2009年5月8日金曜日

1871(明治4)年4月5日 ヴェルサイユ軍のパリ砲撃

■1871(明治4)年4月5日
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・連盟兵諸大隊、クルプヴォアの村、ヌイイの橋、パリ西部の諸堡を占領。南方の諸堡の前面にある塹壕線の設置。
シャティヨン台地の戦闘で連盟兵敗北。
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・この日以降、ドイツ軍がパリに向けて据付けた南部・西部の砲台は、ヴェルサイユ軍が使う。
モン・ヴァレリアン、ムードン、ブランボリオンの砲台はこの方面に絶え間なく霞弾を浴びせ、シャン・ゼリゼ地区は砲撃をうけて全域が破壊される
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[この頃のコミューン側の職業軍人]
フルーランスとデュヴァルは戦死(処刑)、チプリアニは捕虜になり、残りはクリュズレ、ドンプロウスキー兄弟、ヴロブレスキー、ロッセル、オコロヴィック、ラ・セシリア、エクトール・フランス、パリに留まった何人かの下士官・正規軍兵士・海兵隊員たち。
海兵隊員には、幾人かの将校(リュリエと同じ時に来た海軍少尉候補生コワニエ、遠洋航海船長のプリュッセなど)がいる。
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・コミューン、ヴェルサイユでのコミューン戦士虐殺に関連して、パリで報復的弾圧を行えとパリ市民によびかけ。
ヴェルサイユ政府との共謀が暴露された人物を裁判にかけ、逮捕し、弾劾裁判所を設立し、これらの法廷の判決によって、人質として宣告された者を投獄し、ヴェルサイユでコミューン戦士1名銃殺につき、人質3名を処刑する法令を採択(翌6日「人質に関する布告」として公布、実施されず)。
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人質についての布告の起草。
「第一条、ヴェルサイユ政府との共犯者として告発されたものはすべて、ただちに有罪および投獄の宣告を受ける。
第二条、告発陪審院が訴えられたものの罪状を知るために二十四時間以内に創設される。
第三条、告発陪審院は二十四時間以内に判決を下す。
第四条、陪審員の決議によって拘留された被告人はすべて、パリ住民の人質となる。
第五条、捕虜あるいはパリ・コミューンの正規な政府の同調者が処刑された場合にはすべて、ただちに、第四条によって留置され、くじ引きで決められた人質のうちその三倍の人数の人質を処刑する。
第六条、捕虜はすべて告発陪審院の前に召喚され、陪審院はただちに釈放されるべきものか、人質として拘留されるべきものかを決定する。」
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(実行はされないが、)コミューンの悪名を天下に宣伝する逆効果
ヴェルサイユ(ティエール)はパリに抑留されている人質の生命の危険など眼中にない。
後に、パリ側がヴェルサイユに抑留されているプランキ(10月31日事件の首謀者として欠席裁判で死刑宣告されていたブランキは、3月18日の直前ティエール政府によって、捕縛された)を釈放させようとして、パリに抑留しているパリ大司教ダルボア他3名の要人とプランキとの(捕虜)交換を申出でるが、ティエールがこれに耳をかさず。5月末、ヴェルサイユ軍がパリに侵攻し殺戮が始まると、ダルボア他数名は報復的に銃殺され、コミューンに汚点を残す。
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・コミューンに敵対的な新聞の発行停止(戦士処刑への報復措置)。
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・中央委員会の新たな掲示。
「内戦は彼らの救いの最後のチャンスなのだ。彼らは内戦を始めようとしている。彼らが千度も呪われ、破滅せんことを願う。パリ市民諸君、われわれは再びあの崇高な英雄主義と至高の美徳の偉大な日々にいまや際会しているのだ・・・」
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・医科大学の大階段講堂に集合した芸術家400人によって、パリ芸術家「連合」議長に選ばれたクールベの演説。
「わたしは芸術家諸君に訴える・・・
パリは母のように芸術家を育て、芸術家に才能をあたえた・・・
偉大な都市パリは、今や封建制度の埃を払い落したばかりである。人間は自分自身を治め、「連合」は理解されるであろう。そしてパリは歴史が今後しるすであろう栄光の最大の部分を獲得することであろう・・・」。
クールベは博物館を再開し、国際美術展覧会開催を提案。
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・第2区小委員会、「区の浄化と新しい自由の祝聖のため」ギロチンを押収し、それを区役所前広場で燃やす。
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・外交委員会代表委員パスカル・グルッセ、フランス駐在外交代表に対し、パリ・コミューン政府の成立と、政府がパリ人民と他国人民とを結びつける「友情のきずなを強めること」を望んでいること、を伝える覚書手交。
ドイツ司令部に対し、コミューンはドイツとの平和条約遵守に配慮している、ドイツ軍をセイヌ県及び「パリ・コミューンの領土にはいる」諸稜堡から撤退させる問題についての手紙を手交。
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フランスで信任状を持つ殆ど全ての外交官が、3月18日の事件以後、ヴェルサイユに移転。
イギリス大使ロード・ライオンズは、パリに留まるが、コミューンに対する敵対的態度は隠さず。
ロシア全権代表ゲ・エヌ・オークネフも、コミューンに対し極めて敵対的態度をとる。
アメリカ合衆国大使ウォッシュバーンは、ワシントンへの報告ではコミューンの行動を中傷しながら、コミューン活動家達と話す時はコミューン綱領に共感していると請け合う(但し、最後の戦闘の頃、ウォッシュバーンは、その背信的行動によって、コミューンの壊滅を早める)。
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・国民軍中央委員会、パリの革命の社会的本質と中央委員会の役割・任務に関する呼び掛け。
陸軍省、国民軍中央委員会承認の下に、軍隊指揮官として専門知識をもつ高級将校を、軍事代表委員によって臨時に任命するよう命令。
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・調停者(教授・医師・弁護士・学生等から成る)、国民議会に対し請願(①教会より分離した民主共和制の承認、②大都市から市長選挙権を剥奪しないようにしてほしい)。
調停運動は、全国商工会議所連盟及びパリ市権利擁護同盟を通じて行なわれる。
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全国商工会議所連盟(商工会議所50・商工業者7千)の声明:
意見不一致は誤解の産物であり、第三者の善意ある介入によってこの誤解を一掃できる。
コミューンと国民議会との和解の基礎原則は、
共和制確立(「共和制なくしては干渉と窮乏のみがわれわれの運命である」)、
民主的基礎におけるパリ市政の自由の組織(但し、それは、「フランスの一般的利益に関する政治権力の権限を侵そうとするものではない。」)、である。
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ティエールの調停団体代表者への回答。
自分が政権にいる限り、共和制存続を保証する。パリ市政の自由は、他の諸都市と同様に、国民議会の作成した法律に従う。
いずれにせよ、軍隊は、パリに入城しなければならぬ、パリとの交渉はパリが屈服し、武器を棄て、ヴェルサイユ軍を迎え入れた後においてのみ可能である
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to be continued

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