2024年7月27日土曜日

ガザで起きていることはヨーロッパの死であると語るジジェクの動画

【2024年米大統領選】 ハリス氏とトランプ氏、支持率ほぼ並ぶ=WSJ調査(7/27) / 接戦4州でハリスとトランプは互角(Foxニュース有権者調査7/26)

大杉栄とその時代年表(204) 1896(明治29)年8月1日~31日 一葉、医師より最早全く望みは無いと宣告される 『読売新聞』が「一葉女史病に臥す」を報じる 宮沢賢治生まれる 第2次伊藤内閣総辞職 陸羽地震(マグニチュード7.2、死者209、負傷779)    

 

秋田県仙北郡美郷町「千屋断層」(天然記念物)

大杉栄とその時代年表(203) 1896(明治29)年7月22日~27日 7月22日の一葉日記(2)一葉日記の最後の日 緑雨来訪 「めざまし草」同人に勧誘されても断るよう説得 子規、「松蘿玉液」で図を描いてベースボールを説明 より続く

1896(明治29)年

8月1日

梁啓超(主筆)・黄遵憲ら、「時事報」発刊(68号)。梁啓超の寄稿文「変法通議」などを通じて、前近代的な科挙を改めて学校制度を起こすことを説くが、やがて発行禁止となる。

8月

伊藤内閣と自由党の提携、断絶。伊藤が板垣のライバル大隈重信(進歩党)を入閣させようとしたため。

伊藤はあくまで「挙国一致」内閣構想を追及し、自由党との提携に満足せず、第10議会を乗り切る為、薩派及び進歩党(この年3月改進党を中心に5会派が合同、議員100名)の支持を得るべく、陸奥外相・渡辺国武蔵相辞任を機会として、夫々の後任に大隈・松方起用を考え、閣議に諮る。板垣は、進歩党の与党化が自由党の内閣に対する影響力を低下させることを怖れ、大隈入閣に反対。他方、薩派と進歩党は相互に連携し、あくまで松方・大隈の同時入閣を主張。自由党との提携を放棄しない限り、松方・大隈入閣の実現が不可能となり、伊藤は辞任を決意

8月

佐々城信子に逃げられた国木田独歩、アメリカ行きを決意し、この月、京都の内田鑑三に面会。理想とは異なる内田に接し、「恋女房の逃亡、貧窮、ヨシヨシ何事にも耐えん」「断乎文学界に突入せんと欲す」と日記に書く。月末、東京に戻り民友社復帰を希望するが、社主徳富蘇峰は許さず。9月初、独歩は山路愛山の近く、渋谷村の借家に弟収二と共に住む。

8月初め

一葉は容易に診察を受けようとしなかったが、日記も書けない容態になって、8月初め、山龍堂病院(神田区小川町40)で診察を受ける。

孤蝶によると、妹邦子が夏にもかかわらず一葉に「袷(あわせ)と袷羽織を着せ、抱へるやうにして」病院に連れて行き、病院長樫村清徳の診察を受ける。一葉を控室に戻して病状を聞くと、「最早全く望みは無いと宣告された。邦子君は落胆の余り少時身動きも出来なかった。手巾を目にあてゝ帰ると、一葉君は『何うしたのか』怪み問うた。邦子君は『今彼方で何か燻されたので、烟が眼に入って、痛いのだ』と答えた」という(『一葉全集の末に』)。

この頃、一葉、「智徳会雑誌」に寄稿を依頼され、執筆できず、和歌8首を寄せる。

8月1日

日本郵船、北米航路を開設。

8月1日

子規、『早稲田文学』の子規選「名所雑詠」で漱石の句を一句選ぶ。


尼寺や芥子ほろほろと普門品


8月1日

桃水は、一葉宅に来客が多いと聞き、飯田町の自家の二階に移って静養することを勧める手紙を一葉に出す。一葉の返事は不明。

8月2日

一葉、樋口勘次郎と友人としての交際復活。かつて依頼していた巌谷小波の昔話を教科書体にする作業を再度請われる。

8月3日

清、山東巡撫、東湍事件に関して上奏。根本的理由は教民(キリスト教徒)による農民の圧迫にある、とする。

8月3日

一葉に長井行より「大倭心」への寄稿催促。5日にも。

8月5日

子規の新体詩「父の墓」、時評「文学」(7回、『日本人』~11月20日)。

「父の墓」(竹の里人)は、須磨の保養院を出て、ひと夏松山で静養した際に父隼太常尚の墓に詣でたときの感慨


父の御墓に詣でんと

末広町に来て見れば

鉄軌寺内をよこぎりて

墓場に近く滊車走る。

石塔倒れ花萎む

露の小道の奥深く

小笹まじりの草の中に

荒れて御墓ぞ立ちたまふ。


学問はまだ成らざるに

病魔はげしく我を攻む。

書(ふみ)を抛(なげう)ち門を閉ぢ

一年半ばは褥(じよく)に臥す。

何事も過去に成らざりき。

未来も成ることなかるべし。(・・・・・)

