2014年10月27日月曜日

NHK経営委員(安倍シンパ)と在特会 「蜜月」の足跡 (『サンデー毎日』11/2号) : NHK経営委員・長谷川三千子・・・「(ザイトクの)皆さんの活躍を理論武装したい」



”SM大臣”が霞む…安倍首相&麻生大臣「政治資金」放蕩三昧 (日刊ゲンダイ) : 「気になるのは、居並ぶ高級店に交じって「オフィス雀部」という六本木の有限会社への支出を3年間で計22回、総額1805万5000円も計上していることだ。」

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“SM大臣”が霞む…安倍首相&麻生大臣「政治資金」放蕩三昧
2014年10月26日(日)10時26分配信 日刊ゲンダイ

 これじゃあ、“SM大臣”を叱れっこない。安倍首相と麻生副首相、政権2トップの政治資金の使い道はそろってデタラメ。目に余る放蕩三昧で、一方はキャバクラ、一方は「元愛人」の店に入り浸っていた。

 安倍首相の資金管理団体「晋和会」の10~12年分の収支報告書をみると、「行事費」という名目で多額の飲食代を計上。その規模は3年間で3000万円近い。

 支払先は銀座の老舗ワインバー「アムールズ」、恵比寿の3つ星フレンチ「ジョエル・ロブション」、四谷の予約困難店「オテル・ドゥ・ミクニ」、都内有数の高級ふぐ店「博多い津み 赤坂」など、1人当たり2万円を超える名店ばかり。

 12年9月10日には銀座の一流すし店「久兵衛」をはじめ、1日で計10店、総額約80万円を支出。安倍首相が同月の自民党総裁選への出馬を正式表明したのは2日後のこと。5年ぶりに総裁に返り咲いた直後、安倍首相自身が支部長を務める「党山口県第4選挙区支部」の怪しい支出が発覚した。

「09~11年の3年間にキャバクラやクラブなど女性の接客を売りにする店に計59件、総額127万円を政治資金から支出していたのです。下戸の首相本人は一度も参加せず秘書らが通っていたようですが、安倍サイドはメディアの指摘を受け、慌てて報告書から支出を削除。秘書らに全額返納させました」(地元政界関係者)

 ミスと言い張るSM大臣と違って、安倍サイドのキャバクラ支出は「確信犯」だ。当時は「政党活動に必要な情報収集、意見交換を行う中で、関係者に応じてさまざまなシチュエーションが必要だった」と説明した。キャバ嬢をはべらせて一体、どんな相手に意見を求めていたのか。

■「元愛人」に1805万円

 安倍首相をはるかにしのぐのが、麻生大臣のデタラメ支出だ。資金管理団体「素淮会」の10~12年分の収支報告書によると、「交際費」名目で消えた飲食代は12年分だけで3000万円を突破。3年間の総額はナント、1億円近くに上る。

 常連店は銀座の3つ星すし店「すきやばし次郎」など美食三昧も安倍首相に負けず劣らず。1日の支払先が10店オーバー、1店20万円を超える高額出費は日常茶飯事。12年2月10日には神楽坂の高級料亭「幸本」に54万円をポンと弾んだほか、銀座の高級クラブなど計15店に総額230万円もの大金を落としたほど。

 気になるのは、居並ぶ高級店に交じって「オフィス雀部」という六本木の有限会社への支出を3年間で計22回、総額1805万5000円も計上していることだ。

「六本木の会員制サロンを経営する会社で、麻生大臣はその店の“太い客”。経営者の女性は麻生大臣と過去に愛人関係にあったことを認めた、と6年前に週刊誌で書かれたこともある。ちなみに安倍首相も店の常連です」(自民党関係者)

 1万8230円の支出で批判されているSM大臣が、ちっぽけに思えてくる。










ハッキリとリセッションに突入と認識した方が手遅れにならずに済むと思うんだけどな。まぁ現時点でも既に手遅れだと言われると返す言葉ないんだけど/国内新車販売、計画届かず 14年度500万台割れへ (日経新聞) — フジヤマ ガイチ

