2015年3月31日火曜日

古賀茂明氏だけじゃない TVから消えた反安倍コメンテーターたち 面倒を嫌う風潮で強まる自粛ムード この春の番組改編で、民放各社の報道・情報番組のコメンテーターから、安倍政権に批判的な論客は静かにほぼ一掃された(日刊ゲンダイ)

「我が軍」 「言論のの自由」 ・・・ 透けるものは (『朝日新聞』2015-03-29)

「我が軍」 「言論のの自由」 ・・・ 透けるものは (『朝日新聞』2015-03-29)

 自衛隊を「我が軍」と表現した安倍晋三首相。これに限らず、戦後日本の政治が守ってきた「一線」を越えるような発言が目立つ。長谷部恭男・早稲田大教授と、杉田敦・法政大教授の連続対談は今回、一連の言葉から見える政治的な志向や思惑、そうした政権の姿勢がもたらす問題点について語り合ってもらった。

発言で攻撃 「自由すぎる首相」 長谷部
野党もメディアも反応に鈍さ 杉田

杉田敦・法政大教授 耳を疑うような首相の発言が相次いでいます。

長谷部恭男・早稲田大教授 自衛隊を「我が軍」と。菅官房長官も「自衛隊も軍隊の一つ」と追認しました。自衛隊は戦力には当たらないというのが、戦後日本の一貫した「建前」です。戦前・戦中の軍による国政専断の可能性を断ち切り、人々が自由に生きる空間を切り開いたことこそが、憲法9条の意義です。

杉田 近年、「建前」は空虚な「見かけ」として否定的にとらえられることが多く、軽んじられていま
す。しかし「建前」には、原則とか基本方針という意味もあり、重要です。物事は原則通りにはいかないが、だからといって原則が不要とはならない。原則を立てておかないと大きく道を踏み外してしまいます。

長谷部 「日教組!」という答弁席からのヤジもなかなかです。首相の品格も国会の品位も関係ないと。「自由すぎる首相」です。

杉田 行政を監視する役割をもつ国会で、首相と質問者の関係は口頭試問を受ける受験生と面接官のようなもの。受験生が面接官にヤジを飛ばすことは、ヤジの内容が事実か、事実誤認かという以前に、試験自体を否定する行為であり許されません。首相のヤジは、国会への侮辱と言ってもいい。なぜ不信任決議の話すら出ないのか。「自由すぎる首相」のもと、野党もメディアも「首相たるもの」「内閣と国会の関係とは」という根本を見失っているのではないでしょうか。

長谷部 国会議員の国会での発言については、憲法で免責特権が認められています。全国民の代表として幅広く自由に議論を展開する必要があるからです。しかし、国務大臣は免責されないというのが憲法学界の通説です。国務大臣は政策遂行について説明責任を果たすために国会で答弁するのであって、一議員と同じ立場で自由に発言することは到底認められません。

杉田 安倍さんは昨年、衆院解散を表明した当日に民放ニュース番組に出演し、街頭インタビューについて、偏っているという趣旨の発言をしました。これを国会でただされると「言論の自由だ」と。しかし、一般市民の意見に首相が反論することが人権なのか。それこそ市民の言論の自由を萎縮させかねません。

長谷部 反論はしてもいいと思います。ただしそれは、言論の自由の問題ではない。あくまでも説明責任を果たす観点から行われるべきで、ましてや番組の編集権への攻撃という形でなされるべきではありません。放送法第1条には「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」とある。何が不偏不党かは、あくまでも各放送局が自律的に判断するという趣旨です。

戦後日本の「建前」を損と認識 杉田
議論省いたトップダウン目標 長谷部

杉田 政府与党は、情報の発信力において圧倒的に有利な立場にある。ゆえにメディアも含めて、ある程度、政府与党に対抗的であることが全体としての公平性につながる。政府側と、それに対する論評に機械的に同じ時間を割り振ることが「不偏不党」だというのは、実は偏った議論です。

長谷部 編集の自律は、そうであるように見えるという「見かけ」もとても重要です。外部の人間が編集に実際に介入するのは論外ですが、首相が番組の編集に文句をつけたり、与党が「公平中立」を放送局に要求したりすること自体が、編集の自律の「見かけ」を壊す。そのリスクの大きさ
を、安倍さんは理解していないようです。

杉田 一方、新聞には、不偏不党という要求は法的にはされていませんね。

長谷部 すべてのマスメディアに法律でもって倫理を要求すると、権力が濫用するリスクがある。だからあえて人為的に放送と新聞を切り分け、放送には政治的公平性や論点の多角的解明を要請する。一方、新聞には旗幟(きし)を鮮明にして、自由闊達な言論活動を遂行してもらう。そうして全体として多様性を確保することを狙っていると思います。

杉田 それぞれが「正しい」と思うことを発信し、議論したりせめぎ合ったりする中で公正性や公平性は形成されます。でも、安倍さんをはじめトップダウン型の国家を志向する人たちはおそらく、なぜそんな面倒なことをするのかと思っている。効率が悪いと。

長谷部 メディアを含めた社会全体がトップダウン型の効率的な企業体になるべきだと。

杉田 加えて、安倍さんの言動のベースには、メディアや野党に不当に攻撃されているという「被害者意識」があるようですね。「首相たるものメディアや野党の批判も甘んじて受けねば」などという「建前」に準じていても損だと。しかもそこが、一部の有権者の感覚とも共振している。戦後日本の「建前」に沿って過去の歴史を反省していたら、近隣諸国につけこまれ、日本は損をしている。本音を表に出すべきだと。

長谷部 だから戦後日本の「建前」を凝縮したかのような村山談話や河野談話はいやだ、本音ベースの70年談話を、という思考の道筋になるのでしょう。

タガ外せば歯止め失う 長谷部
「未来志向」は現実逃避 杉田

杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。

長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。

杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。

長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。し
かし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。

杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。

長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりところが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。     
=敬称略
(構成・高橋純子)

京都桜リアルタイム写真速報を更新しました。 岡崎疏水、白川疏水の桜。 / インクラインの桜。— 京都プレス || 地域密着型情報サイト


「官邸のものすごいバッシング」を否定したそばから放送法を持ち出すのは、まさに「語るに落ちる」のではないか。報ステの古賀氏発言に、菅長官「事実無根」(日テレNEWS24)— 佐藤 圭 / この男も結局はバカなんだな。言わなくてもいいことを言って墓穴掘る。政府高官が自分らへの批判についての反論で放送法ってワードを口にした瞬間、事実上の圧力になるのだから— フジヤマガイチ


日テレ
報ステの古賀氏発言に、菅長官「事実無根」
< 2015年3月30日 19:37 >

テレビ朝日のニュース番組で、元経済産業省官僚の古賀茂明氏が「菅官房長官のバッシングを受けてきた」などと発言したことについて、菅長官は30日、「事実無根だ」と反論した。

古賀氏は先週27日、テレビ朝日の「報道ステーション」に出演した際、「菅官房長官をはじめ、官邸のものすごいバッシングを受けてきた」などと発言した。テレビ朝日広報部は、「古賀さんの個人的意見や事実に基づかないコメントがなされたことについて、遺憾に思っております。結果として番組に一部混乱が見られたことについて視聴者のみなさまにおわびいたします」とコメントしている。

古賀氏の発言に、菅長官は次のように反論した。

菅長官「全く事実無根であって、言論の自由、表現の自由は極めて大事だと思っていますが、事実に全く反するコメントを公共の電波を使った報道として極めて不適切だと思っています」

菅長官はまた、「放送法という法律があるので、まずテレビ局がどのような対応をするかしばらく見守っていきたい」と述べた。




橋下市長また敗訴 大阪市職員組合アンケート「違法」 大阪地裁が賠償命令 (産経) 

産経 2015.3.30 16:43
橋下市長また敗訴 大阪市職員組合アンケート「違法」 大阪地裁が賠償命令

平成24年に大阪市の橋下徹市長の意向で実施された組合活動に関する職員アンケートをめぐり、職員ら59人が市に約2千万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が30日、大阪地裁であった。中垣内(なかがいと)健治裁判長は、22項目の質問内容のうち5項目に憲法上の団結権やプライバシー権の侵害があり違法と判断。市に計約35万円を支払うよう命じた。

アンケートは橋下市長が労組による「政治活動」を問題視したのを受け実施。今年1月にも同様の訴訟で5労組と職員29人が勝訴し、市が控訴している。

中垣内裁判長は判決理由で、当時は労組の違法行為が次々に明らかとなるような状態でなく、アンケートを実施する必要性に乏しかったと指摘。回答を義務付けるなどした手法も「相当性を欠く」とした上で、組合加入の有無などを5項目の質問内容を違法と結論づけた。賠償額は1人あたり6千円とした。

判決によると、アンケートは24年2月、約3万4千人の職員を対象に記名式で行われた。橋下市長は職員に回答を義務付け、正確に回答しない場合は処分対象になり得るとしていた。

大阪市は「判決の詳細を精査した上で対応を検討する」としている。

首相また「我が軍」と発言、「我が自衛隊」と言い直す (TBS) / なにか危ない発言をして批判されると、必ず「言葉じりをとらえて議論するのはいかがか」と開き直るのも「安倍話法」の特徴。「言葉じり」ではない。言葉の使い方が問題なのだ。(鈴木耕)

TBS
首相また「我が軍」と発言、「我が自衛隊」と言い直す

安倍総理は20日の国会審議で自衛隊のことを「我が軍」と発言し、野党側の一部が批判していますが、30日の国会でも自衛隊を「我が軍」と発言し、すぐに「我が自衛隊」と言い直す場面がありました。

「なぜ国際法上ですね、わが国の自衛隊が軍として取り扱われているかということについては、例えば交戦状況になって、我が軍、我が自衛隊の方はですね、捕虜になった場合ですね、捕虜となった場合ですね、捕虜となった場合は軍人として扱わなければですね、これはまさにテロリストと同じことになってしまうわけでございまして、当然軍として扱われるというのが、これは、建前になっているわけでありまして」(安倍首相)

安倍総理は自衛隊を「我が軍」と発言したことを野党側から国会で繰り返し質問されることについて、「あまり意味のない議論をさんざんやり返すのはもうやめようじゃありませんか。安全保障なら安全保障の政策についてもっと議論すべきだろうと思います」と強調しました。その上で、「こうした答弁によって大切な時間がこんなに使われるのであれば、それはもう、いちいちそういう言葉は私は使いません」と述べました。(30日13:40)