わが去る後は、草むらの

人より高く生ひ茂り

御墓隠さん。さりながら

そを刈る人もなかるべし。(・・・・・)

父上許したまひてよ。

われは不孝の子なりけり。

8月5日

日本郵船「三池丸」、米国へ向けて初出航

8月6日

フランスがマダガスカルの植民地化を宣言

8月8日

禿木が手紙で新作の代わりに「うつせみ」を文学界に再掲することを依頼。24日、再掲見合わせとなる。

8月10日

独、リリエンタール(48)、没。

8月12日

石阪昌孝、群馬県知事となる。

8月17日

文部省、満6歳未満の就学を厳禁する訓令

8月17日

カナダ・クロンダイクで金脈が発見される。クロンダイク・ゴールドラッシュの幕開け。

8月18日

一葉に、泉谷氏一より「智徳会雑誌」第31号に和歌を寄せたことの礼と、一部献上される

8月19日

御史の宗伯魯、黄河治水実態暴露の上奏文。決壊の惨状・その原因を述べる。

①公金「侵蝕」(使い込み)。②「河工委員(河川工事監督委員)」、「夫頭(人夫総括現場責任者)」、「料販(工事資材を売る商人)」の結託。③減水期のやっつけ工事。決壊個所の虚偽報告。④巡回防備の手抜き。

8月19日

『読売新聞』が「一葉女史病に臥す」を報じる。

8月19日

フィリピン、秘密結社カティプーナンの存在が発覚。

8月23日

伊藤博文首相、辞表提出。

30日、榎本武揚農商務相を除く全閣僚、辞表提出。

31日、枢密院議長黒田清隆に首相臨時兼任を命じ、伊藤博文首相・板垣退助内相・渡辺国武蔵相を除く閣僚辞表を却下。

8月24日

(露暦8/12)ロシア、ナジェジュタ・クルプスカヤ、ストライキのかどで逮捕。シベリアでレーニンと合流。

8月26日

朝鮮、スイス系ロシア人J・ブリンナー、韓国国境全域(鴨緑江河口~豆満江)の森林伐採権獲得。但し、有効期限5年で、1901年9月までに「朝鮮木商会社」を設立して事業を始めなければ権利消滅との条件。資金集めに失敗し1897年5月、この権利を売りに出す。

8月27日

宮沢賢治、誕生。岩手県稗貫郡花巻町(現花巻市)。父政次郎(22)と母イチ(19)の長男。家業は祖父喜助開店の質・古着商。

8月27日

イギリス・ザンジバル戦争

8月30日

フィリピン革命。ボニファシオの率いる秘密結社カティプーナン部隊、武装蜂起。サン・ファン・デル・モンテ弾薬庫襲撃。ルソン8州に戒厳令公布。内部の主導権争い激化。

31日、アギナルドをはじめカビテ州カティプーナン派地主勢力、蜂起。

9月上旬までに州内の植民地権力を打倒。

8月31日

第2次伊藤内閣総辞職

8月31日

陸羽地震。マグニチュード7.2。に、秋田・岩手県境にある真昼山地の直下で発生した逆断層型の内陸直下型地震(大陸プレート内地震)。

震源は10kmより浅く、震源地付近で震度6、一部では震度7の揺れと推定。被害は、横手盆地の内部と東側の山地に集中し、仙北郡の千屋・長信田・畑屋・飯詰・六郷などの集落では、全戸数の7割以上が全半壊した。全体では、死者209人、負傷者779人、家屋全壊5,792戸、半壊3,045戸、山崩れ9,899箇所。

