2017年6月23日金曜日

「6年ぶり賃金増」のウソ 40代、50代の給料は減っている(日刊ゲンダイ);第一生命経済研究所リポート「実は増えてなかった2016年の賃金」 「今年2月に厚労省が発表した賃金構造基本調査を改めて分析したところ、昨年の労働者の所定内給与は前年比0.0%と横ばいにとどまり、中でも大企業の働き盛りの男性の“賃下げ”が顕著であることが分かったという。」


「広域的に」「限り」を付け加える指示を出したのが本当に山本担当相なら、メモなり文書なりが必ず内閣府に残っている。すぐ出せるはずだ(元文科官僚・寺脇研)

6月22日、萩生田光一官房副長官、野党のヒアリングを拒否




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あす(6/23)、都議選の告示日。安倍首相は午前中から沖縄の慰霊祭に参列した後、企業訪問で神戸に一泊する予定。自民党の都議選候補者たちは、加計ー森友疑惑にまみれた首相に応援に来られては迷惑のようだ。首相と妻の昭恵氏には応援演説を求める声が全くかからない。末期症状。 — ジャーナリスト 田中稔




2017年6月22日木曜日

安倍「一強」の自壊(週刊文春6/22発売); 本日の週刊文春は安倍内閣批判に終始。特集記事末尾には義家の経歴詐称疑惑も。

官邸とネトウヨが文科省の女性課長補佐に卑劣な個人攻撃! 上念司は「内閣府に出向したスパイ」とデマ拡散 (リテラ) ; 官邸および大臣たちが保身から官僚に濡れ衣を着せる...ネトウヨの情報源になっている評論家とやらは、事実関係もまったく把握せず堂々とデマを流している...


 (略)

 官邸および大臣たちが保身から官僚に濡れ衣を着せる──。極悪非道としか言いようがないが、案の定、ネット上ではネトウヨたちが官邸の詭弁に乗り、この専門教育課課長補佐である女性官僚の、名前や顔写真をさらし拡散。その上で個人攻撃を繰り広げている。
「課長補佐は同席もしていないのに勝手に捏造して文書をつくった」「妄想作文。願望小説の類と判明」「内乱罪で死刑にしよう」

 面談の場に同席しておらずとも、上司から指示がなければ、官僚がこんな文書をわざわざ作成して共有などするわけがない。だが、そうした常識もわからないネトウヨたちは、挙げ句、この課長補佐が大学時代に韓国へ留学していたという情報から「××××(実際は実名)は朝鮮工作員」などと騒ぎ立てているのである。

 だが、呆れたことに、ネトウヨの情報源になっている評論家とやらは、事実関係もまったく把握せず堂々とデマを流している。放送圧力団体の「放送法遵守を求める視聴者の会」呼びかけ人である経済評論家・上念司氏だ。

 上念氏は19日放送のラジオ番組『おはよう寺ちゃん 活動中』(文化放送)に出演した際、こんな発言を行っている。

 (略)

 つまり、上念氏は、性別も年次も所属もまったくちがう、内閣府の男性職員と文科省の専門教育課課長補佐を同一人物だと思い込んでいるのである。しかも、これまで数多くのネトウヨデマの発信源となってきたバイラルメディア「netgeek」の記事でも上念氏と同じ誤った記述がなされており、上念氏はこの記事を18日に拡散している。ようするに、ネトウヨのデマにまんまと乗って、ラジオで個人攻撃を垂れ流していたのだ。

 (略)

72年前の今日。1945年6月22日の朝,呉軍港空襲。162機のB29が合計1289発の爆弾を投下。「この世界の片隅に」の晴美は,この空襲で投下された時限爆弾によって亡くなった。ニューラルネットワークによる自動色付け。

鏑木清方 《墨田河舟遊》 (国立近代美術館所蔵作品展MOMATコレクション 2017-06-20)

鏑木清方(1878-1972)
《墨田河舟遊》
1914 大正3年(第8回文展2等)
絹本彩色
 挿絵画家でもあった清方ですが、本作品は文展の出品作として六曲一双の大画面に挑んだもの。
江戸時代後期の隅田川の舟遊びの情景が描かれています。
右隻に描かれた屋形船の中では女達によって人形舞の宴が開かれており、向かって左手の屋根舟には旗本の若侍と歌妓が遊んでいます。
船頭の操る竹竿の方向や風をはらんだ衣の表現が川面を滑る船の動きを暗示し、賑やかな江戸庶民の風俗描写にさらに活気を添えています。