太田光が「爆笑問題の日曜サンデー」で安倍晋三首相を繰り返し批判 (livedoorNEWS) / 太田光が安倍晋三首相にバカ連呼「何で日本を守らないの?あのバカは」

livedoorNEWS太田光
太田光が「爆笑問題の日曜サンデー」で安倍晋三首相を繰り返し批判
2015年3月30日 20時25分

・29日のラジオ番組で、太田光が安倍首相について批判する一幕があった
・普天間飛行場の移設問題に「まず安倍って言うバカ野郎は…」と話し始めた
・「何で日本を守らないの?あのバカは」など「バカ」を連発して批判した

太田光が安倍晋三首相にバカ連呼「何で日本を守らないの?あのバカは」
2015年3月30日 20時25分 トピックニュース

29日放送のラジオ番組「爆笑問題の日曜サンデー」(TBSラジオ)で爆笑問題の太田光が、安倍晋三首相について繰り返し批判する一幕があった。

番組では、前半のニュースコーナーで、1週間の主なニュースを取り上げるのだが、この日は、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設問題を紹介した。

移設問題をめぐっては、翁長雄志(おなが たけし)沖縄県知事が沖縄防衛局に作業の停止を指示するも、林芳正(はやし よしまさ)農林水産大臣が、指示を無効とする「執行停止」を出す構えで、政府と沖縄の間では泥沼化する可能性が高まっていると伝えた。

これに対し太田は、移設作業の停止を求めた沖縄県の主張は完全に正しいとの見解を示したうえで「まず安倍って言うバカ野郎は…」と批判を始めた。

これを聞いた田中は「総理大臣ですから」となだめるも、太田は「総理大臣でもバカはバカでしょ」「私は個人的にバカだと思っていますけど」と“バカ”を連発。

翁長氏の決定を無効にする政府の対応について太田は「(辺野古移設阻止を主張する)翁長さんが県知事になった訳だから、あんたたちは選挙の意味を全部無効にするのか、と捉えられてもしょうがないよね」と不快感を示した。

さらに太田は、翁長氏が安倍政権の閣僚との面会を希望しているにも関わらず、未だに実現していないことについて「翁長さんを無視する中央国会」と批判した。

菅義偉(すが よしひで)官房長官は、国会での予算成立後に「お会いしたい」と話しているが、太田は「そんなのは言い訳、言い逃れに過ぎない。子どもだって分かるし、幼稚すぎるよね」と、痛烈に批判した。

続けて「安倍っていう男のやっていることは、幼稚すぎると思うんだよね。何か自分の都合の悪いことは会いませんみたいなことは、いくらなんでもバカにし過ぎなんじゃないの」と不満げに語った。

勢いが止まらない太田はさらに「国を守りたい。日本を取り戻したいって言うんだったら、沖縄を取り戻せってオレは思う」と力説。「なんで日本を守らないの。沖縄は日本ですよ。何で日本を守らないの?あのバカは」と苛立った様子で批判を続けた。

田中が「ということで。バカは言い過ぎましたけども」と、まとめようとすると太田は「言い過ぎてねえよ!」と、最後まで怒りをぶちまけていた。

2015年3月30日月曜日

東京 牛ヶ淵の桜 2015-03-30

【最新4月2日↓】

3月30日、牛ヶ淵の桜。
九段下の駅から上がってすぐのところ。
ギャラリーがびっしりで写真撮るのも大変。





▼北の丸公園の中から見た牛ヶ淵の桜

東京 牛ヶ淵・清水門周辺の満開の桜 2015-03-31

東京 牛ヶ淵の満開の桜 もうすでに花筏も流れて・・・ 2015-04-02




東京 千鳥ヶ淵の桜 もう殆ど満開 2015-03-30

3月30日、千鳥ヶ淵の桜
ソメイヨシノがもう殆ど満開

▼代官町通りの堤上より







東京 牛ヶ淵・清水門周辺の満開の桜 2015-03-31

東京 江戸城(皇居)東御苑 たくさんの人たちが、満開の桜の下でお花見ランチ中 2015-03-31

東京 北の丸公園の桜 ソメイヨシノ満開 カイドウが開花 八重の遅桜も開花始まる 2015-03-31

東京 北の丸公園側から見た千鳥ヶ淵の満開の桜 夜桜も鑑賞した 2015-03-31




東京 北の丸公園の桜 ソメイヨシノが一挙に満開に近づいた 2015-03-30

【最新3月31日↓】

3月30日、一挙にソメイヨシノが満開に近づいた。

▼田安門

▼中の池

▼よく見ると結婚記念の写真を撮っているような・・・
本物か商業ベースなのか不明だけど・・・



東京 牛ヶ淵・清水門周辺の満開の桜 2015-03-31

東京 江戸城(皇居)東御苑 たくさんの人たちが、満開の桜の下でお花見ランチ中 2015-03-31

東京 北の丸公園の桜 ソメイヨシノ満開 カイドウが開花 八重の遅桜も開花始まる 2015-03-31





東京 桜のある竹橋暮色 ベニシダレ満開 2015-03-30



菅原文太の知性 健全な「まだ知らない」 (高橋源一郎 『朝日新聞』2015-03-26論壇時評) : 「知性」とは、未知のものを受け入れることが可能である状態のことだ。菅原のように、である。

菅原文太の知性 健全な「まだ知らない」 (高橋源一郎 『朝日新聞』2015-03-26論壇時評)

①スタンダールは仏の作家。『赤と黒』(1830年)など。
②映画「仁義なき戦い」(主演・菅原文太)

 高校2年の夏休み、8月6日を広島で過ごそうと、友人と神戸からヒッチハイクをした。5日夜遅く、市内に入り、休むため原爆ドームの中に侵入した。結局眠れぬまま、辺りをうろついていて、子分
を連れた若いヤクザに呼び止められた。
 「なにしとんじゃ?」
 神戸から来た高校生だと答えると、男の表情が緩んだ。わたしたちは近くに腰を下ろし、話をした。男は、慶応の大学院でスタンダール(①)を研究していたが、親が組長でその跡を継ぐために戻った、といった。今日、大きな出入りがある、あんたらが最後の話し相手になるかもしれん、と。明け方近く、わたしたちは別れた。男がしゃべったのはほんとうのことだったのだろうか。そのスタンダールの話は、とても魅力的だったのだが。
 それから6年後、広島のヤクザたちの抗争を、事実をもとに描いた一本の映画が公開された。そのタイトルは「仁義なき戦い」といった(②)。

■     ■

③笠原和夫『シナリオ 仁義なき戦い』(電子書籍、14年刊)

 映画の冒頭、巨大なきのこ雲が映る。舞台は敗戦直後の広島県・呉。焼け跡の中、台頭してきたヤクザたちは、生きるために争う。そこで、彼らは「親(分)」と呼ぶもののために、生命を投げ出すのだが、一方で「親」は、子どもである彼らを単なる金もうけの手段としか見ない。そして悲劇が生まれる。観衆は、そこに、「天皇」と「兵士」や「国民」の関係をも思い浮かべることができた。

 この巧妙なドラマの脚本を書いた笠原和夫は、海軍の若年兵として広島で暮らし、投下された原爆の光ときのこ雲を見た。「仁義なき戦い」シリーズのうち笠原が参加した4本は、高度成長期を描いた「頂上作戦」で完結する(③)。そのラストシーン、主人公が「もう、わしらの時代は終(しま)いで」と呟いた後、第一作のきのこ雲に呼応するかのように原爆ドームが浮かび上がり、ナレーションが流れる。

 「こうして・・・やくざ集団の暴力は市民社会の秩序の中に埋没していった・・・だが、暴力そのものは、いや、人間を暴力にかり立てる様々の社会矛盾は、決して我々の周囲から消え去った訳ではない」

④特集「菅原文太 反骨の肖像」(現代思想4月臨時増刊号)

 雑誌「現代思想」の特集(④)は、先頃亡くなった俳優、菅原文太。「仁義なき戦い」で主人公、広能昌三を演じた。

 菅原は晩年、政治的活動に踏み出し、「行動する知識人」とも見なされるようになった。農業を営みながら、ラジオや雑誌や様々な現場で、夥しい人たちと、社会のあり様について話つづけた。

 東日本大震災直後、わたしは『恋する原発』という小説を書いた。アダルトビデオの監督たちがチャリティーAVを作るという、不謹慎な(?)内容ゆえにか、相手にされることは少なかった。数少ない例外が、菅原からの対談の依頼だった。会って最初の一言が、
 「あんたの小説は面白いが、難しいねえ。説明してくれるかい?」だった。

 対話に際して、菅原の特徴は、まず「知らない」と宣言することだ。

⑤菅原文太と免詐皆伝の達人たち『ほとんど人力』(金子兜太・樋口陽一らと対談、13年刊)

 俳人・金子兜太への最初の一言。
 「俳句はまったくの門外漢でありまして。残念ながら金子さんの俳句も・・・」

 後輩で憲法学著の樋口陽一には、
 「オレは早大法学部中退なんだけど、じっは日本国憲法をよくよく読んだのは今回が初めてなんだ(笑)」(⑤)

⑥佐野衛「菅原文太さんの書店訪問」(現代思想4月臨時増刊号)

 では、菅原は不勉強な人間だったのか。当時、書店「東京堂」に勤めていた佐野衛は、毎回、真剣勝負のようだった、菅原の膨大な注文について書き、こう感想を漏らした(⑥)。
 「このひとはただの読書家ではない。おそらく自分のなかにつねに問題意識をもたれていて、本は読まれるが自分の確認したいことが書いていなければ、その本は意味のない本なのだ」

⑦内田樹・編『日本の反知性主義』(今月刊)
⑧ロラン・バルトは、20世紀の仏の思想家

 「反知性主義」のタイトルを掲げた本が次々と出されている。その中の一つで、内田樹は、こう書いている(⑦)

 「バルト(⑧)によれば、無知とは知識の欠如ではなく、知識に飽和されているせいで未知のものを受け容れることができなくなった状態を言う」

 逆にいうなら、「知性」とは、未知のものを受け入れることが可能である状態のことだ。菅原のように、である。

■     ■

⑨森本あんり『反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体』(今年2月刊)

