2014年5月31日土曜日

「想定内」だから改めて騒ぎ立てるべきでないという賢げな文化人の消極的論理が、「想定外」だから責任はとれないという投げやりな為政者の態度と組み合わされば、どうなるか。文化人の冷笑主義が「無責任の体系」を結果として援護射撃する。そうにしかなるまい。退くも地獄、進むも地獄。ならば私は「バカか偽善者」の方がいい。(片山杜秀)

文芸時評 片山杜秀
『朝日新聞』夕刊2014-05-28

浅田彰×東浩紀 「特別対談『フクシマ』は思想的課題になりうるか」(新潮6月号)
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ところで浅田彰は「新潮」の東浩紀との対談で、「3・11」を哲学者や文学者が主題化することに水を差す。浅田は言う。「とくに、原発事故について、フクシマで衝撃を受けたという人はどうかしているんじゃないか」

 危険性は十分に指摘されていた。「予告された通りの事故」が起きたにすぎない。勝ち目のない対米戦争を誰も止めなかったのと同じ図式の反復。分かっちゃいるけどやめられない。丸山眞男が「無責任の体系」と名付けた日本的意思決定機構の問題が繰り返された。思想的には新しくない。新しくないことに衝撃を受けたと騒ぐのは「よほどのバカか偽善者」。浅田は述べる。

 筋は通っている。だが「想定内」だから改めて騒ぎ立てるべきでないという賢げな文化人の消極的論理が、「想定外」だから責任はとれないという投げやりな為政者の態度と組み合わされば、どうなるか。文化人の冷笑主義が「無責任の体系」を結果として援護射撃する。そうにしかなるまい。退くも地獄、進むも地獄。ならば私は「バカか偽善者」の方がいい。


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