2015年1月23日金曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(116) 「第17章 因果応報-資本主義が引き起こしたイラクの惨状-」(その5終) : 「イラクは反国家的反革命の究極の形 - つまり空洞国家にほかならなかった」

マンサク 2015-01-23 北の丸公園
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アメリカの大手契約企業はずさんな管理を3年半も続けたあげく、全てイラクから撤退した
 二〇〇六年九月、ベクテルはイラクから撤退するにあたり、業務が遂行できなくなったのは「たび重なる暴力」のせいだったと述べた。
しかし、契約事業の失敗は武装抵抗勢力が台頭するずっと以前から見られた。
同社が最初に再建を委託されたバグダッドの学校には、すぐさま住民の苦情が殺到した。
イラク全土で暴力が激化する前の二〇〇四年四月上旬、私はバグダッド中央小児病院を訪ねた。病院は別の請負業者によって再建されたことになっていたが、廊下には汚水が流れ込み、トイレはすべて故障して使えず、修理にあたっていたイラク人男性(孫請のさらに下請の労働者)は靴も履いていないほど貧しかった。

 こうしたずさんな管理を三年半にわたって続けたあげく、アメリカの大手契約企業はすべてイラクから撤退した。何十億ドルという金が費やされたにもかかわらず、膨大な仕事の大部分は手つかずのままだ。

 パーソンズは一四二ヵ所の病院の建設を一億八六〇〇万ドルで受注したが、完成したのはたった六カ所だけ。
再建の成功例として持ち上げられたプロジェクトでさえ、疑問が呈されている。
二〇〇七年四月、アメリカ政府監査官が米企業によって完成した産科病院や浄化システムなど八ヵ所のプロジェクトを調査したところ、そのうちの「七カ所はもはや当初の意図どおりに稼動していない」ことが判明したと、『ニューヨーク・タイムズ』紙は報じている。

 さらに同紙は、二〇〇七年のイラクの発電量は前年を大きく下回っているとも報告している。
主要な復興事業の契約が終了する二〇〇六年一二月の時点で、米監査官事務所はイラクで米企業が関連した八七件の詐欺容疑の捜査を進めていた。
イラク占領下の不正はずさんな管理によって引き起こされたのではない。イラクを西部開拓資本主義の次なるフロンティアにするには、法の拘束から解放しなければならない、という政策決定がもたらしたものだ。

CPA自体がいかさま組織だった。暫定当局の名称に実体が伴っていたか怪しい
 CPA自体がいかさま組織だったからにほかならない。暫定当局と名乗ってはいたものの、名称に実体が伴っていたかどうかははなはだ怪しい。この点をずばり指摘したのは、悪名高いカスター・バトルズ社の事件を担当した判事だった。

 キュリティー会社カスター・バトルズの二人の元社員が起こした内部告発の訴えによれば、同社はCPAから得た復興事業契約(大半はバグダッド国際空港での仕事)で不正を働き、アメリカ政府から数百万ドルをだまし取ったという。・・・ヒユー・タント元准将は、同社の手口は「陸軍に在籍した三〇年間に見聞きしたなかでも、おそらく最悪のもの」だと証言した・・・。

 二〇〇六年三月、ヴァージニア州連邦陪審はカスター・バトルズに対して詐欺罪で有罪評決を下し、一〇〇〇万ドルの損害賠償金を支払うよう命じた。
同社側は評決を不服として控訴したが、その言い分は非常に示唆深いものだった。いわく、CPAはアメリカ政府の正式機関ではなく、したがって虚偽請求取締法などのアメリカの法律は適用できないというのだ。

 この言い分の意味するところはきわめて大きい。というのもブッシュ政権はイラクで事業を行なう米企業に対し、イラクの法律は適用しないというお墨付きを与えていたからだ。CPAがアメリカの法律の適用外にあるというのなら、請負業者はアメリカ法、イラク法のどちらにも縛られないということになる。

 だが、控訴審の判事はカスター・バトルズ側の言い分を認め、同社がCPAに「不正に水増しされた虚偽の請求書」を提出した証拠は多くあるが、原告側は「この申し立てがアメリカ合衆国に対するものだということを証明できなかった」との判決を下した。

イラクは反国家的反革命の究極の形 - つまり空洞国家にほかならなかった
 言い換えれば、経済実験の最初の一年間にイラクに存在していたかに見えたアメリカ政府は、”蜃気楼”にすぎなかったということだ。そこには政府は存在せず、あったのはアメリカ国民の血税とイラクのオイルマネーを、あらゆる法律の枠外で外国企業にどんどん流し込むパイプだけだった。イラクは反国家的反革命の究極の形 - つまり空洞国家にほかならなかった。

 何十億ドルという金を請負業者に分配し終わると、CPAは跡形もなく消えてなくなった。スタッフは民間企業に戻り、数々の不祥事が浮上したときにはCPAの失態を説明できる責任者は誰一人残っていなかった。だがイラクでは、行方不明の数十億ドルに対する怒りは消えるはずもなかった。・・・

 さらにイラク復興の壊滅的失敗は、もっとも破壊的なしっぺ返し - すなわち、イスラム原理主義の台頭と宗派対立の激化を招く直接的原因のひとつとなった。

 占領当局が治安維持などのもっとも基本的な業務すら遂行できないことが明らかになると、その空白を埋めたのはモスクや各地の民兵組織だった。なかでもシーア派の若い宗教指導者ムクタダ・アル・サドル師は、バグダッドからバスラに至るシーア派貧困地域で、自前の”影の復興”を推進することでプレマー率いる民営化計画の失敗を暴き、熱心な支持者を獲得していった。モスクへの献金を資金源とし、のちにはおそらくイランからの援助も得たサドル派の組織は、電気や電話線を修理する技術者を派遣することから、ゴミの収集作業の組織、非常用発電機の取り付け、さらには献血運動や交通整理まで行なった。

 「空白ができているのに、誰もそれを埋めようとはしなかった」と、占領初期にサドル師は語っている。「私にやれることがあればやるだけだ」。彼はまた、プレマー統治下のイラクで職もなく希望を失った若者を集め、黒装束に身を固めさせ、錆びついたカラシニコフ銃を与えた。これがシーア派民兵組織マフディ軍へと発展し、今やイラクの宗派抗争のなかでももっとも残虐な組織のひとつとなっている。

 これらの民兵組織もまたコーポラティズムがもたらした産物だと言える。もし復興事業が雇用を生み、イラク社会に秩序をもたらしていれば、サドル師が台頭する機会もなく、彼が新たな支持者を獲得することもなかった。だが実際には、企業国家アメリカが犯したたび重なる失敗が、サドル師が成功する土壌を作ったのである。

 プレマー統治下のイラクは、まさにシカゴ学派の理論の論理的帰結だった。
公共部門で働くスタッフは最低限まで減らされたが、その大半はハリバートンが建設した都市国家に住む契約社員で、KPMGが草案を作成した企業に有利な法律に署名したり、傭兵(全面的に訴追を免除されていた)に守られた欧米の請負業者にダッフルバッグに詰め込んだ札束を渡すことを任務としている。

 だが、その周岡の人々は皆、激しい怒りをたぎらせていた。
彼らが原理主義へとなびいていったのも、空洞化した国家においてはそれが唯一の力の源泉だったからだ。ロシア政府のギャング体質やブッシュの縁故主義と同様、占領後のイラクもまた世界の民営化を目論む半世紀にわたる改革運動の産物にはかならない。その文脈とは切り離されがちではあるが、今日のイラクはまさにそれを創出したイデオロギーの、かつてないほど忠実な権化とみなされるべきなのだ。




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