江戸城(皇居)梅林坂 2013-02-04
*ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(58)
「第4章 徹底的な浄化 - 効果を上げる国家テロ - 」(その7)
アルゼンチン農業連盟の指導者への弾圧
先制攻撃の標的になったのは組合指導者だけではない。
金銭的利益以外の価値観に基づく社会作りを目指す者は誰であれ対象になった。
とりわけ残忍な攻撃が向けられたのは、土地改革のための戦いに関わってきた農民たちだった。
アルゼンチン農業連盟は農民が土地を所有する権利を主張してきた組織だが、その指導者たちは作業中の畑で捕らえられると、地域住民の目の前で拷問を受けることもしばしばだった。
兵士たちはトラックのバッテリーを使って牛追い棒を充電し、どこにでもある装置を農民自身を痛めつける凶器に変えた。
一方、軍事政権の経済政策は地主や牧場主に棚ぼたの利益をもたらした。
アルゼンチンではマルティネス・デ・オス経済相が食肉価格の規制を撤廃したため価格は七倍以上に急騰し、前代未聞の収益が彼らの懐に転がり込んだ。
都市スラムの地域活動家への弾圧
都市のスラムでは、先制攻撃の標的となったのは地域活動家であり、その多くは教会を拠点にして社会の最貧層の人々を組織し、医療や公共住宅、教育などの拡充を訴えてきた人たちだった。
言い換えれば、「福祉国家」がシカゴ・ボーイズによって解体されつつあったのだ。
アルゼンチン人医師ノルベルト・リウスキーによれば、「彼らは私の歯茎、乳首、性器、腹部そして耳に電気ショックをかけ」ながら、「貧民どもの面倒を見る善人づらをしたやつらは叩き潰してやる!」と言い放ったという。
アルゼンチンの行方不明者3万人のうち81%が16歳~18歳の若者
「今やっていることは今後二〇年のためだ」
軍事政権に協力したあるアルゼンチン人牧師は、彼らが指針とする思想をこう説明する。
「敵はマルクス主義だった。言ってみればマルクス主義は教会にも、そして祖国にもはびこっている - 新しい国家が創られる危険があるというわけだった」。
軍事政権の犠牲者の大多数が若い世代だったことも、「新しい国家が創られる危険」ゆえだったと理解できる。
アルゼンチンでは三万人に上る行方不明者のうち八一%が一六歳から一八歳までの若者だった。
犠牲者の一人は、「今やっていることは今後二〇年のためだ」と、拷問で名を馳せたあるアルゼンチンの軍人から聞かされたという。
もっとも年少の犠牲者に、一九七六年九月に集団でバス料金の値下げを要求した高校生たちがいる。
集団で活動したのはマルクス主義ウイルスに感染している証拠だとみなした軍事政権は、ジェノサイドさながらの猛烈な怒りをもって対応し、反政府的な要求を勇敢にも突きつけた高校生六人を拷問の末に殺害した。
この一件に関与した主要人物の一人であるミゲル・オスバルド・エチェコラッツは三〇年も経過した二〇〇六年、ようやく有罪判決を受けた。
「経済改革」と表裏一体の「大量弾圧」
ここには明らかなパターンを見て取ることができる。
ショック療法によって、経済から集団主義の遺物をすべて除去しようとする一方で、ショック機動部隊が街頭や大学、工場から、そうした価値観を代表する人々を排除しようとしたのだ。
経済改革の最前線にいた人々のなかには、目標の達成には大量弾圧が必要だったと、ふと気を許した折に認める者もいた。
コンサルティング会社パーソン・マーステラの広報担当役員で、企業寄りの政策を取るアルゼンチン軍事政権を海外に売り込む仕事をしていたビクトル・エマヌエルは、作家のマーガリート・ファイトロウィッツの取材に応え、アルゼンチンの「保護主義的、国家統制主義的」な経済を開放するには暴力が必要だったと語った。
「内戦が起きている国に投資しようなどという人間はどこにもいない」。
エマヌエルはそう言ったあと、殺されたのはゲリラだけではないことを認めている。「無実の市民もおそらく大勢殺されたでしょう。でも、あの状況では巨大な軍事力が必要だったんです」
チリでも同じ
シカゴ・ボーイズの一人で、チリ軍事政権の経済相としてショック療法の実施を監督したセルヒオ・デ・カストロは、ピノチェトの鉄拳の後押しがなければけっして目的は果たせなかったと述懐している。
「世論のかなりの部分は(われわれに)反対していましたからね、この政策を維持するには強力な人格が必要だった。ピノチェト大統領が理解を示し、批判に耐える資質を持っていたのは幸運でした」。
彼はまた、経済的自由を保護するには権力を「感情を交えずに」行使できる「独裁政権」がもっとも適しているとも述べている。
人々はショック状態にあった。
食料を求める暴動も起きなければ、ゼネストも行なわれなかった。
ほとんどの国家テロに言えることだが、標的を定めた殺害には二つの目的があった。
第一は、国家プロジェクトに対する現実的障害 - つまり、反撃してくる可能性の高い人々を除去すること。
そして第二は、「トラブルメーカー」が行方不明になるのを誰もが目撃することで、これから抵抗しようと考えている者に確実な警告を与え、将来の障害を未然に除去できることである。
たしかに、その効果はあった。
「私たちは混乱し、苦悩し、従順になり、指示を待つようになっていった。(中略)皆、退行してしまいました。依存的になり、不安になっていったんです」とチリ人精神科医マルコ・アントニオ・デラ・パラはふり返る。
言い換えれば、人々はショック状態にあったのだ。
そのため、経済的ショック療法によって賃金が下がり物価が急騰しても、チリやアルゼンチン、ウルグアイの街は静かで整然としていた。
食料を求める暴動も起きなければ、ゼネストも行なわれなかった。
人々は食事の回数を減らしたり、赤ん坊に空腹感を抑える作用のあるマテ茶を飲ませたり、バス運賃を節約するために早朝に家を出て職場まで歩いたりしてしのいだ。
栄養不良や腸チフスで死んだ者は、静かに埋葬された。
独裁政権終結後も新自由主義的「再編成」の時代を通じてさらに悪化していく
ほんの一〇年前、産業部門の目覚ましい発展と中産階級の急速なム台頭を謳歌し、強力な医療・教育システムを持つ南米南部地域の国々は、第三世界にとっての希望の星だった。
だが今や貧富の格差が急速に広がり、富裕層がアメリカ・フロリダ州の名誉市民となる一方で、残りの人々は貧困状態へと押し戻された。
この状況は、独裁政権終結後も新自由主義的「再編成」の時代を通じてさらに悪化していくことになる。
これらの国々は感動的なモデル国家から一転して、今や貧困国が第三世界から脱却しようとすればどうなるかを警告する恐ろしい見本となった。
この様変わりは、軍事政権の強制収容所に拘束された人々が強いられた変化と二重写しになる。
彼らは自分がもっとも大切にしていた信念を捨て、愛する人や子どもを裏切ることを余儀なくされた。
権力に屈した人々は「ケプラドス(壊された者)」と呼ばれたが、南米南部地域もまたさんざん叩きのめされたあげく、「壊された(ケプラド)」のである。
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