1万円札裁判で暗黒舞踏を披露した麿赤兒が裁判長に「僕は証人ですか?証拠品ですか?」って訊いて「どっちでもいいです」って言われて証拠品席でずっと踊ってたってのが最高だったな。 ⇒ 「千円札裁判」のときに身体中に洗濯ばさみを付けて証拠品として登場したのは、土方巽に弟子入りを希望していた「ニイジマ君」という青年でした ^^。 /  写真は『赤瀬川原平の文章 オブジェを持った無産者』( 赤瀬川原平著 現代思潮社 1970年) / 【NEW】赤瀬川原平さん語録(『朝日新聞』2014-10-29) 「仲間と冗談が言えさえすれば、旅でも労働でも楽しいんです」(07年)などなど             


↑
「1万円札裁判」は「千円札裁判」のことだと思う。
これも「どっちでもいい」
麿赤児が秀逸!

(追伸)
今となっては、これも「どっちでもいい」ことにしようっと。




遂に出た! ↓



これは「ニイジマ君ではない?  ↓


「ニイジマ君」らしい・・・






赤瀬川原平の芸術原論 1960年代から現在まで @ 千葉市美術館
2014年10月13日

貨幣と美術

赤瀬川原平と「模型千円札裁判」

現代美術家の赤瀬川原平が1963年の三つの展覧会に出品した千円札紙幣の"模型"が「実物大の千円紙幣に紛らわしい外観を有する」として裁判行われた。1963年2月、個展「あいまいな海について」の際、千円札の表側を写真製版の方法によって印刷し、その裏面に、個展の案内とかれのモチーフを刷ったものを案内状として製作し、それを現金書留封筒に入れて郵送した。1963年3月、読売アンデバンダン展では約2メートル四方のパネルをクラフト紙で梱包したもの、表側だけを一色刷りした千円札の原寸大の模型多数を出品した。1963年5月、ハイ・レッドセンターによるミキサー計画「三つの観念の絵画的展示」では模型千円札をパネルにすきまなく貼り合わせ、その一枚一枚を太いボトルでとめた作品、千円札の片面が並んで一色刷りされているクラフト紙で、日常生活のさまざまな物体を梱包した作品、それに原寸大の模型千円札多数など出品した開催した。検査官は、これらのうち千円札の片面を一色刷りにしたものすべてをとりあげた。1965年、模造千円札を使用した作品で東京地検より起訴され、1967年東京地方裁判所第701号法廷で行われた第1審最終公判の判決は懲役3カ月、執行猶予1年の有罪となる。判決を不当として上告するが1970年、有罪となる。緑に黒をまぜたインクを用いた印刷による千円の日本銀行券約900枚の模造の点については無罪となる。押収され没収されるものが印刷用銅板一枚のみで、他は作品として返還される。 当時の法廷では瀧口修造、中原佑介など著名な美術評論家達が特別弁護人として参加し、近代~現代の美術講議が繰り広げられるという前代未聞の"芸術裁判"となった。

(略)

(おわり)

オススメ本
赤瀬川原平の文章 オブジェを持った無産者
赤瀬川原平 著 現代思潮社 1970年


『朝日新聞』2014-10-29夕刊



■読んだ本
千利休―無言の前衛 (岩波新書)
千利休―無言の前衛 (岩波新書)

2014年10月26日日曜日

横浜 日本大通りの銀杏 「横浜三塔(キング、クイーン、ジャック)」 大桟橋には「セレブリティ・ミレニアム」 2014-10-25

昨日(10月26日)、
望外にも石川文洋さんの写真展でご本人のギャラリー・トークに接したあと、
久しぶりに横浜の海の近くまで出た(いわゆる「象の鼻」地区)。
(石川文洋写真展 「ベトナム戦争と沖縄の基地」 ベトナム戦争取材から50年 10月25日~12月25日 ← 26日もギャラリートークあり、超オススメ。)

既に午後4時半頃で陽は傾いていた。

▼日本大通りの銀杏
靖国だとか見慣れた銀杏に比べると黄葉は早いように思う。
山下公園へは行かなかったけれど、例年のように来月11月16日の横浜女子マラソン(今年が最後)の頃には見頃になるのだろう。

▼横浜のシンボルと言われる「三塔」の一つ
神奈川県庁(キング)

▼横浜税関(クイーン)

▼横浜市開港記念館(ジャック)

