2013年2月14日木曜日

陸前高田市の3階建てビルの屋上に津波の到達点を示す表示板を設置。 「津波の記憶を風化させたくない」




河北新報社
ビル屋上に津波到達の表示板 陸前高田



 東日本大震災の津波で被災した岩手県陸前高田市の3階建てビルの屋上に7日、所有者で、包装資材販売「米沢商会」を経営する米沢祐一さん(48)が、津波の到達点を示す表示板を設置した。高さは約14メートル。屋上の煙突にしがみつき、九死に一生を得た米沢さんは「津波の記憶を風化させたくない」と力を込める。

 屋上の煙突部分に縦1.3メートル、横1メートルのアルミ複合製の表示板2枚を取り付けた。大学時代の友人に設置を勧められ資金面でも協力してもらった。

 震災時、近くの倉庫で地震に遭った。すぐ戻ると、父の節祐さん=当時(74)=、母の静枝さん=同(70)=、弟の忍さん=同(38)=がいた。3人は約70メートル離れた市民会館に避難し、米沢さんは残った。

 避難しようと2階に上がろうとした時、津波が襲ってきた。慌てて屋上の煙突まで駆け上がり、しがみついたところで、津波は建物全体をのみこんだ。

 黒い水が街を覆い、市民会館も何も見えなくなった。津波は足元まで迫った。煙突にしがみついたまま一日を過ごし、自衛隊のヘリで救助された。市民会館に避難した3人は遺体で見つかった。
 陸前高田市では、市民会館や旧市役所など被災建物の取り壊しが進む。米沢さんのビルも希望すれば国の予算で解体できたが、断った。

 米沢さんは「壊したら二度と戻らない。実物がないと実感が湧かない。ここまで津波が襲ったという教訓も伝えられなくなる」と言う。

 米沢商会のビルの位置は市が計画するかさ上げ地域から外れているため、現段階では解体は求められていない。先行きは分からないが、米沢さんは「できれば、ずっと残したい」と話した。

2013年02月08日金曜日

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