された。
予め30分と分っているので、その間に他のところを見ることができた。
従って、時間待ちしているイライラ感は全くなかった。
ま、ウィークデイだし、この程度なんだろうね。

紫陽花、いい感じだった。
種類も量も豊富で、お寺側の細部の心遣いを感じさせる。
やっぱり明月院よりもこっち(長谷寺)がいいね。







2018-06-12 #鎌倉 #長谷寺 #紫陽花 #アジサイ

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日米電話会談後 拉致問題: 安倍晋三「詳細について申し上げることはできませんが」 「トランプ大統領に・・」 「トランプ大統領から・・」  富川アナ「言えないのか、それとも言うことがないのか」  / トランプ大統領の記者会見。「拉致問題を提起した」という内容も説明もない発言に「拉致問題を取り上げた」とNHKがわざわざ速報する印象操作。大統領と電話したあとに首相は言うだろう。「詳細は控えたい」。大統領にとっての人権問題は、朝鮮戦争時の米兵遺骨収容問題(合意事項)だとわかった。 — 有田芳生



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森友巡る首相夫人発言の記録作成 決算委で財務省認める(共同通信);「財務省の太田充理財局長は11日の参院決算委員会で、安倍昭恵首相夫人から「『いい土地ですから、前に進めてください』とのお言葉をいただいた」と学園側が主張したとされる2014年4月28日の交渉記録について、近畿財務局職員が「作った記憶がある」と話したと明らかにした」









参院決算委(6/11); 辰巳孝太郎 「決裁文書」改ざんの窓口に菅官房長官の秘書官である寺岡がなっていたと指摘 菅は猛反撥 かえって事実を再確認するハメに (動画)







今年の初鮎(仁淀川産)をいただきながらオヤジ呑み 2018-06-11

昨日6月11日(月)雨
お誘いあって茅場町の土佐の料理をだしてくれるお店でオヤジ呑み。
仁淀川の鮎、今年の初鮎だった。頭からまるごといただいた。
一人は焼酎お湯割り。
もう一人とワタクシは、土佐の日本酒をシェアしながら何種類か。
酢で〆たウルメイワシもグゥだった。