江戸城(皇居)東御苑 2015-04-09
*津波以降 - 第二のチャンス
政府の国民に対する裏切り
反民営化路線を公約に掲げて当選したチャンドリカ・クマラトゥンガ大統領は、津波が一種の宗教的な啓示となり、自由市場経済に光明を見出すようになったと宣言。
沿岸部の視察に訪れた彼女は、瓦礫の真ん中に立ってこう言った。
「わが国は豊かな自然資源に恵まれていますが、これまでその恵みを十分に役立ててきたとは言えません。(中略)おそらく自然は「もぅいい加減にしろ」と怒りを爆発させ、四方八方からわれわれを打ちのめすことで、結束の大切さを教えてくれたにちがいありません」。
津波発生のわずか4日後、政府は国民が長年強く反対してきた水道事業の民営化を可能にする法案を可決。国内が水浸しとなり、死者を埋葬することもできずにいたこのとき、当然ながら国民の大半はそんな法案が通ったことすら知らなった - イラクで石油新法が通ったときとよく似たタイミングである。
そればかりか政府は、この極度の困窮のさなかにガソリン価格の引き上げを断行した。
スリランカ政府が財政的努力をしているという明白なメッセージを融資者に送るためだ。
政府はまた、国営電力会社を分割して民間部門に売却する計画のもと、法整備に着手した。
企業グローバリゼーションによる第二の津波
零細漁民の支援団体「スリランカ全国漁業連帯運動」のハーマン・クマラ代表はこの再建計画を、傷つき弱り切った国民を食い物にする意図的な計画だとみなし、これは「企業グローバリゼーションによる第二の津波」だと言う。戦争のあとに略奪が起きるように、最初の津波のあとに「第二の津波」が襲いかかってきたのだ、と。
「国民はかつてこうした民営化政策に断固として反対していた。ところが今や人々は避難所で食べるものもなく、明日をどう生き延びるかを考えるだけで手一杯の状態です。寝る場所もなく、住むところもなく、収入の手段をなくし、この先どうやって食べていくか途方に暮れている。政府はまさにそういう状況のなかで、計画を勝手に推し進めている。人々がいずれ立ち直って何が決定されたかを知ったときには、もう後の祭りです」
ワシントンの融資期間のスリランカでの迅速な対応は、1997年10月のハリケーン・ミッチの経験によるもの
ワシントンの融資機関が津波という好機を利用するべくただちに行動できたのは、過去にこれときわめてよく似た経験をしていたからだった。津波後の惨事便乗型資本主義のリハーサルとなったのは、1998年10月に中米を襲ったハリケーン・ミッチ後の対応だが、これについてはこれまでほとんど検証されていない。
ハリケーン・、ミッチは丸1週間にわたって中米地域に居座り、ホンジュラス、グアテマラ、ニカラグアの海岸や山々を襲って村々を根こそぎ破壊し、9,000人以上の命を奪った。・・・
ハリケーン襲来から2ヵ月後、国土がまだ瓦礫や死体や泥に覆われていた時期、ホンジュラス議会は空港や海港、幹線道路の民営化を推進する法案を可決、国営の電話会社や電気会社、一部水道事業を迅速に民営化する計画案を通過させた。
次に議会は、進歩的な土地改革法を撤廃して外国人が容易に土地の売買ができるようにし、さらには環境基準を引き下げ、鉱山開発の障害となる住民の強制退去を容易にする企業最優先の鉱業法(草案は業界が作成)を強引に可決した。
同じくハリケーン襲来の2ヵ月後、グアテマラ政府は電話事業の売却計画を発表し、ニカラグア政府も電話事業のほかに電気会社と石油事業の売却計画を打ち出した。
『ウォールストリート・ジャーナル』紙によれば、「世界銀行とIMFはニカラグア政府に(通信事業の)売却を迫り、これを年間約四七〇〇万ドルの援助を三年間行なう条件にするとともに、約四四億ドルの対外債務の免除とも関連づけた」。
電話会社の民営化とハリケーン災害復興との間にはもちろんなんの関連もないが、ワシントンの融資機関の惨事便乗型資本主義者たちの頭の中では、切っても切れない関係にあるのだ。
「災害は外国からの投資に好機をもたらす」
買い手の大半はかつて自らが民営化した外国の元国営企業で、今や自社の株価上昇を狙って新たな買収物件を世界各地で物色していた。
グアテマラの電話会社に飛びついたのは、民営化したメキシコの電話会社テルメックスだ。スペインのエネルギー企業ウニオン・フェノーサはグアテマラのエネルギー企業数社を買収した。民間会社となったサンフランシスコ国際空港はホンジュラスの四つの空港すべてを買収し、ニカラグアの電話会社は、大手会計事務所プライスウォーターハウスクーパースが出した査定額8,000万ドルの40%にすぎない3,300万ドルで売却された。
「災害は外国からの投資に好機をもたらす」 - グアテマラの外務大臣は1999年にダボスで開かれた世界経済フォーラムに出席した際、こう述べた。
