2016年9月24日土曜日

【動画】 イグノーベル賞で話題になっている「鏡による幻肢痛緩和」だけど、ラバーハンド実験という面白い実験がある (同時に刺激を与えると偽物の手を本物と脳が信じ込む)

官邸主導、とうとう宮内庁の人事まで及ぶ。 官邸中枢にいる内閣危機管理監の西村泰彦氏が次長に。 安倍の意のままに「天皇生前退位」を進めるため。 / 有識者会議のメンバーも政府系会議の常連ばかり(お仲間で固める)



米議会も総スカン、「TPPとん挫」の現実味 年内批准どころか先行きも見えない - 東洋経済オンライン / TPP、アメリカ民主党下院議員151人が反対表明 - SKY NOTE


天正3年(1575)4月1日~4月30日 信長、石山本願寺を圧迫 顕如は籠城体制をとる 高屋城の三好康長降伏(信長は赦免し河内南半国を与える) 本願寺の孤立化 武田勝頼の三河進出 長篠合戦までの経緯 [信長42歳]

千葉 大山千枚田 2016-09-16
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天正3年(1575)4月
・北条氏の小山氏攻め開始(前年11月の下総関宿城攻略に続いて)。
北条氏政、祇園城(小山秀綱、栃木県小山市)西方の支城榎本城(下都賀郡大平町)を攻撃。やがて落城。小山氏は常陸太田の佐竹義重などを頼るが、祇園城も陥落。
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4月1日
・京都所司代村井貞勝、丹羽長秀と共に徳政として公家の本領を還付することを命じられる(「信長公記」)。
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4月1日
・信長、公家の失った旧所領還付命令(「主上・公家・武家ともに御再興」)。(「信長公記」巻8)
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4月3日
・相国寺にて鞠会。村井貞勝、配膳役を命じられる (宣教卿記)。
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4月4日
・明智光秀2千余、河内へ出陣(「兼見卿記」1)。
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4月5日
・武田勝頼2万7千、甲府出陣。
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4月5日
・家康、武田勝頼に内通した近臣大賀弥四郎を岡崎で処刑。
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4月6日
・信長1万余、京都進発、本願寺攻めに向かう。八幡(京都府八幡町)に布陣。
7日、本願寺に協力する河内・和泉の勢力を潰すため河内の若江に布陣。
8日、三好康長・遊佐信教の高屋城(羽曳野市)攻撃。信長自身は駒ヶ谷山(羽曳野市)より戦況を見物。
12日、高屋城攻めは部将に任せ、信長は摂津住吉へ。
13日、摂津天王寺着。畿内のほぼ全信長軍10万余が天王寺・住吉・遠里小野周辺に布陣。根来衆も信長方につく。
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4月6日
・村井貞勝、吉田兼和の訪問を受ける(兼見卿記)。
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4月7日
・本願寺顕如、北陸道(越前・加賀)門徒中へ、信長の「破却宗旨之企」により石山に籠城したので兵粮米の遅滞無き搬送を命令し、「仏法擁護再興」の機会であると通達(「浄光寺文書」)。
越前を支配する門徒衆にとり、信長の侵攻にそなえるため、この要請には応じられる状況にはない。
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4月8日
・村井貞勝、中山孝親・甘露寺経元より、債務の破棄を示した「寄破(きは)文書目録」を提出される。
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4月11日
・仏、ラ・ロシェル市長ら9人のユグノー教徒代表、和平交渉のためアンリ3世と接見。
王妃、カトリーヌ、ダランソン公、ナヴァール王同席。
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4月14日
・信長、石山本願寺に迫り、農作物を荒らす。
16日、摂津遠里小野(住吉区)に移り農作物を荒らす。
17日、堺近くの三好党の十河因幡守・香西越後守(元亀3年4月より信長に敵対)の和泉新堀城(堺市新堀町)攻撃。
19日、新堀城、落城。十河因幡守以下170が討死。香西越後守処刑。蓮如が開いた堺の信証院も焼亡。松井友閑を通じて高屋城の三好康長降伏(長慶の叔父、信長はこれを赦免、後、河内南半国を与える)。塙直政に命じて河内国内の城を破却。河内一帯の三好党全滅(本願寺の孤立化)
21日、信長、京都へ引上げ。
27日、京都発。
28日、岐阜帰還。

