2014年6月20日金曜日

1781年(安永10/天明元)8月~10月 モーツアルト、ウィーンでの自立の第一歩 オペラ『後宮からの誘拐』作曲 アメリカ独立戦争、事実上の終結(ヨークタウンの戦い) 【モーツアルト25歳】

江戸城(皇居)東御苑 2014-06-19
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1781年(安永10/天明元)
8月
・モーツアルト、「クラヴィーアとヴァイオリンのためのソナタへ長調」(K.376(374d))、「変ホ長調」(K.380(.374f))、「ヘ長調」(K.377(374e))、「セレナード変ホ長調」(K.375)作曲。
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・米、独立戦争。イギリスのコーンウォリス将軍、ヨークタウンに進出。ワシントン、ロシャンボーとともに南下を開始。
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8月8日
・モーツアルトの手紙。
オペラ『後宮からの誘拐』の歌手たちは、彼らのために書かれたアリアに至極満足であった。
「アーダムベルガー、カヴァリエーリ、それにフィッシャーは、彼らのアリアにものすごく満足しています」(8月8日付)。
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8月22日
・モーツアルトより父への手紙。
アウエルンハンマー令嬢ヨゼファ(23)との結婚の噂について。
また、「オペラ(『後宮からの誘拐』)の第一幕はもう仕上がりました」と父親に報告。
しかし、ロシア大公の9月来訪は延期となった。
「ロシア大公は十一月になってからいらっしゃいます。そこでぼくはオペラをもっとじっくりと考えながら書くことができます」(8月29日付)。
これによって、作曲のテンポは鈍ってくるが、一方で、その時間的な余裕が、モーツァルトに創作の美学を意識的に打ち立てさせる機会を与えた。
結局、9月に筋の変更も行なわれたりしたため、11月下旬のロシア大公ウィーン訪問の祝賀公演には間に合わなくなってしまう。
その後、様々な事情が重なり、初演は翌年7月16日となる。
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8月23日
・英、のちのネルソン提督、21門小型フリゲート艦アルベマール号指揮。
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8月30日
・米、独立戦争。ヨークタウンで米英決戦開始。50日にわたる。
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・モーツアルト、父の要請でヴェーバー家の近くのグラーベン1175番地(現17番地)に転居(9月5日説あり)。
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9月1日
・オーストリア、刑罰令。農民に対する領主裁判権行使が制限。
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9月3日
・オランダ、「愛国者」党が結成され、諸制度の抜本的改革を要求。
この日、指導者ファン・デル・カペレン・トト・デン・ポルは、「オランダ人民への呼びかけ」を発表。これは総督(オランダ州の首長)の「専制」に対する闘争の呼びかけ、アメリカの愛国者に倣った自由への呼びかけ。
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9月3日
・ウジェーヌ・ド・ボーアルネ(後、ナポレオンのイタリア副王)、パリで誕生。
ナポレオンの妻となるジェセフィーヌの連れ子でナポレオンの養子となる。

ウジェーヌの両親は共に仏領小アンティル諸島マルティニック島出身。
父アレクサンドルはマルテ ィニック島フォール・ロワイヤルで、アンティル諸島総督・海軍中将フランソワ・ド・ラ・フェルテ・ボーアルネ侯爵の次男、妻ジョセフィーヌとは幼なじみ。
8歳でフランス本土に渡り、英才教育を授けられ、ルソー・百科全書派の啓蒙思想の影響を受けてハイデルベル グ大学に学ぶインテリ、一方でパリ社交界に入り浸り、「パリきっての踊り手」「女を口説き落とす見事な才人」とあだ名される遊び人。
ラ・ロシュフーコー公爵と知遇を得て、自由博愛思想を吹き込まる。
17歳で公爵が連隊長を勤めるラ・ザール(第51)歩兵連隊少尉として入隊。
1777年12月10日ジョセフィーヌと結婚。後、別居。

アレクサンドルはブロワ選出第2身分議員として3部会に参加、積極的に革命運動に関わる。立憲国民議会で最初は自由主義的開明貴族派、ラ・ロシュフーコー、オルレアン公、ラファイエット、ラメットなど貴族階級議員と組む穏健立憲君主派であったが、次第に言動が過激になり初期ジャコ バン派最左翼共和派となる。
1791年立憲国民議会の最後の議長となる。
10月立法議会でも暫定的処置として留任し最初の議長を務める。
この頃、上流貴族の殆どは亡命、彼の兄もコンデ公軍に参加する「エミグレ」となっていたが、アレクサンドルは残り少ないフランス軍高級将官として優遇され、手柄も無く中将に昇進、高地ライン方面軍司令官、次いで全ライン方面軍総司令官に任命される。

のち国民公会の時代、アレクサンドル、ジェセフィーヌ夫妻は共に逮捕・収監され、アレクサンドルは処刑される。
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9月5日
・米、独立戦争、チェサピーク湾沖の海戦。ニューヨークからのイギリス艦隊、ド・グラースのフランス艦隊と交戦して撤退。
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9月5日
・この日付けモーツアルトの父宛の手紙。
ウィーンでの音楽活動は始まったばかり。見通しは決して前途洋々たるものではない。モーツァルトは冬になれば万事うまくゆくだろうと楽観的な予想をもらし、もしうまくゆきそうもなかったら、まっすぐパリに行かなければと父親に意見を求める。
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9月8日
・米、独立戦争、ノースカロライナのユートー・スプリングスの戦い。イギリス軍(コーンウォリス将軍)、グリーンの植民地軍を破る。しかし、イギリス軍はチャールストンに後退。
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9月28日
・米、独立軍、ヨークタウンの英国軍に対し包囲戦に入る。
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10月13日
・オーストリア、神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世、「寛容令」公布。ルター派、カルヴァン派、ユダヤ教徒に公民権上の同権と礼拝の自由承認。
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10月15日
・モーツアルト、セレナード 変ホ長調 (K375)作曲。宮廷画家ヨーゼフ・ヒッケルの義妹テレーゼのため。
10月31日、ヴァルトシュテッテン男爵夫人のところで演奏。
「〔昼の〕十二時にぼくはレーオボルトシュタットのヴァルトシュテッテン男爵夫人の邸に参りました。(中略)夜十一時に、ぼくはクラリネット二本、ホルン二本、それにファゴット二本の夜曲を一曲、 - それもぼくの自作の曲を贈られたのです。(中略) この人たちは玄関の扉を開けさせ、中庭の真中に整列したあと、ちょうど服をぬごうとしていたぼくを、最初の変ホ調の和音でもって、なんともいえず心地よいかたちで不意打ちしたのでした。」
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10月16日
・フランス、クロード=ヴィクトール・ペラン(17、後、ナポレオンの元帥)、グルノーブルで砲兵連隊鼓笛隊の少年鼓手として入隊。
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10月19日
・米、独立戦争、ヨークタウンの戦い(アメリカ独立戦争事実上終結)
コーンウォリス将軍麾下のイギリス軍7千、降伏。植民地軍1万5千が包囲。フランス艦隊はチェサピーク湾を固めてイギリス軍の救援を不可能にする。
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10月22日
・フランス、マリー・アントワネット、第2子・王太子(ルイ・ジョゼフ)を出産。
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後半
・モーツアルト、リート「偉人たちの栄光に感謝せよ」(K.392(340a))、「孤独に寄す」(K.391(340b))、「希望に寄す」(K.390(340c))作曲。
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