 森本あんりの『反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体』(⑨)は、「反知性主義」ということばの源流にまで遡り、その本来の意味を考えた。

 「反知性主義には・・・単なる知性への反対というだけでなく、もう少し積極的な意味を含んでいる・・・知性そのものでなくそれに付随する『何か』への反対で、社会の不健全さよりもむしろ健全さを示す指標だったのである」

 そして、森本は「知性と権力の固定的な結びつき」や「知的な特権階級が存在すること」に対する反感が、本来の「反知性主義」が意味するものだとした。

 戦後そのものの映像化であるような「仁義なき戦い」だけではなく、多くの作品で、菅原は、歴史の決定的な瞬間に立ち合う役を演じているが、菅原が演じたのは、森本のいう「本来の反知性主
義」者が多かっだような気がする。

 有名校の秀才から歩み始め、演技という現場から、身体で「知識」を吸収していった。「知識人」になった後の菅原と、俳優・菅原文太との間に齟齬が感じられなかったのは、彼が、演じることを通じて、自然に「知識」を、いや「知性」を身にまとっていったからなのかもしれない。そのことは、実はひどく難しいことなのだった。
*
*

わが町 夜桜鑑賞 2015-03-30

3月30日、帰宅の途次、
自宅近くのマンションで夜桜を鑑賞した。



「25歳でも45歳に見える人はたくさんいる。その反対であることができるようにちょっとずつ前に進みたいと思っている」⇒イチロー41歳、新天地で25歳のプレー目指す — ウォール・ストリート・ジャーナル日本版 / 【写真】イチローの自主トレ風景、神戸の球場は「個人ジム」


2015 年 3 月 30 日 12:46 JST
イチローの自主トレ風景、神戸の球場は「個人ジム」 
米大リーグのニューヨーク・ヤンキースからマイアミ・マーリンズに移籍したイチロー外野手(41)は、今年のオフも古巣オリックスの本拠地、ほっともっとフィールド神戸で自主トレを行った。神戸での自主トレは毎年恒例で、この球場はさながらイチローの個人ジムのようになる。



六甲山を背景にした夙川の桜は地元の僕らですら飽きることはないのだよ。 (ツイッター写真)

世界中に中継された 安倍首相の居眠り、話題に。リー・クアンユー氏の葬儀で。— 宋文洲 / 【これは酷い】安倍首相、リー・クアンユー氏の葬儀で居眠り!?中継で配信される!全世界で「ABE IS SLEEPING」と話題に! new!!


【これは酷い】安倍首相、リー・クアンユー氏の葬儀で居眠り!?中継で配信される!全世界で「ABE IS SLEEPING」と話題に! new!!

クソワロタ  → おまいらは思春期の中学生か。 → 速報:安倍首相は、訪問先のシンガポールで韓国の朴槿恵大統領と短時間言葉を交わしたことを明らかにした。 


朝鮮日報
朴大統領と安倍首相が歓談 韓日中外相会談合意を評価

【シンガポール聯合ニュース】韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は29日、シンガポールで行われたリー・クアンユー初代首相の国葬に参列した後、安倍晋三首相と立ち話をし、21日に開かれた韓国と日本、中国による3カ国外相会談に関し「会談で合意した通り、今後必要な措置を取っていこう」と述べた。これに対し、安倍首相は韓国側が同外相会談を主催したことに謝意を示し、議長国としての役割を果たしたことを評価した。青瓦台(大統領府)の閔庚旭(ミン・ギョンウク)報道官が伝えた。

 約3年ぶりに開かれた外相会談では3カ国の協力関係回復に向け努力することで合意。3カ国首脳会談については「最も早期で都合の良い時期」に開くよう努力することで一致した。

 両首脳が会うのは昨年11月以来、約4カ月ぶり。葬儀前には接触できなかったが、葬儀後のレセプション会場で安倍首相が朴大統領に近づき、歓談したという。

 安倍首相が米紙ワシントン・ポストのインタビューで、旧日本軍の慰安婦問題をめぐり、「人身売買の犠牲者」と表現したことなど、両国の懸案については議論しなかったという。

 一方、朴大統領はレセプション会場で中国の李源潮国家副主席とも歓談した。李副主席は両国が自由貿易協定(FTA)の仮署名を行ったことを評価。中国が主導する国際金融機関「アジアインフラ投資銀行」(AIIB)に韓国が創設メンバーとして参加することに触れ、「今後緊密に協力していこう」と呼びかけた。朴大統領はAIIBに参加することにした背景などを説明した上で、「AIIBの成功のため、しっかりと協議していきたい」と応じた。


【農相、沖縄県指示の効力停止 辺野古、防衛局は作業続行 】(東京新聞)林芳正農相は30日、翁長雄志知事が沖縄防衛局に出した辺野古沿岸部での作業停止指示の効力を一時的に停止すると発表した。 ← 国 vs 県 を農相が裁定? なにそれ? / 沖縄県知事の辺野古作業停止指示、林農相が効力一時停止 (ロイター) / 「法の目的は国民の権利利益の救済であり、今回のケースは国と県という行政機関相互の紛争。国が審査請求することには疑問を覚える」との指摘も →「法の趣旨に沿わない」指摘も / 完璧な出来レース。国の機関(防衛局)の請求を国(農水省)が判断する。


YAHOOニュース
沖縄県知事の辺野古作業停止指示、林農相が効力一時停止
ロイター 3月30日(月)9時29分配信

[東京 30日 ロイター] - 林芳正農林水産相は30日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設をめぐり、翁長雄志沖縄県知事が沖縄防衛局に出した辺野古沖の作業一時停止指示について、効力を一時停止すると発表した。沖縄防衛局は、作業一時停止指示の執行停止を申し立てていた。

同相は「裁決があるまでの間、本件指示の効力を停止する」とする「決定書」をけさ沖縄防衛局に手渡した。沖縄県にも知らせるとしている。これにより、国は作業を停止する必要はなくなった。

また沖縄防衛局が行政不服審査法に基づく審査を請求していることに関し、同相は記者団に「審査請求の期限は定めず、法令に基づき適切に判断する」と述べた。

翁長知事は防衛局が審査請求を行ったことについて、制度は国民が不服を申し立てるもので、国が申し立てることは予定されていない、と主張しているが、この点については、「国にも申立人としての適格が認められると解するのが相当」とした。

会見した枝元真徹水産庁資源管理部長は、工事を停止しなければ、岩礁破砕行為がなされたかどうかの必要な調査ができない、とする沖縄県の主張について、「(作業一時停止指示の)執行停止により調査ができなくなるという関係は必ずしも認められない」と述べた。

また、審査にかかる期間については、沖縄県側に提出を求めている弁明書を見て審査する、と述べるにとどめた。

*内容を追加します。

(梅川崇 宮崎亜巳)




2015年3月29日日曜日

アジア投資銀行、参加ドミノ ブラジル・ロシアに豪州も 朝日:既に韓国も、G8で参加しないのは日米加だけです。米は協力姿勢をみせているなか、中国包囲網がいつの間にか日本包囲網へ。 / 参加表明国が40ヶ国を超え、参加国GDPの合計は世界比率は約45%以上 / 日刊ゲンダイ 加と豪も「中国投資銀」参加へ 稚拙すぎる安倍外交で日本孤立 / 日本と北朝鮮が未参加。AIIBアジアメンバー





辺野古についてのフランス「ル・モンド」紙の記事。 Au Japon, le combat solitaire d’Okinawa(日本、沖縄の孤独な戦い) — 國分功一郎 / 【辺野古】仏紙「ル・モンド」26日〈日本の中の沖縄の孤独な闘い〉 政府の「軽蔑的な現実主義」。「東京の無関心を屈辱的と感じている」 島袋文子さんの声も (琉球新報 29日)



東京 北の丸公園の桜 アカミオオシマ(赤実大島) 2015-03-27



堀田善衛『ゴヤ』(63)「一七九二~九三年・悪夢」(3終) : 「われわれ人間はゴヤとともに何を考えたらいいか。悪夢を見ているのはゴヤではない。 これらの人間狂態に、さらにもう一つ、古典的な集団的大狂態である戦争が加わって来る。」

代官町通り 2015-03-27
*
病患が、断続的に彼を襲いつづけていた
 「一七九三年七月、ゴヤはマドリードへ戻った。七月一一日、アカデミイの会合に出席している。
恢復は比較的順調であったものと思われる。手や足の麻痺も、次第にとれて行った。この年の後半には、版画集『気まぐれ』の準備をし、カンバスにもそろそろと向いはじめている。
けれども、翌年の一七九四年二月に、ホベリァーノスはその日記に、「ゴヤに手紙を書いたが、卒中のために手紙も書けないと答えて来た」としるしている。
また四月には、親友サバテールに、「健康状態はいつも同じだ。時々は自分でも耐えがたくなって激昂することがある。それからまた平静に戻る、いま君に書いているこの瞬間のように。だけどもうくたびれてしまっている」と書く。
病患が、やはり断続的に彼を襲いつづけていたものであろう。」

一つの不幸中の幸は、彼がスペイン人であったということである
 「・・・働きざかりの四七歳にして聾者となったという不幸に際して、一つの不幸中の幸は、彼がスペイン人であったということである。・・・というのは、スペインでは長く・・・若い女性がつき添いなしで外出することや男性と二人だけで話すことを許されていなかったので、恋人たちのうち男の方は、たそがれ時に女の家のパルコンの下に立ち、聾者そっくりの手話法を用いて愛を語ったものであった。・・・
大抵の国では、手話法は聾者同士のあいだでしか通じない。あるいは手話法を学んだ家族か通訳にしか通じないのである。けれどもスペインでは、特に一八世紀、一九世紀には如上のような事情があって、伝統的にほとんどの人々が手話法を知っていた。だから、コミュニケーションに関しては、スペインの聾者は他の国々の聾者よりは比較的に恵まれていたと言えるであろう。」

ゴヤは働かねばならぬ
 「ゴヤは働かねばならぬ。
・・・

自分の病い(ゴヤは複数を用いている)のことを考えてさいなまれる想像力に場所を与えるとともに、また一部は大変な出費を補うために、一連の居室用の絵を描きはじめました。これらの作品のなかで、あの気ままさ(カプリチヨ)と創意(インベンシオン)が羽をのばせない注文画では普通とりえないような見方をすることに成功しました。私はこれらの作品を貴方が先刻御承知のようなすべての目的で、アカデミイに送ろうと考えました。

