2014年3月27日木曜日

明治37年(1904)6月10日~16日 週刊『平民新聞』第31号発行 運搬船「和泉丸」撃沈 輸送船「常陸丸」沈没 「和泉丸」漂流  

陽光桜 代官町通り 2014-03-24
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明治37年(1904)
6月10日
・大蔵省、第2回国庫債券1億円発行。
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6月12日
・週刊『平民新聞』第31号発行

冒頭「欧米の同志に告ぐ」(第30号の英文欄に発表された「欧米の親愛なる同志に」の訳載)
「親愛なる同志よ!
日露の戦争は今如何の状にあるや、露国の艦隊が旅順においていかにその勢力を失墜せるか、殊に有名なる海軍中将溺死のためにいかに大なる損害をうけたるか、これ諸君のすでに詳知せる所ならん。而して今や日本の海軍もまた、近日その一等戦闘艦初瀬、巡洋艦吉野を失ひて非常の打撃を蒙れり。陸戦においては鴨緑江畔の戦争もっとも激烈なりしと称す、而して両軍の死傷実に一千に超ゆ。
プロッホ氏がその大著述(『戦争論』)において言へるが如く、近時武器改良の結果が戦争をして益々兇悪残酷ならしめたるは、実に吾人の意表の外にあり。但だ彼等兵士は平生、祖国のために万事を犠牲とすべきを教練せられたるが故に、鮮血猛火の中に突進しっつありと雖も、しかも彼等が愛国の熱情も遂に戦争に伴なふ悲惨を無視する能はざるを如何せん。
もしそれ両国人民が、これがために受くるの苦痛は今さら喋々(ちようちよう)を須(もち)ひず。……もしこの戦争にして永続せんか、その損害や独り交戦両国民に止まらず、世界万国の人民、倶に与(とも)に惨憺たる結果に陥るを免がれざるに至らん。
親愛なる同志よ! 諸君の政府はその利害の関するところ極めて大なるにもかかはらず、何故に日露戦争について爾(しか)く冷淡なるか。……諸君の政府は単に厳正中立を持するを以て、大なる名誉となす著に似たり。然れども……戦争が一たび露仏同盟と三国同盟との間に破裂することありと想像せよ、英米の人民は単に看客として傍観することを得べきか。
然り、諸君の人道の主義と諸君の利害とは、今や諸君に向つて速かに平和快復の方法を講ぜんことを要求す。……戦争に干渉して以て速かに平和の快復に尽力するは、これ実に諸君の政府が当然なすべきの所にあらずや。而して諸君の政府にしてその連合の力を以てよく日露両国民に慫慂(しようよう)し、紛争葛藤の問題をへーグ仲裁裁判に委托せしむることを得んか、戦争は直ちに休止することを得べきなり。
吾人今や旦夕平和の福音を説くにおいて、……これをして効果あらしむるには一に欧米同志の……諸君がおのおの諸君の政府に迫りて、日露戦争休止のために適当の手段をとらしむるにあり。」

社説「国辱の暴白」
一国文明の高低は国民の自由発達の程度によって量られ、自由の根底は言論の自由にあるから、言論の自由が束縛せられるところには人民の自由、一国の文明は存しない。今や即ち如何、政府はさきに『平民新聞』の発売を禁止し新聞の責任者を投獄したはかりでなく、日本の警察はいたるところの演説会において中止に加うるに解散を以てし、あまつさえ妄りに個人の旧罪を発いて社会主義に対する世人の偏見を助長せんとしている。既記のごとくさきに『平民新聞』が筆禍を招くや、『神戸クロニクル』新聞は日本政府が一個の非戦論をも容るる能わないでこれを圧迫するならば、今回の戦争に際して日本をロシアに比して文明国と信ずるがゆえに寄せた欧米各国の同情を失うであろうと論じた。今や欧米国民をして日本政府が社会主義者の言論集会を蹂躙すること土芥(どかい)のごとく、数十年前の個人の旧罪を発いて公刊物に記載させるような暴状を見せたならば、はたして何というであろうか。開戦の当初、彼等が社会主義者の非戦論を寛仮したのは、ただ「外国の手前」を顧慮したに過ぎなかったことが、今やこれらの「国辱の暴白」によって明らかにされた。

この社説の大要は本号英文欄に「わが政府の過当なる社会主義恐怖」と題して訳載され、欧米の同志に向って日本政府の暴状、さながら往年のビスマルクの社会党鎮圧に同じく、日本政府が半野蛮国と称するロシアと異ならざる所以を訴えた。

木下尚江「戦争の歌」
▲新大将
戦争五ケ月ならずして
大将七人早や現はれぬ
寡婦と孤児とは数知らねど
餓孚(がひよう)は地上に充満(みちみ)てり

▲青山の墓地にて
山桜
散るを誉れと歌はれし
「軍神」のあと来て見れば
五月雨暗き原頭に
標(しるし)の杭は白けれど
風に花輪の骸(から)乱れ
いともあらはの墳墓(おくつき)を
心ありてやま榊の
青葉の袖を打ち掩ひ
涙とばかり露の滴る
都人士(とじんし)の歌は花より先に枯れて
雨の青山訪ふ影もなし

