2013年12月19日木曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(87) 「第10章 鎖につながれた民主主義の誕生 -南アフリカの束縛された自由-」(その3) 「政権は取ったのに、権力はどこに行ってしまったんだ?」 ANC政権は”子ども扱い”

追悼 ネルソン・マンデラさん
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経済学者ヴィシュヌ・パダヤキーの証言
経済政策でのANCの敗北
50代前半のパダヤキーは70年代、南アの組合運動に対する助言者として解放闘争に加わった。
「当時は誰もが、玄関のドアの内側に自由憲章を貼っていたものだ」と彼はふり返る。
自由憲章に謳われた経済に関する宣言が実行に移されないことを知ったのはいつかと問うと、それは1993年に「メィク・デモクラシー・ワーク」の作業グループの仲間と彼が、国民党との交渉の最終段階にあったANCの交渉チームに呼ばれたときだという。
交渉チームはパダヤキーらに、南ア中央銀行を政府から完全に切り離し、独立組織とした場合のプラスとマイナスについて報告書をまとめてほしいと要請した。しかも締め切りは翌日だという。

「まったく不意をつかれました」とパダヤキーはふり返る。
メリーランド州ボルティモアのジョンズ・ホプキンス大学大学院で経済学を修めた彼は、当時のアメリカの自由市場経済学者の間でも、中央銀行を政府から独立させるなどというのは逸脱した考えであることを知っていた。
そんなことを主張するのは、ごく少数のシカゴ学派のイデオローグ(彼らは、中央銀行は国家内の、主権共和国のように、国会議員の干渉の手の届かないところに置いておくべきだと考えていた)だけだった。
新政権の「成長、雇用、再分配という大きな目的」に合致する金融政策こそが必要だと確信していたバダヤキーや仲間たちにとって、そうしたANCの立場は愚の骨頂と映った。
「南アに独立した中央銀行を作るなど、ありえないことでした」

*ミルトン・フリードマンはしばしば冗談めかして、もし自分の思いどおりにできるのなら、中央銀行は純粋な「経済科学」に基づいて運営されるため、人間は必要なく、巨大なコンピューターがあれば事足りると。

バダヤキーたちは徹夜で報告書を書き上げた。
交渉チームに、デクラーク側の投げてきたクセ球に耐えるために必要な理論を提供するのが目的だった。
もし「南ア準備銀行」と呼ばれる中央銀行が政府と切り離されて運営されれば、ANCが自由憲章で宣言したことを実行する能力はそがれてしまう。
それだけでなく、もし中央銀行がANC政権に対して責任を持たないというのであれば、いったい誰に対して責任を持つのか? IMFか? ヨハネスブルク証券取引所か? 
国民党が、選挙に負けたあとも権力を保持するための裏操作を行なおうとしているのは明らかだった。これはなんとしてでも阻止しなければならない。
「彼らはできるだけ多くの利益を独占しようとしていた。それは明白な戦略の一部だったのです」とパダヤキーはふり返る。

中央銀行は政府から独立し、中央銀行総裁と財務相はアパルトヘイト時代と同じ人物
パダヤキーはでき上がった報告書をファクスで送信したが、交渉チームからは何週間も音沙汰がなかった。
「そこでいったいどうなったのか尋ねると、「あの件は放棄した」と言われました」。
中央銀行が南アという国家のなかの独立組織として運営され、その独立は新憲法に明記されるだけでなく、総裁にはアパルトヘイト時代と同じクリス・スタルスが就任するという。
ANCが放棄したのは中央銀行だけではなかった。
もうひとつの大きな譲歩は、アパルトヘイト時代の白人財務相デレク・キーズの留任だった。
ちょうどアルゼンチン独裁政権下の財務相と中央銀行総裁が、民主政権への移行後もなぜかその職にとどまったのと同じである。
『ニューヨーク・タイムズ』紙はキーズを「財政支出を低く抑えた、企業に優しい政府を支持するこの国の有力な唱導者」だと持ち上げている。

ギブ・アンド・テイクの交渉で経済政策面では譲歩
その時点までは、「まだ楽天的でした。なんと言ってもこれは革命的な戦いだったわけですから。少なくともなんらかの成果はあがると思っていましたよ」とバダヤキーは言う。
中央銀行と財務省のトップがアパルトヘイト時代と変わらないことがわかったとき、それは「経済改革という点ではすべては無に帰する」ことを意味した。
交渉チームは損失の大きさに気づいていたのかと尋ねると、彼は少しためらってから、「率直に言ってノーです」と答えた。
単純なギブ・アンド・テイクの交渉のなかで、「こちらも何かを譲らなければならなかったので、われわれの側は経済政策を譲ったのです」
パダヤキーの見方によれば、なにもANCの指導者が大きな裏切りをしたわけではないという。
ただ単に、当時はさほど重要ではないと思われた一連の問題について、相手のほうがうまく立ち回っただけだ、と。
だが現実には、それらの問題は南アの解放を恒久的なものにするうえで人きなマイナス要因になってしまったのである。

