2014年3月8日土曜日

堀田善衛『ゴヤ』(26)「ふたたびサラゴーサへ」(5) 「美術とは何か。美術とは見ることに尽きる。そのはじめもおわりも、見ることだけである。それだけしかない。」

北の丸公園 2014-03-07
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ぼくの家では多くの家具は必要でない
「とうとうアカデミイの門をこじあけた。すぐにも彼はサラゴーサの親友マルテーン・サバテールに手紙を書かねばならない。そのことの報告と同時に、近況をもつたえねはならぬ。

ぼくの家では多くの家具は必要でない。ピラールの聖母像一枚と、テーブル一つ、椅子五つ、フライパン一つ、洒袋一つ、肉焼器と油灯があれば充分で、それ以外はすべて余計なものだ。

ウソをつけ、というものである。
当時はたしかにそう思ったかもしれないが、後年の生活振りから見れば、これは逆立ちしたホラというべきものである。」

画家の描いたもののなかに、すべてがある
「(妻のホセーファについては)一枚の肖像画と、一五年後の彼女を描いたもう一枚のテッサンだけで、それだけでは不充分というものであろうか、私はそれで充分だ、と思うものである。画家の描いたもののなかに、すべてがある筈である。」

われわれが見る対象によって、判断され、批評され、裁かれているのは、われわれ自身にほかならない
「美術とは何か。美術とは見ることに尽きる。そのはじめもおわりも、見ることだけである。それだけしかない。
見るとは、しかし、いったい何を意味するか。
見ているうちに、われわれのなかで何かが、すなわち精神が作業を開始して、われわれ自身に告げてくれるものを知ること、それが見るということの全部である。すなわち、われわれが見る対象によって、判断され、批評され、裁かれているのは、われわれ自身にほかならない。従って時には見ることに耐えるという、一種異様な苦痛をしのばねはならぬことも、事実として、あるであろう。
一枚の絵を前にして、ある人は何物をも見ないかもしれず、またある人はすへてを見るかもしれない。」

私は一枚の肖像画と、もう一枚のデッサンしかないホセーファの存在を重要視する
「・・・ホセーファの見ているゴヤは、勤勉無類な夫である。画家は実によく働いた。
長い生涯ではあったが、それにしても全部で三百五十余点の肖像画は、たいへんな数である。
・・・
しかも、ゴヤが働けば働くほど、王妃からはじまって某々公爵夫人だの伯爵夫人だのはかりが、ぞろぞろと列をなして出て来て、ますますホセーファの影は薄くなる。しかし、いなくなったわけではない。私は一枚の肖像画と、もう一枚のデッサンしかないホセーファの存在を重要視する。
ひょっとすると、このホセーファの肖像画は、アルバ公爵夫人の、世に著名な肖像画などよりもずっと重要であろう。画家の内心を見るためには…・。
彼がする出世、枚挙にいとまのない女出入り、病気、政治的変動、喧嘩、陰謀、戦争、その他その他の、彼の全人生の陰に、ホセーファのこの肖像がいるのである。・・・」

それらのすへての女性像のかたわらか、背後にホセーファをおいてみることは、ゴヤという人物を見詰めるについて重要であろう
「ゴヤは、女性を描く画家としても卓越していた。そうして、それらのすへての女性像のかたわらか、背後にホセーファをおいてみることは、ゴヤという人物を見詰めるについて重要であろう。
・・・
彼が様々な女性をいかに見、いかに描いたかを見るについては、われわれは彼が、妻のお産に際して「今日、ペパが子を産んだ」という、動物学的なことばを吐いた男であることを忘れるわけには行かないであろう。」

18世紀の恋愛
「まして時代は一八世紀であり、恋愛は、後のロマン主義時代のそれのように厳格でも、悲劇的でもなくて、それは遊戯か、ゲームに近かった。聖職者が公然と妾をかこっていた。聖職者が賭博の胴元をつとめることさえあった。また修道女でも、修道院の近くに男が部屋を借りれば、適当な方法を講じて密会をすることが出来た。」

