2026年4月21日火曜日

〈やってる感アピールするのには絶好のチャンスなのに、トランプとの会談以降、燃え尽き症候群みたい、、、〉 → 三陸沖M7.5地震で高市首相の対応にX上で批判集中 ; 高市首相は発生20分後に避難を呼びかけましたが、1分程度の短い対応と疲労した様子がXで「こころここにあらず」「対話を避ける」と批判され、ハッシュタグも広がりました。

高市氏に漂う孤立感、重鎮懸念 党「関係希薄」官邸「会えない」(毎日) / 高市早苗首相と麻生太郎氏の会食で麻生氏が焼き魚定食に手をつけず / 経済官庁幹部「届いた資料を朝までかかってでも一人で読み込み、疑問も自ら調べている」と評価する一方で、「現実とは少しずれた世界観に入り込むこともある」と懸念も示す。(毎日)   

話題のパランティア本、『テクノロジカル・リパブリック』(日本経済出版)をサインがてら寄った紀伊國屋で買って早速読んだ。・・・・・パランティアは、倫理やポリコレをとっぱらったエリートこそが技術の可能性を復活させると言う。だが、これはテクノファシズムへの道だ。・・・・・(斎藤幸平)


 話題のパランティア本、『テクノロジカル・リパブリック』(日本経済出版)をサインがてら寄った紀伊國屋で買って早速読んだ。

興味深いのは、現在のシリコンバレーが本当の難題に立ち向かうのをやめ、楽に稼げる消費者向けアプリの開発に勤しんでいることへの批判である。デヴィッド・グレーバーを引きながら、現在の技術は結局これまであったもののデジタル模倣にすぎず、真のブレークスルーではないと喝破する。

結局、リベラリズムは、社会が進むべき方向を示すことなく、技術を野放しにした。その結果、テクノ支配階級は富を蓄積する一方で、私たちが手に入れたのは無料のウェブメールだけなのだ。それに対して、過去を振り返れば、インターネットや月面着陸のようなイノベーションが起きたのは、本来国家との官民協働のプロジェクトであった。

実は、そのような協働を復活させようという提案は、『人新世の「黙示録」』とも共通する。では、違いはなにか。パランティアは、倫理やポリコレをとっぱらったエリートこそが技術の可能性を復活させると言う。だが、これはテクノファシズムへの道だ。私はこの官民連関にこれまで排除されてきた民衆が参加する民主的計画こそが、真のブレークスルーを生むと信じている。必要なのは民主主義の否定ではない。むしろ、より多くの民主主義なのだ。

(斎藤幸平)



〈もう時代が変わって、日本は落ちぶれて、死の商人になるというのか!〉 〈国会で一切議論せず、戦後史の大転換を強行するのか!〉 殺傷武器の輸出制限を撤廃…ルール緩和を閣議決定 歯止めなき新ルールの全体像とは?(東京); 例外として「戦闘中の米軍がインド太平洋地域で態勢を維持するため、日本の装備品を必要としている場合」を例示した / (動画)日本は、海外への武器輸出制限を撤廃し、軍艦やミサイル、その他の兵器の輸出への道を開く、数十年来最大の防衛輸出ルールの見直しを発表しました(ロイター) / 高市首相、武器輸出「時代変わった」 専門家「平和国家捨て去った」(朝日) / 非核三原則「維持すべき」75% 武器輸出「反対」67% 朝日世論 / 「武器ではなく平和こそ輸出すべきだ」…殺傷能力のある武器輸出のルール緩和に反対 市民団体が官邸前で抗議(東京) / 日本は「殺傷武器を売る国」になる 高市政権 週明け正式決定へ、政策大転換なのにブレーキ外れた与党でスピード決着(東京) / 高市首相、武器輸出「もう時代が変わった」 宮沢喜一氏の答弁問われ(毎日);「宮沢氏は外相だった1976年5月、衆院外務委で武器輸出について「兵器の輸出をして金を稼ぐほど落ちぶれてはいない。もう少し高い理想を持った国として今後も続けていくべきだ」と答弁した」

米退役軍人がイラン戦争反対のデモ「私たちと同じ間違いをしてほしくない。無実の人々を殺している」(ハフポスト日本版);  100人以上の退役軍人と家族が、ワシントンD.C.の議員会館で抗議。「イラン戦争を終わらせろ」と書かれた横断幕を掲げた。

〈「高市人気」とか、ホントなのか?〉 → なぜ自民は負けているのか…地方選で相次ぐ推薦候補の落選 高市人気は「万能ではない」と党内は動揺(東京) / 「高市人気」地方選に波及乏しく 自民推薦候補、7市長選で敗北(日経) / 地方首長選で自民系候補の敗北相次ぐ 首相人気も党勢回復厳しく(毎日) / 内閣支持率は高いのに地方選で相次ぐ自民系候補の敗北 党内は不安視(朝日)

2026年4月20日月曜日

〈『NO WAR!憲法変えるな!4・19国会正門前大行動』〉 〈独創的なノボリ旗が多数、楽しそう〉 改憲や戦争に反対する国会前デモ 3万6000人集まる(毎日);改憲や戦争に反対するデモが国会前であり、思い思いのプラカードや旗を手にする参加者の姿が多く見られました。主催者は3万6000人が参加したと発表しました。

どうしてそんなに“高市ブルー”? 憂鬱な人たちのホンネ(毎日);「高市氏の頭には改憲や戦争準備しかないようです。国民生活を向上させる要素は何一つありません。中国と対立を深めて防衛費増大や軍需産業への利益誘導をしたいのでしょうが、著しく国益を損ねている。輸入に頼る国が戦争を始めれば窮乏化は必至です。彼女を選んだ主権者は大いに後悔すべきです」(島田雅彦)

〈働いて、働いての高市早苗〉 〈アメリカのイラン攻撃後における首相の週末の過ごし方まとめに驚き!〉 → 首相動静 19日も一日中公邸で過ごす。来訪者もなし / 18日、一日中公邸で過ごす / 17日、閣議は朝の8分間 国会も1時間2分 中東首脳や関係者との面談ゼロ 18:35には公邸に帰宅 官邸前、議員会館前デモの市民の声は届いたでしょうか?

