カキツバタとシラン 江戸城(皇居)二の丸池
*昭和18年(1943)
3月22日
・アッツ、キスカ島への第2回輸送部隊、幌筵を出撃。
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3月22日
・南東方面作戦陸海軍中央協定。陸軍東部ニューギニア、海軍中部ソロモン、重点
第2節「作戦指導」の「ソロモン方面作戦」の項は、地上防備の分担を、かねてからの主張通り、陸軍は「北部ソロモン」、海軍は「中部ソロモン」とする。
特に「中部ソロモン」の項には丸括弧で注釈が付き、(現地陸海軍指揮官ノ協定ニ依り所要ノ陸軍部隊ヲ配備シ之ヲ海軍指揮官ノ指揮下ニ入ル)とある。
しかし、第5節「指揮関係」は、「陸海軍協同トス」とあり、但し書きで、「陸上局地作戦主於テ陸海軍部隊同時ニ作戦スル場合ハ作戦ニ関シ高級先任ノ指揮官ヲシテ統一指揮セシムルコトアリ」とする。
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3月22日
・東條英機首相、バー・モウ・ビルマ行政府長官らにビルマ独立の意図を伝達。
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3月22日
・鋳鋼統制規則公布
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3月22日
・「米国一日の戦費二億五千万ドルの由。
ヒトラー、ベルリンに帰還、久しぶりに演説す。かれの町に出なかったことが種々の噂をまいた。昨年十一月八日以来始めてである。かれの説くところではドイツ軍の死者合計五十四万二千名の由。ドイツ人はヒトラーの言を今、いかに聞くか。知り(ママ)まほし。
我国において敵を憎むことを教う。たとえば星条旗の上を足で踏む如し。戦争目的は、そうした感情よりも遥かに高からざるべからず。昔の仇打ち思想では世界新秩序の建設は不可能である。高い理想を打ち建て、その理想の実現を米国がはばむというのでなければ駄目である。
新聞電報ではほとんど毎日、戦後に関する英米の話合いが進んでいる旨を報道し来たる。日独が戦っているのに。」(清沢『暗黒日記』)
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3月22日
・ソ連、MGB内部監獄投獄の岡田嘉子釈放、出獄
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3月22日
・独『水牛』作戦(ルジュフ(モスクワ西方)からの撤退作戦)
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3月23日
・満鉄事件第2次検挙。
関東軍司令部第5課松岡瑞雄、南方軍従軍中の三輪武・和田耕作を逮捕。
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3月23日
・特許発明実施令公布
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3月24日
・「昭和十八年度北支那方面軍作戦警備要綱」策定
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3月24日
・マーシャル参謀長、アラスカの西部防衛軍司令官ジョン・デ中将中将提案アッツ攻撃作戦、承認。
4月21日作戦発令。5月12日上陸、29日占領。
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3月25日
・参謀本部と軍令部、「南東方面作戦陸海軍中央協定」決定。
参謀本部の主張通り、ニューギニアに作戦の主力を置くが、作戦目的に、「・・・同方面に於ける要域を確保攻略して優位且つ強敵なる戦略態勢を確立するに在り」し、全体的に消極的方針。北部ソロモン(プーゲソビル島周辺)は陸軍、中部ソロモン(ニュ-ジョージア、イサベル島など)は海軍が担任することになる。
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3月25日
・日ソ漁業協定条約の第8回効力延長に関する議定書調印(クイビシェフ)。
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3月26日
・日本出版会創立総会。
日本出版文化協会が転化。国家総動員法に基づく出版事業令による統制団体。
①出版企画その他出版事業の運営に関する統制指導、
②出版事業の整備に関する指導、
③出版物用紙その他の資材の配給機関の統制指導、等。
出版文化協会時代は会員出版社の自主性を尊重する建て前であったが、出版社・編集者の自主性はみられなくなる。
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3月26日
・軍隊教育令公布
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3月26日
・為替交換調整特別会計設置等為替交易調整法公布
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3月26日
・ラヴァル、フランスの政権を得る。ペタンは名目上の元首なる
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3月26日
・春の雪解けにより、ハリコフ周辺の戦闘停止
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3月27日
・在関東州及満州国帝国臣民教育令
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3月27日