津波から1週間後、スリランカ大統領は国家再建特別委員会を設置
スリランカ大統領はワシントンの融資機関からの圧力のもと、国民から選出された国会議員には復興計画の立案を任せないとして、津波襲来のわずか1週間後に「国家再建特別委員会」というまったく新しい組織を結成する。スリランカ復興の基本計画を決めて実行に移す全権を有するのは国会ではなく、この小集団だというのだ。
委員会はスリランカの金融界と産業界を代表する有力者で構成され、しかも10人の委員のうち5人がスリランカ最大のリゾートホテルを擁する海浜観光業界の株を直接保有していた。委員には漁業や農業を代表する者、環境問題の専門家や科学者もおらず、災害復興の専門家さえ含まれていなかった。委員長に就任したのは、かつての民営化の帝王マノ・ティッタウェラである。「これはモデル国家を打ち立てる機会だ」と彼は言い切った。
この国家再建特別委員会の設立は、自然災害の力を借りた新手の企業クーデターを意味していた。・・・
国民が選挙で示した明白な意思は無視され、選挙民の意見を反映しない産業界の直接統治に取って代わられたのだ。これは惨事便乗型資本主義にとっても、かつてないことだった。
産業界の大物の委員たちは首都から一歩も出ることなく、たった10日間で住宅から道路建設に至るまでの国家再建の青写真を作るという荒業をやってのけた。バッファーゾーンの設置 - 寛大にもホテルだけは建設を許された ー が打ち出されたのもこのときだ。
委員会はさらに、津波以前には国民の強い反対に遭った高速道路と大型漁港の建設に災害支援金を流用する決定も下した。
「私たちにとってこの経済政策は津波以上の大災害です。だからこそ私たちはこれまで必死にそれを阻止しようと戦ってきたし、この前の選挙でもノーを突きつけた」と言うのは、土地の権利問題の活動家サラス・フェルナンドだ。「それなのに津波からたった三週間で以前と同じ計画を持ち出してきた。前もって準備していたことは明らかです」
*フェルナンドはスリランカのNGO連合組織「土地と農業の改革運動」(MONLAR)の代表を務める。MONLARは津波直後から「国民参加による復興」を求めて活動してきた。"
アメリカ政府へのスリランカ国家再建特別委員会への肩入れ
コロラドに本社を置く大手建設企業CH2Mヒルは、イラクにおける契約事業監督の報酬として2,850万ドルを取得したが、イラクでの復興事業の失敗に重大な責任を負う立場にもかかわらず、スリランカの復興事業で新たに3,300万ドルの契約を受注した(その後4,800万ドルに拡大)。
契約内容は、加工漁船用の探水港を三カ所に建設することと、アルガムベイを「観光客のパラダイス」に生まれ変わらせる計画の一環として橋を建設することだった。
津波災害支援を名目にしていたとはいえ、どちらの計画も当の被災者にとっては災厄以外の何ものでもない。大型トロール船は漁民の獲る魚を全部さらってしまうし、ホテルはビーチから漁民を追放したがっているからだ。・・・「「支援」が支援にならないどころか、人々に害をもたらしている」・・・
「競争力強化プログラム」の責任者ジョン・ヴァーレイ・・・は次のように説明した。「被災者だけに限定した支援方法は望ましくない。(中略)スリランカ全体の利益になり、国家の成長につながるような支援にすべきなのです」。そして、この状況を高層ビルのエレベーターにたとえてこう言った。最初は少数の人だけが最上階に行くことができるが、彼らが富を築けばエレベーターはまた下に戻って、もっと多くの人を上へ運べるようになる。階下で待っている人たちは、エレベーターが必ず - いつかは - 戻ってくることを理解すべきだ、と。
津波被害者も暫くすれば世界中どこでも見られる貧困者と変らなくなる
米政府が漁民に対して直接金を出したのはたった一度、海岸の再開発を進める間に漁民が押し込められていた仮設住宅の「改善」のために出された100万ドルだった。ここからも、トタンとベニヤ板で囲った避難所が「一時的」なものというのは名ばかりで、けっきょくは恒久的なスラム ー 世界の貧困国のほとんどの大都市周辺に存在するような - と化す運命にあることが浮き彫りになる。・・・
世銀とUSAIDは、世界の大部分の人がまだ気づいていなかったことを見越していた。しばらくすれば津波の被災者が「特別な」存在であるという感覚も薄れ、やがては世界の何十億という顔の見えない貧困者と変わりなくなるというわけである。
世界の貧困者の多くはすでにスラム街で水もない生活を送っている。こうしたスラムは一泊800ドルの超高級ホテルとまるで背中合わせのように増殖し続け、人々はそれをグローバル経済の落とし子として容認してきたのだ。
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