約2か月半前の6月15日に発生した明治三陸地震の影響を受け、その震源域および余震域から離れた地域で発生した誘発地震と考えられている。


つづく


バンス氏「子供の数だけ親に投票権追加を」 過去発言がまた波紋(毎日) / JDヴァンス 「カマラ・ハリスのような出産経験のない女性は、惨めな人生を送っている『変わり者』で、アメリカにとって直接的な利害を産まない」(cat lady=変わり者と訳しましたが、ニュアンスとしてはもっと侮辱要素含みます。) / トランプが指名した副大統領候補のJ.D. ヴァンスは『ヒルビリー・エレジー』の作者 ; 「その後のヴァンスの変貌ぶりにはかなり失望していた。今回VP候補になったのは驚かないが、失望は絶望に変化した」(渡辺由佳里) / Netflix『ヒルビリー・エレジー 郷愁の哀歌』予告編 / (JDヴァンス)ハイオ州の上院議員に共和党から立候補するに当たって、これまでの反トランプ的な発言を謝罪し、ツイートを撤回 / 世界的ベストセラー作家がトランプ派に寝返って大勝利(ニューズウィーク日本版2022年5月9日 ) / 貧しい白人を描いた『ヒルビリー・エレジー』は、本当に「トランプ支持者の物語」なのか(藤崎剛人 21.02.18) / 2017.12.27「ヒルビリー・エレジー的言説がどうしても必要だった理由」(中山俊宏) /     

ハリス氏、トランプ氏との違い明確化 有力な教員連盟の支持獲得(ロイター) / ハリス旋風がSNS席巻、「不人気」覆す勢い保てるか 若い世代連帯(朝日) / 自分は強盗や詐欺師、ペテン師を相手にする検察官だったから、ドナルド・トランプがどんなタイプか知っている、というカマラ・ハリス氏 / ハリス氏、トランプ氏をリード - 世論調査、2ポイント(共同) / ハリス氏とトランプ氏 支持率「きっ抗」全米対象 最新世論調査(NHK) / ハリウッドが一転して前のめり、大物が相次ぎハリス氏の「後ろ盾」に(ブルームバーグ) / ハリス氏に米産業界から期待の声 ソロス氏ら支援表明(日経) / ハリス氏、素早い「次の一手」 大口献金者の支持固め(ウォール・ストリート・ジャーナル日本版) / 黒人女性4万人超がハリス氏支援で結集、3時間で2億円の寄付集まる(Bloomberg) / ハリス氏、演説し大統領選へ事実上始動 1日間の献金「史上最高額」(朝日) / 米民主党がカマラ・ハリス副大統領を大統領候補に選べば、歴史的な賭けに出ることになるだろう。それは黒人女性が、人種差別や性差別、そして政治家としての自身の失策を克服し、共和党のドナルド・トランプ氏を破ることができるという賭けだ(ロイター)  

 



 

2024年7月26日金曜日

大杉栄とその時代年表(203) 1896(明治29)年7月22日~27日 7月22日の一葉日記(2)一葉日記の最後の日 緑雨来訪 「めざまし草」同人に勧誘されても断るよう説得 子規、「松蘿玉液」で図を描いてベースボールを説明

 

正岡子規「松蘿玉液」(7月27日)より

大杉栄とその時代年表(202) 1896(明治29)年7月20日~22日 7月20日の一葉日記(2)三木竹二・幸田露伴来訪 7月22日の一葉日記(1)一葉日記の最後の日 緑雨来訪 「めざまし草」同人に勧誘されても断るよう説得 より続く

1896(明治29)年

7月22日 

7月22日の一葉日記(2)一葉日記の最後の日

現代語訳

(二十二日の夜更けに緑雨氏来訪。

「露伴と三木竹二がお訪ねしたとのこと、また『めざまし草』への寄稿を承諾なきったと聞いたが、本当ですか」

と問われる。

「いや、はっきり決めた訳でもありません。私はご存知のように遅筆なので、いつの何号にとはっきり言ったのではありません。もし書けたら、その時にと言ったのです。いつになるやら全くあてのないことです」

と言うと、

「いや、お書きになる、ならないはさておいて、ただ『めざまし草』に必ず書くと約束されたかどうか、そこをお聞きしたいのです。書けたら出そうというお言葉は、その辺の新聞屋から頼まれた時もおっしゃるお言葉でしょうから、そんな無声任なものでなく、はっきり言われたのですか」

と、詰めよってくる。

「そうおっしゃっても、こうしかお答え出来ません。責任論がどうのこうのと、そんなむずかしい事は知らない私ですから」

と、ただ微笑んでいると、

「私が今夜お訪ねしたのは、ここにむずかしい意味があるのです。これは秘密に属する事なので、あなたのお気持ちをはっきりお聞きしてから申しあげるべきか、まず申しあげてからご決心のほどをお聞きすべきか、どうしようかと迷っているのです。