「高屋に楯籠る三好笑岩(康長)、友閑(村井)を以て御侘(詫)言、御赦免候なり。塙九郎左衛門(直政)仰せ付けられ河内国中、高屋の城初めとして悉く破却、大坂一城の落去幾程あるべからず。」(「信長公記」巻8)。

しかし、①大坂石山城の本願寺、②丹波八上城(兵庫県多紀郡篠山町八上新高城山)の波多野秀治は頑強に織田軍団の進路を阻む。
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4月16日
・村井貞勝、徳政令に応じない者に対し、明日出頭することを命じる(宣教卿記)
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4月17日
・村井貞勝、徳政令に応じない者を出頭させ、応じるように厳重に申し渡す。
設永の徳政令を受けて、前権大納言中山孝親、蔵人頭左中弁中御門宣教らは、それぞれ借状を回収していった。
さらに4月7日、権大納言勧修寺晴右の屋敷に中山たちが集まり、「寄破文書目録」なるものを作成、翌日貞勝に提出した。
11日には、勧修寺邸での会合に信長の奉行として朝山日乗が加わり、借状を渡さない者に対する対策について相談があった。
貞勝に加えて、丹羽長秀が担当とされたようで、16日、2人の下代の者たちが、借状を渡さない者に対し、翌日に貞勝のもとに出頭するよう命令を出した。
そして、この日(17日)の申し渡しとなった。
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4月18日
・村井貞勝、中御門宣教ら公家衆の訪問を受け、酒宴を催す(宣教姻記)。
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4月21日
・武田勝頼、三河足助に出て奥三河各所で行動。
医王寺山に本陣を置き家康に属する長篠城500(山家三方衆奥平信昌(21)、元作手城主奥平貞能の子)包囲。更に南方のニ連木城(豊橋市)・牛久保城(豊川市)をも攻撃。
山家三方衆:奥三河山間の三所の土豪の総称。
奥平:天正1年8月武田から家康に寝返る。人質は処刑される。
奥平信昌:のち美濃加納藩10万石、京都所司代。
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4月27日
・信長、大和国十市郷を3分割し塙直政・松永久通・十市遠長と十市後室が支配することを命令した「朱印」を発給。
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4月29日
・村井貞勝、吉田兼和の訪問を受ける(兼見卿記)。
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4月30日
・村井貞勝、堀某より、代官職を懇望される(宣教卿記)。
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■長篠合戦までの経緯
永禄11年(1568)、家康と信玄は連絡をとって、東西から今川氏真の領国(遠江と駿河)に侵入。
翌12年、氏真が家康に降伏し、旧今川領は家康と信玄が折半するが、駿河から遠江へ領国拡張を狙う信玄と、遠江経営を目指して、三河の岡崎から遠江の浜松へ居城を移した家康との関係は急速に悪化、翌元亀元年(1570)には敵対するにいたる。
翌2年(1571)、信玄は徳川領に侵入開始。まず遠江の高天神城を攻め、ついで三河の足助城(現、愛知県東加茂郡足助町)を落とした。

翌3年には遠江の二俣城(現、静岡県天竜市二俣町)を落とし、12月22日、浜松城の北にある三方ケ原で徳川・織田軍と戦う。
三方ケ原合戦について、『信長公記』巻5には、「十一月下旬に二俣城が包囲されたとの情報で、佐久間信盛・平手汎秀・水野信元を派遣したが、間に合わなかった。信玄は二俣城を落とした勢いに乗じて、堀江城(現、静岡県浜松市舘山寺町)に攻め寄せた。そこで家康も浜松城から出撃した」とある。
三方ケ原合戦は徳川・織田軍の大敗北となり、織田軍では平手汎秀が討死した。このことはのちに佐久間信盛の断罪状にあげられることになる。水野信元は、三河刈谷城(現、愛知県刈谷市)城主で家康の叔父、当時は信盛の与力(より有力な武将に配属された武士)であった。

翌天正元年(1573)、信玄は野田城(現、愛知県新城市)を落としたが、ここで病状が悪化し、帰国の途中死去した。跡を継いだ勝頼は、遠江と三河に軍を派遣して威勢を示した。

