2013年7月2日火曜日

川本三郎『荷風と東京 「断腸亭日乗」私註』を読む(51) 「二十九  ある夜の女」(その2)

オオバギボウシ わが町 2013-06-30
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「荷風は、こういう私娼の、都市の裏側を生きる隠微かつ淫靡な生態に惹かれたに違いない。それは、花柳界の芸者にもカフェーの女給にもなかった、都市のアンダーグラウンドに生きる”ひかげの花”ならではの暗い魅力だった。」(川本)

「哺下黒澤より電話あり二十日過に逢ひたしといふ」(昭和8年9月19日)
「風月堂にて晩餐をなし芝浦に黒澤を訪ふ」(9月22日)
「晩餐の後芝浦に黒澤を訪ふ」(9月26日)
「昏刻銀座に飯して黒澤を訪ふ」(10月14日)
「蠣殻町水天祠畔の洞房に黒澤を訪ふ」(10月30日)
荷風にとっては黒澤きみは秘密の女、隠し女である。
知人たちの誰にも彼女のことはいっていない筈だ。
銀座で知人たちと食事をしたあと、彼らと別れ、ひとり芝浦の待合へと姿をくらましていく。
荷風独特のやつしであり、秘密愛である。
11月5日「土橋際の洋食店ヱイワンにて食事をなし黒澤と水天宮に賽す」

ふたりの仲は深まっている。
彼女が浅草に住んでいることを知り、芝浦の帰りに送ることもある。
そのとき、浅草あたりには、彼女のような女がたくさんいることに気づく。

昭和9年1月14日
「夜黒澤おきみと銀座にて邂逅し浅草公園を歩み、入谷へ通ずる新道路に出で、おきみの間借をなせる硝子屋の店先にてわかれたり。硝子屋の二階はおよそ六室ほどあり。おきみの外に私娼にて旦那取りをする女二人。藝者上りの妾一人。カツフヱーの女給二人間借りをなし、各自勝手に旦那や色男を引入るゝが故に二階中はさながら待合か連込旗館の如き有様なりと云ふ」

このアパートは、武田麟太郎「日本三文オペラ」(昭和7年)の舞台になった浅草裏のアパートを思わせる。
第一次大戦後、日本が工業社会へと発展していく過程で、農村から都市、とりわけ東京へと人口の移動が行なわれる。
東京の人口が急激に増える。
それに対応するためにアパートが次々に作られる。
黒澤きみが住んでいる浅草裏のアパートは、そうした新都市住民の住まうところである。
住人は大半が、いまふうにいえば「サービス産業」の従事者。
ここにも現在の東京の原型を見ることが出来る。
荷風はこの新しい都市の住空間であるアパートにも興味を持った。

昭和10年10月25日
「電車にて浅章雷門に至り公園を散歩す。千束町を過る時この春一個月ばかり余が家に雇置きたる派出婦に逢ふ。松竹座向側なる浅草ハウスといふアパートに住へりといふ。誘はるまゝに其室に至り茶を喫す。右鄰の室はダンサア。左鄰の室にはカフヱーの女給。向側は娼妓上りの妾にて夜十二時過ぎになれば壁越しに艶めかしき物音泣声よく聞ゆといふ」

「見る人」荷風の観察はここでも微細にわたっている。

「濹東綺譚」で、小説中の小説「失踪」の主人公種田順平が付き合う、浅草駒形町のカフェーの女給すみ子が住んでいる向島の「吾妻アパート」が、こうした観察から創作されていることは明らかである。
すみ子は順平に自分のアパートをこう説明している。
「わたしの庭なんか自由なもんよ。お隣も向側もみんな女給さんかお妾さんよ。お隣なんか、いろいろな人が来るらしいわ」。

「単身者の荷風には、アパートが東京で一人で生きている女たちのそれなりに自由な場所に見えている。」(川本)

浅草に黒澤きみを送った荷風は、彼女の行きつけの千束町の喫茶店にも立ち寄る。
そこにも私娼らしき女たちの姿が見える。

昭和9年2月16日
「この店おきみが馴染の由。珈琲紅茶水菓子の外に汁粉雑煮蕎麦掻おでんなど何品にても一人前金拾銭なり。洋装の小娘三四人給仕をなす。お客は女達多し。近處の琲珈(ママ)店の女をつれたるあり。西検番の安藝者二三人をつれたるもあり。私娼だか何だかわけの分らぬものを連れたるもあり」

昭和8年10月18日の、叶家の女将の話によると、以前は女たちは郡部に住んでいる者が多く、また円タクの便も悪かったために、電報や速達で呼び寄せた。
そのためその日に間に合わないことが多かったが、最近は、女たちは「市中随處に二階借をなし、家主の電話を利用する故、夜も十二時前なればすぐに間に合ふやうになりたり」という。

浅草裏の硝子店の二階に住む黒澤きみも、そういう「市中の女」のひとりである。
「ひかげの花」のお千代が部屋借りしている家が、芝桜川町の裏通りにある「間口三間ほど明放ちにした硝子店」とあるのは、黒澤きみの浅草の家に倣っているためだろう。
また、「ひかげの花」には、お玉というカフェーの女給兼私娼が出てくるが、彼女は、いま世田谷に住んでいるが市中に出てくるのが大変なので芝あたりに部屋を探している、といっている。
これは、荷風が叶家の女将から取材した結果だろう。