▼大桟橋にはアメリカの客船「セレブリティ・ミレニアム」

「文楽もエンターテインメントである以上、時代に合わせて変わっていくべきで、またそうでないと生き残れない」みたいな橋下市長お得意の生存戦略ストーリーって、話の構造としては法隆寺にアルミサッシ入れてモルタル外装しろっていうのと変わらないぞ。 — 小田嶋隆


日系二世人権活動家ユリ・コチヤマの年譜(5) 1937(16歳)~1939(18歳)

横浜港大桟橋 2014-10-25
*
1937(昭和12)年 16歳
この年
サン・ぺドロ高校に入学。メアリー、地域ボランティアと地元紙のスポーツ記者を始める
「『サン・ペドロ・ニュース・パイロット』という地元新聞のスポーツ欄編集者がチャンスをくれたおかげで、私は高校からジュニア・カレッジを卒業するまでの三年間、カメラをぶら下げて取材に駆けまわり、テニスや水泳、ボクシングのようなマイナー・スポーツの記事を新聞に書いていた。
週に数回、原稿が仕上がると、夜中に自転車に飛び乗って新聞社まで届ける。私の夢はスポーツ・レポーターになることだった。」(ユリ 大統領行政命令九〇六六号)

1月
・産業別組合委員会(CIO)指導下に自動車・鉄鋼産業労働者のスト広がる(~1937年6月)。ゼネラル・モータースで労働者5万がスト入り。44日間の工場占拠闘争の末、勝利。産別労働運動は一気に拡大。

1月
・ヘミングウェイ(38)、「アメリカ・スペイン民主主義友好協会」を主宰。

1月3日
・スペイン、日本人義勇兵ジャック白井、ピレネー越え。6日アルバセーテ着。

1月6日
・内戦中のスペインへの武器禁輸を合同決議。

2月末
・ヘミングウェイ(38)、「北米新聞連合」協会(NANA)の特派員として内乱中のスペインに渡る。
翌3月、・ヘミングウェイ(38)、共和国政府軍と合流、バルセロナ、バレンシアなど転戦。J・イフェンスらと共にスペイン市民戦争記録映画『スペインの大地』に製作協力。フランス人アンドレ・マルローやロシア作家イリヤ・エレンブルグ等とは共同取材活動を通じて親交。雑誌「コリアーズ」特派員・女性作家マーサ・ゲルホーンと恋愛関係に。

3月1日
・USスチール社が団体交渉権を認めその後の大量生産産業での大規模な労働組合化につながる。

3月1日
・モスクワ裁判監視のデューイ委員会発足

3月29日
・最高裁、ワシントン州の女性最低賃金法を支持。

4月22日
・ニューヨークの第4回平和デモ、過去最高人数の市民参加。

5月
・ヘミングウェイ(38)、5月帰国。
6月、第2回全米作家会議で「作家と戦争」について演説。
7月、ヘミングウェイ(38)、F・D・ロ−ズベルト大統領の招待晩餐会で記録映画『スペインの大地』を公開、解説。

5月27日
・「ゴールデンゲート橋」完成。

7月11日
・ジョージ・ガーシュイン(38)、没。ハリウッド

7月11日
・スペイン、ブルネテの戦い、第15国際旅団アメリカ人大隊(リンカン大隊)兵站部将校付兼炊事兵ジャック・白井、ビリャヌエバ・デ・ラ・カニャーダ村で戦死。37歳(推定)

