1765年(明和2年)
この年
・石田梅岩の高弟手島堵庵、京都に五楽合を設け手島家一手で経営。
その他、時習舎・明倫舎・修正舎を設立。講社維持の当面の責任者都講は町人。大坂五舎(明誠舎・静安舎・倚衡舎・恭寛舎・教厚舎)も同様。
梅岩の心学思想では、「性」「理」という儒学の根本間題を中心に、それに接続させて心の問題を提起するが、堵庵はその手続きを重視を簡易化し、直ちに「本心」に置き換え、これを「心学」と名付け普及させる。
梅岩が「性」と呼ぶものを、「本心」と名付け、その内省化の側面を更に強調し、近世国家の身分制社会で、各自の本心に働きかけ、知足安分をはかり、内面的倫理を説く事で、現状の安住を企てる。この意味で、文字通り心学となる。
心学に入門し、修行を積み、「本心発明」を済した場合に、堵庵は「断書」を渡し、梅岩の門人たる容認のしるし、後に、明倫舎備付の「石田先生門人譜」に登録。「断書」を授ける他に、講舎統制の為、種々の規約を設け心学講舎を教団風に組織する。
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・八戸藩飢饉(宝暦12年(1762)より4年間の飢饉の状況)『八戸藩史料』
明和2年(1765)、「四月下旬より七月迄旱魃、八月二八日二九之両日大風雨にて」、2万石のうち1万785石4斗が損失。
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・尼崎藩、碇屋など5軒の魚問屋仲間が、藩御用魚の勤め方、夜市の火の用心をはじめ市場・売子の管理など10ヶ条について申合せる。
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・春、絵師円山応挙が代表作のひとつ「雪松図」を京都で描く。
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・川崎沿岸の塩の生産釜が33軒を数え、製塩が隆盛を迎える。
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・この頃流行した絵暦の交換会で、浮世絵師鈴木春信が錦絵を発表。武士たちの協力を得て完成させたといわれる。
錦絵の普及とともに、須原屋茂兵衛、須原屋市兵衛、蔦屋重三郎など江戸の出版業者が興隆し、上方出版業者の江戸販売店は経営難に追い込まれた。
蔦屋は、幕臣で戯作者の大田南畝の助けを受け、喜多川歌麿の美人画や、東洲斎写楽の役者絵を刊行した。蔦屋では、曲亭馬琴が手代を勤め、十返舎一九が板摺を手伝うなど、文化発信の一大拠点となった。
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・幕府、オランダ船舶載の金銀銭をはじめて輸入。
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・賀川玄悦が「産論」を刊行。
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・男の長羽織がもてはやされるようになる。
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・名所のガイドブック、『東都名勝集』刊行
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・千島列島の中ほどにあるラショア島にロシア人が上陸。羽太正養(まさやす)『休明光記(きゆうめいこうき)』には、イバンレヱンチチという名が記されている。
イバンレヱンチチは、そこからさらに進んでカムシリ島で越年し、翌年にはついにエトロフ島にまで探検の足を伸ばした。帰途につく途中、再びラショア島に立ち寄った時、そこで漁撈をしていたアイヌ人たちと衝突を起す。
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・請托の禁
「次で明和二(一七六五)年にもまた令を出して請托を禁じた。それは訴訟のあった折に、近習の者より奉行のそれぞれの者へ窃かに嘆願に及ぶ事があるのは、宜しくない事は申すまでもない事であるが、もしもさような事があるか、或は老中若年寄を初め以下役人どもの家来が、奉行に向って何か請求める事があったならば、構わずその趣を老中またはその役の長官に告ぐ可しという事を令した。」(辻善之助『田沼時代』)
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・イギリス、ハーグリーヴズが、これまでの紡ぎ車よりも優れた紡績機(スピニング・ジェニー)を作る。
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・スペイン、カルロス3世、「啓蒙主義的専制主義」政治を開始。
ロドリゲス・カンポマーネスを中心に旧ハプスブルグ体制を一掃、国力を回復しイギリスの進出阻止を図る。ホセ・デル・カンピーリョのたてた行政改革案(コレヒドール、アルカルデ・マヨール制の廃止とインテンデンシア行政区の設置)、財政改革案(大商人の独占排除、自由交易制の導入、専売品の拡大、直接徴税制への転換)などを政策化。
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・1765年~1768年、ゲーテ、法律を学ぶためにライプツィヒに滞在。
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・ジャン・ジャック・ルソー「告白」刊行(~1770)。
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・フランス、1749年にパリ高等法院判令は、帽子製造職人は雇主の人を雇う自由への干渉を禁じるが、この年、同様判令は、これらの労働者に剣と狩猟用ナイフの携帯を禁じる。
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・英国人、西フォークランド島に再殖民し定着。
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・中国人追放(イギリスのマニラ占領に協力を理由)。中国系メスティーソ層の経済力向上の契機。
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・ロシア、自由経済教会設立。ロシア農業の改善と資源開発目的。会長:エカテリーナ2世寵臣G・オルロフ伯。
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1月
・ロンドン、モーツアルト、毎日午後1~3時、見世物として集まって来る人たちの求めに応じて、奇跡的な演奏を披露。
この頃ロンドンで少なくともシンフォニー5つが作られる。K.16a (Anh.220) イ短調(通称「オーデンセ」)、K.17 第2番 変ロ長調(父の作かもしれず、偽作(Anh.C11.02)とされる)、K.19 第4番 ニ長調、K.19a (Anh.223) ヘ長調(断片、通称「新ロンドン交響曲」)、K.19b (Anh.222) ハ長調(断片)。
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1月2日
・根岸村・入間川宿・押垂村・鯨井村・組屋村・平塚村・小田島村、襲撃。
3日、川越城よりの士卒、100人生捕り。
4日、川越二里北狐塚村、2万人押寄せ。近村から加勢2千で守る。寄手死者30人。
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1月7日
・秋田藩、銅増産のため、阿仁銅山を藩直営から商人による請負い制に変える。
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1月18日
・モーツアルト、前年8~11月に作った「ヴァイオリンまたはフルート(及びチェロ)の伴奏で演奏できるクラヴサンのための6つのソナタ」(K10~15)を『作品3』(『ロンドン・ソナタ』)として自費出版、英王妃シャーロットに献呈。
1762年、ヨハン・クリスティアン・バッハ(1735~82、大バッハ、ヨハン・ゼバスティアンの末子)は、イタリアからロンドンに移り住み「王妃の音楽教師」を務め、カール・フリードリヒ・アーベル(1725~85)と共に、所謂「バッハ=アーベル演奏会」を主宰して活躍していた。
モーツァルトは、パリで活躍していたドイツ人音楽家、とくにショーベルトの様式を反映させながら『パリ・ソナタ』を書き上げたように、主に1764年秋に作曲された『作品3』(『ロンドン・ソナタ』)にはクリスティアン・バッハの響きと、クリスティアンやアーベルが作り出した形式構造が映し出されている。
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1月28日
・(露暦1月17日)エカテリーナ2世、地主が裁判抜きで自分の農奴的農民をシベリア流刑にしたり戻したりできる法令発す。
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