という手紙をゴヤは、アカデミイ会員であり収集家でもあったベルナルド・イリアルテに、一七九四年一月四日に送っている。・・・」

ゴヤ『山賊 女に短刀を擬す』(部分)1794-95
 「後のカンバスに描かれたもの八枚は、そろってマドリードのデ・ラ・ロマーナ侯爵邸にあり、とりわけて『山賊 女に短刀を擬す』は傑作であり、私は一閃の筆運びで、人間の眼のように、短剣という死んだ物が生きているのをまざまざと見せつけられた。・・・馬車を襲う山賊どものテーマは、以前にもオスーナ公爵家のために一度描かれているものであったが、今回は一段とリアルに、しかも残酷さもひときわ増して、死屍累々である。そうして火事とメデューズ号の難破には、ドラクロアまでが出て来ている。すでにしてドラクロアまでが串刺しにされて、一挙にロマン主義を突き抜けてリアリズムにまで達していると言って過言ではないであろう。また旅役者たちの野外での公演に描かれている、大きなヒゲを生やし大将の軍服をつけて踊っている矮人や仮面のピエロたちにも、もはやタピスリーのカルトン時代の甘美さはない。むしろそこには、スペインの街頭や、野外で演じられている「民衆の気ばらし」というものの、正体のところでの残酷さと醜さの方が正面に出て来ていて、いままでの彼の仕事を見慣れて来た眼には、むしろ辛いものに映るのである。眼をそらしたくなる。」

ゴヤよ、君のなかで何が起ったのか?
 「ゴヤよ、君のなかで何が起ったのか?
と私は問いつづけていたのであったが、ここに蝉が殻を脱ぐようにして、一八世紀的虚飾の一切が脱け落ちて、神も仏もなくして現実を現実として見なければならぬことになる、”近代”というものが姿をあらわしはじめているのである。
われわれはすでに、たとえばエル・グレコなどからははるかに遠いところ、あるいはまったく次元を異にする地平へのとばロに立っているのである。
・・・われわれは何と不幸な場所、あるいは次元へ、ゴヤとともに連れ出されたものであったか、と。
しかしこれらの連作は、何としても「民衆の気ばらし」にはふさわしくない代物である。」

ゴヤ『狂人の囲い場』(部分)1794
 「彼は、彼が用いた新手法、「普通とりえない見方」、「気まま」、と「創意」がどういう反響をアカデミイの同僚からもたらされるものであるかに神経質になり、アカデミイの議事録が「会議の出席者はそれらの作品を見て大いに気に入り、その作品としての価値と彼の実力を讃えた」と記したことを知ると、途端に嬉しくなり、三日後の一月七日にふたたびイリアルテに手紙を書き、彼に謝意を表するとともにアカデミイに親愛の意を表する。そのなかで彼は次のようなことを言う。

もう描きはじめています。それは気狂いの囲い場で、二人が裸で喧嘩をしており、看守がその二人を鞭で叩き、他の連中はサックをかぶっています。私がサラゴーサで実際に見たテーマです。」

第一義的に絵画も彫刻も、一切音のない芸術であった。それは話される、音声としてのことばを必要としない、補われる必要のない芸術である
「ゴヤがこの当時に描いたと前記グディオール氏などによって分類されている『気狂いの囲い場』は、なるほど「二人が裸で喧嘩をしており、看守がその二人を鞭で叩いて」いるところまではその通りなのだが、「他の連中」はポロをまとってはいるが、サック(袋)をかぶったりはしていない‥…・。それに手法的にももっと後期のものではないかと考えられる。・・・」

「しかしここで必要なのは、・・・右から数えて行ってその一三人目の、まんまるい節穴のような目をいっそうまるくして、そうしてこれも顔にあいた円型の穴としての口をひらいて何事かを叫んでいる狂人である。
人間の穴としての目、穴としての口。
このまるい口が叫んでいる狂語は、ゴヤの耳には達しない、またわれわれの耳にも達しない・・・。」

「・・・第一義的に絵画も彫刻も、一切音のない芸術であった。・・・
それは話される、音声としてのことばを必要としない、補われる必要のない芸術である。」

すでにしてこれはリアリズムの極北である
 「しかしここで狂者たちは叫び、取っ組み合いの喧嘩をしている二人の肉体のぶつかり合う音、さらに看守の鞭の音などが聞えて来る。それは現実に聞えて来る。一三人のうち、一番奥の方にいて紙の王冠をかぶり、国王陛下のように両手をさし上げている荘厳な面持ちの人物もまた、何か荘厳なことを言っている。
この一枚を、・・・例の餓鬼どもシリーズの作品と比べてみるとき、聾者になってからの作品の方がずっと(騒々しいなどとは言わぬとしても)音声をともなっていることがはっきりして来るであろう。
聾者になっての、次の時期の、たとえばデッサン帳などを見ると、それが彼の、広く言って社会との対話、会話にあたるものであることもはっきりして来るであろう。・・・
左端に立つ、一三人目の円型の口、孔に戻るとして、その他の物音や音声、あるいは国王陛下氏の演説などは聞えるのに、この円型の穴が叫んでいることばが、私にはまったく聞えない。いったい、タバコの煙の輪をでも吐き出すのならばともかくも、こんなに口をまるくして、たとえ狂語といえども、何かことばを言えるものであろうか。
おそらくこの狂人は、口をまるくしてことばを発することなく、眼に全存在をあずけて何かを凝視しているものと思われる。
もしそうだとすれば、すでにしてこれはリアリズムの極北である。
屋根がなくて、白熱した陽光に曝されていても、人間内部は暗緑色に暗いのである。」

いったい狂人の囲い場が「民衆の気ばらし」になりうるものか
 「・・・いったい狂人の囲い場が「民衆の気ばらし」になりうるものか、・・・
この疑念に対する答えは、イエス、である。お祭に絞首刑が余興として執行された時代であり、狂人たちの囲い場、隔離所は、民衆が時に見物に行く場所であった。狂人たちは死んでも教会で葬式をしてもらえなかったのであるから、すでに悪魔に魅入られた、人外のものとして扱われていた。人間のかたちをした人外のものを見物に行って何がわるかろう。それが一般的な習慣だったのである。彼が突如としてヒューマニストになったわけでも、社会的関心と称されるものをもつにいたったということでもまったくない。」

『鰯の埋葬』も、『苦行者の行列』も、『村の闘牛』も、『異端審問情景』なども
 「しかしこういうものが、「民衆の気ばらし」でありうるとしたら、カーニバルの気狂い騒ぎを描いた『鰯の埋葬』も、『苦行者の行列』も、『村の闘牛』も、『異端審問情景』なども、そのテーマにあてはまり得るであろう。
民衆にとって、それが自分のことでさえなければ、祝祭日における死刑執行がそうであったように、異端審問に際しての、理不尽なやり方、やられ方もまた「気ばらし」の一種でありえたであろう。」

 「『苦行者の行列』は、男が上半身裸になり、裸足で、自分で自分を鞭打ちながら歩く行列である。自分の、あるいは他の誰かの罪を悔い、また神に対する信仰のより聖からんことをねがっての、まことにサディスティックな行事である。
・・・この崇高なる愚行は、一七七七年と一八〇二年とに禁令が出ていたが、何度禁止してもやまなかった。
そういう禁令の出ているものを積極的に描くという点でも、ここでも疑念はのこる。ずっと後年のもの、とした方が妥当である。」"
「おしまいに来るのは、いわゆる『鰯の埋葬』と呼ばれるカーニバルのシーンである。これもずっと後年の作とするのが妥当のようである。」

悪夢を見ているのはゴヤではない
 「けれども、重要なのは、聾者としてのゴヤが見たものとしての、狂人の囲い場にいる人間も、カーニパル最後の日に底抜けのドンチャン騒ぎをしている人間も、最小限、彼の画面に登場する限りにおいては、まるで同じものであることである。ドンチャン騒ぎのドンもチャン聞えないとなれば、狂人の異常な行動も、豚のロースト暁の代りに鰯を埋葬してカーニバルの終りとする、灰の水曜日の仮面をかぶっての馬鹿騒ぎも向じことではないか。一枚ベールを剥いでみれば。
仮面をかぶることが、実は正体を見せることになる場合もありうるのである。
それは怖るべき発見ではなかったか。
・・・
・・・彼の手がそれら人間のなすことどもを、さしたる差異のないものとして画面に描き出すとしたら、われわれ人間はゴヤとともに何を考えたらいいか。悪夢を見ているのはゴヤではない。
これらの人間狂態に、さらにもう一つ、古典的な集団的大狂態である戦争が加わって来る。
・・・
しかしまだまだこれらの人間大狂態は、その外面から外面だけを描かれているにとどまっている。」
*
*


大阪市を廃止し特別区に再編する「大阪都構想」に反対する集会・パレードが行われ、自民党・民主党・共産党・市民団体・労働組合の旗が並び共に反対の声を上げた。 - 2015.3.28 『大阪市をなくすな!特別区設置にNO! 御堂筋パレード』 — 秋山理央 / 「大阪つぶすな! 都構想に断固反対」  




辺野古阻止へ議員団発足 100人参加「今が正念場」 (沖縄タイムス)

沖縄タイムス
辺野古阻止へ議員団発足 100人参加「今が正念場」
2015年3月29日 09:04

 名護市辺野古の新基地建設に反対する沖縄県選出の野党国会議員や県議会与党会派らでつくる「止めよう辺野古新基地建設実行委員会」の議員団発足集会が28日、那覇市職員厚生会福利厚生施設で開かれた。市町村議会議員ら約100人が参加し、新基地建設の阻止に向け団結を誓った。

 全会一致で採択された議員団結成議案は「新基地建設をめぐる19年間でこの1年が正念場だ。今止めなければいつ止めるのか、県民のエネルギーを最大限結集する大切な1年だ」とし、県民の付託を受けた議員として辺野古の現場や各市町村での取り組みを誓っている。

 具体的な取り組みの第1弾として4月6日から3日間、午前7~9時にキャンプ・シュワブゲート前で議員による座り込み総行動も決定した。

 集会に参加した市町村議員らの決意表明では、名護市議会の仲村善幸副議長が「翁長雄志知事が腹を決めて、沖縄防衛局に作業中止指示を出した。私たちも腹を決めて、政府の理不尽さに立ち向かおう」と呼び掛けた。



JR戸塚駅前 柏尾川で花見 ソメイヨシノは3分咲き未満 2015-03-28

3月28日(土)
お墓参りを済ませて、集合場所の戸塚駅に戻って・・・、
ハイさいなら・・・、と解散にはならず、
まず近くのお店で、ビルー、チューハイ缶、ワンカップ日本酒を購入して柏尾川へ花見、
それが終わってから、
またまた近くのお店で飲みなおし、
その後、もう一軒ハシゴして
ようやく帰宅。

柏尾川のソメイヨシノは3分咲き未満(但し、28日現在)

サクラ祭りはもう始まっているのかな。






名人戦で居眠りする記録係と観戦記者とそれを見て笑う森内さんと羽生さん (ツイッター写真)

景気回復、これから実感 日銀・岩田副総裁 緩和策に自信 (『朝日新聞』 : 岩田氏は就任前の国会での所信表明で、2年で目標達成できなかった場合、「最高の責任の取り方は辞職」としていたが、「説明責任を果たせない場合には、最高の責任を取るということを言った」と弁明 ← インチキ!

