2013年9月26日木曜日

堀田善衛『ゴヤ』(5)「スペイン・光と影」(5) 「スペインという土地で生きることの辛さについて、あるいはスペイン人であること自体の辛さ、難儀さ」

江戸城(皇居)東御苑 2013-09-18
*
過酷な自然環境、厳しい天候、収穫の貧しさ、食料品の貧しさ、そして飢え
スペインという土地で生きることの辛さについて、あるいはスペイン人であること自体の辛さ、難儀さ
「サラゴーサの市街を離れて南へ下る。
直線距離で三五キロほど、車で四〇キロほど南へ下って行って、ゴヤの生地フエンデトードス村へ向うわけである。

私は、このサラゴーサ近辺をうろつくこと、はじめての一九六二年以来すでに三度目なのだが、そのたびごとに痛感させられることは、スペインという土地で生きることの辛さについて、あるいはスペイン人であること自体の辛さ、難儀さについて、であった。

このアラゴン地方は、なるほど大河の一つであるエプロ河とその支流が流れてはいる。しかしこの大河がうるおしている地域は、まことに狭小なものである。今日では灌漑設備がととのって来たので、果実や野菜、小麦などがとれて、スペインの中でも、ややゆたかな地方ということになっている。
けれどもそのゆたかさを、われわれの農業についての常識、あるいはフランスやドイツ、イタリア北部のそれと比べてみた場合、それはなんともはや痩せこけた、貧弱なものである。眼をあげさえすれば、アラゴン地方でのほとんどどこででも、不毛な、灰色の低い岩山、卓子状の岩山が見えるはずであり、その岩と岩のあいだに、点々と、まばらに、背の低い緑の挿木様のものがこびりついている。ヒースや、松のたぐいである。

そうしてたとえばサラゴーサから北西の方へ飛行機で飛んだとすれば、たちまち眼に入って来るものは、本当に一木一草もないロス・モネグロスの、広大な岩山の皺である。それは、むき出しの地球の皺であって、上空を飛ぶ人は、パミール山脈か、それとも中近東の砂漠の山々の上にいるかと思うであろう。
・・・
白茶けた岩だらけ、いや岩だけの山、それに石ころとごろた石ののさばっている、ゆるい傾斜の野原が、サラゴーサをはなれて二〇分もすると、ほとんど絶望的なまでにひろがって来る。
・・・」

土地所有に関する限り、この国はいまだに封建時代にいる
「ともあれスペインでは、五〇〇万の農民は土地を所有せず、しかもほんの少しの土地をたとえもっていても、たっぷり食うということは出来ない。・・・

・・・。スペイン人口のたったの二パーセントの貴族や大地主たちが、土地全体の半分を所有しているのである。現政権は、たしかに土地制度の改革に力を注いでいるようであるが、土地所有に関する限り、この国はいまだに封建時代にいる。フランス革命以前なのである。

アンダルシーア地方を旅してあるくあいだに、グラナダ近郊にいまだにウェリントン公爵家の狩猟用の領有地があると聞いて、私は茫然としたことがあった。まるで一気にゴヤの時代、ナポレオンの時代に突き戻された気がしたものであった。

しかしたった二パーセントの貴族と大地主が全国の五〇パーセントの土地を所有していたとしても、その多くのものが不毛であるとしたら、もっていても仕方がないということになるであろう。事実、スペイン全土の約半分は、他の農業国との対比で言えば、荒蕪地、不毛の地なのであった。仕方のないものは放っておくより仕方がない。ラテン・アメリカなどの旧植民地から利益を吸い上げた方がよい……。その不毛さ加減に感心する観光客にでも頼った方がいい……。

荒廃の根は歴史に深いのである。かつてゴヤとも縁の深かった、現アルバ公爵家などは、いったいどのくらいの土地を領有しているものか、その広さを公表していない。それは、あまりに広すぎて、公表をはばかられるからであった。」

「ゴヤの生れた村は、彼が生れた一七四六年当時、人口一〇九人であったと記録されているけれども、いまでも二、三〇〇人くらいのものであろう。そうしてこの村の領主は、いまもフエンテス伯爵であり、修復の上で保存されているゴヤの生家は同フエンテス伯爵の所有となっていた。なぜなら、ゴヤの家系は絶えてしまっているから。理由は、簡単明瞭であった。
・・・」