7月16日
・コーデル・ハル国務長官、国際政局に対し一般方針(武力不行使、内政不干渉、条約遵守等)声明。各国に通牒。8.13 政府回答。

7月22日
・農場小作法が制定

8月
この頃、急激な景気後退。

8月
・ヘミングウェイ(38)、再びNANAの特派員としてスペインに渡り、12月には混乱のマドリッドで三幕劇『第五列』の執筆にも集中。

8月23日
・ハル米国務長官、上海の事態に関し声明書を発表(第2次ハル声明)。

9月14日
・ルーズベルト大統領、政府所属船舶の兵器・軍需物資の中国への搬入禁止宣言

9月16日
・国際連盟理事会、支那事変(日中戦争)に関する中国の提訴を諮問委員会に付託することを決定。

9月27日
・国際連盟23国諮問委員会、日本の中国都市爆撃非難決議を提出。

9月28日
・国際連盟総会、23国諮問委員会提出の「(中国)都市爆撃にたいする国際連盟の対日非難決議」を全会一致採択。
「諮問委員会は、日本航空機に依る支那に於ける無防備都市の空中爆撃の問題を緊急考慮し、かかる爆撃の結果として多数の子女を含む無辜の人民に与えられたる生命の損害に対し深甚なる弔意を表し、世界を通じて恐怖と義憤の念を生ぜしめたるかかる行動に対しては何等弁明の余地なきことを宣言し、ここに右行動を厳粛に非難す」

10月5日
・ルーズベルト大統領の「隔離演説」、米シカゴ。
ルーズベルト大統領、侵略国は伝染病。国際社会の健康のため隔離必要。日独の侵略を批判し、中立主義を放棄。翌6日、国務省、日本を9ヶ国条約違反者と断じ、国際連盟の9ヶ国会議開催を支持。
「世界の国の九割は、一般的に認められる法と道義の標準にしたがい、平和な生活をしたいと力めているにもかかわらず、残りの一割の国は極めて好戦的で、他国の内政に干渉しあるいは他国の領土に侵入することにより、世界の秩序及び国際法を破壊しつつある。現に宣戦の布告もせず、何等正当な理由もなくして婦女子を含む非戦闘員を空爆により無慈悲に殺害しつつある状態である。これは特定の条約違反などという問題ではなく、国際法及び人道の世界的問題で、いかなる国も無関心であることはできない」。
ルーズベルトは、この世界的無法状態を「流行病の蔓延」にたとえ、「肉体的な流行病が広がり始めると、共同体は、病気の蔓延に対し健康を保護するため患者の隔離に協力するのである」と、共同制裁の呼びかけとも受け取れる姿勢を示す。

10月6日
・連盟総会、日本は9ヶ国・不戦両条約違反。非難の決議を採択。
・米国務省、日本の行動を9ヵ国条約及び不戦条約違反と正式に声明を発表。

10月30日
・ブリュッセルで国際連盟の9ヶ国条約会議、開催。日本は招請を拒否。中国の期待する対日制裁決議は成立せず。~11月24日。日本の国際法違反批判、警告のみに終わる。
アメリカの同意、イギリスの要請に基づき、「極東の事態を検討し、かつ該地域における遺憾なる紛争の終結を促進すべき友好的手段を考究するため」。
しかし、開催前のかけ声に反し、この会議で中国を全面的に支持したのはソ連だけ。英米仏は消極的、イタリアは日本を支持(日中直接交渉を主張)、ノルウェー・デンマーク・スウェーデンは棄権、ドイツは欠席。

11月
・ルーズベルト大統領、住宅建設や公共事業の振興によって企業活動を活性化する計画を導入。
・ルーズベルト大統領、日独伊ファシズムの脅威を食止めるための国際関係調整会議(軍縮、原料の公平な分配など)を翌年1月22日に各国大使をホワイトハウスに集めて開催する構想を持つ。事前にイギリスの同意を取ろうとするが、チェンバレン首相はこれを拒否。

12月13日
・ニューヨーク、デューイ委員会、トロツキーを無罪とする評決、モスクワ裁判のペテン性

12月20日
・「ニューズウイーク」(この日付け)に「南京陥落、蒋介石は逃亡」の記事。
「東洋では、メンツは生命以上に大切なものとされる。日本軍の勝ち誇った軍靴の響きは、一三世紀以来の中国の歴史に最も屈辱的な一貫を刻み込んだ。それはジンギスカンが中華帝国の大都市群を羊の牧草地に変えてしまって以来の出来事である。そして南京の陥落は、日本の東アジア侵略の第一段階が終わったことを告げた」

1938(昭和13)年 17歳
1月
・ヘミングウェイ(39)、1月帰国、3月スペイン行き、5月帰国、9月スペイン行きと多忙な移動生活。

1月11日
・ルーズベルト大統領、国際状況改善のための諸国会議開催と、事前での英との討議を英に提案。
13日、英チェンバレン首相、米ルーズベルトの提案に対して延期することを回答。外相イーデンは休暇中で不在。
18日、米ルーズベルトの回答。チェンバレンの意見に従い諸国会議提案は延期、しかし、英が伊のエチオピアにおける現状を承認するかもしれぬとのチェンバレン回答には十分注意を払うと回答。