わが『めざまし草』で、あなたの作品をほしいというのは、実際の作品というのではなくて、お名前を私たちの仲間に入れたいのです。『めざまし草』の同人であることのご承諾を願っているのです。もとは、わが『めざまし草』は一出版社の計画に過ぎないとは言っても、実はそうではないのです。鴎外、露伴、および私の連帯責任で起こした雑誌です。しかもお互いに夫々肉体も考え方も違った人間の連合体です。万事に何かと一致しないで、これまでにも波風がしばしば起こったのです。私も露伴も、ともすれば退去しょうとする様子が折々見えるので、鴎外の苦痛は充分推察出来るのです。世間の人は言うのです、『めざまし辛』の廃刊は間近であろうと。これは嘘ではないのです。露伴は、春陽堂の『新小説』の編集者であり、尾崎紅葉はかりに『めざまし草』に名前だけを貸したとしても、本来は硯友社を根拠として雑誌『雪月花』の発刊を計画している。そこで森兄弟は驚き慌てて急遽、森田思軒や依田学海を説いて『めざまし草』の社員を依頼するに至ったので、私としても傍観できなくなったのです。そんな見苦しい有様まで演じて、今更世間体を飾る必要があろうか。わが社はわが社の者の力にょって立つべきです。もし私の考えが入れられないならば、私もやむをえない、涙をふるってこの『めざまし草』を見棄てるほかはないのです。私はこの『めざまし草』をはなれたら、たとえ三号でつぶれようとも必ず一つの雑誌を創刊しようと思っているのです。今こうして崩壊し姶めたのを、どんなにしても引き戻す方法もなかろうが、他から人を入れる勇気があるのなら、あんな老朽の人を集めて何になるというのでしょう。門を開くというのなら新しい人にこそ開くべきだと私は言ったのです。では新しい人にはどんな人がいるのかと鴎外が言ったので、私はその時あなたのことを言ったのです。しかしこれは窮余の一策で、私の本当の志ではなかったのです。一昨日、三木竹二が露伴を訪ねてどんな話をしたのかは知らないが、その後で一緒にあなたをお訪ねしたのです。そして昨日、私のところへはっきりした報告があったのです。樋口一葉がいよいよ『めざまし草』の一員となることを承諾した、合作小説の相談もまとまった、というものです。私はひどくおかしいと思ったが、それ程はっきりした報告なら、もしかしたらご承諾されたのかと思ったのです 。

このことはすべて秘密のことです。あなたは絶対に世間に漏らすことはしない人だと知っておりますので、何の心配もなくこうしてお話するのです。隠さずに本当のことを言えば、あなたの承諾の一語で、『めざまし草』の利害は大体悪い方に向かうのです。そしてあなたの利害も同様に悪い方に向かうのです。私はつくづくと文壇の様子を見ますと、泉鏡花の評判が絶頂に適したとき、私が初めて一撃を加えてからその名声が急に落ちて、泉鏡花の存在は消えてしまったのでした。あなたの此の頃のご様子は既に全盛の頂上と思われますのに、今もし、わが『めざまし草』に入会ということにでもなったら、文壇からの憎しみを一身にお受けになって、あなたへの非難はそれこそ大変なことでしょう。わが『めざまし草』の人々にしても同じ事です。あなたの『たけくらべ』を賞賛してからというものは、『早稲田文学』などが我々に冷評を加えることは、毎月毎月ますます激しくなり、私があなたをお訪ねしたと聞くと、どうだ黒焼きは本家へ行って求めることが出来たかなどいう批評がまことにやかましい程です。こんどあなたが『めざまし草』に入社されたとなったら、ますますこういう噂がひどくなって、思いもかけない事から、つまらぬことで悪名まで立てられることになるかもしれないのです。とにかく入社は見合わせられた方がよろしいのではないかと、私は思うのです。しかしこれは、邪魔をしてでもお止めしょうというのではないのです。ただ、あなたのために、また私のために、心の底をうち割って申し上げるまでのことです」

と繰り返し繰り返し、このことを言うのでした。この男の心の中は、いくらかは理解出来ない私でもないのです。しかし、どうして今さら世間の評判など)

7月22日

信濃川の堤防各所が決壊、被災面積18000haに及ぶ(横田切れ)

7月23日

この日付「朝日新聞」の「台湾近事(五日発) 在台北九江生」の記事、統治の拙劣さが、良民をも土匪に走らせていること、民衆反乱はシナ大陸の援助を受けていることを指摘。

