さよならトランプ、米研究者が海外脱出 揺らぐ「知の大国」 - 日本経済新聞 https://t.co/R0hT4WhJcr
— 黙翁 (@TsukadaSatoshi) May 27, 2025
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— 黙翁 (@TsukadaSatoshi) May 27, 2025
トランプが館長になったケネディ・センターで演奏する気はないと公言しちゃったヨーヨー・マ。DEIとか否定しちまって、知的でも芸術的でも全エリートたちの所業を否定する方向で行ったら、アメリカ、みんな中西部の農村部のあのトウモロコシ色の黄茶けた風景になっちゃって、グレートってそれかい? https://t.co/d5WqZ2d6Ns
— 北丸雄二💙💛❤️🖤🤍💚 (@quitamarco) May 24, 2025
BREAKING: MAGA world erupts in rage at legendary cellist Yo-Yo Ma after it's announced that he will be avoiding the Trump-controlled Kennedy Center in favor of other venues.
— Occupy Democrats (@OccupyDemocrats) May 23, 2025
It turns out that our nation's best artists want nothing to do with this fascist president...
According… pic.twitter.com/a3zxC4sGhc
〈ツイート全文と自動翻訳〉
ドイツどうなっとん?目が覚めたか?
— 曽我太一 Taichi Soga (@soga_taichi) May 27, 2025
首相メルツは昨日の批判に続き、今日も「もはや、イスラエルの生存権を守り、ハマスのテロと戦うために絶対に必要なこととは思えない」とイスラエルを批判。
これに続いてドイツ出身のEU委員長フォンデアライエンも「正当化されない」と発言。…
首相メルツは昨日の批判に続き、今日も「もはや、イスラエルの生存権を守り、ハマスのテロと戦うために絶対に必要なこととは思えない」とイスラエルを批判。
独首相、ガザ攻撃「もはや理解不能」 異例のイスラエル批判https://t.co/1Y8akMD2Mb
— 時事ドットコム(時事通信ニュース) (@jijicom) May 26, 2025
ドイツのメルツ首相は独公共放送とのインタビューで、イスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの攻撃について「何が目的なのか、もはや理解できない」と異例の批判を展開しました。
独首相、イスラエルに異例の厳しい警告 「もはや理解できない」
— AFPBB News (@afpbbcom) May 27, 2025
https://t.co/R9yoqXqTNU
イスラエル批判に慎重だったドイツ政府すらガザ攻撃を非難...「一線を越えた」 https://t.co/7VNvyvpBDq
— ニューズウィーク日本版 (@Newsweek_JAPAN) May 27, 2025
1904(明治37)年
5月10日
漱石「従軍行」について(その4終)
▼1895(明治28)11月13日付け子規宛て手紙
「近頃の出来事の内尤もありがたきは王妃の殺害」ど書く。
反日親露派の専横な王妃が暗殺され、親日政権ができたことを、日本にとって「ありがたき」「出来事」と感じていた。当時の新聞の虚偽報道や彼自身の朝鮮認識の浅さが見て取れる、
▼1901(明治34)3月15日 ロンドンの漱石
「三月十五日(金)、日本人は中国人といわれると嫌がる。中国人は日本人よりも遥かに名誉ある国民である。現在は不振である。日本人と呼ばれるよりも、中国人と呼ばれるほうが名誉だと思ったほうがよいと記す。(「日記」)」(荒正人、前掲書)
