2010年10月30日土曜日

東京 北の丸公園 実りの秋 カクレミノの実 ウメモドキの実 クロガネモチの実 ムクロジの実 イイギリの実 ユッカ蘭 ナンテン 科学技術館で宙博(ソラハク)開催中

何度も書いてますが、本当に曇天続き。
晴れたのは10月27日くらいで、あとは曇りか雨。
昨日(10月29日)も曇天でしたが、北の丸公園へ行きました。
「実りの秋」です。
そこここに、色んな色の実を付けた植物があります。
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カクレミノの実 (ウコギ科)
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ウメモドキの実 (ニシキギ科)
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クロガネモチの実 (モチノキ科)
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ムクロジの実 (ムクロジ科)
羽根つきの羽根の重りになるものです。
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イイギリの実 (イイギリ科)
高い木の枝にぶら下がっています。
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???です
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ユッカ蘭
武道館前の駐車場の脇にあります。
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ナンテン
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以下は散歩道の風景。
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木の枝にカラスが何羽もとまっています。
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10月29日(金)から31日(日)まで、科学技術館で宙博(ソラハク)が開催中。
大勢の人が詰め掛けていました。
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下のスケジュール表の左側にある、
京大の柴田先生という方の「太陽と地球・生命」というお話を聴いてきました。
太陽は、常に巨大爆発をしているというお話でした。
明日、お天気良ければ、公園散歩と共に、ご入場おススメです。
台風一過、ギンナンもたくさん拾えるんじゃないでしょうか。
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天文23(1554)年9月~12月 北条氏康、関東の実権掌握 信長、「上総介信長」を名乗る  [信長21歳]

天文23(1554)年9月15日
・折敷畑(廿日市)の合戦。
陶隆房(後の晴賢)、山代十三郷の監軍宮川甲斐守房長に将兵3千を与え安芸攻略に先発させるも、大敗。宮川甲斐戦死。
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9月29日
・毛利元就、安芸能美島を占領、飯田氏の水軍が付近を警護。
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10月
・毛利両川(吉川元春・小早川隆景)、兵2万で大友方門司城(城督仁保就定)を攻略。
13日、大友義鎮、毛利氏に反撃するべく、戸次・田原・臼杵・斉藤・吉弘ら兵1万5千を派兵。大友軍と毛利軍の初対決。
15日、毛利軍総崩れ。門司城は再び大友氏のものとなる。
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10月4日
・北条氏康、松田憲秀に7千騎を与え、古河公方足利晴氏の下総古河城を攻めさせる。 
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10月5日
・北条氏康、真田幸隆(42)に吾妻郡在城を要請。
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10月12日
・三好長慶、堺より淡路に渡り炬ノロ城で弟3人(淡路の安宅冬康、讃岐の十河一存、阿波の三好義賢)と対面、播磨出兵など打合せ、夫々の本国での出兵準備にとりかからせる。
下旬、芥川城に戻り、28日に上洛、小泉城の今村慶満らから京洛の状勢を聴取。
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11月1日
・尼子晴久、叔父国久の率いる新宮党を全滅させる。
国久の長男誠久の四男孫四郎(2)は乳母の手で脱出。
のちの尼子勝久。山中鹿之介らが尼子家再興のために奉じる。
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11月2日
・阿波の三好義賢の家来篠原長房先手1千、播磨攻めのため撫養を出て船上(明石市)に上陸。
11日、三好長慶先手3千と合流し、明石氏の籠城する明石城包囲。持久策をとり越年。
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阿波の勝瑞城では、阿波軍先鋒に篠原長房を任命。
「昔阿波物語」によれば、長房の父祖は近江篠原(滋賀県野洲市小篠原)出身で、多賀社の神官の従者として阿波へ下り、土着したと云われる。
長房の祖父宗半は三好之長に仕え、訴訟事務に才能を現した。
長房は、この宗半の子大和守の2男。
長房が畿内で活動するのは、この天文23年冬の播磨出陣が初めてで、以後三好義賢・長治父子によく仕え、長慶没後は三好三人衆政権を1人で支え、阿波・讃岐を確保し続ける。
戦国家法「新加制式」の制定者(陪臣ながら分国法の制定者となるのは長房1人)。
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11月7日
・北条氏康、関東の実権掌握。
叛した古河公方足利晴氏・藤氏を下総国古河城に攻め自領波多野(秦野市)に幽閉。
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藤氏の異母弟の義氏(母は北条氏綱の娘)を古河公方に据えてこれを傀儡とし、その権威をかりて自らの権力を補完する体制を整える。
関東管領上杉憲政の越後亡命とあいまって、北条の勢威は関東を制圧。
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11月11日
・赤松義祐、安宅冬康の加勢を得て細川晴元の属城明石城を攻める。 
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11月16日
・信長、祖父江五郎右衛門へ俵小船1艘の諸役免除を安堵。
20日、信長、安斎院(曹洞宗曹源山)へ居屋敷・寺領を先規の如く安堵。
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信長は、安斎院への安堵状に「上総介信長」と署名。この「上総守」や「上総介」は、正式に朝廷から任官したものではなく自称。
尾張の中心地である清洲城を奪取し、次いで自称とはいえ受領名を称したことは、この頃から領国支配に係わる文書が増加することとも関係して、戦国大名としての経営基盤が固まりつつあることを窺せる。
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11月28日
・信長の叔父孫三郎信光、那古野城で家臣の坂井孫八郎に殺害される。
宿老の林秀貞に那吉野城を守らせる(「定光寺年代記」「信長公記」)。
「甫庵太閤記」は、信光の近習坂井孫八郎が、信光の妻との密通が露見するのを恐れて弑逆したと伝える。
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12月
・武田晴信の娘(黄梅院)、北条新九郎氏政に嫁ぐ。
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12月5日
・北条城の戦い。
上杉謙信の重臣北条城(刈羽城、柏崎市北条)城主北条高広、武田氏に内応、挙兵。
謀反は上杉方の事前察知により失敗。
謙信の信濃出兵、第2次川中島の戦いの要因となる。
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12月12日
・千利休、今井宗久の会に始めて招かれる。
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12月17日
・フランス、アンブロワーズ・パレ、同業の外科医の懇望により外科学博士試験受験、合格。博士にするため周囲は様々な「準備」。
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12月20日
・武田晴信、知久平を下条氏に安堵する。
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「★信長インデックス」  をご参照下さい。
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2010年10月29日金曜日