家康は8月、それまで武田氏に属していた奥三河の作手(つくで)城(亀山城。現、愛知県南設楽郡作手村)の城主、奥平貞能・信昌(当時は貞昌)父子を調略で味方につけた。家康は山間の一土豪にすぎぬ奥平氏に所領の安堵(現有利権の確認)、新恩の加増(新利権の追加)ばかりか、長女を貞昌に嫁がせる約束までした(長篠合戦の翌年に実行)。
この頃、武田氏の勢いになびく土豪が多い中で、奥平氏が家康のもとに走ったのは、この破格の待遇ゆえのことと推測できる。
さらに家康は、武田氏の土豪菅沼正貞の居城、長篠城を攻めて開城させた。
家康が打ったこれらの布石が、結果的に、長篠合戦の勝利につながることになる。

翌天正2年(1574)正月、勝頼は美濃の明智城(現、岐阜県恵那郡明智町)を攻めた。信長は尾張・美濃の兵を派遣し、自身も出動したが間に合わなかった。

二月五日、信長御父子御馬を出だされ、其日はみたけ(現、岐阜県可児郡御嵩町)に御陣取。次日高野に至って御居陣。翌日馳向はるべきの処、山中の事に候の間、嶮難節所の地にて互に懸合ならず候。山々へ移り御手遣ひ(手勢を率いて直接戦闘を指揮すること)なさるべき御諚(ごじよう)半(なかば)の処、城中にていゝばさま右衛門(美濃の土豪、飯羽間氏)謀叛候て、既に落居是非に及ばず。(『信長公記』巻7)

さらに勝頼は、6月、徳川方の小笠原氏の守る高天神城を落とした。信長は援軍を率いて出動するが、またも間に合わなかった。

六月十九日、信長公御父子、今切(いまき)れの渡り(浜名湖の南端)御渡海あるべきの処、小笠原与八郎(長忠)逆心を企て、総領の小笠原を追出し、武田四郎(勝頼)を引入れたるの由、申し来り候。御了簡(りようけん)なく、路次より吉田城(現、愛知県豊橋市。家康の重臣、酒井忠次の居城)迄引帰へさせられ候。(『信長公記』巻7)

ここには小笠原長忠が総領を追い出したとあるが、実際には長忠自身が当主で、家康の援軍が来ないため開城した。開城後、城兵の一部は浜松へ退去し、一部は長忠とともに勝頼に仕えた。勝頼滅亡後、長忠は北条氏のもとに走ったが、信長の命で殺される。

家康の家臣、大須賀氏の家譜『大須賀記』には高天神城は5月12日に包囲され、6月17日に開城したとあり、また、興福寺多聞院院主の日記『多聞院日記』には京都で急報を受けた信長が5月16日に岐阜へ向かったとあり、時間的に救援が間に合ったと推測できる。
家康は高天神城から30kmの浜松城に留まって、救援に出動しなかった。単独で出動して武田軍と戦う自信がなかった。逆に、明智城と高天神城を奪ったことで、勝頼は自信をつけたと思われる。
これが、翌年(1575)5月の長篠合戦の伏線になる。

天正3年(1575)2月、家康は、奥平信昌を長篠城城主とし、一族の松平景忠らを加勢として守りを固めた。
3月には信長が家康へ兵粮を送り、家康はその一部を長篠城に入れた。同時に信長は、佐久間信盛を諸城の視察に派遣した。信盛は、長篠城および周辺の地理を検分したと思われる。長篠合戦の下準備は着々と整えられた。
3月下旬、勝頼は大軍を率いて足助に進出、作手をへて、家康に奪回された野田城を攻め、さらに吉田方面に出た。
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都立江北高校定時制をつぶさないで!・・・4つの都立定時制高校の存続を求める2万の署名にも、都議会では国会での待機児の母親のブログのときと同じようなヤジが与党議員から繰り返されたと報告。請願は否決になっています。

平成28年9月21日 安倍総理と金融関係者との対話 ; 「一定の条件を満たせば、日本は世界最速級のスピードで永住権を獲得することができる国になります」 「この問題は、社会問題である前に、経済問題です。」 「アベノミクスも加速しています。・・・私のドリルの刃は、依然として高速回転中」 「日本の人口動態は、逆説的ですが、重荷ではなく、ボーナスなのです。」← アメリカの金融関係のリアリストたちがこれをどう見たか?