3月15日 この日付け漱石の『日記』。
「日本人ヲ観テ支那人卜云ハレルト厭ガルハ如何。支那人ハ日本人ヨリモ遙カニ名誉アル国民ナリ。只不幸ニシテ目下不振ノ有様ニ沈淪セルナリ。心アル人ハ日本人卜呼パルゝヨリモ支那人卜云ハルゝヲ名誉トスベキナリ。仮令(タトヘ)然ラザルニモセヨ日本ハ今迄ドレ程支那ノ厄介ニナリシカ。少シハ考へテ見ルガヨカラウ。西洋人ハヤゝトモスルト御世辞ニ、支那人ハ嫌ダガ日本人ハ好ダト云フ。之ヲ聞キ嬉シガルハ世話ニナツタ隣ノ悪口ヲ面白イト思ツテ自分方ガ景気ガヨイト云フ、御世辞ヲ有難ガル軽薄ナ根性ナリ」
▼1901(明治34)3月27日 ロンドンの漱石
「三月二十七日(水)、 Albert Dock (アルバート埠頭)に停泊している常陸丸の立花銑三郎より手紙あり、病気帰国の途中なので直ちに見舞う。容態悪い。立花銑三郎と同船の医学士望月淳一と渡辺雷を British Museum (大英博物館)と National Gallery (ナショナル・ギャラリー)に案内する。夜、渡辺雷来る。(立花銑三郎のことをさらに話したものと思われる)領事館の諸井六郎(推定)が examiner (試験委員)の件で来訪する。」(荒正人、前掲書)
3月27日 漱石、ドイツへ留学していた旧友立花銑三郎をアルバート・ドッグに入港中の常陸丸に見舞う。日記には「気の毒限ナシ」とある。
「・・・・・立花銑三郎は肺を病み、帰国中の常陸丸からその旨を知らせてきた。漱石はすぐにアルバート・ドッグに入港中の常陸丸に彼を見舞った。どう見ても重病で、立花はその後、香港を出てすぐに船中で死亡した。ドイツで立花と親しかった藤代素人(禎輔)の回想「夏目君の片鱗」に、立花の句として真偽不明の話が残っている。おそらく漱石が立花を見舞ったときの発言らしいが、「戦争で日本負けよと夏目云ひ」と、立花はドイツ留学仲間の芳賀に一句を残したというのである。芳賀からそれを聞いた藤代は、ロンドン近辺にうろつく「片々たる日本の軽薄才子の言動に嘔吐を催ほして居た」漱石の言と解している。」(十川信介『夏目漱石』(岩波新書))
「立花銑三郎は、常陸丸で Albert Dock (アルバート埠頭)に停泊中に芳賀矢一に手紙を出す。そのなかに、「戦争で日本負けよと夏目云ひ」という句を書き添えている。日本とロシヤの戦争が近いことを知り、ロンドンに来ている日本人の生活を皮肉ったものと思われる。(藤代禎輔(素人)「夏目君の片鱗」『漱石全集』月報第五号 昭和三年七月 岩波書店)
"
"▼1901年04月09日付け子規宛て手紙(「倫敦消息其一」(「ホトトギス」5月号))
「日本の紳士が徳育、体育、美育の点において非常に欠乏しているという事が気にかかる。その紳士がいかに平気な顔をして得意であるか、彼らがいかに浮華であるか、彼らがいかに空虚であるか、彼らがいかに現在の日本に満足して己らが一般の国民を堕落の淵ふちに誘いつつあるかを知らざるほど近視眼であるかなどというようないろいろな不平が持ち上ってくる。」
「西洋の新聞は実にでがある。始からしまいまで残らず読めば五六時間はかかるだろう。吾輩はまず第一に支那事件のところを読むのだ。今日のには魯国新聞の日本に対する評論がある。もし戦争をせねばならん時には日本へ攻め寄せるは得策でないから朝鮮で雌雄(しゆう)を決するがよかろうという主意である。朝鮮こそ善い迷惑だと思った。」
▼1902年3月15日付け岳父中根重一宛て手紙
ロンドンでは、日英同盟締結に尽力した林董公使の労を謝するために在留日本人たちが記念品を贈呈することになり、寄付金が徴収された。漱石も5円の寄付金を納める。漱石は、本国やロンドン在留の日本人が、日本もこれで西欧列強の仲間入りを果たしたと考えて喜んで浮かれている事大主義や成上り根性に、嫌悪を覚えていた。。