1月28日
・ルーズベルト大統領、太平洋艦隊と大西洋艦隊の増強計画を議会に提案。

2月5日
・マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』刊行。

2月16日
・新農業調整法(AAA)可決。余剰農産物貯蔵の政府援助により価格の安定をはかる。

4月4日
・新聞編集長の75%が日貨排斥に反対。

5月3日
・アメリカにおける対スペイン武器輸出解禁の動き。国務長官コーデル・ハルは、武器輸出禁止解除を決定するが、国内の抗議の声にルーズヴェルトはこれを破棄。

アメリカ政府に対し、あらゆる団体からスぺインに対する武器輸出禁止解除を求める圧力がかけられる。時事評論家ドルー・ピアスンは、「ワシントンでは議員にたいするあらゆる種類の裏面工作が行なわれてきた・・・しかし、そこからなんらの物質的利益をうけない、そうした運動のために、人々が金をつかって全国からやってきた例は、今までめったにないことである」と述べる。前国務長官スティムスンと引退したばかりの駐独大使ウイリアム・ドッドは、輸出禁止反対の請願書に署名し、アインシュタインらの科学者も運動に参加。下院議員バイロン・スコットと上院議員ナイは、輸出禁止終結を勧告する決議案を国会に提出。
5月3日、国務長官コーデル・ハルは、ナイ上院議員の決議案を検討するため、国務省で顧問と会談し、輸出禁止解除に意見が一致。この決定に関する漏洩記事が「ニュ-ヨーク・タイムズ」に掲載されると、新任のロンドン駐在アメリカ大使ケネディ(カトリックでチェンバレンの支持者)が、こうした措置が市民戦争を拡大させはしないかとの彼の不安を、電信で伝えて来る。カトリック信者も、「ポルシェヴィズムと無神論者」の為の援助に対し強硬に抗議。カリブ海へ魚釣りの休日に出かけていたルーズヴェルトは、決定延期をハルに伝え、彼がワシントンに戻ると輸出禁止解除決定は破棄される。

5月11日
・ルーズベルト大統領、ドイツへのヘリウム輸出禁止案を支持。 

5月14日
・国際連盟、中国山東省での日本軍の毒ガス使用に対して非難決議案採択す 

5月17日
・ビンソン海軍拡張法が成立。

5月26日
・下院、非米活動調査委員会を設置。共産党員は7万人に増加。

6月16日
・独占調査の臨時全国経済委員会(TNEC)設立。

6月23日
・民間航空法制定。

6月25日
・公正労働基準法成立。

7月1日
・政府、民間業者に対日道徳的(道義的)禁輸を要請。

7月1日
・駐日アメリカ大使ジョセフ・グルー、「とうとう日本人は本気になりだした」(日記「滞日十年」)と書く。本格的に中国との武力行動に向って、国内体勢全般を切り替え始めたと指摘。

8月18日
・ルーズベルト大統領、カナダと綿密に軍事提携することを発表。

9月27日
・ルーズベルト米大統領、ズデーテン問題に関して、英・仏・独・チェコスロバキアによる会談を促す。

10月6日
・4月の抗議に続き、この日、中国における自国権益確保に関し日本に強硬申入れ。日本が「門戸開放主義の実際的適用を破壊しかつ米国市民より機会均等を剥奪」していると強く抗議。
イギリスは中国の反帝運動強大化を怖れ、日本に対しても宥和的態度をとる面をもつが、国民政府に対し「英国は頗る積極的に武器売込みに奔走し・・・あたかも英領香港は対支各国武器輸出のエーゼントのような役割をさえなしつつある」(「東京日日」10月2日)と、一貫して日本の敵視の対象となる。