「政権は取ったのに、権力はどこに行ってしまったんだ?」
この交渉で、ANCは新たな種類の”綱”にからめ取られてしまった。
難解な規則や規制でできたこの網は、選挙によって選ばれた指導者の権力を抑制し、制限することを目的にしていた。
この網が南アをすっぽり覆ったとき、その存在に気づいた者はわずかしかいなかった。
だが新政権が発足し、いざ有権者に具体的な解放の恩恵 - つまり、人々が投票によって得られると期待していたものを与えようとすると、綱の紐がきつく締まり、政府は自らの権限が大きく制限されていたことに気づいた。
新政権発足後の数年間、マンデラ政権の経済顧問を務めたパトリック・ボンドは、当時、政府内でこんな皮肉が飛び交ったと言う - 「政権は取ったのに、権力はどこに行ってしまったんだ?」 
新政権が自由憲章に込められた夢を具体化しようとしたとき、それを行なうための権限は別のところにあることが明らかになったのだ。"

南アは自由であると同時に束縛されていた
土地の再分配は不可能になった。交渉の最終段階で、新憲法にすべての私有財産を保護する条項が付け加えられることになったため、土地改革は事実上不可能になってしまったのだ。
何百万にも上る失業者のために職を創出することもできない。ANCが世界貿易機関(WTO)の前身であるGATTに加盟したため、自動車工場や繊維工場に助成金を出すことは違法になったからである。
AIDSが恐ろしいほどの勢いで広がっているタウンシップに、無料のAIDS治療薬を提供することもできない。GATTの延長としてANCが国民の議論なしに加盟した、WTOの知的財産権保護に関する規定に違反するためだ。
貧困層のためにもっと広い住宅を数多く建設し、黒人居住区に無料で電気を提供することも不可能。アパルトヘイト時代からひそかに引き継がれた巨大な債務の返済のため、予算にそんな余裕はないのだ。
紙幣の増刷も、中央銀行総裁がアパルトヘイト時代と同じである以上、許可するわけはない。
すべての人に無料で水道水を提供することも、できそうにない。
国内の経済学者や研究者、教官など「知識バンク」を自称する人々を大量に味方につけた世銀が、民間部門との提携を公共サービスの基準にしているからだ。
無謀な投機を防止するために通貨統制を行なうことも、IMFから八億五〇〇〇万ドルの融資(都合よく選挙の直前に承認された)を受けるための条件に違反するので無理。
同様に、アパルトヘイト時代の所得格差を緩和するために最低賃金を引き上げることも、IMFとの取り決めに「賃金抑制」があるからできない。
これらの約束を無視することなど、もってのほかだ。取り決めを守らなければ信用できない危険な国とみなされ、「改革」への熱意が不足し、「ルールに基づく制度」が欠けていると受け取られてしまう。
そしてもし、これらのことが実行されれば通貨は暴落し、援助はカットされ、資本は逃避する。
ひとことで言えば、南アは自由であると同時に束縛されていた。
一般の人々には理解しがたいこれらのアルファベットの頭文字を並べた専門用語のひとつひとつが網を構成する糸となり、新政権の手足をがんじがらめに縛っていたのだ。

ANC政権は”子ども扱い”
長年にわたる反アパルトヘイト闘争の活動家ラスール・スナイマンは、こう言い切る。
「彼らはわれわれを自由にはしなかった。首の周りから鎖を外しただけで、今度はその鎖を足に巻いたのです」 
南アの著名な人権活動家ヤスミン・スーカは、私にこう話した。
「(政権移譲は)「名前の上ではおまえたち(ANC)が統治者だが、われわれは何ひとつ手放さない」という取引だった。(中略)「おまえたちには政治的権力を持たせてやるし、見かけ上の統治をさせてやるが、本当の統治はどこか別の場所で行なわれる」ということだったのです」。
いわゆる移行期にある国にはよく見られることだが、ANC政権は”子ども扱い”された - 家の鍵は渡されたものの、金庫を開ける数字の糾み介わせは数えてもらえなかったのである。

* この「防民主主義資本主義」とも言うべきものの先駆けとなったのは、(例によって)チリのシカゴ・ボーイズであり、彼らはそれを「新民主主義」と呼んだ。
チリでは17年間続いた軍政後に選挙で選ばれた政府に権力移譲するにあたり、シカゴ・ボーイズは憲法と裁判所に急遽手を回し、彼らが作った革命的な法律を覆すことが法的にほぼ不可能になるよう工作した。
これは「専門化された民主主義」「保護された民主主義」などさまざまな名称で呼ばれ、ピノチェト政権の若き閣僚ホセ・ピニェーラは「政治からの絶縁」を確保する手段であるとした。
同政権で経済次官を務めたアルバロ・パルドンは古典的なシカゴ学派の論理をこう説明する。
「経済学が科学であると認めることは即、政府あるいは政治機構の権力を小さくすることにつながる。経済が科学なら、政府や政治機構が決断を下す責任はなくなってしまうからだ」
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1 件のコメント:

ETCマンツーマン英会話 さんのコメント...

南アの歴史を勉強中です。『ショック・ドクトリン』のマンデラ政権以降に関する問題点の指摘、とても的を得ていて分かりやすいです。勉強になりました。