2025年2月20日木曜日

大杉栄とその時代年表(412) 1902(明治35)年9月12日~14日 「虚子と共に須磨に居た朝の事などを話しながら外を眺めて居ると、たまに露でも落ちたかと思うように、糸瓜の葉が一枚だけひらひらと動く。その度に秋の涼しさは膚(はだ)に浸み込むように思うて何ともいえぬよい心持であった。何だか苦痛極(きわま)って暫く病気を感じないようなのも不思議に思われたので、文章に書いて見たくなって余は口で綴(つづ)る、虚子に頼んでそれを記してもろうた。」(子規「九月十四日の朝」)   

 

明末清初の画家・蕭雲从による女媧補天の挿絵

1902(明治35)年

9月12日

この日の子規『病牀六尺』(百二十三)。


「○支那や朝鮮では今でも拷問(ごうもん)をするさうだが、自分はきのふ以来昼夜の別なく、五体すきなしといふ拷問を受けた。誠に話にならぬ苦しさである。

(九月十二日)」

9月12日

この日付けの漱石の妻、鏡子宛ての手紙。


「近頃は神経衰弱にて気分勝(すぐ)れず、甚だ困り居候。然し大したる事は無之候へば、御安神可被下候。

「近来何となく気分鬱陶敷、書見も碌々出来ず心外に候。生を天地の間に亨けて、此一生をなす事もなく送り候様の脳になりはぜぬかと自ら疑懼(ぎく)致居候。然しわが事は案じるに及ばず、御身及び二女を大切に御加養可被成候。・・・・・」


「九月十二日(金)、細雨。鏡から手紙(八月六日(水)付)届く。返事に、「近頃は神経衰弱にて気分勝れず甚だ困り居候然し大したる事は無之候へば御安神可被下候」と告げる。新聞を送るのは九月いっぱいで中止するように伝える。中根倫からも手紙来る。」(荒正人、前掲書)


「彼の精神の強弱が同時に出現し、それを彼が自覚していることを意味している。」(十川信介『夏目漱石』(岩波新書))


9月13日

この日の子規『病牀六尺』(百二十四)。


「○人間の苦痛はよほど極度へまで想像せられるが、しかしそんなに極度にまで想像したやうな苦痛が自分のこの身の上に来るとはちよつと想像せられぬ事である。

(九月十三日)」


「九月十三日、碧梧桐、鼠骨、左千夫、秀真、虚子、それに長塚節が子規庵につどった。子規、病重篤の報がまわされたのである。

その夜、泊ったのは虚子であった。午前一時頃、子規は蚊帳のなかで眠った。それをたしかめた隣室の虚子も眠った。

夜中、「おいおい」と律を起こす声が聞こえた。不分明な濁った声であった。「大便を掃除しておくれ」

すでに意志的には排泄できない身の上となっている子規は、おむつのような布をたくさんあてていて、用が生じたら律が始末をする。昼も夜もそれはかわらない。

強い臭気が隣室の虚子のもとに届いた。虚子はそれを厭うというより、そんな状態に立ち至った子規を思って、ひそかに泣いた。まさに暗涙であった。」(関川夏央、前掲書)


9月14日

この日の子規『病牀六尺』(百二十五)


「〇足あり、仁王の足の如し。足あり、他人の足の如し。足あり、大盤石(だいばんじゃく)の如し。僅かに指頭を以てこの脚頭に触るれば天地震動、草木号叫、女媧氏(じよかし)いまだこの足を断じ去つて、五色の石を作らず。

(九月十四日)」


6年近くの寝たきり生活でやせ細った足が、急に腫れて痛み出したのが3日前。それは指先が触れるだけで、天地が裂けるほどであった。「女媧」は、中国神話上の天地創造の女神で、太古の昔、天を支える四方の柱が傾いて、世界が裂け、大地は割れ、火災や洪水が止まず、猛獣どもが人を襲い食う悲惨な有様となった時、五色の石を繰り、それで天を補修し、土地を修復し、芦草の灰で洪水を抑えたという(『淮南子』「覧冥訓」)。漢学の教養が根にあった子規は、自分を襲う痛みを、中国の天地創造神話を引いて、最後まで表現者として描ききろうとした。