『朝日新聞』2015-03-25



東京新聞 15.3.29 本音のコラム 山口二郎氏「増長もいいかげんにしろ。法治国家という概念は、安倍一党のようなおごり高ぶった権力者を法で縛るという意味なのである」

今朝のサクラ‘神代曙’です。現在、見ごろを迎え見応えたっぷりです。 / 今朝の‘枝垂桜(シダレザクラ)’です。満開となり見ごろを迎えています。 — 都立神代植物公園 園長の採れたて情報



NHK会長車代:予算案承認を優先 経営委議論尽くさず (毎日新聞)

NHK会長車代:予算案承認を優先 経営委議論尽くさず 
毎日新聞 2015年03月27日 12時19分(最終更新 03月27日 12時32分)

 ◇議事内容が公表

 NHKの籾井勝人(もみい・かつと)会長の私用ハイヤー代の立て替え問題で、19日に臨時開催された経営委員会(浜田健一郎委員長)の議事内容が27日公表された。監査委員会の報告書に対して一部の経営委員から疑義も出たが、NHK2015年度予算案の年度内の国会承認を優先し、報告書の了解を急いだことが明らかになった。

 監査委員長の上田良一・経営委員ら9人が出席。佐藤友美子委員が「会長が(ハイヤー代を)自分で支払うと言ったという記述がない」などと疑問点を挙げたが、籾井会長から直接事情を聴いた上田委員は「秘書室に車を手配した日に自分で支払うとの言及があったのではないかと思います」と述べるにとどまった。

 浜田委員長は24日の定例の経営委員会での意見集約を提案したが、石原進委員ら4人が「年度内の予算成立に向けて全力を尽くすべきだ」と経営委員会としての結論を急ぐよう求めた。「明らかにミスは秘書室にある」(長谷川三千子委員)など、報告書に沿って秘書室の非を指摘する意見も相次いだ。【望月麻紀】

東大合格者7割、入学辞退 日本最難関「滑り止め」に (共同)

47ニュース
東大合格者7割、入学辞退 日本最難関「滑り止め」に 

 主に外国人留学生を対象に、受験も授業も英語で行う東京大教養学部英語コース(PEAK)への合格者の入学辞退率が年々高まり、2014年度合格者(同年10月入学)の7割近くが東大を蹴って外国の有力大に進学したことが28日分かった。文部科学省が日本の主要大学の国際化を急ぐ中、最難関大が「滑り止め」にされる現実は、優秀な留学生獲得を目指す世界の大学間競争の厳しさを示しており、関係者は危機感を募らせている。

 英語で行われている授業の選択肢が限られ、奨学金制度も欧米の有力大と比べると手薄なことが原因とみる声が学内にはある。東大は奨学金制度の拡充などを急いでいる。

2015/03/28 10:02   【共同通信】



桜島噴火(3月28日夜11時ころ) : 28日現在、23時頃の桜島噴火の様子です 物凄い爆発音と共にマグマが噴き出しました 最近ではさらに活動が激しさを増しています — 鹿児島・吉留直人

【花見山 2015.3.28. NO.2】花見山近郊、白と桃色と黄色のグラデーション / 【花見山 2015.3.28. NO.5】花見山から福島市街地を臨む。 (ツイッター写真)


神奈川 相模線香川駅の近くに見ごろを迎えた大きなしだれ桜あった 2015-03-28

3月28日(土)
初めておりた駅、相模線香川駅の近くに見ごろを迎えた大きなしだれ桜があった。
樹齢50年という。

20代の若いころ、しょっちゅう飲み歩いていた友だちが、昨年7月に亡くなって、
昨日はお墓参りにいってきた。
その途次に偶然見かけたしだれ桜だった。






3月28日 フクシマを忘れない!さようなら原発大講演会2015 「原発のある状態では人間の未来はない」(大江健三郎) 




20150328 UPLAN フクシマを忘れない!さようなら原発大講演会2015

【京都・桜便り2015】東山・産寧坂の枝垂れ桜が見頃です。— 京都五感処-京都Loversフォーラム / 平野神社。境内の「魁桜」がソメイヨシノにさきがけ、見頃を迎えています。 / 京都府庁 旧本館。中庭中央にあり、京都守護職•松平容保にちなみ名付けられた「容保桜」が見頃を迎えつつあります / 京都御苑内「出水の小川」近くの枝垂桜。見頃を迎え、美しい姿を楽しめます。— 京阪電車【沿線おでかけ情報】    






2015年3月28日土曜日

いま「宰相A」と対峙する 田中憤弥さんの新作 舞台は「もう一つの日本」 「私からは安倍晋三という人がこう見える」 (『朝日新聞』) : 米国の言いなりに「平和的民主主義的戦争」を進める首相の名はA。 「アドルフ・ヒトラーのAでもあるけど、やはり安倍さんのAでしょうね」と、田中さんは言う。 / 安倍首相のモデル小説を出版! あの芥川賞作家が本人に会った時に感じた弱さと危うさ (水井多賀子 LITERA)      

米国の言いなりに「平和的民主主義的戦争」を進める首相の名はA。
「アドルフ・ヒトラーのAでもあるけど、やはり安倍さんのAでしょうね」と、田中さんは言う。

いま「宰相A」と対峙する
田中憤弥さんの新作 舞台は「もう一つの日本」
「私からは安倍晋三という人がこう見える」

『朝日新聞』2015-03-24

LITERA
安倍首相のモデル小説を出版! あの芥川賞作家が本人に会った時に感じた弱さと危うさ
水井多賀子  2015.03.22

(略)

 顔立ちといい、態度といい、どう考えても安倍首相を描写したとしか思えないAという人物。しかし、げに恐ろしいのは、Aが口にする演説内容だ。

「我が国とアメリカによる戦争は世界各地で順調に展開されています。いつも申し上げる通り、戦争こそ平和の何よりの基盤であります。」

「我々は戦争の中にこそ平和を見出せるのであります。(中略)平和を搔き乱そうとする諸要素を戦争によって殲滅する、これしかないのです。(中略)最大の同盟国であり友人であるアメリカとともに全人類の夢である平和を求めて戦う。これこそが我々の掲げる戦争主義的世界的平和主義による平和的民主主義的戦争なのであります。」

(略)

 田中が「週刊新潮」(13年1月17日号/新潮社)に寄稿した、『再起した同郷の宰相へ 弱き者 汝の名は「安倍晋三」』という原稿がある。題名にある通り、田中は安倍首相の選挙区である山口県下関市に生まれ育ち、現在も在住している。この寄稿文によれば、田中は地元のイベントで、一度、安倍と顔を合わせたことがあるらしく、そのとき安倍は田中に向かって本の感想を述べたのだという。

(略)

 しかし、こうした県民性以上に田中が強く指摘するのは、安倍の〈弱さ〉である。

〈相手をせせら笑う不遜と、私と会って目も合わせなかったうつろでオーラのない表情の落差。つまり安倍氏は明らかに、政治家としての自分を強く見せようとしている。強くあろうとしている。なぜか。安倍氏は弱い人間だからだ。強くあろうとするのは弱い証拠だ。だったら、あるがまま生きればいい。弱いことは、人間として決して悪いことではない。だがここで、血筋の問題が出てくる。(中略)祖父と大叔父と実父が偉大な政治家であり、自分自身も同じ道に入った以上、自分は弱い人間なので先祖ほどの大きいことは出来ません、とは口が裂けても言えない。誰に対して言えないのか。先祖に対してか。国民に対して、あるいは中国や韓国に対してか。違う。自分自身に対してだ〉
「戦後レジームからの脱却」と称し、安倍首相が憲法改正や自衛隊の国防軍への移行を主張するのは、自民党の意志でもある。だが、ここまで強気に進める理由を田中は〈そういう党の中にいる安倍氏が、偉大で強い家系に生まれた弱い人間だからだ〉と見る。そして、タカ派に分類される安倍を〈弱いのに強くなる必要に迫られているタカ、ひなどりの姿のまま大きくなったタカ〉と表現するのだ。

(後略)


LITERA




2015年3月27日金曜日

東京 千鳥ヶ淵の桜 まだ一割程度の開花 でも人出は多く ボートが浮かび すっかり花見気分満喫 2015-03-27

【最新3月30日:ほぼ満開↓】

3月27日
千鳥ヶ淵の桜
まだ全体的には一割程度の開花。

今日(27日)から千代田さくらまつり開催

昼休み時間帯とはいえ、ウィークデイなのに人出はたっぷり
ボートも浮かび、すっかり花見気分満喫

▼これは荘川桜

▼以下、ソメイヨシノ






東京 千鳥ヶ淵の桜 もう殆ど満開 2015-03-30

東京 牛ヶ淵の桜 2015-03-30

東京 北の丸公園の桜 ソメイヨシノが一挙に満開に近づいた 2015-03-30






3月27日 報ステ(報道ステーション) 古賀茂明氏「テレビ朝日の早川会長や、古館プロダクションの佐藤会長の意向で、これが最後と。・・菅官房長官はじめ官邸からものすごいバッシングを受けてきた」 (Youtube) / 古賀氏が安倍政権批判のフリップを出すと、古館キャスターは「古賀さん、ちょっと時間がないので・・・」とフリップを下ろさせた(写真)。古賀氏は「そういうこと言ってほしくなかったんですよね」と不満を露わにした。 / 古賀氏 何もなくプラカを出せばただの馬鹿ですが官邸が個人攻撃をしてきているんです 菅官房長官が名前を出さず私を批判してきています『とんでもない放送法違反だ』と裏で言っていると聞いています それは大変な事免許取消もあるという脅しですから    