10月24日
・公正労働標準法成立。

11月7日
・米・英・仏、日本が作戦上の理由で列国船舶の通航を禁止した揚子江の開放を日本に要求。

11月8日
・中間選挙。議会では下院で民主党が261議席、共和党が164議席、他4議席、上院では民主党が69議席、共和党が23議席、他4議席。共和党が巻き返し。

11月17日
・米・英・カナダ互恵通商条約調印。英語圏での相互協力関係の進展を示す。

11月18日
・産業別組合会議(CIO)がアメリカ労働同盟から独立

11月18日
・有田八郎外相、米抗議(中国における日本の行動を機会均等門戸開放に反するとして日本の独占または特恵の停止を要求(10.6))に対しアジア新情勢につき事変前の観念・原則は修正を要すると回答

12月2日
・航空機用物資対日モーラルエンバーゴ実施を強化。

12月5日
・米リンカン大隊第1陣、スペインより帰国、ニューヨーク着。歓迎陣2~3千、市内行進。

12月5日
・パール・バックにンーベル文学賞授与。

12月31日
・駐日アメリカ大使グルー、日華事変による米権益侵害、東亜新秩序不承認の対日通牒。翌年1月14日イギリスも同調。

1939(昭和14)年 18歳
この年
カンプトン・ジュニア・カレッジに入学。かたわら、日曜学校で教え始める
「私がジュニア・カレッジで専攻したのはジャーナリズムだ。」(ユリ 大統領行政命令九〇六六号)

「暴力沙汰や犯罪の多いことニューヨーク市随一の学校 - ヘルズキッチンにあるハーレン高等学校 - をビルは一九三九年に卒業した。でも、あんな学校にはなんの親しみも感じていないとか、やっと卒業したんだ、という口ぶりだった。」(回顧録 私のビルへの賛辞)

1月3日
・海軍省、太平洋根拠地の増設を議会に勧告。

1月4日
・ルーズベルト大統領、中立法廃止。軍備拡大。反全体主義国家。ニューディール政策緩和打出す。

1月14日
・対日飛行機及び部分品禁輸について声明を発表。

1月21日
・カリフォルニア州下院、日本農民排斥の土地法案が提出。

1月27日
・フランスに軍用機を提供。

2月9日
・サンフランシスコで反日大会。

2月22日
・マディソンスクエア・ガーデンでドイツ系米人団体「ブント」の会員の2万人集会.

2月27日
・最高裁、座り込みストライキに違法判決を下す。

3月
・ヘミングウェイ(40)、この時よりキューバのハバナ市に移りホテル・アンボスを拠点に『誰がために鐘は鳴る』の執筆を開始。 

3月3日
・ジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン主演「駅馬車」封切り。

3月30日
・駐日アメリカ大使、日本軍の在中国アメリカ教会爆撃に抗議。

4月1日
・スペインのフランコ政権を承認。

4月3日
・行政機構改革法成立。

4月9日
・アルト歌手マリアン・アンダーソン、黒人との理由でコンスティテューション・ホーでの公演阻止され、青空コンサートとなる。

4月14日
・ルーズベルト大統領、ヒトラーに親書。欧州30ヶ国に対して不侵略の約束を求める。ヒトラーは28日の演説で、これに応える。

4月15日
・ルーズベルト大統領、ヒトラーとムッソリーニに対し欧州と中東平和を保障するよう請願を送るが失敗。

4月20日
・宝塚少女歌劇団「振袖使節」、アメリカに到着。

4月20日
・黒人女性歌手ビリー・ホリデイ、「奇妙な果実」レコーディング。

4月30日
・ニューヨーク万国博覧会開幕(テーマ「進歩と平和」)。初めて工業デザインが装飾デザインより注目される。

5月1日
・米・英での巡回展を終えた「ゲルニカ」、ニューヨーク着。この後42年間ニューヨークにとどまる。ニューヨーク近代美術館保管。

5月18日
・平沼首相、帰国のグルー米大使に、欧州対立激化回避の協力をハル長官に提議することを託す。7月8日、ハル米国務長官、5月18日の平沼首相提議に関し、まず東亜の事態収拾を勧告。8月8日、初めて日本政府に手交される。

5月21日
・堀内謙介駐米大使、日独伊関係強化はアメリカの態度を硬化させ深刻な影響があると意見を述べる。

7月26日
・「日米通商航海条約」廃棄通告(予告通牒)。6ヶ月後の翌'40年1月26日失効。全面的対日経済断交。
日本が積極的な中国進出政策を改めない限り、アメリカには対日協調の余地は無い。日本は従来の対米依存経済の修正が必要となる。豊富な産油量とボーキサイトやニッケルを産出する蘭印・仏印は日本にとって死活問題となる。

8月2日
・アインシュタイン,ルーズベルト大統領に、ナチス・ドイツに先駆けて原爆を開発するよう進言する書簡.