「三月十五日(土)、中根重一宛手紙に、計画している著書の具体案洩らす。「先づ小生の考にては『世界を如何に観るべきやと云ふ諭より始め夫より人生を如何に解釋すべきやの問題に移り夫より人生の意義目的及び其活力の變化を論じ次に開化の如何なる者なるやを論じ開化を構造する諸原素を解剖し其聯合して發展する方向よりして文藝の開化に及す影響及其何物なるかを諭ず』る積りに候」。日英同盟・西洋文明・キリスト教・フランス革命などにもふれ、「カールマークスの所論の如きは單に純粋の理窟としても缼點有之べくとは存候へども今日の世界に此説の出づるは當然の事と存候」。なお前年に続いて、「日夜讀書とノートをとると自己の考を少し宛かく」とも書く。」
「漱石は、 Marx の『資本論』を日露戦争以前に読んだ極めて少数の一人である。但し、全巻ではなく、第一巻だけであったと推定される。池田菊苗から数えられたものではないがと推定される。池田菊苗は、 Leipzig (ライブチッヒ)に留学していた頃、人類について根本的な勉強をしたいと思っていた。長男の池田醇一は、父親(菊苗)が社会主義者であったこと、三男の池田兼六は帝国大学の学生時代に、『資本論』第一巻を読んだが、論旨が自分の思想と余り違うので、最後まで読まなかったことを伝えている。また、長谷川如是閑は、明治三十三年から三十四年にかけて帝国図書館で、英訳『資本論』及びエンゲルス『空想的及び科学的社会主義』を発見し読んでみたが、極めて難解であったという。」(荒正人、前掲書)
この日付け漱石の岳父中根重一宛て手紙。
前半部分で、在留邦人たちの浄財を集める計画のもと、無理やりに5円を寄付させられたことを怒っている。非国民ともいわれかねない意見。そして世界一の大国イギリスとアジアの小国日本の同盟に狂喜している日本人の軽率な姿を「貧人と富家の縁組」と嘆いている。
自身の計画する著書の具体案を「世界を如何に観るべきやといふ論より始め」ると記す。
「(前略)日英同盟以後、欧州諸新聞のこれに対する評論一時は引きもきらざる有様に候ひしが昨今は漸く下火と相成り候ところ、当地在留の日本人ども申合せ林公使斡旋の労を謝するため物品贈与の計画これあり、小生も五円程寄附いたし候。きりつめたる留学費中ままかくのごとき臨時費の支出を命ぜられ甚だ困却いたし候。新聞電報欄にて承知致候が、此同盟事件の後本国にては非常に騒ぎ居候よし、斯の如き事に騒ぎ候は、恰も貧人が富家と縁組を取結びたる喜しさの余り、鐘太鼓を叩きて村中かけ廻る様なものにも候はん。
固より今日国際上の事は、道義よりも利益を主に致し居候へば、前者の発達せる個人の例を以て日英間の事を喩へんは、妥当ならざるやの観も有之べくと存候へども、此位の萌に満足致し候様にては、甚だ心元なく被存(ぞんじられ)候が如何の覚召にや。
「国運の進歩の財源にあるは申迄も無之候へは、御申越の如く財政整理と外国貿易とは目下の急務と存候。同時に国運の進歩は、此財源を如何に使用するかに帰着致候。只己のみを考ふる数多の人間に万金を与へ候とも、只財産の不平均より国歩の艱難を生ずる虞(おそれ)あるのみと存候。欧洲今日文明の失敗は、明かに貧富の懸隔甚しきに基因致候。此不平均は幾多有為の人材を年々餓死せしめ、凍死せしめ、若くは無教育に終らしめ、却つて平凡なる金持をして愚なる主張を実行せしめる傾なくやと有候。幸ひにして平凡なるものも今日の教育を受くれば一応の分別生じ、且耶蘇教の随(ママ)性と仏国革命の殷鑑遠からざるより、是等庸凡なる金持共も利己一遍に流れず、他の為め人の為に尽力致候形跡有之候は、今日失敗の社会の寿命を幾分か長くする事と存候。日本にて之と同様の境遇に向ひ候はゞ(現に向ひつゝあると存候)、かの土方人足の智識文字の発達する未来に於ては由々しき大事と存候。カールマークスの所論の如きは、単に純粋の理窟としても欠点有之ぺくとは存候へども、今日の世界に此説の出づるは当然の事と存候。小生は固より政治経済の事に暗く候へども、一寸気焔が吐き度なり候間、斯様な事を申上候。「夏目が知りもせぬに」抔と御笑被下間敷候。・・・・・」