「荷風が黒澤きみと親しくなったのは、無論まず男として彼女に惹かれたことはあったろうが、それ以上に、作家として彼女が小説の材料になると考えたことが大きかった。私娼大竹とみをモデルに「かし間の女」(大正十五年)を書いたのと同じ事情である。だから観察が細かい。収入のこと、住宅事情のことなど生態を冷静に観察している。女と遊ぶことは好きでも、決して女に溺れることのない荷風の醒めた作家意識はここでも濃厚である。黒澤きみをモデルにして一篇の私姫小説を書きたい。このことは、荷風自身がはっきりと「日乗」のなかで書いている。」(川本)

昭和8年6月6日
「晩餐後黒澤きみの行衛をさぐる手がゝりを得んものと思ひて、兼て聞知りたる其親戚の家を浅草東三筋町にたづねしが遂に得ずして止む。おきみといふ女の性行経歴はこれを委しくさぐり出さば必小説の材料となすに足るべきものと恩はれしが故なり」

失敗に終るが、調査探偵のように彼女の身許調べまでしようとする。
昭和9年3月4日
「浅草公園表象潟町警察署に至り、受附の巡査に請ひて黒澤きみの戸籍を見むと欲せしが許さゞるを以て空しく去りぬ。實は彼の女の生涯をモデルにして長篇小説を作らむと恩ひたればなり。彼女は茨城県水戸市外の水平社に属するものなるやの疑もあるなり」
プロの探偵に調査を依頼する。
同年3月5日
「午後探偵業岩井三郎事務所を訪ひ、黒澤きみ身元探索の事を依頼す」

探偵業(興信所)がすでに職業として成立していることも都市化した東京ならではである。

これより先、荷風はすでに昭和6年2月9日に「秘密探偵岩井三郎事務所」を利用している。
当時、付き合っていた園香という芸妓の客の身許を調べるためである。
「帰途鍛治橋外秘密探偵岩井三郎事務所を訪ひ、園香の客なる伊藤某といふ者の住所職業探索の事を依頼す、伊藤某は大木戸待合七福の女房と関係ある者の由、去年来妓園香を予に奪はれたりと思ひ過り、之を意恨に思ひ窃に余が身邊に危害を與へんと企てゐる由、注意するものありし故、萬一の事を慮り其身分職業をたしかめ置かむと欲するなり、岩井事務所探偵料参拾圓なり」。
これを見ると「岩井事務所」は現代の興信所とほとんど同じである。

黒澤きみの身許調査の報告を、のち3月28日に受け取る。
「哺下鍛治橋外岩井三郎事務所を訪ひ黒澤しん及其情夫の身元調査書類を受頂り」とある。
黒澤きみが「砲兵工廠職工の女」(昭和11年1月30日)であることは、この調査からわかったことだろう。
また、彼女自身の言葉から、茨城県出身の女であることもわかった(昭和9年2月27日)。
こうした事実を参考に、彼女をモデルのひとりとして荷風はこの昭和9年に「ひかげの花」を書きあげている。

「ひかげの花」のお千代は、自分から積極的に身を売る女になった。
その点では、自立する女である。
囲われ者でもないし、哀れな”籠の鳥”でもない。
しかも、性行為に快楽を覚え、そういう自分を肯定する。
欲望に忠実な、まったく新しい女である。
小市民的モラルを超えたところで生きている。
「つゆのあとさき」の女給君江にも積極性はあったが、彼女は自分の快楽にまだ無自覚なところがあった。

お千代は一歩進んでいる。彼女は昔から男に「ちやほやされた」ことを侮辱だとは思ってはいない。むしろ喜んでいる。

「自分は男に好かれる何物かを持ってゐるが為めだと考へてゐた。この何物かは年と共に接触する男の数が多くなるに従って、だんだんはっきりと意識せられ、内心ますます得意を感じる」
「それ故、たまたま醜悪な男に出会って、常識を脱した行動を受けて見るのも、満更興味のないことではなかった。嫌悪と憤懣の情を忍ぶことから、こゝに一種痛烈な快感の生ずる事を経験して、時には其の快感を追求しやうと云ふ程にもなってゐた」
「快楽を肯定している。欲望に忠実になろうとしている。荷風は、私娼という世を忍ぶ女のなかに、新しい女のイメージを見ている。そしてここにも、黒澤きみの影を見ることが出来る。彼女自身が、快楽に自覚的で、悪びれずに、性の喜びを語る女だったのだから。」(川本)

昭和9年2月27日。
「午後黒澤より電話あり。燈刻烏森の眞砂に往きて逢ふ。売笑の稼業にも飽きたれば姑く故里に還り養生するつもりなりと云ふ。田舎にかへりて其まゝいつまでも辛抱して居られるかと問ひて見み(ママ)しに、實はこの一二年商売が面白くてたまらぬなり。数知れぬお客の中には床上手な人も少なからず。ついつい婬樂に耽り今ではどうやら身體がつゞかぬやうな心持故、一先茨城県の田舎にかへり養生するつもりになりしなりと云ふ」
「此女實に稀代の婬婦にて男二人を左右にねかし交るゝに其身を弄ばせてよろこぶ事などあり」

昭和8年11月17日にはこんな観察も。「閨中秘戯絶妙。而も慾心なく頗廉価なり」。

「「廉価なり」と付け加えるところは金銭感覚に鋭敏な荷風らしく思わず笑ってしまうが、それはともかく、荷風にとっての私娼は、単に哀れな女ではなく、黒澤きみのような、世を忍びながら密室で欲望を全開させる、魔性を帯びた女だったことは記憶されていい。時代状況が次第に軍国主義体制へと緊迫を増していくなかで、荷風の目は暗闇に光っている。」(川本)
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