要するに今日のことばで言われているフリー・セックスの時代であった
「恋愛とは、とりもなおさす性愛を意味した。恋愛というものが、性と一応切りはなれたものとして成立するようになるのは、ロマン主義思想の確立以後のことである。
要するに今日のことばで言われているフリー・セックスの時代であった。姦通などという恐ろしげなことばなどはなかつた。妻の足を他の男が見るなんぞということがあったら死んだ方がましだ、などと言いながら、実のところは、もし夫人が男を寝室に引き入れていたら、夫の方が遠慮をして家を出て行くという時代であった。マドリードでは家や館も、何某氏の家、館などとは言わずに、普通には何某婦人の家、館、と呼ばれていた。マドリードでどうであったかは私には調べがつかなかったが、たとえばベネチアでは、娼婦たちは国費での授助をうけていて貴婦人然としていた。処女であることは大切なことであったに違いもないが、それは一つの財産のようなものであった。カルロス四世の王妃であるマリア・ルイーサは、近衛連隊の美しい上官を男妾としてもち、宮殿内に住居を与え、ついにこの男を総理大臣にし、この男の種によって二人ほどの子を産んでいる。
なるほど一夫一婦の制度は、宗教の掟によってあるにはあった。しかし、それは形だけのことであって、実体はフリー・セックスであった。」

われわれの側(日本)においても、一夫一婦制の歴史はまことに浅く短いものである
「近代的な夫婦の制度、つまりは一夫一婦で、他に恋人、あるいは妾をもつことが悪である、必要悪であるというようなことになったのは、つい近頃のことであるにすぎない。われわれの側においても、一夫一婦制の歴史はまことに浅く短いものである。明治の宮廷には、局(つぼね)と称される複数の妾がいたことも、まぎれもない事実である。」

18世紀には、ポヴァリイ夫人やアンナ・カレニーナの悲劇は、まずありえない
「一八世紀には、ポヴァリイ夫人やアンナ・カレニーナの悲劇は、まずありえない。モーパッサンの『女の一生』の主人公ジャンヌの悲劇もまたありえない。歴史を遡行するのではなくて、上流の方から自然に流れ下って来る、時間の流れについてみるならば、ある意味ではこれらの悲劇は、一八世紀の遺制が、一九世紀という厳格なロマン主義の場において惹き起した事件であったと見ることが出来る筈である。
厳格なロマン主義ということばづかいは、ひょっとして自己矛盾のように思われるかもしれないが、そうではない。ロマン主義の表象の一つは恋愛至上主義といったものであろうが、一人の女を絶対とし、至上とするなどということは厳格そのものということであろう。」

「一七八九年の大革命以前に生きた者でなければ、生きることの楽しさを知っていない。」(タレイラン)
「一八世紀の、こういう自由な在り様を強力に否定したものが、すなわちフランス革命なのであり、そこにこの革命がまさにブルジョア革命であった所以の一つもがあるのである。・・・
王制や貴族制度を否定し、ブルジョア道徳を勝利させたものがフランス革命であったのである。そう考えてみてはじめて、

「一七八九年の大革命以前に生きた者でなければ、生きることの楽しさを知っていない。」

という、外交官タレイランのことばも理解出来るのであり、またバルザックが、一八世紀を偉大な世紀と呼ぶことに反対して「よい世紀」と呼ぶことにしようと提唱したことの意味も、はじめて理解出来るのである。」

18世紀末ヨーロッパの支配階級は、内部から腐り切った大木、まさに倒れなんとしている樹木のようなものであった
「社会の上層部に、ゴヤのように、なんとかして、画家としてでも、カザノヴァのようにペテン師兼恋愛の名人としてでも、どうにかしてもぐり込みさえすれば、男にとっても女にとっても、「よい世紀」であり、「生きることの楽しさを知る」機会があったわけである。しかし、下積みのブルジョアジーや小ブルジョアジーには、なんにしても癇にさわることであった。革命とセックスの関係はここでも一目瞭然である。
つまりは、一八世紀末ヨーロッパの支配階級は、いわば内部から腐り切った大木、まさに倒れなんとしている樹木のようなものであった。だからそこには、腐りかけた、あるいは腐ってはじめて味のよくなるある種の食物のような美味が、随所にあったものである。」

ここまで来れば革命は必至である
「彼らの男女のフリー・セックスもまたそういう種類の美味の一つである。そうして、自らはユーモアも機智ももちあわせぬ王侯どもは、一寸法師や片輸者や黒人の子を側近にはべらせてユーモアと機智の代替品としていたなどということは、そこまで行けばそれはもう腐臭とでも言わねばならないであろう。王侯貫族などの、退屈し切った男女どもは、マホ(伊達男)やマハ(伊達女)の服装をまとい、幕夜等かに仮面をつけて下(しも)人民どもの集うキャフェや賭博場、劇場、闘牛場などへも出入りしていたのである。アルバ公爵夫人など、闘牛士として当時名高かったコスティリァーレスやべトロ・ロメーロなどを近づけていた形跡がある。・・・
仮面をつけて人民のなかへ・・・人民の側にしか充実した生活がなかったとしたら・・・ここまで来れば革命は必至である。」
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