「漱石はマルクスの『資本論』を日露戦争前に読んだ極めて少数の一人、但し、第一巻だけであった」(荒正人『漱石研究年表』、岩上順一『漱石入門』など)との推定もあるが読んだ確証はない。漱石の蔵書中の英訳『資本論』には、漱石のよくやる書込みやアンダーラインなどは認められていないので、漱石のマルクス所論言及は、「関係文献からの間接的知識によると考えた方が自然」(藤尾健剛「漱石とクロージャーとマルクス」)ともいわれている。
漱石蔵書の『資本論』には、漱石がよく古本を購入したロンドンのチャリング・クロス通りの書店ミラー・アンド・ギルのラベルが貼付されており、池田菊苗と議論していたころ買い求めたとも考えられる。
▼1902年6月8日の漱石「ノート」
ボーア戦争(南アフリカへの帝国主義戦争)終結を祝うイギリスを見て
全国ノ寺院ニテ thanksgiving ヲ行フ自ラ戦端ヲ啓(ひら)キ自ラ幾多ノ生命ヲ殺シ、自ラ鉅万(きよまん)財ヲ糜(ついや)シ而シテ神二謝ス何ヲ謝セントスルヤ馬鹿々々シキコトナリ。
と不快な思いを吐き出す。
▼漱石は、前年(明治36年)9月から大学で『英文学概説』(のち『文学論』1907年刊)を講じていた。
その第1編第3章で次のように述べる。
「親の為めに川竹に身を沈め、君侯の馬前に命をすつるは左迄難きことにあらず、親は具体的動物にして、君侯は耳目を具有し活動する一個人なるを以てなり。されども身を以て国に殉ずと云ふに至りては其真意甚だ疑はし。国は其具体の度に於て個人に劣ること遠し。これに一身を献ずるは余りに漠然たり。抽象の性質に一命を賭するは容易のことにあらず。若しありとせば独相撲に打ち殺さるゝと一般なり。故に所謂かく称する人々は其実此抽象的情緒に死するにあらず、其裏面に必ず躍如たる具体的目的物を樹立しこれに向って進み居るものとす。」
人が「身を以て国に殉ず」というとき、「其真意甚だ疑はし」い。なぜなら、人工的な統治機構である「国」という「抽象の性質」のものに命を賭けるのは容易なことではないからで、彼はこのような表現によって、政府やマスメディアが個人に殉国を強いることを批判した。
つづく
利益相反とか、公職倫理といったことはまるでこの人には関係ないのだろう。大統領職ですら、自分の金もうけのための手段であり、最終的に金儲けした奴の勝ちという世界観。https://t.co/7w8uPeClYp
— Kazuto Suzuki (@KS_1013) May 25, 2025
続くシャトレーゼの不祥事>【NHK】全国で洋菓子店を展開する甲府市の菓子メーカー「シャトレーゼ」が県内の工場で働く社員2人に違法な時間外労働を行わせたとして甲府労働基準監督署によりますとおととし10月から12月の間中央市にある豊富工場と北杜市にある白州工場で https://t.co/QhytVdQdKj
— 紀藤正樹 MasakiKito (@masaki_kito) May 25, 2025
下請けいじめの今年3月のニュース>NHK シャトレーゼ下請け法違反認定 再発防止など求める勧告 仕上がった商品の一部を受け取らずにおよそ2300万円分を未払いのまま無償で保管させ下請け法に違反したとして、公正取引委員会が再発防止などを求める勧告 https://t.co/2HpfauqKuM
— 紀藤正樹 MasakiKito (@masaki_kito) May 25, 2025
悪いことをした政治家をちゃんと刑務所に送り込める社会になりますように
— 悪いことをした政治家をちゃんと刑務所に送り込める社会になりますように (@x__ok) May 25, 2025
財務省が「欠落」としていた森友文書74点、一部見つかった 赤木雅子さんの開示請求への説明と食い違い:東京新聞デジタル https://t.co/tzmGCisgXA
移民をエルサルバドルの刑務所に誤送還している国土安全保障省長官クリスティ・ノーム「人身保護令状」の意味を知らないことを大公開。 ノーム「人身保護令状は大統領が国民を国外退去させることができる憲法上の権利」… https://t.co/QUNbjM3wgZ
— 堂本かおる (@nybct) May 25, 2025