▼上流階級の女たちによる人形舞の宴

▼「吉野(丸)」は隅田川の花火見物を描いた浮世絵に登場する定番の屋形船。
船内では歌舞音曲などが催されるが、ここでは人形舞の真っ最中。


▼ひとまわり小さな屋形船では、旗本若侍・歌妓の舟遊び
この男女の関係は微妙な雰囲気が・・・


▼船頭たち

関連顔記事
鏑木清方 《三遊亭円朝像》 (重文) (国立近代美術館所蔵作品展MOMATコレクション 2016-12-08)




本当の敵は高齢者ではなく“雇用を破壊した人たち”?(藤田孝典 毎日新聞) ; 「団塊ジュニアが結婚、出産適齢期に当たった90年代後半に労働市場の自由化が始まり、企業は派遣労働や非正規雇用を増やしました。賃金は下がり、本来なら結婚して家庭を持ち、子供を作るはずの世代に第三次ベビーブームが起きませんでした。」


【「内閣府はメモをとりません」 またウソがバレた】(動画あり) 山本太郎議員「内閣府の人、この中に何人いるんですか?取ってるでしょ、メモ。絵をかいてるわけじゃないでしょ?」


2017年6月21日水曜日

会見で食い下がった東京新聞記者 菅官房長官を動揺させた突破の質問力 〈AERA6月26日号〉 / (Youtube)加計疑惑 菅官房長官を問い詰める記者望月衣塑子さん 池田香代子の世界を変える100人の働き人


籠池氏、せっかく寄付頂いたのに学校できなくなったので、寄付金100万円を返却するため安倍晋三邸と昭恵経営の居酒屋UZUに出かける(ツイキャス実況) / トカゲの尻尾切りをした、安倍記念小学校「共犯者」への憤怒は収まらないのだろう / 白紙を挟んだダミーの100万円と本物の100万円と二つ持っていたらしい。


























加計孝太郎理事長は、自民党岡山県自治振興支部の代表者だった。会計責任者も加計学園の理事を務めた人物。支部の事務所は加計学園系列校の住所と同じ。電話番号も加計学園系列校のものと同じ。テレ東ゆうがたサテライトが報じる









読売新聞 “加計問題”報道で意見2000件(週刊文春6/22発売);“出会い系バー”報道を巡り、社内のチェック機関である「適正報道委員会」の審査を通していなかったことや、渡辺恒雄主筆への取材とあわせ、揺れる読売新聞の内情を詳報



安倍チルドレン「豊田真由子」代議士の“絶叫暴行”を秘書が告発(週刊新潮6/22発売);「殴る蹴るハンガーで叩くといった暴行は断続的に行われ、男性には「顔面打撲傷」「左上腕挫傷」等の診断書が出されている。…「私は彼女から『鉄パイプでお前の頭を砕いてやろうか!』『お前の娘にも危害が及ぶ』とも告げられていました。」」 / 河村元官房長官「たまたま彼女が女性だからこうしたことになっているが、あんな男の代議士はいっぱいいる」←WAO!水かけたつもりがガソリン…(自民党パワハラ政党自認) / 雲隠れしていたあの中川俊直代議士が話題に。お詫び行脚とか。         








































検閲否定する憲法21条「強力な保障」(国連特別報告者デービッド・ケイ氏) (『朝日新聞』2017-06-14)

検閲否定する憲法21条「強力な保障」
国連特別報告者 デービッド・ケイ氏

(略)

 ケイ氏は日本国憲法21条が「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」 「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」と定めていることについて、「とても強力な保障だ」と高く評価した。特に、検閲を明確に否定した部分の重要性を指摘した。

(略)

 ・・・ケイ氏は「21条にいかなる修正も加えるべきではないと強く訴えたい。例外規定を設け出すと、その例外規定の持つ性質により、時とともに、例外規定がそのルールや保障をのみ込んでしまう」と指摘した。

(略)

『朝日新聞』2017-06-14




【この夏】佐川理財局長が国税庁長官に出世するらしい・・ (週刊現代7月1日号);森友8億円値引きの決裁権者として暗躍した迫田は国税庁長官に出世し、それをうまくごまかし続けた佐川理財局長も後任として出世する。その人事権者は安倍官邸の萩生田...