 

BBCニュース - 【分析】 トランプ政権に影を落とす数々のインサイダー取引疑惑 / トランプのホルムズ開放発表の20分前にまた大きなインサイダー取引があったらしい。 / 速報:トランプ氏がホルムズ海峡が開かれたと発表するわずか20分前に、市場に巨額の取引が殺到した。 投資家たちはブレント原油先物の合計7,990ロットを売却し、石油価格が下落するという7億6,000万ドルの賭けに出た。 これらの注文は、当時の他のどんなものよりもはるかに大きかった。 トレーダーたちは巨額の利益を上げた。 異常だ。


 速報:トランプ氏がホルムズ海峡が開かれたと発表するわずか20分前に、市場に巨額の取引が殺到した。

投資家たちはブレント原油先物の合計7,990ロットを売却し、石油価格が下落するという7億6,000万ドルの賭けに出た。

これらの注文は、当時の他のどんなものよりもはるかに大きかった。

トレーダーたちは巨額の利益を上げた。

異常だ。




大杉栄とその時代年表(809) 1908(明治41)年11月1日~3日 宮下太吉、パンフレット「入獄記念無政府共産」50部受取り感動 箱根太平台・林泉寺住職内山愚童の秘密出版

 


大杉栄とその時代年表(808) 1908(明治41)年10月19日~31日 「十月十九日 十時頃起きると並木君が来た。昨日のボートレースに敗けたといつて残念がつてゐた。一緒に昼飯を喰つて、文部省の美術展覧会を見に上野へ行つた。櫻の葉が少し散つてゐる。日本画の方はソコソコに済して、竹の台の洋画の方へ行つた。出品百余点。二三氏のものを除いてはまだまだ日本の画会も幼稚なもの。・・・・・最後の室にゆくと、鹿子木孟郎氏の大作“ノルマンデーの浜辺”、よく海岸の淋しさが表はれてゐた。・・・・・さて大評判の和田三造氏の“煒燻”、何といはうかこの猛烈な色、見てゐると、何か知ら崇厳な生活の圧迫が頭を圧する………」(啄木日記) より続く

1908(明治41)年

11月

韓国、この頃から、伊藤統監、辞任の意向を漏らすようになる。弾圧しても義兵闘争は高まるばかり、また、保護国経営目指す統監政治への批判強く自信揺らぐ。

11月

島村抱月「口語詩問題」(「読売新聞」)

11月

波多野精一「基督教の起源」

11月

東京俳優養成所設立。藤沢浅二郎。

11月

『サンデー』、『ベースボール』(1911年9月『野球界』と改題)創刊。

11月

栃木県会、谷中村堤内に河川法準用取消し決議。

11月

満州鉄道、東京支社内に東亜経済調査局設置。

11月

田村成義の指導のもとに、6世坂東三津五郎、13世守田勘弥ら若手、市村座に出演し成功をおさめる。

11月

メキシコ、フランシスコ・マデーロ、「1910年の大統領の後任」発表。コラルの排斥を主張。マデーロはコアウィラ州の大農場主でもともとディアス派の幹部。

11月初め

「十一月初め(小宮豊隆推定)、『文學評論』の訂正を始める。」(荒正人、前掲書)

11月1日

啄木(22)、小説「鳥影(ちようえい)」(「東京毎日新聞」~12月30日連載)。同紙勤務の新詩社同人栗原古城(元吉)の勧め。 さしたる反響なし。

「十一月一日

予の生活は今日から多少の新しい色を帯びた。それは外でもない。予の小説“鳥影”が東京毎日新聞へ今日から掲載された。朝、女中が新聞を室へ入れて行つた音がすると、予はハツと目がさめた。そして不取敢手にとつて、眠い目をこすり乍ら、自分の書いたのを読んで見た。題は初号活字を使つてあつて、そして、挿画がある。――静子が二人の小妹をつれて、兄の信吾を好摩のステーシヨンへ迎ひに出た所。

一葉は切抜いて貼つておく事にし、一葉は節子へ、一葉はせつ子の母及び妹共へ送ることにした。

起きて、また新聞を見乍ら飯を食つた。そして、昨夜与謝野氏から貰つて来た五円を持つて出かけて、足袋や紙やと共に、大型の厚い坐布団を二枚買つて来た。今迄夏物のうすくなつたのを布いてゐたつたのだ!

(略)」(啄木日記)

11月1日

帝国鉄道庁、一般貨物運賃の割戻廃止決定。各通運会社に打撃。

11月2日

香港で日貨排斥運動開始。

11月3日

「天長節

朝に、貸本屋から藤村の“春”を借りた。

昼頃に少し雨が降つたが、すぐ晴れた。金田一君と二人で上野の文部省展覧会へ行つた。途中で赤心館の主人夫妻の博物館へ行くといふのに逢つて、団子坂の菊の噂をした。ポカンとした主人と、気短な猫みたいな妻君と並んで行く様は面白かつた。

洋画の方では、予期の如く和田三造氏の“煒燻”と吉田博氏の“雨後の夕”が第二賞を得てゐた。さて、日本画館の中で、晶子さんと其子らに逢つた。薄小豆地の縮緬の羽織がモウ大分古い――予は晶子さんにそれ一枚しかないことを知つてゐた。――そして襟の汚れの見える衣服を着てゐた。満都の子女が装をこらして集つた公苑の、画堂の中の人の中で、この当代一の女詩人を発見した時、予は言ふべからざる感慨にうたれた。

館を出で来て与謝野氏に逢つた。石段の下で別れて、予らは帰つて来た。

釧路の遠藤からまた葉書。返事を認めた。

そして“春”を読んだ――

小説の上の一切の旧き技巧を捨てて、新意ある描写に努力した作者の熱心は、予を驚かしめた。その努力は不幸にして、この作に於てはまだ効を見せなかつた。――が、一派の人のこの作を全部失敗とするは誤つてゐる。そして、藤村氏の将来を軽蔑するは更に大に間違つてゐる。――予は藤村氏に与ふる手紙を書いた。

その中で、書中に豆金糖とあるは豆銀糖の誤りであることを書いた。

二時に寝た。」(啄木日記)

11月3日

(漱石)

「十一月三日(火)、天長節。九段能楽堂の会で、徳田秋声にはじめて紹介される。」(荒正人、前掲書)


11月3日

宮下太吉、パンフレット「入獄記念無政府共産」50部受取り感動。箱根太平台林泉寺内山愚童の秘密出版

この日、宮下は差出人不明の小包を受取る。中には粗末な印刷で薄っぺらなパンフレットが50部ばかりあった。表紙には、赤地に白抜きで「無政府共産」と横書きされ、赤字で「入獄紀念」と縦書きされ、真ん中あたりには白抜きで「革命」の赤旗が描いてある。表紙をめくると、「小作人ハナゼ苦シイカ」という見出しがあり、これがこの15ページの小冊子のタイトルだった。

読み進むと、小作人が苦しい理由として三つの「迷信」に縛られているからだとあった。一つは、地主に小作料を納めるのは当然とする「迷信」、二つは納税義務は当然と思う「迷信」、三つは軍備がないと外国人に殺されるから兵役義務は当然とする「迷信」。そこで『無政府共産』の筆者は、政府を無くし、政府の親玉の天子なき自由の国にしようではないかと訴えていた。天子は決して「神の子」でもなんでもない、小学校の教師などから騙されているだけだ、などと説いていた。

