『東京物語』(小津安二郎、1953年)のなかで僕がもっとも恐ろしいと感じる瞬間。母親の亡骸を囲むようにして座っている子どもたちの身体の傾け具合が揃っており、相似形のオブジェと化しているのもゾッとするが、ここでは2枚の画像で人物が入れ替わっているのに、ぱっと見でわからないところが怖い。 pic.twitter.com/6OOFFZo87S— 伊藤弘了 (@hitoh21) 2018年11月3日
この人物の入れ替えは同一ショット内で行われているので、映画を見ていれば必ず気がつく。ただ、原節子が空けた構図上の穴を直ちに埋めるようにして、画面外から音もなくスーッと入ってきて直前まで原がいたのと全く同じ場所にピタリと腰を下ろす香川京子の所作は、確かに幽霊じみている。 pic.twitter.com/8qiz6ock0V— 伊藤弘了 (@hitoh21) 2018年11月3日
『東京物語』の原節子と香川京子の無地のスタイル(服装や髪型)が似通っていることはしばしば指摘される。小説家の梶村啓二はそれを「異時同図」と呼び、エッセイストの中野翠は原と香川に三宅邦子もくわえて「三人の女は結局一人の女に過ぎないのではないか」と指摘する。 pic.twitter.com/TjEyL63Hgg— 伊藤弘了 (@hitoh21) 2018年11月3日
生者によって生まれた空白は別の生者の存在によってただちに埋められる。一方で、死者の残した空白が、誰にも埋められることなく空白のまま残されるのが『東京物語』で描かれる事態なのである。 pic.twitter.com/GM2FqNqZEP— 伊藤弘了 (@hitoh21) 2018年11月3日
『東京物語』の冒頭には奇妙な綻びがある。老夫婦の会話シーンで夫のミディアム・ショットは映されるのに、妻のアップがなかなかあらわれず、あとから部屋にきた娘(香川京子)のミディアム・ショットが先にきてしまう。まるで母を押し出し、その座を奪うかのように。と言ったら穿ちすぎだろうか。 pic.twitter.com/9NMXIZyvB0— 伊藤弘了 (@hitoh21) 2018年11月3日
文春オンラインに小津安二郎についての記事を寄稿しました。先日バズった『彼岸花』(1958年)絡みのツイート内容をさらに掘り下げ、小津映画の魅力の源泉を探っています。https://t.co/hqIBz8np4x— 伊藤弘了 (@hitoh21) 2018年11月4日
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