この日、子規、随筆「九月十四日の朝」を口述筆記(虚子が筆記、没の翌日の「ホトトギス」に掲載)。

この日の朝、「病気になつて以来今朝程安らかな頭を持て静かに此庭を眺めた事はない」と語り、子規庵の風景を虚子に書き取らせた。


「虚子は原稿を持ち帰り、すぐに「ホトトギス」に掲載すべく印刷所に入れた。だが、「ホトトギス」第五巻十一号の発行は明治三十五年九月二十日、子規の死の翌日である。」(関川夏央、前掲書)


「 朝蚊帳(かや)の中で目が覚めた。なお半ば夢中であったがおいおいというて人を起した。次の間に寝て居る妹と、座敷に寐て居る虚子とは同時に返事をして起きて来た。虚子は看護のためにゆうべ泊ってくれたのである。雨戸を明ける。蚊帳をはずす。この際余は口の内に一種の不愉快を感ずると共に、喉(のど)が渇(かわ)いて全く潤(うるおい)のない事を感じたから、用意のために枕許の盆に載せてあった甲州葡萄(ぶどう)を十粒ほど食った。何ともいえぬ旨さであった。金茎(きんけい)の露一杯という心持がした。かくてようように眠りがはっきりと覚(さ)めたので、十分に体の不安と苦痛とを感じて来た。今人を呼び起したのも勿論それだけの用はあったので、直ちにうちの者に不浄物を取除(とりのけ)さした。余は四、五日前より容態が急に変って、今までも殆ど動かす事の出来なかった両脚が俄(にわか)に水を持ったように膨(ふく)れ上って一分も五厘も動かす事が出来なくなったのである。そろりそろりと臑皿(すねざら)の下へ手をあてごうて動かして見ようとすると、大磐石(だいばんじゃく)の如く落着いた脚は非常の苦痛を感ぜねばならぬ。余はしばしば種々の苦痛を経験した事があるが、此度のような非常な苦痛を感ずるのは始めてである。それがためにこの二、三日は余の苦しみと、家内の騒ぎと、友人の看護旁(かたがた)訪い来るなどで、病室には一種不穏の徴を示して居る。昨夜も大勢来て居った友人(碧梧桐)(へきごとう)、鼠骨(そこつ)、左千夫(さちお)、秀真(ほつま)、節(たかし))は帰ってしもうて余らの眠りに就(つい)たのは一時頃であったが、今朝起きて見ると、足の動かぬ事は前日と同しであるが、昨夜に限って殆ど間断なく熟睡を得たためであるか、精神は非常に安穏であった。顔はすこし南向きになったままちっとも動かれぬ姿勢になって居るのであるが、そのままにガラス障子の外を静かに眺めた。時は六時を過ぎた位であるが、ぼんやりと曇った空は少しの風もない甚だ静かな景色である。窓の前に一間半の高さにかけた竹の棚には葭簀(よしず)が三枚ばかり載せてあって、その東側から登りかけて居る糸瓜(へちま)は十本ほどのやつが皆瘠(や)せてしもうて、まだ棚の上までは得取りつかずに居る。花も二、三輪しか咲いていない。正面には女郎花(おみなえし)が一番高く咲いて、鶏頭(けいとう)はそれよりも少し低く五、六本散らばって居る。秋海棠(しゅうかいどう)はなお衰えずにその梢(こずえ)を見せて居る。余は病気になって以来今朝ほど安らかな頭を持て静かにこの庭を眺(なが)めた事はない。嗽(うが)いをする。虚子と話をする。南向うの家には尋常二年生位な声で本の復習を始めたようである。やがて納豆売が来た。余の家の南側は小路にはなって居るが、もと加賀の別邸内であるのでこの小路も行きどまりであるところから、豆腐売りでさえこの裏路へ来る事は極(きわめ)て少ないのである。それでたまたま珍らしい飲食商人が這入って来ると、余は奨励のためにそれを買うてやりたくなる。今朝は珍らしく納豆売りが来たので、邸内の人はあちらからもこちらからも納豆を買うて居る声が聞える。余もそれを食いたいというのではないが少し買わせた。虚子と共に須磨に居た朝の事などを話しながら外を眺めて居ると、たまに露でも落ちたかと思うように、糸瓜の葉が一枚だけひらひらと動く。その度に秋の涼しさは膚(はだ)に浸み込むように思うて何ともいえぬよい心持であった。何だか苦痛極(きわま)って暫く病気を感じないようなのも不思議に思われたので、文章に書いて見たくなって余は口で綴(つづ)る、虚子に頼んでそれを記してもろうた。筆記しおえた処へ母が来て、ソップは来て居るのぞなというた。」