宮下には、今までのもやもやした疑問が一気に氷解していくようだった。この小冊子の送り主は、箱根・大平台の曹洞宗・林泉寺の第10代住職内山愚童(明治7(1874)年生まれ)と知ったのはずっと後であり、愚童には一面識もなかった。

パンフに共鳴した宮下は、差出人も作者も不明だったのに、1週間後の2月10日に天皇の「お召し列車」が大府駅を通ると知り、会社を休んで出かけ、奉迎に集まる人たちに小冊子を配って歩いた。「天子様なんて、ありがたいもんじゃないんですよ」と言いながら。しかし人びとの反応は冷たく

宮下の期待は大きく外れた。これでは社会主義を実現することはできない、天子もわれわれと同じ人間なのだ、ということを人民に知らせなければ、天子への迷信はなくならないと思い込むようになる。「爆弾をつくり、天子も我々と同じで血の出る人間だということを分からせて、人民の迷信を打破しなければならない」。こう思いこんだ宮下は、直情的に一気にテロリストへの道を駆けていく。


〇宮下太吉は、明治8(1875)年9月、刀鍛冶職人の次男として山梨・甲府で生まれた。16歳で郷里を離れ、見習いをしながら東京、大阪、名古屋などの工場を転々と歩き、27歳になった明治35(1902)年ごろに愛知県の亀崎鉄工所に就職、そこで結婚し、落ち着いた。熟練の機械据付工になっていた宮下は、鉄工所の信用も厚く「出張員」を任されていた。

宮下が社会主義に目覚めたのは、明治40(1907)年1月創刊の『平民新聞(日刊)』 に出会ってからだったようだが、書き残したものはきわめて少ない。

片山潜らの『社会新聞』1907年12月8日付第28号に宮下の数少ない原稿である「尾張亀崎より」という190字の投書が掲載されている。その中で宮下は、自分の生い立ちや若干の経験を記した後で、労働争議が起きていた横須賀造船所に触れてこう書いている。

「(小生は)資本家の圧制手段や瞞着手段はよく知っている。貴紙二十六号の横須賀造船所共済会の記事を読み、権力階級を頭に戴いた会や組合は、職工の不利益になればとて決して利益にならぬ事を、能く感じました。左様いふ職工等は、賃金という鎖の外に、共済組合若しくは消費組合と云ふ鎖で、二重に繋がれた様なものです」

投書が掲載された直後の12月13日、宮下は大阪出張の折に初めて大阪平民社に森近運平を訪ね、皇室に関する意見を訊いている。

「森近君、君は皇室のことをどう考えているのか」

問われた森近運平は、すでに神話による日本誕生や天皇神話を排した古代史研究者の久米邦武の『日本古代史』などを読んでおり、自分なりの皇室観を持ち始めていた。

「宮下さん、私は日本の皇室だけが世界の大勢に逆らって特別の地位を保つことはできないと思います。それから紀元二五〇〇年というのも間違いで橿原宮の即位という歴史も信じられませんね」

と応えた。

翌明治41(1908)年1月18日、宮下は東海地方に遊説にきた片山潜にも皇室をどうするつもりかと訊いている。

「片山さん、皇室を無くすことはできないのでしょうか」

「それは、議会で社会主義者が多数を取れば、憲法改正もできる。そのためには、何よりまず普通選挙の実現が第一だ」

当然ながら片山はこう応じ、宮下をがっかりさせた。

翌月、奈良へ出張した際に再び宮下は大阪の森近を訪ねている。そのときの宮下について、森近は『日本平民新聞』2月5日号に「金槌とネジ廻しとを以て、器械を組立てる技術を持った人である。其頭脳の明晰なる事、到底帝国大学の先生方の及び能はざる所である」と高く評価している。しかし、運平は後には、秋水には「単純な男」と評している。

〈田中伸尚『大逆事件』岩波現代文庫より〉

11月3日

ウィリアム・ハワード・タフト(共和党)、第27代大統領に当選。


つづく


高市早苗首相がホルムズ海峡自由航行イニシアチブオンライン会議を欠席し公邸に留まる ; スターマー英首相とマクロン仏大統領主催のホルムズ海峡自由航行イニシアチブオンライン会議に54カ国が参加した一方、高市早苗首相は欠席し書面メッセージのみを寄せた。高市首相は危機時に終日公邸に留まりX投稿などで過ごした。建築現場停止や石油不足の状況下で国民から強い批判が殺到した。 / 高市早苗首相が危機時に公邸でX投稿に終日費やし朝議や謁見を欠席 ; 高市早苗首相が国難の最中に公邸でX投稿に終日費やし、朝議や謁見を欠席した。各地の建築現場が止まり石油不足が発生している。国民から強い批判が広がっている。   

〈夢幻の世界に生きてるのか〉 〈日本はトランプの戦争を支持していると、敢えて世界に発信したいのか〉 → 日米同盟「黄金時代」と評価 - 片山財務相、NYで講演

2026年4月18日土曜日

神経精神科医ボリス・シルルニー「トランプ氏は精神疾患ではない。狂ってはいない。心神喪失なら法的に免罪されるが、トランプには責任がある。彼は衝動に駆られるサイコパス(共感性や良心、罪悪感の欠如した人格)だ。教育不足に起因する発達障害だ」 /  「トランプはアルツハイマー」という説は間違いだ。なぜならアルツハイマーは「忘れる」病だからだ。しかし彼は忘れていない。むしろ激化している。これは別の病態——前頭側頭型認知症(FTD)の特徴だ。 FTDの核心症状は「虚語」である。記憶の欠損を、本人も信じきった作り話で埋める現象だ。 トランプは「7個か8個の戦争を終わらせた」と本当に信じている。FIFAの参加賞を「大いなる名誉」と本気で思っている。嘘発見器に引っかからない理由がここにある。 見逃すな。FTDは脳のブレーキ——衝動抑制、自己監視、現実検討——を全て破壊する。そこに悪性ナルシシズムが載る。ブレーキ無しの暴走車に、さらにアクセルを直結するようなものだ。これは単なる認知症ではない。相乗効果の恐怖である。、、、、、    


 「トランプはアルツハイマー」という説は間違いだ。なぜならアルツハイマーは「忘れる」病だからだ。しかし彼は忘れていない。むしろ激化している。これは別の病態——前頭側頭型認知症(FTD)の特徴だ。

FTDの核心症状は「虚語」である。記憶の欠損を、本人も信じきった作り話で埋める現象だ。 トランプは「7個か8個の戦争を終わらせた」と本当に信じている。FIFAの参加賞を「大いなる名誉」と本気で思っている。嘘発見器に引っかからない理由がここにある。