彼らは日々飢えていた
「ゴヤの絵の多くのものに登場して来る民衆のロは、多くのものを毎日詰め込んでいる口では決してないのである。彼らは日々飢えていた。・・・
・・・」

「・・・(ドン・キホーテの)この物語のなかで主人公と従士とが食べる食物の貧しさは、読んでいる当方の方が申し訳なくなって来るくらいのものである。・・・
・・・
・・・。もう一つのスペイン民衆文学の傑作である『ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯』もまた、その基調には明白に飢えが据えられている。
・・・」

日々の飢えにさいなまれて人々は何を夢見るか?
「人を生むことはするけれども、育ててくれることのない残酷な自然のなかで、日々の飢えにさいなまれて人々は何を夢見るか?

ゴヤは生涯の終りに近く、この「夢」を、怖るべきイメージにおいて実現をしてしまった。

人を生むことはするけれども・・・われわれの画家ゴヤでさえが、著名な画家として確立してのち、生涯に合計約二〇人の子供を生ませているが、成年に達したのは、たったの一人でしかなかった。この画家の持病の特殊性についてはいまは触れぬとしても、ともあれ一般に驚くべき嬰児死亡率が一八世紀、一九世紀に、まだまだつづいていたのである。

スペイン絵画のもつ、一種独特の透明な形而上性、残酷なまでの非日常的な宗教性などに立ち入って行く以前に、スペインにおいての日常について心得ておかなければならぬことが多々あるように思われる。」

現実の飢えが、同時に魂の飢えに通じ、そこまで昇華して行くことは自然である
「現実の飢えが、同時に魂の飢えに通じ、そこまで昇華して行くことは自然である。そうしてこの両者が、人々の行動様式を決定するであろう。

スペイン的な極端さというものを設定してみることも可能な筈である。

たとえば、『ドン・キホーテ』その他の騎士物語にみられる極端な女性崇拝と、その対極としてのドン・ファン物語に見られる、いわば女性略奪による名誉形成に関する説話。
女性に関しては、貞潔についての極端な強制をするカトリックの教えと、たとえば宮廷や貴族社会に見られる、まことにわが国の平安時代を思わせるほどの自由性愛、放縦さ加減。
また、地上に在り、かつ威厳をもって立ちうる唯一のものは男性であり、女性は第二の、といぅよりは男性の附属晶であり、第三の創造物は牛である、という説話(女と牛とは秘密の話が出来る、という迷信さえがあった)。これと、極端なまでの聖母信仰。」

どこまでも、この強烈かつ極端な”スペインの光と影”がつきまとって来る
「これらの極と極とは、いったいどこでつながりうるものか、スペイン人自身にとっても謎なのではなかろうか。
男女、つまりは人間それ自体に関することは措くとして、もう少し具体的な、つまりは眼に入りやすい例をひくとすれば、それは前述の都市サラゴーサと周辺の田舎でもよいのだが、典型的な例としてマドリードをあげてみよう。

マドリードは、スペインのほぼ中心に位置しているが、その中心とは、これを権力と経済の面から見れば、これはまさに蜘蜂の巣の中心にはいつくばっている蜘蛛そのものなのである。巣のどのようなはしっこにひっかかる飼をも吸いあげてしまう。

スペインの都市は残酷なものである。周辺からすべてを吸い上げてしまって、如何なる意味でも還付を、反対給付をすることがなかった。都市の中心にある大聖堂、宮殿、領主の邸館、銀行などは、みな周辺の村々やその自然とはまことに対照的なまでに豪壮である。そうしてここで言う都市の”周辺”あるいは”田舎”には、スペイン国内だけではなく、かつては中南米、北阿、イタリア、フィリピンまでが入っていた。すべてスペインの都市が吸い上げるための植民地であったのである。
しかもなお「あらゆる都市はマドリードのために働く、しかもマドリードは誰のためにも働きはしない」と言い切る歴史家さえがある。

ことがスペインにかかわって来るとき、どこまでも、この強烈かつ極端な”スペインの光と影”がつきまとって来る。」
*
*

0 件のコメント: