2014年11月17日月曜日

昭和18年(1943)4月20日~5月10日 東條内閣改造(東條、陸相・文相兼任)。 ソ連・ポーランド亡命政府国交断交。 南東支隊、ニュージョージア島ムンダ進出。 米軍、アッツ島に上陸開始。   

江戸城(皇居)東御苑 2014-11-13
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昭和18年(1943)
4月20日
・山西産業株式会社運営工場の軍管理を完全解除、省公署側に移管
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4月20日
・方面軍、十八春太行作戦(「ヨ号作戦」)を実施
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4月20日
・東條英機内閣改造。
総理東條英機、外相重光葵、内相安藤紀三郎(大政翼賛会総裁、陸軍中将)、蔵相賀屋興宣、陸相東條英機(兼務)、海相嶋田繁太郎、司法相岩村通世、文相東條英機(兼務、23日岡部長景)、農林相(1943.11.1 同省廃止)山崎達之輔、商工相(1943.11.1 同省廃止)岸信介、逓信相(1943.11.1 同省廃止)寺島健、鉄道相(1943.11.1 同省廃止)八田嘉明、大東亜相青木一男、厚相小泉親彦、国務大臣大麻唯男。
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4月21日
・米軍、アッツ攻略作戦「ランドグラブ」発動。
ウムナク、アダク、アムチトカ3基地から168機が、アッツ、キスカの空襲開始。10日間に、キスカに155トン、アッツに95トンの爆弾投下。
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4月21日
・第1回新人画会、松本竣介、戦争画描かない
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4月21日
・横須賀鎮守府司令長官古賀峯一大将、連合艦隊司令長官就任。
25日、トラックに着任。但し、山本の死は秘匿。
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4月21日
・俘虜取扱細則改正、俘虜自由散歩及び民家居住規則廃止
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4月21日
・「東条内閣改造、東条自ら文部兼任。ムソリーニを真似て三役を兼ぬ。谷〔正之、外相〕がやめ重光〔葵〕に、安藤〔紀一郎〕中将内務に、山崎〔連之輔〕は農林に、いずれも就任す。谷外相は少し気の毒なれども、やはり、どうも仕方なかるべし。荷が重過ぎたのは、けだし事実だろう。天羽〔英二、情報局総裁〕も軍部に人気よしと見ゆ。
重光は大のオポーチュニストにて、今までとても軍部の色を見てはロンドンとモスクワから報告を書いていた。出世主義の雄なるもの。
今回の人事は、やはり東条が自由になる人事だ。「指導者原理」には必然である。ただ井野〔碩哉〕よりも山崎達之輔が苦労して来ただけに遥かによし。岸〔信介、商工大臣〕が居据ったのは満洲ブロックのおかげならん。」(清沢『暗黒日記』)
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4月22日
・米第1軍ブ・アラダを攻撃、チェニスに圧力をかける
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4月23日
・朝鮮石油専売令公布
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4月23日
・尾崎行雄、不敬罪容疑で地検召還、1日拘束
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4月24日
・「メートル法反対の岡部長景子が文部大臣になった。東条らしい人事である。メートル法反対一本槍のところに、この人の些末主義がある。形式的であり、懐古的である。文相は近来、総て素人だ。荒木〔貞夫〕大将もそうだし、橋田〔邦彦〕とてもそうだ。国家のために深憂にたえず。しかしどうにもならぬ。
昨年四月十八日の帝都空襲の米人を死刑に処したので米国が、日本を野獣のようにいっている旨今朝の新聞は報ず。そして抗議が来たそうである。米国その他の輿論がいかに悪化しているかは想像に足る。この前の第一大戦のドイツに対するように。この輿論が、結局戦争遂行にどんなに大切なものであるかは今の指導者には絶対に分らぬ。力主義のみだからである。
日本にては開戦の文書も発表されず、これら俘虜の問題等についても一切、国民に知らさない。そして新聞は米国の秘密主義を攻撃している。日本の民衆の知識は、この程度のものだろうか。そうだとすれば駄目だ。
新しい時代には言論自由の確保ということが、政治の基調とならなくてはならぬ。」(清沢『暗黒日記』)
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4月24日
・ワルシャワで大規模レジスタンス。鎮圧される。
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4月25日
・古河好間炭鉱で朝鮮人坑夫暴動
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4月25日
・ポーランド亡命政府、カチン事件究明を要求。
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4月26日
・関税法戦時特例公布
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4月26日
・ソ連・ポーランド亡命政府国交断交。カチンの森事件にかかわる対立から
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4月28日
・北ボルネオ、ナツナ諸島(旧オランダ領)がマライ軍政管区より北ボルネオ軍政管区に編入、クチン州庁の管轄となる。
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4月28日
・日独潜水艦、インド洋上で出会いチャンドラ・ボース、独より日本へ引渡し
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4月28日
・東京六大学野球連盟が、文部省からの要求で解散を決定
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4月28日
・塩業組合令公布
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4月28日
・ポーランド、亡命政府代表ヤンコフスキ、ポーランド労働者党の協力関係樹立申入れに回答、ロンドン亡命政府に服従など条件提示、
<以降、国内におけるロンドン派・モスクワ派の権力闘争開始>
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4月28日
・2隻からなるONS-5船団を51隻のUボートが攻撃、双方に被害が出る。~5月6日。
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4月30日
・「一、朝のラジオは、毎日毎日、低級にして愚劣なるものが多い。否、それだけの連続だ。昨朝は寛〔克彦〕博士というが、のりとのようなことをやった。最初にのりとを読んで、最後に「いやさか、いやさか、」と三称してやめた。ファナチックが指導しているのだ。
精神主義の限界はある。精神に徹せよ、といっても、徹した後にいかにするかの具体的方法がなくては何にもならぬ。それで今行(いき)つまった。
二、小汀利得君のところに招かる。
三、日本評論社から僕の『日米関係史』出ることになった。二八日に打合せを了した。
四、清沢覚の世話で屋根をふき直した。