【官邸+官邸記者クラブ演出の安倍記者会見】安倍首相の印象操作-記者会見で黒ファイルを見るタイミング (渡辺輝人)

2017年6月20日火曜日

文科省職員「...職員をスケープゴートにして官邸や内閣府を守るのも限界だ」「調査するたびに職員の責任になる。ここまで来たら第三者委員会に客観的に調査してもらうべき」 / 『クロ現』報道“総理の圧力文書“への安倍官邸の反撃が酷い!「文科省の謀略」の陰謀論、萩生田に松野、義家が謝罪の茶番 (リテラ) / 文科省の現役職員「松野(文科)大臣は文科省の職員を切り捨てた」





*
*

(略)

 しかし、安倍政権はそれでも、このスクープを「文科省の陰謀によってつくられたデマ文書」として押し通すつもりらしい。

 発言の当事者である萩生田官房副長官が本日、こうした発言の事実を全面否定したうえ、〈不確かな情報を混在させて作った個人メモ〉〈不正確なものが作成され、加えて、意図的に外部に流されたことについて非常に理解に苦しむとともに、強い憤りを感じております〉〈いったい誰が何のために作った文章なのか?〉〈私の名前が、難しい政策課題について、省内の調整を進めるために使われているとすれば、極めて遺憾〉などといった、文科省を攻撃する反論文を公開したのだ。

 しかも、夕方になって、松野博一文科相、義家弘介文科副大臣が、萩生田副長官に謝罪したことを相次いで明らかにした。

 松野文科相は萩生田副長官に電話で謝罪したことを明かし、「副長官はじめ、省外の皆さんにご迷惑をおかけした」「今回は職員が備忘録として作ったもので、タイトルとメモの内容が正確性の面においては著しく欠いていた」などと語った。

 義家副大臣も官邸を訪れ萩生田副長官に謝罪。「一部で萩生田副長官の名前を出して、ことにあたる傾向があったのではないか。ご迷惑をおかけしたことをおわび申し上げた」と説明した。

(略)




















東京 皇居東御苑の花菖蒲と紫陽花 2017-06-20

6月20日、はれ。
今日は花菖蒲の見納めに久しぶりに皇居東御苑へ。

東京駅から徒歩で皇居へ、
皇居は大手門から入り北桔橋門から出て、
国立近代美術館へ(別記事にて)。

▼二の丸庭園の花菖蒲
もう殆ど終盤




▼モミジと石垣
紅葉時期には絶好撮影ポイント

▼富士見多聞周辺の紫陽花

▼天守台うらの紫陽花


▼平川濠畔の紫陽花

▼東京駅前
暫く来てないので驚いた。
ゆったりと広くていいね。

自由民権運動伝える「雨岳文庫」 「人民主権」湘南社を学ぶ 願った理念 日本国憲法に脈々と (『朝日新聞』神奈川の記憶2017-06-10



【神秘】宝塚市上空に「火の鳥」現れる、奇跡的な光景に驚き ; 手塚治虫氏が育った兵庫県宝塚市で目撃された、「火の鳥」のような幻想的な雲。驚きと感動の声が寄せられています。

加計疑惑の「しくじり先生」 菅官房長官の命運 二階幹事長らが”麻生詣で”...(週刊朝日6月30日号)




森友学園に家宅捜索 なぜ国会閉会のタイミングで強制捜査? / 籠池氏 「安倍首相 昭恵夫人の力強い引っ張りと指導力で国有地の方も進んでいったし今幕引きをしようとしているところが解せない」 (特捜部が記者を外に出させようとすると)篭池氏「全てオープンで、国策捜査やからね」 「首相の(夕方の)会見の後やるのは、安倍首相らしい方法」 / フジ「とくダネ」で森友学園への強制捜査。伊藤惇夫氏「仮に(補助金詐取が)立件されるとすれば、そんな怪しい学校法人がなぜ格安で土地を入手できたのか、ということになる」 / 郷原信郎「森友の方を強制捜査した以上、財務局関係とか今回の本筋を捜査しないと、安倍政権に肩入れする方向での捜査をしたと言われかねない」   

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2017年6月19日月曜日

NHK『クローズアップ現代』(6/19)。動画(Dailymotion)あり。独自に入手した加計学園の”新文書”について 文科省OBで加計学園理事の奥田氏のメール 昨年10/21の萩生田官房副長官の発言概要レジュメ。文科省の態度を「腰が引けている」と非難し、「官邸は絶対やると言っている」「総理は平成30年4月開学とおしりを切っていた」と  / 文部科学省現役職員「これは安倍総理が関係する総理マターである」 / 萩生田にはBBQ虚偽答弁の申し開きもあるだろうし、ま、このままでは済まないね / 自社の報道記者が掴んだ政権直撃の渾身の大スクープを定時ニュース全く取り扱わない朝のNHK / 特ダネを取った社会部を封じ込もうと、政治部があがきにあがいた様子が明らか...     