官邸HP
平成28年9月21日
安倍総理と金融関係者との対話

安倍晋三です。マリオではありません。でも、マリオのように、闘い続けています。日本経済を加速させるために、闘っています。

(略)

 2点目は「開放性」です。申し上げます。日本は「開放性」を推進する立場です。貿易自由化を推進する立場です。そして投資の自由化を推進する立場です。例えば、一定の条件を満たせば、日本は世界最速級のスピードで永住権を獲得することができる国になります。現在、詳細の詰めを行っています。乞う御期待です。

(略)

 ここで、私から皆様にお願いがあります。ぜひ、TPPを批准してください。アメリカがTPPの完全な一員になることで、アジア太平洋地域はもっと、もっと、もっと良くなります。アメリカがリーダーとしての役割を発揮することを期待しています。アメリカの皆さん、共に歩もうではありませんか。 これが私から皆様へのメッセージです。

(略)

 この問題は、社会問題である前に、経済問題です。我々は労働参加率を上昇させなければなりません。賃金を上昇させなければなりません。そして、労働生産性を向上させなければなりません。「働き方改革」が、生産性を改善するための最良の手段だと信じています。

(略)

 日本は加速しています。アベノミクスも加速しています。私は私の、ドリルの刃を研ぎ澄まします。日本経済の構造を変えるため、私のドリルの刃は、依然として高速回転中です。

 最後に、良いニュースをお伝えして、スピーチを締めくくりたいと思います。私は、日本の人口動態に全く懸念を持っていません。

 日本では、この3年で生産年齢人口が300万人減少しました。しかし、名目GDPは成長しました。今を嘆くより、未来を見つめましょう。日本は高齢化しているかもしれません。日本は人口が減少しているかもしれません。しかし、この現状が、我々に改革のインセンティブを与えます。我々は、生産性を高めようとし続けます。ロボットからワイヤレスセンサー、ビッグデータからAIまで、全てのデジタル技術、新しいものを活用しようと思い続けます。ですから日本の人口動態は、逆説的ですが、重荷ではなく、ボーナスなのです。

 これからの4年間で、東京は再び大きく変わります。オリンピック・パラリンピックを控え、東京は、寛容で、開かれた、多様性のある都市になります。

 そして、2030年代後半、それほど遠い未来の話ではありません。東京でリニア新幹線に乗ると、40分後には名古屋に立っていることでしょう。そして、それから僅か20分ちょっと、すなわち東京からたったの1時間で、大阪に降り立っているでしょう。東京・名古屋間の距離は、ニューヨーク・ワシントンD.C.間の距離とほとんど同じぐらいです。ここアメリカでも、同じリニアの技術を使っていただければと思います。

 約20年後、皆さんは、まっさらな日本を目にすることになるでしょう。東京から名古屋を経て大阪へ。史上最も大きく、豊かで、技術的に発達し、洗練され、かつ、落ち着きのある、7,000万人の巨大都市が見えることでしょう。

 ポケモンGOの世界と同じです。周りを見渡さなければ、見つけることはできません。その場所に行かなければ、捕まえることはできません。ですから、日本に来ていただいて、周りを見渡していただければと思います。経済成長の種は、発見され、花咲くときを待っています。私自身はポケモンGOはしません。経済成長を実現するのは公園を歩くのとは違う(つまり簡単ではない)のですが、しかし、私は日本中で、成長の種を見つけています。それを花咲かせる決意です。

 もし今日の私のお話が強気に聞こえたとすれば、それは、私が日本の将来について強気だからです。

 本日は、ありがとうございました。

↑ 
「アベノミクス」とか「ドリルの刃」とか、日本国内では死語になりつつあるワード、海外ではまだ使えるのかな。







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2016年9月23日金曜日

(ネコ動画) ベビコマちゃんとしっぽ 

NHK『SONGSスペシャル「宇多田ヒカル~人間・宇多田ヒカル 今“母”を歌う」』 / (ツイッター動画) 「花束を君に」「ともだち」「道」など

残念ながらワタシは見なかったし、録画もしていない。
TLに流れてくるのは、「良かった」「感動した」というものばかり。
曲も詞も世代の共感を得ているということの証だろう。
昨夜、宇多田ヒカルと同世代の次男に、SONGS良かったみたいでTL上は絶賛の嵐だけど・・・、と尋ねてみたら、「へぇ」という頼りない反応。
きっと、女子にファンが多いんだろうな。