国防総省の報道官となった女性、過去にネオナチが振りまく反ユダヤ主義の宣伝に一役買ったと報じられている。ハーバードには反ユダヤ主義できつく当たる一方、身内が反ユダヤ主義なのは不問ってことになるんだろうな…。まあ、トランプ政権のダブスタなんていつものことだが。https://t.co/7WgQ8FR3tI
— Kazuto Suzuki (@KS_1013) May 24, 2025
国防総省の報道官となった26歳のキングスレー・ウィルソン。極右系コメンテーターで元トランプ顧問のスティーブ・コルテスの娘。もともと陰謀論系極右のポッドキャスターとして活動。人種差別と陰謀論の人物で、プーチン賛美。
— 黒井文太郎 (@BUNKUROI) May 25, 2025
ただし反ユダヤで、米国のイスラエル支援に反対 https://t.co/33OXkhKXQV
この 26 歳の国防総省副報道官キングズリー・ウィルソンが過去に発信したツイート。
— Mystery Parrot (ミスパロ)🦜 (@ParrotMystery) May 25, 2025
「グローバリズムを信奉するウクライナの敵であることを誇りに思う」 https://t.co/wGZx3FNu7G pic.twitter.com/2kKgflxsro
1904(明治37)年
5月10日
漱石「従軍行」について(その3)
次に、漱石の社会や国家、戦争やそれらに関連する事柄に対する考え方が窺える文章などを見てゆく。
▼1888(明治21)年5月(第一高等中学校予科一級)
英作文「討論 ー 軍事教練は肉体錬成の目的に最善か?」
「諸君、軍事教練は私にとっては辛すぎる訓練であります。それは、私と反対の立場に立つ弁士が格別ご指摘のように、私が虚弱だからという理由によるものではなく、それが強制的、つまり、私の意志に反して私に訓練を課するという理由によるものであります。(中略)
私は軍事教練という名前を聞いただけで、虫酸が走ります。軍事教練において、われわれは、形こそ人間でも、鈍感な動物か、機械的な道目おごとく遇されるのであります。われわれは、奴隷か犬のように扱われるのであります。しかしながら、いったい誰が、犬のように卑屈に尻尾を振り、手を舐めるでありましょうか。(中略)
結論として、次のように申し上げたい。われわれにとって最善の訓練とは、競艇、跳躍、ランニングや、スポーツ競技、野外でのゲームなど、何であれ最高の喜びと、楽しみと、快適さを与えてくれるもののことである、と。」(山内久明「訳注」、前掲書)
大学予備門・第一高等中学校時代の漱石は、いろいろなスポーツを楽しみました。友人たちの回想によって、水泳、競艇、野球、庭球、登山、乗馬などを試みたことがわかります。器械体操が上手であったことについては、多くの証言があります。また、松本亦太郎の思い出によれば、意外なことに、「兵式体操の鉄砲扱いがうまかった」そうです。
漱石は、表面的には兵式体操を「うま」くこなしながら、心の中では、このような嫌悪の念を育んでいたのです。この英作文には、人間を「動物」や「道具」や「奴隷」や「犬」のように扱い、教官に対する絶対服従を強いるだけで自主独立の精神を育てない軍隊的行動様式の訓練に対する、淑石の強い批判的な思想や心情が表れています。
▼1889(明治22)年5月
第一高等中学校教頭木下広次が校長に昇任すると、学校当局は国粋主義派を支持する態度を明らかにしはじめる。木下はのちに法学博士、京城帝国大学総長。
この頃、第一高等中学校生徒のあいだに国粋主義を標榜する結社が生れた。漱石は勧誘されてこの結社に加入したが、積極的な行動はとらなかった。子規もまた漱石と同じであった。
「近頃我高等中学校に道徳会ともいふべきものを起す人あり。余にもすすめられたれど、余は之に応ぜざりき。漱石も亦異説を唱へたり。其言に曰く、「余は今、道徳の標準なる者を有せず、故に事物に就(つい)て善悪を定むること能はず。然るに今道徳会を立て道徳を矯正せんといふは、果して何を標準として是非を知るや。余が今日の挙動は其瞬間の感情によりて定むる者なり。されば昨日の標準は今日の標準にあらず」と。余の説も略々(ほぼ)これに同じ。今日善とする者果して善なるか。今日非とする者果して非なるかを疑ふ者なり。」(正岡子規『道徳の標準』-明治二十二年の断片-)