見逃すな。FTDは脳のブレーキ——衝動抑制、自己監視、現実検討——を全て破壊する。そこに悪性ナルシシズムが載る。ブレーキ無しの暴走車に、さらにアクセルを直結するようなものだ。これは単なる認知症ではない。相乗効果の恐怖である。

身体症状もアルツハイマーと明確に異なる。右足を引きずるような歩容。体の前傾。「ユナイテッド・シェルシェ」「ミシズ」「クリキジャス」といった発音崩壊。これらはFTDの非流暢性失語と運動症状そのものだ。

問題の本質はここから先だ。アルツハイマーと誤認することは「ただの認知症」という見逃しを生む。FTDは悪性ナルシシズムの最後の抑制を剥ぎ取る。剥ぎ取られた先に何が現れるか?ジェット機から国民に動画を撒く行為。神様ごっこを演じる姿。これらは「衰え」ではない。解除された残虐性だ。

専門家集団Duty to Warnは2017年から警告していた。当時は無視された。今、その悪夢は現実として進行中である。あなたが見ているのは記憶障害ではない。ブレーキを失ったナルシシズムの最終加速局面だ。

結論を言おう。彼の脳にはもはや現実を止める仕組みが残っていない。そしてその事実は、大統領職という制度そのものを内部から崩壊させている。あなたが無意識に信じてきた「正常な統治は正常な認知を前提とする」という常識。その前提は、もうどこにも存在しない。

Frank George, Ph.D.(臨床心理学博士)

『The Gaslight Report: Dammit, It's Not Alzheimer's!』

(「違う、それはアルツハイマーじゃない——はるかに悪い悪夢のシナリオ」より)

トランプ氏、支持離れに拍車 対イラン作戦で不満表面化―米(時事) / トランプ大統領、Z世代の支持をイラン攻撃で急速に失う ; トランプ大統領は選挙で「新たな戦争を始めない」と約束したものの、今年2月末にイラン軍事施設を空爆し、Z世代から強い反発を買っている。この世代はイラク戦争などの泥沼を幼少期から見て育ち、海外介入に拒否感が強い。NPR調査では18~29歳の64%が攻撃に反対し、失業率の高止まりやガソリン高騰も不満を増幅させている。中間選挙を前に、若者の離反が共和党に重荷となる可能性が高い。

 

大杉栄とその時代年表(808) 1908(明治41)年10月19日~31日 「十月十九日 十時頃起きると並木君が来た。昨日のボートレースに敗けたといつて残念がつてゐた。一緒に昼飯を喰つて、文部省の美術展覧会を見に上野へ行つた。櫻の葉が少し散つてゐる。日本画の方はソコソコに済して、竹の台の洋画の方へ行つた。出品百余点。二三氏のものを除いてはまだまだ日本の画会も幼稚なもの。・・・・・最後の室にゆくと、鹿子木孟郎氏の大作“ノルマンデーの浜辺”、よく海岸の淋しさが表はれてゐた。・・・・・さて大評判の和田三造氏の“煒燻”、何といはうかこの猛烈な色、見てゐると、何か知ら崇厳な生活の圧迫が頭を圧する………」(啄木日記)

 

和田三造〈煒燻〉

大杉栄とその時代年表(807) 1908(明治41)年10月10日~18日 「昨日も上野へ行つて見ると、展覧会の賑ひは意想外である、その賑ひをなせる観覧者の要素の啻に美術学生等の専門家ばかりでなく、あらゆる職業の人を集めてゐるのには、一驚を喫せざるを得なかつた、やがてこれは美術思想の普及を示すものである、兎角の批評は擱いて、文部省が一臂の力をこの方面に仮〔ママ〕した為に明治美術の存在が世人に知られた一事は徳としなければならぬと思ふ」(『万朝報』) より続く

1908(明治41)年

10月19日

警察当局、反清革命派の中国同盟会の機関誌『民報』を発禁。

この日、日本政府は『民報』第27号を、「新聞紙条例第三十三条違反」として、「発売頒布ヲ停止シ及ビ之ヲ差押エ」た(外交資料「民報関係雑纂」乙秘第1074号、明治41年10月22日)。「発行所の変更を届けなかった」というのがその理由である。このような言いがかりともいえる方法でしか、発行停止に持ち込めなかった。

『民報』の発行停止は、思想の拠り所を失わせただけでなく、収入の上からも打撃になった。

編集長の章炳麟がその不当性を裁判で訴えた。宋教仁も通訳として裁判に立ち会い、法律論を駆使して闘ったが、50円の罰金刑が確定し、『民報』は事実上の廃刊に追い込まれた。彼らはこの罰金の捻出にも苦労し、納付期日まで間に合わなかったため、章は一時入獄している。

この問題には、当時留学生だった魯迅も関わっていた。彼は清朝考証学の学者である章炳麟が、民報社で開いていた国学講習会に通っていた。その当時について、魯迅の弟周作人が書いた『魯迅の故家』に次のような一節がある。

「民報社に通って聴講していたときに、『民報』誌が日本政府によって発行を禁止された。原因はもちろん清国政府の請求によるものだが、表面の理由は出版法違犯ということであった。〔略〕『民報』は同盟会の機関誌といっても、孫中山派はずっと前から関係していなかったので、この罰金も章太炎〔章炳麟のこと〕自身が支払わなければならなかった。納付期限をすぎても支払えないと、一円一日の計算で懲役に服さなければならない。期限ぎりぎりの日になって、龔未生(宝銓)が魯迅を訪ねて相談し、結局さらに許寿裳に頼み、『支那経済全書』の訳本の印刷費の一部を流用してもらって、やっと急場をしのいだ。この事件のために、魯迅は孫文派の同盟会のやり方に非常な不満を感じた(武田泰淳『秋風秋雨人を愁殺す』より)。


10月19日

「十月十九日

十時頃起きると並木君が来た。昨日のボートレースに敗けたといつて残念がつてゐた。一緒に昼飯を喰つて、文部省の美術展覧会を見に上野へ行つた。櫻の葉が少し散つてゐる。日本画の方はソコソコに済して、竹の台の洋画の方へ行つた。出品百余点。二三氏のものを除いてはまだまだ日本の画会も幼稚なもの。・・・・・最後の室にゆくと、鹿子木孟郎氏の大作“ノルマンデーの浜辺”、よく海岸の淋しさが表はれてゐた。・・・・・さて大評判の和田三造氏の“煒燻”、何といはうかこの猛烈な色、見てゐると、何か知ら崇厳な生活の圧迫が頭を圧する………

この画の前を去りかねてゐると、僕らの背後に一人の二十才少し上の、稍背の高い、肉置のゆたかな女が立つてゐた。これは入場した時から僕らと前後して歩いてゐたのだ。マガレツトに幅広の白いリボンを結んで、衣服は何とやらいふお召の羽織に黒い縫紋。女中を一人つれてゐたが、画の見方で怎うやら素人でなかつた。

所へ一人の中背の、やせた、余り風采の揚らぬ、鼠の中折を被つた三十二三の人が来て、此女と挨拶した。そして女が、

“随分思切つた色をおつかひでござンしたねえ!”