・南方軍からビルマ方面軍創設(河辺正三中将)。ラングーン。
第15軍司令官飯田祥二郎中将→牟田口廉也中将。
牟田口廉也のインド侵攻計画。
牟田口は、ウィンゲート挺身隊を追撃し、第15軍の第1線をチンドウィン河西岸、ミンタミ山系に進めるインド侵攻作戦計画を立案。
しかし、第15軍参謀長小畑信良少将以下全幕僚が、この計画に反対(第1線をチンドウィン河の線に進めるのは異論ないが、それ以上は補給が続かない)。
牟田口は小畑参謀長更迭を要求するが、牟田口の計画に反対するのは、幕僚だけでなく、ビルマ方面軍や総軍も、牟田口の独走計画に反対か又は黙殺。
しかし、牟田口はひるまず、反対されるほど、積極的になってゆく。
結局、小畑参謀長は着任後3ヶ月で解任され、ハルビンの特務機関長に転出(左遷)。後任は、久野村桃代少将。
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3月27日
・アッツ島沖海戦。
アッツ島増援中の日本艦隊と阻止を狙う米艦隊との激闘。アッツ、キスカ補給部隊引返す。
米軍はアッツ・キスカ奪還にむけ兵力を増強、またチャールス・マックモリス少将指揮する巡洋艦部隊を派遣し、海上補給線破壊に乗り出す。
27日午前2時、アッツ島への輸送護衛に任じる細萱戊子郎第5艦隊長官の率いる北方部隊は、最後尾の駆逐艦から敵見ゆの信号あり、3時10分旗艦も確認。兵力は重巡2、第1水雷戦隊(軽巡1、駆逐艦4)。敵は重巡1、軽巡1、駆逐4で同じく縦陣、北方部隊は南東方に変針し反航戦を企図。
当日の日出は3時20分。
3時46分、旗艦「那智」が魚雷8本発射。敵は南西へ変針してこれをかわすが、米駆遂艦の1弾が「那智」艦橋に命中、死傷者が出て、主砲射撃装置を損傷、砲側照準を余儀なくされる。
敵艦隊の南西方変針で追撃戦が始まる。
一水戦が進出したので5時2分全軍突撃下命されるが、4時50分から一水戦旗艦「阿武隈」に敵砲火が集中、一水戦が減速後落て突撃の好機を逸す。
6時、敵艦隊は南方に大変針。この時日本艦隊が南方に変針すれば、敵の進路は遮断され、米艦隊撃滅の好機となるが、実際は、日本艦隊は敵艦隊の変針点付近まで直進後、南々東に変針し好機を逸す。
その後、米重巡「ソルトレイクシティ」が被弾のため速力が低下し、彼我の距離は1万3千m位に接近。これは攻撃の最高の好機だが、主隊は南西に変針、水雷戦隊もこれにならい、戦いは終る。
日本艦隊には肉迫攻撃の闘志に欠け、細萱長官は敵艦隊追撃を中止したのみでなく、アッツ島への輸送も断念、北千島に帰り、以後アッツとキスカに対する補給は潜水艦だけで行われる。
2ヶ後、有力な米軍がアッツ島に上陸、日本守備隊は玉砕。
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3月27日
・樺太庁官制改正
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3月27日
・特殊財産資金特別会計法公布
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3月27日
・臨時軍事予算追加
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3月27日
・作曲家セルゲイ・ラフマニノフ(69)、没。カリフォルニア、ビヴァリー・ヒルズ。
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3月28日
・第二次国共交渉
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3月29日
・重慶で三民主義青年団第1次全国代表大会が開催(~4月12日)。
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3月29日
・防共委員会と治安強化運動総本部を華北勦共委員会に改編
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3月29日
・情報局、極秘・四月十八日の取扱要領、ドウリットル隊空襲1年で大袈裟に扱わず
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3月29日
・陸軍少年飛行兵学校設立
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3月30日
・朝鮮電力管理令公布
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3月31日
・東條英機首相、満州国訪問(~4月4日)。
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3月31日
・航海訓練所設置
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3月31日
・日本水産コンツェルン、日本海洋漁業統制と帝国水産統制に分割
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3月31日
・プロテスタント各派神学校15校を統合、日本東部神学校、日本西部神学校、日本女子神学校を設置
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3月31日
・米、ブロードウェー、「オクラホマ」初演
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3月31日
・ソ連軍、クバニに前進
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