47ニュース
テレビ降板めぐり番組内で議論 「報道ステーション」で古賀さん

テレビ朝日の「報道ステーション」に出演した元経済産業省官僚の古賀茂明さんが27日、自身の降板でキャスターの古舘伊知郎さんと議論になり「I am not ABE」と書いた紙を掲げる一幕があった。

古賀さんは「テレビ朝日の早河(洋)会長と古舘プロジェクトの会長の意向で今日が最後ということになりました」と発言。古舘さんが「テレビ側から降ろされたというのは違う」と反論した。

古賀さんはこれまで同番組にコメンテーターとして出演し、安倍政権に批判的な発言をしていた。この日の番組では「菅(義偉)官房長官をはじめ、官邸のみなさんからバッシングを受けてきた」と話した。

2015/03/28 01:34
【共同通信】


報ステ 古舘伊知郎VS古賀茂明 フル 2015年3月27日報道ステーション

元経済産業省官僚の古賀茂明氏(59)が27日、テレビ朝日系「報道ステーション」に­生出演し、
古舘伊知郎キャスター(60)と自身の番組降板を巡って、バトルを繰り広げた。

番組中盤、緊迫する中東情勢を伝える場面で、古舘が古賀氏に解説を求めると、この日が­最後の出演になった古賀氏が切り出した。

古賀氏 ちょっとその話をする前に。テレビ朝日の早河(洋)会長と、古舘プロジェクトの佐藤(­孝)会長の意向で今日が最後ということに(なりました)。

これまで古賀氏は同番組で、「I am not Abe」などと安倍政権に批判的な発言を繰り返していた。

古賀氏 これまで本当に多くの方に激励していただいた。一方で菅官房長官をはじめとして、鑑定­のみなさんのバッシングを受けてきた。
それを上回る応援で楽しくやらせていただきまして、本当にありがとうございました。

降板した理由を話すと、古舘も「ちょっと待ってください。今の話は承伏できません」と­対抗したが、
古賀氏は「古舘さんもその時におっしゃいました。『この件に関してはお役に立てなかっ­た。本当に申し訳ない』と。
全部録音させていただきましたので、そこまで言われるなら全て(データを)出させてい­ただきます」と引かない姿勢で、いったん束した。

しかし、その後も「I am not Abe」と書かれた手製の紙を広げ、マハトマ・ガンジーの言葉をフリップで出し、
「言いたいことはそのまま言いましょう。裏で圧力をかけたり、陰で言うのは辞めていた­だきたい」と話した。

http://www.nikkansports.com/entertain...

日刊スポーツ
報ステ“ジャック”の古賀氏に江川紹子氏ら苦言
[2015年3月28日0時8分]

元経済産業省官僚の古賀茂明氏(59)がテレビ朝日系「報道ステーション」に生出演し、「I am not Abe」などと安倍政権に批判的な発言を繰り返した件で、ツイッターでジャーナリスト江川紹子氏や竹田圭吾氏が苦言を呈した。

江川氏は、「公共の電波で自分の見解を伝えるという貴重な機会を、個人的な恨みの吐露に使っている人を見ると、なんとももったいないことをするのか…と思う」。

竹田氏は「古賀茂明という人はテレビで発言する機会を与えられていることの責任と義務をまったく理解していない」とつぶやいている。

一方で、ジャーナリスト岩上安身氏は放送中から、放送後の古賀氏直撃を予告しており、古賀氏の行動を事前に知っていたことを示唆している。

岩上氏も今月10日、自身のツイッターで、テレビ朝日系「モーニングバード!」を今月24日に降板することを報告していた。

↑官邸に脅迫されて、番組降ろされるのを、反批判するなと・・・?
すごすご引き下がれと・・・?

スポーツ報知
古舘氏、元経産省・古賀氏が生放送バトル!降板「裏話」暴露
2015年3月28日6時0分  スポーツ報知

元経済産業省官僚の古賀茂明氏(59)が27日、コメンテーターを務めるテレビ朝日系「報道ステーション」(月~金曜・後9時54分)で、番組の降板についてキャスターの古舘伊知郎氏(60)と生放送中にバトルを繰り広げた。

古賀氏は、この日が最後の出演。番組半ば、古舘氏から中東情勢について意見を問われると「その前にちょっといいですか」と前置きし、話し始めた。

「(同局の)早河(洋)社長、(番組を制作する)古舘プロジェクトの佐藤(孝)会長の意向で、最後ということになりました。官邸の皆さんにもバッシングを受けましたが、それを上回る応援を受け、楽しくやらせていただきました」との暴露に、隣に座る古舘氏は動揺。「その話、私としては承服できません」と慌てて言葉を遮った。

だが、古賀氏は「古舘さんは『何もできなくてスイマセン』と言いましたよね」と楽屋でのさらなる裏話を披露。出演は続けてもらいたかったという古館氏を遮り「もし違うとおっしゃるなら、全部録音させていただいておりますので、それを出しても構わないのですが…」と、古舘氏にプレッシャーをかけた。

その後も古賀氏は、たまっていたものを吐き出すかのように、奔放に発言。「私がもう一度、申したいのは『I am not ABE』ということです」と口にすると、同様のメッセージが書かれた紙を誇示。「言いたいことは素直に言おうと」と胸を張っていた。












ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(124) 「第19章 一掃された海辺-アジアを襲った「第二の津波」-」(その2) : 「津波が「再生計画」を再生させる 「スリランカ再生計画」が潰れたことを嘆いていた人たちは、津波という大災害の持つ意味をすぐさま理解した」

*
民族の壁を越えた助け合いと史上最大の義援金
 (最初は)、救助活動も、ケガの手当も、遺体を埋める穴を掘るのも、すべて住民たち自らがやっていた。そうした事態のなか、この地域を分断していた民族の壁〔スリランカにはシンハラ人(仏教徒)、タミル人(ヒンドゥー教徒)、スラム教従、キリスト教徒など多民族が暮らす〕が突然消えてなくなった。・・・「イスラム教徒は遺体を埋葬するのにタミル人に助けを求め、タミル人はイスラム教徒に食料や水を分けてもらい、内陸に住む人たちは家ごとに毎日二個、弁当の包みを届けてくれた。・・・」

こうした民族の壁を越えた助け合いは、国中至るところで見られた。タミル人の一〇代の少年は農村部からトラクターで駆けつけ、遺体の収容を手伝った。イスラム教徒の埋葬用にキリスト教徒の子どもたちは白い制服を寄付し、ヒンドゥー教徒の女性たちは白いサリーを提供した。津波は家々を押し潰し、道路を破壊した一方で人々を謙虚にし、民族間の長年にわたる憎しみや流血の抗争、復讐の念をも洗い流す力を持っていたかのようだった。・・・

復興に関しても、国際支援が期待できると見られていた。当初は各国政府の対応は遅く、初めに援助の手を差し伸べたのは被害の様子をテレビで観た世界中の人々だった。・・・やがて市民らは自国政府に対し、災害支援金を供出するよう働きかけた。こうして半年後には、二三〇億ドルという史上最大規模の義援金が集まった。

そのうちにストップした復興作業
初めの何ヵ月間かは、こうした復興資金のほとんどはその目的どおり被災者救済のために使われた。NGOや支援団体は緊急用食料や水、テントや仮設小屋を運び込み、先進国は医療チームや医薬品を送ってきた。住宅を建て直すまでの間、被災者が一時的に生活するための場所として避難所が造られた。住宅再建のための資金が十分にあったことはたしかである。

ところが津波から半年後に私(ナオミ・クライン)が訪れたときには、復興作業はすべてストップしていた。再建された住居はほとんどなく、避難所はもはや緊急のシェルターではなく恒久的なスラムと化していた。

支援活動家たちは、スリランカ政府がことごとく復興の邪魔をすると言って不満をぶつけた。海岸をバッファーゾーンに指定したかと思えば、住宅建設用の土地を提供することを拒み、海外の専門家に再建のための調査やら計画書やらを次々と依頼するばかりだ、と。・・・こうした復興の遅れは「お役所仕事」や管理能力欠如のせいにされることが多いが、背後にははるかに深刻な問題が潜んでいた。

津波以前 - 頓挫した計画
津波前の国際金融機関によるスリランカ大改造計画
スリランカの大改造計画が最初に持ち上がったのは、津波発生の二年前だった。
始まりは内戦終結後のスリランカに米国際開発庁(USAID)、世界銀行、世銀から枝分かれしたアジア開発銀行といったいつもの面々が乗り込み、この国を世界経済に組み込むための策を練ったことだった。

長い内戦のせいでグローバリゼーションの波が最後まで及ばなかったことこそ、スリランカの最大のセールスポイントだという点で、これら国際融資機関の認識は一致した。ごく狭い国土にもかかわらず、スリランカには、ヒョウ、サル、何千頭ものゾウなど豊富な野生生物が生息している。ビーチには高層ホテルは一軒もなく、山間部にはヒンドゥー教、仏教、イスラム教の寺院やモスク、聖地などが点在している。何より素晴らしいのは「ウェストヴァージニア州ぐらいの面積にその全部が収まっている」ことだとUSAIDは絶賛した。

計画によると、内戦中はゲリラたちが潜んでいたジャングルもエコツアー客に開放し、中米コスタリカのように観光客はゾウに乗ったり、ターザンの真似事をしたりして冒険を楽しむ。血なまぐさい抗争の大きな要因だった宗教も、欧米人観光客のスピリチュアルなニーズを満たすために様変わりする - 仏教僧は瞑想センターを運営し、ヒンドゥー教徒の女性は観光ホテルでエキゾチックなダンスを披露し、インド伝統医学に基づくクリニックが観光客の心身の不調を癒すというわけだ。

ひとことで言えば、アジア各地に多国籍企業が設けた「搾取工場」やコールセンター、それに狂乱に沸く市場はそのまま存続させる一方、スリランカをそうした業界の大物たちが疲れを癒す場にしようというのである。アジアに広がる規制なき資本主義の拠点から生み落とされる莫大な富があればこそ、極上のリゾートライフと野生の自然、こまやかなサービスと冒険を絶妙に組み合わせた休日を楽しむのに費やす金はあり余るほどある。