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▼社会部と政治部














泥棒にも響いた伯父の正義感 河上肇のおい 河上荘吾さん(88) (『朝日新聞』2017-06-14)

泥棒にも響いた伯父の正義感
      河上肇のおい 河上荘吾さん(88)

(略)

 終戦から3年後、我が家に、泥棒が入りました。
朝、荒らされたことに気づき、片づけていると、小さな紙切れを発見しました。
「(略)河上博士の生家だと気が付いたから盗(と)らない」
と書かれていました。
肇が貧しい者の味方だと知っていたのではないか、と思います。
戦後、多くの人が肇に好意を持ってくれていることに気づきました。

『朝日新聞』2017-06-14

関連過去記事
書評『現代貧乏物語』橋本健二著 ; 「河上肇は当時最先端の経済学者ですが、単に研究成果を発表するためにこの本を書いたのではなく、『貧困は悪』ということを人々に理解させ、世を動かし、貧困を根絶しようとした。」 「貧困を克服するためにまず必要なことは『貧困はあってはならない』という合意の形成。『機会の平等』論、『自己責任』論など格差拡大を正当化する考え方を論破し、最低賃金の引き上げ、富裕層への課税強化を提案する。」(中日新聞12/11)

明治38年(1905)10月1日 「文科大学学生生活」(著者XY生=正宗白鳥、今古堂書店)発行 漱石と柳村(上田敏) 『社会主義評論』(河上肇 「読売新聞」連載)と河上肇の煩悶

河上肇「貧乏物語」100年 : 読売新聞 ; 「なぜ、100年前の著作が“熱い”ままなのか」 「生存はできても、社会的生活を送れない貧困層を科学的分析に基づいて明らかにした河上の指摘は残念ながら今も“新しい”というわけだ。」 / 安倍晋三「デフレでない状況 景気回復できてる」 「世界の真ん中で輝く日本を」 ← どこに目が付いてんのか? / 消費不振の長期化(15ケ月連続減少);「その大きな要因の一つには賃金の伸び悩みがある」

京都 哲学の道を通って法然院へ 河上肇さんのお墓に参る 2016-01-01

京都 法然院 河上肇夫妻の墓









加計学園の獣医学部新設はどれほど馬鹿げているのか、系列大学の偏差値や四国の実態から考えてみた | BUZZAP!(バザップ!)

「加計学園問題 逃げ切りを許すな! お友達は優遇、邪魔者は排除 厚顔の安倍官邸に異議あり」(サンデー毎日7月2日号 20日発売)

安倍会見(6/19)。「絶対」と言いかけて飲み込む。『(共謀罪)一般の方が処罰の対象になることは“ぜっ”....処罰の対象となることはない。』 / 「反省するときに人の悪口を言うとか、人のせいにしちゃいけないと思うんですよ」 / 安倍首相「加計調査で二転三転、不信招いた」(朝日) / 首相会見の質問は官邸クラブ幹事社(毎日新聞とTBS)に続きロイター、NHK、日経、あと一人(社名聞き取れず)…安倍首相の答えはすべて原稿読み上げ。これなら官邸から答弁用の原稿をもらったほうがメディアとしては効率的ですね。会見中継後、それを真顔で「解説」するNHK岩田記者 / 次回の内閣支持率調査で国民の民度が試される。こんな記者会見で支持率上がったら、もう日本国民の民度はどうしようもないレベルまできているという事。何一つ説明になってないのだから





















2017年6月18日日曜日

2週連続の家族飲み 今日は焼き鳥で 2017-06-17

6月17日(土)
2週連続の家族飲み。
先週の家族飲みの際、今度たまには焼き鳥で一杯やりたいなと希望したところ、次男から、じゃ善は急げで、来週どう?、父の日もあるので勘定は自分が持つから、という逆提案がでた。
そりゃチョー嬉しいね、じゃ決まり!、と即決した。