“駄目です。”とその人が強く言つた。“思切つて書いたつもりでしたけれど、此処へ持つて来てみると、まるで駄目です。”

“そんな事はございません。私なんかモウ此処から離れたくない様で………”

“自分の画の前に立つてゐると、何だか変ですね。”と言つて軽く笑つたその様子には、妙に恁う小供らしい表情があつた。誰あらう、これがこの天才和田氏でなくて?

と、その女は、

“鹿子木さんも大分大きいものをお出しでござんしたねえ。”

と、パタパタ唇をたたいてゐたプログラムで、横の方にある“ノルマンデーの海辺”を指して言ふ。

“え。パンを食つて書いたのは違ひます。”

この語は、異様に強い響きがあつた。予は妙に憧がれる様な気持で、この人を見た。蓋し鹿子木氏は洋行して来たが、和田氏はまだ行かぬのだ!

和田氏の姿はやがて見えなくなつた。女は室から室と、繰返して見てあるいてゐた。そのうちに僕らが出て了つた。後からその女も出て来て、日本画の方へ行つた。その後姿を茶店のベンチの上から見送つて、屹度女画家であらうと僕は思つた。

彫刻の方では、特別室は見かねたが、荻原守衛氏の“文覚”には目を睜つた。この豪壮な筋肉の中には、文覚以上の力と血が充満してゐさうだ。

    ――――――――――――――――

竹の台のあちこち、通訳をつれた米艦水兵が、三々五々、遊んでゐた。

(略)」(啄木日記)


10月20日

台湾総督府、極印付円銀を公納に使用し得る期限を12月31日限りとする旨制定。円銀は時価をもって引き換え。

10月20日

宮本顕治、誕生。

10月20日

岩野泡鳴『新自然主義』。

10月21日

西園寺公望、桂太郎宛の書簡で、東京に戻った折にお会いしたかったが、「実は宿痾又起り気分あしく」、御多忙中の妨げになると思い失礼しました、と体の不調を述べる。

政友会代議士会や大会における西園寺総裁の演説も、代読が多くなり(1908年12月19日、1909年1月19日、1910年10月19日)、西園寺が行っても演説中に自ら病気にに言及することが多くなる(1909年3月26日、1910年3月25日)。

10月21日

(漱石)

「(十月二十一日(水)、狩野亨吉、病気理由に、京都帝国大学文科大学学長を依願退職する。)

十月二十二日(木)、木曜会。西村誠三郎(濤蔭)・小宮豊隆ら来る。夜、寺田寅彦来る。

十月二十三日(金)、高浜虚子宛手紙に、『寺田寅彦小説集』について、寺田寅彦の意向を伝える。序文は、集った文章を読み直してからにしたいと云う。


「虚子『寅彦小説集』編纂の計畫の由なり」(「寺田寅彦日記」)から推定すれば、漱石は寺田寅彦に、高浜虚子が『寺田寅彦小説集』という文集を計画していると伝える。だが、寺田寅彦は、文集の題名に自分の名前を冠することは強く辞退する。但し、漱石の序文が付くことは反対しなかったらしい。」(荒正人、前掲書)

10月21日

「十月二十一日

秋声の“凋落”を読み了へた。印象は灰色の重き圧迫! この作者は非常に苦心してゐる。が、技巧にはまだまだ足らぬ所がある。世評はこの人の苦心に酬ゐてゐない!

夜また独歩の“濤声”をくり返して、涙が出た。そして金田一君の室へ行つて二時間許り語つた。――今の予には何かは知らぬが力がある。希望がある。そして金田一君も國學院大學の講師になつた。」(啄木日記)


10月22日

幌別鉱山で暴動

10月23日

文部省、教育を通じて戊申詔書の国民道徳作興の聖旨を奉体するよう、直轄学校長、地方長官らに訓令。

10月23日

淡路十四師団を宇都宮へ移す

10月23日

「十月二十三日

よく晴れた日。今日米艦隊の提督スペリーが公式に退京するさうな。

(略)

・・・・・十一時少し前千駄ヶ谷の晶子さんから電話、吉井が来てゐて歌をつくるから来いといふのですぐ出懸けて行つた。再昨夜出した筈の原稿がまだ着かぬといふ。

夕方までに三十五首作つた。平野君もその頃来た。一人六時頃に辞して帰りを平出君に寄つたが留守。

帰つて来て平出君に手紙出した。十時まで金田一君と語つた。十一時頃に一寸出ておでんを喰つて来た。


十月二十四日

午前中に明星へ改めて原稿をかいて送つた。先に書いたつた詩三篇と歌六十首。

此朝にせつ子から葉書。宝小学校の方十六日付で辞令が下つて、十九日から出勤してゐると。三給上俸といふと、予が弥生にゐた時と同じ十二円だ。せつ子に恁麼事(*そのような事)をさせる! それはそれとして、予はホツと一息ついた。家族は先づ以て来春まではあまり郁雨君の補助も仰がずに喰つてゆける。

そして光子も来月から何とか云ふ外国人の家庭教師になることに話がきまつたので、京子を守するために月末までに岩見沢へ行つてゐる母を呼ぶと。

(略)」(啄木日記)


10月24日

台湾の縦貫鉄道全通式挙行(基隆~高雄)

10月25日

小村寿太郎、高平小五郎駐米大使に太平洋問題および清国における機会均等主義に関する日米協商案を訓令。

26日 高平大使、米大統領に草案提示。

10月26日

榎本武揚(73)、没。

10月26日

「十月二十六日

今日はよい日であつた。午前に栗原君から葉書。“鳥影”を島田社長と合議の上貰ふことに確定したと言つて来た。

(略) 

清岡、新渡戸、櫻庭及び郁雨正二君とせつ子とへ葉書――毎日社の小説きまつた事を知らしてやつた。

(略)」(啄木日記)


10月27日

(漱石)

「十月二十七日(火)、エイ、百日咳から腸チフスになり、昨今やっと快方に向う。

十月下旬または十一月初め(日不詳)、春陽堂から『文學評論』の整理催促され、訂正に熱中する。今年中に出版したいという。(明治四十二年三月十六日に刊行される)」(荒正人、前掲書)

10月28日

デイリー・テレグラフ事件。

独皇帝ウィルヘルム二世、英紙『The Daily Telegraph』のインタビュー。自分は英に対して友好的だが独国民の大半は反英的であると発言。国際的反響、皇帝への批判高まる。両国で物議。独首相のフォン・ビューロー公、後に辞任。