台湾総督府条例公布とともに、樺山資紀(海軍大将)は総督を辞任、29年6月、第3師団長桂太郎陸軍中将が後任に発令。しかし桂は、6月下旬、台湾視察の伊藤博文首相らと共に内地に帰還し任地に行かず、台湾の抗日武装攻撃に現地で対処できず。統治の拙劣さを衝いた現地通信を受け、「朝日」は名古屋の師団長官舎にいる桂総督と会い、「ゲリラ鎮圧について総督府内の文武官に意見の対立が激化している最中に、総督が名古屋に安眠して土匪の驚くに足らざるを壮語しているのは納得できない」と紙面で批判。結局、桂は5ヶ月で辞任。

7月24日

島田三郎(43)、横浜・港座での横浜停車場問題演説会で演説。

7月25日

西園寺・陸奥の援助を受け、竹越与三郎が雑誌「世界之日本」創刊。~1900年3月2日(通巻94号)。

7月25日

『文藝倶楽部』第2巻第9編臨時増刊海嘯義捐小説に随筆「ほとゝぎす」を寄稿。

7月27日

子規、「松蘿玉液」で図を描いてベースボールを説明する(7月19日、23日と続く3回目)

ベースボール(正岡子規)(青空文庫)

「ベースボールに要するもの は凡そ千坪許りの平坦なる地面(芝生ならば猶善し)皮にて包みたる小球(ボール)(直径二寸許りにして中は護謨、糸の類にて充実したるもの)投者(ピッチャー)が投げたる球を打つべき木の棒(バット)(長さ四尺許りにして先の方稍々太く手にて持つ処稍々細きもの)一尺四方許りの荒布にて坐蒲団の如く拵えたる基(ベース)三個本基(ホームベース)及投者(ピッチャー)の位置に置くべき鉄板様の物一個宛、攫者(キャッチャー)の後方に張りて球を遮るべき網(高さ一間半、幅二三間位)競技者十八人(九人宛敵味方に分るるもの)審判者一人、幹事一人(勝負を記すもの)等なり」


つづく


ネタニヤフ氏がトランプ氏私邸を訪問、「もしトラ」で関係修復狙う(朝日) / ネタニヤフ、アメリカ合衆国議会で、イスラエルがラファで民間人を一人も殺していないと言ってる(子ども、赤ん坊までもがハマス戦闘員ということか!) / カマラ・ハリス副大統領やペロシ下院議長を含む多くの民主党議員がネタニヤフ首相の議会演説をボイコット / カマラ・ハリスはネタニヤフに対して〈子どもたちの遺体や絶望的に飢えた人々が逃げ惑う姿。こうした悲劇を前に、我々は目をそらすわけにはいかない。苦しみに無感覚になることは許されないし、私は黙ってはいない〉 / 握手を求むネタニヤフを無視してあからさまな不機嫌な顔で立ち去るトランプ / 女優スーザン・サランドンが国会議事堂の前で演説 / バーニー・サンダース演説  

佐渡金山、現場展示で日韓合意 世界遺産委で朝鮮人労働の歴史表明へ(朝日 有料記事)

2024年7月25日木曜日

感染者急増で“11波”へ…新型コロナの新たな変異株「KP.3」 感染力強く、喉の痛みや発熱症状 一部の薬が不足も(FNN) / 新型コロナの薬代は高価 「家で寝て治しなさい」では食い止めるのが困難との指摘も 「爆発的」新型コロナ感染者急増(MRO北陸放送)

大杉栄とその時代年表(202) 1896(明治29)年7月20日~22日 7月20日の一葉日記(2)三木竹二・幸田露伴来訪 7月22日の一葉日記(1)一葉日記の最後の日 緑雨来訪 「めざまし草」同人に勧誘されても断るよう説得

 

齋藤緑雨

大杉栄とその時代年表(201) 1896(明治29)年7月19日~20日 子規のコラム「ベースボール」 7月20日の一葉日記(1) 三木竹二・幸田露伴来訪 本音は「めざまし草」同人勧誘 より続く

1896(明治29)年

7月20日

7月20日の一葉日記(2)


露伴は、しばしなりを静めて、おもむろにいふ。「場処などの事も御心にかなひたるこそよけれ。知り給はぬ処にては、情うつらずしてをかしみ少なし。西洋の事は鴎外君うけもち、田舎のことはそれがし書くといふ体ならば、実景実情まのあたりにうかぶべし。いかやうにも御心ずみのするやう仰せられよ。もとこれ仮の遊戯なれば、書きはじめて後、おもしろからずば半ばにして筆をなげうつ、誰れかは妨げん。しかも御互ひつひえのたつべき事にもあらわは」といふ。