〔『ホトトギス』第五巻第十一号 明治35年9月20日〕

9月14日

法秩序維持のため厳しい措置をとる英政府に対し、ダブリンのフェニックス・パークで2万人がデモ。

9月14日

ゴーギャン(54)愛人マリー・ローズ・ヴァエオホ、娘タヒアチカオマ夕を出産。


つづく

自宅近くのカワヅザクラ(河津桜)とメジロ(サクジロー) 2025-02-19

 1月19日(水)晴れ

自宅の近くの公園に河津桜の木が二本ある。

例年ならば、2月20日近辺になると満開になるのだが、今年は小さい方が2~3分咲き、大きい方はまだちらほら咲き以前の状況。

ま、それはそれとして、今日はメジロ(サクジローと呼ぶ)が、いっぱい遊んでくれた。

いつもペアで行動すると思ってたが、今日は何故か単独行動だった。ケンカでもしたのかな?










トランプ氏、ゼレンスキー氏を「独裁者」呼ばわり 亀裂深まる(朝日) / 「ゼレンスキー氏は独裁者」 - トランプ米大統領がロシアに同調(共同) / ゼレンスキー大統領“トランプ氏は偽情報の空間に生きている”(NHK) / ロシア、トランプ氏称賛 「ウクライナ戦争の主因はNATO」(ロイター) / 英首相、ウクライナ大統領に支持表明 「民主的に選ばれた指導者」(ロイター)     

 

2025年2月19日水曜日

〈維新が立花と共謀し、職員を自殺に追い込んだ犯罪〉 秘密会の兵庫百条委で情報流出 日本維新の会はけじめを 片山善博氏(毎日);「死者に対する名誉毀損など刑法に触れるような内容ならば、(情報を提供した行為が)ほう助に当たる可能性もあり、刑事事件として司法がただすべきだ。」 / 維新兵庫県議、非公開の百条委音声データを立花氏に流出 関与認める(毎日) / 「渡したといわれても仕方ない」 立花氏に文書提供疑惑で兵庫県議 維新、調査結果公表へ(産経) / 文書は「私からお渡ししたものではない」と岸口兵庫県議 N国党・立花党首「維新の岸口県議から文書をもらった」との発言について取材に応じる(ABC); 直接自分からは渡してないけど、その場にいた「民間の方」が渡した、みたいなニュアンスですね。じゃ、その「民間の方」は誰から渡されたのか? 

 

文科省から国立大へ「実質天下り」が高止まる実態(東洋経済);「国からの補助金の配分額が多い旧帝国大学や筑波大学では、報酬が高額な理事職の特定ポストが、長年にわたって文科省からの50歳以上の出向者の「指定席」になっている実態が明らかになった。」 / 「旧帝大には課長クラス、それ以外の国立大学には課長補佐クラスを出向させる、という話も聞いたことがあります。東大の場合は、コンプライアンス担当理事が指定席です。」(平澤歩 記事へのコメント)      

「国家的殺人未遂だ」 島根知事、高額療養費の見直し巡り政府批判(毎日);「丸山知事は「鬼のような改正案」とし生存権を保障した憲法25条を挙げて「治療を諦めざるをえない人が相当出てくるのは憲法違反だけではなくて刑法違反だ」と主張した。さらに「国民を死に追いやるような政策決定をした人たちは命に関わる仕事をしてはいけない。事務方は更迭でしょう」と批判した」

 

サウジ開催の米露外相協議に同席したロシア・オリガルヒのドミトリー・リボロフレフ。 トランプが4000万ドルで入手した後に売りに出したフロリダ州パームビーチの高級住宅「メゾン・デ・ラミティエ」を2008年に9500万ドルで買った人物だ。

また原発依存…政策大転換を批判する「かつてない」数のコメント 経産省はスルー「意見の多寡は関係ない」(東京 有料記事);「パブリックコメント はアリバイづくり」 政府が決定したエネルギー基本計画 。市民の声を受け止める姿勢は感じられません。