多分、殆ど2年ぶりくらいかな、このお店。
家族連れも多く満席。やっぱり予約、必要だな。

料理もお酒もバッチリ、ワタクシ好みで大満足のひとときであった。

帰りに、自宅のすぐ近くに最近できた、カフェのような飲み屋のようなイタリア料理屋のようなお店に立ち寄った(写真はなし)。










明治39年(1906)9月 夏目漱石(39)、「草枕」(「新小説」)発表。舞台とモデル(前田つな子)などについて

鎌倉 寿福寺
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明治39年(1906)9月
・漱石(39)、「草枕」(「新小説」)。  
「草枕」の発表は、改めて夏目漱石の存在を世に強く印象づけた。

■舞台とモデル(前田つな子)
この作品は、30歳の画家と、旅先の温泉宿の美しい出戻りの娘との出逢いが土台になっていた。画家と娘の間に起るのは、人生についての悟りの競争のような心理劇であった。漱石はこの心理劇を、禅問答めいた画、俳句、外国小説、宗教等についての対話で飾り、また娘のもとの夫、戦争に出かける青年、僧侶、理髪師などを配して、美的教養主義による人生苦の脱出方法を説いているように見えた。

小説の舞台、那古井という温泉は、房州あたりであるかのように描かれていた。しかし漱石が使った舞台は、明治30年彼が熊本の第五高等学校に勤めた当時、遊びに行ったことのある小天(おあま)温泉であった。女主人公那美は、その温泉の所有者であった政客前田案山子の長女前田つな子であった。

小天温泉は熊本市の西北3里半のところにある有明海に面した温い土地であった。
漱石が松山中学校から五高に転任し、中根鏡子と結婚したのは、明治29年。この30年の正月休みに、漱石(数え31歳)は五高の同僚で第一高等中学時代からの親しい友人であった山川信次郎と一緒にそこへ湯治に行った。

前田案山子は熊本県の玉名郷の区長をしていた郷士で、槍の名手であった。池辺吉十郎等と親交があり、中江兆民とも交流があった。
小天の温泉宿は、もとは彼自身の隠居所として、また政友たちを招待する時に役立てようとして建てたものであったが、空いている時は客を泊めた。五高の教師たちは恰好の行楽地として時々ここへ出かけていた。山川信次郎は前田父娘と親しい交際をしていて、漱石を連れて行った。

前田つな子は前田案山子の2人の娘のうちの長女で、この時漱石と同年の31歳であった。婚家から戻って、このとき父とその隠居所にいた。
漱石と山川がそこに泊っているある夜更け、2人が湯に入っていた。そのときつな子は女湯がぬるくなっていたので、人がいないと思って男湯に入りかけた。すると湯の奥の方で、2人のくすくす笑う声がしたので、あわててそこを飛び出した。
つな子はしっかりした男まさりの女で、時によっては長い話をしはじめて、仲々漱石を離さぬこともあり、その性格は漱石の心に残っていた。

漱石はこの年6月頃にも、再び同僚の狩野亨吉、山川信次郎、奥太一郎等と小天へ遊びに行っている。
そして、9年後の明治39年、漱石は「草枕」を書くに当って、その温泉とこの女性とを材料に使った。

「草枕」発表のとき、モデルの前田つな子は東京に住んでいた。
彼女は漱石と知り合った後、再びある軍人と結婚したが、その結婚にも失敗して、今後は養老院の世話人にでもなって生きようと思って、上京していた。ところがつな子は、孫文一派の中国の亡命政治家たちのグループである民報社に入って、その人々を世話することになった。それは彼女の妹宮崎つち子の縁によるものであった。

妹のつち子は、父と同郷人である熊本県玉名郡荒尾村の宮崎寅蔵(号は滔天)と結婚した。寅蔵の父長蔵は幕末の頃剣士として知られた人間で、寅蔵の長兄真郷は、西南戦争で戦死していた。
寅蔵は、明治20年、数え年18歳の頃から、兄の弥蔵とともに中国革命運動に心を傾けた。その思想は、世界の現状の不合理を改めるには先ず中国の革命を実行して、その力で世界を理想的に改革するのか一番自然であり、かつ可能性に富んでいる、ということにあった。滔天はその考によって先ずシャムに渡航して開拓事業をし、次いで孫文を日本に迎えて、その革命の援助をした。彼は全く家庭を省みず、妻のもとに幼児の龍介と震作の2人を残し、常に海外と日本との往復に日を送った。

つち子は貧窮の中にあって、時には子供たちを実家に預け、時には荒尾村の家庭に夫と孫文を迎えて何を食わせるべきか途方に暮れるような生活を続けた。
孫文の革命運動は二回にわたって失敗し、滔天は方途に窮して、桃中軒雲右衛門の弟子となり、浪花節語りとして、各地を歩きまわっていた。そういう生活をしてもやっぱり革命の資金は出来ず、家庭に仕送りすることもできなかった。