10月29日

「世界婦人」発行兼編集人神崎順一の公判。東京地裁。

10月30日

「十月三十日

朝飯を十時頃にすまして、戸塚村に小栗風葉氏を訪ねたが、運悪く不在。・・・・・

千駄ヶ谷に行つて晶子さんに色々話して二時半頃かへつてくると、与謝野氏に逢つて又戻つた。そして晩餐を御馳走になつた。

新たに帰朝した上田敏氏を訪ねた。与謝野氏の伝言を伝へて一時間半許りも話した。少し頭の毛がうすくなつてゐる。そして、盛んに日本文学者がプライドを失つてゐると気焔を吐かれた。

八時頃平野君に途中で逢つて帰り、十時まで語つた。そして昴の一号へ出す小説の題を“泥濘”とした。

妙に昂奮してゐて、金田一君の室へ行つて気焔を吐いた。


十月三十一日

(略) 早起。終日の雨。寒暖計は五十一度に下つた。綿入を着て猶寒い。

貸本屋から借りて、二葉亭訳の“浮草”をよんだ。風葉の青春がこれからヒントをえたものであらう。

約の如く夜雨を犯して千駄ヶ谷にゆき、五円貰つた。帰りに仏語の独修書をかつて来た。

(略)

この日の東京毎日に、“鳥影”の予告文が載つた。」(啄木日記)

10月31日

三菱合資三菱造船所(長崎)、500kWのパーソンス式蒸気タービンを製作、据付。同造船所用の発電機に使用。

10月31日

日韓漁業協定調印。両国民は相手国の沿海、港湾、河川、湖池で漁業をなし得ることとなる。1909年4月1日施行。

10月31日

新詩社の同人で東京毎日新聞社に勤務する栗原古城(元吉)の厚意で「東京毎日新聞」に新聞小説「鳥影」を連載することになり、この日啄木の書いた予告が同紙に掲げられた。「本朝の御紙にて予告文を見、聊か若き心のをののくを覚え侯」(栗原古城宛10月31日書簡)

10月31日

日韓漁業協定調印。両国民は相手国の沿海、港湾、河川、湖池で漁業をなし得ることとなる。1909.4.1 施行。

10月末

箱根林泉寺内山愚堂、秘密出版パンフレット「入獄記念・無政府共産(小作人はなぜ苦しいか)」を巣鴨平民社に持込み全国に発送を依頼。「パンの略取」出版準備中の幸徳秋水は影響を恐れ拒否。平民社にいた森近運平が同情して読者名簿を見せる。

翌日、愚堂は新橋駅前郵便局、国府津駅から発送。

(11月3日愛知県知多郡亀崎町の亀崎鉄工所労働者宮下太吉のもとに50部が届く)。

愚堂は、年内に「道徳否認論」「帝国軍人座右銘」等出す。


つづく


横浜散歩 アメリカ山(モッコウバラ、ハナミズキ、ミヤコワスレ) 横浜気象台付近(ミヤマオダマキ、オダマキ;ピンクランタン) 港の見える丘公園(チューリップ、ツリガネズイセン(青、白)、ジャーマンアイリス) フランス山(モミジの翼果) 山下公園(シラン、花壇展) 2026-04-17 

 4月17日(金、昨日)晴れ

前日の16日、みなとみらい~赤レンガ倉庫~横浜公園のルートを歩いたので、この日は、元町からアメリカ山公園~港の見える丘公園~フランス山公園~山下公園のルートを歩いた。

うまくいけば、咲き始めのバラが楽しめるかも、、、と期待していたが、アメリカ山のモッコウバラが見頃だった以外は、まだまだだった。

前日、大桟橋で見た大型クルーズ船(飛鳥Ⅲとコーラルプリンセス)は完全に姿を消していた。ある方のインスタグラムによると、この日は飛鳥Ⅱも新港埠頭に居て、17時同時に飛鳥Ⅱ、Ⅲは出港したとのこと。大黒埠頭からは2隻揃ったところが綺麗に撮れたとのこと。そして、コーラルプリンセスは夜11時の出港だったとか。

▼アメリカ山公園

▼モッコウバラ

白色黄色ともにまだ満開には至ってないが、見頃だった。


▼ハナミズキ

昨日の記事には、ハナミズキの蕾と書いてしまったけど、この花びらのように見える部分は、総苞片(そうほうへん)という葉が変化したものとのこと。


▼ミヤコワスレ これからもっとたくさん咲いてくるはず

▼横浜気象台付近

▼ミヤマオダマキ

▼オダマキ;ピンクランタン

▼港の見える丘公園

▼チューリップ 多数あり

▼ツリガネズイセン(白)

▼ジャーマンアイリス 他にも多数あり



▼ツリガネズイセン(青)

▼フランス山

▼モミジにたくさんの翼果

▼翼果 乾いた状態になって、種を風に飛ばすとのこと。

▼山下公園

▼シラン(紫蘭)の群生

▼山下公園の花壇展




2026年4月17日金曜日

中国人への殺害予告「頻繫にあった」 在日大使館が発表(時事) / 中国大使館に相次ぎ脅迫 侵入前も、日本の対応批判(共同) / 脅迫状「高市早苗首相の支持者たる我々日本人はお前たち志那人を皆殺しにすることを決定した……高市早苗万歳」 / 31日には交流サイト(SNS)経由で即応予備自衛官を自称する人物から「遠隔式爆弾を設置した」と脅された。


 施泳臨時代理大使:3月5日、「特殊部隊出身の元警察官および自衛官によって構成された軍事的精鋭部隊」と名乗る人物が当館に脅迫状に送り、「中国大使館、領事館を襲撃し、日本国内の支那人を一人残さずこの世から消し去る」と称した。脅迫状が届いて、大使館は直ちに警察当局に通報した。しかし、日本側はこれを重視せず、有力な措置がとっておらず、いまだ事件の真相を解明していない。それから19日後、現役自衛隊員村田晃大が刃物を持ち、塀を乗り越えて大使館を侵入したという深刻な事件が発生した。中国側は緊急に日本外務省、警察当局に厳正な申し入れを行った。しかし、侵入事件からわずか一週間後、3月31日に、「即応予備自衛官」と名乗るもう一人の人物がSNSを通じて「大使館内で遠隔起動式爆弾を仕掛けた」と称し、当館宛てに威嚇、脅迫をした。大使館は直ちに警察当局に通報し、当日警察によって2時間近く爆発物対応作業が行われた。




神奈川の企業、6千社が倒産危機 TDB調査、運輸・通信業の割合高く(神奈川); 県内に拠点がある約6千社が、1年以内に倒産するリスクを抱えている。コスト上昇分の価格転嫁が進まない運輸・通信業や小売業の中小企業で目立つ。

 

円安深刻化、1万円の価値が5年で3割超減少を示すグラフが注目 ; ユーザーKS氏が4月16日に投稿したグラフは、1万円をドル、ユーロ、ポンドなどに両替した場合の価値が2021年から2026年にかけて軒並み3割以上減った実態を視覚的に示し、数千のいいねを集めた。17日時点で1ドル159円台、1ユーロ184円台と高止まりし、実質実効為替レートは過去30年最安値圏にあり、1970年代並みの水準だ。中東情勢の原油高が輸入コストを押し上げ、従来の「有事の円買い」が機能せず、株高も円安頼みとの声が広がる中、家計の物価高や実質賃金低下が深刻化している。


 日経新聞、大塚記者は円に対して冷たい諦観を込めた見方をする。「リスクオフでもリスクオンでも円売り」「ドル高でもドル安でも円安」。

私も先週指摘したが、名目実効為替レートでは円の価値は2024年7月の安値を「とっくに底割れし、『超円安』ゾーンにある」。

「原油高が一服するなかでの投機の円安ならまだいい。財務省にとって円買い介入の余地も生じる。だが交渉が決裂して原油高が再燃し、市場の警戒色が強まるリスクはなお高い」。

「インフレ懸念と物価高対策の財政出動で長期金利も上がり、『原油高・円安・債券安』のトリプルパンチになりかねない」。

高市政権が進める円安ホクホク政策は、日本における生活を根本から揺るがしている。




大杉栄とその時代年表(807) 1908(明治41)年10月10日~18日 「昨日も上野へ行つて見ると、展覧会の賑ひは意想外である、その賑ひをなせる観覧者の要素の啻に美術学生等の専門家ばかりでなく、あらゆる職業の人を集めてゐるのには、一驚を喫せざるを得なかつた、やがてこれは美術思想の普及を示すものである、兎角の批評は擱いて、文部省が一臂の力をこの方面に仮〔ママ〕した為に明治美術の存在が世人に知られた一事は徳としなければならぬと思ふ」(『万朝報』)

 

文部省第二回美術展覧会図録

大杉栄とその時代年表(806) 1908(明治41)年10月4日~9日 「十月九日 新聞の海外電報は、欧州外交界の活気を伝へてゐる。墺国のボスニア、ヘルゼゴビイナ合併、勃牙利の独立宣言、クリート島の希臘合併宣言………列国会議が開かれねばならぬ事となつた。世界の視聴は今巴爾幹半島に注がれた。そして、そして、此活劇の脚色家は、独帝にあらずして誰だらう!」(啄木日記)

1908(明治41)年

10月10日

清国、江蘇諮議局成立。

10月10日

東京麻布板倉の南紀文庫、一般公開式を挙行。

10月10日

木曽興業株式会社創設。資本金60万円。

10月10日

バルカン諸国に圧力をかけバルカン危機解決のための会議開催強要。

12日、露イズヴォリスキー外相、英にバルカン情勢に関する会議参加を承認させる。イズヴォリスキー、9日~14日ロンドンに滞在し自らの海峡(ダーダネルス、ボスポラス)構想支持を英に説く。英が海峡解放支持の条件としてトルコの同意を挙げたため露の構想は挫折。会議開催を求める交渉、継続。

10月12日

南アフリカ制憲会議。南アフリカ連邦化のための国民集会。ダーバン(~11月5日)とケープタウンで開催(~1909年2月3日)。ケープ、ナタール、オレンジ、トランスバール4州の連邦制度案起草。新議会制度発足。アフリカーンス語と英語が公用語。州政治権限制限、連邦政府に従属(~1910年5月31日)。

10月12日

タブリーズ立憲派、王朝軍部隊の総攻撃を撃退。

10月13日

9日に公布された条約改正準備委員会官制で、委員ら任命される。

10月13日

戊申詔書と地方改良運動

日露戦争後、農村の疲弊の為、新たな農村・農民の創出を目的として発布。「上下心を一にし、忠実業に服し勤倹産を治め・・・。」。そして、これを指導理念とした行財政改革である地方改良運動が展開。

行政村と自然村の二重構造を解消し、部落有林を統一し、運営の方針を提示した町村是を定めることがいわれ、農村を支える階層(中小地主・自作農上層)を作り出そうとする。

産業組合・農事改良組合が設立され、二宮尊徳に由来し農村再建をめざす報徳社が着目され、農業生産力増進が目的とされる。

第2次桂内閣内相平田東助は、県-郡-町村の指示系統強化を図り、地方改良事業講習会をさかんに開く。静岡県稲取村、千葉県源村、宮城県生出村はた模範村として表彰される。

10月14日

第2琵琶湖疏水開削工事、大津で起工式。1912年6月15日竣工。

10月14日

(漱石)

「(十月十四日(水)、鈴木三重吉、小宮豊隆を訪ね、明日成田に行くと伝える。(私立成田中学校の英語教師になる。年俸八百円)夜、鈴木三重吉と小宮豊隆は共に「朝重」を聞きに行く。)

十月十五日(木)、小宮豊隆来る。林久男が持って来た小説を小宮豊隆に読ませる。小宮豊隆は面白くないと云う。林久男に戻すように頼む。(午後一時、鈴木三重吉は日幕里停車場から成田に出発する。小宮豊隆見送る。)

十月十六日(金)、午後、小宮豊隆帰る。小宮豊隆、林久男に小説を戻し批評を加える。

十月十七日(土)、午前寺田寅彦訪ねて来る。第二回文部省美術展覧会に誘う。人力車で行く。寺田寅彦は自転車に乗っていく。受賞した和田三造の『煒燻』の拙劣にあきれ大いにけなす。昼、宝亭で昼食を馳走する。

十月十八日(日)、猫の三十五日忌。鏡、鮭一切と鰹節飯一椀を猫の墓前に供す。

十月十九日(月)、エイ、四、五日四十度の原因不明の熱続く。

筆、中島六郎からヴァイオリンを習い始める。

十月二十日(火)、加計正文宛手紙に、「仰の如く千駄木から西片町へ移り西片町から此處へ變つて小供はもう五人ある其上此暮か来春早々又一人生れる。鬢の所に白髪が大分生える。」と書く。

(上田敏、外国留学から帰る。十一月、京都帝国大学文科大学講師になる。)


(和田)吉田博の『雨後の夕』と共に、二等賞に選ばれる。一等賞なし。


寺田寅彦は、十月十六日(金)午後、東京帝国大学の恩師や同僚たちと共に第二回文部省美術展覧会を見ている。十月十七日(土)に漱石を訪ねたのは、所用を済ませ他に廻る途中に立ち寄ったところ、漱石から誘われたので、再び行ったのである。なお、宝亭へは他の人物に同行し、馳走されたとも思われる。「寺田寅彦日記」には、「神田を散少し信盛堂にて鳥打帽を買ふ。」と記されている。これは、漱石と共に行ったとも解釈されるし、また、寺田寅彦が一人で行ったとも解釈される。「信盛堂」は、西洋小間物店である。