先の国際機関の代表たちは、スリランカの将来はアマンリゾーツ〔インドネシアの富豪が創設した超高級リゾートホテルチェーン〕のような大手ホテルチェーンの出方にかかっていると見ていた。ちなみにそのアマンリゾーツは最近、スリランカの南海岸に全室プール付きで一泊八〇〇ドルというホテルを二カ所オープンしている。

アメリカ政府は高級リゾート地としてのスリランカに、ホテルチェーンや旅行業者が参入できる可能性を見込んで大いに乗り気だった。
USAIDはスリランカの観光業界をワシントン流の強力なロビー団体に仕立て上げる計画をスタートさせ、スリランカの観光振興予算を「年間五〇万ドル足らずから」一〇〇〇万ドル規模へと」引き上げることに成功する。

一方でアメリカ大使館も、スリランカにおけるアメリカの経済的利益を促進する拠点として「競争力強化プログラム」を立ち上げた。このプログラムの責任者でエコノミストのジョン・ヴァーレイによれば、二〇一〇年までに年間一〇〇万人の観光客を誘致するというスリランカ観光局の目標は控えめすぎるという。「個人的にはその倍は誘致できると思う」と彼は言う。
世銀の現地担当責任者でイギリス人のピーター・ハロルドは私に、「スリランカはバリに匹敵する観光地になるとずっと思ってきた」と話した。

プルトノミー(富裕経済)
富裕層向けの観光業が確実な利益をもたらす成長マーケットであることは疑いない。二〇〇二年から二〇〇五年の間に、一泊の料金が平均四〇五ドルという高級ホテル業界の総収益は七〇%も上昇している。9・11後の落ち込み、イラク戦争、原油価格の高騰といったマイナス要因を考えると、驚くべき数字だ。この驚異的な成長は多くの点で、シカゴ学派経済学の全般的勝利が世界にもたらした極端なまでの経済格差の副産物だと言えよう。

今日の世界には、経済の全体状況とは無縁に数千万から数十億ドルの資産を持つ新興エリート集団が存在し、その規模はウォールストリートが「スーパー消費者」 - 彼らだけで消費者需要を丸ごと担う財力を有する - とみなすまでになっている。

ニューヨークのシティ・グループ傘下の投資銀行スミス・バーニーの元国際株式戦略グループ主任アジェイ・カブールは、ごく少数の富裕層が経済成長を牽引し、その成長を消費する体制を「プルトノミー(富裕経済)」と呼び、ブルガリ、ポルシェ、フォーシーズンズ、サザビーズなど富裕層をターゲットにした企業の株を「プルトノミー・バスケット」として顧客に売り込んでいる。「今後もわれわれの予想どおりプルトノミーが続き、収入格差がこのまま拡大していけば、プルトノミー・バスケット企業は順調に業績を伸ばしていくことが予測される」と彼は書く。

スリランカに与えられた課題克服のためのお決まりのコース
・・・まず第一に、一流リゾート企業を誘致するには土地所有に関する規制を廃止することだ(スリランカの国土のおよそ八割は国有地)。
次には、リゾート業者が従業員を雇用しやすくするために、「柔軟な」労働法を制定する必安があり、さらには幹線道路や空港の整備、水道や電気システムの改良など、インフラを近代化する必要もあった。
ところがスリランカはこれまで武器購入のために多大の負債を抱えており、これらの急を要する事業をすべて自国でまかなうことは不可能だった。こうして世銀やIMFから融資を受ける条件として、民営化の促進と「官民パートナーシップ」の導入に合意する、というお決まりの取引が行なわれたのである。

国民に多大な犠牲を強いるショック療法プログラム「スリランカ再生計画
世銀が承認し、二〇〇三年初めに最終決定に至ったショック療法プログラム「スリランカ再生計画」には、こうした改革案や条件のすべてが手際よく組み込まれていた。この計画を推進するにあたってスリランカ側で中心となったのが、政治家で起業家でもあるマノ・ティッタウェラ(容姿も考えんも、九〇年代アメリカの大物共和党議員ニュート・ギングリッチと驚くほどよく似ている)という人物だ。

ショック療法プログラムの常として、「スリランカ再生計画」も迅速な経済成長を促すという大義のもと、国民に多大な犠牲を強いるものだった。海岸を観光客に、土地をリゾート施設や幹線道路に明け渡すために、何百万人もの人々が住み慣れた土地を離れることを余儀なくされる。漁業は大きな港から沖合へと出て行く大型トロール船が中心となり、浜から漕ぎ出す木造船はもはや用なしだった。そしてブエノスアイレスからバグダッドまで、過去に同様の状況下で幾度となくくり返されてきたように、国営企業は大量解雇を断行し、各種の公共サービスは値上げされることになる

国民的抗議と「計画」廃棄を主張する政党の勝利
計画への反対はまず戦闘的なストライキや街頭デモによって表明され、続く二〇〇四年四月の選挙では断固とした国民の声が示された。
スリランカ国民は、外国人専門家や彼らと手を組む人々にノーを突きつけ、「スリランカ再生計画」の全面廃棄を掲げた中道左派とマルクス主義を掲げる極左政党との連合を支持した。
その時点では水道や電気など主要事業の民営化計画の多くはまだ中途で、道路の建設計画も裁判沙汰になっていた。こうして富裕層対象のリゾート建設の夢はあえなく崩れ去る。二〇〇四年は投資家が優過されるスリランカの民営化元年となるはずだったが、今やすべてが白紙に戻ったのだ。

津波が「再生計画」を再生させる
津波がスリランカを襲ったのは、運命を決したこの選挙から八カ月後のことだった。
「スリランカ再生計画」が潰れたことを嘆いていた人たちは、津波という大災害の持つ意味をすぐさま理解した。崩壊した家や道路や学校や鉄道を再建するために、新政府は外国から何十億ドルという融資を受けなければならない。一方の融資する側も、国家の壊滅的危機に直面すればどんな経済的ナショナリストでも態度を軟化させることを十分知っている。そして前回は開発計画を阻止するために道路を封鎖し、大規模な反対集会を開いた戦闘的な農民や漁民はと言えば・・・最大の被災者である彼らは目下それどころではない、というわけだった。
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明治38年(1905)5月1日~9日 平民社、初のメーデー茶話会 島崎藤村上京、三女の死、花袋・有明らとの交友 石川啄木(19)処女詩集「あこがれ」出版 木下尚江の補欠選挙立候補、32票得票

東京 代官町通りの桜 2015-03-27
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明治38年(1905)
5月1日
・平民社、初のメーデー茶話会開催。
講演:石川(メーデーの歴史)、堺(メーデーの国際的意義)、木下(普通選挙と政治的自由獲得の必要性)。余興。
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5月1日
・大蔵省、第5回国庫債券1億円発行。
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5月1日
・島崎藤村(数え34)、4月29日に家族を連れて上京し、この日から西大久保405番地の新しい家に落ちついた。明治32年に結婚して小諸に赴任し、足かけ7年間、旧師木村熊二の経営する小諸義塾の教師を務めた。
彼の借りた家は、新築したばかりの四間ほどの平家。新宿駅北方、檪(くぬぎ)林の多い郊外に開けた住宅地。少し前に1人で上京した際、大久保に住んでいるもと同僚で画家の三宅克己を訪ね、植木屋の屋敷内に建築中の家を借りる約束をしておいた。入って見ると、壁もまだよく乾いていない、建具も粗末な間に合せのものであった。"

5月初めに出た「文芸倶楽部」5月号の「時報」欄。
「◎文士の覚醒 新体詩を以て有名なる島崎藤村氏は、従来信濃小諸に教鞭を執って詩作に余念なかりしが、今回感ずる所あって東上し府下大久保に居を卜して、自費出版の業を開始すべく、既に四百余頁の大作を成就し、之れを血祭として大に雄を文壇に競はんとする計画ある由、其成功と否とは知らず意気壮とすべきにあらずや、而も氏は全く新体詩の筆を絶つべしと。」

藤村は上京して間もなく、5月6日に三女縫子を脳膜炎で喪うという悲運に見舞われた。
5月8日、葬式などを終えて、彼はこの数日の経過を日記体の手紙にして神津猛に報告した。"
「四月廿九日
当日はわざわざ御見送り被下、御厚志辱く存上候。御蔭様にて無事安着致候間、乍憚御安心被下度候。
新宿にて荷物を受とり大久保へ行きて見れば、新居未だ落成せず。例の四畳の小室は漸く天井板をはり、畳を入れる最中といふ混雑。幸にも大屋の親切にて他に宿を求めず、植木屋の奥座敷に一同疲労を忘れ、荷物の間に眠り申候。
三十日
新居の落成を急ぐ。三宅氏(*克己)来訪、知合のもの手伝ひに来る。
五月一日
漸く戸じまりの出来る丈になり、同日は小生のみ新居にうつり夜十二時頃迄に荷物大凡とり出し、混雑せる家具の中に一夜を明す。
二日
家族一同引移る。この日は殆ど柳行李を開きて家具のとりかたづけにかヽる。
家は新しければ心地よし、引越の荷物は瀬戸物にいたる迄破損せず、勝手道具の古き迄皆用ふペし。- 三女縫子すこしく種痘の後の余熱に苦しむ。
三日
同様、田山氏(*花袋)来り喜ぶ。荷物大凡かたづく。
四日
この夜金尾文淵堂なる書店の主人来訪、「文芸倶楽部」紙上にて小生の出板事業を聞きたりとて、その一手販売の委托を乞ひに来る。書肆(しよし)の機敏可驚、尤も思ふよしありて発売上の相談は『破戒』の完成まで一切せざることになし(田山氏の注意もありて)同書店へも此旨通じ申候。同夜縫子の容体よろしからず。
五日
縫子につきて医師の診察を求むるに急性脳膜炎とあり、一日荊妻と共に看護、終宵眠を成さず。
六日
午前十時縫子死去。(一年と一ヵ月の短生涯)感慨胸を突いて湧出致候。
七日
近き長光寺といふへ埋葬、植木屋の親切にて万事手落なく式をすまし候。尤も小児の事ゆへ、友人等へも埋葬後通知致候。亡児は微笑童女と小生自分にて命名。 - 例の鮫島先生(*小諸義塾の同僚)より給はりし石楠木の花、玩具の猫、兎の巾着等を棺の中に納め申候。荊妻は乳をしぼりて手向けるなど、愚痴の真情御憫笑被下度候。
この日、雨は若葉を流れて一層寂蓼の情を増す。
縫子の死は小生に深き感動と決心とを与へ申候。
八日
友人親戚等来訪。小諸へ礼状四十通ばかりを書く。今夕貴兄よりの御手紙に接す、真情流露、あゝ貴兄が感情の温くして深き、拝眉の心地にて披見、小生既に貴兄のごとき知己を得たり、- おのれを知るものにめぐり逢ふは、既に天のめぐみなる、 - 御手紙を拝して猛然素志を貫かずんば止まじとの力を得申候。
実は数日未の疲労に加へて新しき悲哀を感じ、荊妻の傍に慟哭するあり。一時は茫然たる有様なりしも、今朝より勇気を回復し諸事を整とん致し、一層心の堅くなりしやに思はれ候。決して御心配被下間敷候。
小生はいよいよ明日より筆執ることに相成可申、すこしは身の周囲も落付き候。尤もそのかたはらには小諸出身青年の会へ臨み尋ね来る多くの人に接し、以大利へ遊学するといふ有嶋壬生馬なる友人を送り、その他わづらはしき業務の果すベきもあれど、 - 十五日過ぎには十分に著作の時を得る見込に御座候。
大久保は今若葉のにはひに満ち、空気も身に適し、甚だ心神の旺盛を感申候。申上度こともあれど今回はこれにて筆とめ申候。乍末筆令閨へもよろしく御伝声被下度候。
五月八日夜     嶋崎生
神津兄座右」