フジテレビ「経営刷新委員」7人中2人の子女がフジテレビに入社していた 委員の選考や活動の透明性に対する広報部の見解は(マネーポストWEB)

じわり広がるマイナ保険証の登録解除 申請者に共通する事情とは(毎日 有料記事); 最も多かった解除理由が「マイナンバーカードを持ち歩きたくないから」だったという。健康保険証を普段持ち歩く習慣がある人が紛失すれば、マイナンバーカードも同時に失う事になる。

大杉栄とその時代年表(411) 1902(明治35)年9月1日~11日 「一日のうちに我痩足の先俄かに腫れ上りてブクブクとふくらみたるそのさま火箸のさきに徳利をつけたるが如し。医者に問へば病人にはありがちの現象にて血の通ひの悪きなりといふ。とにかくに心持よきものには非ず。」(子規『病牀六尺』) 「今度こそ宿直を復活せざるを得ない段階だと衆目は一致した」(関川夏央) 

 

「二百十日曇」(子規『玩具帖』3)

大杉栄とその時代年表(410) 1902(明治35)年9月 「夏目は莫迦正直に、一生懸命に勉強はしているものの研究というものにはまだ目鼻がつかない。だから報告しろったって報告するものがない。しかも文部省のほうからは報告を迫ってくる。そこでますます意地になったのか、白紙の報告書を送ったとかいうことです。文部省でも変だと思ってるところへ、ちょうど同じ英文学の研究であちらへ行っていられたある人が、落ち合って様子を見ているとただごとでない。宿の主婦にきけば毎日毎日幾日でも部屋に閉じこもったなりで、まっ暗の中で、悲観して泣いているという始末。これはたいへんだ、てっきり発狂したものに違いない。」(夏目鏡子『漱石の思い出』) より続く

1902(明治35)年

9月1日

江ノ島電鉄の藤沢−片瀬(現江ノ島)間、開通。

9月1日

名古屋手形交換所開業。

9月1日

この日の子規『病牀六尺』(百十二)。


「○いよいよ暑い天気になつて来たので、この頃は新聞も読む事出来ず、話もする事出来ず、頭の中がマルデ空虚になつたやうな心持で、眼をあけて居る事さへ出来難くなつた。去年の今頃はフランクリンの自叙伝を日課のやうに読んだ。横文字の小さい字は殊(こと)に読みなれんので三枚読んではやめ、五枚読んではやめ、苦しみながら読んだのであるが、得た所の愉快は非常に大なるものであつた。費府(フィラデルフィア)の建設者とも言ふべきフランクリンが、その地方のために経営して行く事と、かつ極めて貧乏なる植字職工のフランクリンが一身を経営して行く事と、それが逆流と失敗との中に立ちながら、着々(ちゃくちゃく)として成功して行く所は、何とも言はれぬ面白さであつた。この書物は有名な書物であるから、日本にもこれを読んだ人は多いであらうが、余の如く深く感じた人は恐らくほかにあるまいと思ふ。去年はこの日課を読んでしまふと、夕顔の白い花に風が戦(そよ)いで初めて人心地がつくのであつたが、今年は夕顔の花がないので暑くるしくて仕方がない。

(九月一日)」


9月2日

東京専門学校、早稲田大学と改称。

10月19日 早稲田大学開設と創立30周年記念式典

9月2日

この日、子規は魚釣りの玩具を描き、「二百十日曇」と添える。(『玩具帖』3)