▲召集兵
残る妻子や白髪の親の
明日を思へば
心が裂ける
名誉名誉と騒いでくれな
国の為との世間の義理で
何も云はずに只だ目を閉ぢて
涙かくして
死にに行く

▲良人の戦死
名誉の戦死とあきらめませう
ありたけ泣かして下しゃんせ

西川光二郎「区役所門前の掲示」(納税期日に遅れた人たちの顛末)
○牛込区役所門前の掲示板には、140余の姓名が並べられた。滞納額は最高9円、最低20銭。
そして、「督促状発布したるも所在不明にして送達不能」と附記されている。明らかに滞納者は夜逃げをした。
○本所区役所では147人、最高額2円60銭、最低はただの2銭。滞納者の内、72人は営業税で最高5円44銭、最低20銭。4人は遊芸稼ぎ人税で最高26銭、最低16銭。残りの33人は荷積小車税で最高3円83銭、最低30銭、いずれも「所在不明」。ただ2銭の滞納は府税工業税で、工業税の中の最低額は職工、職人の税金である。
○深川区役所には滞納者の連名はなし。給水料滞納者の水道用具を公売に附する公告6件、水死者と餓死者の仮埋葬公告5件とが掲示されていた。
○京橋区役所では滞納者12人のうち、滞納額36円余とある。不景気がやや資産ある者をも破産させていると推測できる。
その他、神田区役所は50~60人、角兼某の報告による品川町役場は33人、金額は最高3円、最低9銭、多くは荷積小車業者であった。
たった2銭の滞納のために夜逃げした者のある一方で、陸軍大将、満洲軍総参謀長、男爵児玉源太郎の出征送別のために一夜、築地の待合瓢屋で豪奢盛大な宴会が催された。当夜の亭主役は、郵船会社社長近藤廉平、加藤正義、大河内輝綱等の実業家!
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2月12日
・(露暦5/30)露、ガボン組合第1支部(ナヴァ支部)、プチーロフ工場近くの酒場。
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2月12日
・ロシア・ウラジオ艦隊、第4回出撃(ゲリラ活動)。
第1艦隊司令長官ベゾブラゾフ中将指揮の巡洋艦3隻。1
5日未明壱岐島北方に着。この海域の防禦は第2艦隊(上村彦之丞中将)が担当。
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2月13日
・北京公使館区域に関する議定書調印。
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2月14日
・得利寺の戦い
ロシア軍が旅順との陸路連絡回復めざして反転するが、敗北。
第2軍死傷1,145。ロシア死傷行方不明3,772。
旅順を脱出した極東総督アレクセーエフは旅順艦隊臨時司令官ウイトゲフト中将に艦隊の旅順脱出・ウラジオへの回航を要求。
ウイトゲフト中将はこの命令に反対。
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2月15日
・午前9時、ベゾブラゾフ中将指揮ウラジオ艦隊、沖ノ島南方で塩大澳より戻る運搬船「和泉丸」を撃沈(死者7、負傷25、収容105)。
午前10時、遼東半島に向う輸送船「常陸丸」(総員1252)を砲撃。監督官山村中佐戦死。
午後0時25分、「常陸丸」停止。輸送指揮官近衛後備第1連隊長須知中佐戦死。負傷の橋本大尉・長尾中尉自決。残った兵士・船員は海中に逃れる。死者1,063、被救助189。
午後1時前、「佐渡丸」(総員1258)が2発の魚雷を受ける。
午後3時「常陸丸」沈没。
「佐渡丸」は沈没を免れ漂流し、16日午前11頃から救助される。戦死414、溺死259、捕虜32、被救助553.
3隻の輸送船被害:死者1,743、捕虜121。

新聞は輸送指揮官で常陸丸船上にあった近衛後備歩兵第1連隊長・須知源次郎中佐の自刃と上村艦隊の出撃空振りを書き立てたため、国民は上村に対して不満を爆発させ、留守宅に投石があったり、切腹を要求する投書が舞い込んだりした。

「佐渡丸」には東清鉄道の軌間改築を担当する提理部員962人のうち865人が乗船。
この攻撃によって、提理部員148人が死亡した。人員を補充して7月1日、再挙。
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2月15日
・和歌山県の高野山、女人禁制解除。
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2月15日
・英・ブラジル、仲裁協定調印。英領ギアナ(現ガイアナ)の国境問題を解決。
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2月16日
・午前9時頃、ウラジオ艦隊、英国船「アラントン」を捕獲、ウラジオに向わせる。
午後2時頃、隠岐島沖で「第9運鉱丸」を停船させ「和泉丸」の捕虜23人を移乗させて去る。
19日午後8時ウラジオストク帰港。また、ウラジオ艦隊所属水雷艇3隻は、北海道・秋田県沿い日本海沿岸で小型船舶を拿捕・撃沈などする。
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