縫子が死んで暫く経ったある晩、妻の冬子が、急に目が見えなくなったと言う。
翌朝、明るい中では、何でもなかったが、眼科医は、過労だと思うから、働きすぎないよう、また栄養を十分にとるように、と言った。島崎家では生活を切りつめ、粗食をつづけた結果、冬子は鳥目になった。その後、藤村は家族の栄養に気をつけるようになったが、厳しい生活態度は変らなかった。

藤村は田山花袋、蒲原有明、その他多くの友人の訪問を受けた。前年夏に函館へ行ったとき青森で逢った鳴海要吉は、その後も藤村と手紙のやりとりをしていて、5月初めに上京し、仲間の秋田徳三のいる雑司ケ谷の下宿に同居していた。鳴海は作家の書生になりたいと希望していたので、藤村は彼を田山花袋に紹介し、鳴海は牛込区弁天町42番地の田山家で書生として暮すことになった。その家には花袋の女弟子なる岡田美知代がよく出入りしていた。

花袋は、前年9月20日に戦地から帰り博文館の勤務に戻り、再び「大日本地誌」編纂に当ったが、この年(明治38年)1月、「第二軍従征日記」を出版した。

藤村の上京を機会として、それまで柳田国男(法制局の参事官)の家や麻布の龍土軒などで花袋や独歩や有明などが集まって催していた外国文学の談話会が、積極的に毎月第一土曜日に開かれることとなった。
その会には花袋等の外、信州出身の工学士で文芸評論を書いている臨川中沢重雄や、法学士の江木翼(たすく)なども出席した。中沢は前年東大工学部を卒業して、東京電鉄の技師をしていた。*
5月1日
・ワルシャワ、メーデーのデモ行進中、労働者と露軍が衝突。死者100人、負傷者多数。
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5月3日
・海軍軍令部に、29日にバルチック艦隊がヴァン・フォン湾に停泊との情報。海軍は、第3艦隊を待機していると推理。
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5月3日
・石川啄木(19)処女詩集「あこがれ」出版。
全77篇、定価50銭、序文与謝野鉄幹、序詩上田敏。高等小学校時代の級友小田島真平の兄尚三の出征記念として、その経営する小田島書房から発行。中旬、「あこがれ」を携えて牛込区大久保余丁町48番地に病臥中の綱島梁川を見舞う。
装幀は同郷の友人石掛友道、詩集の扉には「此書を尾崎行雄氏に献じ併て遥に故郷の山河に捧ぐ」との献辞。

平出修(28)は、『帝国文学』の記者評に反駁して、啄木に期待を寄せる。

・・・。記者は又我等が同人石川啄木の詩集『あこがれ』を評して、「ひとりよがりの風あり・・・詩人自身にのみ理解せられ、読者にはよく理解し得られざるもの」なりと云へり。されども我等が見所を以て云へば、今の最も新しき詩風のなかにありて、啄木の詩は極めて明晰なるものなり。(中略)。この少年詩人の創造力は、我等寧ろ今の世の驚歎に価するを思ふ。若し又、啄木が用ふる所の新様の語に、たまたま泣菫有明二氏の詩中に見ゆる語あればとて、そは二氏の専用にもあらざるべし。况んや啄木の自ら撰択せし語彙は甚だ豊富にして、遒麗、清新、その日本語の美を知れるは、彼の土井晩翠氏等の企て及ぼざる所なるをや。(後略)
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5月3日
・早稲田大学の労働者講話会発足。
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5月5日
・帆船「第3八幡丸」、北海道南西部沖でウラジオ艦隊により沈没。船長を拘引。
9日午後6時、青森県深浦沖で島根県の帆船がロシア艦2隻と遭遇。
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5月5日
・朝、ネボガトフ少将のロシア第3艦隊11隻(うち軍艦5隻)、シンガポール沖通過。
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5月7日
・東京市選出田口卯吉没による補欠選挙の運動開始。
東京市人口180万で有権者は16,813人。政友会江間俊一・進歩党林謙三、木下尚江が立候補(木下尚江は普通選挙実現を政治綱領に掲げる)。

8日、平民社前に「木下尚江君を候補者に推薦す、社会主義同志」の大看板。
9日、「万朝報」「国民新聞」に木下推薦広告。
13日、立候補宣言・推薦文を配布。検束。
連日の演説会は開会と同時に中止(7日夜の神田区三崎町の吉田屋、8日夜の芝区兼房町の玉翁事、11日夜の神田の今金、12日夜の京橋区因幡町の市川亭、13日夜の下谷区2丁町の足立屋)。
14日、『直言』15号に決意表明、宣言書を発表
15日夜のYMCAは警察の干渉により会場貸与を拒否。
16日、投票日、木下の得票数は32票。
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5月7日
・週刊「直言」第14号発行
深尾少翁「黄金政治の模範村」。千葉県野田町の支配機構分析。
5月1日平民社メーデー記念会での石川三四郎の講演(メーデーの歴史)の紹介記事
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5月7日
・イタリア人中心の移民1万人、ニューヨーク着。
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5月7日
・米サンフランシスコ港で、日本人・韓国人排斥同盟結成。
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5月7日
・バルチック艦隊、フランス官憲の退去要求のため、ヴァン・フォン湾を出てクアベに入港。
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5月8日
・5月8日付け、夏目漱石の村上霽月宛手紙
「小生は教師なれど教師として成功するよりはへボ文学者として世に立つ方が性に合ふかと存候につき是からは此方面にて一奮発仕る積に候然し何しろ本職の余暇にやる事故大したものも不出来只お笑ひ草のみに候」。

4月7日付け大塚保治宛手紙でも
「僕は今大学の講義を作つて居る。いやでたまらない。学校を辞職したくなつた。学校の講義より猫でもかいて居る方がいゝ」
と書く。
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5月8日
・ロシア、パーベル・ミリュコーフ、労働組合連合会を組織。国会設置と普通選挙制の導入を提唱。
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5月9日
・愛知県尾西織物同業組合組織。
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5月9日
・ベトナム、ヴァン・フォン湾沖でバルチック艦隊、第3艦隊を編入。合計57隻となる。
10日・11日、一旦ヴァン・フォン湾に入港し、14日に出航。
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男女の賃金格差 会社に賠償命じる 金沢地裁 (NHK)

NHK
男女の賃金格差 会社に賠償命じる 金沢地裁
3月26日 13時56分

金沢市に本社がある機械設計販売会社の元社員が男女差別による賃金の格差があったとして会社に賠償を求めた裁判で、金沢地方裁判所は「実質的に男女別の賃金が適用されていた」として、会社に対し440万円余りの支払いを命じました。

この裁判は、金沢市に本社がある機械設計販売会社「東和工業」に勤めていた本間啓子さん(63)が、入社後に女性であることを理由に一般職にさせられたうえ、総合職の男性社員と同じ仕事をしているのに賃金や退職金などが低かったとして、その差額や慰謝料など合わせておよそ2200万円の賠償を求めたものです。

会社側は「一般職にしたのは女性だからではなく能力などで判断した」と主張していました。

26日の判決で金沢地方裁判所の藤田昌宏裁判長は「会社が社員を一般職と総合職に分ける制度を始め、原告を一般職にした際、能力を検討した形跡もなく性別によって区別されていたと認めるのが相当で、実質的に男女別の賃金が適用されていた」と指摘しました。そのうえで労働基準法に違反していたとして、会社に対し時効になっていない平成20年から23年までの賃金の差額や慰謝料など、合わせて440万円を支払うよう命じました。

判決のあと、原告の本間啓子さんと弁護団が金沢市内で記者会見しました。本間さんは「主張が認められてうれしく思う。ほかの企業でも男女差別を見直すきっかけになるのでないか」と話しました。北尾美帆弁護士は「男女差別が認められたことは高く評価できるが、時効を理由に請求した額が一部しか認められなかったことは不満が残る」と話しました。

東和工業は「判決文を見ていないので、今のところコメントは差し控える」としています。



東京 江戸城(皇居)外苑 代官町通りの桜 ヨウコウ(陽光)は満開 シダレはまだまだ ヤマザクラは開花が進んでるが、 ソメイヨシノは総平均で一割程度 2015-03-27

3月27日(金)
代官町通りの桜の様子
ヨウコウ(陽光)は満開
枝垂れはまだまだ
ヤマザクラは開花が進んでるが、
ソメイヨシノは総平均で一割程度

▼国立公文書館前あたりのソメイヨシノ

▼乾門前のシダレザクラ
例年通り「豚まん あんまん」屋さんは既に登場


▼ヨウコウ(陽光)は満開

▼以下、ヤマザクラやらソメイヨシノやら