「我れ等一同君に迫りて、我が『めさまし』に無理やりの筆をとらし参らすやう、おぼし給はんか知り候はねど、こと更にさる心得あるにもあらず。同じき業に遊ぶ身の、文のたのしみを相たがひに別(わか)ちもし、知らざるはとひ、ききしれるは教へて、ともに進まばとおもふのみなり。天明のむかし横谷(よこや)宗(そう)みん----の両人(ふたり)、当代の名人、南関といはれぬるこの人々のむつまじかりしこと、一つの額を二人の刀してつくりしもの、其ころの美談として伝へられぬ。もとより人に特異の点あれば、同じ額を二人してつくる、明かに変りし処ありしなるべし。されども、そをは人笑はんものか。引かへ、用なきひぢを張りて、『何がし筆とる以上は、我れ何かは』といふやうの事あらは、そは区域いと狭くるしく成りて、進歩の道のさまたげなるべし。今、君と我れ等と相ともに提携して世に出んか、『文士の交りはかゝる物』と、世人迷夢(めいむ)やゝはれつ、志しあるものは胸壁をつくらずして、おのづから悠々の交りなるべしと思ふ。さまざまはゞかり給ふ事多からめど、此義なれば」とやうやうとくに、「何かは、さる処存にも侯はず。余りに筆のをさなくて、御かたがたと一つ舞台にのらんこと、いと心苦しければぞ」といふ。「さらば用なき遠慮にこそおはせ。我れも鴎外ぬしもいかでか卒業の身なるべき。ともに修業の道にあるもの、出来不出来そは時によるべし。今のわかさにさる弱き事にて成るべきか。うき世は長し。まだ百篇二百篇の出来そこねこしらへ出るとも、取かへしのつく時は多かるを、一生に一つよき物出来なば、それにて事は終るべし。弱き事おほせられな」ととき聞かさる。」

(露件氏は暫く黙っていたが、やがて静かに話し出す。

「場所などもお気に召した所がよい。知らない所では情が乗らないので面白味が少ない。西洋のことは鴎外君が受け持ち、田舎のことは私が書くという形をとるなら、その実際の情景がありのままに浮かぶでしょう。どのようにでも納得するまでおっしゃって下さい。もともとこれは仮の遊びですから、書き始めた後でも面白くなかったら、途中で止めてしまっても、誰も文句を云う人はいないのです。しかもお互に費用がかゝるものでもないのだからね。また、我々一同があなたに強用して、わが『めざまし草』に、無理矢理に筆を執らせようとしているかのように思われるか知りませんが、今更そんな考えなど全くありません。同じ仕事に携わる者同志が、文学の楽しみを互いに分け合い、知らない事は聞き、知っている事は教えて、一緒に進もうと思うだけです。昔、江戸時代、天明年間に、横谷宗珉と□□□口の二人は当代の彫金の両名人と言われた人だが、この二人の仲がよかったことは、一つの額を二人の刀で彫ったという当時の美談として伝えられている。勿論、人にはそれぞれ違った所があるのだから、同じ額を二人で作るからは、明らかに違ったところがあっただろう。しかし、それを人は笑うでしょうか。それに引きかえ、無駄な意地を張って、あの人が書くなら私は書かないというような事があっては、自分の世界がますます狭くなって進歩の妨げとなるでしょう。今、あなたと我々とが力を合わせて世に出ると、作家の交際とはこういうものだと、世間の人たちの迷いの夢は晴れるでしょう。志のある人たちは、心に垣根を作ることなく、自然と自由な交際をすることになるだろうと思うのです。色々と気を遣われることも多いでしょうが、こういう訳ですから、どうかご諒承いただきたい」

と話される。

「私は何も特に気を遣っていることもありません。余りにも幼稚な文章なので、お歴々と同じ舞台に登ることは大変心苦しいのです」

と言う。

「それは全く無用のご遠慮です。私も鴎外君も、どうして文学の道を卒業したなどと言えましょうか。あなたと同じように修業中の者です。出来不出来はその時々によるのです。あなたの今の若さで、そんな弱い事でどうしますか。人生は長いのです。まだ百編や二百編の失敗作を出しても、取り返しのできる機会は多いのです。一生に一つの立派な作品が出来れば、それで事をなし終えたと言えるでしょう。弱いことを言ってはいけません」と、説き聞かされたのでした。)