8月2日
・ハッチ法制定。連邦官吏の政治活動を禁止。

9月5日
・欧州戦争中立宣言、武器輸出禁止

9月8日
・ルーズベルト大統領、限定的国家非常事態宣言

10月4日
・イングリッド・バーグマン、「別離」でハリウッド・デビュー。

10月21日
・原爆の可能性を探る「ウラン諮問委員会」第1回会合。

10月27日
・アメリカ中立法案上院を通過。

12月11日
・国際連盟、ソ連に対してフィンランド侵攻の停止を要求。

12月22日
・アメリカ大使グルー、日米新通商航海条約または暫定取極め締結拒否。日本の対中政策変更迫る米との妥協、不成功。
7月26日米が通商条約を破棄通告したことにより6ヶ月後には廃棄される事になる。日本にとっては重大な事態のため、野村吉三郎外相(9月25日就任)は、軍と折衝し、軍が封鎖中の揚子江のうち南京から下流を開放する諒解をとりつけ、この日本側の努力を評価して、暫定通商協定締結に応ずるよう求める。
しかしアメリカ政府は、日本が中国の広汎な地域に、外国人の経済活動を制限し、アメリカの通商権益に対する均等待遇を不可能にするような措置が講ぜられる恐れがある限り、新協定締結はしないと、野村の提案を拒否。
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特攻 強いられた大義 「死にたくなかった」本心記す元隊員 (『朝日新聞』) :「私たちは、理不尽に捨て駒にされた。・・・生かされた私は、それを言わなければならない」 「特攻をひとくくりにして、通り一遍のの美談にしてほしくない」

『朝日新聞』2014-10-23




小渕優子の「政治資金を使った」グルメの名店18リスト (FRIDAY) 「モラル破綻のお嬢様」小渕優子前経産相が政治資金を使ったグルメ名店こんなにある!

YAHOOニュース
小渕優子の「政治資金を使った」グルメの名店18リスト
FRIDAY 10月24日(金)7時20分配信

「モラル破綻のお嬢様」小渕優子前経産相が政治資金を使ったグルメ名店こんなにある!

地元支援者への「観劇」「プロ野球チケット」「ワイン」などのバラマキが発覚、10月20日に辞任した小渕優子前経産相。だが、政治資金流用の公私混同ぶりはそれだけにはとどまらないようだ。

フライデーは、小渕優子氏が政治資金を使っていた超高級飲食店を調べあげているが、そのごく一部を以下まとめて紹介しよう。

題して、小渕優子の「政治資金美食生活」名店ガイドである。(リストは店名、会食年月、支払額、お店の案内の順)


「てんぷら 天良」 2010年1月  4万3500円 
赤坂・山王下交差点近くにある天ぷら料理の店。店内はカウンター11席のみで、カップルなどが多く、会合客はほぼいない。客単価は1万円?

「南部亭」 2010年2月   2万2592円
テレビなどでも取り上げられたことがある、日比谷公園内に位置するフランス料理店。日本家屋の一軒家で、フォアグラ料理が人気

「榮林」  2010年3月   3万3841円
赤坂の老舗中華。名物の酸辣湯麺は、この店が元祖。小渕氏の政治資金報告書にある赤坂近辺の店は、政界関係というよりはTBS御用達の店が多い

「登龍」 2010年3月   4万7290円
麻布十番商店街のほぼ真ん中で、40年以上営業を続ける四川料理の店。店内は決して広くはないので、会合などに使う客は少ない

「焼肉スタミナ苑」 2010年3月  22万2000円
小渕氏お気に入りの足立区の有名焼き肉店。店内はテーブル席と小あがりがあるのみで、こちらも政界の会合には不向きのはず。客単価は8000円ほど

「とうふ屋うかい」  2010年5月  4万9450円
東京タワーのすぐそば。日本庭園を眺めながら食べる「豆水とうふ(豆乳とだしを合わせた汁に豆腐を浮かべた料理)」は絶品。コースは9000円から

