2013年12月3日火曜日

1778年(安永7)8月~12月 モーツアルト、パリ出発 「旅をしない人間はみじめな人間だ!」 「心が涙でいっぱいです」 【モーツアルト22歳】

東大・三四郎池の紅葉 2013-12-02
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1778年(安永7)
8月
・夏、ロシア船ナタリア号、根室半島ノッカマップに着く。
翌年夏、再来航。松前藩役人と会談。交易要求を拒否される。多賀丸漂流民を教師としたイルクーツク日本語学校で学んだ日本語通訳が同行。
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・中旬。モーツアルト、パリでクリスティアーン・バッハと再会。
シェーナ(K.Anh.3(315b))(散失)作曲。
夏、クラヴィーアとヴァイオリンのためのソナタイ長調(K.305(293d))、交響曲(序曲)(K.Anh.8(311A))(散失)作曲。

モーツアルト父レオポルト、モーツアルトのザルツブルク復職運動
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・米、独立戦争、米仏共同作戦によるニューポート奪還失敗。
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・スウェーデン貴族フェルゼン、パリでマリー・アントワネットと再会。
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8月3日
・ジュゼッペ・ピエルマリーニ(44)建築のミラノ・スカラ座オープン
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8月7日
・モーツアルトの父への手紙。
「真実の友人とは貧しい人たちです。金持ちは友情というものをまったく知りません。 ところで、わがザルツブルクの話ですが、僕がどんなに嫌っているかご存じでしょう!……ザルツブルクは僕の才能に合わない土地だという理由で、勘弁して下さい。」
ザルツブルクやパリへの嫌悪をあからさまに父に伝える。
グリムもモーツァルトがパリでは得るものはないと言い始め帰郷を勧める。
母の死後、モーツァルトはグリムと同棲中のデピネ侯爵夫人の家に下宿。
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8月12日
・西三十三国、福井作左衛門の判ない斗量使用不許可、検査指示
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8月19日
・モーツアルト、パリ郊外サ・ジェルマン・アン・レーの師ルイ・ド・ノアーユ侯爵邸にクリスティアン・バッハと共に招かれ、28日まで滞在。
カストラート歌手テンドウッチのために、K.315b (Anh.3) シェーナ作曲、紛失。

月末、パリに戻り、4つのパリ変奏曲の最後としてドゥゼードの音楽劇「ジュリー」の「眠れるリゾン」を主題にしたK.315d (264) 9つのピアノ変奏曲(ハ長調)作曲。
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9月
・フランス海軍、ドミニカ奪取。
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・イギリス、のちのネルソン提督、ブリストルで一等海尉に昇進。
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9月8日
・モーツアルト、パリでの最後の演奏会。コンセール・スピリチュエル。
26日、パリ出発。

11日付けモーツアルトから父へ長い手紙。
ザルツブルクに帰りたくないこと、パリでの交響曲の大成功、グリムに対する不満、デピネ夫人の親切さ、ピッチーニと同じ仕事ができることを見せつける機会が得られないこと、アロイジアに対する恋心、など。
旅行を認めないザルツブルク大司教に対して、「旅をしない人間は(少なくとも芸術や学問をする者は)みじめな人間だ!」と不満。
グリムはストラスブールまでの旅費を払う(体よく追い出されたのに等しい)。

10月3日の手紙で父に苦情を伝え、別の馬車に乗り換えて旅を続ける。
同じ手紙で、パリでの作品としては唯一「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ ホ短調 K.300c (304) とニ長調 K.300l (306)」だけしか持って帰れないと伝える。
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10月
・幕府による全国的な身分分断政策の徹底。
御料・私領にわたり、「穢多非人等法外御停止御書付」を布令。
「百姓町人へ対し致慮外候歟、百姓町人体に紛し候者は、厳敷御仕置申付候」。
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・晩秋、モーツアルト、コゼードの「リゾンは森で眠ってた」の主題によるクラヴィーアのための9つの変奏曲ハ長調(K.264(315d))作曲。
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10月3日
・モーツアルト、ナンシー到着。1週間滞在。
15日、シュトラースブルク到着
(アロイジアがミュンヘンに働き口を見つけたことを知り、自分もバイエルン選帝侯に雇われてミュンヘンに行きたいと考えるが、父の帰郷命令に不本意ながら従わざるを得ず)。
17日、予約音楽会。カール・テオドールの後継者となるビルケンフェルト大公(マクシミリアーン4世)出席。
24日、演奏会開催。31日にも。
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11月
・フランス、スウェーデン貴族フェルゼン、スウェーデンの制服で参内。王妃との仲が噂になりはじめ、アメリカ遠征軍に加わる決意。
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11月3日
・モーツアルト、シュトラースブルク出発
(ザルツブルクへは向わず、父に背きアロイジアに会う為マンハイムに向う)。
6日、マンハイム到着。ヴェーバー家はミュンヘンに引っ越し、アロイジアに会えず。
16日、マンハイム天文台を見物。
19日、父からの手紙。無駄に終った旅行の経費を計算し、速く帰って来るよう促す。
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11月12日
・スペイン、サラゴーサの火事。
ゴヤ「サラゴーサ大劇場の火事」(紛失)。
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12月
ナポレオーネ(ナポレオン)、勉学の為、コルシカ島よりフランス本土に渡る。
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・イギリス海軍、フランス領のセントルシア奪取。
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12月6日
・モーツアルト、マンハイム出発(ザルツブルクには帰りたくなくて帰郷を延ばしていた)。カイザースハイムのシトー派修道院長ケレスティーン・アンゲルスブルッガー2世と同行。
13日、カイザースハイム到着。10日間滞在。
24日、カイザースハイム出発。
25日、ミュンヘン到着。

ウェーバー家は、無職のモーツァルトに用はなく、アロイジアと再会するが、失恋(彼女はモーツァルトを歌の先生としか見ていず、「片思い」)。
父は更に帰郷を強く求めてくる。モーツァルトは、この地のフルート奏者ヨハン・ベッケに慰めを求め、ベッケはレオポルトに「息子さんを優しく迎え入れてやってほしい」と手紙を送る。

29日付けモーツアルトの父への手紙
「心が涙でいっぱいです。」(就職が決まらず、母を失い、アロイジアにも失恋。負け犬となってザルツブルクへ帰らなければならない。 そして、あの退屈な田舎町に閉じ込められ、大司教の言いなりにならなければならない。今や父の帰郷命令に従うしかない)
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12月8日
・イギリス、のちのネルソン提督、コマンダーに昇進。ブリッグ艦バジャー号指揮。
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12月19日
・仏、ルイ16世とマリーアントワネットに第1王女マリー・テレーズ・シャルロット、誕生。(マダム・ロワイヤル。後のアングレーム公妃、ブルボン王家最後の王太子妃)
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12月29日
・米、独立戦争、英軍、ジョージア首都サヴァンナ占領。南部各地を攻撃。
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