東京 竹橋の清水濠側にユッカ蘭が咲き始めました

竹橋の清水濠側にユッカ蘭が咲き始めました。
写真は10月27日の状況。
これだけの数がかたまって咲いているのは珍しいと思います。
この花、春と秋の二回咲きます。
ただ、花の重量に耐えきれず、しだいに傾き、倒れてしまうという問題があります。





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「★東京インデックス」  「★四季のうつろいインデックス」をご参照下さい。
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2010年10月27日水曜日

東京 江戸城 本丸跡 サザンカ咲く カリンの実 ジュウガツザクラ ショウメイギク タイワンホトトギス センリョウ ヒメリンゴ

久しぶりの好天の今日(10月27日)、江戸城本丸跡へ。
この2週間程、曇天続きで雨も時々。
そして、明日は雨、またしばらく曇天が続くという。
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サザンカが咲き始めている。

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カリンの実
輪切りにして干したものを煎じたり、蜂蜜につけたりすると、咳止めの薬になるとか。
そう言えば、この名前を付けたのど飴があったような。
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ジュウガツザクラ
もう殆ど終りに近い
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ショウメイギク
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タイワンホトトギス
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センリョウ
赤くなるまでにはこれからまだ1ヶ月ほどかかる
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ヒメリンゴ
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天守閣跡を正面から
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「★東京インデックス」  「★四季のうつろいインデックス」  をご参照下さい。
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2010年10月26日火曜日

京都 高瀬川に沿って木屋町通そぞろ歩き(4) 瑞泉寺 坂本龍馬の寓居跡(酢屋) 五之舟入址 彦根藩邸跡 七之舟入址 土佐藩邸跡 旧京都市立立誠小学校(昭和3年築) 八之舟入址 本間精一郎遭難之地 九之舟入址 古高俊太郎邸跡 喫茶店フランソワ

今回は、木屋町三条から四条方面に下る。
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瑞泉寺
慶長16年豪商角倉了以が豊臣秀次らの菩提を弔うために創建。
寺名は秀次の法号。
秀次は、三好吉房と秀吉の姉との子で、秀吉の養子となり関白となる。
しかし、文禄2年、秀頼が誕生すると、秀吉に疎んじられ、高野山に幽閉後、切腹を命じられる。
この際、秀次の妻妾、子供ら30数人が、この寺の裏にあたる三条河原で惨殺される。
高瀬川開削中の角倉了以がその墓石を見付け、この寺を建立した。


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坂本龍馬の寓居跡
この酢屋(創業は享保6年)は、土佐藩邸に近く、土佐藩との繋がりの深い材木商。
寺田屋を襲撃された龍馬は、この寺田屋を京都の宿所とする。
多分、酢屋にとては厄介ものであったと思われるが、ここは海援隊の屯所ともなる。
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この界隈の桜の頃(2010年3月末)の風景
中央の橋を右に行けば酢屋
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五之舟入址
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彦根藩邸跡
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七之舟入址
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土佐藩邸跡
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旧京都市立立誠小学校(昭和3年築)
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八之舟入址
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本間精一郎遭難之地
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九之舟入址
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古高俊太郎邸跡
この付近は、昼間歩いていても、お声がかかる一帯です。
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喫茶店フランソワ
木屋町四条下る
昭和9年から営業しているお店だそうです。
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「★京都インデックス」  をご参照下さい。
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