「此合作出来あがる後までは、世にもらし給ふ事なかれ。うるさき取ざた聞くもあきたり。こしらへあげたる後、『めざまし』の別冊として出すもよく、書(しよ)てんにおくるも時の都合なり。きらずは、各自の間におきて、世に出さぬもまた自由ぞ。すべて打くつろぎたる事こそよけれ」といふ。

「こはいと長く物がたりき。このあら筋立ちもせば、又こそ参らめ」とて立あがる。かたれる事三時間に過ぬ。「これより鴎外君がもとを訪ふ」とて、三木君ともども、家を出らる。いまだ十間ならじとおも

ふに、大雨(おほあめ)車軸を流すが如く降りくる。

以上、七月二十一日午前のうちしたゝむ。」

(「この合作は、出来上がるまでは世間には漏らさないで下さい。うるさい噂はもう聞き飽いたのです。完成したあとで、『めざまし草』の別冊として出版するのもよいし、書店に出すのもその時の都合です。または各自の間に磨いたままで世間に発表しないでおくというのも自由です。すべて気楽に考えるのが一番よいのです」

と言う。

「これはまた随分と長く話しこんだものです。この荒筋が出来たら、またお訪ねしましょう」

と言って立ちあがる。話すこと三時間以上に及んだ。これから鴎外氏を訪ねるのだと言って、露伴氏も三木氏も一緒に家を出られる。まだ十間も歩かれないだろうと思うころに、大雨が車軸を流すように降り出す。

以上は七月二十一日の午前中に書き記す。)

7月21日

山陽鉄道会社、はじめて通学定期を発行

7月21日

日清通商航海条約、調印。10月20日批准書交換、発効。

7月22日

巌谷小波(27)、川田綾子に求婚。長兄が小波が文士であるという理由で拒絶。紅葉「金色夜叉」のモチーフ。

7月22日

樋口一葉の日記、この日で途切れる。

4月頃から病気が進行、この月には定期的に39度の発熱。

このあと、8月上旬、診察を受けるが手遅れと言われ、10月森鴎外の紹介で名医青山胤通の往診を受けるが絶望を告げられる。


「二十二日の夜、ふけて正大夫来る。「露伴および三木竹二参上したりし由。『めざまし草』への寄稿御承諾相成しよしにきけるほ誠か」と間はる。「いさ、取とめたる事にもあらず。例の遅筆なれは、『いつの何号には』など、さだかに申つるにもあらず、『もし書出らるゝことあらは、其折に』と申つる也。いつの事ならん。いとおぼつかなき業」といへば、「いな、書き給ふ、書き給はぬにもかゝはらず。唯『めざまし』に物かならず書き給ふといふけい約遊ばされしにや、其ほど承り参らせ度(たき)なり。『書かれたらはさし出さん』といふ御言の葉は、そこらの新聞やより物たのみに出たる時もおほせらるゝ御ことの葉なるぺければ、さる無責任のものならで、いと明らかに」と問ひ寄る。「さりとも、此外にはこたへ参らする様もなし。責任論のいとむづかしきことは、えしり侍らぬ身なれば」と、たゞほゝゑみてあるに、「我が今宵参りつるは、こゝにいと六(む)つかしき意義のあるあり。こは事(こと)秘密に属すなるを、君が御心さだかに承りて、さて其後にや聞ゆべき、まづ聞えおきて御決心のほどうながすべきか、いかにせん」打たゆたふ。