(ヴァイオリン)鏡は、琴を勧めたらしい。」(荒正人、前掲書)


10月15日

国画玉成会、展覧会開催。観山『大原御幸』、紫紅『時宗』、靫彦『守屋大連』、青邨『囚らはれたる重衡』など。

10月15日

第2回文展。~11月23日。栖鳳「飼はれたる猿と兎」、春挙「雪松図」、中川八郎「北国の冬」、山本森之助「曲浦」、満谷「車夫の家族」、鹿子木「ローランス画伯の肖像」、黒田「春の名残」、山崎朝雲「大葉子」、荻原守衛「文覚」など。

「昨日も上野へ行つて見ると、展覧会の賑ひは意想外である、その賑ひをなせる観覧者の要素の啻に美術学生等の専門家ばかりでなく、あらゆる職業の人を集めてゐるのには、一驚を喫せざるを得なかつた、やがてこれは美術思想の普及を示すものである、兎角の批評は擱いて、文部省が一臂の力をこの方面に仮〔ママ〕した為に明治美術の存在が世人に知られた一事は徳としなければならぬと思ふ」(「美術展覧会の顛末(上)」(『万朝報』1908年10月18日、一面))

10月16日

徳田秋声「新世帯」(「国民新聞」~12月6日、1909年9月刊行)。この作により自然主義作家に加わる。

10月16日

司法省、監獄局、初めて全国の監獄に、受刑者(満期接近の者)の指紋徴取を指示。

10月16日

秋になって冬の準備が必要な頃になっても、啄木よりの送金はなく、上京の見込みはなかった。妻の節子はやむなく経済的に自立することを決意し、啄木の友人吉野白村の妻貞子の世話で、この日付けで函館区立宝尋常高等小学校の代用教員となる。彼女は袴を着用し女教師として19日より教壇に立つ。月給は12円。

10月17日

「十月十七日

(略

午後三時頃、フト思立つて千駄ヶ谷に行つた。栗山君が来てゐた。昨夜金尾文淵堂が来て、“昴”を引受けることに定つたといふ。そして、僕のかいた広告文が気に入つたからと言つてゐたと晶子さんが話した。バイブルを借りて五時帰る。

と、藤岡玉骨(長和)といふ、新詩社の社友で今大学の政治科にゐる男が初めて訊ねて来た。大和の雑誌“敷嶌”へ正月号の原稿くれることに約束した。

イヤな顔な男だつた。それで九時頃に帰つてからも興が乗らずにしまつた。

神嘗祭だつた為か、電車には美人が乗つてゐた。

外出してみると、矢張時々外出しなくちやいけないと思ふ、が、家にゐると、外出するのが憶劫だ、憶劫といふも少し過ぎるが、出ようと思はぬ。


十月十八日

日曜日。昼餐は金田一君と共に。

今日米国の廻航艦隊が横浜に入港するのだ。これからの一週間は、東京も賑かだらう! 然しそれが自分と何の関係がある………何かしら侘しい様な感じがする。

(略)」(啄木日記)


10月18日

米太平洋艦隊、横浜に来航。

10月18日

ベルギー議会、ベルギー領コンゴ(元コンゴ自由国)を承認。

11月15日、正式併合。


つづく


光が、街を照らしている──「戦争反対」の声が集い、示される意思とは(VOGUE JAPAN); 戦争に反対する人びとが集い、夜の街頭を光が照らす「平和憲法を守るための緊急アクション」が全国に広がりながら、盛り上がりをみせている。戦争に反対の声を上げる参加者の数は増え続け、「集う」ことで変化に向けた波を起こし始めている今、その姿を見つめる。 / CNN、ワシントンポストが報道 「異例の大規模デモ」 「日本の首相は、憲法の平和主義条項に変更を検討しています。 今、憲法のガードレールを外せば日本が軍事紛争に巻き込まれる可能性を懸念する人々による全国的な抗議デモが強まっています。」 / 「世界が戦争の時代になっている今、9条を世界に広げないでどうするのか」(中野晃一) 「改憲阻止の声を今、市民が上げるのは、世界の潮流に逆らう私たちの義務だ」(池田香代子)        

(社説)皇位継承の安定 女性・女系を排除せず論じよ(読売) / 女性天皇「賛成」61% 「反対」9% 毎日新聞世論調査(毎日) / 高市首相の“アキレス腱”は女性天皇を巡る「裏切り」 「“どうして女性が女性天皇を認めないのか”と疑問を抱かざるをえない」(デイリー新潮) / 《「女性天皇反対しない」明言から一転》高市首相 「愛子天皇否定」発言へトーンダウン…「ダブスタ」「国民騙した」と批判が沸騰(女性自身) / 「機熟さず」高市首相 「愛子天皇」実現を蓮舫氏に問われ 「悠仁さま、いらっしゃる」(産経) / 「愛子さまは現行法制で皇位継承可能か」蓮舫氏質問に高市首相、女性天皇「認められない」と答弁(日刊スポーツ) / 「愛子天皇」支持は90%! 「みんな愛子さまのファンになりましたよ」 視察先の関係者が証言 人々をとりこにするお人柄とは(デイリー新潮)

2026年4月16日木曜日

横浜散歩 赤レンガ倉庫の花壇が盛況 横浜公園のチューリップはもう終盤 ハナミズキやヒトツバタゴ(ナンジャモンジャ) 2026-04-16

 4月16日(木)晴れ

昨日の夜は雨だったが、今日は綺麗に晴れた。風が強め。

毎年楽しみにしている、赤レンガ倉庫の花壇を見に行く。

コンクリート造りの中庭に、全くそんな感じに見えない花壇が出来ていて、毎年すごく感心している。しかも、造園も撤去も驚くほど速い。

いまがピークのようにたくさん綺麗に咲いている。

赤レンガ倉庫の向こうに飛鳥Ⅲが見える。






ミニトマト

花壇のない側にハナミズキ。蕾なのかな、まだ丸まったまま。

赤レンガ倉庫の向こうに横浜税関(三塔のひとつ、クイーンの塔)

大桟橋に飛鳥Ⅲとコーラル・プリンセスが停泊してる

次に、横浜公園。

チューリップはそろそろ終盤とは予想していたが、実際はその予想以上に終わっていた。



八重桜と横浜スタジアム

みなとみらい駅近くに「ヒトツバタゴ」(ナンジャモンジャ)

いまちょうど見頃だと思うけど、みんな無関心に通り抜けていた。