「星、碇(いかり)、顔、闇、列」の世の中だ。
世の中は星にいかりに闇に顔。
馬鹿者のみが行列に立つ
という歌が流行している。
ソ連、ポーランドに国交断絶を通告す。ソ連としては戦争の山は見えたし、ポーランド国境問題で束縛されることは不利である。それに英、米の援助も大したものではないと考えたろう。これらが紛糾の理由だ。」(清沢『暗黒日記』)
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5月
・満鉄調査部、調査局とし改組縮小。
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・華北政務委員会「保安隊条例」を制定。
山西省公署警備処を省保安隊司令部に改編。保安隊司令部、各道に指揮部を設置し、各県保安大隊(大隊部)長に県知事が就任
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・南京汪政権、経済統制を強化
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・海軍特別志願兵制度。
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・「中央公論」攻撃。4月と5月の「六日会」の席上、杉本和朗少佐が攻撃開始。
同少佐は、3、4月号に掲載された信夫清三郎、岡本清一、土井虎賀寿の諸論文における反戦思想、皇室冒瀆の不敬、マルクス主義的方法論を糾弾、谷崎潤一郎の小説「細雪」掲載の戦争傍観的態度を痛罵、
更に同誌表紙に「撃ちてし已まむ」との陸軍記念日標語を印刷しなかった(1月の「六日会」の席上、陸軍側意向としてその掲載方を要請されるが、「中央公論」は黙殺)事実を捉え、これを反軍態度であると脅迫、これらの非協力的態度に対し、やがて何らかの実力を発動すると挑発的に公言。
これより先、同誌編集責任者は陸軍省報道部に出頭を命ぜられ、右の諸問題はじめ、さらに同誌掲載の清水幾太郎の論文「アメリカニズム」における親米思想につき面罵される。
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・商工省、エレベータ回収開始。4階以下全て、5階以上は6割撤去。
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・浅見淵『蒙古の雲雀』(赤塚書房)、菊池寛『海ゆかば』、板垣直子『現代日本の戦争文学』、小林秀雄(41)、「実朝(2)」(『文学界』)
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・日本映画学校、開設。
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・雑誌「教育」編集部、弾圧。
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・~6月。独軍の対パルチザン作戦によりユーゴで激戦。
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5月1日
・第8方面軍司令官今村均(57)、大将昇進。阿南惟幾、大将進級。
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5月1日
・ラバウルの陸軍部隊、自活の為の開墾をこの日より始める。目標は、戦闘部隊は1人75坪。今村の溌意で「開拓はまず方面軍司令部から」と、司令部周辺は最も早く甘藷や野菜の試作が始る。
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5月1日
・南東支隊司令部(佐々木登少将)編成5,589、ニュージョージア島ムンダ進出。
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5月1日
・薪炭配給統制規則、公布。
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5月1日
・「外交問題を観るのに、日本人は神経質に過ぎる。国際関係は、そう急に右に、左に移りかわるものではない。ソ連とポーランドとの関係の激化について、武藤貞一などがすでに、対ソ連工作を考えている。この男は、かつてシンガポールをとって、英米を屈せしめ得ると考えたのではないか。
谷が駐支大使となった。湯川〔湯浅か?〕が貴族院議員になった。東条グルップの勝利、而して東条人事である。
徳富蘇峰、相変らず英国批評をやっている。その趣旨については論ぜず。ただかれは英国を論ずる資格ありや。かれの如き議論は、世界の関心を買わない。徳富が戦争最大の責任者なるはいうを要さない。徳富と三宅〔雪嶺〕が芸術〔院〕賞をもらった。
長谷川、馬場は今や生活のために追われている。」(清沢『暗黒日記』)
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5月1日
・アメリカ、炭坑労働者スト。
2日、ルーズベルトは炭坑接収命令
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5月2日
・台湾石油専売令公布
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5月2日
・「敵国は日本の事情に通ずる者を、それぞれに重要視している。たとえばグルーを使い、前駐日参事官ドーマンを駐ソ公使に任命(一七・一二・二二)した如きだ。日本はそうした者を遠ざけるのである」(清沢『暗黒日記』)
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5月3日
・11軍3師団、江南殲滅作戦、重慶第六戦区壊滅目的
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5月4日
・~12日。北アフリカで連合軍最後の攻勢
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5月5日
・東条首相、フィリピン軍政視察でマニラ訪問
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5月5日
・米軍、アッツ島に上陸開始。
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5月6日
・スバス・チャンドラ・ボース、潜水艦でスマトラ北端サバン島着
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5月6日
・イギリス爆撃軍団、新型航法装置「オーボエ」使用
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5月6日
・連合軍『ヴァルカン』作戦(チェニジアにおける最終攻勢作戦)
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5月7日
・第18軍集団、チェニス占領
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5月8日
・ホットスプリングス会議開催。~6月3日。食糧・農業機関(のちの国際連合機関FAO)の設立で合意。
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5月9日
・日本軍、プチドン~モンドウの線回復
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5月9日
・「リヒンテンシュタイン」レーダーを装備したドイツのJu88、イギリス本土で捕獲される
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5月10日
・第15軍(牟田口中将)第31師団(佐藤幸徳中将)、バンコクで編成完了。
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