「我が『めざまし』にて御作得まはしといへるは、御作の事にはあらで、御名を我が方たらしめたき也。『めざまし草』の一員たる事をうけがはれ度を願ふなり。もと我が『めざまし』、一書肆(ほんや)の企てに過ずといふといヘども、内実はしからず、鴎外・露伴および我れ連帯責任をもって起しつる雑誌なり。しかれども、共々筋骨ひとしからぬ人々の連合なり。ことごとに一致せずして、此間(このあいだ)に風波しぱしばおこりつ。我れも露伴も、ともすれば退き去らんの有さま、折々にみゆるなれば、鴎外が痛苦真におもふべき也。世人いへらく、『めざまし草の落城近きにあり』と。此こと真に偽りならず。露伴は、春陽堂より『新小説』の編輯人として立顕(たちあら)はれ、よしや名のみなかしたるにもせよ、紅葉は硯友社を根拠としてF雪月花』のはたあげをなさんの結構あり。森兄弟驚愕、はせて森田思軒、依田学海を誘説し、『めざまし』の社員たる事を依頼するにいたりしかは、我れたるものいかで傍観するにしのびんや。さる見ぐるしき有様を演じて、今更他見(たけん)をかざらんものか。我が社は我が社の人によりてこそ。もし我が説入れられずとならば、我れもやむなし。涙をふるひて此『めざまし草』みすてざるべからず。我れこれをはなるゝとならば、よし三号にしてつぶれんまでも、かならず一雑誌創立には及ぶべし。今かく崩れ初たるを、いかさまにと引かへすべきよしもなけれど、他(はた)より人をいるゝほどの勇気あらば、さる老朽の士を蒐拾する、何事かあらん。『開門とあらは、新らしき人をこそ』と我れはいひき。『さて、其あたらしきにいかなる人かある』と鴎外いひにしかば、我れはその時、君がこと申つるなり。されども、事窮策にて、まことに我が志しにはあらざりき。一昨日三木竹二、露伴がもとをとひて、いかなる談話(ものがたり)をなしたりけん、相たづさえて君がもとをとひつ。さて昨日我がもとに明白の報知は有き。『樋口一葉いよいよめざましの一員たる事承諾あり。合作の事も相談とゝのひぬ』と申(まうし)こせり。我れは頗るあやしき事におもへりしも、さるさだかなる報なれば、もし御承諾なりつるか、ともおもひつるなり。

此事すべて秘みつに属す。君に世にもらし給はぬをしれば、はゞかりなくかくはかたる。つゝみなき誠をいはゞ君が承諾の一語につきて、『めざまし』の利害大かたならぬなり。はた又、君が利害も大かたならぬ事とおもふ。我れつらつら世のさまをみるに、泉鏡花の評判絶頂に達せし時、われはじめて一げきを加へつるより、名声とみに落て、又泉鏡花あるなし、といふさまに及べり。君がけふ此頃の有さま、すでに全盛の頂上ぞとおぼゆるに、今もしわが『めざまし』に入会の事ともならは、世人よりのにくしみを一身におひ給ひて、批難さこそは甚しかるべし。我が『めざまし』の人々とても、しかなり。君が『たけくらべ』賞さんしつるより以来(このかた)、『早稲田』などのわれに冷評(ひやかし)を加ふる事、一月(ひとつき)は一月より甚だしく、我れ君がもとを訪ひたりと聞くより、『いかに、黒やきは本家へ行てもとめ得られしや』などいふ評、いとかしがまし。此際、君の入社せられしとならは、いよいよかゝる沙汰かしましく、思はぬ事より要なき名をも引出づべきに、とかくは入社み合せられたる方(かた)しかるべくや、と余はおもふ。こはさへぎりてとゞめ参らするに非ず。唯、君が為、我が為打わつて申(まうす)までなり」と、くり返しくり返しこの事をいふ。此男が心中いさゝか解(かい)さぬ我れにもあらず。何かは、今更の世評沙汰。」

ここで途切れて、以下の記述はない。一葉は、以降執筆できない状況となる。

(この日の日記の現代語訳は次の記事にて、、、)

つづく



2024年7月24日水曜日

「厳しく問うべきは小池百合子都知事なのに」──ライター武田砂鉄が都知事の“異様な能力”に警鐘を鳴らす 東京都知事選挙は、小池百合子が3選を果たした。ライターの武田砂鉄は、都知事の“異様な能力”に警戒する。なぜか?(GQ) ; 「答えたくないことがたくさんあるからあまり前に出てこない、この状態って当選を決めたからといって許されるわけではないのに、なぜか1位に向けた厳しい報道が減っている」 / 「話が噛みかみ合っているようで噛み合っていない。こうやって、やりとりを空洞化させる。ズレを作って、質問が、自分の身体の奥に刺さらないようにする」   

憲法学者・木村草太×酒井順子 婚姻について学ぶ「家制度の始まりから現在まで。導入される前は夫婦別姓だった」(婦人公論) / 武田砂鉄「73%が賛成する選択的夫婦別姓、政権はいつこの数値を認めるのか」(文化放送) ; 「支持率26%の政権が、国民の73%が賛成している選択的夫婦別姓に対して「賛否が分かれているぞ」と主張する姿を見て...」  

外国人労働者、韓国にごっそり 「時給は500円差」嘆く日本の業者(朝日) / 数年前に韓国が最低賃金を大幅に上げると発表した時、日本の商工会は、将来、韓国は失業者が溢れるようになり経済が破綻するだろうと嘲笑してた。その後、韓国人の一人当たりのGDPは日本を追い越し、名実ともに先進国の仲間入りをしたが、日本は逆に脱落の危機にある。