9月22日 「さようなら原発・戦争大集会」 @代々木公園 9500人の参加 (ツイッター写真) 「許さない!原発再稼働」 「奪うな!原発事故被災者の住まい」 「辺野古・高江に基地をつくるな!」 「戦争させない」 「アンダーコントロール国民でいいのか❗」







「股のぞき効果」研究 日本人2人にイグ・ノーベル賞:朝日新聞 / 東山篤規(あつき)・立命館大教授(65)と足立浩平・大阪大教授(57)が「知覚賞」を受賞 / 「股のぞきをすると、小さく短く見える。小さく、短く。小さく、短く。覚えていってくださいね」。東山教授は壇上で股のぞきを披露して、研究内容を紹介。大爆笑でした。今年最後、おおとりの10番目の受賞者でした! (朝日新聞・小林哲さんのツイート写真) / 2016年イグ・ノーベル賞授賞式 - Togetterまとめ







現代最高のチェロ奏者ヨーヨー・マ氏に迫るドキュメンタリー、17年3月公開 — 映画.com

黒人達を抑圧する国家は敬えないと、国歌斉唱時に抗議したNFLの黒人選手達に、SNSで「この国が嫌いなら出てけ」とか、抗議者の生命に関わる人種差別発言を投稿したベルモント大学の学生が即、退学にされたっぽい。 / 「これはフリースピーチではなくヘイトスピーチ。」 / 国歌演奏で起立拒否のQB、タイム誌の表紙飾る(AFP=時事) / カンサス州立大学の学生が、顔を黒塗りした画像を「Feels good to finally be a Nigga」のメッセージと共にSNSに投稿。後に学生は謝罪したが、大学側は学生を退学処分に。




ガラ~ン 安倍晋三の国連総会演説、聴衆少なッ! ← マリオやっても、二匹目のどぜうだしね。

稲田疑惑「赤旗」スクープの後は(日刊スポーツ);「連日富山市議会の件は報じる大手メディアは稲田の件は全く報じない」 / 〈政治資金管理団体「ともみ組」の領収書の中に金額、宛名、年月日が同じ筆跡の領収書が大量に存在する〉巨額不正疑惑をスクープした / 富山市議の不正と同じ手口なのに…テレビはなぜ稲田朋美防衛相の“白紙領収書”問題に一切触れないのか / 吉田照美が「稲田朋美の白紙領収書問題」に言及!


 ★先月「しんぶん赤旗」は防衛相・稲田朋美の政治資金管理団体「ともみ組」の領収書の中に金額、宛名、年月日が同じ筆跡の領収書が大量に存在する白紙領収書をめぐる“巨額不正疑惑”をスクープした。富山市議会の面々とさして変わらない行為だが、連日富山市議会の件は報じる大手メディアは稲田の件は全く報じない。富山市議会は閣僚の疑惑を批判しないメディアのガス抜きに使われているということか。(K)※敬称略



ヘリコプターで牛追いするオーストラリアで、牛が反逆のノロシを上げる (HuffPostJapan) ; 【動画】 「牛の革命が始まった。...」 凄い! ヘリは墜落、牛は無事

2016年9月22日木曜日

【動画】北海道・大雪山系で紅葉が始まっています。ロープウェーでも行ける黒岳の5合目では、今月末にも見頃を迎えるそうです。(省) — 朝日新聞 映像報道部 / 「ことし 暑さ 彼岸からふたたび」 ← 暑さ寒さも彼岸まで、とはならないみたい。


(画像) 世界よ、これが足立区だ ← ・・・・・(無言)

ついに10月4日から秋の若冲展! 京都市美術館で「生誕300年 若冲の京都 KYOTOの若冲」がはじまります。優れた作品を生み出した若冲独自の世界観と京都の関係性を中心に名品を紹介します。— ミュージアムカフェ【公式】



ケヴィン・スペイシーが猫になるコメディ「メン・イン・キャット」公開 — 映画ナタリー / 今度は猫にゃん!映画『メン・イン・キャット』日本公開決定 — シネマズ by 松竹