「国家は大切かも知れないが、さう朝から晩迄国家々々と云つて恰も国家に取り付かれたやうな真似は到底我々に出来る話でない。常住座臥国家の事以外を孝へてならないといふ人はあるかも知れないが、さう間断なく一つ事を考へてゐる人は事実あり得ない。豆腐屋が豆腐を売つてあるくのは、決して国家の為に売つて歩くのではない。根本的の主意は自分の衣食の料を得る為である。然し当人はどうあらうとも其結果は社会に必要なものを供するといふ点に於て、間接に国家の利益になつてゐるかも知れない。是と同じ事で、今日の午(ひる)に私は飯を三杯たべた、晩には夫を四杯に殖やしたといふのも必ずしも国家の為に増減したのではない。正直に云へば胃の具合で極めたのである。然し是等も間接の叉間接に云へば天下に影響しないとは限らない、否観方によっては世界の大勢に幾分か関係してゐないとも限らない。然しながら肝心の当人はそんな事を考へて、国家の為に飯を食はせられたり、国家の為に顔を洗はせられたり叉国家の為に便所に行かせられたりしては大変である。国家主義を奨励するのはいくらしても差支ないが、事実出来ない事を恰も国家の為にする如くに装ふのは偽りである」(『私の個人主義』)
「党派心がなくつて理非がある主義なのです。朋党を結び団隊を作つて、権力や金力のため盲動しないといふことなのです。夫だから其裏面には人に知られない淋しさも潜んでゐるのです。既に党派でない以上、我は我の行くべき道を勝手に行く丈で、さうして是と同時に、他人の行くべき道を妨げないのだから、ある時ある場合には人間がばらばらにならなければなりません。其所が淋しいのです。」(『私の個人主義』)
▼1890(明治23)年6月
英語教師ジェイムズ・マードックに提出のレポート”Japan and England in the Sixteenth Century""teenthCentury3(「16世紀における日本とイギリス」)には、国民の「自由」の権利を大幅に制限した明治憲法に対する彼の疑問や批判が、間接的ながら表れていると考えています。
漱石は、その第一節「政治・社会状況」において、イギリスは十五世紀の終りに「封建主義の果てしない廃墟のあとに絶対王制が樹立されるという事態に見舞われ」、「テユーダー王朝の王侯たちの専制支配に対して一時は屈辱的に萎縮した」が、その後、「自由の精神を追求してその究極に偉大な三つのことをなし遂げた。すなわち、国王は議会の同意なしにいかなる法律も定め得ず、国王は法に従って治世を行わねばならず、万一それに惇(もと)れば閣僚が責任を負わねばならぬのである。これらの特権こそは、イギリス国民の誇りとするところである」と述べました。
「偉大な三つのこと」というのは、国王と議会との長年の対立を議会の勝利で終らせ、一六八九年にウィリアム三世に承認させ制定された「権利章典」の内容を、マコーリーの『英国史』第一巻(一八四九年刊)によっておおまかに記したものです。漱石は、英作文の中で、この名誉革命をなし遂げたイギリス国民を、「不屈な意志をもち、強く自由を愛する国民」として称賛しています。
一方、「封建制度が最盛期の日本の場合」については、こう述べています。
孔子の教えに従って、忠誠こそ人類が身につけうるもっとも高貴にして純粋な美徳であると、人々は叩き込まれていた。日本の臣民が保有した富、田地田畑をはじめすべて、それどころか生命までもが、主君の意のままになった。主君みずからが個人的自由を意に介さないのであれば、ましてや臣下が自由を重視することはなかった。(中略)日本人の心のなかで、何にもまして優先する義務感ゆえに、主君のためならば武士は妻やいとしい女をも犠牲に供したのであった。(山内久明「訳注」『漱石全集』第二十六巻一九九六年 岩波書店)