明治38年1月、つち子は貧窮の果て、荒尾村にもいられなくなり、3人の子供を連れて上京し、東京市外の新宿番衆町に家を借りて住んでいた。その年8月、再び孫文がイギリスから日本にやって来て横浜に住んだが、その番衆町の宮崎の家を彼は自分の東京の事務所として、そこで中国の若い学生たちに逢ったり、ピストルの製造家と相談したりしていた。
前田つな子はこの妹の仕事を手伝うことになった。

明治39年9月のある日、彼女の知っている五高出身の東大生たちがやって来て、夏目先生があなたのことや小天のことを小説に書いていると言ったので、つな子は神楽坂の本屋で「新小説」を買って「草枕」を読んだ。
青磁の鉢に羊羹を入れて出したことや、床の間に若冲の絵を懸けてあったことや、彼女の父が漱石を茶に招いたことや、家の様子など、彼女が漱石に逢った時のことが、そのまま描かれてあった。
湯の場面は、漱石一人のところに彼女が入って行ったように描かれてあったのは工合が悪かった。
女主人公はたしかに自分らしいが、それがかなり派手な存在に描かれていた。つな子が、これでは困ると思ったのは、村の人たちが彼女や母親を気が変だったと言っているように書かれていることであった。

しかしつな子はそれに関して抗議はしなかった。
つな子はたしかに変った所のある女性であった。孫文一派の革命家たちが、ある日新しい国旗を作る相談をしているのを彼女は聞いた。革命家たちは貧しく布の工面がつかぬようだった。つな子は、その大きさや色を考えていたが、ふと自分の荷物から新しい腰巻を出してやって、「この腰巻はまだ一度締めたばかりだから、これでも使ったらどう」と言って、それで国旗を作らせた。こんなことをする自分の気持ちが夏目さんに見抜かれてあんな風に誌かれたのだ、と彼女は思った。
(以上、伊藤整『日本文壇史』より)

「草枕」那美のモデルに関しては、彼女をよりポジティブに描いた評伝がある。
「『草枕』の那美と辛亥革命」(安住恭子 白水社)












読み始めたもののまだ読了していないので、以下に本書の「はじめに」の一部を紹介しておく。(読み易くするため、段落、改行を勝手に施した)

はじめに
一人の女性について書きたいと思っている。
前田卓(つな)。明治元年六月十七日に、熊本県玉名郡小天村(現玉名市天水町小天)に生まれ、昭和十三年九月六日に東京で亡くなった女である。戸籍名はツナ。明治時代の流行で漢字を当て、子を付けて卓子とも称したし、「つな」や「つな子」と書くこともあった。墓には前田卓と刻まれている。
日本の近代の夜明けとともに生まれ、明治、大正、昭和と生きた。
表舞台で華々しく活躍したわけではない。多くの女性と同じように、その時代を懸命に生き、働き、死んでいった市井の人だ。それでも歴史の表にわずかに顔を出す。一つは、夏目漱石の小説『草枕』のヒロイン那美のモデルとして、もう一つは、孫文や黄興ら中国の革命家たちが日本でつくった「中国革命同盟会」(通称「中国同盟会」)を支援した女性として。

わずかに残る足跡がその二つであることに興味をもった。
この二つの点と点の間に何があるのだろう。前脚卓の生涯を追いたいと思った。亡くなってからすでに七十年。関係者もほとんど残っていないし、彼女が書いた手紙も日記も何も残っていない。
けれども、わずかに残る手がかりから浮かび上がる前田卓は、キラキラと輝いている。
制度的にも社会常識的にも女性が男性の付属物とみなされた時代に、自由と平等を当たり前のこととし、傷つきながらも平然とそれを貫いた女だったからだ。

(略)








すごいコピーだな…  「漱石にあきたら・・・」って

『報道特集』。内田樹氏の考察。共謀罪成立で、市民が市民を監視する社会が到来した…と。・・・警察が令状を取らずに監視するといった事は監視社会で起きる一部で、本当に怖いのは市民による市民の密告。/ ここ数年の国会は、審議は無意味という印象を国民に植え付けている。立法府不要と全身で訴えており、野党が反対しても内閣が決めた法律は必ず通る。立法府不要論が出るのは時間の問題で、そこに向かおうとしている。「法の執行機関と制定機関が同一である統治形態は独裁」と。    










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