9月3日

クロアチア首都ザグレブ、クロアチア人住民とセルビア人住民が衝突。死傷者多数。戒厳令発令。

9月5日

英清通商航海条約(マッケイ条約・通商行船条約)調印。厘金撤廃と関税付加税を約束し、清国の内政改革がきめられる。しかしほとんど成果無し。

9月5日

大日本錦糸紡績同業連合会臨時総会で、不況対策として錦糸布輸出奨励金の設定を議決。

9月5日

この日の子規『病牀六尺』(百十六)。


「○暑き苦しき気のふさぎたる一日もやうやく暮れて、隣の普請(ふしん)にかしましき大工左官の声もいつしかに聞えず、茄子(なす)の漬物に舌を打ち鳴らしたる夕餉(ゆうげ)の膳おしやりあへぬほどに、向島(むこうじま)より一鉢の草花持ち来ぬ。緑の広葉うち並びし間より七、八寸もあるべき真白の花ふとらかに咲き出でて物いはまほしうゆらめきたる涼しさいはんかたなし。蔓(つる)に紙ぎれを結びて夜会草と書いつけしは口をしき花の名なめりと見るにその傍に細き字して一名夕顔とぞしるしける。彼方(かなた)の床の間の鴨居(かもい)には天津(てんしん)の肋骨(ろっこつ)が万年傘に代へてところの紳董(しんとう)どもより贈られたりといふ樺色(かばいろ)の旗二流おくり来しを掛け垂(たら)したる、そのもとにくだりの鉢植置き直してながむればまた異なる花の趣なり。この帛(はく)にこの花ぬひたらばと思はる。

くれなゐの、旗うごかして、夕風の、吹き入るなへに、白きもの、ゆらゆらゆらぐ、立つは誰、ゆらぐは何ぞ、かぐはしみ、人か花かも、花の夕顔

(九月五日)」

9月7日

子規編、碧梧桐・虚子共編『春夏秋冬』秋之部を俳書堂より刊行。漱石の俳句34句を収録。

9月8日

石川県能美郡串村に石川種馬所設置。

9月8日

長与專斎(65)、没。

9月8日

この日の子規『病牀六尺』(百十九)。


「○近頃は少しも滋養分の取れぬので、体の弱つたためか、見るもの聞くもの悉(ことごと)く癪(しゃく)にさはるので政治といはず実業といはず新聞雑誌に見るほどの事皆我をじらすの種である。(略)

(九月八日)」

9月9日

土井晩翠、ロンドンで漱石と同宿する。


「九月九日(火)、土井林吉(晩翠)(ロンドンの北方 Tufnel Park (タフネル・パーク)に下宿していた)同宿する。

九月十一日(木)頃までの間(八月中旬から)、前年ベルリンに留学していた滝廉太郎は、結核となり、帰国途中 Tilbury Dock (ティルベリー・ドック)に、寄港したので、姉崎正治(嘲風)と土井晩翠は船中に見舞に行く。」(荒正人、前掲書)


9月10日

永井荷風(23)、懸賞に応募して選外になっていた『地獄の花』(金港堂)を刊行、75円を得る。ゾライズムの作風を深める。森鴎外に絶賛され、彼の出世作となる。

この年(明治35年)4月の『野心』、6月の『闇の叫び』、9月の『地獄の花』、10月の『新任知事』、翌36年5月の『夢の女』、7月の翻案『恋と刃』、9月の『女優ナゝ』などがゾラの影響下に書かれた系列の作品。

昭和9年の散策記『元八まん』に、三十幾年のむかし、洲崎の遊里に留連したころ、後年の東陽公園のあたりまで歩いたことを記した一節がある。

『地獄の花』で得た稿料75円(白米1升が15銭弱の時代の75円)で洲崎の遊里に留連し、その経験・見聞により『夢の女』の主要部分が書き下ろされ、翌36年5月に新声社(のちの新潮社)から出版されたと推測できる。

9月10日

この日の子規『病牀六尺』(百二十一)。


「○碁(ご)の手将棋(しょうぎ)の手といふものに汚ないと汚なくないとの別がある。それがまたその人の性質の汚ないのと汚なくないのと必ずしも一致して居ないから不思議だ。平生(へいぜい)は誠に温順で君子と言はれるやうな人が、碁将棋となるとイヤに人をいぢめるやうな汚ない手をやつて喜んで居る。さうかと思ふと、平生は泥棒でも詐欺(さぎ)でもしさうな奴が、碁将棋盤に向くとまるで人が変つてしまふて、君子かと思ふやうな事をやる。少しも汚ない手をしないのみならず、誠に正々堂々と立派な打方をするのがある。このほかによくその人の性質を現はしたやうな碁打ち将棋さしも固(もと)より沢山ある。これには種々な原因があつて、もし心理的に解剖して見たらばよほど面白い結果を現はすであらうと思ふが、その中の一原因をいふと、碁将棋の道に浅いものは如何なる人によらず汚ない手を打つのが多くて、段々道に深く入つて、正式に碁将棋を学んだものには、その人の如何にかかはらず余り汚ない手は打たないのである。