「板前割烹 ぎんざ春日」 2010年9月  4万4770円
小渕氏は天ぷらにも造詣が深い。こちらは銀座の路地裏に佇む、小体な良店。?みながら天ぷらをつまんで、シメに天丼を食べて1万円ほど

「玉木」 2010年10月  5万3400円
広尾にあった本格フランス料理店。現在は、銀座の元日航ホテル裏に移転している。コースを頼んでワインを飲むと、お会計は一人2万円ほど

「叙々苑 六本木本店」 2010年11月  9万6200円
六本木・ミッドタウンのはす向かいにある、焼き肉『叙々苑』の本店。客単価は1万5000円ほどで、場所柄、芸能人の利用も多い

「人形町今半」 2011年7月  5万9574円
全国各地に支店を持つ、しゃぶしゃぶ、すき焼きの専門店『今半』。その人形町本店がこちら。コースを頼んで、一人1万5000円ほど

「キョウヤ クチーナイタリアーナ」 2011年8月  8万735円
溜池山王にあった京野菜イタリアンがウリのお店。単価は1万から2万円だったが、現在は代々木上原に移転して、少しリーズナブルになった

「赤坂 光楽亭」 2012年1月  7万4780円
四谷三丁目の路地裏にある個室串揚げの店。古い木造建築を改装した店舗は雰囲気もバツグン。小渕氏は路地裏の店がお好きのようだ

「ぐるめダイニングむらの」 2012年4月  4万4750円
小泉純一郎元首相など、自民党の大物たちが好んだ料亭『口悦』の向かいにある。こちらは格式は高くなく、薄暗い店内にはカップル客も多い

「汐風」 2012年6月  5万5786円
魚介・海鮮料理が美味い、割烹料理屋。目黒の本店はマスコミに取り上げられることも多いが、こちらの?町店はさほど混み合わない良店

「天婦羅 からさわ」 2012年8月  7万6650円
西麻布の交差点からすぐ近く。ホテルオークラ『山里』で33年料理人を務めた店主が2005年に開業した。客単価約1万5000円の高級天ぷら屋

「叙々苑 游玄亭 赤坂」 2012年8月  15万250円
赤坂の高級焼き肉店。小渕氏は焼き肉店の中でも、『叙々苑』系列のお店はとくにお気に入りのようで、3年間で計36万円近くを支払っている

「中国飯店 富麗華」 2012年9月  12万2383円
東麻布の中華料理店『富麗華』は、安倍首相を始めとして、多くの要人やVIPに好まれている。9月であれば、名物の上海蟹が旬を迎える

「中国飯店 琥珀宮」 2012年10月  10万600円
中国飯店グループが、丸の内のパレスホテル東京内に開いた高級中華。ランチでも4000円以上、ディナーなら一人1万5000円から2万円はかかる

いかがだろうか? 

以上が、2012年までの3年間で、小渕優子前大臣が政治資金を使った名店の一部。フライデーは政治団体『未来産業研究会』、『恵友会』などの政治資金収支報告書をもとに「美食三昧」名店リストを公開。ほかにも「政治資金で子育て」の疑いも指摘している。

安倍首相と自民党が「女性リーダー」と祭り上げたのは、こんなお嬢様だったのである。

FRIDAY編集部

郷原信郎が斬る 「重要閣僚の資質を疑う宮沢経産大臣の問題発覚後の発言」 : 最大の問題は、経産大臣という重要閣僚の地位にある宮沢氏に、「利益相反」という問題意識が全くないことだ。

郷原信郎が斬る
重要閣僚の資質を疑う宮沢経産大臣の問題発覚後の発言
投稿日: 2014年10月25日 投稿者: nobuogohara

小渕経済産業大臣の政治資金問題での辞任を受けて急きょ後任となった宮沢経済産業大臣が、政治資金を「SMバーでの交際費」に支出した問題と、東京電力株を保有している問題の二つで厳しい批判を浴びている。

前者は論外であり、その様な不適切極まりない政治資金の支出すらチェックできない政治家に経産大臣という重要閣僚が務まるとは到底思えないが、さらに唖然とするのは、この問題に関する宮沢氏の釈明だ。

(略)