「うさぎ追いし 山極勝三郎物語」 本編映像 — 映画.com

社説:黒田日銀の転換 あの約束は何だったか - 毎日新聞 ; 無謀な実験は失敗に終わったということだ。・・・当然、問われるべきは、「2年を念頭に達成」との約束で始めた実験の失敗の責任である。 / 物価上がらず、量的緩和の限界…黒田日銀の誤算(朝日新聞) / 日銀「新たな枠組み」に冷めた見方が多いワケ 一歩踏み込んだ姿勢を見せたが・・・(東洋経済オンライン) ; 現状の金融政策は完全に裏目に出ており、かえって人々を不安にさせている / 黒田総裁はこれまで通りの強気の発言。でも追い込まれた感は否めない。 / 【社説】 中央銀行、途方に暮れるFRBと日銀の金融政策は魔力を失った (WSJ) ; どうしたらいいか分からない、というのが共通のメッセージだ / 日銀は短期決戦から撤退、名称変更のみで事実上テーパリングの見方も / コラム:円安期待なき日銀新スキームの矛盾と限界 / 黒田日銀総裁まさかの「敗北宣言」は、アベノミクス終焉の前兆か / 矛盾する日銀の政策、組織の亀裂浮き彫りに ← 「バズーカ」だの「異次元」だのとハデハデ修飾はなくなったが、反省の色のない、いつものドヤ顔


無謀な実験は失敗に終わったということだ。

 ・・・アベノミクス第一の矢として注目を集めた「量的・質的金融緩和」が始まり約3年半になるが、こうした検証や枠組みの変更が必要になったこと自体、行き詰まりを如実に示している。

 日銀自身は、誤りを認めようとしない。黒田総裁は、政策の限界が枠組みの変更をもたらしたとの見方を、記者会見で強く否定した。

幻の「2年で2%」

(略)

時計の針を2013年4月4日に戻してみよう。

 「2%、2年……」−−。記者会見に臨んだ黒田総裁は、大きく記した「2」が並ぶパネルを自ら手にし、決定したての金融緩和策に自信満々だった。

 従来の日銀との違いとして強調したポイントは主に三つだ。2%の目標達成まで「2年程度」と期限を切って結果を約束したこと。口約束でなく、国債の大量購入という異例の行動を伴わせ、人々に物価上昇を信じ込ませようとしたこと。そして従来のような小出しの追加策を重ねたりしないと言い切ったことだ。

 「2年で2%の物価安定目標を達成するために、現時点で必要な措置は全て決定した」と総裁は胸を張った。同じ時期に日銀入りした岩田規久男副総裁は、2年で2%を達成できない場合、辞任するとまで宣言していた。後に「説明責任を果たすことが先決というのが真意だった」と撤回したが、日銀がお金の量を本気で増やしさえすれば、2%の目標は達成できるというのが、当時の約束だった。

 結果はそうならなかった。

(略)

市場をゆがめた責任

(略)

当然、問われるべきは、「2年を念頭に達成」との約束で始めた実験の失敗の責任である。

 日銀のもとには、将来値下がりの恐れがある国債や投資信託といった資産が450兆円以上も積み上がった。今後も当分の間、増加を続けるだろう。円という通貨の信用にかかわる問題だ。

 日銀による大量購入に依存し、ゆがみきった国債市場を、将来どうやって正常化するかという難題も待ち受ける。物価の上昇率が持続して2%を超えるようになれば、日銀は段階的に国債の購入額を減らしていかねばならない。

 だが、日銀という巨大な買い手が市場から手を引こうとした途端、価格が急落し、長期金利は急上昇しかねない。それを回避しようとすれば、国債購入をいつまでも止められず、バブルや景気の過熱を招く恐れがある。極めて難易度の高い出口戦略を求められよう。

 将来に重大な問題を残した異次元緩和策の責任は、日銀だけにあるのではない。アベノミクスの第一の矢に頼った政府の責任も問われる





日本銀行はマネーの量を操作目標としてきた金融政策から、長短の金利差(イールドカーブ)を操作目標とする枠組み(イールドカーブ・コントロール)に転換した。枠組みの名称は変更したものの、これまでの短期決戦からの撤退であり、事実上のテーパリング(国債買い入れの縮小)との見方も出ている。