(九月十日)」

9月11日

この日の子規『病牀六尺』(百二十二)。


「○一日のうちに我痩足(やせあし)の先俄(にわ)かに腫(は)れ上りてブクブクとふくらみたるそのさま火箸(ひばし)のさきに徳利をつけたるが如し。医者に問へば病人にはありがちの現象にて血の通ひの悪きなりといふ。とにかくに心持よきものには非ず。

 四方太(しほうだ)は『八笑人(はっしょうじん)』の愛読者なりといふ。大(おおい)にわが心を得たり。恋愛小説のみ持囃(もてはや)さるる中に鯉丈(りじょう)崇拝とは珍し。

 四方太品川に船して一網にマルタ十二尾を獲(え)、しかも網を外(はず)れて船に飛び込みたるマルタのみも三尾あり、総てにて一人の分前(わけまえ)四十尾に及びたりといふ。非常の大漁なり。昨また隅田の下流に釣して沙魚(はぜ)五十尾を獲(え)、同伴のもの皆十尾前後を釣り得たるのみと。その言にいふ、釣は敏捷(びんしょう)なる針を択ぶことと餌を惜しまぬこととにありと。

 左千夫いふ。性(しょう)の悪き牛、乳を搾(しぼ)らるる時人を蹴(け)ることあり。人これを怒つて大に鞭撻(べんたつ)を加へたる上、足を縛(しば)り付け、無理に乳を搾らむとすれば、その牛、乳を出さぬものなり。人間も性悪しとてむやみに鞭撻を加へて教育すればますますその性を害(そこの)ふて悪くするに相違なしと思ふ。云々(うんぬん)。

 節(たかし)いふ。かづらはふ雑木林を開いて濃き紫の葡萄圃(ぶどうほ)となさむか。

(九月十一日)」

「九月はじめ、子規の足の甲が腫れていることに気づいたのは律であった。しかし本人には感覚がない。それが水腫なら終焉は近い。律は子規には知らせずにいた。

しかし九月八日の夜から足の腫れは一気にすすんだ。九月九日に医者に見せたが、血液の循環障害だといわれた。治療の手だてはない。われとわが脚を眺めた子規は、「甚だ不気味なものじゃな」とつぶやいた。

(略)

子規門のおもだった面々が、毎日看病当番にあたることにかわりはなかったが、泊りは夏のあいだやめていた。今度こそ宿直を復活せざるを得ない段階だと衆目は一致した。(関川夏央、前掲書)


つづく


2025年2月18日火曜日

大船フラワーセンター 玉縄桜 寒桜 梅(呉服枝垂、緋の司、月の桂、月の桂、内裏、道知辺) 広場の梅は見頃 バイカオウレン ユキワリイチゲ セツブンソウ キバナセツブンソウ 椿(紅車) 2025-2-18 

 2月18日(火)曇りのち晴れ

大船フラワーセンター、ようやく春の始まりを感じさせるようになってきた。

温室で開催中のスイートピー展は写真の量(数)お関係で割愛した。

▼玉縄桜(鉢植え) エントランスのみ



▼寒桜 バラ園の中


▼梅林
梅林の梅はまだまだこれからという感じ。
▼呉服枝垂

▼緋の司

▼月の桂

▼月の桂

▼内裏

▼道知辺

▼広場の梅
陽当りの関係なのか、こちらはほぼ満開のような感じの見頃(看板はない)



▼バイカオウレン


▼開いたばかりのバイカオウレン

▼開いたばかりのユキワリイチゲ

▼セツブンソウ いっぱい咲いている

▼キバナセツブンソウ いっぱい咲いている

▼椿(紅車)

軍拡やら赤字万博やら、やってる場合じゃないですよね! ⇒ 大規模下水道、380キロが損壊リスク 耐用年数超え(日経 有料記事);「都道府県が管理する大規模な下水道管の老朽化が進んでいる。耐用年数を超える管路は、東京―名古屋間を超える約380キロメートルに及び、今後20年間で12倍に膨らむ。損壊が起きれば下水の利用自粛により市民生活や産業への影響は避けられない。下水道部門の職員減少が続く中、新技術を駆使した重点的な点検と補修に向け、抜本的な対策が求められる。」