この英作文の記述には、当時の漱石の歴史認識の浅さからくる不十分さもありますが、「自由」を愛するイギリス人と「自由」を尊重する念に乏しい日本人とが対比的に示され、彼の前者に対する敬意と後者に対する批判的な心情が表れています。
▼1892(明治25)年4月5日
漱石、徴兵猶予の限切れを目前にして、北海道後志国岩内郡吹上町一七番地 (のち岩内町大字鷹台町五四番地)に移籍して、徴兵検査を免れる(徴兵忌避)。
半藤一利氏は、帝国大学文科大学を卒業した十五人のうち、三人の本籍が北海道で、その一人が夏目金之助であった、漱石の場合は、兄の直矩の配慮で、三井物産の御用商人、浅岡仁三郎に依頼したものであることを指摘しています(『漱石先生ぞな、もし』)。
さて、漱石の徴兵忌避は、「確固たる思想的立場に立っての行為ではなかった」(覇石先生ぞな、もし』)としても、単に安逸をむさぼるためにした行為ではなかった。
彼はそれまでの生活や学習の中で「自由を愛する自分の天性」(「文展と芸術」)を育ててきました。また、前述の兵式体操の体験などによって、日本の軍隊が個人の尊厳を無視した組織であることを感じとっていました。
彼は、自分自身が「個性の発展」(「私の個人主義」)によって社会に貢献するためには、国家が強制する兵役の義務(明治憲法第二十条)を忌避してもかまわないと考えたのです。漸石はすでにこの頃から、基本的には国家の意思よりも個人の意思を尊重する「個人主義」(「私の個人主義」)の立場に立っていたといえるでしょう。
▼1892(明治25)年10月
漱石、『文壇に於ける平等主義の代表者「ウォルト、ホイツトマン」 Walt Whitman の詩について』を「哲学雑誌」に発表。
「『ホイットマン』で彼が力説するのはその「平等主義」である。時間的には過去も未来もなく平等であり、空間的には社会に格差を認めない。「人間を視ること平等に山河禽獣を遇すること平等なり」「表面上の尺度」を廃して、「他人の奪ふべからざる身体なり精神」に従って立つ人こそ「親愛する」に足ると言うのである。「銭なきを恨むな衣食足らざるを嘆くな大敵と見て恐るゝな味方寡(すく)なしとて危ぶむな。智を磨くは学校なり之を試みんとならば大道に出でよ吾れ無形の智者を証する能はざるも智自ら之を証せん」の条(くだ)りは、「「ホイットマン」の処世の方法」と記しながら、漱石がその代弁者として自分の生き方を予見している感がある。
もう一つ注目すべきは、彼がホイットマンの「霊魂説」に同調していることである。彼は晩年には、死の際までその存在を信じようとしていた。彼にとって「死」は肉体の消滅であり、「精神」はその後も語り続けるのである。」(岩波新書『夏目漱石』)
▼1892(明治25)年12月
単位取得のための課題論文「中学改良策」
「固より国家の為めに人間を教育するといふ事は理屈上感心すべき議論にあらず。既に(国家の為めに)といふ目的ある以上は、金を得る為めにと云ふも名誉を買ふ為めにといふも或は慾を遂げ情を慈まにする為に教育すといふも、高下の差別こそあれ其の教育外に目的を有するに至っては竜も異なる所なし、理論上より言へば教育は只教育を受くる当人の為めにするのみにて其固有の才力を啓発し其天賦の徳性を洒養するに過ぎず。つまり人間として当人の資格を上等にしてやるに過ぎず」
漱石の教育観は、政府・文部省が推進していた国家目的達成の手段としての教育という考えとは全く異なったものでした。
しかし、一方で、漱石は次のようにも述べています。
「列国の中に立って彼我対等の地位を保つ以上は国家は何処迄も万代不朽なるを葉はざるべからず(中略)世界の有様が今のまゝで続かん限りは国家主義の教育は断然廃すべからず」
漱石は、教育の本来的な目的を各個人の人間的諸能力の発達に求めましたが、「列国」が対立抗争し不平等条約の改定が課題となっているわが国の現状では、同時に「国家主義の教育」の必要を認めざるを得なかったのです。しかし、その理由は、あくまで日本が他国と「彼我対等の地位を保つ」ためであって、他国を植民地や従属国として支配するためではありませんでした。
つづく